親愛なる者へ 4




それから二週間程が過ぎた。
麻生とは変わらず定期的に会っている。
あれ以来彼は、の事をあれこれと訊いてこない。
無用な嘘をつかなくて良いのだから、それはとしても有り難かった。

何も気にする事なく、彼に夢中になれるのだから。



今日もまたいつも通りの逢瀬を楽しみ、二人は帰路についていた。

帰り道を辿りながらのドライブが一番楽しみだ。
彼は必ず、車を降りる直前に抱きしめて口付けてくれる。
この短い時間のドライブが一番好きだと言えば、あちこち連れて行ってくれる麻生に悪いだろうか。

そんな事を考えながら、はいつものように彼の口付けを受けていた。

「・・・・・帰したくないな。」
「え?」
「今日は帰したくない。」

一瞬大きく心臓がはねた。
いい大人同士、いつこうなってもおかしくはなかったが、いざとなるとやけに緊張してしまう。


「嫌、かな?」
「嫌だなんて・・・・・・」
「仕事の予定は?」
「・・・・・明日は休みだから・・・・・・・」
「じゃあ決まりだね。良かった。」
「麻生さんは?」
「僕はある程度自分の都合で動けるから。明日は特に約束もないし、大丈夫だよ。」

の唇に軽く音を立ててキスすると、麻生は再び車のハンドルを握った。

「君の家、案内してくれるかな?」
「え、う、家で!?」
「ここからだったら、君の家の方が近いし。何かマズい?」
「あの、その・・・・・・、あの、私居候だから・・・・・・・。家の人が居るし・・・・」

結ばれるのは嬉しいが、家を知られる訳にはいかない。
は必死で考えを巡らせ、怪しまれないように嘘をついた。

「ああ、なるほど。それは大問題だね。ははは。じゃあ僕の部屋にしよう。質素なホテル住まいだから、大したおもてなしは出来ないけど。」
「い、いいえそんな・・・・・」

曖昧に笑って、はほっと胸を撫で下ろした。
安心すると同時に力が抜けて、妙に脱力してしまう。
シートに座ったままぼんやりしているを、麻生は訝しそうに見た。

「どうしたの?良いの?」
「え?な、何が!?」
「電話。黙って帰らなかったら、家の人が心配するんじゃない?」
「・・・・・・あっ、ああ!そっ、そうですね!あっ、じゃあちょっと失礼します!すぐ戻りますから!」

バッグを小脇に抱えると、はそそくさと車を降り、運転席の麻生に背を向けて電話を取り出した。



皆一応、沙織から与えられた携帯電話を持っている。
彼女の警護の際など、表社会で動く時に必要だろうからという理由で持たされてはいるが、大半の者はロクに使っていない。

それはともかく、今電話を掛けられる相手は限られている。

カノンはサガと暮らしているから、掛けられない。
アフロディーテは任務で、帰るのは夜中か明日の早朝だと言うし、アイオリアとシュラは確か今日、デスマスク達と飲みに出ると言っていた。
とすると。

「・・・・・・あっ、アルデバラン!?私!!」
『おお、か。どうした、珍しいな。俺に電話を寄越すとは。はっはっは!』
「あのねあのね!私今日・・・・・・・」
『何だ?』
「今日・・・・・・・・、帰らない・・・・・・・」
『・・・・・・・・いきなり際どい用件だな;俺はどう返事すれば良いのだ?』
「ごっ、ごめん!そんなつもりじゃないんだけど・・・・!」
『ああ、分かってる分かってる。他の連中を誤魔化すんだろう?任せとけ!』
「お願いね!なるべく早く戻るから!」
『いや気にするな。何とでも言って誤魔化しておいてやるから、ゆっくり楽しんで来い。』
「たっ、楽しむって!」
『はっはっは、羨ましいな!頑張れよ、!』

豪快な笑い声が聞こえた後、電話は一方的に切られてしまった。

ともかく、これで一安心だ。
何も事情を知らない他の者達も、彼らならきっとうまく誤魔化しておいてくれるだろう。

電話をバッグにしまうと、は高揚した気分で車に戻って行った。









『愛してる』という言葉は、とっておきの特別な時の台詞だと思っていた。
でも、その特別な時は今だった。
耳元に囁かれ、ああ、この人が特別だったのだと。

そう思った。









「おはよう。」
「・・・・・おはようございます・・・・」

慣れないベッドの上で、は浅い眠りから醒めた。
もう一線を越えた仲だというのに、まだ緊張が解けない。
彼がいかにも大人な男性だからだろうか。

「良く眠れた?」
「ええ。」
「今朝食を頼んでおいたから、届くまでの間にシャワーでも浴びておいで。」
「あ、はい・・・・・」

そう言う彼は、もう既に身支度を整えてしまっている。
自分一人が裸である事に気付き、急に恥ずかしくなったは、そそくさとバスローブを羽織り、浴室へと駆け込んだ。




上がってきてみれば、朝食が届いたところだった。
ハムエッグとサラダ、バターロールにコーヒーと、馴染みの深いラインナップである。
それらを食べつつ談笑し、支度を整えると、もう九時を回っていた。

「さてと。これからどうしようかな。」
「麻生さん、今日取材は?」
「・・・・・・また。」
「え?」
「『麻生さん』はやめてくれって言っただろう?」
「あ・・・・・・・」

そうだった。
昨夜からずっと、そう言われていたのだ。
ははにかみながら、ごめんなさいと謝った。

「まだ慣れなくて・・・・・・。ずっとそう呼んでたからかな?」
「はは。じゃあこれからは名前で呼び慣れて欲しいね。」
「・・・・・ええ。それであの・・・・、取材の予定は?」
「今日のところは特に約束もないんだけどね。折角天気も良い事だし、適当に車を走らせてみるよ。良かったら付き合わないか?」
「そうしたいけど・・・・・・・」
「ああそうか。家の人が居るんだったね。昨夜からずっと引っ張り回しちゃマズいな。分かった、今日のところは諦めよう。また今度、ね?」
「・・・・・はい。」

本当は一緒について行きたい。
けれど、聖域で皆を誤魔化しつつ待ってくれているであろう彼らの事を考えると、それは無理だった。
少し寂しくはあるが、これから何度もこういう機会はあるのだ。

気を取り直したは、麻生について部屋を出た。






「じゃあまた電話するよ。」
「私も。取材、頑張って下さいね・・・・・・、貴臣さん。」
「ああ、有難う。」

別れ際にキスを一度交わして、はロドリオ村に入った。
彼が帰る時間を考えると、ちょっとした買い物を済ませた位が良い頃合だろう。
協力してくれたアルデバラン達に何か差し入れでも買おうと、は村の食料品店に入った。


そうして15分程時間を潰し、村の入口からそっと外を覗いてみれば、麻生の車はもうそこになかった。

「そりゃそうよね。いつまでもこんな所に居る筈ないんだから。」

独り言ちて村を出て、は聖域の方角に向かって歩き始めた。

しかし怖いのは、きっと待ち受けているであろう彼らだ。
一体何と言って冷やかされる事か。
けれど仕方がない。
麻生と結ばれたのは事実だし、それを後悔してもいないのだから。


「・・・・・・諦めるしかないか。」

苦笑いしながら小鳥の囀る小道を上機嫌で歩いていくには、背後から誰かが尾けている気配など感じる筈もなかった。






意外にお早いお帰りだな。
うわっ!!か、カノン!?何でここに居るの!?」

聖域に入った途端、の目の前に5人の男達が立ちはだかった。
勿論アルデバラン、カノン、アイオリア、シュラ、アフロディーテである。

「何なの、皆して!?」
「朝帰りの不良娘の出迎えに決まっているだろう。」
「ちょっとシュラ、どういう意味よ!?」
「ふふっ、アルデバランから聞いたよ。おめでとう。」
「う゛・・・・・・・」
「想いが叶ったようで良かった。幸せにな。」
「アイオリアまで!恥ずかしいから止めてよ!!」
「連中の事なら心配要らんぞ。俺達がちゃんと誤魔化しておいたからな。」

ニヤリと笑って親指を立ててみせるアルデバランに、は苦笑した。

「ありがとう。皆もね。ごめんね、こんな事に協力させて。」
「なに。いずれ礼はたっぷり貰うつもりだから気にするな。
怖い事言わないでよカノン;あっ、そうだ。お礼と言うのも何だけど、サクランボ買って来たの!皆で食べて!」

はさっき手に入れたばかりの紙袋を、にこにことカノンに差し出しかけた。

「どうしたの、カノン?怖い顔して。」
「・・・・・・・・・そこに隠れている奴、出て来い。」
「え?」

振り返ってみれば、そこには取材に行った筈の麻生が居た。


「麻生さん!?何でここに・・・・・!」
「道を間違えてね。引き返して来たら、君がこっちの方に歩いて行くのが見えて。」
「ほう、君がミスター・アソウか。」

アフロディーテは優雅な微笑みを浮かべながらも、探るような目付きで麻生を見た。

聖衣など着ていなくても、彼の華やかな風貌はかなり人目を惹く。
おまけに流暢な日本語を喋るとあっては、驚くのも無理はない。

麻生は一瞬目を丸くすると、あの笑窪の出る笑顔を浮かべてポケットからカードケースを取り出した。


「いや驚いた、日本語がお上手なんですね!」
「それ程でも。」
「私、麻生と申します。お見知りおきを。」

麻生は慣れた手つきで全員に名刺を配った。
名刺を貰った黄金聖闘士達は、名を名乗る程度の挨拶をすると、握手を求めてきた麻生に応える。
そうして一通り社交辞令を終えた後、麻生はに尋ねた。


、随分親しそうだけど、この人達とは知り合い?」
「え、えぇ、まあ・・・・・・」
「ミスター・アソウ。心配しなくても良い。俺達はただの友人だ。」

疑われているのではと気を回したアイオリアがにこやかに先手を打ったが、麻生は全く気にしていないといった風に微笑んだ。

「そうですか。現地の友人が居るなら、も心強いね。」
「え、ええ・・・・・・」
「一体どういう経緯で友達になったの?」
「え?」
「ミスター・アソウ。それなら貴方も、一体どういう経緯で彼女とお知り合いに?」

慇懃無礼なアフロディーテの口調に、微かな棘を感じ取った麻生は、人好きのする笑顔を浮かべて詮索を止め、今度はカノンに向き直った。


「それはそうと、皆さんはこちらの関係者ですか?」
「関係者?」
「いや、見たところ遺跡のように見えたものだから、調査員か何かでいらっしゃるのかと。」
「確かに、遺跡と言えば遺跡だが、俺達は調査員でも考古学者でもない。」
「へえ。なら皆さん、ここで一体何を?、君も。」

素朴な疑問を問うかのような自然な口ぶりで、麻生は全員を見回した。

大層返答に困る質問だ。
一同は次々に、縋るような目付きでカノンを見た。
何しろこの中で一番口が巧いのは、彼だからである。

無言の内に縋りつかれ、カノンは苦い顔をしながらも、咳払いを一つするとスラスラと語り出した。


「撮影だ。俺達はモデルなんでな。この容姿を見れば分かるだろう。
「は?」
「なんだ、何か可笑しいか?」
「あ、いえ・・・・・・。まあ皆さん、立派な体格をしておられるなとは思っていましたが・・・・」
「だろう。俺達モデルは一にもニにも、容姿が大事だ。分かって貰えたのなら何より。日頃の努力が報われるというものだ。」
「はあ・・・・・・」

カノンに圧倒されながらも、麻生はなお食い下がった。

「あの、物は相談なんですが、私もこういう職業なので、ギリシャ各地で取材出来そうな所を探して歩いていまして。もし良かったら是非私も中に・・・・」
「それは出来んな。」
「どうしてですか?」
「ここは私有地だ。許可なく勝手に立ち入ったり、取材・撮影行為を行う事は禁じられている。勿論俺達は許可を取って撮影しているし、彼女は俺達が招待した故、特別に立ち入る事を許されているがな。」

何ともまあ、次から次へとスラスラ嘘が出てくるものである。
一同は、尊敬半分呆れ半分でカノンを見た。

「そうですか、ではその許可は何処でどうやって得れば?」
「知らんな。そういう事は全て事務所がやるのでな。」
「じゃあ、事務所の方にお会いさせて・・・・」
「申し訳ないが、今立て込んでいるんだ。」

そう言い切ると、カノンは『お引取り願おう』と言わんばかりの目線を麻生に向けた。

「・・・・・そうですか、分かりました。どうもお邪魔をしまして。」
「いや。」
「じゃ、。また電話するよ。」
「あ、はい・・・・・・」

麻生は愛想の良い笑顔で一礼すると、踵を返して去って行った。




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後書き

黄金聖闘士達とヒロインの恋人が鉢合わせ、の巻でした。
この辺で話の半分まで来た感じです。
カノンが馬鹿な事を申しておりますが、それでも段々ギャグっぽさが少なくなって
きましたでしょ(笑)?