そして日曜日。
「気張って来いよ、!」
「うん。ありがと、アルデバラン。」
「良く似合うよ。さすが私の見立てだ。楽しんでおいで。」
「ふふっ、ありがとう、アフロ。」
「良いデートになると良いな。」
「ほら、時間に間に合わなくなるぞ。急げ。」
「うん。」
「待て、!」
アイオリアとシュラに促され出掛けようとしたを、少し遅れてやって来たカノンが呼び止めた。
「何?」
「大事な物を忘れてるぞ。しっかり持っておけ。」
「何これ?」
手に握らされた物を見てみると、それは小さな箱だった。
中身は・・・・・・
「・・・・・・カノン〜〜ッ!!??」
「これさえ持っておけば、いつ何処でどうなっても心配は要らんだろう?」
そう、中身はご丁寧にも、避妊具であった。
「妊娠と性病予防には欠かせん。『ヤってもやられるな』だ。」
「なに訳分かんない事言ってんのよ!性病なんて失礼な事言わないでよ!」
「分からんぞ。大体この間会ったばかりの男だろう?迂闊に頭から信じ込むのは危険だぞ。」
「だから、いきなりそんな事にならないってば!バカじゃないの!?ただ会うだけなんだから!!」
「バカはお前だ。男なんてちょっと甘い顔を見せればそんなものだ。同じ男が言うんだから間違いない。」
言い切って一人納得するカノンに、アイオリアが憤慨した様子で詰め寄る。
「決め付けるなカノン!付き合いもない内から身体を求めるような不埒な男など、俺は男として認めんぞ!」
「まあまあアイオリア。落ち着け。価値観は人それぞれだ。」
「何だと!?おいアルデバラン、さては貴様もそのクチか!?」
「違うわ!!拳を収めろ!!」
「なにはともあれ、自己防衛は大事だ。お気をつけて、お嬢さん。」
「信用出来なさそうな男だったら、迫られても許すんじゃないぞ。」
「皆して何言ってんの・・・・・;」
からかうような笑みを浮かべたアフロディーテとシュラに見送られ、は呆れ顔のまま聖域を出た。
「やあ、すっかり遅くなってしまった。悪かったね、あちこち引っ張りまわして。」
「いいえ、とんでもない!楽しかったです!」
時計は今、午後の11時を指している。
食事だけのつもりが、話は弾みに弾んで麻生の取材にまで付き合う事になり、結局こんな時間になってしまった。
ロドリオ村はもう皆寝静まっているのか、ひっそりと静まり返っている。
何度も断ったのだが、どうしても送ると言って譲らない彼に負け、ここまで車で送って貰ったのだ。
まさか、聖域まで乗り付けて貰う訳にはいかないではないか。
ここは彼が帰るのを見届けてから、聖域に戻るしかない。
「さん?」
「・・・・・はっ、はい!?」
「どうしたの、ボーっとして。疲れた?」
「いいえ、そんな・・・・・・」
照れ隠しの笑顔を浮かべるにふっと笑いかけて、麻生は思わせぶりな口調で囁いた。
「今日は本当に楽しかった。また誘っても良いかな?」
「は、はい・・・・・!」
「・・・・・・・良かった。」
「あ・・・・・・・」
あっと思った時にはもう、彼の唇が触れた後だった。
「気をつけて。また電話するよ。」
「はい・・・・・・・」
「おやすみ。」
「おやすみなさい・・・・・・」
笑窪の出るあの笑顔に見送られ、はロドリオ村へと入っていった。
心臓がうるさい程高鳴っている。
彼に聞こえるかもしれない程に。
指先でそっと唇を撫でながら、は久しぶりに感じた高揚感に身を焦がしていた。
翌日になっても、昨夜の昂りはまだ消えていなかった。
「で、どうだった?」
「!吃驚した!脅かさないでよアフロ〜〜!」
「ははん、その様子では満更悪くもなかったって事かな?」
執務室に入って来たアフロディーテは、上の空なの隣の席に腰を下ろした。
「それで?恋は見事成就したのかな?」
「まだそんなんじゃないわよ!うん、多分・・・・・」
「多分?という事は、何かあった、と。フフン。」
「もう・・・・・・」
含み笑いでアフロディーテが一人納得していると、そこにシュラが現れた。
「ああシュラ。良いところに来た。今から昨夜の報告を聞くところだ。」
「ほう。で、どうだった?」
「なかなか良い感じに進んだらしいよ。妬けるね、全く。」
「ほう、それはそれはご馳走様だな。今日は飯を食わなくても腹が一杯になりそうだ。」
「またそうやってからかう!」
可笑しそうに笑っていた二人は、が膨れ面になるのを見て益々笑った。
「悪かった悪かった。で、昨夜はどうなったんだ?」
「協力した身としては、是非とも結果を報告して貰いたいものだね。」
「・・・・・・分かったわよ。」
諦めたは溜息を一つついて、ぽつぽつと語り出した。
「お茶飲んでお喋りして、この近くで撮影するって言うからそれに付き合って・・・・・」
「それで?」
「夕食をご馳走になって、ちょっとだけドライブして・・・・・」
「それで?」
「・・・・・・・・」
そこで無言になった瞬間、協力者の残り三人組がどやどやと入って来た。
「おう、!昨夜はどうだった?」
「まさかいきなり不埒な真似などされなかっただろうな?」
「何故ここに居る?朝帰りで執務は休みじゃなかったのか?」
思い思いの事を口走る三人に、特にカノンに、は猛然と反論した。
「朝帰りなんてしてないわよ!変な事言わないで!」
「なんだ。随分慌しいな。どうせならゆっくりして来れば良いものを。アレ、役に立っただろう?
で、相性の方は良かったか?」
「バカじゃないの!?そんなの分かる訳ないでしょ!まだキスしただけなんだから!」
弾みで怒鳴るように告白してから、ははっと口を噤んだ。
「ふ〜ん、なるほど。キスはしたんだね。」
「えっと、その・・・・・・・」
「手は早くもないが、遅くもないってところだな。」
「何納得してんのよ、アルデバラン・・・・・」
「ま、まあ何にせよ、気持ちが通じ合ったのなら何よりだ。おめでとう。」
「ちょっとやめてよアイオリア、まだ・・・・・」
「今更照れるな。まあその分では、アレの出番が来る日も近いな。」
「カノンはいい加減そこから離れてよ!」
などと騒いでいるとサガが出勤してきた為、この話はここで終わる事となった。
だが、その日の夕方、執務が終わる頃には、また麻生からの電話が掛かってきたのである。
「随分急な呼び出しだな。サガが市内の教会に出掛けていたから良かったが、そうでなければ奴にもバレていたところだ。」
を聖域の出口まで送りながら、シュラは僅かに苦い顔をしていた。
「そうね、私も吃驚しちゃった。昨日の今日なんだもん。」
「向こうも随分乗り気なようだな。」
「そうかな〜?同じ日本人だからってだけかも。ほら、日本人同士、不自由なく会話出来るでしょ?」
「はは、まさか。そんな理由でキスまではしないだろう。」
「だと良いんだけどね。」
苦笑するに、シュラはふと気になっていた事を尋ねた。
「そういえば、その男とはどこで会うんだ?まさかここまで来るのか?」
「まさか。町で落ち合う予定よ。ロドリオ村まで迎えに来るって言ってたけど、それじゃマズいでしょ?私、咄嗟に嘘ついちゃったから・・・・・」
「嘘?」
「この間送ってくれた時に家を訊かれて、ロドリオ村に住んでるって言っちゃったの。だってまさか、ここだなんて言えないもん。」
「・・・・・そうか。なら良かった。別にお前が誰を好きになっても構わないが、これだけは・・・・」
一般社会の常識では計り知れないこの聖域を、おいそれと誰彼に知られる訳にはいかない。
シュラはそれを案じていた。
「分かってる。それとこれとは別だもんね。何か私も、皆の苦労が少し分かってきた気がするなぁ。」
「苦労?何だ?」
「家とか仕事とか色々誤魔化さなきゃならないのって、結構疲れるものね。シュラも女の人誤魔化すの大変でしょ?」
「フッ。俺の事は良いから、早く行け。」
「は〜い。じゃあ行ってきます!」
屈託のない笑顔を浮かべるを、シュラは苦笑と共に送り出した。
「ごめんね、急に呼び出したりして。出先だって知らなかったもんだから。」
「ううん、気にしないで下さい。丁度終わるところだったから。」
少し早い夕食を摂りながら、は心の片隅が微かに痛むのを堪えていた。
我ながら本当につまらない嘘だ。
夕方彼から『ロドリオ村まで迎えに行く』と言われた時、断る口実で、今仕事で外に出ているのだと言ったのである。
仮にも好きな人を下らない嘘で欺く事は辛いが、聖域の事を口に出来ないのだから仕方がない。
は胸につかえる何かを、口当たりのよいシャンパンで飲み下した。
「ところで、さんの仕事って何?」
「え?」
「仕事。何してるの?」
「え・・・・と・・・・・、あの、秘書、みたいなものかな?」
「ははっ、何だか曖昧だね。何で?」
「いえあの、何でも屋みたいな感じで色々やらされるから、秘書なんだか何なんだか自分でも分からなくて・・・・・。ふふっ、可笑しいですよね。」
「ははは、何でも屋か。面白そうだね。」
しどろもどろで答えた事が、麻生には面白かったようだ。
陽気に笑って頷いている。
そんな様子にはほっと安堵した。
「そうですか?」
「ああ。それに、何だか僕の仕事と似ている。」
「そうなんですか?」
「フリーのライターなんてそんなものさ。声を掛けて貰れりゃ何でもやる。面白くない仕事も色々やらされるけど、今回みたいに趣味を兼ねた仕事も貰える事があるから、やめられないんだけどね。」
「旅行、お好きなんですね。」
「ああ。知らない国を旅して歩くのは楽しいよ。こうして良い出逢いもある。」
「そんな・・・・・・」
照れてはにかむに微笑みかけて、麻生はまた口を開いた。
「・・・・・ところで、さんは何処でその秘書をやってるの?」
「え?何でそんな事・・・・」
「何でって事もないけど、ちょっと訊きたくて。アテネ市内とかならともかく、こんな片田舎に秘書が要るような会社なんてあるのかなって。」
職業柄、好奇心の旺盛な人なのだろうか。
麻生は更に返答に困る事を、突っ込んで訊いてきた。
「いえあの、職場はもうちょっと街の方に・・・・・」
「ああそう。だろうね。けど通勤が大変だろう?確か車の免許はないって言ってたよね?バスも少ないし、こう言っちゃ失礼だけど、何でロドリオ村なんて不便な所に住んでるの?」
「あの・・・・・、知人からの紹介で・・・・・・・」
微笑みながらも困惑した様子のを見て、麻生は苦笑いした。
「ああ、ごめんごめん!つい色々しつこく訊いてしまって。はは、参ったな。職業病かな。」
「いいえ・・・・・」
「本当にごめん!気を悪くしないで。」
「いえ、全然そんな事・・・!」
「さ、とにかく食べよう!折角の料理が冷めてしまう。」
「あ、そうですね!いただきま〜す。」
美味いと評判のレストランではあったが、この時のにはその味は分からなかった。
またロドリオ村まで送って貰い、それから聖域に戻ってみれば。
夜だというのに、アイオリアが珍しく外でトレーニングをしていた。
「アイオリア!」
「おお、!今帰りか?」
「うん。アイオリアはどうしたの?こんな時間に珍しいね。」
「どうも身体が重くてスッキリしないんでな。最近机仕事ばかりで、少し運動不足だったからかな。」
アイオリアは朗らかに笑ってみせたが、は今一つそれに乗らなかった。
「どうした?何かあったのか?」
「・・・・ううん。ただちょっとね。」
「あのアソウの事か?」
「・・・・・・うん。」
翳りのある表情で頷いたを見て、アイオリアはそれまでの笑顔を消した。
の話を一通り聞いたアイオリアは、真剣な表情で頷いた。
「・・・・・・そうか。それは大変だったな。」
「まあね。色々質問するのは、職業柄なんだろうけど。麻生さん自身もそう言ってたし。」
「なら、だってそれと同じだ。」
「え?」
「彼の色々質問する癖が職業柄仕方ないのなら、がここの事を口に出せないのも同じだろう。」
「それは・・・・・、そうだけど・・・・・・」
「嘘をついてると思うからいけないのだ。何も彼を裏切るような嘘をついている訳じゃない。気にするな。」
アイオリアのその言葉に、は少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
「・・・・・うん、そうだね。有難うアイオリア。ちょっとスッキリした。」
「なんの。俺なんかの話が役に立つのなら、いつでも相談してくれ。」
「うん。じゃあ、おやすみなさい。」
「ああ、おやすみ。」
アイオリアと別れて、は自宅へと戻った。
そう、アイオリアの言う通りだ。
彼を裏切る嘘をついている訳ではない。
どうしても口に出せない事の一つや二つ、人間にはあるのだ。
十近くも年上の彼ならば、きっと分かってくれる筈。
そう割り切って彼と向き合おうと、は決心した。