黄金聖闘士達は、の後ろ姿が完全に見えなくなった後も、暫しその場で黙って佇んでいたが。
「・・・・・行ってしまったな。」
カミュがそう呟いたのをきっかけにして、やがて誰からともなく、金縛りが解けたように動き始めた。
「・・・・・私は宮に戻ります。聖衣の修復があるので。」
「じゃあオイラ、道具を手入れしてきます。」
「ああ・・・・・、そうだ。俺も雑兵達に稽古をつけてやる予定があったな。」
「そういえば私も、午後から任務でロンドン行きだった。支度をせねば・・・・・・。」
予定のあるムウと貴鬼、アイオリア、アフロディーテは、それぞれ自宮に帰っていった。
皆、今一つ気乗りしなさそうではあったが、いずれも大事な務めである。
気分が乗らないからと言って、投げ出す訳にはいかない。
それに、このまま呆けているよりは、たとえ気が乗らなくても何かをしていた方が気が紛れて良いというものだ。
「・・・・・そうだな。ここでぼんやりしていたって始まらん。今日は休みだったが、執務でもするか。」
そこでサガが口走ったのは、流石と言うかやはりと言うか、『執務』であった。
「本気か、サガ!?今日は日曜だぞ?折角の休日なのだから、何もわざわざ仕事でなくとも、他に暇を潰す方法は幾らだってあるだろう!?偶にはお前も羽を伸ばせ!」
「カノン。お前の気持ちは有り難いが、私には取り立てて趣味も無いし、どうも仕事をしている時が一番落ち着くようだ。言うなれば、仕事が趣味のようなものかもしれんな。ははは。」
気恥ずかしそうに笑う兄を見て、カノンは呆れ果てて口を噤んだ。
男盛りの、しかも独身で、まだまだ人生の楽しみを幾らでも追求出来る年頃の男が、
何でこんな団塊世代のオヤジのような台詞を吐くのか。
仕事熱心なのは結構な事だが、ここまでいくと『熱心』というよりはむしろ『中毒』だろう。
仮にも聖闘士だからまず有り得ない事だが、もしサガが一般人だったら、間違いなく過労死するタイプだ。
「・・・・勝手にしろ。俺はひとまず帰って寝る。」
我が兄ながら何とクソつまらない男だろうと辟易しながら、カノンは双児宮に帰ろうとしたのだが。
「待て、カノン。」
それをサガが阻んだ。
「お前も執務室に来い。」
「何だと!?ふざけるなよ!お前は勝手にすれば良いが、俺を道連れにするな!」
「問答無用。どうせ無駄に持て余すだけの時間なら、目一杯有効に使った方が得だ。少しでも仕事を前倒しに片付けておいた方が、いざ何かあった時に他ならぬ自分自身が助かるのだぞ。」
「何だそのクソ真面目な理屈は!!とにかく俺は・・・」
「他の者も全員、直ちに執務室へ集合だ!」
カノンの抵抗を全く無視して、サガは声高に他の黄金聖闘士達にも呼びかけた。
「これより、執務室において、臨時の『大・執務大会』を行う!任務のある者以外、全員強制参加だ!」
『え゛ぇぇーーー!?!?!?』
当然ながら、その途端にブーイングの嵐が巻き起こった。
「冗談じゃねぇよ!俺の貴重な休日はどうなるんだ!?」
「黙れデスマスク。どうせお前の事だ、『食う・遊ぶ(※女と)・寝る(※女と)』位の下らない休日にしかならんだろう。グダグダ言わずに執務室に来い。」
「私はそろそろ瞑想に入る時間なのだが。」
「今回、瞑想は任務と見なさない事にする。よって、貴様も執務室に来い。」
不満顔のデスマスクとシャカを追い立てるようにして、サガは早速十二宮へと消えて行った。
「・・・・・やれやれ、仕方がない。俺達も行くか。」
「そうだな。」
どうもサガは本気のようだ。
行かなければ、執務室から遠隔でアナザー・ディメンションでも仕掛けてきかねない。
ミロやカミュをはじめ、強制労働を命じられた黄金聖闘士達は、諦めてサガの後を追い始めた。
「ん?そういえば、老師はどうした?」
「・・・・・本当だ。いつの間に・・・・・・。」
シュラとアルデバランがふと童虎の不在に気付いたが、若輩者としては、わざわざ捜し出してまで偉大な大先輩に休日出勤の道連れを強いる事は出来ない。
「・・・・・くそぅ、俺もさっさと退散しておけば良かった。」
「言うな、アルデバラン。もう手遅れだ。」
二人は敢えて童虎を捜そうとはせず、そのままミロ達について行った。
その頃、童虎は十二宮から少し離れた森の中を、足音を忍ばせながら歩いていた。
『大・執務大会』が嫌で、一人だけ逃げ出して来たのか?
いや、そうではない。
彼は今、この森の中で誰にも知られずひっそりと佇んでいる美少女を目指して歩いていた。
一歩、また一歩と進むにつれて、憂いの漂う彼女の後ろ姿が近くなる。
「・・・・・・かような寂しい場所で何をしておいでですかな、女神。」
声が届く距離になったところで、童虎は歩みを止め、彼女に声を掛けた。
「童虎・・・・・・!何故・・・・・・」
「貴女様の小宇宙が、ちらりと感じ取れましたのでな。」
童虎は薄らと微笑むと、驚いている沙織の側へと歩み寄った。
沙織はきっと、ここに来ている事を誰にも悟られたくなかったのだ。
いつも乗って来る自家用機が見当たらない事、そして、わざわざこんな人目につかない場所に居たという事が、その何よりの証拠。
大方、人目につく自家用機は何処か少し離れた場所に停めておいて、そこから一人で歩いて来たのだろう。
人目を忍んで、一人密かに、を見送る為に。
沙織は恐らく、誰にも気付かれていないと思っていたのだろう。
だが、巧く隠したつもりでも、童虎には感じ取れた。
その寂しく震えている小宇宙が。
「・・・・・・お着きになったのは、つい今しがたで?」
「え、えぇ・・・・・・。」
「それは残念。一足遅うございましたな。もつい今しがた、出て行ったところでしてな。」
全て見通している上で、童虎は敢えてそ知らぬ風を装った。
「・・・・・・・・思いがけず・・・・・」
すると、沙織はようやく口を開いた。
「・・・・・・商談に向かう途中、思いがけず時間が出来たので、休憩がてら少し立ち寄っただけです。もう・・・・・行きます。」
「それはまた慌しい事で。今暫し、ゆるりとなさっては如何ですかのう?皆もおりますし、神殿の方でお茶でも・・・」
「折角ですが。約束の時間がありますので。」
「・・・・・左様で。」
必死で本音を隠し、平静を装おうとする沙織にひとまず合わせて、童虎は黙って引き下がった。
「では、お気をつけて行ってらっしゃいませ。」
すんなりと送り出す素振りを見せると、沙織は背を向けて歩き去ろうとした。
このまま、誤解したまま、寂しさと悲しさを自らの胸の内に黙って押し込めて。
これが沙織の欠点だ。
頑なに、意固地なまでに弱さを見せず、強くあろうとする。
強くあろう、強くあるべきだと自らに言い聞かせるのも、限度というものがあるのに。
「・・・・・女神。」
童虎は一瞬、苦笑を浮かべて、沙織を呼び止めた。
「・・・・・何ですか?」
「危うく失念するところでした。女神にお渡しするようにと頼まれていた物がございましてな。」
童虎は、立ち止まって振り返った沙織に、懐から取り出した封筒を手渡した。
「これは・・・・・?」
「からの言伝でございます。」
沙織は小さく息を飲んだ後、躊躇いがちに封を開いた。
『 沙織ちゃんへ
私の事情で迷惑を掛ける事になってしまって、本当にごめんなさい。
私が優柔不断だったせいで、沙織ちゃんには嫌な思いをさせてしまったわよね。
でもね、こんな事を言うと申し訳ないし情けないんだけど、少しホッとしています。
沙織ちゃんが私を解雇してくれたお陰で、私はようやく日本に帰る決心がついたから。
ここに居られなくなったら日本に帰るしかない、後ろを塞がれたら前に進むしかないものね。
こうならなきゃ決められなかったなんて、我ながら情けないけど、沙織ちゃんには本当に感謝しています。
不甲斐無い私の背中を押してくれて、本当に有難う。
沙織ちゃんは、こんな私の事をもううんざりだと思っているかもしれないけど、
私は今でも沙織ちゃんが大好きです。
私にとって沙織ちゃんは上司だけど、それ以上に恩人であり、友達です。
沙織ちゃんのお陰で、私は聖域に来る事が出来て、色々な事が体験出来ました。
あのまま日本で暮らしていたら、きっと一生知らずに終わった事を、沢山学べました。
そして、沢山の人達と出会い、今までに無かった程、楽しい時間を過ごせました。
正直、最初は尻込みしていたけど、聖域に来られて本当に良かったと、今ではそう思っています。
沙織ちゃん。
私にとって沙織ちゃんは上司で、恩人で、友達です。
そして、大切な家族のような存在でもあります。
私には、星矢や美穂ちゃんをはじめ、孤児院で一緒に育ってきた兄弟姉妹が大勢居るけど、
ここに来て、また一人増えた気がしていました。
私に出来る事といったら、いつもほんの些細な事だけだったけど、それでも沙織ちゃんが私を必要としてくれて、とても嬉しかった。
血も繋がっていないし、育った場所も違うけど、私にとって沙織ちゃんは、頼もしくて可愛い妹です。
気を悪くしたらごめんなさい。でも、心の中でそう思っている事を、どうか許して下さい。
本当に、色々とお世話になりました。
おまけにこんなに沢山のお餞別まで頂いて、何とお礼を言えば良いのか分かりません。
小切手は有り難く受け取った上で、ここに同封しておきます。
最後に一つお願いがあるのですが、これで執務室のパソコンとプリンターを新しく買ってあげて下さい。
そろそろガタが来ていて、今にも壊れそうな物もあるの。宜しくお願いします。
それでは、お元気で。
』
「・・・・・・貴女様ととの思い出は、決して悲しい過去にはなりませぬ。美しく、眩しい思い出となりましょうぞ。」
読み終わった手紙を握り締めたまま俯いている沙織に、童虎は静かに語りかけた。
「・・・・・・良い娘でしたな、は。」
「・・・・・さん・・・・・・」
手紙を握り締めている手を微かに震わせて、沙織は罪を告白するようなか細い声で呟き始めた。
「私・・・・・、私は・・・・・・、彼女に、貴女の役目はもう終わったから、早く聖域から出て行ってくれと・・・・・・。私が強引に頼んで来て頂いておきながら・・・・・・・、今度は掌を返すように冷たく追い出してしまった・・・・・・。」
「・・・・・それは、貴女様の真心故のご処遇でありましょう?」
「違う・・・・、違うのです・・・・・・。そのつもりでも、本心は違っていたのです・・・・・・。」
沙織は頭を振って、童虎の言葉を否定した。
「やっと出会えたのだから、さん親子には幸せになって貰いたいと思いました。さんが迷っていると聞いて、強引にでもさんをお母様の下へ帰そうと思いました。その方がきっと、さんとお母様の為だと・・・・・・。」
「・・・・・・・・」
「でも、そう思う一方で、私はさんを帰したくなかった・・・・・・。さんには、ずっとずっとこの聖域に居て、いつでも私を待っていて欲しい・・・・・、『ただいま』と帰って来たら、いつでも『お帰りなさい』と迎えてくれる・・・・・・、家族のような人であって欲しい・・・・・・・。私は密かに・・・・・・そう思っていたのです・・・・・・。」
「女神・・・・・・・」
気高く、聡く、少々意地っ張りなこの女神が、心の鎧を脱いで素直になれたのは、財団の忠実な部下達でも、絶対の服従を誓っている聖闘士達でもなく、何という事のない普通の女であるの前でだけだった。
は、沙織にとって特別だった。
女神でもなく、グラード財団の総帥でもなく、一人の人間として、自分を飾らずにいられる存在だったのだ。
「ですが、私は所詮他人。実のお母様を差し置いて、家族ごっこなどをせがんではいけないのです。だから私は、自分の許されない我侭を捨て去る為に、弱い自分を戒める為に・・・・・、さんに辛く当たってしまった・・・・・・・。私がもっと強ければ・・・・・・、あんなやり方ではなく、もっと温かく・・・・・、笑って祝福して・・・・・送り出して差し上げられたのに・・・・・・!」
沙織の呟き声は、次第に涙声となり、いつしか堪え切れない嗚咽となって、童虎の耳に届いた。
「ごめんなさい、さん・・・・・・、ごめんなさい・・・・・・!」
堰を切ったように泣き崩れた沙織の肩を、童虎は無言のままそっと擦った。
沙織の涙が止まるまで、幼い我が子をあやすように、優しく、優しく。