夢の貌 ― ゆめのかたち ― 22




1993年12月1日。
この日遂に、東城会直系嶋野組傘下・真島組が旗揚げされた。
拠点事務所は神室町内のとある雑居ビルの一室、構成員の数は組長を入れて10人少々という規模だが、ひとまずは上々の滑り出しだった。
折しも時期は年末年始で、その事を報告するのに丁度うってつけの手段があった。年賀状である。
少人数の三次団体ではあるが、その事を報告する先は数多くあり、真島はその年、人生初という枚数の年賀状を出す事となった。だが、組もシノギも関係無い、完全なプライベートでの相手はたった2人、勝矢とだけだった。
そしてその内、返事が返って来たのは勝矢からだけだった。
印刷の年賀状に手書きで書き添えられていたメッセージは、真島組旗揚げに対する祝辞と、自分の所も今はまだ色々と落ち着いていないが、そのうち落ち着いたら必ず祝いに行くという内容で、私生活に関する事は何も書かれていなかった。
離婚の事は、組の旗揚げが正式に決まった後すぐに、その報せも兼ねて電話で報告していたのだが、その時も含めて勝矢は一切詮索するような事は言わなかった。だから真島も大体の顛末だけを告げたきり、それ以上には何も語らなかった。
からの返事は元々期待していなかったから、無くても気にはならなかった。
年賀状を送って現在の連絡先を伝えたのも、男としての責任を果たす為であって、それ以外の事など何も考えてはいなかった。
そう、遂に悲願達成して組長となった今の真島には、期待するだけ無駄な事を考えている暇など無かった。今の真島の頭にあるのは、ようやく立ち上げる事が出来た己の組をこれから如何にして大きく育てていくか、その事だけだった。

実際、己の組の切り盛りというのは、以前嶋野が言っていた通り、なかなか難儀な仕事だった。
事務所のテナントを借り、設備や備品を買い揃え、方々への挨拶回りに付き合いにと、旗揚げ早々まるで羽根でも生えたかのように金がバッサバッサと豪快に飛んで行った上に、自分ばかりか組員十数人やその家族の生活までもが、たちまちズシリと圧し掛かってくる。
それにその組員共も、決して見込みのある奴ばかりではなかった。
その筋に轟き渡っている組長の二つ名をかさに着て、虎の威を借る狐の如く情けない真似をする奴、目先の金欲しさに、ご法度だときつく言い渡してあるシャブのシノギに手を出そうとした奴、人を見る目もろくろく無いくせに、幹部気取りで話にならないカスを組に引き込んで来る奴、などなど。そんなアホ共を躾けるのも、なかなか骨の折れる作業だった。
良くも悪くも色んな性分の連中を一纏めにして面倒を見ながら、がむしゃらに金を稼ぐ日々は、蒼天堀で『夜の帝王』と呼ばれていた頃に何処となく似ていた。
忌々しくも懐かしいあの日々に似た毎日を忙しく送っている内に、一月、二月と月日が経ち、組員の数もじわじわと増えていった。

そして気が付けば、真島組設立から早くも1年が経っていた。




「親父、お客人がお見えです。」

社長室のドアを開けた若衆の後ろに立っている、パリッとした紺色のスーツを着た男の姿がチラリと見えて、真島は社長椅子から飛び跳ねるようにして立ち上がり、いそいそと出迎えに行った。


「勝っちゃーん!待っとったでぇー!えらい久しぶりやのう!」
「真島さん!ご無沙汰してました!」

待ちかねていた客人・勝矢直樹との対面にはしゃぎかけたのも束の間、勝矢の後ろに男が一人付き従っている事に気付いて、真島は表情を引き締めた。
五十がらみの極道者で、何処かで見掛けた事のあるような、見覚えのある顔だった。
誰だったかと考えていると、男は勝矢の後ろから一歩前に出て来て、真島に向かって丁寧に頭を下げた。


「五代目近江連合直参勝矢組組長代行の、武田と申します。」
「アンタは、確か・・・・」

その名を聞いて、真島は思い出した。
確か3年前の夏、大阪・キタの街で遭遇した男だった。


「お話は色々と伺っとります。真島はんにはうちの若がひとかたならぬお世話になりまして、誠に有り難うございました。えらい遅うなりましたが、今日は是非一言お礼をと思い、付いて参りました。
本来なら、若の父親であるうちの組長がご挨拶に来るべきところやったんですが、生憎ずっと闘病中やった上に、今年の2月に他界いたしまして、代わりに組長代行のわしが来させてもろた次第です。」
「そうでっか、それはご愁傷様でした・・・・。」

勝矢の父親が心疾患で入院していたというのは去年の電話で聞いていたが、亡くなった事までは知らなかった。
真島が頭を下げると、武田も神妙な顔つきで会釈を返してから、周囲をチラリと見回して、不敵な笑みを薄く浮かべた。


「それと、この度は真島組の旗揚げ、誠におめでとうございます。
立場上はおめでとう言うたらあきまへんねんけど、今回だけ、本家には内緒という事で。ほんの気持ちばかりですが、どうぞお納め下さい。」

差し出された豪華な祝儀袋は、思わず戸惑う位の厚みがあった。


「いや、困りますわ武田はん!そちらの組長さんへのお悔やみもしてまへんのに、こんな大層な事して貰ろたら・・・!」
「組長の事は、こちらがお報せしてへんかっただけです。どうぞお構いなく。」
「そうですよ真島さん、気にせずにどうか受け取って下さい。それには俺の『借り』の分も入ってるんです。ちゃんと返させて下さい、お願いします。」

そう言えば、大阪へ旅立つ直前、勝矢は一方的にそんな約束を取り付けていったが、2倍、いや、3倍返しぐらいはあるだろうか?
ホワイトデーかっちゅーねん、というツッコミを内心で入れながらも、二人がかりで頭を下げられてはこれ以上固辞も出来ず、真島は恐縮しながらそれを受け取った。


「ほな、遠慮のう・・・・。ご丁寧に有り難うございます。」
「アンタ若いのに今時珍しい、仁義があって懐の深いええ極道や。あんさんが頭やったら、この組はきっと大きゅうなるやろ。陰ながら楽しみにしてまっせ。」

武田は真島の肩をポンポンと叩くと、一仕事終えた後のような、清々しそうな笑みを見せた。


「ほな、わしはこれで!」
「どこ行きはるんでっか?」
「東京なんか滅多に来ぇへんさかい、折角やからちょっと観光でもしてきまっさ。お二人の積もる話の邪魔しても何ですしなぁ。ほな若、また後ほど。」
「はい。道に迷わないように気を付けて下さいね。」
「分かっとりま!とっしょり扱いせんとって下さい!」

武田が意気揚々と出て行くと、真島は何となく、勝矢と顔を見合わせて笑った。


「まぁ、ほな、積もる話も色々あるよってに、取り敢えず座れや、な!」
「はい!」

こうして勝矢に会うのは、実に久しぶりだった。
勝矢の芸能事務所・大阪芸能の設立に当たっての地元極道達との会合の時以来だから、1年半以上、いや、2年近く経とうか。
だが、真島に笑いかける勝矢の顔は、以前と何も変わっていなかった。














「身体の具合はどないや?」

二人分のコーヒーが運ばれてきて応接セットのソファに腰を落ち着けると、真島は開口一番それを訊いた。


「ええ、もうすっかり完治しました!でも療養中に大分筋肉が落ちちまったんで、今はボチボチ出来る範囲でトレーニングしています。」

確かに少し痩せたようには見えるが、顔色も肌ツヤも良いし、もう杖もつかずに元通り歩けている。本人の言う通り、怪我はひとまず完治したと見て間違いなさそうだった。


「そりゃあ何よりや。そやけど、親父さんは気の毒やったな。もっと早よ言うてくれたら良かったのに、水臭いやんけ。」
「すみません、ありがとうございます。でもほら、一応敵対組織ですから。」

勝矢はそう答えて、冗談めかして笑った。


「俺が大阪へ帰って少ししてから手術して、一度は回復して退院出来たんですけどね。今年に入った途端にまた具合が悪くなって再入院して、そのまま2月に。」
「そうか・・・・・」
「俳優を引退する事になったのは辛かったけど、今となっちゃあ、これも何かの巡り合わせだったのかなと思っています。怪我していなかったら、俺はきっと今でもアメリカで俳優をやっていて、親父を看取る事が出来なかったから。」
「勝っちゃん・・・・」
「親子ったって、ただ血が繋がってるってだけで殆ど他人同士みたいな間柄でしたけど、不思議なもんですね。もう二度と会えないんだと思うと、何となく寂しい気もするし、ちょっとぐらい息子らしい事してやりゃあ良かったなんて、後悔みたいな気持ちも湧いてくる。」

微笑む勝矢の、少し寂しそうな眼差しを前に、真島は掛けるべき言葉を心の中で探した。しかしそれがなかなか思いつかずに困っていると、勝矢は真島の返答を待たずして、不意に立ち上がった。


「実はね、今日は真島さんに見て貰いたいものがあるんです。」
「な、何やねん?」

藪から棒に何だと思っていると、勝矢は突然、その場で服を脱ぎ始めた。
スーツの上着、ネクタイ、ワイシャツ、タンクトップ、それらが次々とソファの背もたれに重ねられていくのを、真島は只々唖然と見ていた。その行為の意味が全く理解出来なかったのだ。
だがそれは、上半身裸になった勝矢が背中を向けた瞬間に分かった。


「勝っちゃん、お前それ・・・・・!」

勝矢の逞しい背中には、優雅に羽根を広げた端麗な鶴の姿が彫り込まれていた。


「俺、親父の跡を継ぐ事にしました。」

また正面を向いた勝矢は、驚いている真島に真剣な表情でそう告げると、おもむろに傍らの大きな風呂敷包みを応接テーブルの上に乗せた。
手土産として差し出される訳でもなく、只ずっと勝矢が大事そうに持っていたので、気付いていないふりを決め込んでいたのだが、一体何なのだろうか?真島は密かに固唾を飲んで、勝矢が風呂敷を解くのを見守った。
やがて出てきたのは、桐箱に入った一升瓶の日本酒と、同じく小さな桐箱に入った白い盃だった。


「そこでお願いがあるんです。俺と兄弟盃を交わして貰えませんか?」
「な、何やて!?」
「何分の盃でも構いません。どうか俺の『兄貴』になって下さい。」

深々と頭を下げる勝矢と、テーブルの上の物とを交互に見て、真島は暫し思いを馳せた。
もう随分昔の事だ。お互い下っ端のドチンピラで、とにかく金が無かった。
だから、こんな高級な酒と盃など用意出来る訳もなく、酒屋で一番安かった酒と、笹井組から借りてきた使い古しの盃だった。
だがそれでも、結ばれた絆は何よりも貴かった。
一つしかない己の命を、互いに預け合ったのだから。


「・・・・・すまん、勝っちゃん。それは出来ん。」

一つしかない己の命は、既にあの男に預けてある。
預けられるものがもう何も無いのだから、勝矢と盃を交わす事は、真島には出来なかった。


「どうしてですか?代紋違いなら百も承知しています。決してご迷惑は掛けません。」
「そういう事やない。たとえ同じ東城会の奴やろうと、俺は生涯誰とも兄弟盃を交わす気は無いねん。俺の『兄弟』はたった一人だけなんや。」

惚れ込んだ漢なら他にも何人かいた。喧嘩の強さも心の強さも、甲乙つけ難い奴ばかりだ。
しかし、あの男と同じだけの絆を結べる奴は、他にはいない。
あの男と過ごした時間は、他の誰かとは決して再現出来ない。
たとえどれ程強かろうと、真島の中であの男と同等になれる奴は、誰一人としていなかった。


「真島さんが昔裏切って、今は刑務所にいるという人の事ですか?」

話した覚えの無いそれを勝矢が知っている事に、真島は一瞬驚いた。
だが、誰から聞いたのかは、考えればすぐに思い当たった。


「もう随分前ですけど、さんから少しだけ聞きました。真島さんはその人に償う為に、自分の組を持って極道の世界でのし上がっていこうとしているんでしょう?
だけどさんは、それは裏切りなんかじゃなかったと言っていましたよ。どうしようもなかった、真島さん自身、生きるか死ぬかの目に遭ったんだって。その人と一体何があったんです?」

礼を尽くして是非にと乞われた盃を受け取らないばかりか、その理由まで何一つ明かさずにいるというのは、ここまでの気持ちを示してくれている勝矢に対して失礼だった。


「・・・・もう、10年近く前の事や。あいつの組の為に、あいつと組んで、ある敵対組織の頭を殺るっちゅう計画があったんや。
そやけど俺はあいつとの待ち合わせ場所へ行かず、あいつは単独で計画を実行して、18人もの極道を殺した。ほんでそのまますぐに自首して、死刑判決まですんなり受け入れよった・・・・。」
「その時、真島さんはどうして行かなかったんですか?」
「上がいきなり、この計画は多分あいつの親と敵方の裏切り者が手ェ組んで仕組んだもんやて言い出してな、俺だけが土壇場で足止め喰らったんや。
それに逆ろうて暴れたら、この左目抉られて、『穴倉』っちゅう処にぶち込まれた。ほんでそこで拷問されとったんや、それから1年間な。」

それを聞くと、勝矢は戦慄したように、僅かに目を見開いた。


「そやけど、そんなもんは全部只の言い訳や。結果は一つ。あん時俺があの場へ行かんかった為に、あいつは二人で背負う筈やった罪を一人で背負て、死刑囚になった。それだけや。」

つまらない言い訳を並べ立てる己が無様で、真島は乾いた笑いを洩らした。
左目を失い、生きるか死ぬかの拷問に永い間苦しんだ、だから何だというのだろう。
現に己は今、ここでこうして生きている。
美味い物を好きなだけ飲み食いし、煙草を吸い、遊びに興じて、己の組まで持って、のうのうと人生を謳歌している。
命を失う危険は無きにしもあらずな稼業だが、もしもそれが現実のものとなっても、抗う術や逃げる余地はある。
だが、あの男は違う。
味気ない臭い飯を恩着せがましく施され、何の娯楽も無く、高い地位に就くどころか、事件とは完全に無関係な妹までもが『死刑囚の身内』という汚名を着せられて世間から白い目で見られ、何処かへと行方をくらませてしまう事になって。
雁字搦めに縛られて抗う力を徹底的に封じられ、逃げ場の無い狭苦しい檻の中に囚われて、いつ訪れるとも知れない最期の時を、今か今かと怯えて待つ事しか出来ないのだ。
それを思えば、己の受けた苦しみなど、たかが知れたもの。
それを思えば、己の事情など、全て只の言い訳にしかならなかった。


「あいつはもう、そうは思てへんやろうが、俺にとって『兄弟』と呼べる男はあいつだけ、冴島大河ただ一人なんや。」

それでもあの男との、冴島との絆が断ち切れてしまったとは思いたくなかった。
向こうはそのつもりだとしても、たとえ己一人の心の内だけでも、それを繋ぎ留めていたかった。


「・・・・やっぱりな。多分断られるだろうなと思っていたんです。」

真島の返答を聞いた勝矢は、ただ穏やかに微笑んだだけだった。


「でも、俺の心の中で『兄貴』と思う位は許してくれますよね?
俺もこの道に入ったからには、これから誰かと盃を交わしていく事になるでしょうが、たとえ盃を交わしていなくても、真島さんは俺の一番上の、一番大事な兄貴分です。そう思っていても良いですよね?」

勝矢との友情も、真島にとっては得難い宝だった。
それを失くす事も密かに覚悟していただけに、ここまで想って貰えるのは感無量だった。
それにそもそも、良いのかと訊きたいのは真島の方だった。
喧嘩が嫌いで気が優しくて、光の当たる明るい道を真っ正直に歩いてきた男なのに、よりにもよって極道の道に足を踏み入れるなんて、背中の見事な彫り物を見せられてもまだ信じられない。
この世界は一度足を踏み入れたら最後、若気の至りだの一時の気の迷いだの、それこそそんな言い訳なんかで簡単に引き返せる世界ではないのに。


「お前こそ、それでええんか?大の喧嘩嫌いのくせしてからに、こんな血生臭い世界に入って、ホンマにそれで後悔せぇへんのか?」
「後悔も何も、もう完全に手遅れですよ。」

心配する真島をよそに、勝矢は肩越しに自分の背中を親指で指し示して笑った。


「今の俺は、五代目近江連合直参勝矢組の若頭兼、逢坂興業の専務取締役です。今年の10月、この刺青が完成してすぐに就任しました。
今は武田の叔父貴が組長代行と逢坂興業の会長を務めてくれていますが、5年後、叔父貴が還暦を迎える時に会長職を継いで、正式に組長を襲名する予定になっています。」
「何やて!?そんなんお前、大丈夫なんかいな!?」
「大丈夫、とは言えませんね、残念ながら。」

勝矢は服を着直しながら、平然とそう答えた。


「一定数の反発はあります。殆どは俺とお袋が出て行った後から入って来た、俺の事を知らない奴らです。
幾ら親父の一人息子だからって、27歳で今から極道デビューしますなんてナメた事言ってる我儘ボンボンに頭なんか下げれるかって盃返してきたのが、もう既に何人かいますよ。下手したら命だって狙われるかも知れませんね、ははは。」
「はははってお前・・・・!」
「でも俺は負けませんよ。やると決めた以上はやります。」

勇ましいその決意は結構な事だが、しかしそれは勝矢の本意ではない筈だった。
アクション俳優として自身がスターになる夢は破れてしまったが、勝矢にはまた新たな夢があるのだ。
幾ら親孝行の為だとしても、折角追い始めたばかりのそれを、むざむざ諦めてしまう気なのだろうか?それが真島にはどうしても気になった。


「何でやねん?大阪芸能、去年の秋に立ち上げたとこやんけ。ホンマはあの仕事に専念したかったんとちゃうんか?
それに、こんなん言うたら何やけど、親父さんの事かてあんなに嫌っとったのに。」
「うーん・・・・、だからこそ、ですかね。」
「あん?」
「俺の気持ちは何も変わっちゃいませんよ。俺の夢を託せるスターを育てていきたいし、実際にもう育てていってる。
だけど、それをするにはやっぱり資金が必要なんです。まぁぶっちゃけて言うと、資金繰りが苦しいんですよ。」

勝矢はネクタイを結びながら、至って呑気に笑った。


「谷岡さんにも色々と協力して貰ってますけど、限度がありますから、幾らでもって訳にはお互いいきませんし。
でも、折角作った事務所を畳みたくはない。真島さんにもあんなに尽力して貰ったし、何よりあの事務所は、俺の大事な『夢』ですから。」

上着のボタンを留め終わると、勝矢はまた元の通り、真島の差し向かいに腰を下ろした。


「だからその存続の為に、どうしても金が必要なんです。親父の組と会社を継げば、回せる金がぐっと増える。
確かにクソみたいな親父でしたけど、だからと言って、好き勝手する為の金だけ寄越せというのは筋が通りませんからね。
だから、何が何でも跡を継ぎます。今は我儘ボンボンなんて陰口叩かれてますけど、上等ですよ。この5年の間に必ず結果を出して、俺に従わせてやります。」

勝矢はらしくもない不敵な笑みを浮かべると、おもむろに上着の内ポケットから煙草とライターを取り出し、慣れた様子で一服を始めた。
煙草は体力が落ちるからと吸わなかった筈なのに、一体いつから吸い始めたのだろうか?
それにこの、全くもって勝矢らしからぬ不敵な台詞と笑み。
それらもまた、真島を唖然とさせた。


「な、何や、お前いつの間に煙草吸うようになってん・・・・?」
「極道になってからです。まぁでも、幾ら現役引退したとはいえ、あんまり体力落ちると嫌なんで、本数は少なくしてるんですけどね。」
「ほ、ほ〜ん・・・・」
「煙草はやりませんなんて生真面目な事言ってたら、俺に反発してる連中から益々ナメられるんで。ホントつまんない事ですけど、こういう所からもがっつりシメていかなきゃいけないんですよ。」
「は〜・・・、なるほど・・・・・」

何となく納得して、釣られて自分も一服し始めた途端、何だかやけに可笑しくなって、真島は思わず吹き出した。


「何や勝っちゃん、えらいキャラ変わったやんけ、ひひひっ。」
「大事な夢の為ですからね。それに、大事な約束も出来たし。」

それに対して、勝矢も笑いながらそう答えた。


「大事な約束?」
「口止めされてたんですけど、やっぱり言います。言わないでくれとは言っていましたけど、でも多分、本当は言って欲しいんだと思うので。」
「な、何や?何の事や?」

何やら含みのある言い方に戸惑ったのも、ほんの一瞬の事だった。


「先月、久しぶりに美麗ちゃんと会いました。」

久しぶりに聞いたその名前が、真島の心を細い針のように刺した。


「直接会ったのは本当に久しぶりだったんですけど、電話でのやり取りは時々してたんです。今だから言いますけど、実は離婚の事も、真島さんより先に彼女から聞かされていました。」

道理で何も詮索しなかった訳だ。そういう事ならきっと、何もかも知っているのだろう。激怒した自分が美麗に手を上げた事までも。
美麗と過ごしていた頃の、何から何まで血迷っていた愚かな自分を思い出してバツが悪くなり、真島は微かに苦笑いを洩らした。


「・・・・ほな、詳しい事も全部知っとるっちゅう訳やな。」
「ええ、真島さんよりもね。」

勝矢が一瞬浮かべた笑みが、何となく挑戦的に見えた。
それは多分気のせいだった。勝矢はそんな悪意がある男ではない。
が、もし仮に気のせいではなかったとしても、受けて立つ気は無かった。
勝矢が美麗とこの先どう関わっていこうが、自分はもう二度とあの女には会わない、関わらない。1年前に別れた時に、そう決めたのだから。


「彼女とはあれから全く連絡取ってないんでしょう?」
「ああ。俺はもう二度とあの女に会う気は無い。連絡も取らん。金輪際な。」
「だとしても、流石に気付いてはいるでしょう?彼女がもう全く出てない事。実は彼女も芸能界を引退したんですよ。報道は一切されませんでしたけど。」

別れてから以降、美麗の事は全く気に留めてこなかったが、それでも流石にそれ位は気付いていた。何しろ、あれだけゴリ押しに売り出されていたアイドルだったのだ。それが突然消えてしまった事ぐらい、誰でも気が付く事だった。
そして1年経った今、『REMI』は世間から完全に忘れ去られていた。
そんなアイドルがいた事自体、まるで夢幻だったかのように。


「・・・・いつや?」
「去年の10月です。事務所をクビになって部屋を追い出されただけで、幸い、違約金の請求まではされませんでしたけどね。」

ただ一つ、少しだけ引っ掛かっていたのは、美麗が芸能界から消えてしまったその理由だった。
あれだけの事をしでかしてでも必死にしがみ付こうとしていたのに、どうしてそこから姿を消したのか。それがクビになったせいだというのなら、何故そうなったのか。
どうしてもと乞うつもりは無いが、勝矢が知っていて話してくれるというのなら、聞いておく気は一応あった。


「離婚してすぐ、彼女は仕事中に倒れて救急搬送されました。
術後の体調不良を薬で誤魔化しながら、一日も休む事なく、仕事とレッスンのハードスケジュールをこなし続けていたそうです。
それで中絶手術を受けていた事が知れて、そこから芋づる式に何もかもが事務所にバレた。結婚と離婚をしていた事も、戸籍や本名や家庭環境を偽っていた事も、それから、複数の相手と枕営業を繰り返していた事も。」
「・・・・それで?どないなったんや?」
「吊るし上げられたのは美麗ちゃん一人でした。枕営業の事は何も追及されず、そのままうやむやになったそうです。」

それは至極当然の、妥当な結果だった。
夜の世界だとて、それで客を糾弾するような事はしない。そんな事をしたって、店が何か得をするどころか、客の機嫌を損ねて売上が下がるという損を被るだけなのだから。
店外での事に店は関与しない。それはあくまで女と相手、双方納得ずくでの私的な関係と見なされる為、何かトラブルが起きた時、割を食うのは女だけ。痛い目に遭って泣きを見たところで、守って貰えるどころか、誰からも同情さえして貰えないのだ。


「・・・ま、そうなるやろな。」

真島は紫煙を吐き出しながら、薄く笑った。


「最初から重大な契約違反をしていた上に、バカでかいスキャンダルまで抱えてしまった彼女は、事務所に見限られ、どんどん仕事を切られていって、瞬く間に干されてしまいました。
その一連の出来事を彼女が報せてきたのは、去年の夏の終わり頃でした。
俺が大阪へ移ってから全く連絡を取り合ってなかったのに、突然電話が掛かってきたと思ったら、次から次へとそんな話を聞かされて、もう吃驚ですよ。驚きすぎて何も言えませんでした。」

その頃なら確かに、真島が連絡した時よりも一足先と言える時期だった。
大事な大事な夢を失った辛さに耐えきれず、縋りつけるものを求めて勝矢を頼っていったのだろう。勝矢に先を越されて置いて行かれた寂しさに耐えきれず、自分に縋りついてきた時のように。そう思うと、苦い後悔がまた、真島の胸の内にじわりと広がった。
あの時、己が寂しさに負けてさえいなければ、今頃もしかしたら・・・・。
そんなばかみたいな妄想が、ほんの一瞬、真島の頭を過ぎった。


「その時は俺も、親父が退院するかしないかって時で、事務所は設立直前、仕事もどれもてんやわんやで、彼女の話を聞く以外の事は何も出来ませんでした。
・・・・なんて、それは言い訳ですね。出来なかったんじゃなくて、しなかったんです。彼女の話を聞いて、自分の気持ちをどう処理すれば良いのか分からなくて、話を聞く以上の事が出来なかった。
本当ならすぐに飛んで行ってあげるべきだったし、きっと彼女もそれを期待してたんだろうけど、何かあったらまたいつでも電話してくれとしか言えなかった。
傷付いた彼女に寄り添ってあげたい気持ちが無かった訳じゃないけど、同時に、彼女の事を受け止めきれないという思いもどこかにあったんです。」

自嘲めいた笑みを薄らと浮かべている勝矢に、真島は内心驚いた。
勝矢ならきっと、泣きついてきた美麗をすぐさま優しく受け止めてやったのだろうとばかり思っていたから、たとえやんわりとはいえ、突き放したとは意外だった。


「それを彼女も何となく察したんでしょうね。それからまた暫く電話が途絶えていました。
次に掛かってきたのは、11月に入ってからでした。事務所をクビになって芸能界を引退して、引っ越ししたという報せでした。でも、ざっくりとした居所と近況は教えてくれても、詳しい事は何も教えてくれなかった。
その後も、ただ偶に電話を掛けてきて、その時々の近況を報告してくれるだけでした。だから俺も、同じように自分の近況報告をするだけでした。
それが1年ぐらい続いて、こないだようやく会おうという事になって。それで、彼女に会いに行って来たんです。」

美麗に対する気持ちは、今も変わっていなかった。
美麗とはもう二度と会う気は無いし、金輪際関わる事も無い。
だがそれでも、こんな話を聞かされると多少は気になった。
自業自得とはいえ、何よりも大事な『夢』を失った彼女が、今何処でどのようにして生きているのか。


「・・・・元気にしとんのか?」
「ええ、元気ですよ。でも・・・」
「でも?」
「・・・・彼女は、もう二度と子供が出来ない身体になっていました。」

真島は思わず言葉を失い、呆然と勝矢を見た。


「去年の秋口に、経過観察の為の診察を受けた病院でそう言われたそうです。中絶した時に出来た酷い傷が原因で、そうなってしまったとか。」
「酷い傷・・・・?」
「彼女が手術を受けた所は、普通の病院じゃなかったんです。」

今更ながらに初めて知ったその事実に、真島は衝撃を受けずにはいられなかった。
しかし、『普通じゃない病院』というもの自体には、商売柄、心当たりがあった。


「闇医者か・・・・!?」
「ええ。表向きは絶対にそれだと分からないそうで、金額は法外だけど、何も聞かず、秘密厳守で、患者、いえ、『客』の要望を何でも聞いてくれる所だそうです。それがたとえ法に触れる事や人道に反する事であってもね。
アイドルとして有名になって、分刻みのスケジュールに追われていた彼女は、自分の身体に負うリスクよりも、世間にバレない事と時間の方を重視した。だからそこで、リスクを承知で無茶な手術を受けたんだそうです。」

真島の心の中に、美麗に対する軽蔑の念と共に、憐れみまでもが湧いてきた。
受けた報いの重さに対してではない。
そこまでして夢を追い求めていた事が、只々憐れに思えたのだ。
美麗の『夢』は、愛を与えてくれなかった周りへの復讐心と自己顕示欲、つまり、愛を渇望する彼女の心が生んだ『欲望』だったのだから。


「・・・・馬鹿な女や・・・・」
「ええ。全く同感ですよ。」

思わず洩れた真島の心の呟きに、勝矢は淡々と同調した。


「彼女はそこまでしてでもアイドルを続けたかった。でも結果として、その考えと決断が彼女のアイドル生命を断ち、夢を潰す事になってしまった。馬鹿ですよ、本当に。」
「・・・・今、どないしてるんや?」
「今は、東京でも大阪でもない、とある街のキャバクラで働いています。
一人部屋の寮もあって、なかなか快適みたいですよ。俺に会う気になったのも、ひとまずそこでの目標を達成したからだったそうで。」
「ひとまずの目標?」
「店のNo.1になる事です。」

もう呆れて笑うしかなかった。
何があろうが、あの女の性根は変わらないという事だ。
それはきっと勝矢も分かっているのだろう。釣られて吹き出した勝矢は、そう思わせるような、何処か諦めたような表情をしていた。


「資金を作るんだそうですよ。」
「資金?」
「彼女も俺と同じ事を考えているんですよ。志半ばで潰えた夢を継いでくれる者を育てたい・・・、彼女も自分の芸能プロダクションを作りたいと考えているんです。」
「・・・・そうか・・・・」
「だから、彼女と約束したんです。お互い必ず自分の芸能プロダクションを作ろうと。それで、未来のスターを続々と発掘して、育てていこうと。」

勝矢はまっすぐに真島を見据えた。
敵意も嫉妬も、歪んだ感情は一切何も無い、実直で強い眼差しだった。
それを見ていると、不思議と、二人が見始めたその新しい『夢』を応援したいという気になった。
別に何らかの協力をしようという訳ではない。目に見える形に表す事はきっと無い。
だが、いつかそれが叶うと良い、心の中でそう思う事ぐらいはしてやりたくなった。


「俺達は俺達のやり方で、それぞれの夢を叶えていきます。だから真島さんも、真島さんの夢を叶えて下さい。」
「俺の夢?」

真島は一瞬面食らってから、斜に構えて笑った。
己のそれは、『欲望』よりもまだ一層厄介なものだし、叶う日もまだまだ遠い。
ただ、その為に必要なものはようやく手に入ったから、その点から考えれば、一応は夢が叶ったと言える状態ではあった。


「俺の夢は見ての通り、それこそひとまず叶ったで。」
「組の事じゃなくて、さんの事です。」

しかし、その名を聞いた瞬間、真島の作り笑いは一瞬でかき消えた。


「失っちゃ駄目です、さんを。あんなに深く愛し合っていたんですから。」
「・・・・そんなん、もう昔の事や。」
「そんな事ありませんよ。少なくとも真島さんは、さんの事をまだ愛している。別れた後もずっと、美麗ちゃんと結婚しても離婚しても、ずっと。そうだったんでしょう?」

だから何だというのだろう?
深く傷付いたの心はもう、とうに変わってしまっている。
そんな簡単な事が分からない筈はないのに、勝矢はどうしてそんな傷口を抉るような事を押しつけがましく言うのだろう。


「言えば良いじゃないですか。連絡はつくんでしょう?さんに会って、自分の正直な気持ちを全部言えば良いじゃないですか。」
「アホ抜かせ。そんなん出来るかい。」

いとも容易く傷口を抉ってくれる勝矢に思わず腹を立て、真島は憮然とそう言い返した。
たとえ美麗の事で何かしらの仕返しをしたかったのだとしても、これだけは甘んじて受けようという気にはなれなかった。


「どうしてですか?」
「なんぼグダグダ言い訳を連ねたところで、向こうからしたら、別れた途端に俺が他の女とほいほい結婚したっちゅう事実は変わらんねん。そんなんしたって、みっとものうて見苦しいだけや。」

との事はもう、己自身で掘り返す事さえもしたくなかった。
猛に対する責任だけを粛々と果たして、あとは全てを遠い記憶として心の底に閉じ込めてあるのだ。
だから、たとえ大事な弟分だとしても、その事には触れて欲しくなかった。せめてものささやかな仕返しのつもりにしろ、純粋な優しさから出た只のお節介にしろ。


「お前らはお前らの思た通り、好きにしたらええ。同じ夢でも何でも叶えたらええ。
そやけど、悪いが俺には関係無い事や。逆に俺の事も、お前らには関係無い。
何のつもりか知らんが、余計な口出しは無用やで。」
「格好良いですね。だけど自分勝手だ。」

しかし勝矢は些かも怯まず、真島を厳しく見据えた。


「あん?」
「みっともない、見苦しい、それは全部自分の気持ちでしょう?自分がさんにそう思われるのが嫌なだけだ。
さんは、真島さんの言い訳を聞きたい筈ですよ。
さんは、たとえ別れて一人で子供を育てていく事になろうと、真島さんの邪魔をしたくないと思う程、真島さんの事を愛してた。それだけの強い愛情は、そう簡単には消えて無くなりません。
たとえ恨みや憎しみに変わっていたとしても、どうしてそうなってしまったのか、その理由は絶対に知りたがっている筈だ。
だって、もし立場が逆なら納得出来ますか?
何一つ理由を聞かずに、さんは自分を裏切ったと100%憎めますか?」

勝矢のその言い分に、真島はハッと胸を突かれた。
それは仮定の話ではない、かつて実際にあった事だった。


― は俺の女だ。あの娘は自分から俺の前で服を脱いだんだぜ。


突然引き裂かれ、佐川から一方的に告げられたあの衝撃の言葉。
狡猾な佐川の嘘だ、作戦だと、必死に思い込もうとした。はそんな裏切りをする女じゃないと。本人の口から直接聞くまでは、絶対にを諦めないと。
そして、それが結果として本当だったと知った後も、を裏切り者と憎む気になどなれなかった。
ほんの束の間だったけれども、深く、強く、愛し合っていた記憶は、勝矢の言う通り、そう簡単に消えて無くなりはしなかったのだ。


「見苦しくたって格好悪くたって、真島さんは言い訳しなきゃいけないんです。お二人の為だけじゃなくて、猛君の為にも。」
「・・・・猛の・・・・為・・・・?」

その一言が、揺れている真島の心に更なる揺さぶりをかけた。


「俺ね、親父と初めて会ったの、小3の冬なんです。」
「え・・・・・・!?」
「うちの親父、俺がお袋の腹ん中にいた時に、極道同士の抗争で一人殺っちまって、ムショに入ってたんですよ。だからお袋は離婚して、東京の実家に帰って、俺を産んで育ててくれた。
もう離婚もしてたし、ガキだった俺をムショになんか連れて行きたくなかったんでしょうね、俺を面会に連れて行った事も無かった。写真を見せてくれた事さえ無かった。だから俺は、その歳まで親父の顔すら知りませんでした。」

勝矢とはごく私的な話もする仲だったが、これは初めて聞く話だった。
真島は相槌を打つ事すら忘れて、その話に聞き入った。


「でも、親父がムショから出てきてすぐ、お袋は親父とよりを戻しました。
いきなり初めて会わされて、親子の実感も湧かないままに、小4になる春、俺はお袋に連れられて大阪へ引っ越しました。
だけど親父は、その後も好き放題やらかしました。
ムショ勤めこそその後は無かったものの、金の事、組の事、女の事でお袋と喧嘩が絶えず、挙句に俺が中2の時、当時の組の若頭が親父に対して極道の『けじめ』をつけるところを偶然見ちまって酷いショックを受けた事が決定打になって、また離婚して、俺を連れて東京に戻りました。」
「極道のけじめ・・・・?」
「親父の目の前で、自分の頭を拳銃で撃ち抜いたんです。どうも何か組の重要な情報を敵対組織に洩らし、親父を裏切ってそっちに寝返ろうとしていたようでした。」

言葉を失った真島に、勝矢は優しい眼差しを投げかけた。


「俺の親父は、その時にお袋と俺の手を離してしまったけど、真島さんは同じ事をしないで下さい。
生まれた時に親父がいない事なんて、極道の世界じゃさして珍しくもありませんし、猛君はまだ2歳でしょう?今ならまだ大丈夫、十分間に合います。
今すぐさんと猛君の手をしっかり掴んで、そして、もう二度と離しちゃ駄目だ。あなた達は、俺達親子みたいになっちゃ駄目だ。」
「・・・・・勝っちゃん・・・・・」

仕返しだのお節介だの、そんなひねくれた受け取り方をしていた自分が恥ずかしくなる位、勝矢は真剣だった。
しかし、ならば勝矢の助言通りに出来るかと言えば、答えは否だった。
一度壊してしまったものは、何をしたって、もう二度と元には戻らないのだから。














それから間もなくして、また年が明けた。
新しい年が始まっても、やはり変わり映えのない毎日だった。何度季節が巡ったところで、変わる訳がなかった。
からは相変わらず、年賀状の1枚猛の写真1枚送られてくる事は無かったし、真島の方も、今年は特に連絡しておかなければいけない事も無かった為、何の便りも出さなかった。
年末に勝矢と会ってから、彼に言われた事がずっと心の隅に引っ掛かってはいたが、実際に何か行動を起こす気にはやはりなれず、今年もこのまま特に何事も無く淡々と過ぎていき、そしてまた淡々と終わっていくのだろうと思っていた。
1995年。静かに始まったこの年が、凄まじい激動の一年になるとは、この時の真島には思いもよらぬ事だった。




プルルルル、プルルルル。


「・・・・ぅ・・・ん・・・・・」

プルルルル、プルルルル。


「うぅぅ・・・・・」

プルルルル、プルルルル。


「うぅぅぅ・・・・・!」

延々と鳴り響く電話の着信音に眠りを妨げられ、真島は嫌々、渋々、目を覚ました。


「何やねん・・・・、も〜・・・・!」

今日、1月17日は、これと言って何の予定も無い日だった。
従って、真島は昨夜かなり遅くまで遊び歩いており、帰宅してベッドに潜り込んだのは明け方近くという有り様だった。
今日はこのまま、昼まででも夕方まででも寝てやろうと思っていたのに、時計を見てみると、まだ昼にもなっていない。
人の眠りを邪魔する奴は一体誰や?相手と用件次第では只ではおかんぞ、などと寝ぼけた頭でぼんやり考えながら、真島はベッドからズルズルと這い出た。


「さっぶぅ・・・・!チッ、やかましいんじゃ今出るっちゅーねん・・・・!」

肌を突き刺すような真冬の寒さに身を震わせつつ、どうにかこうにか電話の置いてある所まで辿り着くと、真島は苛立ちのままに受話器を取った。


「もしもし!?誰や!?」
『あっ、兄貴ですか!?俺です、檜山です!』

電話を掛けてきたのは、真島組の若衆で嶋野組時代からの舎弟でもある檜山という男だった。


「何やねんおどれかい!こんな朝早ように何の用じゃこのどアホが!」
『朝早ようってもう10時過ぎですやん!っていうかそんな事言うてる場合とちゃうんスよ!』
「ああ!?」
『TV見て下さいTV!!今すぐ!!早よ!!』
「ああん!?TVぃ!?」
『早よ見て下さいってホンマに!!』

檜山の様子は、何だかやけに切羽詰まっていた。
いきなり電話で叩き起こしておいて、その用件がTVを見ろだなんて、本来ならば考えるまでもなく即半殺しなのだが、やけに慌てふためいているその様子が多少気になったので、真島はひとまず檜山の言う通りにTVを点けた。


「・・・・・・・な・・・・・・・!」

檜山が何故こんな電話を掛けてきたのか、それを説明するかのような光景が、そこに映っていた。
崩れ落ちた高速道路、倒壊した建物、燃え盛る炎と、空にもうもうと舞い上がる黒煙。見る影もなく壊滅した街が、どのチャンネルにも延々と映し出されていた。


「何やねんこれ・・・・・!な、何があったんや・・・・・!?」
『地震ですわ!どえらい地震が起きよったんですわ!何や淡路島の辺りが震源地で、神戸ら辺がもうワヤクチャなっとるって・・・・!』
「地震!?」

確かに、どの番組のテロップにも、でかでかとそう書かれてある。
どうやら早朝の神戸の街を、突然凄まじい大地震が襲ったようだった。
大きな街がこんな状態になるような地震など、真島の記憶には無かった。


『俺も今さっき知ったばっかりで、ビックリして慌てて大阪の実家に電話したんスけど、電話が繋がりよれへんで・・・・!兄貴、俺、ど、どないしたらええんでっか!?』
「落ち着けや!」

真島は、電話の向こうでうろたえている檜山を一喝した。


「お前がパニクってどないすんねん!とりあえず落ち着いてようニュース見とけ!他の奴らにも同じように言うとけよ!」
『はっ、はいっ!』

電話を切ると、喉元にせり上がってくるような焦燥感が真島を襲ってきた。
人には『落ち着け』なんて言ったが、とても落ち着いてなどいられなかった。


「・・・・、猛・・・・!」

真っ先に顔が浮かんだのは、と猛だった。
関西には勝矢をはじめ友人知人が何人もいるし、シノギで取引している会社も幾つもある。だが今は何よりも誰よりも、と猛の事が心配で堪らなかった。
二人が住む町は、震源地とされている場所からは随分と距離があるので、TVで報道されているような状況には恐らくなっていないだろうが、それでも何が起こっているかは分からない。どんどん大きくなっていく焦燥感に急かされるままに、真島はすぐさまの自宅に電話を掛けた。躊躇いも何も、余計な事は一切頭に無く、只々二人の安否を確かめたい一心だった。
ところが、檜山の言っていた通り、電話は繋がらなかった。何度掛けても、自動音声のメッセージが虚しく繰り返されるばかりで、コール音すらも鳴らなかった。
多分、こうして皆が一斉に電話を掛けているから、回線がパンクしてしまっているのであろう事は想像がついたが、そうかと言ってこのまま何もせずにいる事など出来る訳がなく、真島は何度も何度も電話を掛けた。いざとなればすぐ動けるように身支度を整え、TVに齧りつきながら、断続的に電話を掛け続けた。
そうして数時間が経過し、もうすぐ夕方になろうかという頃になって、待ちに待ったコール音がようやく鳴り、遂に電話が繋がった。


『はい、で・・』
か!?俺や!」
『・・・ご・・・、吾朗・・・・・!?』

とにかく、と猛が無事でいて欲しい。
今の真島の頭にあるのは、只々その事だけだった。




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後書き

勝矢直樹、この人もよく分からん人でしたねー。
まぁそのお陰で、好き放題妄想できたんですけれども。
第5話の後書きでも書きましたが、兄さんと朴社長と3人での友情って、やっぱりどない考えても気まずいと思うんですよ。
特に勝矢のポジションがヤバい!
こんなドツボなポジションに敢えて20年も居続けるって、相当なドMかと思うんですが(笑)。
でもそうじゃないとしたら、それは二人それぞれとの間に違った形の絆があって、どっちも断ち切れなかった、断ち切るのも保ち続けるのも辛いけど、でもやっぱり断ち切れなかった、そういう事かなと思い、こんな設定にしました。
でも本当に、3人の友情とやらはやっぱりピンときませんけどね、勝矢があまりにも淡泊すぎて。フルチンで筋トレしてる場合じゃないでしょーが(笑)。


・・・とまぁこんな感じで、龍5関係のエピソードがっつり妄想編は終了致しまして、これよりはまた夢ヒロインが動き始めます。
暫く放置でしたので、まずは勘を取り戻すところからスタートですわ(;^ω^)
完結までにはもうちょっとかかるのですが、引き続きお付き合い宜しくお願い致します!