賽は投げられた。
ローマの英雄・カエサルが遺した名言の意ではなく、文字通りに。
コロコロコロ。
「あぁん、惜っしいー!あと1マス手前なら、黄金聖闘士になって光速で一気にゴールまで行けたのにーっ!」
「へへっ、惜しかったね、お姉ちゃん!」
コロコロコロ。
「わぁい、青銅聖衣が貰えたぞ〜!あと2マス進む、っと!」
「わぁ、よかったね〜、貴鬼♪」
プレイヤーは勿論、この場に居る全員。老若男女合わせて、その数14人。
その内、双六という長閑なゲームに相応しい、ほのぼのとした空気を纏っているのは、女子供の約2名だけ。
残り12名の大の男共はというと。
『・・・・・・・・』
この通り、全員が全員、ろくにものも言わずに殺伐とした表情で、淡々と駒を押し進めていた。
『聖闘士双六』という名こそ付いているが、中身は幼い子供が作った、他愛ない双六ゲームである。
なのに何故、彼らはこんなにもピリピリとした緊張感をもってゲームに挑んでいるのか、その理由はただ一つ。
ハートのマス目である。
そのマス目に止まった者は、に何でも言う事を聞かせられる権限を与えられる。
にあんな事やこんな事をして貰いたいが為に、躍起になってそのマス目を目指す者も、
そこまでアレなのも何だがコレ位はして貰えたら良いなと控えめな願望を隠し持っている者も、
アレやナニをさせようと考えているであろう連中からを守る為、他の者達を妨害する事しか考えていない者も、
皆、結果的に、このハートのマス目に踊らされている。狂わされている。
彼らの中で、ゴールはある意味、このハートのマス目であった。
そして、彼らの緊張と興奮は、彼らの駒がハートのマス目にいよいよ迫ってきた頃から、益々激しく高まってきたのである。
「・・・・・はっ!」
コロコロコロッ!
「あぁ、私とした事が何たる失態・・・・!行き過ぎて上がってしまいました・・・・!」
「おお、ムウが一番乗りじゃないか。おめでとう。」
「いや凄い。誰よりもいち早くゴールするとは。流石だな、ムウ。」
「ちっとも目出度くも凄くもありませんよ・・・・・」
まずここで、敗者が一人出た。
ハートのマス目を素通りし、ゴールしてしまったムウである。
普通なら、誰よりも早くゴールした彼は勝者と呼べる筈なのに、彼の表情は敗北者のそれであり、祝福の言葉を掛けているアフロディーテやカミュ、そして、ムウを見る周囲の黄金聖闘士達のニヤついた表情には、上辺だけの同情心がありありと浮き出ていた。
「フッ、のハートはこのスコーピオンのミロが頂く。どりゃあっ!」
コロコロコロッ!
「ぐわぁ、しまったーーっ!!『アナザー・ディメンションをかけられ、20マス戻る』だーーッ!!」
ハートを頂くどころか、異次元島流しの刑に処されたミロを、アナザー・ディメンションの使い手である双子の兄弟がせせら笑った。
「クッククク、惜しかったな、ミロ。さあ、異次元へ飛んでゆけ。」
「そうら、異次元の入口がぽっかり口を開けて待っているぞ。」
「黙れカノン!サガまで何だ!おのれ・・・・、必ず戻って来るからな!
I’ll be back!!」
ターミ○ーターのような捨て台詞を吐いて、ミロは皆から随分遠ざかっていった。
だが、ムウのようにゲームから一抜けした訳ではない。ミロにはまだチャンスがある。
とはいえ、皆がハートのマス目の近くに群がっている為、一人遠くに飛ばされたミロは益々焦り、ゲームを楽しんでいる余裕など全く感じられない、鬼気迫る表情になってしまった。
「よしっ、次は俺の番だな。むぅぅんっ!」
コロコロコロッ!
「ぬあああーーーっ!『スパルタ師匠・魔鈴とシャイナの鬼コンビにヤキ入れされる。全員からシッペを喰らう事』だとぉぉーー!?」
「ギャッハハハ、こりゃ良いぜ!」
威勢良くサイコロを振ったその勢いのまま床に突っ伏すアルデバランの後頭部に、デスマスクをはじめとする黄金聖闘士達全員の笑い声が降り注いだ。
「よーし、腕を捲れ、アルデバラン。覚悟しろよ。」
「っ・・・・・、ぐああーーッ!シュラ、貴様・・・・、加減というものがあるだろう・・・・!」
「何を言う。魔鈴とシャイナの鬼コンビにヤキ入れされたら、こんなものでは済まんぞ、多分。さあ、次。誰がいく?」
楽しげなシュラを一番手に、負けず劣らず嬉々としている黄金聖闘士達から次々とシッペを喰らったアルデバランの腕は見る見る内に赤く腫れ上がり、ラストののシッペを喰らう頃には、可哀相に涙目になっていた。
「次は私か・・・・・。せいっ!」
コロコロコロッ!
「ぬぅぅ・・・・!『シャカに宗教の勧誘を受け、仏門に入る。般若心経を写経する事』だと・・・・!?おのれ、迷惑だぞ、シャカ!宗教なら間に合っている!」
カミュもまた、予想だにしなかった最悪なミッションを喰らった。
シャカに抗議したところで仕方がないのは、普段の彼ならばすぐさま分かる事であっただろうが、生憎とカミュは今、ショックで持ち前の冷静さを欠いていた。
「新聞の勧誘を断るような台詞だな。しかし、私に言われても困るぞ。これはゲームであって、私は勧誘などしていない。」
「それよりも、早く写経を始めた方が良いんじゃないか?ゲームは待ったなしでどんどん進んでいくぞ。般若心経じゃ、残念ながら俺は力になってやれないが、シャカに習うと良い。」
「随分嬉しそうな顔だな、ミロ。私が戦線を離脱するのがそんなに嬉しいか。」
「まさか。頑張れよーカミュー。ククク・・・・」
自分と同じく、足止めを喰らった者が増えて嬉しそうなミロを尻目に、カミュは渋々、サガに貰ったチラシの裏に写経を始めた。
師匠は勿論、正真正銘の仏教徒・シャカである。
「どれ、次は儂か。ほいっとな!」
コロコロコロッ!
「おおっ!」
『うおおおーーーっ!?』
ここで遂に、第一のラッキーマンが出た。
「老師がハートに止まったぁーーー!!」
「やはり、無欲の勝利か・・・・!」
「ホッホ、ついておるのう!」
驚愕しているアルデバランやアイオリアの横でほのぼのと笑っている童虎を見て、は密かに安堵した。
童虎は際どい冗談など言うような男ではない事を知っているからだ。
安心したは、余裕の微笑みで童虎に尋ねた。
「じゃあ、私は何をしたら良い?」
「うむ。・・・・・いや、後で良い。次はの番じゃろう?」
「あっ、そうだった!」
「お主への頼み事は、双六遊びが終了してからにするとしよう。途中で途切れてしもうては、いつまで経っても双六が終わらぬわ。のう、皆もそれで良いな?」
童虎の提案に異議を唱える者はおらず、ひとまずゲームは続行された。
「えいっ!」
コロコロコロッ!
「やったー!私もあーがりーっ!」
「あーっ、お姉ちゃんに先越されたー!」
「へへ〜、お先にね〜、貴鬼。でも残念、どうせならハートに止まりたかったなぁ。デスに女装して貰ったり・・・」
「オイ。」
「シャカにプッチ○ニ歌って貰ったりしたかったのに。」
「君が私に望むものはそんな事なのかね。」
「うん。だって面白そうだから。」
「「・・・・・・・・」」
デスマスクやシャカは、呆れながらも、がハートのマス目に止まらなくて良かったと心底安堵した。
「じゃあ、次はオイラだ!よーし、オイラもあがるぞー!」
コロコロコロッ!
「やったぁ!『ムウ様になって、好きなマス目にテレポート出来る』だ!へへっ、ムウ様にならなくても、テレポートならオイラだって出来るんだけどね。」
サイコロを振った貴鬼は、嬉しそうに自分の駒を摘み上げた。
何処でも好きなマス目にテレポート出来る、プレイヤー以外の者にとっては、これ程恐ろしいミッションもない。
何故なら、双六上には、『メドゥサの盾をGet!プレイヤー以外、全員石化して一回休み』とか、『冥闘士軍団来襲!十二宮を守れ!(※プレイヤー以外、全員自分の宮に帰ってスクワット100回してから戻って来る事)』とか、色々と恐ろしい妨害系のマス目が存在している。
だが、腹の黒い大人ならいざ知らず、貴鬼は一応は純真な子供。
汚い大人のように、他者を蹴落とす策略が頭をよぎる前に、まずストレートにゴールを目指す筈。
事実、本人も、ゴールすると宣言していたではないか。
「・・・・・と思ったけど、やっぱりやーめたっ!オイラもハートに止まろうっと!」
『何ぃぃぃ!?!?』
にも関わらず、貴鬼はあっさり前言を撤回し、ハートのマス目に駒を進めてしまった。
「お姉ちゃん、後でオイラと一緒にお風呂入っておくれよ!」
「うん、良いよー!でも、貴鬼の頼みってそれで良いの?」
「うん!」
そして、いとも軽いノリで、ピンクなお願いをしているではないか。
子供だから厭らしく聞こえないだけで、これがもし大の男の頼みなら・・・・
「・・・・・『無理!』って言われて終わりだよな・・・・・」
「若しくはビンタを喰らうか、な・・・・・」
「くっそう、チビっ子め・・・・・・」
ミロとアイオリアの予想は、ほぼ間違いなく現実のものとなるであろう。
カノンなどは、ガキは得だなと半ば本気で妬みかけたが。
「・・・・・よし、見てろ。俺もハートに止まってやる。」
妬んでいる暇はない。待ちに待った自分の番が回ってきたのだ。
カノンは気を取り直し、全神経をサイコロを摘む指先に集中させ、そして、真剣そのものな表情でそれを放り投げた。
「せやぁぁっ!」
コロコロコロッ!
「何ぃぃぃっ!?『聖闘士の修行中。この場で腹筋1000回』だとぉーーっっ!?」
「クッククク・・・・、ウワーッハハハハ!!ざまを見ろ、カノン!邪な事を考えているから罰が当たったのだ!」
「くそッ・・・・・!」
「どうでも良いが、物凄く嬉しそうじゃのう、サガ。」
悔しそうに歯を食い縛りながらも、時間が惜しいとばかりに早速腹筋を始めたカノンの横で、サガは狂喜していた。
まるで小躍りでもしそうなその喜びようは、童虎が思わず呆れて苦笑する程であった。
「喜ぶのはもうその辺で良いじゃろう。次はお主の番じゃぞ、サガよ。」
「ハッ、そうでした・・・・・!次は私か・・・・・、ククク・・・・・・」
サガの表情が変わってゆく。
そう、まるで、善のサガから悪のサガに変わる時のように。
「・・・・目指すは『聖戦大勝利!全員で地上に帰る(※皆で一気にゴール)』だ。の貞操の危機を救う為、馬鹿共がアホな妄想をこれ以上膨らませない内に、ここで一気にゲームを終わらせてやる。クッククク・・・・・」
善なのか悪なのか良く分からない状態のまま、サガは勢い良くサイコロを振った。
「うおぉぉーーーッ!!!」
コロコロコロッ!
「『雑兵に格下げ。皆のパシリになる事』ーーっっ!?」
「ウワーッハハハハッ!!!とんだっ、お笑いっ、種だなっ、サガよっ!」
「聖戦で大勝利を収めるどころか、聖闘士にすらなれませんでしたね。」
愕然とし、落胆するサガを、カノンがこれでもかという程嘲笑い、ムウが冷静に追い討ちをかけた。
ちなみに、カノンの口調がやけに歯切れ良いのは、腹筋をしながら喋っているからである。
カノンはそのおかしな口調のまま、嬉々としてサガに言い放った。
「おいっ、パシリっ!修行中のっ、カノン様のっ、為にっ、ポカリっ、買ってっ、来いっ!おいっ、ムウっ、お前もっ、遠慮なくっ、言いつけてっ、やれっ。」
「では遠慮なく。ミネラルウォーターをお願いしますね。酒のせいか、喉が乾いて仕方がないのです。アルデバラン、あなたは?」
「俺か?そうだなぁ・・・・・、キーンと冷えたビールが良いな。デスマスク、お前は?」
「俺には黒ビールとトマトジュースを頼むぜ。レッドアイにするんだ。あ、それと煙草とな。アイオリア、お前は?」
「ツマミがなくなってきたから、何か適当に見繕ってきてくれれば。シャカ、ツマミにうるさいのはお前だろう。何か欲しい物はあるか?」
「チョコレートだな。この家には、ブランデーはあるのだが、チョコレートが無い。ブランデーとチョコレートは、カレーとナンにも匹敵する黄金ペアなのだ。老師は何になさいますか?」
「儂は今ある物で事足りておるのじゃが、強いて言えば、天秤宮の便所紙が切れそうなのじゃ。」
「それが有りなら、天蠍宮のトイレの電球も切れそうなんだ。頼む。シュラ、お前の所のトイレは大丈夫か?」
「トイレは大丈夫だが、洗濯洗剤が残り少なかったような気が・・・・。一箱頼む。カミュはどうだ?洗剤のストックはあるのか?」
「洗剤はあるが、ラップが切れていたような。ラップを買って来てくれ。」
「君らは主婦か。こんな時間にトイレットペーパーだのラップだのを買いに行かされるサガの身にもなってやれ、気の毒に。ワインとチーズ位で勘弁してやる事が出来ないのか?ああ、チーズはノルマンディー産のカマンベールにしてくれ。良く熟成されたものが良いな。ワインはシャトー・マルゴーが良い。贅沢は言わないから、12〜3年物ぐらいで適当に見繕ってくれれば。」
「お前の買い物が一番論外だ、アフロディーテ!何だその贅沢極まりないリクエストは!寝言は寝てから言え!」
怒りでわなわなと拳を振るわせつつも、サガは皆のリクエストをメモに書き留めると、と貴鬼に微笑みかけた。
「お前達は?何か欲しい物はあるか?」
「で、でも・・・・・」
「構わん。どうせついでだ。」
「良いの?じゃあ・・・・・、どうしよっか、貴鬼?」
「う〜ん・・・・、オイラ、アイスが良いなぁ。チョコのアイス!」
「あっ、それ良いね、お風呂上りのアイス!じゃあ、私はバニラで!」
「分かった、バニラとチョコのアイスだな。」
サガは、と貴鬼の微笑ましいリクエストを笑顔で快く聞いた後、黄金聖闘士達をギロリと一睨みして出て行った。