それから数日後。
この日、執務室はとても静かだった。
理由は簡単、メンバーがムウ、アルデバラン、シャカ、童虎、そしてサガという、真面目で寡黙なタイプばかりだったからである。
同じ執務室でも、集まる面子によって室内の静けさがこうも違うかというぐらい今日は静かで、執務も実に良くはかどっていた。
「帰ったぞ。」
この一言と共に、カノンが入って来るまでは。
「暫く見かけなかったが、今まで何処へ行っていたのかね。」
「極秘の任務だ。」
カノンは言葉少なにシャカの質問に答えると、手に提げていた紙袋を丁度横に居たアルデバランにひょいと渡した。
「これは土産。なかなか美味いぞ。」
「あ、ああ、わざわざ済まんな。・・・・・ん?トウキョウバナナ?東京??」
受け取った土産のパッケージを読んだアルデバランが怪訝そうに呟いたのを聞いて、童虎は少し驚いたようにカノンに尋ねた。
「何じゃカノン、日本に行っておったのか?」
「ええ、まあ。」
「ちょっと待って下さい、日本に極秘の任務って・・・・・一体何をしに行っていたのです?」
内輪にまで秘密にするような任務で、その上、場所が日本。
この情報だけで、勘の鋭いムウは、何となく予感しているような顔をしているが。
「・・・・・そう焦るな、ムウ。それは今から報告してやる。」
カノンは勿体ぶった笑みを浮かべただけで、ムウの質問には答えなかった。
大抵の人間は、そんな風に焦らされると気になって仕方なくなるものだが、この場に居る黄金聖闘士達も例外ではなく、一同は何処となくそわそわとし始めた。
今日は面子が面子だからまだ静かなものだが、もしここにデスマスクやミロが居たら、直ちに吐かせようと力ずくでカノンに挑んだであろう。
「どうせなら、全員集まった方が良いだろう。サガ、他の連中はどうしている?」
「今日はまだ全員各々の宮に居る筈だ。早速呼んでやろう。」
そして、この中で唯一事情を知っているサガ。
一見落ち着いて見えるが、実際は冷静である筈がない。
内心、『さっさと結果を言えーっ!写真を出せーっ!』と掴み掛かりたいのをグッと堪えて平静を装い、
この場に居ない黄金聖闘士達にテレパシーで召集をかけた。
執務室に黄金聖闘士全員が集結したのは、それから程なくしての事である。
「おいおい、一体何事だよ〜?」
「緊急というから急いで来たが、何かあったのか?」
「うむ。お前達に報告したい事があってな。」
デスマスクとカミュに尋ねられ、カノンはあっさりとした口調で答えた。
「の現状を調べて来た。その報告だ。」
カノンが余りにもしれっと言ってのけたので、一同は一瞬フ〜ンと聞き流しかけたが。
『・・・・・何だってぇぇーーっ!?!?』
数秒置いて、カノンの予想通りのリアクションを返した。
そこから先は言うまでもない。
カノンはたちまち一同に取り囲まれ、矢継ぎ早に質問を浴びせかけられる事になった。
「ちょ、ちょっと待て!このミロを差し置いて、いつの間にそんな事してたんだ!?」
「この間の日曜からついさっきまで。たった今、帰って来たところだ。黙って一人で行ってきた詫びに、土産も買って来てやったぞ。」
「俺は何も聞いていなかったぞ!?」
「当たり前だ。俺の独断でやった事だからな。事前報告に行くのが面倒で、行かなかっただけだ。うちからだと、お前の居る磨羯宮は少々遠くてな。」
「し、しかし俺達に何の断りもなく、そんな勝手な事をして良いのか!?」
「勘違いをするな、アイオリア。断りなら一応入れておいたぞ。そこに居る『教皇様』にな。」
「そうなのか、サガ!?知っていて私達に黙ったまま、カノン一人だけ行かせたのか!?」
「ま、待て落ち着けアフロディーテ!もう済んだ事ではないか!」
「言い訳になっていない!!」
「カノン、テメェまさか、に会ったんじゃねぇだろうな!?」
「貴様も落ち着け、蟹。胸倉を掴むのはよせ、服が伸びる。大丈夫だ、アイツには何も気付かれていない。」
「静粛に!!静粛にーーっ!!!全員、とにかく落ち着け!!!!」
騒がしくなる一方の一同を静めるべく、サガは声の限りに叫んだ。
その人間離れした肺活量たるや、シーホースのバイアンも顔負けである。
一同はたちまちシンと静まり返り、サガに注目を向けた。
「とにかく。まず、カノンの報告を聞かないか?」
サガは咳払いを一つして声のトーンを落とすと、頭に刺さっていたアフロディーテの薔薇を引っこ抜いた。
「・・・・・・・・まず、これを見て欲しい。隠し撮りして来たの写真だ。」
そう言って、カノンは一同の眼前に4枚の写真を出した。
お約束のように裏返っているところが、良い具合に一同の想像(妄想)を掻き立てる。
ここにどんなが写っているのだろうか。
母親と仲良くショッピングでもしている姿だろうか。
星の子学園の子供達と楽しそうに遊んでいる姿だろうか。
新しい職場でいきいきと働いている姿だろうか。
それとも、出来たばかりの恋人と連れ立って歩いている姿だろうか。
95%位の期待と、5%程度の不安が混じった心境で、一同はそっと写真を捲ってみた。
すると。
『・・・・・・・えっ・・・・・・』
結果から言おう。
写真は全て、彼等の意表をつくものだった。
写真に写っていた光景は、元気そうなの姿でも、仲睦まじそうな母娘の様子でもなければ、が何処ぞの馬の骨と腕を組んで歩いている、といったものでもなかったのである。
1枚目に写っているのは、茹タコのように首まで真っ赤になったが、眠そうな半目で夜の街をフラフラと歩いている姿、
2枚目に写っているのは、電信柱に寄りかかって口元を押さえているの姿、
3枚目に写っているのは、放送禁止状態のの姿、
4枚目に写っているのは、ヨタヨタと歩き去って行くかのような、の後ろ姿。
ちなみに、どの写真にも連れらしき人間は写っておらず、は一人きりである。
こんなある意味壮絶な写真を目の当たりにし、一同は絶句した。
「この写真を見る限りとてもそうは思えんかも知れんが、一応元気ではあるようだ。健康状態は心配ない。」
カノンがフォローのように言ったが、この写真を見る限り信憑性は無いに等しい。
しかし、良く見ると単に泥酔状態らしいという事が分かり、一同はひとまずカノンの言葉を信じて胸を撫で下ろした。
そして、それと同時に、を憐れむ声があちこちから聞こえ始めた。
「な、何でよりによってこんな・・・・・・」
「不憫な娘じゃのう、も・・・・・。」
「もう少し綺麗な姿を撮って来てやれば良かったものを・・・・・。これではも不本意でしょうに。」
「こんな姿を我々に見られていると知ったら、はさぞ取り乱すであろうな。」
「本当に気の毒な娘だ。こんな姿を隠し撮りされる女も、多分位だぞ・・・・・。」
カミュ、童虎、ムウ、シャカ、そしてアルデバランが、気の毒そうに眉を顰めて呟いた。
「いや、普通はわざわざこんな姿を隠し撮りする奴がまずおらん。カノン、貴様、何を思ってこんな写真を撮って来た?」
そしてサガが、カノンを横目で睨みつつ尋ねた。
そう訊きたくなるのも無理はなかった。
悪ふざけのつもりだと言われても、全く笑えないからだ。
黄金聖闘士全員、少なくともサガ自身は、の事を本気で気に掛けていた。
元気でやっているのか、どうしても知りたいと思ったからこそ、カノンを送り出したのだ。
それを分かっているのなら、元気そうな姿の写真を撮って来るべきで、間違ってもこんな空気を読まない冗談をこくべきではない。
「それがの現状だからだ。」
しかし、生憎とカノンは大真面目だった。
「どういう事だ?これがの現状だと?」
「ああ。は今、銀座の高級クラブ『Venus』という店で、ホステスとして働いている。この写真は仕事帰りの姿を激写したものだ。俺が見て来た限り、毎晩こんな状態だった。」
カノンがサガの質問に答えた瞬間、デスマスクがまず力一杯驚いてみせた。
「ホステスぅ!?あの下戸が!?何かの間違いだろ!?」
「事実だ。勤め先は母親の経営している店で、店舗の入っているビル自体も母親の持ち物だった。」
「ほう・・・・・。結構な資産家なのですね。」
カノンの話を聞いたムウが、意外そうに呟いた。
しかしカノンは、首を振って答えた。
「いや、それがそうでもなくてな。実情は火の車で、借金がかなりかさんでいる。その上、客は減る一方だ。ビル内の貸テナントもここ数ヶ月で次々と空き、今は1軒も入っていない状態だ。このままだと、そう遠くない内に経営は破綻するだろう。」
カノンの報告は、短くはあったが、の現状を把握するのに何ら不足はなかった。
は今頃、どんな思いで毎日を過ごしているのだろうか。
それを考えて、一同は痛ましそうな顔で沈黙した。
「・・・・・・・なるほど、読めたぞ。」
その沈黙を最初に破ったのは、カミュだった。
「は母親の窮地を救う為、そこで働く事にしたんだろう。酒もろくろく飲めないにも関わらずな。」
カミュが己の推測を口にすると、シャカ、アルデバラン、ミロ、デスマスクがそれに賛同し、神妙な面持ちで呟いた。
「・・・・・たとえ向いていないと分かっていてもな。」
「・・・・・たとえ何の力にもなれないと分かっていてもな。」
「・・・・・たとえ屁のツッパリにもならないと分かっていてもな。」
「・・・・・たとえクソの役にも立たねぇと分かっていてもな。」
「お主ら、何もそこまで言わんでもええじゃろう;」
言葉を選ばない彼らを窘めてから、童虎は真顔で呟いた。
「ふぅむ・・・・・、しかしまた、予想もしておらんかった状況じゃのう。儂はてっきり幸せにやっとるとばかり思うておったが。」
その言葉が、一同の胸に突き刺さった。
その方が幸せになれると思ったからこそ、送り出した。
そう信じ込んで日本に帰した。
だが、その結果は、明らかに向いていない仕事に就き、夜毎孤独に電柱の影で酔っ払いのオッサン化している。
今更連れ戻す事など出来ないが、こんな不憫な結果に転ぶと最初に分かっていれば。
「・・・・・・・どうするんだ?」
シュラは、教皇であるサガをチラリと一瞥して呟いた。
しかし、サガは黙したまま何も語ろうとしない。
すると、やがてしびれを切らしたように、アイオリアが口を開いた。
「・・・・・幸せにやっているのなら、俺はもう二度とには関わるまいと思っていた。だが、そんな状況に立たされていると聞いたからには話は別だ。黙って見過ごす訳にはいかんだろう。」
「・・・・・・私もアイオリアに同感です。今更連れ戻す訳にはいかなくても、出来る限り力になってやるべきでしょう。には散々世話になりましたし。」
ムウもそれに賛同した。
そして、アフロディーテも。
「何よりは、私達にとって特別な人間だった筈だ。私も含めてここに居る全員、聖闘士じゃない人間とここまで深く関わった事が、今まで一度だってあったか?」
アフロディーテは、真摯な眼差しで一同を見据えて言った。
「聖戦が終わってから、昔よりは随分平穏な暮らしを得られた。確かにそれは我々聖闘士にとって、それ以上を望めない程幸せな事だった。だが彼女は、それ以上の幸福を与えてくれたんだよ。他愛のない事で笑って騒いで、毎日が楽しいと思えた。人間らしい暮らしをしていると実感出来た。その事実だけで、私には十分だ。たとえサガの許しが出なくても、私は一人でも・・・」
「早合点するな。私がいつ許さんと言った?」
そんなアフロディーテの言葉を、サガが不意に遮った。
「このサガ、大切な友の窮地を見て見ぬ振りする程、落ちぶれてはいない。不肖我ら黄金聖闘士一同、陰ながら出来る限りの助けになってやろうではないか。」
誰もがこの言葉を待っていた。
「・・・・・フッ、ようやく柔軟に物事を考えられるようになったようだな、サガ。」
カノンも、
「しゃーねーな、いっちょ骨折ってやるか!」
デスマスクも、
「よし、それでこそ我が同胞!『のピンチを救い隊』、ここに結成だ!!」
「いやミロ、そのネーミングはどうかと思うが・・・・・・」
ミロやカミュも。
いや、この場に居る黄金聖闘士全員が。
今その心を、遠く日本に居るに寄り添わせた。
すぐに、すぐに、助けるから、と。