眩い金色の髪を風になびかせ、白皙の横顔に憂いを滲ませて、一人の青年が佇んでいた。
今にもその生命を終わらせようとしている散りかけの赤い薔薇が彼の隣で小さく震え、その哀しくも美しい姿が、彼の美貌を一層に引き立たせている。
その姿はまるで・・・・・
「馬鹿じゃねーかお前。このクソ寒い中、そんなピラピラした服一枚でいつまで外に突っ立ってんだよ。」
「おーい、飯が出来たぞ!さっさと運ぶのを手伝え、馬鹿共!」
「うるさいな君達は!!人が折角感傷に浸っている時に!!」
アフロディーテはギッと目を吊り上げると、部屋の窓から呆れ顔を覗かせたデスマスクと、その後ろでフライパンをフライ返しでカンカンと打ち鳴らしているシュラに怒鳴り、それだけでは気が治まらなかったのか、窓際に詰め寄って更に捲し立てた。
「大体、君達はデリカシーというものが甚だしく欠落しているんだ!これは人間として重大な欠陥だぞ!この欠陥人間共め!!」
「何だテメェその言い草は!?こっちは一応心配して言ってやってんだろうが!」
こうなってしまってはもう引っ込みがつかない。
デスマスクとアフロディーテの諍いは、たちまちの内に掴みかからんばかりの勢いにまで発展してしまった。
「大体なぁ、北風がビュービュー吹き荒れてる中で感傷に浸るか普通!?俺等がデリカシーに欠けてんなら、テメェは温度感覚に欠けてんだよ!テメェこそ欠陥人間だバーカ!!」
「私はこの時期、いつも隣の宝瓶宮から寒波を受けているから慣れているだけだ!シュラ、君だってそうだろう!?」
「どうでも良い。お前は早く中に入れ。そして蟹と共に俺を手伝え。分かったか?」
しかし、デスマスクとアフロディーテの小競り合いは、シュラの殺気が込められた冷ややかな視線によって、迅速かつ平和的に(?)終結したのであった。
めでたし、めでたし。
となったところで、3人は顔を突き合わせて、モソモソと昼食を摂り始めたのだが。
「・・・・・・・・・ハァ・・・・・・・・」
半分程食べ終わったところで、アフロディーテが再び物憂げな溜息をつき、口元を拭って席を立ってしまったのである。
「・・・・・・何だよ。」
「今度は何だ。」
食べる手を全く休めずに、『一応義理で訊いてやる』と言わんばかりに呟くデスマスクとシュラを一瞥してから、アフロディーテはまた溜息をついた。
「やはり今日は気分が乗らない。男3人でランチなど益々気が滅入るだけなのに、どうして私は承諾してしまったのだろうか。しかもうちが場所と材料提供で。今更だが、断れば良かったと思っている。」
「本当に今更だな。帰れと言うなら帰ってやるが、せめて食い終わるまでは待て。」
「そうだそうだ。大体な、野郎3人で昼飯食うのにウキウキしてる奴が居ると思うか?俺だって泣きたい気分だぜ、いっそよ。だけど折角の日曜だし、一人で寝てたら余計侘しいだろうが。」
アフロディーテは、シュラとデスマスクの冷静なツッコミを完全に無視し、何かに誘われるようにして窓辺に近付いた。
「こんな木枯らしの吹き荒れる寒い日は、無性に人恋しくなる。」
「へえ、一応今日の天気は理解してたんだな。だったらそんなピラピラしたブラウス一枚で外に出るなっつーの。見てるこっちが寒いぜ。つーかいきなり話変えるなよ。ついていけねぇだろが。」
再び繰り出されたデスマスクのツッコミをまたもスルーして、アフロディーテは窓辺に置いてあった小さなサボテンの鉢を手に取った。
艶やかで繊細な薔薇達に混じった、ずんぐりとユニークな形の小さなサボテン。
まるで白鳥の群れに混じったアヒルの仔のようで、何だか滑稽である。
ずっと薔薇一色だった双魚宮に、何故こんなサボテンが仲間入りしているのか。
棘繋がりでサボテンの栽培にまで乗り出したのか。
いや、そんなバカバカしい理由ではない。
「・・・・・少し大きくなったか、そのサボテン。」
「大事に面倒を看ているからね。の置き土産だから。」
そう答えて、アフロディーテは細い針のようなサボテンの棘にそっと触れた。
そう。このサボテンの鉢植えは、元はの家のリビングに居たものだった。
の帰国後、寒々しい程人気の無くなった家に初めて入った時に、まるで留守を守ってでもいるかのようにひっそりと佇んでいたこの鉢を見つけ、迷う事なく持ち帰ったのである。
「よりによってそんな面倒くせぇモンを好き好んで貰い受ける物好きも、テメェ位だぜ。」
「放っておいてくれ。」
軽口を叩いたデスマスクも、言い返したアフロディーテも、黙って聞いているシュラも、皆等しくその表情を翳らせている。
ただアフロディーテに抱かれた鉢植えのサボテンだけが、知らん顔でひっそりと息づいていた。
「あれから三月・・・・・・、はどうしているんだろうね・・・・・・・」
「さあな・・・・・・・」
「・・・・・・・・よそうぜ、考えても仕方ねぇだろ・・・・・・・」
沈んでいたのは、双魚宮に居る3人ばかりではなかった。
「・・・・・よし。今日こそはどうするか結論を出そう。」
「ああ。」
「そうだな。」
の家の前で突っ立っているミロ・カミュ・アイオリアもまた、深刻な表情をしていた。
この3人は現在、サガの命によりの住んでいた家屋の処分を任されている。
ここに至るまでには実に色々あったのだが、それを要約すると、
沙織に処分を一任されたサガが、
『教皇』という立場からその職権を乱用して、問答無用で有無を言わさず強引に他の黄金聖闘士達に丸投げし、
丸投げされた者同士で散々擦り付け合って内輪もめした挙句、
最後にして最も公平な手段『クジ引き』で見事貧乏クジを引き当てたのがこの3人、
という訳である。
「この3ヶ月、散々ゴチャゴチャと話し合ってきたが、まずはそれを整理しよう。この3ヶ月の間に出た案をもう一度挙げるぞ。『1.雑兵達の詰め所にする』、『2.来客用の宿泊所にする』、『3.俺達黄金聖闘士専用の憩いの場にする』、『4.俺のセカンドハウスにする』、それから・・・・・・・、
『5.壊す』・・・・・だ。」
ミロがまとめて挙げた案を聞いた後、カミュが静かに口を開いた。
「・・・・まず、4は却下だな。」
「何故だ?」
「不公平にも程があるだろう。どうしてお前にだけ別宅があるんだ。」
「お前だって持っているじゃないか。シベリアに。俺には一つも無いんだぞ。」
「それとこれとは話が別だ。一緒にするな。大体、本家のこんなすぐ近くに別宅を構えてどうするんだ。結局どちらかに居つく事になって、もう一方が空き家になるのは目に見えているぞ。」
「しかもそれが天蠍宮だったら、黄金聖衣剥奪モノだぞ。」
カミュとアイオリアに窘められ、ミロは口をへの字に曲げた。
そんな事は二人に言われるまでもなく分かっていた事、セカンドハウスは冗談半分で言ってみただけである。
「ならどうするんだ?俺達共同の憩いの場か?」
ミロに問われて、カミュとアイオリアは顔を見合わせた。
「・・・・・・・・憩う・・・・・か?」
「・・・・・・・・わざわざここまで下りて来て?」
「だろう?用も無いのにわざわざここまで来て、男ばかりで茶でも啜るのか?有り得ん話だ。」
「ううむ・・・・・・、ではやはり、雑兵達の詰め所にするか?」
次に、アイオリアがそう問いかけた。
尤も、彼の中では既にこれが決定案となっていたようだが。
「俺はそれが一番良いんじゃないかと思っているんだ。今使っている詰め所は、何千年前の建物だという位古いしな。それに、ここの方がより十二宮に近くて、警護もこれまで以上に厳重に出来るし、用を言いつける時にも便利だろう。」
「だが、詰め所にするには少々居心地が良すぎやしないか?バス、トイレ、家具、電化製品一式完備の詰め所など、聞いた事がないぞ。」
「言えてるな。居心地が良くて住み着く奴等が続出しそうな上に、任務をサボって引き篭もる奴等も出てきかねないぞ。」
しかし、カミュとミロが難色を示し、詰め所にする案もボツになった。
「となると、やはり来客用の宿泊所にするか。」
次に会話の主導権を握ったのは、カミュである。
「十二宮をはじめとする他の建物と比べて、この家はまだうんと真新しい。というか、築何千年以上と比べたら、築500年位までは余裕で新築の内に入ると思う。それに、寝泊りするのに必要な物は粗方揃っているしな。ここはやはり、来客専用の宿泊所にするのが最も有効な活用法だと思うのだが。」
「確かにそうだな。・・・・・・だが、待てよ。じゃあ具体的に誰が泊りに来るんだ?来客がありそうでないのが聖域だぞ?」
カミュの意見は尤もで、説得力があった。
だが、初めは通りそうに思われたこの案も、アイオリアの素朴な疑問により、一転して残念な方向へと流れ始めたのである。
「そう言われてみれば、アイオリアの言う通りだな。これまでの事を思い返すと、『来客』というよりは『刺客』ばかり迎えていた気がする。スカーレットニードルで迎え撃つ事はあっても、TVとエアコンとベッドのある部屋に泊めてもてなした事はなかったような・・・・。」
「もてなすに値する客となると、ごく限られてくるな。まず思い浮かぶのが女神だが、女神はいつもご自分の御寝所にお泊りになる。となると、あとは偶に来る星矢達か、女神の付き添いで来る辰巳か・・・・・。利用頻度は辰巳が一番多くなりそうだな。」
「つまり、辰巳専用の部屋になるという訳か。それも何だかな。」
ミロとアイオリアの意見もこれまた事実で、ゲストハウスの案も立ち消えた。
3ヶ月も掛けて話し合った結果やっとの思いで出した幾つかの案が、あっという間にほぼ全てボツになった瞬間だった。
「かといって、聖闘士や訓練生や雑兵達の宿舎にするには狭すぎるし・・・・・・」
「ならばやはり・・・・・・・・・」
「壊・・・・・・す・・・・・・・・のか?」
最後に1つだけ残った案、それをアイオリアが憚りながら口にした瞬間、3人は顔を見合わせて押し黙った。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
3ヶ月間も結論が出なかった理由、それは至って単純だった。
という人間が確かに存在していた痕跡を塗り替えたり、完全に消し去ってしまう事に躊躇いを感じているからだ。
いっそ綺麗さっぱり壊してしまった方が恐らく気が楽になるだろう、そう分かってはいるのだが。
「・・・・・・・・よ、よし、今日はこの辺にしておこう!」
「そ、そうだな。今日は日が悪い。また後日改めて、という事で・・・・・」
「時間を置いたら、また何か良い案が浮かぶかも知れんしな!うん、そうしよう・・・・・!」
今日も結局結論を出さないまま、ミロ・カミュ・アイオリアの3人は、そそくさと自宮に帰って行った。
しかし、誰よりも景気の悪い顔をしていたのは。
「おいサガ、もう昼だぞ。いつまで寝ているんだ?」
兄の私室を覗いたカノンは、その瞬間ギョッと目を見開いた。
兄のサガは、ベッドの上で目だけを開けて仰向けに横たわっており、そのまま微動だにしないのである。
その虚ろな表情と力なく横たわった姿が一瞬死体に見えて驚いたのだが、サガの目が瞬いたのを見て、カノンは安堵の溜息を吐いた。
「何だ、生きていたのか。死んだカエルみたいにひっくり返っているから、死んでいるのかと思ったぞ。」
「ノックもなしに乱入してきて、その上人を死んだカエル呼ばわりか。・・・・・・・何しに来た?」
「起こしに来てやったに決まっているだろうが。珍しく昼になっても部屋から出て来ないから、てっきりまだ寝ているとばかり思っていたんだが。」
「・・・・・いや、起きてはいた。」
「だったらもう少しシャキッとしろ。気味の悪い。」
ブツブツと小言を言いながら、カノンは窓のカーテンを開いた。
普段、ブツブツと小言を言うのはサガの方なのだが、今日は珍しく二人の立場が逆転しているようだ。
「今日は執務室には行かんのか?日曜だろうが何だろうが、お前には関係ないのだろう?」
「・・・・・・そうなのだが、疲れが出たのか、今日は少し身体がだるくてな。流石に少々働きすぎたか。」
「少々どころか異様な働きぶりだったぞ。前から一度訊こうと思っていたが、本当に人間かお前?」
この3ヶ月、サガはいつにもまして猛烈仕事人間と化していた。
休日も全て返上し、毎日朝から晩まで、いやに張り切って執務をこなしていたのである。
別にそこまでしなければならない程忙しかった訳でもないのに。
「・・・・・・・偶には何処かで遊んで来たらどうだ。そうすれば、少しは人間らしくなれるぞ。」
「・・・・・・・遊ぶ、か・・・・・・」
「お前は仮にもこの俺と同じ容姿を持って生まれたのだ、女ウケはそれなりに良い筈だぞ。」
「・・・・・・・・気乗りがしない。」
「・・・・・情けない奴め。ちょっと来い。」
「な、何だ!?いきなり・・・・」
カノンは呆れたように言うと、突然サガの手を掴んで起き上がらせ、姿見の前に引き摺り出した。
「自分の顔を見てみろ。その情けない面をな。」
サガの横に立ったカノンは、鏡の中のサガをじっと見据えた。
「・・・・・・・・顔にはっきりと書いてあるぞ。が居なくて寂しい、とな。」
「なっ・・・」
「ずっと空元気で誤魔化してきたが、三月も経つと流石に限界か。」
「・・・そんな事はない。」
「意地を張らずに素直に認めろ。・・・・・・・俺も認めるから。」
浮かない表情をした同じ顔が二つ、並んで鏡に映っている。
片方が薄く苦笑を浮かべると、もう片方も釣られて同じ表情になった。
「正直に言う。俺はが今どうしているか、少し・・・・いや、かなり気になる。恐らく、他の連中も同じ気持ちだろう。そしてお前も・・・・・・・、違うか?」
「・・・・・・・・だから何が言いたい?」
「ちょっと日本まで様子を見に行って来る。」
「な・・・んだと・・・・・」
カノンが余りにもさらっと言ってのけたので、サガは一瞬唖然とした。
住む世界の違う者同士が出会い、そして別れるとなれば、それは即ち、またそれぞれの世界に戻るという事である。
住む世界が変わればおいそれとは会えない、いや、自分達の場合は永遠に会えないと言っても過言ではない。
と同じ、一般社会に生きるごく普通の人間であるならともかく、聖闘士は聖闘士である限り、その裏で生きていかねばならないのだから。
だからもう二度と会えない、二度と会わない。
いたずらに再会を望めば、余計に辛くなる。
それは誰もが、勿論カノンとて、嫌という程分かっている筈なのに。
「簡単に言うな馬鹿者!はもう・・・」
「ちょっと様子を見て来るだけだ。元気にやっている姿を、遠くから一目見て来るだけだ。無論、本人にも気付かれんようにする。」
「う・・・む・・・・・・」
確かに、が今頃どうしているのかは気になる。
出来れば自ら出向いて、この目で確認したい位だ。
しかし。
「・・・・いやいやいやっ、駄目だ駄目だ!」
危うくカノンの誘惑に負けそうになったが、寸でのところで思い留まり、サガは果敢に反対を続けた。
「駄目だ駄目だ駄目だ・・・・・!あの夜が永久の別れだと思ったからこそ、私はあんな・・・・・」
「あんな?あんなって何だ?」
「いやいやいや何でもない!何でもない!!」
もう済んだ事だ。
の事は、もう忘れなければいけない。
「とにかく駄目だ!幾ら気になるからと言って、お気軽にホイホイ顔を見に行くなど・・・」
「別に良いだろう。気になるものは仕方がない。言っておくが、俺は別にお前に許可を貰おうとしているつもりはないからな。これは暫く留守にするという単なる報告だ。」
「おまっ・・・・!お前という奴は・・・・・・!」
いけないのに。
「そうか、お前は別に気にならんのか。そうかそうか。土産代わりにの写真でも隠し撮りしてきてやろうかと思っているんだが、だったらお前は別に見なくても良いという事だな?」
「・・・・・・・・・の写真・・・・・・・・・」
嗚呼、いけないのに。
「が元気にしている姿・・・・・・・、見たいんだろう?」
鏡に映るカノンの微笑は、眩暈がする程あくどかった。