ある朝の事。
執務開始から遅れる事一時間、カミュは執務室の扉を開けた。
「お帰り〜カミュ!暫く振りね!」
「ただいま、。久しぶりだな。」
まず出迎えてくれたのはだった。こうして会うのは半月振りだ。
まるでカミュが今来る事を分かっていたかのような迅速な出迎えだが、それもその筈。
今日の昼までには戻るという報告を入れたのは、他ならぬカミュ自身であった。
「おお、戻ったか、カミュ。どうだ、何も問題はなかったか?」
に続いて出迎えてくれたサガが、開口一番、任務の事を尋ねた。
その辺り、彼は聖域の責任者として抜け目がない。
「ああ。任務はつつが無く完了した。」
「そうか。ならば詳細の報告は後で構わん。一両日中に報告書を提出してくれ。」
「了解した。それはそうと、今日は珍しく全員揃っているのだな。貴鬼まで・・・・」
それに答えて、カミュは不思議そうに周りを見渡した。
今日は何故か、この執務室に黄金聖闘士達が勢揃いしている。
それどころか、普段執務には携わらない貴鬼まで居るではないか。
これで不思議がるなという方が無理である。
「皆、お前に話があるそうだ。例の猫の件で。」
サガの言葉に、カミュは僅かに眉を吊り上げた。
「何だ?」
「先に言っておくと、猫は取り敢えず見つかった。」
「・・・・・・・本当か!?」
「ああ。後はそれぞれ話が違うようだから、詳しくは各人から聞いてくれ。」
取り敢えず見つかったという事は、ひとまず無事でいるという事だろうか。きっとそうに違いない。
もし、怪我をしているとか死んだとかいう話なら、サガは最初からそう言ってくれるだろう。
いやしかし、五匹もいるのだ。その内の一匹か二匹は、万が一にも・・・・・
と、そんな事を考えて内心ビクビクしているカミュの前に、まず真っ先に躍り出て来たのは貴鬼だった。
「・・・・・カミュ、オイラにマロをおくれよ!」
「マ・・・・、マロ?」
随分単刀直入な話で、さっぱり事情が呑み込めない。
大体、カミュにしてみれば、『マロ』が何なのかが分からないのだから、尚更である。
カミュが『マロ』という単語から思い付くものといえば、この貴鬼やその師・ムウの眉毛ぐらいなのだから。
「麻呂・・・・・・とは何の事だ?」
「オイラ、絶対にマロを幸せにするよ!オイラの所に来て良かったって思われるように、一生大事にする!だから・・・・・」
思わず勝手に字を脳内変換してしまったが、取り敢えず話に差し支えはないらしい。
貴鬼は益々真剣な表情になって、プロポーズ紛いの台詞を熱弁した。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。だから麻呂とは一体・・・」
「この猫の事ですよ。正式名はマロンですが。」
横から有り難い補足説明を入れてくれたのは、貴鬼の師・ムウであった。
その腕の中には、ツンドラそっくりの白い毛皮に、薄茶の眉のような斑点を持つ仔猫が居る。
カミュは、それでようやく合点がいった。
「アンジュ・・・・・・。そうか、アンジュはお前達が世話してくれていたのか。」
「アンジュ?アンジュってもしかして、この子の名前?」
「ああ。」
にそう訊かれて、カミュは頷いた。
そう、アンジュとは、カミュがこの仔猫の為に考えていた名前である。
「貴鬼がこのマロ・・・、いや、アンジュ?・・・・ええいどっちでも良い。とにかく、この仔猫を大層可愛がっていてな。手放したくないんだそうだ。なかなか利口な猫で、俺も気に入っている。そこで、白羊宮と金牛宮共同で飼いたいと思っているんだが・・・・・、どうだろう?」
更に詳しい事情は、アルデバランが話してくれた。
流石、と感心する程でもないかもしれないが、ムウもアルデバランも流石に大人だ。
勢いに乗って唐突に結論だけを告げた貴鬼とは違い、筋道立てて説明してくれたので、これはカミュもすぐに理解出来た。
「・・・・・・アンジュを・・・・・、お前達の所へ里子に出せと?」
ただ、理解は出来ても、『納得出来た』かと言われれば、それは話が別である。
「・・・・・どうかなぁ、カミュ?ツンドラも他の子達もいて、カミュ一人で面倒を見るんじゃ、これからの負担が大きくなるし、里子に出すって言ったって、場所はすぐそこなんだからいつでも会えるし。それに、この三人なら信用出来るでしょう?安心して預けられると思うの。」
の話を聞いて、カミュは考え込んだ。
確かに、道理に適ってはいる。
猫というのは、本来単独で生きる動物だ。仔猫の時期を過ぎると、親も兄弟もない。
これだけ頭数がいれば、幾ら血を分けた親兄弟だからと言っても、いずれ馬の合わない組み合わせが出て来るやもしれないのだ。
そうなった時に、猫達に辛い思いをさせ、大騒動するよりは、今この時点で里子に出しておいた方が、成猫より仔猫の方が環境に対して順応性がある分、後々楽である事は間違いない。
ただ。
「・・・・・・・ムウ、お前は本当に納得しているのか?」
共同飼い主の一員である筈のムウの表情が気になる。
嬉しがっている貴鬼や、泰然と構えているアルデバランとは違って、何処か冷めたような、一種の不本意さのようなものが見えた気がしたのだ。
そして案の定、ムウの答えはこうだった。
「貴鬼とアルデバランに、半ば押し切られるような形でしたがね。」
つまりムウは、アンジュを引き取る事を、心底から歓迎してはいない。
となれば、カミュの心に一抹の迷いが生まれるのも無理はない。
そんな時、不意にデスマスクが横で能天気な声を上げた。
「んーな寂しそうな顔すんなよ、カミュ。良いじゃねぇか、チビ猫の一匹や二匹、くれてやったってよ。」
「私もそう思う。の言う通り、お前一人で何匹も飼うのは大変だぞ?」
「俺なら一匹と言わず、全部くれてやるがな。」
デスマスクに続いて、サガ・カノンまでがこのように言う。
言われれば言われる程、考え込んでしまうというのに。
「だからそんな顔するなっての!仮にあのチビ猫が貰われて行ったって、お前の手元にゃ、こいつらが居るんだからよ。ほら。」
「ツンドラ、ジルベール!」
ほら、と差し出された檻の中には、仔猫達の母・ツンドラと一匹の仔猫が居た。
この仔猫は、生まれた時から他の仔猫達より一回り大きかったが、暫く見なかった内にまた一段と大きくなっている。
「ジルベール?ジルベールとは、この仔猫の事か?」
「ああ。」
サガに尋ねられて、カミュは頷いた。
ジルベールとは、この誰よりもデカい仔猫に付けるつもりの名前だった。
無論、一生懸命考えた名前である。
それなのに、その名を聞いたカノンとデスマスクは、さも可笑しそうに笑った。
「クククッ、また見事に名前負けしているな。」
「ケケッ、そんなご大層な名前がこのブースケに似合うかよ。」
確かにジルベールは、誰よりもデカい。
おまけに顔立ちも、如何にも猫らしく整った美形の母猫・ツンドラとは違って・・・・・・・、
何というか、つまり、平たく言えばブサイクの部類に入る。
名前負けしているのは否めない。
だが最近は、『ブス可愛い』などという言葉が日本辺りで流行っているではないか。
ジルベールも正にそれである。
大体、動物というのは、えてしてそういう感じの方がより愛らしく見えるものだ。
「余計なお世話だ。」
カミュは憮然として、二人を冷やかに一瞥した。
「とにかくだ。俺はムウ達とは違って、貰い受ける気なんかねぇからよ。今までは仕方なく俺の宮に置いてやっていたが、お前も帰って来た事だし、そろそろマジでいい加減に引き取ってくれ。」
「ツンドラ、ジルベール・・・・・・。寂しい思いをさせたな。」
カミュは、デスマスクが床にデン、と置いた檻に歩み寄った。
ともかく早く、この二匹を安心させてやりたかったのだ。
カミュが近付くと、猫達はこぞって扉の前に顔を突き出して来た。
顎や頬を撫でて欲しいのか、金網にスリスリと顔を擦り付けている。
「よしよし、出たいのか?」
「あっ!?てめぇカミュ、檻を開けるんじゃ・・・・・!」
「ん?」
その仕草に胸を打たれ、カミュが檻の扉を開けた瞬間、デスマスクの怒声が飛んだ。
しかし、今更驚いて手を止めてももう遅い。
「あっ!!」
という間に、猛烈なスピードで、ジルベールはカミュの横を駆け抜けて行った。
そして、迷う事なく一直線にデスマスクの下に駆け寄り、彼の身体を『ダダダダッ!!』と勢い良く駆け上ったのである。
「・・・・・・・・だから言ったんだよ・・・・・・」
ものの数秒で、デスマスクの肩には嬉しそうな表情のジルベールが装着された。
「これは・・・・・・」
「この通り、この仔猫は何故かデスマスクにベッタリなのだ。」
「隙あらば、デスマスクの肩やら顔やらに張り付いている。」
「ふふっ、この子はデスをお父さんだと思っているみたいなのよ。」
「ジルベールが、デスマスクを・・・・・」
サガやカノンやがわざわざ説明してくれずとも、一目見れば分かる。
この懐きっぷりは尋常ではない。
ジルベールは一体、何を思ってこれ程までにデスマスクに懐いたのだろうか。
「おいカミュ!お前、これどうにかしろよ!俺がどんなに苦労して、ブースケをこの檻に閉じ込めて来たと思ってんだこのヤロー!」
「あ、ああ、済まない・・・・!ほらジルベール、デスマスクから離れるんだ、ほら・・・・」
この信じ難い事実に動揺しながらも、カミュは必死でジルベールを彼から引き離そうとした。
「痛てっ、いでででッッ!!!爪っ、爪っ、首に刺さってる!無茶苦茶すんな!!」
「す、済まん!ジルベール、いい加減にするんだ!」
だが、ジルベールは本気だ。
健気に爪を立て、必死でデスマスクの首にかじり付いている。
それでも何とかしようと更に力を込めた瞬間。
「カミュよ、無理に引き離さず放っておけ。その猫は余程蟹が気に入っているのであろう。」
シャカの声が遮った。
「ところで、私とアイオリアも一匹捕獲したのだがな。」
「シャルル!」
シャカは、自らの背後を指差した。
そこには、アイオリアに抱かれた三毛の仔猫が居た。
シャルルと名付けるつもりの、三毛オスの仔猫だ。
「そうか、お前達が・・・・・、有難う。何か迷惑は掛けなかったか?」
「私の宮には別段被害はない。この猫を預かっていたのはアイオリアだからな。」
「そうか。済まなかったな、アイオリア。」
「なに、気にするな。別に迷惑など掛かっていない。俺も結構楽しんでいたのだ。いざお別れとなると、名残惜しい。」
気の良いアイオリアの笑顔を見て、カミュは幾らか救われた気持ちになった。
甚だ勝手な思いではあるが、どうせ面倒を見ていて貰うなら、疎ましがられるよりはこうして歓迎される方が良いに決まっている。
などと考えていると、突然アイオリアが声を潜めた。
「ところでな、カミュ。折り入って話しておきたい事があるのだ。」
「何だ?」
「に調べて貰って分かったのだが・・・・・・」
「あ、もしかしてあの事?」
そこにも入って、三人での内緒話が始まった。
「あの事?あの事とは何だ、?」
「あのね、実はこの子・・・・・・」
いや、始まろうとした。
その時。
「あーーーっ!!!」
が突然叫び声を上げて、向こうへ走って行った。
「なっ、何だ!?」
訳も分からないまま、カミュはひとまずシャルルをアイオリアに預けて、自らもについて行った。
すると。
「ちょっと、駄目よー!!書類を噛み千切っちゃだめーーッ!!」
机の一画において、ちょっとした惨事が起きていた。
山積みの書類がヒラヒラと床にばら撒かれ、しかも紙の端がボロボロになっているではないか。
ここに居る人間の一体誰が、苦労して折角書き上げた書類をこんな風に台無しにしてしまうだろうか。
「ミャン」
「ミャン、じゃない!大人しくしてろと言っただろう、お前は!」
「ミロ、!取り敢えずこれ、これへ入れておくが良い!」
いや、犯人は人間ではない。
犯人はたった今、童虎がそこらから引っ掴んで来た白いコンビニ袋の中に閉じ込められた・・・・、
「ふう、やれやれ・・・・・・・・」
「どうしたんだ、ミロ?一体・・・・・」
「この通り、問題児を抱えているのはデスマスク一人じゃないという事だ。」
「フランソワ!」
キジトラの仔猫であった。
フランソワというのは、これまでの例に洩れず、カミュがこの仔猫の為に考えた名前である。
「こいつの腕白ぶりときたら・・・・!お前が居なかった間に、俺や老師やがどれ程の苦労をしたと思う!?」
「す、済まない・・・・・。」
なるほど。この様子では、ミロや童虎やを、さぞや手こずらせたのだろう。
ここはただひたすら、平身低頭謝るしかない。
「ホッホ、カミュよ。そう申し訳なさそうな顔をせずとも良い。儂はなかなか楽しかったぞ。尤も、は多少酷い目に遭うてしもうたが。」
「ど、どうしたんだ!?フランソワが何か悪さをしたのか!?」
「悪さって程じゃ・・・・・。ただちょっと、寝てる間におでこの上で大きな蜘蛛を相手に遊ばれたって程度で・・・・・」
寝ている間に、額の上で猫と蜘蛛が遊ぶという状況が今一つ呑み込めないが、とにかくが由々しき事態に見舞われたという事だけは、カミュにも良く分かった。
経緯は関係ない。
問題なのは、『虫が苦手なのデコに、虫が乗っかった』という事実である。
「それは・・・・・・・!・・・・・・・・悪かった。何というか、本当に。」
その時を襲った精神的ショックを思い、カミュは深々と頭を垂れた。
「いっ、良いのよ!もう気にしてないから!・・・・・それにね、ミロもああは言っているけど、結構可愛がっていたのよ。」
だが幸いにも、の心の傷は癒えていたようである。
安心して顔を上げたカミュに、はニマニマと笑いながらこう耳打ちしたのだ。
「そうなのか?」
「そうよー。」
ふとミロを見れば、確かに。
ブツクサ文句を言った割には、ミロの顔は怒っていない。
「・・・・・だがしかし。こいつの狩りの才能は一目置ける。なかなか良い筋をしているんだ。戦闘センスがある。」
それどころか、フランソワの事を誇らしげに語ってみせさえするではないか。
に『ほらね?』と耳打ちされ、カミュは苦笑しながら頷いた。
「鍛えようによっては、この十二宮の番猫になれるかもな。史上初の聖闘士猫!どうだ、なかなか面白いと思わんか、カミュ?」
何だかんだと言いながら、保護者馬鹿丸出しの能天気な発言だ。
しかし、話の内容はさておきとしても、フランソワを可愛がってくれていた事は良く分かる。
ミロの自慢話を聞きながら、カミュはいつだったか、ツンドラがまだ仔猫の時分に、ひょんな事でミロの宮に迷い込んだ時の事をふと思い出していた。
あの時はつい頭に来て、ミロを『能天気すぎる』などと罵ってしまった。
いや、実のところはあの時だけではない。
それ以前もそれ以降も、ミロの短絡的な行動を見るにつけて、ついつい『考えなし』だとか『無責任』だとか言ってしまう事がある。
だが、本当に無責任な事は、ミロはしない。
逆に言うと、一度引き受けた物事は、何としてでも果たしてしまう意地とバイタリティーの持ち主なのだ。
一見考えなしと思える行動だって、彼なりの考えに基づいての行動なのである。
きっとミロは今回も、それ相応の責任感と意地を持って、フランソワを預かってくれていたのだろう。
そして、とことん面倒を見るつもりで目一杯可愛がってくれたのだろう。
いつぞやのツンドラの時も、きっとそうだったに違いない。
一度固めた決意を覆してツンドラを返してくれたあの時の、そして今のミロの気持ちを考えると、何故かやけに胸が痛んだ。