子供達のはしゃぐ声が、門の外まで聞こえている。
その声に思わず微笑を零しながら、は星の子学園の門を潜った。
園庭では、子供達が使い古されたサッカーボールを蹴りながら、右へ左へと走り回っている。
その中には、の知らない子供もちらほら居た。多分、最近入って来た子供達なのだろう。
ここは昔から何も変わらない場所だが、それでも時の流れと共に少しずつ、ここに住む人間の顔ぶれは変わる。
時が経つにつれて子供達は成長し、やがてここを巣立って行くのだ。
は昔を懐かしみながら、子供達の遊ぶ様を暫し眺めていた。
「星矢兄ちゃん、行くよーっ!」
「よっしゃあ、シューーーッットッ!」
小学生位の子供達に混じって、一回り大きな少年が勢い良くボールを蹴った。
まだ少年の内から想像を絶する世界に生き、沢山の苦しみや悲しみを味わってきたであろうに、彼のこの太陽のような明るさと元気の良さは、幼い頃から何も変わっていない。
「・・・・・ゴール!鮮やかなゴールです、星矢選手!」
ゴールが決まった瞬間、は思わず満面の笑みを浮かべて、大きな声を出していた。
するとその少年は、驚いた顔で振り返った。
「・・・・・姉ちゃん!?」
「ふふっ、相変わらず元気そうね!」
ゲームを抜けて駆け寄って来る星矢に、は軽く手を振って見せた。
「はいこれ。ギリシャ土産のチョコレート。皆で食べて。」
「ぃやっほー!サンキューな、姉ちゃん!」
に手渡された紙袋を大喜びで受け取って、星矢は尋ねた。
「ところで、今日はまたどうしたんだよ?聖域の用事か?それとも、沙織お嬢さんの仕事の・・・」
「帰って来たの。」
「え?」
「帰って来たの、日本に。」
「それってまさか・・・・・・・、教皇補佐の仕事辞めたって事か?」
「まあね。」
「マジで!?」
「マジで。」
「何だよ、俺は何も聞いてなかったぜ!?・・・・・・でも、何でまた?何かあったのかよ?」
大いに驚き、そして心配そうにしている星矢に、は淡々と理由を話した。
「うん・・・・・、母とね、一緒に暮らし始めたの。」
「母って・・・・・・、姉ちゃんの母さん!?」
「うん。少し前に、私に会いたいってここに来たらしくて、園長先生から連絡を貰ったの。それで再会してね。」
「そっかぁ・・・・・・、でもさ、どうせ迎えに来るなら、もっと早く来れば良いのにな。姉ちゃんはもう何年も前にとっくにここを出てるっつーの。」
どうせ迎えに来るなら、もっと早く来れば良いのにな。
星矢の何気ないその一言が、の胸をチクリと刺したが、はその感触を小さな笑い声で誤魔化した。
「ふふ、そうだね。」
「でも・・・・・・、良かったな。母さんに会えて。」
「ん、そうね。」
「なあ、姉ちゃんの母さんってどんな人なんだ?姉ちゃんに似てるのか?」
「ん〜・・・・・・・、多分、あんまり似てないと思う。」
昨日は緊張と驚きの余り、姿形が似ているか、そんな事に気が回る余裕などなかった。
だが、多分確実に、性格は似ていない。
そもそも母は一体、どんな人なのだろう。
それは他ならぬ本人が、一番知りたいと思っている事だった。
「へぇ、そうなんだ・・・・・・。なあ!今度、遊びに行っても良いか?俺、姉ちゃんの母さんに会ってみたいなぁ!」
「うん・・・・、また・・・・、その内ね。昨日帰って来たばかりでまだ片付いてないし、新しい仕事も・・・・・・始まるし。」
「え、もう?」
「うん。だから、もう少し落ち着いてからで良い?」
「そっか・・・・・、じゃあ仕方ないよな。待ってるから、落ち着いたら呼んでくれよ!」
曖昧な口約束を無邪気に信じてくれる星矢に、の胸は痛んだ。
だが、今はまだ会わせられない。もしかすると、この先もずっと。
同じ孤児院で兄弟同然に育った人間を会わせて母に当て擦りだと誤解されるのは嫌だし、何より自身がこれから先の事に不安を抱いていた。
新しい生活に。
母との関係に。
そして、考えてもみなかった世界に身を投じ、変わっていくかもしれない自分に。
「うん。・・・・・じゃ、私そろそろ行くね。」
「もう帰るのかよ?もう少ししたら、美穂ちゃんも帰って来るぜ?今、チビ達連れて散歩に行ってるから・・・・」
「ごめん、今日はちょっとあんまり時間がないのよ。だから、園長先生にお土産渡してからすぐ帰るわ。美穂ちゃんにも宜しくね。」
「そっか。あんまり無理すんなよ!じゃあな!」
再びゲームに戻っていく星矢の背中を見送って、は園長に会いに向かった。
「失礼します。こんにちは、園長先生。」
軽いノックの後で園長室に入ると、園長はすぐににこやかな笑顔で出迎えてくれた。
「やあ、ちゃん!帰って来たのか!」
「はい。昨日、着きました。」
ともかくまずは挨拶をと、は提げていた紙袋を園長に差し出した。
「その節はどうもお世話になりました。これ、気持ちばかりですけど、ギリシャのお土産です。ワインなので、先生方でどうぞ。子供達には別にチョコレートを渡しておきましたから。」
「いやあ、悪かったね、気を遣わせて。わざわざ有難う。有り難く頂くよ。」
園長はそれを恐縮そうに受け取ると、優しい眼差しでに問いかけた。
「それで、どうだね?お母さんとの生活は?」
「はい、まあ・・・・・・」
「・・・・・そうかい。」
母と共に暮らす事を決めた時、園長にはただその結論だけを報告してあった。
その時園長は、詳しい経緯等を根掘り葉掘り聞き出そうとはしなかった。
母とこの学園の応接室で再会した時に何を話したのかも、どういう流れで一緒に暮らす事になったのかも、の心の内も、何も。
そして今もまた、何も無理に聞き出そうとはしない。
いつもこうしてさり気なく気遣ってくれる園長に改めて心の中で感謝しつつ、は意を決して口を開いた。
「・・・・・・・・母に・・・・・・訊きました。何故、私を捨てたのかって。」
「・・・・・・・それで?」
「私を育てきれなかったからだと言われました。」
「そう・・・・・・」
「園長先生、もし知っていたら教えて下さい。母が私を捨てた、詳しい経緯を。」
母は一体どういう人なのか、どんな経緯で自分を捨てたのか。
母本人が答えてくれない以上、今のにとってそれを知る唯一の方法は、育ての親とも言える園長に訊く事だった。
「お母さんは、何と?」
「その事について、弁解する気はないそうです。だから何も訊けませんでした。私、母と再会しなければ、別に今更知りたいとは思っていなかったんです。けど今は・・・・・」
「気持ちは・・・・・分かるよ。何処に居るかも分からない状態ならともかく、これから同じ家で顔を突き合わせて暮らしていくのだからね。」
「覚えている限りで良いんです。どんな事でも全部、隠さずに教えて下さい。お願いします。」
不安げな、それでいて意志の固そうなの表情を見て、園長は小さく頷いた。
「・・・・・・・・分かった。ここに残っている記録と、私が知っている限りの事は全て君に明かそう。」
園長が書棚の奥から引っ張り出してきた古いファイルに、その当時の記録が残っていた。
母と自分の名前や生年月日、当時の年齢や住所等の個人情報、それから、当時園長と母の間で交わされた会話の内容などが、事細かに。
その中には、自分達親子が当時置かれていた状況を明らかにしてくれるものも多々あった。
当時、母は23歳。自分は3歳。
母は、の父親とはが生まれる前に別れていて、女手一つでを育てていた。
そして、かなり生活に困っていた。
「あの日、若い女性が門の外に居るのが園庭から見えたんだ。少し挙動不審な感じでね、何分ここは場所が場所だから、何かあるんじゃないかと思って、外に出てみたんだ。」
思わず夢中になって古い記録を読み耽っていると、園長の穏やかな声が、も知らなかったの過去を静かに語り始めた。
「私が外に出ると、その人は丁度去ろうとしていたところだった。門の所に、小さな女の子を一人残してね。私が声を掛けると、その人は慌てて振り返った。一瞬、背筋がゾクッとしたよ。まだ『女の子』と呼んでも良い位に若くて綺麗な女性だったのに、鬼気迫った何とも恐ろしい表情をしていたからね。かんかん照りの暑い日だったのに、いやに青白かったあの時の彼女の顔は、まだはっきりと覚えている。」
「それが・・・・・・、母だったんですね・・・・・・・。」
「そして、その小さな女の子はちゃん、君だった。」
を慈しむように見て、園長は再び話し始めた。
「青い顔をしたまま、そそくさと君の手を引いて行ってしまおうとする彼女をどうにか説得して、私はここに招き入れた。そして、彼女に話を聞いた。だけど、最初の内は何も喋らなかったんだよ。ガチガチに硬くなって、酷く警戒してね・・・・・。それでも根気強く促して、やっと何とかポツポツと話し出してくれた。」
古い記録と、園長の語る過去の情景が、ジグソーパズルのピースのように組み合わさって、少しずつ少しずつ、1枚の絵になっていくような気がした。
『過去』という名の絵に。
「その記録にも書いてある通り、お母さんは、君をここに引き取ってくれと頼んできた。だけど本来、子供は親が育てるものだ。だから私は、思い留まるよう色々と説得を試みたよ。行政に相談して保護を受ける事や、君を連れて実家に帰る事も勧めた。それでひとまず落ち着く人も結構居るんだが、彼女の場合はどれも駄目でね。それならば、生活の目処が立つまでの間の一時預かりなら、と妥協案も出してみたんだが、彼女はそれにも応じなかった。」
娘の養育を負担に感じており、娘の入所を強く希望している事、
また、母本人の意思が固く、説得は不可能だった事が、記録に残されてあった。
そして、母がを手放したがった理由は、経済的困難、そして。
「精神的・・・・・苦痛・・・・・?」
その単語の下に書かれてある続きを読む事に、恐れはあった。
だがは、それを抑え込んで記録に残された文字をしっかりと読んだ。
「ちゃん・・・・・・・・」
いっそ死んでしまいたい程、今の人生にほとほと嫌気がさしている。
全てをやり直したい。
全部無かった事にして、一からやり直したい。
記録には、園長の達筆な文字でこう書かれてあった。
当時の母の言い分は、の存在を否定するような内容だった。
「・・・・・・・大丈夫です。大体想像通りですから。」
ショックを受けなかったと言えば嘘になる。
しかしは、過去を知ろうと決めた時に、決して古い昔話などで自分を見失わないと心に誓っていた。
パンドラの箱は、中途半端な好奇心でいたずらに開けてはならない。
開けるからには、それ相応の覚悟が必要だった。
「・・・・・そうまで言い切る以上、私にはお母さんと君を追い返す事は出来なかった。だから私は、君を引き取る事を承諾したんだ。力及ばず、また一人孤児を増やしてしまう事は無念だったがね。」
「そうだったんですか・・・・・・。」
その誓いを今一度新たにしていると、園長は安心したように再び話し始めた。
「お母さんはその時、今後君を引き取る意思は一切ないと言った。そればかりか、親子だった証さえも何も残したくない、とね。」
「そんな事を・・・・・」
「それは無理だと私は言った。幾ら何でも、戸籍に載っている名前までは消せないからね。だけどその時、ちゃんの戸籍自体がそもそも無い事が分かったんだ。」
「どういう事ですか?」
「出生届が出ていなかったんだよ。あの時、ちゃんは戸籍上、存在しない子だった。」
「えっ!?」
驚いてファイルに目を落とすと、確かにそこには園長の言った通りの事が書かれてあった。
「君をそのままみなし子として引き取って欲しいというのが、お母さんの意思だった。けれどそれでは幾ら何でもちゃんが可哀相だと再度説得したんだが・・・・」
「それも・・・・・・、駄目だったんですね?」
園長は小さく頷いて肯定すると、ひっそりと目を閉じた。
「恥ずかしい話だけども、結局私は、説得しきれずにお母さんの要求を呑んだ。お母さんはそのまま逃げるように出て行って、それきりだった。住所は辛うじて訊き出していたんだが、それも出鱈目だったようでね。」
「それって、この記録に残っている住所ですか?」
園長は、の質問に頷いて答えた。
「結局、お母さんの居所は分からず終いだったよ。」
「じゃあ、私はその時から・・・・・・」
「そう、その日からちゃんはここの一員になった。そして君の事は、身元不明の捨て子として届けを出したんだ。幸いにも、君の氏名と年齢と生年月日はお母さんから聞き出せていたから、それはそのまま届け出た。もしかしたら、いずれお母さんが戸籍を調べて君に会いに来る可能性があるかも知れないと思ったからね。」
「ああ、だから・・・・・・・」
だから母の名を知らなかったんだ、と一人で納得していると、園長は急に深々と頭を下げた。
「・・・・・・・ちゃん、本当に済まなかった。許しておくれ。」
「や、やめて下さい、園長先生!どうして先生が謝るんですか!?」
「もしあの時、外でお母さんに声を掛けた時、そのまま帰しておけば、もしかしたらちゃんは、そのままお母さんと離れずに済んでいたかも知れなかっただろう?」
「そ、それは・・・・・・・・・」
確かに、その可能性はあったかも知れない。
だが、必ずそうなっていたか、その後の人生が今よりも幸せだったかどうか、それらを知る術はないのだ。
「だけどあの時の私は、それまでの経験と勘から、その可能性は低いと判断したんだ。あの時の彼女は酷く思い詰めていた様子だったし、何だか妙に危うい感じがしてね。このまま黙って帰したら大変な事になるかも知れない、そう思ったんだよ・・・・・・。」
「・・・・・・・多分、園長先生のその判断は間違っていなかったと思います。」
は、静かながらもはっきりとした声で断言した。
「私が先生の立場だったら、同じようにしたと思います。」
「ちゃん・・・・・・・」
「私、園長先生にはとても感謝しているんです。恨むつもりも責めるつもりもありませんから、だから謝らないで下さい。」
「・・・・・・・・・有難う、ちゃん。」
後から考えれば、星の数程湧いて出て来る可能性。
その中に、現実のものになり得たと確信出来るものは何一つ無い。
しかし、一つだけはっきりしている事がある。
悪いのは園長ではない。それだけは確かだった。
いや、誰が悪いと結論付ける事自体が、そもそも無駄なのだ。
今となっては。
「とても素敵よ。」
「そう・・・・・ですか?」
華やかなドレスに身を包み、艶やかなメイクを施してドレッサーの前に座っている自分は、まるで別人のように見える。
こんな風に変身させてくれたのは、後ろに立っている母だ。
満足げに微笑んで仕上がり具合をチェックしている彼女を、は鏡越しに見つめた。
「慣れない内は何かと大変でしょうけど、くじけないでね。他の娘達を追い抜くつもりで頑張って。」
「・・・・・・はい。」
「あなたの事は、スタッフ達にはもう話してあるわ。知り合いの娘だって事で通してあるから、店の中では私達は赤の他人よ。」
誰かを、例えば彼女を、責めて恨むのは簡単だ。
しかし、『全ては彼女が悪い』と結論付けたとして、その後どうすれば良いというのだろう。
母を恨んで、責めて、自分の過去を嘆いて。
それを延々と繰り返していくしかないのだったら、これ程不毛な事はない。
そんな事の為に、あの楽しかった時間と大好きな人達に別れを告げて来たのではないのだ。
それに、そんな事をする為に日本に帰って来たとなれば、彼等に対して恥ずかしく、申し訳が立たない。
深く深く思い遣ってくれた、沙織や黄金聖闘士達に。
「娘だからって特別扱いはしないから、あなたもそのつもりで。良いわね?」
これから自分がどうなっていくのか、どんな人間に変わっていくのか、大いに不安ではある。
しかし、たとえどんな風に変わっていっても、この先何があっても、
決して過去に囚われて腐ったりはしない。
そう固く心に決めて、は頷いた。
「着いたわ。ここよ。」
母に促されるままタクシーを降りたは、目の前のビルを緊張した面持ちで見つめた。
ビルは良く見れば古く、他の新しいビルと比べてこじんまりと低くはあるが、外観は美しく手入れも十分に行き届いており、みすぼらしい感じは全くしない。
マイナスなイメージではなく、むしろプラスのイメージ、『伝統』や『品格』を感じさせる建物だった。
「この店、ですか?」
「そうよ。」
その1階に大きく構えられた1軒の店。それが『Venus』だった。
華やかで人工的なネオンの海に浮かぶ楽園、そう形容するのが相応しい美しさと気品が、この店にはあった。
「一応、このビル丸ごと全部が私の物なの。」
「え・・・ええっ!?」
「1階は見ての通り『Venus』の店舗、2階が事務所になってるわ。」
この都心の一等地に、雑居ビルの狭い一室などではなくこれ程の規模を誇り、そしてこの品格。
母が『別格』と言い切った意味も分かる気がする。
「じゃあ、3階以上は・・・・・・?」
「一応、貸テナントではあるんだけど、今は全部空いてるわ。・・・・・さあ入って。皆に紹介するから。」
「・・・・・はい。」
しかし、その地位は今や危うい。
この豪奢な扉の向こうでは、一体何が起きているのか。
この世界を全く知らない自分が、本当にここでやっていけるのだろうか。
は胸を締め付けられるような緊張感を覚えながら、母についておずおずと扉を潜った。
「おはようございます。」
「おはようございます、ママ!」
「おはようございます、麗子ママ!」
「おはよう。」
母が店に入ると、スーツ姿の中年男性や黒服の若い男達、そして色とりどりのドレスを纏った艶やかな蝶のような女性達が、一斉に立ち上がって会釈をした。
まだ開店前なのか客の姿は一人も見当たらないが、既に準備は整っているようで、店内は上品で柔らかな光に満ち、宴の始まりを今か今かと待ち侘びている。
その中で、華やかな取り巻きに囲まれて艶然と微笑む母は他の誰よりも眩しく、その姿は正しくこの楽園の女神、愛と美の女神ヴィーナスだった。
「皆もう揃ってる?」
「はい。」
「そう。良かったわ。前に言っておいた新しい娘、今日から来て貰う事にしたの。早速紹介するわね。ちゃん、来て。」
は、母に促されて店の中央に立った。
「今日から働いて貰う事になったちゃんよ。この業界は初めてだから何かと至らない所もあると思うけど、皆、色々教えてあげてね。」
「は、初めまして、どうぞ宜しくお願いします・・・・・・!」
おどおどと頭を下げてから顔を上げると、誰も彼もが怪訝そうな表情をしていた。
情けなくもガチガチに緊張した表情と、明らかに素人然とした雰囲気が、そうさせているのだろう。
そうと分かっていてもどうしようもなく、はただ恐縮そうに小さくなっている事しか出来なかった。
「梓ちゃん。」
「・・・・・はい。」
「宜しくお願いね。この娘何も知らないから、色々仕込んであげて頂戴。」
「はい、ママ。」
その時、不意に華やかな蝶が一人、に近付いて来た。
「ちゃん。」
「はいっ・・・・!?」
「彼女、この店のNo.1の梓ちゃんよ。彼女について、色々教えて貰ってね。」
「は、はい・・・・・・」
は、目の前に立ったその女性と恐々目を合わせた。
すらりと背の高い、洗練された美しい人だった。
「梓です。宜しく。」
「よ、宜しくお願いします・・・・・・。」
ああ、もしこの場に某巨蟹宮の住人が居たら、熱心に口説きそうだなぁ。
などと能天気な事を考えたのも束の間、彼女の冷ややかな瞳に射竦められて、の緊張は最高潮に達した。
彼女を追い抜くつもりで頑張れという母の言葉が、今頃になって猛烈な重圧となり、の身にずしりと圧し掛かって来たのである。