「ここがパリ・・・・・・、初めて来たわ・・・・・!」
ファッションと恋の街にして花の都・パリの街並みを、はうっとりと眺めた。
写真でしか見たことのなかった二次元の街並みが、今目の前に現実のものとして立体的に広がっているのだ。感慨もひとしおだろう。
「、悪いが今回は観光させてやれる暇はないぞ。」
「あっ、分かってる分かってる!勿論!」
苦笑しているカミュの隣に並んで、はきゅっと表情を引き締めた。
「で、そのアジトはどこなの?」
「ここから割と近い。歩いて行ける距離だ。」
「そこに居るかな、皆・・・・・」
「さあ、それは行ってみん事にはな。」
恋の都を似つかわしくない程の険しい表情で並んで歩くカミュとに、行き交う人々は僅かに怪訝そうな顔をして見送ったが、二人はそんな事など気にも留めず、ズンズンと大通りを歩いて行った。
そこは入り組んだ裏路地に面した、古い小さなアパートだった。
ある一室のベランダでは、でっぷりと太って頭にカーラーを沢山つけた中年の女性が、ネグリジェ姿のまま仏頂面で洗濯物を干している。
そうかと思うと、エントランスから宅配ピザの配達員が忙しげに飛び出してきてスクーターで走り去り、その後を突然湧いたかのように幾人もの子供達がバタバタと駆けていく。
そんな風景を尻目にアパートへと踏み込み、聖域から持って来た合鍵で部屋を開けてみれば。
「・・・・・・誰も居ないわね。」
「ううむ・・・・・・、一足遅かったか。」
カミュとは、渋い顔を見合わせた。
「しかし、部屋を使った形跡はあるようだ。見ろ。」
「え、どれ?」
カミュに呼ばれ、は狭いキッチンのシンクを覗き込んだ。
食器の類は何もないが、シンクに水滴が残っている。
「水を出した跡だ。まだ残っているという事は、つい最近までここに居たという事だ。」
「そうよね。それも日にち単位じゃなくて・・・・・」
「時間単位で、な。」
互いに頷き合うと、二人は小さく息をついた。
「ね、どうするカミュ?」
「客観的に考えて、このパリに長居する事は奴等にとっても危険だろう。」
「ああ、警察の手が回るかもって事?」
「いいや、奴等は警察の手になど負えんタマだ。」
「確かに、ご尤も。」
「新聞に載った事も、遅かれ早かれそう遠くない内に知るだろう。それを見た私達が追って来るのも時間の問題だ。というか、もう来てしまったのだが。」
「あはは、早速来ちゃったもんね!でも・・・・、じゃあもう何処かへ行っちゃった後なのかな?」
「問題はそこなのだ。」
カミュは一際難しい顔をして、考え込むように一言一言を慎重に発した。
「連中がもうここを発ってしまった可能性も大いにあるが、かと言って奴等の行き先など、今の段階では検討がつかん。小宇宙も相変わらず感じられんしな。」
「どうしよう・・・・・、一旦聖域に戻る?」
「・・・・・いや、何の収穫も無しに戻ってみろ。それこそサガに何と言われるやら・・・・・」
「う゛・・・・・・」
「一か八かの賭けだ。もう少しここに居よう。今日一日待って戻って来なければ、もうここには帰らないと判断出来る。」
「そ、そうね!」
儚い望みに全てを賭けて、カミュとは再び部屋を出た。
裏路地のボロアパートのエントランス。
その中から外を伺うように寄り添って、一組のカップルが佇んでいる。
その二人とは、言うまでもなくカミュとだった。
「ここならあのアパートが良く見えるだろう。」
「そうね。直射日光も当たらないし、張り込みにはもってこいね。」
傍から見ればちょっと不思議な睦み方をしているカップルであるが、この二人、別にカップルでも何でも無い。
二人は真剣そのもので、黄金聖闘士達が例のアジトに現れるのを張り込んでいるのである。
通りすがりの人々に怪訝な目付きで見られようともめげず動じず、二人はひたすらに根気強く待ち続けた。
そうして二時間程も過ぎたであろうか。
「為替。」
「石鹸・・・・・、ハッ!?」
「あっ、『ん』って言った!はい、カミュの負け〜♪」」
「しまった!」
待てど暮らせど誰も現れない。
退屈の余り、二人は下らない世間話や挙句の果てにはしりとりなどを始めて、暇を潰すようになっていた。
目線だけは辛うじてアジトのあるアパートに固定しているが。
「あ〜面白かった!でもちょっと休憩しない?何回もしてたら飽きちゃった。」
「はは、そうだな。ところで今何時だ?・・・・・・・もう二時か。」
「えっ!もうそんな時間!?道理でお腹空いたと思ったわ!」
カミュの腕時計を覗き込んだは、思い出したように腹を押さえた。
何しろここを離れられず、フランスに着いてから何も食べていないのである。
「ねえカミュ、お腹空かない?」
「ああ、そこそこ普通に。だがここを離れる訳には・・・」
「私、ちょっと行って何か買って来るわ。それなら大丈夫でしょ?」
「しかし・・・・・、一人で平気か?それなら私が・・・・」
「平気平気!買い物ぐらい片言でもジェスチャーでも、どうにかなるもんよ。それに、もし私一人の時に何かあったら、私の足じゃ逃げられちゃうかも知れないし。ね?」
なるほど。もしも連中が現れたりすれば、確かに一人に任せているのは心許ない。
取り逃がすのはまだ良しとしても、変に追いかけて道に迷ってしまったら大変だ。
そう考えて、カミュは頷いた。
「・・・・・そうだな。ならば頼む。」
「OK。何が食べたい?」
「何でも良い。なるべくここから近い店で買うんだぞ。遠くへ行っては帰って来られなくなる。」
「ちょっと、子供扱いしないでよ〜!私そんなに信用無い?」
「いや、そういう訳では・・・・・!」
「あはは、うそうそ!じゃ、行って来るね〜♪美味しいクロワッサン買って来ようっと♪」
フランスと言えば、クロワッサンとカフェオレ。
そんな通り一遍の知識しかないは、御上りさんよろしくウキウキとエントランスの外に出た。
その時。
「カミュ!カミュ!!」
「どうした?買い物に行くのでは?」
「シッ、来たの!隠れて!!」
出て行って二秒程ですぐに戻って来たは、カミュを突き飛ばすようにして元のポジションに戻った。
「、来たとはまさか・・・・・・」
「そう、そのまさかよ。ちょっと外を覗いてみてよ。そ〜っとよ。」
「あ、ああ・・・・・」
の背中越しに外を覗き込んだカミュは、通りをノコノコと歩いている親友の姿を発見した。
「ミロ!?何をしてるんだ奴は!?」
「何か・・・・・、買い物帰りみたいね。」
「全く・・・・・、己の状況を分かってないのかあいつは!?」
「シッ、声が大きいわよ!でもまあ良いじゃない。これで捕まえられたも同然よ。カミュの判断は正しかったわね。やったじゃない!」
「まあ・・・・・、奴一人でも捕まえられれば・・・・・・」
照れたように口籠ったカミュは、気を取り直して咳払いを一つすると、に頷いてみせた。
『行くぞ』のサインである。
もすぐに理解して頷き返し、二人はタイミングを合わせて勢い良く外に飛び出した。
『ミロ!!!』
偶然にも呼びかけがハモった二人の声に、ミロはふいと振り返った。
そのまま逃げられるかも知れないが、そこはこの通りカミュがいる。
こんな至近距離にまで追い詰めたのだ。そう易々と取り逃がす事はない。
実際カミュは凄まじいスピードでミロとの間合いを詰め、その腕を掴もうと手を伸ばしていた。
だが。
「おお!カミュに!何だ、お前達も来たのか!」
逃げるどころか普段と何ら変わらない陽気な様子で、ミロは二人に笑いかけたのである。
「は????」
「ミロっ、お前!・・・・・逃げんのか???」
「逃げる?俺が?・・・・・まあ良い。とにかく上がれよ。今昼飯を調達してきたところなんだ。一緒にどうだ?」
そう言って、ミロは抱えていた大きな紙袋を軽く揺すってみせた。
それは良いとして、何故にこんなに普通なのか?
一犯罪犯して逃亡中なのではないのか?
頭上に山程『?』マークを浮かべつつ、カミュとは何となくミロについて行った。
再び足を踏み込んだ部屋は、確かに先程と同じ部屋だった。
その筈なのに、まるで違うように思える。
その理由は多分・・・・・
「おお〜、お前ら!良く来たな!」
「やあ、。こんな所で会えるなんて嬉しいよ。」
「まあ取り敢えず適当に座れ。」
先程まで無人だった筈の部屋に、いつの間にかデスマスクとアフロディーテとカノンが居て、にこやかに迎え入れてくれたからであろう。
取り敢えず言われるままに座ったは、狐につままれたような顔で何度も彼らの顔を見た。
「何で!?何でここに居るの!?」
「何でって・・・・・、私達はずっと居たが。」
「でもさっき私達、ここに入ったのよ!その時は皆居なかったじゃない!」
「ああ、それは・・・・・」
納得したように頷くと、カノンは人を食ったような笑みを浮かべた。
「お前達の気配がしたからな。ちょっと緊急脱出(テレポート)しただけだ。」
「何それ!?居たんならずっと居なさいよ!!コソコソ隠れちゃって・・・・!」
「まあそう怒るな、。カフェオレ飲まないか?」
「あっ、有難うミロ!」
ミロに差し出された紙の容器をニコニコと受け取ってしまったに溜息をついて、カミュは同胞達に向き直った。
「お前達、とにかく聖域に戻って貰うぞ。今すぐ。」
「カミュ、ここは君の故郷だろう。夏期休暇のつもりで少し位ゆっくりしていったらどうだ?」
「それはジョークのつもりか、アフロディーテ?私を休ませてくれるつもりだったなら、何故あんな事をしてくれた?お陰で聖域中大騒動、私とははるばるお前達を追いかけてパリくんだりまで出張だ。」
冷たく静かに響くカミュの声に、アフロディーテは肩を竦めてみせた。
「何もそんなに怒らなくても。」
「これを怒らずにどうしろというのだ?というか、私が怒る怒らないの問題では済まないだろう?」
「やだミロ、このカフェオレすっごく美味しい!」
「だろう?ここらで評判のカフェでテイクアウトして来たんだ。クロワッサンも食べないか?」
「きゃあ、食べる食べる♪」
「・・・・・、空腹のところ悪いが、仕事を忘れないでくれ;」
「あっ、ごめん!ついお腹空いてて・・・・・;」
我に返ったは、急いでクロワッサンの欠片をカフェオレで飲み下してしまうと、咳払いを一つして姿勢を正した。
「えっと、その・・・・・、とにかく帰ろう?皆待ってるの。聖域に戻ってちゃんと説明して。」
「何でだよ?説明って何をだ?」
「何って・・・・!新聞読んだから・・・・・!スイス銀行パリ支店の強盗殺人事件!知ってるでしょ!?皆があの犯人かも知れないって疑われてるんだよ!?」
「ほ〜う。」
の必死な様にも全く動じず、デスマスクは『ヂューッ!』とストローを吸った。
余りといえば余りにナメくさった態度である。
呆れる余り二の句が継げなくなったの代わりに、カミュは鋭い視線を容疑者達に投げ掛けた。
「まさか本当にお前達がやったのか?」
「あぁ?さ〜てな〜、どうだったかな。なぁカノン?」
「ああ。どうだったか。」
「ふざけるのもいい加減にしろ!」
珍しくカミュの一喝が飛んだ。
こんなに声を荒げるカミュは至って珍しい。
一同は一瞬目を丸くしたが、やがて不敵な笑みを浮かべてカミュを見た。
「なあカミュ、ふざけてるのはどっちだと思う?」
「何がだ!?」
「人間、生きる為には多少なりとも金が必要だ。お前もそうだろう?」
「それがどうした!?」
「それが無かったら、俺達はどうやって生きていくんだ?」
デスマスク、カノン、ミロに畳み掛けられたカミュは一瞬言葉に詰まると、何事かに気付いたようにハッと顔色を変えた。
「まさかお前達・・・・・・、そんなに金に困ってたのか!?」
「それにしたって100万ユーロよ!?多少どころの話じゃないじゃない!!」
100万ユーロ、日本円にして約一億3千5百万円。
四人で山分けしても、一人あたま約3375万円。
かなり大それた金額である。
だが、ビビり慄くと呆然とするカミュに向かって、デスマスクはニヤリと口の端を吊り上げた。
「どうだ?お前らもここに居ねぇか?執務なんてかったるくてやってらんねぇだろ?」
「なっ・・・・!そこまで落ちたか、蟹!!聖闘士の誇りはどうした!?」
「カミュ、誇りじゃ飯は食えんぞ。」
「カノン、お前まで・・・・・!」
「俺は聖闘士の誇りまでは捨てていないが、やはり金が無いと生きてはいけん。」
「それで銀行強盗に及んでいるのなら、ミロ、お前も立派に聖闘士失格だ!」
目に見えて熱く燃え滾るカミュに、デスマスクは最後通告を行った。
「どうあっても俺達とやり合う気か?」
「首を縄で締め殺してでも連れ帰る。」
「それを言うなら『首に縄をかけてでも』だろう?そうか・・・・、そりゃ残念だ・・・・」
意味深に黙り込んだデスマスクは、不意にの手から食べかけのクロワッサンを奪った。
ついでに本人も。
「ちょっ・・・・、デス!?」
肩をがっちりと抱かれたは、狼狽してデスマスクを見た。
が、デスマスクは飄々と取り上げたクロワッサンを一口で食べきり、こう言い放ったのである。
「分かった。ならやって貰おうじゃねえか。尤も、を人質に取られてもやれるんならな。」
「ひとじち??」
人質。
要求実現や自身の安全のために、脅迫手段として拘束しておく人。(「大辞林 第二版」より )
「え・・・、えぇーーーッ!?!?!?」
狭いアパートの一室に、驚愕した人質の叫び声が轟いた。