絆 3




私達は親子よ。同じ血が流れている。血の絆は切ろうったって切れないわ、永遠に。



彼女のこの言葉が頭から離れないまま、は聖域に戻った。










同じ血の通った肉親。
それを求める気持ちを失くしていた訳ではない。
ただ、成長するにつれて増えていった他の事への興味や関心、悩みや苦しみによって、心の奥底に小さく押しやられていただけだ。
いつまでも3歳の子供の心ではいられない、どうやったって手に届かないものは諦めるしかない。
人は、自分が置かれている状況がどんなものであれ、それを受け入れて前を向いて歩いていくしかないのだ。


けれど今、その肉親は目の前に現れた。
あれだけ不躾な言い方をされても憎みきれずにいるのは、彼女の言う『血の絆』のせいなのだろうか。
他人なら『失礼な人だ』と腹を立てて終わりだが、彼女は他人ではないから。


彼女が、この世でたった一人の自分の母親だから・・・・・・?



「・・・・・ただいま〜!」

は、ぐるぐると頭の中を渦巻くものを吹き飛ばしてしまいたいかのように元気な声を上げて、執務室の扉を開けた。












「やあ、お帰り、。」
「よう、暫く振り!元気だったか?」
「何を大袈裟な。が居なかったのはたった数日間だろうが。」
「頼んでおいた物は買って来たかね?」
「頼んでおいた物って何だ?土産か?おい、俺にはないのか、?」

帰るなりうるさい人達だ。
でも、このうるささに救われる。
は苦笑を浮かべながら、出迎えてくれたサガ・ミロ・カミュ・シャカ・カノンの顔を見回した。


「はいはい。買って来ましたよ、おシャカ様。はい、お煎餅とひよこ饅頭。」
「うむ、確かに。ご苦労だった。」
「ふふっ、そんな言い方されたら、私がまるでシャカのお使いに行ってきたみたいじゃない!素直に『有難う』って言えないの〜?」
「礼を言う。」
「もう!人には行儀行儀ってうるさい癖に〜!」

不満そうな口調とは裏腹に、顔は笑っているのが自分でも分かる。


「おい、まさか、シャカには土産を買って来て、このカノン様には無いとか抜かすんじゃないだろうな?」
「まさか!シャカに渡したじゃない。あれ、皆で分けて食べてね♪」
「何だ、面白くない。愛する俺だけに何か特別なプレゼントがあると思っていたのに。」
「あっははは!何面白い事言ってんのよ、カノンったら〜!」
高笑いして全否定か、良い度胸だ。」

こんな何気ない冗談を交わす事が、心の底から楽しいと思える。


、時差ボケなんかしていないか?」
「うん、取り敢えず大丈夫っぽい。ありがと、ミロ。ミロも元気だった?」
「勿論!」
「嘘をつけ。が居ない間、超がつく程機嫌が悪かった癖に。」
「えっ、そうなの?」
「いや、カミュの言い方は大袈裟だ。信用するなよ、。」
「ふふっ、何よ。どっちを信じれば良いのよ?」
「それは勿論私の方だ。が早いところ帰って来てくれて助かった。が居ないと、ミロの機嫌がもたなくてな。」
「またそんな大袈裟な言い方を。人を何だと思っているんだ。・・・・・・しかし、あながち違うとも言い切れないか。の居ない聖域など、もう今更考えられないって感じだからな。」

こんな風に言って貰えて、思わず胸が詰まりそうな程嬉しいのに。
『私もずっと聖域に居たい』と言いたいのに。


「ごめんねサガ、何日も執務休んじゃって。大丈夫だった?」
「フッ、何とかな。それより、日本はどうだった?誰か懐かしい人の一人や二人にでも会えたか?」
「・・・・・うん。」

彼女の、母の言葉を忘れられない。
聖域から出て行きたくないと思っているのに、母の言葉や会った事自体を忘れてしまう事も出来ない。

『用事が終わったら迎えに来るから』と言ったまま、戻って来なかった母を待ち続けた幼いあの頃の記憶が。

いつしか心の隅に小さく押しやられていた、母への思慕の念が。

今また蘇って、心を揺さぶっている。
ざわざわと揺さぶって、忘れる事を許してくれない。



「・・・・・・母に、会って来たわ。」
「母?のか?」
「うん。」
「本当か!?良かったな、!」
「きゃっ!?」

話を聞いていたミロが、まるで我が事のように喜び、をギュッと抱きしめた。
それは異性への愛情表現ではなく、純粋な喜び・祝福の表現としての抱擁だった。


「そうか、会えて良かったな、。」
「うむ、それは何よりだった。」
「フッ、なるほど。それで急に帰ったんだな。・・・良かったじゃないか、。」
「それならそうと言ってくれれば良かったのに。しかし、母上もさぞかし喜んでおられただろうな。」

いや、ミロだけではない。
カミュも、シャカも、カノンも、サガも、抱きつきこそしないまでも、皆一様に喜び、祝福してくれている。
が孤児院で育った事を知っているからこそ、母親に会えたという事は、にとって特別で喜ばしい大事件の筈、彼らはそう思っているようだった。


「しかし、失礼な事を言うようだが、君の母君は生きておられたのだな。孤児院育ちだというから、てっきり身寄りは一人も居ないものと思っていたが・・・・、そうか。死別でなく離別だったのだな。」
「そう言えば、からその辺の話を聞いた事はなかったな。ずっと連絡を取っていなかったんじゃないのか?一体どういう経緯で会えたんだ?」

シャカとミロの言葉を聞いて、は曖昧に笑った。

別に隠すつもりはなかった。ただ、わざわざ改まって語る必要もないと思っていた。
あの日、偶然やって来たデスマスク・シュラ・アフロディーテの三人には話したが、それも成り行き上話しただけで、特に深い意味があった訳ではない。

だから別に、今この場でまた同じ話を彼らに聞かせても構わない筈なのだが。


「・・・うん。ずっと音信不通だったんだけど、この間、学園から連絡があってね。母が会いたいって言って来ている、って。それで・・・・」

今は、あの頃の事を笑って話せる自信がない。
ほんの数日前、デスマスク達に話して聞かせた時とは事情が変わっているから。
過ぎた昔の思い出話ではなくなってしまったから。



「お前達、余計な詮索はよせ。昔がどうであれ、こうして再会出来たのだから良いではないか。」

の雰囲気から何となく察したサガが、シャカとミロを窘めた。


「過ぎた事は過ぎた事だ。それより、母上とはゆっくり話せたか?」
「ゆっくり・・・って程でもなかったんだけどね。」

そんなサガの優しさは、却っての心をぐらつかせてしまった。
自分一人で解決をつけなければならない問題なのに、吐き出してしまいたくなる。甘えてしまいたくなる。


「・・・・帰って来いって言われた。一日でも早く帰って来て、一緒に暮らして欲しいって。」

の話を聞いた途端、サガの表情から微笑が消えた。


「・・・・・それで、何と返事を?」
「返事はして来なかったの。あんまり急な話だったから・・・・・」

サガだけではない。皆、一様に困惑したような表情を浮かべている。


は?・・・・・どうしたいんだ?」
「・・・・・・どうもこうも、私はそんなつもり・・・・」

カミュにそう訊かれた瞬間、の頭の中にまた母の言葉が響いてきた。


― 母親の代わりは何処にもいない。


「そんなつもりは・・・・・」


― 娘の代わりは何処にも居ない。あなたと一緒に暮らしたいの。



「・・・・分かった。とにかく、今日はもう帰って寝ろ。旅の疲れの残った頭で考えても、答えは出ないだろう。」

カノンの言う事は尤もだった。
たったの3〜4日で日本とギリシャを往復して来て、疲れていない筈はない。
それに、母に会ってから以降、彼女に言われた事ばかりを延々と考えていて、頭も煮詰っている。
はカノンに従い、促されるまま執務室を出て行った。






「・・・・随分急な話だな。どうする、サガ?」

が出て行った後、カミュがぼそりと呟いた。
この件は、基本的には勿論のプライベートな問題なのだが。


「・・・・緊急会議の必要があるな。黄金聖闘士、大至急会議室に全員集合だ。」


彼ら黄金聖闘士にとっても決して小さくはない問題、他人事のようにそ知らぬ顔をしている事は出来なかった。











何だって!?

サガが赤紙ならぬテレパシーで黄金聖闘士全員に召集をかけてからおよそ20分後、一同はの身に起こった出来事を聞き、どよめいていた。


「・・・・そうですか。何か様子が変だとは思っていましたが、その件で里帰りして来たのですね、彼女は。」
「何だムウ、何か知っていたのか?」

サガは、何か知っていそうな口ぶりのムウを、『だったらもっと早く報告しておけ』とでも言いたげな目で見据えつつ尋ねた。


「いえ、何かという程ではありませんが、が急に里帰りすると言い出したあの日、私が彼女に手紙を届けたのです。孤児院からの手紙を。の様子がおかしくなったのは、それを読んだ後だったので。」
「そうか、読めたぞ。その手紙が、さっきが言っていた『連絡』だったのだな。」
「連絡?何の事ですか、カミュ?」
は、孤児院から『母親が会いたがっている』という連絡を貰って、それで母親に会いに行ったそうだ。」
「ああ、そういう事でしたか。あの時は、その手紙に何が書かれてあるのか教えてくれなかったのですが・・・・・、なるほど。その連絡だったのですね。」

ムウとカミュが、合点がいったように頷きながら会話しているのを横で聞いていれば、大体の事情は分かる。

となれば、次に気になるのは結果だ。


「それで、は何と?」
「返事はまだだと言っていたが、戸惑っている様子だった。迷っているのだろう、恐らく。」

アイオリアにそれを尋ねられたサガは、重苦しい表情で答えた。


「・・・・当然だな。戸惑ってしまう気持ちは分かるよ。」
「ああ。にとってみれば、古傷を掻き毟られるような話だ。」
「だぁな。ったく、アイツのお袋も、何を思って今頃ノコノコアイツの前に現れたんだか。」

すると今度は、アフロディーテ・シュラ・デスマスクが、何か知っているような事を言うではないか。
しかも、何やら込み入っていそうな話を。


「何だ、お前達。何か知っているのか?」

サガが三人を見据えると、彼らは気まずそうに顔を見合わせてから、やがてポツポツと喋り出した。







が、母親と別れた前後の事。


その時と今の、の気持ち。


その直後に捨てられるとも知らないで、最高の日だと思っていた時に母親に買って貰った物。


今も大切に持っている、その宝物の事を。







「・・・・・宝物、か。」
「そんな紙屑まで、宝物にして後生大事に持っているとはな・・・・。」

話を聞いたアルデバランとカノンが、それぞれに苦い表情を浮かべて呟く。
いや、彼ら二人だけではなかった。そこに居る全員が沈痛な面持ちをしている。
テーブルの上には、一応飲み物とが買って来た煎餅や饅頭が並べられているのだが、誰も手をつけようとしない。
普段なら取り合いになる位なのに、今日に限っては誰も。


「胸が痛む。・・・というか、胸クソが悪くなってきた。そんなの気持ちも知らないで、今更ノコノコと!人の母親を悪く言いたくはないが、余りにも虫が好すぎるぞ!!」

更に、ミロに至っては、苦々しいを通り越して憤怒の表情を露にする始末だった。


「落ち着け、ミロ!お前が怒ってどうする!」

カミュの言う事が正論だというのはミロとて分かっているのだが、それでも憤らずにはいられない。
怒りのやり場がないのだ。


「ならばカミュ!お前は腹が立たないのか!?が余りに不憫だとは思わないのか!?」

胸を焼き尽くすような怒りを堪えきれず、ミロが激昂したその瞬間。




「おお、お主ら!もう全員集まっておったのか!済まん済まん、遅刻じゃのう!」
『老師!』

童虎が、この修羅場に似つかわしくない程呑気な声を上げて現れた。


「町で面白い物を見つけてのう、ちぃっと買い物しとったのじゃ・・・・・、と。どうした、ミロよ?えらく不機嫌そうな顔じゃのう。そうじゃ、そんなご機嫌斜めなお主に良い物をやろう。」
「い、良い物?」
「ほれ、土産じゃ。」

童虎はほのぼのと笑うと、懐から何の変哲もない布袋を取り出して、ミロに差し出した。


「袋?何ですかこれは?中に何が・・・」
「おお、これこれ。それは開けるものではない。袋をぎゅっと握ってみよ。」
「こ、こうですか?」


ぎゅっ。



あひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!
うひゃひゃひゃひゃひゃひゃ!




『・・・・・・・・・・』
「どうじゃ、愉快じゃろう?笑い袋じゃ。」

一同が沈黙する中、笑い袋の発したアホな笑い声の余韻と、童虎の楽しげな声だけが響く。
超がつく程シリアスで重苦しかった場の雰囲気が、一瞬にしてぶち壊された瞬間だった。



「・・・・・・・・・・・だぁぁぁぁぁ!人が真面目な話をしているのに!!」
「お、落ち着けミロ!プッ・・・ククク・・・・」
「何が可笑しいんだ、カミュ!!!そんなにこの笑い袋が気に入ったのか!?
「いや、済まん!別にそうじゃないんだが・・・・・、この状況で鳴らされると、こう・・・・心の底から馬鹿馬鹿しくなって・・・・・、クク・・・・・」
「違いない、わっはははは!!」

カミュが吹き出し、アルデバランが爆笑すると、他の者も皆釣られて笑い始めた。
よりにもよって大真面目な話の腰が、これでポッキリと折れた訳だが、却ってこうなって良かった。

当の本人であるを差し置いて、傍が憤っても仕方がないのだから。
どうする事がにとっても聖域にとっても一番良いか、それを冷静に話し合う為に、皆をここへ呼んだのだから。


「な、何じゃ?どうしたというのじゃ?」
「感謝します、老師。」
「何をじゃ?」
「最初からお話ししますから、取り敢えずお掛けになって下さい。」


一人、この状況を飲み込めず、不思議そうに首を傾げる童虎に、サガは苦笑しながら椅子を勧めた。




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後書き

私のイメージ的に、童虎はほのぼのとボケてくれそうな感じの人なので、
今回のアホシーンは彼に担当して貰いました。
さて、次回は黄金サミットです。次は誰にボケて貰いましょうかね(笑)?