夢の貌 ― ゆめのかたち ― 18




1993年2月14日。
寒いが良く晴れたこの日、美麗のデビューライブは予定通り開催され、盛況の内に無事終了した。


「みんなー!!今日は来てくれて本当にありがとうー!!これから素敵な歌をいっぱいいっぱい歌っていくので、応援よろしくお願いしまーす!!」

ステージの中央でスポットライトを浴びながら、満席状態の客席に向かって大きく手を振る美麗は、真島の妻ではなく、今最も注目されている新人アイドル『REMI』だった。
まるで星のようにキラキラと輝く笑顔で観客に挨拶をし、深々とお辞儀をする美麗を見つめていると、やがて頭を上げた彼女と目が合った。
偶然や勘違いではなかった。座席の番号を予め伝えてあるから、ここにいる事を美麗は知っているのだ。顔を上げた美麗は、極上の笑顔でこちらをまっすぐに見つめて、もう一度小さく手を振った。それはここにいる真島と、そして隣に座っている勝矢だけに向けたものだった。
美麗が退場していくと、ステージ上の照明が次々と消えてゆき、さっきまでペンライトを振り回して熱烈に応援していたファン達が、名残惜しげにしつつも続々と席を離れ始めた。
暫くは途切れそうにないその人波に敢えて呑み込まれてまで、急いで帰らねばならない理由は無かった。むしろ、やっと杖をついて歩く事が出来るようになったばかりの勝矢の身体の事を考えると、人が少なくなるまでここで座って待っている方が都合が良かった。


「良いライブでしたね。客席も凄く盛り上がってたし。デビューライブとして大成功ですね。」
「そやな。」
「1曲目に歌ったデビューシングルの曲、やっぱり凄く良いですね。メロディーが良く耳に残るし、美麗ちゃんの雰囲気にもピッタリ合ってて。」
「そやろ。事務所のマネージメントが良いみたいでな、既存のアイドルの枠に美麗をはめ込むんやのうて、美麗の個性に合うた売り方をしてくれとるみたいやねん。」
「そうですか。そりゃあ良かった。良い事務所に当たったんですね。」

先月発売されたデビューシングルは発売早々爆発的に売れ、今や有線・ラジオで頻繁に流れていて、耳にしない日は無いと言っても過言ではない。TVの歌番組やCMへの出演も着々と増え、今日のデビューライブのチケットも即ソールドアウト。美麗のデビューは、贔屓目を差し引いても大成功だと言えた。
それは勿論、美麗の魅力や才能あっての事だが、それを最大限に活かす方向で売り出した事務所のマネージメントのお陰でもあった。
美麗が事務所に本名として通してある『新井麗美』という通名の、名前だけをローマ字表記にして芸名とし、ヘアースタイルはショートのままで、衣装も典型的なフリフリのアイドル衣装ではなく、背が高くてスリムな体型の美麗に良く似合う、クールで大人びた雰囲気のデザインにして、他の可愛いだけのアイドルとは一線を画している、アーティスト志向の個性派アイドルとして売り出したのだ。
それをするからには、歌唱力もダンステクニックも当然他の娘達よりも高い水準を求められ、日々厳しいレッスンを課せられる。だがその代わりに、セックスアピールを前面に押し出すような仕事も無い。事務所のこの路線は、美麗も望むところであり、夫である真島としても安心出来るものだった。


「お、そろそろ行けそうやな。」
「あ、本当ですね。じゃあ行きますか。」

話をしながら時間を潰している内に、人波も大分減ってきて歩き易そうになってきたので、真島と勝矢は席を立った。
ライブ会場だった野外音楽堂を出ると、REMIのファングッズを販売するブースがあった。ブロマイド写真、団扇やペンライトといったライブ応援グッズなど、様々並んでいたが、一番の目玉商品は今日発売のファーストアルバムだった。このデビューライブだけでの限定販売として、非売品のブックレット型写真集が特典で付いているもので、ファンの心を擽る一品である。
それを見た勝矢は、売上に貢献しましょうかと笑って言い、そのブースの方へと杖をつきつつ歩いて行った。
以前に比べればゆっくりな歩調ではあるものの、人の手も借りずにしっかりと歩けている。痛みはまだ多少残っているらしいし、背骨を固定するコルセットもまだ外せないようだが、それでもそれなりに良くはなってきているようだ。少し安心しながら、真島もその後をついて行き、二人してその特典付きファーストアルバムを買い求めた。
買ったと報告したら、美麗はきっと『馬鹿じゃないの』と呆れて笑うだろう。そんな事を考えてつい苦笑を洩らすと、勝矢が不思議そうな目を向けた。


「どうかしましたか?」
「ああ、いや、何でもあらへん。」

REMIの話は出来ても、美麗の話、彼女との私生活の事は、やはり話し難かった。
勝矢は盟友だと言い切ったが、それでも。


「リハビリも兼ねてちょっと歩きたいんですけど、付き合ってくれますか?この公園、久しぶりなもんで。」
「ああ、構へんで。ほな無理せん程度に、ちょっと散歩しよか。」

まだ夕方前で、公園には沢山の人がいた。その中に混じるようにして、真島と勝矢はゆっくりと歩き始めた。


「・・・・・俺が美麗ちゃんと初めて会ったの、さっきの会場だったんですよ。」

歩きながら、勝矢はおもむろにそう呟いた。


「ジョギングの途中に通りかかったら、美麗ちゃんがあのステージの上にいたんです。真っ暗なステージの上で、観客なんか誰もいないのに一人で歌って踊ってて。
見かけた瞬間には、もう暗いし危ないなぁって程度にしか考えなかったんですけど、見ている内にだんだん引き込まれていって。
気が付いたら、少しずつ少しずつ、彼女の方に近付いて行ってました。パフォーマンスに夢中だった彼女が、俺に気が付く位にまで。」

向こうの方を眺めながら笑う勝矢の横顔は、寂しげだった。


「後になって、あの日そこで、彼女が落ちたオーディションに受かった子達のデビューライブがあったと聞きました。
でも俺は、初めて美麗ちゃんに会って彼女のパフォーマンスを見た時に、この子はスターになるんじゃないかって思ったんです。
どうです?俺って結構、先見の明があると思いませんか?」

俺もお前に初めて会った時、同じ事を思った。
真島はそう言いたいのをぐっと堪えて、冗談めかして笑う勝矢に曖昧な笑いで応えた。


「・・・それはそうと、暮らし向きはどないや?何ぞ不自由はしとらんか?」

勝矢が退院したのは、つい1週間前だった。
真島としては、退院後に住む部屋も世話をするつもりにしていたのだが、勝矢は感謝の意を示しながらも頑なにそれを断り、元マネージャーの麻尾の自宅に身を寄せていた。


「ええ、お陰様で。麻尾さんも長い付き合いで気心が知れてますし。」
「そうか、それやったらええんやけど。何かあったら何でも遠慮のう言えや。な?」
「ありがとうございます。そういや、真島さんと会ったのもこの公園でしたよね。どれ位だろ・・・、もう2年か。」
「そうか・・・、もうそんななるかいな。」
「初めて会った時は正直、何だこの人!?って警戒してたんですけど、人って分からないものですね。あんなに警戒した人が、今では俺の大恩人です。」

勝矢はふと足を止めて、真島の方に身体ごと向き直った。


「俺は本当に、周りに助けられてばかりです。事務所にも麻尾さんにも、美麗ちゃんにも随分と世話になりました。ようやく夢が叶って、ろくに寝る暇も無い位に忙しいのに、合間を縫って毎日見舞いに来て、色々世話をしてくれて。
だけど、こんな事を言ったら皆に凄く失礼だけど、俺が今こうしていられるのは、真島さんのお陰です。何もかも真島さんなくしては成り立たなかったと思っています。
3ヶ月にも渡った長期入院の費用ばかりか、当面の医療費や生活費まで出して貰って・・・・。真島さんがいなかったら、俺は無理矢理にでも退院して、働くしかありませんでした。たとえ怪我が悪化して、深刻な後遺症が出たとしても。」

勝矢の真摯な眼差しに、胸が詰まりそうになった。
感謝された事が嬉しいのではない。夢半ばで銀幕を去らなければならなくなった勝矢が余りにも気の毒で、只々その事が無念で。
しかしだからこそ、自分が気弱になって情けない様を見せる訳にはいかないと、真島は揺れる感情をぐっと抑え、軽く鼻で笑い飛ばした。


「よせよせ、大袈裟なやっちゃのう!俺とお前の仲で水臭い事言うなや!」
「大袈裟なんかじゃありませんよ。ちゃんとお礼を言って、約束しなきゃと思ってたんです。」
「約束?」
「このご恩は決して忘れません。今は無理でも、いつか必ずお返しに上がります。」
「勝っちゃん・・・・」

深々と頭を垂れた後の勝矢の顔には、覚悟を決めたような強い意志が表れていた。


「な、何やねん、それじゃ何やまるで・・」
「俺、大阪の実家に帰ります。」

一瞬頭を過ぎった寂しい予感が当たって、真島は思わず絶句した。


「実家ったって、小4から中2までの5年間しか住んでませんでしたけどね。
このあと新幹線で帰ります。美麗ちゃんにくれぐれも宜しく伝えておいて下さい。本当にありがとう、とても感謝してる、って。」
「ちょ・・・、ちょう待てや、今からって何やねん!急すぎるやろ!こっちはお前、明日久しぶりに三人で飯でも食おうやって誘うつもりにしとったんやで!」

真島は思わず咎めるような口ぶりでそう訴えた。
美麗はこの後にもまだ仕事があるし、夜にはさっきのライブの打ち上げだってある。しかし明日は一日オフの予定だから、久しぶりに三人で食事をしようと誘うつもりにしていたのだ。
美麗のスケジュールはどうしたって動かせないのだから、そっちが帰るのを1日2日延期してくれと思わず言いかけて、真島はその言葉を呑み込んだ。
勝矢はそうして三人で会う事を避けたかったのかも知れない、そんな気がして。
真島が何も言えずに黙り込むと、勝矢は寂しげな笑みを微かに浮かべた。


「本当にすみません。でも実は入院中からずっと考えていたんです。親父の世話にはならないってずっと突っ張ってきましたけど、やっぱり背に腹は代えられねぇなって。
美麗ちゃんのデビューライブだけはどうしても見届けたかったから、麻尾さんの所で厄介になってましたけど、この先もずっとって訳にはいきませんし、ましてやこれ以上真島さんに甘えてお金を出して貰う訳にはいきませんから。」
「・・・・そやけど、帰ってどないすんねん・・・・?」

父親を嫌っている勝矢が、まさかその父親と同じ極道になるとは考えられない。
当面の間は怪我の治療と静養に専念するとしても、その後はどうするつもりなのだろうか?
勝矢の夢は、彼の生業でもあった。それを失った勝矢の今後が、真島にはどうしても気に掛かって仕方がなかった。


「実家の近くに親父の会社があるんです。逢坂興業っていう、産廃処理の会社が。
そこで事務方の仕事をさせて貰う事になりました。それなら身体の負担が軽いんで。まぁその代わり頭使わなきゃいけないみたいなんで、それはそれで気が重いんですけどね。決して出来が良い方じゃありませんから。」

勝矢は朗らかに笑いながら、自分のこめかみを指でトントンと軽くつついてみせた。
しかし真島には、それに同調して明るく笑う事は出来なかった。
事務仕事、個人的にはうんざりするが、それ自体を地味でつまらない仕事だと否定はしない。むしろどんな業界にも必ずついて回る重要な仕事だ。
だが、勝矢は俳優だ。その道が目の前で突然途切れてしまったからといって、そんなにあっさり背を向けて、まるで違う道を行けるのだろうか?そんなに簡単に諦められるのだろうか?


「ホンマに・・・・、それでええんか・・・・?」
「良いも何も、仕方ありませんよ。そうするしかないんですから。」

そう答える勝矢の顔には、迷いは無かった。


「暫くはその会社で働いて暮らしていきます。住む所も、当面は実家になるかと。
それで、暫くは金を作る事に専念しようと思っています。」
「え・・・・?」

勝矢の今後を悲観しかけていた真島は、何やら思惑ありげなその発言にハッとした。


「ど、どういう事やねん?金作るって、何の為に?」

率直に尋ねると、勝矢は穏やかに微笑んだ。


「俺の怪我は、日常生活には支障が無くても、アクション俳優としては致命傷です。
ちょっと身体を鍛える程度の運動はおいおい出来るようになるみたいですが、どんなにリハビリを続けても、アクション俳優としての現役復帰はこの先一生不可能だと、医者にはっきり言われました。もし無理にそれをすれば、神経麻痺や歩行障害が出る恐れがある、と。
俺はもう、夢を追う事は出来ません。
でも、ばかみたいですけど、それでも諦められないんですよ。
自分がスターになるのが叶わないなら、せめて育てたい、俺の夢を託せる未来のスターを育てたい。だから、芸能プロダクションを作りたいと思って。」

聞かされたのは、思いもよらない『夢』だった。
進んでいた道が途切れてしまっても、目指していた処を見失わず、そこへ向かう新たな道を見つけようとしている。
その事は、一人で勝手に絶望しかけていた真島を猛省させると共に、俄然気力を奮い立たせた。


「・・・そ・・・、そりゃあええ・・・!そりゃあええ考えや!!」
「でしょ?」

勝矢はさっぱりとした明るい表情で笑った。


「東京には大手の芸能事務所や大物芸能人が立ち上げたプロダクションがひしめき合っていて、俺みたいなポッと出の奴じゃあ参入する隙がありません。
だから、大阪で作ろうと思ってるんです。大阪には芸能事務所って少ないでしょう?あっても殆どがお笑い系で。だから、大阪なら競争相手が少なくていけるんじゃないかと思うんですよ。
まずは関西圏、それから四国・中国・九州・沖縄の方まで隈なく押さえて、西日本全体から有望な人材を集めるんです。その人達にとっても、東京より競争相手が少ないって事になりますから、夢が叶う可能性が上がる。」
「うん・・・!うん・・・!ホンマやホンマや!」
「まぁその為にはまず、親父の会社で電卓叩いて電話番しなきゃ、なんですけどね。」
「何を言うとんねん!そんなんまだるっこしいがな!」

勝矢が親子間で取り決めた話に口を出すつもりは無い。
だが、地道な事務仕事でこれから資金作りだなんて、真島にしてみれば悠長なのもいいところだった。


「親っさんの会社を手伝うっちゅう話は、それはそれでやったらええとは思うけど、それと事務所の立ち上げとはまた別の話やで!そんなもん、何も敢えて先送りにせんかてええやんけ!その間にライバル事務所でも出来たらどないすんねん!?」
「いえ、敢えてじゃなくて、やむを得ないんですよ。何せ資金が一銭も・・」
「それやったら大丈夫や!」

自信満々に唇を吊り上げる真島を見て、勝矢はその柔和な目を丸く見開いた。


「え・・・・!?ど、どういう事ですか!?」
「大阪に投資家のダチがおるんや。蒼天堀で働いとった頃に知り合うて、一緒に投資ファンドやっとった谷岡って奴でな。バブルが弾けてもうてあの頃とは情勢が大分変わっとるが、お前の話を聞いたらきっと興味を示しよるわ!」
「投資家?」
「何を隠そう、そいつもミュージシャンやねん。俺と知り合うた頃も、俺の働いとるキャバレーの前で、いっつもギター弾いて歌っとったんや。
まあそうは言うても、歌もギターもとんでもなく下手クソで、おひねり貰うどころか逆に『聴いてくれたお礼』言うて、客に金払う始末でな。ほんでもってそんだけこれ見よがしに金チラつかせとっても、ひとっつも女にモテへんという、実に気の毒な奴や。
おっと、その辺は要らん情報やったな。
まぁそんな奴やけど、金の運用に関しては確かな実績とセンスを持っとる。勿論信用も出来る。お前の話を聞いたら、きっと興味を示して資金調達に協力してくれる筈や!」
「え・・・、えぇ・・・・!?」
「それに、勝っちゃんも知ってるやろうが、芸能界っちゅう処は大体どこでも、俺と同業の連中が関わっとる。そいつらに挨拶も断りも無しに商売する事は出来ん。
それを親っさんに頼むっちゅうつもりなら俺が出しゃばる訳にはいかんが、その辺まだ考えてへんのやったら、俺がナシつける。あっちの芸能関係者の筋者の中に、何人か知り合いがおるんや。」

真島の話を聞くにつれて、最初は唖然としていた勝矢が、だんだんと期待に満ちた顔つきになってきた。


「・・・・・ほ・・・、本当に・・・・良いんですか・・・・・?」
「当たり前田のクラッカーや!」

だが真島はそれ以上の期待を持ち、喜びを感じていた。


「そうと決まったら、早速にも連絡しとくわ!ほんで日程を調整して、出来るだけ早い内に大阪で会おうや!な!」
「あ・・・ありがとうございます!ありがとうございます・・・・・!」
「何を言うとんねん水臭い!こういうのは先手必勝なんや!どんどん進めていかんと!」

夢破れた勝矢が失意の底に沈んでいく様を、なす術も無く見ているしかないのかと、歯痒い思いをしていたのだ。
それが、勝矢はもう新たな夢を掲げ、新しい道を行こうとしている。そしてそれに対して、自分にも力を貸せる事がある。そう思うと、思わず踊り出したくなる位の高揚感を久しぶりに覚えた。



















3月某日。
この日、勝矢の芸能事務所を設立するに当たっての会合を開く為、真島は久しぶりに『クラブ パニエ』を訪れた。
出来れば別の店にしたかったのだが、勝矢に紹介する予定の芸能関係者というのが全てこの店の常連客なので、ごく当然のようにここで会おうという話になってしまったのだ。
会合は夜9時からの予定だが、真島は一人、挨拶と予約の確認を兼ねて、まだ夕方にもならない内にやって来ていた。
よし、と気合を入れてから表のドアを開けると、店の中にゆかりがいて、真島に気が付くと顔を輝かせて駆け寄って来た。


「おはようさん。久しぶりやのう、ゆかりちゃん。」
「支配人ー!お久しぶりですー!」

その肩書は、もう過去のものだ。
一抹の寂しさを、真島はわざと作った苦笑いで隠した。


「おいおい、俺もう支配人ちゃうで。」
「あ、ホンマや。つい癖で。ふふふっ。」

先日、予約の電話を入れた時もそうだったが、ゆかりの態度は以前と何も変わっていなかった。
昨年1年間、電話での指示や様子伺いは定期的にしていたものの、店に立ったのは数える程度で、遂には挨拶も無しに辞めてしまったのだが、どうやら覚悟していた程には嫌われていなさそうだ。
ひとまずはその事に安堵しながら、真島は持参した東京土産の菓子折りをゆかりに差し出した。


「これ、しょうもない物やけど皆で食うてくれ。」
「ああー、気ィ遣こて貰ろてすみませ〜ん!」
「ほんで早速やねんけど、こないだ電話で頼んだ通り、席押さえといてくれてるか?」
「はい!支配人入れて6名様、9時からのご予約でしたよね?ちゃんとVIP席押さえてますよ!」
「そうか。おおきにな。」

今夜ここで勝矢に引き合わせるのは、TV局のプロデューサー、タレント事務所の会長、イベント企画会社の社長、それに投資家の谷岡の4人だった。
各人に勝矢の展望を話して聞かせたところ、全員興味を示してくれたし、実際勝矢に会ってその誠実な人となりを知れば、きっと更に乗り気になってくれる事だろう。
そして、彼らにそうさせる為には、自分の立ち回り方が要となってくる。
今夜の会合の事を考えると身の引き締まる思いだが、それはひとまず置いておくとして、今話すべきなのは店に関わる事だった。その為に、二度手間になるのを承知で、敢えて今訪ねて来たのだから。


「景気はどないや?」
「何かちょっとシケた感じになってきましたわ〜。接待費削られたり、領収書出せって煩く言われるようになった会社が増えてきたみたいで、何かしみったれたお客さんが増えてきた感じです。
まぁそうは言うても、太客は相変わらず羽振り良さそうですから、プラマイでぼちぼちってとこかなぁ?」
「そうか。まあ東京も一緒や。バブルが弾けた影響が、これからどんどん出てくるんかも知れんなぁ。」
「ホンマですねぇ。」
「店の皆は?あんじょうやってるか?」
「そうですね、それもぼちぼち。まぁ何とか私らなりに頑張ってます。オーナーと支配人がまとめとった頃のようには、なかなかいきませんけどね。」

それはそんなに遠い昔の話ではない、ほんのついこの間までの日常だった。
だが、気付けばもう手の届かない遠くへ流れて行ってしまった。
いや、勝手に流れて行ったのではない、自分がそうしたのだ。
突然挨拶も無しにこの店を辞める事になったのは、から『退職勧告』を受けたからではあるが、にそれをさせたのは自分だ。
そんな自責の念が、あれからずっと真島の心の中に蟠っていた。


「その節は挨拶も無しにプツッと辞めてしもて申し訳なかった。改めて謝るわ。」

真島が詫びると、ゆかりはあっけらかんと笑って手を振った。


「ああ、いえいえ!良いんですよーそんなん!こないだの電話でも言いましたけど、どうしても時間の捻出が難しなったってオーナーから説明ありましたし、大体、支配人が東京で忙しくしてはんのは元々でしょ。」

先日、電話で話した時に気付いた事だったが、どうやらは本当の事を何も話していないようだった。
ゆかりに非難も軽蔑もされずに済んでいるのは、その為だろう。
いや、ゆかりだけではない。の母親からも、何の音沙汰も無いままだった。本当の事を知ったなら、抗議の電話のひとつも掛けてきて不思議は無いのに。


「・・・おおきに。そない言うて貰えると、こっちも気が楽や。」

と完全に決別したあの日から3ヶ月、真島を責める者は一人も現れていない。本人からも、あれっきり何の連絡も無い。
しかし、ならばあの時の事が風化していくかというと、決してそうではなかった。


「実はね、今日の事、オーナーにも声掛けたんですよ。皆さん元々はオーナーのお客さんやし、今でもちゃんどないしてんねん言うて顔見たがってはるし。
それに支配人も久しぶりに来るから、偶には一晩ぐらい猛君をお祖母ちゃんに預かって貰って、お店出てきません?って。」

ゆかりの話に、つい心が揺れ動いた。
その誘いにが乗ったかどうかなど訊かずとも分かりきっている癖に、訊かずにはいられなかった。


「・・・・ほんだら何て?」
「断られました。出たいのは山々やけど、猛君が夜泣きするからとても一晩預けるなんて無理やわ〜言うて、苦笑いしてはりました。」
「・・・・そうか・・・・・」

真島の知っている猛は、まるで子猿のような、生まれたての小さな赤ん坊だった。
今でも赤ん坊には違いないが、少しは大きくなっただろうか?
猛の今現在の顔を思わず想像しそうになっていると、ゆかりは様子を窺うような視線を真島に向けた。


「・・・で?どないなってるんですか?」
「何がや?」
「オーナーとの事。決まってるでしょ。」

何も知らないゆかりは、呆れたような、けれども優しい眼差しで真島を見ていた。


「お仕事忙しいのは結構な事ですけど、でもそれって、愛より大切ですか?
うちのお客さんの中にも、男は野心持たなあかん、出世してなんぼやって考えの人、沢山いてはりますけど、でもね、女の方は必ずしもそれを望んでる訳やないんですよ?
こんなん言うたら何ですけど、ヤクザが出世するって、色んな危険も増えるって事でしょ?オーナーはそれが不安で、怖いんやと思います。自分と猛君だけじゃなくて、支配人の事も心配してはるんですよ。危ない目に遭うて欲しないって。」
「・・・・分かっとる・・・・」
「それやったら、出世に拘って意固地になるのはやめて、もうそろそろオーナーの意思を汲んであげて下さい。オーナーの為だけじゃなくて、猛君の為にも。
支配人かて猛君可愛いでしょ?どんどんおっきなっていく猛君見とったら、やっぱり一緒に暮らしたいって思うでしょ?他人の私でも、会う度おっきなってる猛君見てたら、成長が楽しみやわぁって思うんですから。」

真島の知っている猛は、生まれたばかりの小さな赤ん坊だった。
生まれたあの夜以来、一度も会っていない。あれからどれだけ大きくなったのか、どんな顔をしているのか、今の猛の事は何も知らない。
そんな他人以下の男が、父親面をして一緒に暮らしたいと望む資格は無いし、仮にそれを望んだとしても、もう絶対に叶わない。

俺にはもう女房がいる。
ではない他の女と結婚したんや。

堪えきれなくなった心が叫ぶかのように、思わずそう言ってしまいたい気持ちに駆られたが、しかし真島は寸でのところでその衝動を抑え込んだ。
人に話していないという事は、はきっと誰にも知られたくないと考えているのだろうし、それで当然だった。子まで生したのに、相手の男はすぐさま別の女と結婚したなんて、女にしてみれば悲しみどころか屈辱以外の何物でもないだろうから。
それを、ただ己の気持ちを楽にする為だけにぶち撒けてしまったら、の自尊心を更に傷付けてしまう事になる。もうどうしたって取り返しはつかないが、せめてこれ以上を傷付ける事だけは避けなければならなかった。


「・・・・そやな。よう肝に銘じておくわ。」

真島は薄く笑って答えをはぐらかし、出て行く素振りを見せた。


「あれ?支配人どこ行きはるんですか?」
「予約の時間までの間に、他にも顔出さなあかん所があるねん。」
「えーっ、そうなんですか!?何か飲んでゆっくりして行きはったらええのにー!もうすぐ宮本君も出勤してきますよ!?」
「ああ、ええねんええねん。開店前で忙しいのに、気ィ遣わんといてくれ。どうせまた後で来るんやし、宮本とはそん時にゆっくり話するわ。」
「そうですか?ほな・・・」
「おう。ほなまた後で、宜しゅう頼むわな。」

作り笑いをどうにか保っていられたのも、店を出たところまでだった。


― アホか、最初から分かっとった事やろが。今更遅いんじゃ。

真島は胸の内で己を叱責した。
もう取り返しがつかない事をいつまでも気に病んでいる、馬鹿な自分を。
断ち切る筈だったへの罪悪感を、結局ずっと引き摺り続けている、愚かな自分を。
何をどう言い繕っても、にとっては『裏切り』以外の何物でもない。
にとって、真島吾朗という男はもはや、自分と子供をあっさり捨てて他の女に乗り換えた最低の男でしかない。
事実はそれひとつなのだから、見苦しい真似などせずに、潔く在ろう。
どれだけ責められようが憎まれようが、全て受け入れよう。
そう思ってあの決別の手紙を書いたのに、電話越しにの震える声を聞いた瞬間、いとも容易く気持ちがぐらついた。
腹を括っていた筈なのに、が泣いているのに気付いた瞬間、弁解せずにはいられなくなった。
何故美麗と結婚するまでに至ったのかを、に分かって欲しくて堪らなくなった。


『私には関係無いわ』

それを食い止めたのは、の冷たい声だった。
のあんなに冷淡な声を聞いたのは初めてで、それが真島を我に返らせたのだった。
そう、どれだけ必死に弁解したとしても、事実は何も変わらないのだ。
傷付けた張本人がどんな言葉を掛けようが、深く深く傷付いたの心は癒せない。
の冷たい声にそれを思い知らされて、何とか堪える事が出来たのだった。


― ・・・・アホか、ホンマに・・・・

それでもまだ、忘れられていなかった。
もうすぐの28歳の誕生日だなんて、考えても無駄な事を考えてしまっている。祝いなど出来る立場ではないのに。
ちょっと足を伸ばせばすぐに会いに行けるのになんて、どうしようもない事を考えてしまっている。合わせる顔もないのに。
そして、猛をもう一度この手に抱きたいなんて、厚かましい事を考えてしまっている。父親の資格も無いのに。
始末に負えないこの気持ちを紛らわせる為には、とにかく目の前に積み上がっている仕事を片付ける事に没頭するしかなかった。
この関西で抱えているシノギと、今日は何より、勝矢の芸能事務所設立の為の会合。今はとにかくその会合の事だけに集中しろと自分に言い聞かせて、真島はクラブパニエを後にした。
















「こんにちは〜!や〜ん猛く〜ん!今日も可愛いな〜!」

玄関のドアが開くなり、ゆかりの熱烈なラブコールを受けた猛は、まずポカンと驚いた顔になってから、次第にそれを歪めていった。


「エ、エヘッ・・・、ヒッ・・・、ビエエエーッ!」
「ええええ!?何で泣く〜ん!?ゆかりお姉ちゃんや〜ん!こないだも来たやんか〜!」
「ビエエエエーッ!」
「あ〜あ、あはは、やっぱり泣いた。最近人見知りするようになってきてん。ごめんなぁ、気にせんと入って入って!」

必死にしがみついて大泣きする猛をハイハイとあやしながら、はゆかりを部屋に招き入れた。
兎にも角にも、まずは猛を泣き止ませない事には始まらない。でないと、仕事どころか世間話の一つもまともに出来ないのだ。
玩具であやしたり、TVを点けて気を逸らしてみたり、暫くは猛を泣き止ませる事に手を取られて、やっとお茶の支度が出来たのは、ゆかりが来てから30分程も経っての事だった。


「ほなこれ、先月の分。よろしくお願いしまーす。」
「はーい、確かに。」

ゆかりから渡された紙袋の中には、店の従業員の出勤記録や会計帳簿が入っている。それらを猛の寝ている合間などを見計らってチェックするのが、の今現在の仕事だった。
猛が1歳になるまでは育児に専念したいと思ってはいたものの、ヘルプを求められては断る訳にもいかず、家で出来る作業だけという条件付きではあるが、年が明けると共に仕事に復帰していたのである。
は受け取った紙袋を猛の手の届かない所に置いてから、ゆかりの差し向かいに腰を下ろした。


「お店の方は最近どう?こないだ入った娘、続いてる?」
「あー、ダメでした。無断欠勤3回連続やったんで、もう辞めて貰いました。」
「は〜、そっかぁ・・・・。」
「すいません。面接ではええ娘やと思ったんですけど。」
「ううん、しゃーないわ。面接で何もかもが分かる訳とちゃうしな。」
「ですよね〜・・・・。は〜あ、難しいもんですね〜・・・・。」

復帰してから以降は、月に1度か2度、こうしてゆかりが書類を届けに来てくれていて、店の状況も、急を要する話以外はこのタイミングで聞いていた。つまりこのお茶会は、言わばクラブパニエの『定例会議』というところである。


「あ、ほんでそうそう!昨日予定通り、支配人達来はりましたよ!」

だから、その話を聞かされる事も当然想定はしていたが、実際に聞かされるとやはり内心穏やかではいられなかった。


「そう。折角誘ってくれたのに、昨日は行かれへんかってごめんな。」
「いえいえ!もし出来たら〜と思って駄目元で言うてみただけなんで。猛君まだ赤ちゃんですもんね〜。」
「あの人は?何か言うてた?」
「いえ、別に。そうか〜って言うてはっただけです。」

ゆかりには、いや、正確にはまだ誰にも話していないが、真島とは昨年12月のあの電話を最後に、完全に没交渉となっていた。
今回の事も、真島は直接店の方に連絡をしてきており、には何も知らせてこないままだった。だから、真島が一体何を思ってわざわざ店に来たのか、その理由も当然ながら分からず終いだった。


「昨日の面子って、近畿TVの近藤さんらと、あの人と、あの人の友達2人って言うとったっけ?」

別に知る必要も無いのに、どうして気になってしまうのだろうか。
真島が何をしようがもう自分には関係無いとは思いながらも、彼が連れて来た『友達』というのが誰なのか、聞き出さずにはいられなかった。
一体何の用件で、真島はその人達を、関西の芸能界において影響力を持っている極道に引き合わせたのだろう?
関西の芸能界に用があるとは考え難いのだが、その友達2人とは、やはり勝矢と美麗なのだろうか?
そう考えて密かに身構えながら、はゆかりの答えを待った。


「そうです。近畿TVの近藤プロデューサーと、阪神エンターテイメントの阪井会長、関西プロモーターズの関根社長、ほんで支配人と、谷岡さんっていう人と・・・」
「谷岡?」

近藤氏ら3名は元々店の常連客だが、谷岡というのは初めて聞く名前だった。


「何してはる人?」
「何かよう分からん人。投資家とか言うてはりましたけど。まぁ確かに羽振りは良さそうでしたよ。カラオケで何かよう分からん歌歌って、聴いてくれたお礼言うて店中の人にお金配ってましたから。」
「ええ!?何それ?」
「でしょ?ホンマよう分からん人でした。お金持ちやしまぁまぁ良い人でもありそうやのに、何でかピンと来ぇへんわぁ、みたいな感じで。」
「そう・・・・。ほんで、もう一人は?」
「あ、そうそう、それ!あと一人は何と、俳優の勝矢直樹やったんです!」

ゆかりはパッと顔を輝かせて、が予想していた通りの名前を口にした。


「私あの人の出てたドラマ結構真剣に観てたから、すぐ気ィ付いたんですよー!
ほんであの人ってもしかして、前にオーナーの連絡先教えてくれ言うて店に電話してきませんでした!?」
「あー・・・、うん、そう言えばそやったかなぁ。」
「やっぱりぃ!?」

が肯定すると、ゆかりは得意げにまた顔を輝かせた。


「昨日から何かずーっと引っ掛かってたんですよー!この人どっかで見聞きした事あるわぁ、TVじゃなくて何か他にどっかで・・・、って!
あん時は気ィ付かへんかったんですけど、やっぱりそうですよねー!へぇ〜、あの人、支配人とオーナーの共通の友達やったんですねぇ〜!」

それよりもっと前、まだ無名の頃にも一度店に来ているのだが、どうやらその事はゆかりの記憶には残っていないようだった。尤も、あの時は殆ど真島と二人でもてなしていたから、それで当然である。は曖昧に笑って、まぁそんなとこ、と答えた。
するとゆかりは、ふと痛ましげな表情になった。


「そやけどホンマお気の毒ですよねぇ。神様って残酷やわぁ。」
「え・・・・」

一瞬、自分の事を言われたのかと思って、心臓が止まりそうになった。
真島と完全に切れた事、彼がもう別の人と結婚してしまった事を憐れまれたのか、と。


「あの人、日本人にしては珍しく本格的なアクション俳優やったのに、これからって時にあんな大怪我して引退やなんてねぇ。もう気の毒で気の毒で、何て言うてええか分かりませんでしたわ。」
「・・・・え・・・・!?」

だが、ゆかりが言っているのは、の事ではなかった。


「ゆかりちゃん、それ・・・・、勝っちゃんの事・・・・?」
「え?」
「勝っちゃん怪我したん!?引退ってどういう事!?」

は思わず取り繕う事も忘れて、詰め寄るように尋ねた。


「いや、アメリカで映画の撮影中にスタント失敗して、背骨骨折したって。ほんで、もうアクション俳優は続けられへんようになって引退したって・・」
「それ、勝っちゃんがそう言うてたん!?」
「ええ。近藤さんらに対してそない話してはりましたし、杖もついてはったし。」

あまりの事に絶句しているをよそに、ゆかりは痛ましげな表情のまま話を続けた。


「ほら、あの人一時ようドラマとか出てはったのに、最近全然やったでしょ?
そやから、怪我して休んでたんやわと思って、いきなりキャーキャー言わんように、ちょっと様子見てたんです。
ほんだら近藤さんらにそんな話をし出して・・・・。浮かれて騒いで『サイン下さ〜い♪』とか言わんでホンマ正解でしたよ。」

その事故が起きたのは、一体いつなのだろうか?
そんな話は勝矢からも真島からも聞かされていないし、の知っている限りでは報道もされていなかった。
だが、そんな状況で昨夜店に来ていたというのなら、勝矢はきっともうアメリカから完全に撤退して来ているのだろう。
勝矢は今、何処でどうしているのだろうか?
東京にいるのか、それとも、父親がいる大阪に移って来たのか。
色々と考えを巡らせていると、ゆかりがきょとんとした顔でを見た。


「オーナー、知らんかったんですか?」
「え・・・・?あ・・・」

我に返ったは、動揺を隠そうとどうにかこうにか笑みを形作った。


「そ、そうやねん。もう最近全然連絡取ってなかったから。」
「でも、支配人からも聞かされてなかったんですか?」
「うん、まぁ・・・・。共通の友達って言うても、あの人の東京での友達やから、私は実際殆ど付き合いしてなかったし、私が今子育てで忙しいのも分かってるから、言わんかったんやろ。ほんで昨日あの人ら、何の話してたん?」

些か苦しい言い訳を並べ立ててから、はその勢いのまま核心に触れた。
勝矢がそんな悲劇に見舞われたとあらば尚更、真島が一体何をしに来たのか、どうしても知りたくなって。


「あー、何かね、勝矢さんがこっちで芸能事務所立ち上げようと思ってはるみたいで。」
「芸能事務所?」
「はい。ほんでそれに協力したって欲しいって、支配人が近藤さんらと谷岡さんに対して熱心に頼み込んでましたわ。勝矢さん本人はもっと必死に頼んではりましたけど。」

関西芸能界の要人達と投資家の友達を勝矢に引き合わせたのは、そういう理由からだったのだ。
そういう目的があったからこそ、わざわざ店に来たのだ。
ようやく合点がいっていると、点けっぱなしだったTVからCMが流れてきた。
少し大人びた微笑みを浮かべて、女の子らしい可愛い仕草で一口サイズのチョコレートを食べて見せるCMガールは、最近世に出て来た新星アイドル『REMI』こと朴美麗だった。


「あ、この娘また新しいCM出てる!この『REMI』ってアイドル、最近めっちゃ見ますよね〜。」

美麗は昨年11月、真島の妻になった筈だった。
だからてっきり、彼女はアイドルになる夢を諦めたのだとばかり思っていたのだが、そうではなかった。今年に入ってから以降、美麗は『REMI』という芸名で、マスメディアにその姿を現すようになったのだ。
その頻度は日を追う毎に増していく一方で、今やTVを点ければ、歌番組にCMにバラエティにと、彼女を見ない日はない。だからはこのところ、用のある時以外にはTVを点けなくなっていた。
他にも、ラジオや有線放送、街頭ポスターに雑誌の表紙と、今では街中に彼女の笑顔と歌声が溢れていた。


「・・・・そやなぁ。」
「私この娘もどっかで見た事ある気ィするんですよね〜。勘違いかもしらんけど。」

こうして見掛けるようになったという事は、念願叶ってアイドルになれたという事だ。
そして、これ程の勢いで売り出しているという事は、只デビュー出来ただけではなくて、スターダムを駆け上がっているという事だ。
しかし、人妻となった身で、そんな事が可能なのだろうか?
自分の心を守る為にはもう何も考えてはいけないと分かってはいながらも、美麗が世に出て来るに従って、そんな疑問がの心の中で大きく膨らんでいく一方だった。


「・・・・なぁ、こういうアイドルの女の子でな、実は結婚してますって娘おると思う?結婚してるけど、それを世間には公表せんと、現役のアイドルとしてガンガン活躍してる娘。」

ゆかりがあやふやな記憶を辿ろうとするのを阻止する事も兼ねて、はずっと抱え込んでいたその疑問を口にした。
するとゆかりは一瞬きょとんとしてから、あっけらかんと笑った。


「え〜、無い無い!それは無いでしょ〜!そら彼氏ぐらいやったら皆内緒でおるでしょうけど、結婚はちょっと話がちゃいますよ〜!アイドルが世間に内緒で結婚してドタバタ大騒動・・・、なーんて、そんなんドラマの話だけですって!
結婚するにしても、みーんな婚約発表の記者会見やら結婚披露宴のTV中継やら、思いっきりお祭り騒ぎで公表してますし。」
「そうやんなぁ・・・・。それやし、結婚後は大体が奥様タレントみたいな路線で売っていくよなぁ。」
「そうそう。それかスパッと芸能界を引退するか。
どっちにしろ、やっぱり結婚したら皆第一線を退いてますよ。〇田〇子とか、ごくごく一部のよっぽどの大スターは別としても。」

ありとあらゆるメディアで見掛ける美麗に、真島の影はほんの僅かにも見当たらないし、第一線を退きそうな気配も無い。むしろそれと真逆の、これから最盛期に入っていく若手アイドル以外の何者でもない。
そんな売り出し中のアイドルの結婚を所属事務所がおいそれと許すとは、やはりどうしても考えられなかった。


「・・・・でも、もしあったとしたら、それって事務所にも内緒って事やろか?」
「そうですねぇ・・・・。でもそれってバレたらどえらい事になりそうですよね。」
「うん・・・・」

張り裂けそうだった自分の心を守る為に、私には関係無いと言い切って遮ってしまったが、あの電話で真島が言いかけていた『事情』とやらが、あれからずっと気になっていた。
あれだけひたむきに追いかけてきた夢がようやく叶ったというのに、それを粉々に打ち砕いてしまうような重大なリスクを冒してまで、何故美麗は真島と結婚したのだろうか?
彼女はそれ程までに、あの人を愛してしまったのだろうか?幼い頃から大切に大切に抱き続けてきた夢よりも、あの人の方が大切になったのだろうか?
それとも、真島が言いかけていた『事情』というのが、何か余程の事なのだろうか?


「でも、やっぱりアイドルが結婚って、基本的には厳しいんとちゃいます〜?
言うても結婚してへん人多いし。やっぱりファン減るんでしょ。
私かて、真島JINGIの木村君がもし結婚してて奥さん子供がおったら・・・・、とか考えただけでもショックで倒れそうですもん!」

けれども、どれだけ気になろうが、今更確かめる事は出来なかった。
どんな事情があろうが、どんな考えがあっての事だろうが、とにかく事実は変わらない。
真島は美麗と結婚したのだ。
あの人と同じ道を一緒に歩んで行く事は、もう二度と無い。
自分は、自分が選んだ道を、猛を抱えて歩いて行くしかないのだ。


「・・・・そうやなぁ。あ、それはそうと、話は変わんねんけどな、実は折入って相談があんねんけど。」
「はい?何ですか?」

通り過ぎて来た道を未練がましく振り返っている暇は無い。
自分が選んだ道の、先だけを見ていかなければならないのだ。
それが、自分がつけるべき『けじめ』なのだから。




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後書き

二人の結婚生活は、やっぱり兄さんの理解の上に成り立っていたと思う、というところで前回終わっていましたが、それが破綻してしまった原因、妊娠と中絶について、いよいよ踏み込んでいこうと思います。


まず、兄さんサイドから。
くどいようですが、真島吾朗美化委員会といたしましては、兄さんはそんなしょーもない無責任な・・(以下略)。
ですので、当然、作ろうと思って作った訳ではない筈です。
また、一時の快楽を優先させたり、ちょっとの手間を惜しんで避妊がいい加減だったとも思えない。
何せ相手はデビュー早々順調に売れているアイドルなんですから。
うっかりデキても結婚してるし産んだらええやんとか、そんな簡単に片付かないのが分かっているんですから。
何かにつけて面倒くさがったりテキトーな事しそうに見えても、兄さんはして良い事と駄目な事の線引きはちゃんと出来る人だと思うんです。

そして、朴社長サイド。
独断で中絶しておきながら、何故兄さんにわざわざ事後報告だけしたのでしょう?
自分の勝手でやった事なら報告なんてする必要無い、いや、しちゃいけない。報告したって何も良い事は無く、夫婦の関係が壊れるだけなんですから。
でもそれをしたという事は、妊娠した事を兄さんも知っていて黙り通す事が不可能だったのか、或いは、それで夫婦関係が悪くなるとは思っていなかったのか、はたまた良心の呵責か、兄さんの愛を試したかった・確かめたかったのか・・・・。
でも何にせよ、朴社長は兄さんに甘えていたんだと思います。
何をしても全面的に許されて受け入れて貰えると思っていたし、実際、二人の関係もそういう形だったのでしょう。
年齢差と彼女の若さから考えたら、二人は対等の立場ではなく、兄さん→朴社長へと全面的かつ一方的に庇護する、保護者と被保護者みたいな関係だったでしょうから。
でも、兄さんはあくまでも他人の男であって、父親じゃない。
どんな事をしても、どこまでも許して無条件に愛してくれる訳じゃない。
でも、愛情に恵まれずに育ち、若さ故に人生経験も足りなかった彼女には、それが分からなかった。
いやでも、若さは関係無かったかも知れませんね。龍5でもかなり自己中な言動が際立っていましたので、元々の性格か(笑)。
荻田も堀江さんも桐生ちゃんも、皆ボロカスにされてたしな・・・・。

キング・オブ・気の毒な男は荻田かと思うんですが(笑)、私、堀江さんも大概可哀想で、見るに耐えませんでした。
だって、いきなりビンタですよ!?
私が堀江さんなら労基にチクって退職するわ(笑)。
いや〜ホントに、悪役キャラになる訳でもないのに、朴社長の性格をあそこまでえげつなくしなきゃいけない理由は何だったんでしょう!?
遥に対してだけは優しい母親的な一面を見せていたけど(←それも只のえこひいきに見える 汗)、差し引きしてもマイナスですよ!(笑)
まさか、嶋野の狂犬の元妻なら、あれぐらい性格のドギツい女じゃないと釣り合わん!とか、そんな表面的な攻撃性しか考えていなかったんでしょうか?
兄さんは絵に描いたようなドギツい極道だけど、筋の通らない不当な事はしていないと思うんですけどね〜・・・・。

ところで、朴社長が関わった男って、彼女の言いなりになるか、激しくぶつかって激怒して去って行くかのどちらかじゃないですか?
堀江さんと桐生ちゃんは言いなりタイプ(笑)。蒼天テレビの万田さんも多分こっち(笑)。
で、荻田と兄さんが反発タイプ。
何と言うかこう、塩素と酸素のような。『混ぜるな危険!』的な(笑)。
彼女と付き合える男は、物静かで気性の大人しい、自己主張の控えめな(ほぼ無い)人なんでしょう。
勝矢もきっとこのタイプなんだと思います。
その後20年、ずっとつかず離れず彼女と歩み続けて来られたのは、夢だけじゃなくて相性もあると思うな〜。
あ、ちなみに、文中の朴社長の通名とか芸名とかも、勿論捏造です。


とまぁ、ついつい脱線気味になりましたが、上記のような考えに基づいて、兄さんが全面的&一方的に彼女を庇護して支える夫婦関係だった、という形でここまで書いてきました。
そして次回がいよいよ・・・・!のシーンとなります。
かなり張り切ってノリノリで書きました!修羅場大好きなもので(笑)。
どうぞお楽しみに〜!