絆 2




が戻ったのは、夕方になってからだった。


「おおっ、帰って来たぞ!おい、!」
!心配したじゃないか!!」
「余りに遅いから、捜しに行こうかと思っていたところだったんですよ!」
「おいコラーっ、お前、何処行ってたんだよ!?」

四人は、今まで自宅の前で帰りを待ってくれていたらしかった。
シュラが、アフロディーテが、ムウが、デスマスクが、それぞれ心配半分安堵半分というような表情で駆け寄って来る。
たちまち彼らに取り囲まれたは、申し訳なさそうな微笑で『ごめん』と詫びた。


「ちょっとお散歩。」
「嘘をつけ。これから昼飯って時に散歩など、不自然すぎるだろう。何処へ行っていた?」

シュラに咎められて、は気まずそうに肩を縮めた。


「本当に、すぐその辺をウロウロしてたの。」
「昼から今までか!?そんなに長い時間、お前一体何を・・・」
「私が届けたあの手紙、一体何が書いてあったのです?」

ムウの聡明な瞳が、まるで心の中を読もうとでもするかのように、まっすぐに突き刺さる。
は一瞬身構えたが、やがてふっと身体の力を抜いた。


「ちょっとね。帰らなきゃいけなくなって。」
「帰る?日本にですか?」
「うん。」
・・・・・!」
「おい、どういう事だよ!?」
「違う、違うのよ!」

深刻な表情で詰め寄って来たアフロディーテとデスマスクを、は笑って制した。


「帰るったって、ほんの1日か2日の話よ。ちょっと用事が出来たの。」
「・・・んだよオイ、吃驚させんなよ!」
「そうだよ、!ああ、驚いた!」
「紛らわしい言い方をするな!全く・・・・。」
「私とした事が、一瞬本気で驚いてしまいましたよ。」
「ごめん、言い方悪かったよね。」

胸を撫で下ろす四人に、は苦笑しながらもう一度詫びた。


「サガって、まだ執務室に居るかなぁ?」
「ああ。多分居るんじゃないか?」
「そっか。ありがとシュラ。じゃあ私これで。サガに休暇をおねだりしに行かなくちゃ、ふふっ。あっ、それから皆、今日はごめんね!」

四人に向かって拝むように手を合わせると、はそのまま十二宮の階段を上がって行った。









「休暇?」
「そう。駄目?」

シュラの言った通り、執務室にはサガがまだ居た。
いや、サガだけではない。
本日の執務当番であるアルデバラン・アイオリア・シャカ・カミュも居た。
皆まだ執務の最中だったのだが、終わるのを待ってサガにだけコソコソと話し掛けるのも妙だと思ったは、敢えて皆の居る前で話を切り出したのである。


「いや、駄目という事はないが。旅行にでも行くのか?」
「旅行って程じゃないんだけど、ちょっと里帰りしたくて。」
「そうか。それで、いつからどれ位だ?」
「急な話で本当に申し訳ないんだけど、明日か明後日から3〜4日程・・・・。」
「明日か明後日?それはまた随分急な話だな。どうした、何かあったのか?」

サガは、何か余程の事があったのかと心配そうな顔をしたが、はあっけらかんと笑ってそれを否定した。

「ううん、そんなんじゃないの。でもちょっと急ぎの用で。・・・・駄目?」
「ふむ・・・・・・、いや、良いだろう。にはいつも目一杯頑張って貰っているしな。それなら、明日から一週間にしたらどうだ?折角なのだから、少し位ゆっくり故郷で羽根を伸ばしても・・・」
「良いの。出来るだけこっちに迷惑掛けないようにしたいし。」
「そうか?まあ、お前がそう言うのなら・・・・。済まないな、助かる。」

の日頃の働きぶりを良く評価していたサガは、あっさりと休暇の許可を出した。
それ以上、何を言う事も訊く事もなく。


、里帰りするのか?」
「あ、うん。何かお土産買って来ようか?何が良い?」

話を聞いたアイオリアに声を掛けられて、はにこにこと尋ねた。


「良いんだ、気を遣わないでくれ。それより、星矢に会ったら宜しく伝えてくれ。しごいてやるから、偶にはこっちに修行に来いってな。ははっ。」
「ふふっ、OK。そう伝えとく。」
私には醤油煎餅とひよこ饅頭を頼む。
「はいはい、了解しました、おシャカ様。アルデバランは?何かリクエストある?」
「いや、煎餅と饅頭があれば十分だ。」
「卑しいぞ、アルデバラン。人の物を横取りする気かね。」
皆 で 仲 良 く 分 け る ん だ 。独り占めしようとするお前の方が卑しいぞ、シャカ。それより、気をつけて帰れよ!」
「うん!」

アルデバランもアイオリアもシャカも、サガ同様に何も訊かなかった。
いや、何も気付いていないようだった。


がずっとこの聖域に居るものだと、信じて疑っていないような。


そんな彼らの笑顔が、人知れず揺れているの心を落ち着かせてくれた。

















― 君のお母さんが、君に会いたいと仰っています。至急、連絡を下さい。



園長からの手紙にあったこの一文を、何度読み返しただろうか。
嬉しかったからではなく、余りにも衝撃的な内容だったから。
いつか会いたいと漠然と思ってはいたが、正直なところ、生きているかも死んでいるかも分からない人、このまま一生会えない可能性の方が高いとさえ思っていた。
母はこの世で最も遠いとさえ言える人だった。



『先日、孤児院を訪ねて来られてね。お母さんはすぐにでも会いたいと仰っているよ。出来るだけ早く、と。』
『・・・・・そう・・・・ですか・・・・・』

何度手紙を読み返して、何度電話を掛ける手を止めただろう。
躊躇って、躊躇って、ようやく孤児院に電話出来たのは、もう夕方に近い時間だった。


ちゃんからすれば今更な話だとは思う。それに君はもう大人で、親が必要な歳でもない。それでも親子は親子、このまま一生会わずにいるよりは会った方が良いと・・・・・、私は思うよ。後で後悔する事になる位ならね。』
『・・・・・・・』
ちゃんさえ良ければ、近い内に会ってみないか?』

園長が、我が事のように親身になって考えてくれているのは、その言葉や口調から十分に伝わって来た。
その優しさにほだされるようにしてつい母との面会を承諾してしまったが、母と会える事が嬉しいのかどうかは自分でも分からなかった。
余りにも突然すぎるこの状況に、気持ちがついていっていないというのが本音だった。


しかし、そうだ。
会う位、どうという事はない。会うだけなら何も変わらない。
別れて暮らしていた長い年月の間に、向こうには向こうの、こちらにはこちらの、築き上げてきたものがある。
人の輪や、仕事や、生活スタイルが。
互いに大人である以上、幾ら親子でも、それはそう簡単には壊せない。


ただ、会って。
互いの無事を喜び合って。
今までは瞼の裏にすら浮かんで来なかった母の顔を、存分に見て。


そして。


― 帰って来るわ・・・・・。


今、自分の生きている場所はここ。この聖域。
他の何処でもない。


ひとすじの灯火のように心に焼き付いた黄金聖闘士達の笑顔が、こう言っているような気がした。


道を見失わないように、迷わないように、と。






















次の日、は日本に向かって飛び立った。
日本に到着したのは夜になってからだったので、は空港を出たその足で星の子学園の近くにあるビジネスホテルに向かい、そこに泊まった。
近くにホテルを取る位なら、学園に泊めて貰えば良さそうなものだが、その考えはにはなかった。
何故なら、明日の午後3時、星の子学園の応接室で母と会う約束になっていたからだ。
それを思うと変に構えてしまって、足が竦んでしまった。

サガに無理を言って休みを貰い、高い旅費を使って、はるばるギリシャから母に会いに戻って来た癖に、いざとなると緊張し、怖気づいてしまう。

は、そんな自分を心の中で叱責したり宥めたりしながら、まんじりともしない夜を一人で明かした。





そして、夜が明け、昼が過ぎ、約束の時間まであと10分という時になって、はようやく星の子学園を訪れた。


「やあ、お帰り。ちゃん。」
「ただいま、園長先生。」
「久しぶりだね、元気そうで安心したよ。」
「お陰様で。園長先生もお元気そうで何よりです。」

出迎えてくれた園長とにこやかに挨拶を交わした後、は戸惑うように視線を彷徨わせた。
『母は?』
たったそれだけの一言が、うまく口をついて出ない。
約束の時間まであと僅か、そう考えると、鼓動が高鳴り、身体が震えてしまいそうになるのだ。


「・・・・・お母さん、もう待っておられるよ。」

表情だけでの心中を察した園長は、小さな声でそう言った。


「さあ。行っておいで。」
「・・・・・・はい。」

園長にそっと背中を押されたは、一人で応接室へと向かった。



古くなって所々剥げかかった、ドアプレートの『応接室』の文字。
子供達がいたずらしてつけた傷。
全て昔のままだ。
本来なら、見ていて懐かしくなる筈の、この応接室のドア。
それを緊張した面持ちで暫く見つめた後、は恐る恐るノックをし、ノブにそっと手を掛けた。

















ドアが軋んだ音を立てて、やがてバタンと閉まった。
それと同時に、ソファから立ち上がる女性。

その女性こそが。


「・・・・・・なのね?」

その女性こそが、の母だった。
記憶の中にも欠片すら残っていない顔が、を見て微笑んでいる。


「・・・・・・・・」

しかしは、微笑み返す事も涙を流す事もなく、ただ呆然とその場に突っ立っている事しか出来なかった。


「会いたかったわ、・・・・・」
「・・・・・・」

一生叶わないと思っていた再会を果たし、戸惑っているせいもある。
しかし、それだけではない。
は、目の前に居る『母』そのものに、驚きを隠せなかったのである。



「本当に・・・・・、あなたが私の・・・・・母なんですか?」

母は、思わずそう訊いてしまうような容貌をしていた。


見るからに高級品だと分かるスーツ、ソファの背に掛けられている、ゴージャスな毛皮のコート。
上品に纏め上げられた髪は艶やかで、その顔は、歳を重ねていても華やかな美しさに輝いている。

そう。
彼女は、『母性』というよりは『女性』だった。
それも、見るからに裕福そうな。


「そうよ。私があなたの母親よ。間違いないわ。」

驚くに、彼女は艶然と微笑んで答えた。
しかし、には到底信じる事が出来なかった。
母と暮らしていた頃の記憶は殆ど無いが、それでも断言出来る。
あの頃の暮らしは、こんな贅沢が出来るような裕福なものではなかった。
むしろ、貧しかった筈だ。
何せ、母と別れたあの日にデパートへ買い物に連れて行って貰った事が、それまでの人生の中で最高の出来事だと、子供心に感じていたのを良く憶えているのだから。


「でも・・・・・」
「そうよね、私を覚えていなくても無理ないわ。あの頃のあなたは、たった3歳だったもの。」
「いえ、そうじゃなくてその・・・・、何というか・・・・、雰囲気が・・・・・」

言い方に困って口籠るを見て察しがついたのか、彼女はフッと笑って言った。


「ああ、私の?確かに、昔はこんな格好していなかったわ。でもね、長い時間が経つと、人は変わるものよ。」
「そう・・・・ですか。」
「それでも、あなたは何も変わっていないわね。」

彼女はふわりと微笑むと、の頬にそっと触れた。


「3歳の頃と同じ顔をしてる。私が買ってあげたピンクのハンドバッグを持って、大喜びしていたあの時のままだわ・・・・。」

例のハンドバッグの事を知っているという事は、彼女はやはり紛れもなく母親なのだ。
それを確信しても嬉しさが込み上げて来ないのは、何故だろう。
もしも彼女が、貧しそうな身なりで咽び泣きながら抱きしめてくれたら、少しは違ったかも知れない。
しかし実際には、彼女は眩しい位に女としての魅力に輝き、後悔や罪悪感の欠片もないような豊かな微笑を浮かべて、まるであの日を懐かしんでいるかのような口ぶりで、を子供扱いした。


少なくとも、にはそう感じられたのだ。



「・・・・そうですか。でも、私はもう3歳の子供じゃありません。とっくに大人になったし、もうあなたの知っている私じゃありません。長い時間が経つと人は変わるもの・・・・でしょう?」

はにこりともせず、微かに感じた憤りを込めて皮肉を飛ばした。


「・・・・・フフッ、そういう意味じゃないんだけどね。気を悪くさせたのなら悪かったわ、ごめんなさい。」

しかし彼女は、のあからさまな皮肉を全く気にも留めず、さらりと笑ってかわしてしまった。


「そうよね、あなたはもう立派な大人の女だわ。自分の頭で、物事を賢明に判断出来る筈よね。」
「・・・・?」
「早速だけど、本題に入らせて貰うわ。」
「本題?」

彼女は、バッグからシガレットケースを取り出すと、中身を一本取り出して燻らせ始めた。
そして、まるで食事にでも誘うかのような気安い口調で言った。


「私と暮らさない?」
「え・・・・・・・?」

彼女の言う『本題』とは、気軽な口調の割に重大な話だった。
共に暮らすという事は、互いの生活を大きく変える事でもある。
気軽に持ちかけるような話ではない筈だ。


「そんな・・・・・、急にそんな事言われても、私・・・・」

つい先日まで、お互いが何処に居るかも、生きているのか死んでいるのかさえ分からなかった親子なら尚更。
しかし彼女は、動揺しているなどお構いなしに喋った。



「勿論、あなたにもあなたの都合がある事は分かっているわ。園長先生から聞いたけど、グラード財団のギリシャ支部で働いているんですってね。大したものね。」
「別に、そんなんじゃ・・・・」
「でも、幾ら大企業だって、所詮は雇われ社員でしょう?お給料だってたかが知れている筈よ。違う?」

彼女の言う事は、当たらずしも遠からずだった。
今のの収入は、以前より格段に上がってはいるが、それでも『高給取り』と言える程ではない。
彼女の言い方を借りるなら、『たかが知れている』額だ。


「・・・・私には、そのたかが知れたお給料で十分なんです。不満に思った事なんて一度もありません。私は自分の仕事にやりがいをもっているんです。」

しかし、はそれでも満足していた。
分相応の収入と充実感、その両方を兼ね備えている仕事は、探そうとしてもなかなか見つかるものではない。
は今の自分の状況を、恵まれていると満足に思いこそすれ、不満に感じた事など一度もなかった。

そして、そう思えるのも彼らのお陰、十二宮の黄金聖闘士達のお陰だった。
大抵の物は金で買えても、人の気持ちや絆は金に置き換えられない。
必要とされていると思えるからこそ、これ程までに満ち足りた気持ちになれるのだ。


「やりがい、ね。こう言っちゃ何だけど、あなたは企業の中の小さな歯車の一つに過ぎないのよ。あなたの代わりなんか、幾らだって居るわ。」
「ちょ・・・・、ちょっと待って下さい、あなたに何が分か・・・」

『代わりは幾らでも居る』、何と恐ろしい言葉だろう。
自分の存在価値を真向から否定されるような、こんな言葉を浴びせられて、全く動揺しない人間など居るのだろうか。


「だけど、母親の代わりは何処にも居ない。世界中、何処を捜したって。」
「・・・・・!」

ささやかな自尊心という名の殻に走った細い亀裂から、彼女の言葉が入り込む。


「私にとっても同じよ。娘の代わりは何処にも居ない。あなたと一緒に暮らしたいの。」

じわじわと、しかし確実に、無防備に動揺している心を侵食していく。


「それとも、向こうに母親以上の存在の人間でも居る?亭主とか子供とか。」
「・・・・・・・・私、まだ独身です・・・・・」
「だったら、何も迷う事はないじゃない。会社を辞めて日本に帰ってらっしゃい。その後の心配は何もしなくて良いから。後の事は全部私に任せて、あなたはただ帰って来れば良いの。一日も早くね。」

これ以上、一方的に言われていてはいけない。
彼女の言葉に流され、呑まれてしまってはいけない。



「・・・・・勝手な事言わないで下さい!」

そんな声無き声が頭の中に響き渡った瞬間、は感情に任せて声高に叫んだ。


「私にだって、私の都合があるんです!一方的に言わないで下さい!」
「・・・・・分かったわ。」

震える声でそう叫んだを見て、彼女は小さく溜息をついた。


「すぐに返事をくれとは言わない。暫く考えてみて。と言っても、あまり待たされるのも困るんだけどね。決めたら連絡を頂戴。これ、私の連絡先。」

彼女は名刺を一枚取り出すと、に差し出した。
そして、テーブルの上の大きなガラスの灰皿に煙草を押し付けて揉み消すと、バッグとコートを手にドアへと歩いて行った。



「・・・・・怒らせて悪かったわ。だけど、最後にもう一言言わせて。」

そして、ノブに手を掛けてから、不意にを振り返った。


「・・・・・何ですか?」
「私達は親子よ。同じ血が流れている。血の絆は切ろうったって切れないわ、永遠に。一緒に暮らすべきなのよ、私達は。」
「・・・・・・・」
「良い返事を待っているわ。」


バタン、と閉まるドアの音と、遠ざかっていくハイヒールの靴音を聞きながら、は呆然とその場に立ち尽くしていた。




back   pre   next



後書き


ヒロインの母親という人物を何通りか考えてみたのですが、
ヒロインとは違ったタイプの、こんな感じの女性にしてみました。
今回の内容でいきなり沈んだ雰囲気になってしまいましたが、次回は一応アホギャグ要素を
織り込んであります。
笑って貰えるかどうかは不安ですが(苦笑)。