相変わらずの日々が続き、今は10月ももう半ばに差し掛かる頃だった。
今日はが東京へ来ていた。店を営むが東京へ来る事自体が珍しいのだが、今日は書き入れ時の金曜日とあって、更に珍しかった。
しかも、つい3〜4日前まで大阪で一緒に過ごしていたのだから、これはもう珍しいを通り越して初めての事だった。
それには勿論理由がある。は明日、都内で開かれる中学時代の級友の結婚披露宴に出席する事になっているのだ。そんな事でもなければ、こんなに詰まった間隔で会える事はまず無かっただろう。
ついこの間まで一緒にいたというのに、今日が楽しみで仕方がなかった。いつもは内心少し寂しくなる帰りの新幹線も、お陰でこの間は寂しくならなかった。
指折り数えて待ち続けた今日、の乗った新幹線が東京駅に着く頃ぐらいから、何度ソワソワと時計を見ただろうか。早く帰りたくて、仕事も半分上の空だった。
そして夜になってようやく一通りの用事が片付くと、真島は一目散にすっ飛んで家に帰った。
エレベーターを下りて廊下を歩いて行くと、次第に美味しそうな良い匂いがしてきた。自分の部屋が近付くにつれてどんどん濃くなるその匂いに自ずと期待も膨らんでいき、やがて部屋の前に辿り着くと、それは胸いっぱいの幸福感へと変わった。
いつもはただ真っ暗で冷たい位に静まり返っているだけの部屋から、温かくて美味しい匂いが漂ってくる。ドア1枚隔てた向こうに、愛しい人の気配がする。
擽ったくなるようなその喜びに浸りながら、真島はチャイムを1度鳴らし、ドアの鍵を開けて中に入った。
「あっ、お帰り〜!」
台所にいたが、真島に振り向いて笑顔を見せた。
薄化粧で長い髪をひとつに束ねて、Tシャツとジーンズにエプロンをかけて食事の支度をしているは、初めて出逢った頃と変わらないままだった。
あの頃も今も、がいると、それだけで部屋の空気が優しく、温かくなる。
一人でいる時はただ静かなだけの味気無い部屋なのに、がいると『家』になる。
そこに帰って来るという事は、真島にとっては大きな幸せだった。
それこそが、うんと昔の幼い頃からずっと憧れ、求めていたものだったのだから。
「ただいまぁ〜!」
明るい部屋、温かい食事、そして、お帰りと笑いかけてくれる大切な人。
絵に描いたような幸せの風景に思わず胸が詰まりそうになった自分が恥ずかしくて、それを何とか隠しながら、真島も笑ってに応えた。
「思ったよか早よ帰って来たなぁ。今丁度晩ご飯出来たとこやねん。」
「外まで美味そうな匂いしとったで。めっちゃ腹減ったわぁ!」
「ホンマ?ほなもう食べる?あ、それとも先にお風呂にする?」
はまるで新妻の定型句のような台詞を口にした。
そのごくごく自然な表情を見る限り、無自覚である事は間違いない。そう思うとついつい悪戯心が湧いてきた。
「それともア・タ・シ?ってか?ベタな誘い文句やのう、ヒヒヒッ。」
「なっ・・・・!ちゃうわ!何言うてんねんアホッ!」
オーソドックスにからかってやると、は笑って真島の腕をバシッと叩いた。
顔が少し赤くなっている。悪戯大成功というところだ。
「先食うわ。めっちゃ腹減っとんねん。」
「ん、分かった。」
今はひとまずその反応だけで満足しておく事にして、真島は台所を通り抜け、着替えをしに部屋に入った。いつものヘビ柄のジャケットを脱ぎ、眼帯を外すと、『嶋野の狂犬』から『真島吾朗』という一人の男に立ち戻る事が出来る。
ようやく気を緩めてホッと一息吐いている間にも、部屋のテーブルには出来たての温かい食事が次々と並んでいく。魚の煮付をメインに、炒め物、酢の物、味噌汁。どれも日頃はとんと縁の無い家庭料理だ。外食か事務所で啜る出前のラーメンばかりの身にとっては、この上ないご馳走だった。
とっとと着替えを済ませて手を洗いに行き、缶ビールを2本持って部屋に戻ると、先に座っていたが早く早くと笑顔で手招きした。の向かい側に腰を下ろし、冷たいビールでお疲れ様の乾杯して、二人の夕食が始まった。
美味いものを食わせてくれる店は沢山あるが、の作る食事が、こうして二人で食べる飯が、やはり一番美味い。いつも張り詰めっぱなしの力が何となく抜けて楽になっていくような、こんな温かい安らぎを感じられるのは、といる時だけだった。
「店は?」
「2日分の開店準備だけして、後は皆に任せて来たわ。
店の事はゆかりちゃんが色々仕切ってくれるし、ご飯も材料用意して出来るだけ下拵えしといたから、後は男の子らが作ってくれるし。」
休みを取っているのは個人で、店自体は通常通りに営業しているようだった。
の店は、酒やおつまみだけではなく、数量限定ではあるが手作りの食事も出していて、それが結構なセールスポイントになっている。
それ故にが店を空けるのは難しいのだが、それが可能になるだけの人材がだんだん育ってきたという事なのだろう。
「明日は昼からやったか?」
「うん。始まんのはお昼1時からやねんけど、美容院に寄って髪のセットするから、10時過ぎには出掛けるわ。ほんで終わりが夕方の5時らしいから、終わり次第適当に帰って来るわ。」
「二次会はホンマに行かんでええんか?」
「えぇ、えぇ。そこまで長々付き合うたる義理は無いやろ。招待客の人数合わせで呼ばれただけやのに。」
は苦笑いを浮かべて軽く手を振った。
とその級友とは、中学を出て以来交流は無かったらしく、招待を受けたのもつい一月程前だった。つまり、の考え通りという訳である。
それと分かっていてが招待に応じた理由は、勿論一つしかなかった。
「ほな5時頃車で迎えに行ったるわ。」
「ホンマ?やったぁ!あ、でも終わりの時間が5時ってだけで、そっから出られるまでに何やかんや時間かかると思うねんけど・・・・・」
「別に構へん。精々30分かそこらやろ?待っとったるわ。」
がそう思っているように、真島もまた、折角の時間を少しでも長く一緒にいたかった。その為なら、多少の待ちぼうけなど全く苦にはならなかった。
「ありがと。でも無理せんでええで。親分さんに何か用事でも言い付けられたりするかも知れへんし。」
「まぁ、そうなった場合は確かに厳しなんねんけどな。ま、でも大丈夫やろ。うまい事逃げとくようにするわ。」
ヒヒヒと笑ってみせると、はそれまでの嬉しそうだった笑顔をふと消した。
「そう言えば、あの件は親分さん、もう何も言うてけぇへんの?」
「あの件?」
「ほら、大阪で水商売チェーンの会社を立ち上げるって話。」
「ああ、あれか・・・・」
あの話は、真島が断わった事で別の奴に白羽の矢が立ち、それ以降、真島は何も聞かされておらず、一切関知していなかった。
「おう、あれっきりや。代わりに他の奴が受ける事になったんやが、どないなっとるんか詳しい事は何も知らんわ。」
「ほな、命令やとか何とか、ヤバそうな話にもなってないって事?」
「ああ。」
「そっかぁ、それやったら良かった。」
は安心したように、また笑顔になった。
きっと、あれからずっと心の片隅で気に掛けて、案じてくれていたのだろう。
あの話が今どこまで進んでいるのか、嶋野がどうしていくつもりなのかは分からないが、そんな事は真島には関係の無い事だった。
組の旗揚げを諦めて、会った事もない奴と兄弟盃を交わして、好きでもない商売をしていく気になど、天地がひっくり返っても絶対ならないと断言出来るのだから。
翌日、は午前中の内に真島の部屋を出て、予定通り中学時代の級友の結婚披露宴に出席した。
会場は都内のとある一流ホテルで、それはそれは盛大な披露宴だった。
きらびやかに飾り付けられた大広間に何卓も用意された客席、料理は豪華な食材がふんだんに使われたフランス料理のフルコース、見上げんばかりにそびえ立つウェディングケーキ。
新郎新婦はゴンドラに乗って天高くから入場して来て、新婦は披露宴の3時間程の間に、赤い色打掛から純白のウェディングドレス、鮮やかな青いドレスと、次々にお色直しをしてはその装いをめまぐるしく変えた。新郎の方は黒の紋付き袴と白いタキシードの2着だったが、新婦はその3着に加えて、披露宴の前に親族だけで行われた結婚式で白無垢も着たようで、実に新郎の倍の数の衣装を纏った事になっていた。
この通り、衣装の面では圧倒的に新婦が優勢だったが、招待客は新郎の方が優勢だったようで、新郎側のテーブルの方が多く、かつ勤務先の上司や同僚がその大半を占めているようだった。
新郎は大手都市銀行に勤めるエリート銀行員、新婦は大阪の某百貨店に勤めていたのを寿退社した専業主婦、まるで絵に描いたように完璧で前途洋々な若夫婦だった。
「〜!今日は来てくれてありがと〜!」
披露宴が終わって暫くして、ホテルのロビーに新郎と腕を組んで出て来た級友は、ソファに座っていたを見つけると、笑顔で手を振りながら歩み寄って来た。
も笑顔で手を振り返しながら立ち上がった。帰る前にもう一度挨拶だけしておこうと思って、彼女が出て来るのを待っていたのだ。
「ううん、こっちこそありがとう。素敵な披露宴やったわ〜!」
「そ〜お?そう言って貰えたら良かったけど。」
「急にお誘いして、本当にすみませんでした。」
彼女の隣で、新郎がすまなそうに笑いながらペコリと頭を下げた。
「いいえ、とんでもない!お声掛け頂いて嬉しかったです。改めまして、おめでとうございます。どうぞ末永くお幸せに。」
「どうもありがとうございます。じゃ、僕はちょっと失礼して。」
新郎が自分の招待客の方へ行ってしまうと、級友は途端に決まりの悪そうな顔になって声を潜めた。
「ホンマごめんなぁ〜。急に東京での披露宴に出て欲しいなんて言うて。も〜、あの人が見栄張って銀行の人何人も呼ぶ言うから、人数合わすの大変やって〜ん!
そらあの人は招待客の大半が仕事関係で、皆こっちに住んでるから来てくれるけど、あたし大阪やん?しかももう仕事も辞めてるしさぁ。
も〜、どんだけ声掛けても、なっかなか人が集まらんかってん!元勤め先の人らには休み取り難いから〜言われて、友達連中には子供おるから〜とか家空けたら旦那が怒るから〜とか言われて。」
幸せ絶頂の筈の新婦に苦虫を噛み潰したような顔で愚痴を吐かれて、は思わず苦笑した。
「まあまあ、そない言わんと。」
「が来てくれてホンマ助かったわ〜!この歳で自由利く子って、もうあんまおらんやん?」
「あー、まぁな〜。」
「もうさぁ、皆何かっちゅーたらダンナが〜コドモが〜ってさぁ。こっちは散々アンタらの結婚式に出て祝儀出してきたのに、自分の番だけ済んだらあと知らん顔かっちゅーねん、なぁ!?」
「ふふふ、それは言えてる。ちょっと気ィ悪いよなぁ。」
「ホンマやでー!あーあ、やっぱり女は25過ぎたらあかんなぁ!何かと損するわぁ!
、アンタもボケーッとしとったらあかんでぇ!27なんてもうあっという間に30やねんから!相手探しやと思ってやっぱし二次会来たら?独身の銀行マン何人も来るでぇ?」
そう言われた瞬間、はそっと、右手の薬指に嵌めているアクアマリンの指輪に触れた。
真島という恋人がいる事を、は彼女に言っていなかった。日頃友達付き合いもしていないのに、言う必要が無いと思ったからだ。
それにきっと、彼女の感覚では、真島の事を話したところで理解は出来ないだろう。
ヤクザなんてとんでもない、そんな危険な男とはさっさと別れろとか何とか、求めてもいない的外れなアドバイスを一方的に貰うだけになるのが関の山だ。
「ざ〜んね〜んで〜したぁ。私早生まれやから今年で26なんですぅ〜。」
がふざけて軽口を叩くと、彼女もふざけた感じの苦笑いになった。
「何やのそれぇ〜!ムカツク〜!あはははっ!」
「ふふふふっ!・・・折角やねんけど、仕事もあるし、二次会は遠慮させて貰うわ。ごめんやで。」
「そっか、残念やけどしゃーないな。ほな気ィつけて帰ってな。今日はホンマありがとう。」
「こっちこそ。ご主人にも宜しく伝えておいて。」
『ご主人』という言葉に反応したのか、彼女はようやく幸せそうにはにかみ、うんと頷いた。その内に誰かが彼女を呼びに来て、彼女はに手を振り、向こうへ行ってしまった。
一人になると、はフゥ、と溜息を吐いた。
人数合わせである事は最初から承知の上だったが、ああもあけすけに言われると、流石にあまり良い気はしない。でもきっと彼女に悪気は無かったのだろう。幸せ過ぎて気が回らず、ついうっかり口が滑っただけだ。
それにの方も、店を休む理由と往復の新幹線代を貰って真島に会いに来たのだから、おあいこというものだった。
ともかく、これで用事は済んだ。
今頃多分真島も近くまで迎えに来てくれているだろうし、さっさとここを出ようと、はソファに置いてあった引き出物の大きな紙袋を取り上げて歩き出した。
「あの、二次会行かれないんですか?」
歩き出してすぐ、誰かがを呼び止めた。
振り返ると、さっきの披露宴の招待客だったのであろう男性がいた。
30そこそこ位の、なかなかにパリッとした感じの人だった。
「ええ。私はこれで失礼します。」
「そうですか!いやぁ、実は僕もなんですよ〜!良かったら途中までご一緒しませんか?」
男性はにこやかな笑顔を浮かべて、そう誘ってきた。
「折角ですけど、私はすぐそこで車に乗る予定ですので。」
「いや全く、全然それで構いませんよ!僕も適当にタクシー拾おうと思っていましたし!そこまで荷物でも持ちますよ。これ重いでしょう?」
「いえそんな、悪いですから・・・・」
「遠慮せずどうぞどうぞ!さあ!」
彼は有無を言わさず、の手から紙袋を奪い取った。
持って貰う気は無いのだが、かと言って、結構ですとひったくり返す事も出来ず、は渋々ながらも微笑んで頭を下げた。
「すみません、ありがとうございます。じゃあ本当にすぐそこまでだけ・・・・」
「じゃ、行きましょうか!」
促されるがまま、は仕方なしにこの見ず知らずの男性と並んで歩き始めた。
「あ、申し遅れました。僕、山本といいます。」
「です。」
「新婦の友人席に座っていらっしゃいましたよね?実は気になってたんですよ〜、綺麗な人がいるな〜って。ははは。」
「いえ、そんな事・・・・」
「ずっとお一人で、他の招待客と殆ど喋ってなかったでしょう?」
「ええ。私は新婦の中学時代の同級生で、他の方達とは面識がありませんでしたので。」
「そうでしたか。僕は新郎と同じ課の者なんですけど、正直、断れなくて来ただけで。ほら、皆出席するのに、僕だけ断る訳にもいかないでしょう?」
「ああ、それはそうですねぇ。今日はお疲れ様でした。」
は商売用の愛想笑いを浮かべて、適当に肯定的な返事をした。
すると、それに気を良くしたのか、彼は益々勢い付いて喋り出した。
「別に個人的な付き合いも無いのに、折角の週末を潰されてご祝儀まで払わされて、最初は正直いい迷惑だと思ってたんですよ。
でも、来た甲斐がありました。こんな素敵な方と知り合えたんですから。」
「そんな・・・・・」
「新婦は大阪の方でしたっけ。って事は、さんも大阪の方ですか?」
「ええ。」
「お勤めはどちらで?」
その社交辞令的な質問にどう答えるべきか、は一瞬迷った。
「今、転職先を探しているところなんです。前は商社に勤めていたんですけど。」
水商売をしていると正直に言わなかったのは、銀行員の妻となった級友に悪い噂が立たないようにする為と、何よりも、この山本という男の関心をこれ以上惹きたくなかったからだった。
経営者として、店の宣伝と営業は大いにしなければならないところだが、ここでするべき事ではなかった。
「そうなんですか〜!あ、もしかしてキャリアウーマン志望とか?」
「あ、いえ、そんな立派な事じゃないんですけど・・・・。」
「いや〜、もっと色々話したいなぁ〜!どうです?立ち話も何ですから、良かったらちょっとそこらでコーヒーでも?」
「すみません。折角なんですけど、私この後予定がありますので。」
「そうですかぁ・・・・・。あ、じゃあ名刺渡しておきますので、連絡下さい!ね!?」
山本はその場で立ち止まり、引き出物の紙袋を両方とも無造作に地べたに下ろして、名刺を取り出しに手渡した。
「僕、出張で結構大阪へ行く事があるんですよ!連絡下さったら必ず都合つけますので!」
「どうも・・・・・」
が曖昧に笑った瞬間、向こうから徐行してきた車がすぐ側で静かに停車し、運転席のドアが開いた。
そこから出て来た人、真島の姿を見て、はあっと小さく声を上げた。
某ブランドの小洒落たシャツと黒いスラックスに身を包み、サングラスで両目を隠した真島は、落ち着き払った紳士的な微笑をその口元に湛えて、山本の方に歩み寄って行った。
「ああ、これはどうも。荷物を持って下さったのですね。ご親切にありがとうございました。」
「え・・・・・・!?あ、あの・・・・・?」
山本は困惑を露わにして、と真島とを交互に何度も見た。
「どちらが彼女の分の荷物でしょうか?」
「え、あ、こ、こっち、ですけど・・・・」
「ありがとうございます。」
真島は、山本が狐につままれたような顔で指さした方の紙袋を取り上げ、に向かって『行こうか』と促した。
その一声で我に返ったは、慌てて微笑み、山本に向かって頭を下げた。
「どうもありがとうございました。それではこれで失礼します。」
「お手数をお掛け致しました。」
真島もそう言い添えて、山本に会釈をした。
ポカンとしている彼をその場に残して、は真島と共に車に乗り込んだ。
その直後は互いにまだ商売用の態度のままだったが、車を走らせるにつれて真島の口元がどんどん厳しく引き締まっていき、やがて忌々しげな舌打ちの音が車内に小さく響いた。
「・・・・・ふふっ」
「・・・・・何笑ろてんねん」
「むっちゃ怒ってるやんと思って。」
ハンドルを握る真島のムスッとした不機嫌そうな横顔が、とても新鮮だった。
「大分待った?」
「多少な。あんまりど真ん前におんのもアレやなと思って、ちょっと離れたとこで待っとったんや。
ほんだら向こうからよう似たチンチクリンがスカした男連れて歩いて来るから、まさかな〜と思とったら、やっぱりお前やんけ。」
「誰がチンチクリンや。ちゅーか私が連れて歩いてたんとちゃうで?帰ろうと思ったら、途中まで荷物持ちますよって言われて、勝手に荷物持って行かれてもうてん。親切の押し売りや。」
それに対してまるで言い訳みたいな事を言っている自分もまた、笑える位に新鮮だった。
水商売という職業柄、お互いに焼きもちなんて焼くだけ気力の無駄だと分かっているから、今まで一度もこんな事は無かったのだが、真島は今、明らかにさっきの男に対して妬いていた。
実はちょっと嬉しいと言ったら、真島は本当に怒り出すだろうか?
ついこみ上げてきそうになる笑いを堪えて素知らぬ振りをし、真島の反応を待っていると、真島はむっつりと口を噤んだままハンドルを切って、路肩に車を寄せて停めた。
「・・・名刺貰ろとったやろ。出せや。」
誰もがビビり上がるこの強面が可愛く見えるなんて、おかしいのだろうか?
自分に対して一抹の疑問を抱きながらも、さっき貰った名刺を言われるまま素直にはいと差し出すと、真島はそれを没収とばかりに取り上げて真っ黒なサングラス越しに眺めた後、ビリッと真っ二つに破き、窓を開けて車外へポイと捨ててしまった。
「あ。もー、何すんのよ。」
は車を降りて、真島が破り捨てた名刺を拾った。
ちょっと辺りを見回すと、丁度すぐ近くにポッポがあったので、そこのゴミ箱に捨てに行き、店内に入って真島の吸っているハイライトを1箱買って車に戻った。
「ゴミはゴミ箱へ、やろ?はい、待たせたお詫び。」
の差し出した煙草を、真島は口を尖らせたまま受け取った。
「・・・アホか。こんなんで俺の機嫌が取れると思うなよ。」
「じゃあどないしたら機嫌直んの?」
ガラの悪いサングラスを取ってやると、眼光鋭い隻眼がをジットリと睨んでいた。
怒っているというよりは、拗ねている目だ。
可愛い。
そう思った瞬間、真島が急に顔を近付けてきて、噛み付くようなキスをされた。
「んっ・・・・・!」
舌を絡め取られ、唇を甘く噛まれて、苦しくなる位に吐息を吸い尽くされた。
ほんの何秒かで通り過ぎた、小さな嵐のようなキスだった。
真島は唇を離すと、の手からサングラスを取り返してもう一度かけた。
「・・・取り敢えずこれで直しといたる。」
「取り敢えず・・・・・?」
「帰ったら覚えとけよ。昨日の晩早よ終了した分、今夜は寝かせへんからな?」
真っ黒なレンズに隠されてまた見えなくなってしまった真島の目を、はじっと見つめた。
「・・・・・ご飯食べてからな。」
がそう答えると、真島は一瞬止まってから、おかしそうに笑い出した。
「何やねんその色気の無いリアクションは。ひひひひっ!」
「だってお腹空くやんか。ふふふっ。」
何とか巧く誤魔化せたのは、真島のサングラスのお陰に違いなかった。
レンズの向こうが全然見えない程真っ黒なそのサングラスが無かったらきっと、凄く恥ずかしくなるような反応をしてしまっていただろうから。
「あ、ぁっ・・・・!あんっ・・・・・・!」
今夜、真島はいつになく溺れていた。
己の与える快感に溺れているに、溺れていた。
「あ、あっ・・・・!そ、こ・・・・・・」
「ここか・・・・?」
「あぁんっ・・・・!」
夜の世界で生きているの周りには、いつも沢山の男達がいる。
大企業で役職に就いている奴、経営者、芸能人、人から『先生』と呼ばれる立場にある奴だっている。
しかしそのいずれに対しても、どうこう思った事は無かった。そいつ等は皆、只の客だからだ。
軽い気持ちであわよくばを狙う奴だろうが本気で口説く奴だろうが、にとっては皆等しく只の客、更に突き詰めると、生きていく為に必要な『金』だからだ。
「あっ、んん・・・・!や・・ぁぁっ・・・・、も・・・、あぁっ・・・・!」
けれども、さっきの男は客ではなかった。
の様子から考えるに、心配するような事は何も無かったし、ましてやの心は疑うべくもないのだが、それでもどうしてか、並んで歩いている二人を見た途端、流しきれない嫉妬の念に駆られてしまった。
が、堅気の世界に生きてきた女だからだろうか?
エリートビジネスマンと結婚し、皆に祝福される友達の眩しい晴れ姿を見て、羨ましくなったりしたのではないかと考えてしまったからだろうか?
それに比べて、水商売をしながらこんな極道者と先の保証も無くただ付き合っているだけの自分を顧みて、嫌になったりするのではないかと、ふと不安になってしまったからだろうか?
「あぁぁっ・・・・!やぁっ・・・・!も・・・、あかん・・・・!また、ぁ、ぁぁっ・・・・!」
「ええで、イけや、何遍でも・・・・」
「ああぁぁっ・・・・・!」
を何度目かの絶頂に押し上げてから、真島はようやく前戯を終わらせた。
濃厚な愛撫でをトロトロに蕩けさせるのも快感なのだが、それに刺激されてはち切れんばかりになっている自身が熱を帯びて激しく疼き、流石にもう限界だった。
だが、コンドームの箱を取って開けてみると、中が空だった。
「しもた・・・・。ゴム昨日で無くなっとったん、すっかり忘れとったわ・・・・。」
「えぇ・・・・・?」
躊躇いを感じなくはなかったが、そんなもの、の艶めかしい姿の前には、吹けば消し飛ぶ塵の如くだった。
もまだ呼吸が整いきっておらず、トロンと蕩けた表情をしている。
お互いこんなに昂りきった状態で一時中断や、まして終了なんて、とても我慢出来ない。真島はを改めて組み敷き、大きく開かせたの太腿の間に腰を寄せた。
「ええやろ・・・・・?気ィつけとくから・・・・・」
「うん・・・・・」
柔らかく綻び蜜を滴らせている花芯に自身の先端を押し当てると、の温もりが直に伝わってくる。真島は慎重に腰を沈めて、の中をゆっくりと貫いていった。
「あ・・・あぁぁぁっ・・・・!」
「っ・・・・・!」
温かい内壁に自身を絞り上げられる快感が強くて、詰まった声が思わず洩れる。
限界を突破してしまった己を抑える事はもう不可能で、待ったなしに腰が勝手に動き始めた。
「あっ!あんっ・・・・、あぁっ・・・・!」
己の腕の中で揺れて乱れるが、愛しくて堪らなかった。
こうして身体を重ねて快感と幸福感とに酔いしれていると、つい口が滑ってしまいそうになる。不安定な状況は相変わらず同じままなのに、酔いに任せて永遠の愛なんていうものを約束してしまいたくなる。
そして、にも同じ事を求めてしまいそうになる。
何の保証もしてやれない分際で。
「あっ・・・・!あぁっ・・・・・!」
「・・・・・!」
真島はの華奢な首筋に顔を埋めて、そこに何度も口付け、柔らかい耳朶を優しく啄んだ。を悦ばせつつ、無責任に滑ってしまいそうな己の口を封じる為に。
高まっていく一方のこの快感と幸福感のままに理性を手放してしまう訳には、やはりいかなかった。
「あっ、あぁんんっ・・・・・・!」
の腕が、縋り付くようにして真島を強くかき抱いた。
同時にの中が一層締まって狭くなり、真島を更に心地良く締め付けてくる。
身体を駆け巡るような快感にまた一段と加速がついてどんどん追い立てられていき、真島は息を荒げながら、貪るように激しくを突き上げた。
「あんんぅっ・・・・・・!」
甘い喘ぎ声を洩らすの唇を深いキスで塞いで、猛然と腰を打ち付けて、二人して昇り詰めていく。
の中はとめどなく湧き出る蜜で益々熱く潤って、真島が突き込む度に淫らな結合音を立てている。
そのうちに激しい高揚感がやって来て、いつもならこのままこれに身を任せ、の奥深くで最高潮の快感と共に弾けて果ててしまうのだが、今回は名残惜しさを振り切って、絶頂の高みに辿り着くその直前に、一思いに腰を引いた。
「んんんぅぅっ・・・・・・!」
「く、ぅぅっ・・・・・・!」
小さな口に自身の先端のくびれが引っ掛かる刺激が最後の一押しとなって、の中から完全に抜き去った正にその瞬間、濃厚な白濁液がの下腹部に迸った。
「ぁっ・・・・んんっ・・・・、ぁ・・・っ・・・・」
「ぅ、くっ・・・・、ぁぁっ・・・・!」
激しい絶頂にその身を震わせているの下腹部に、真島は暫しそのまま放出を続けた。ドクドクと自身が脈打つ度に吐き出される白濁液が、柔肌の上に大きく溜まり、楚々とした茂みに絡んでいく。
やがて全てを出し切って落ち着くと、真島はまだ放心状態のに代わって、ティッシュでそれを拭き取り綺麗にした。
それから自分の後始末もして、心地良い疲労感に浸りながらの隣に寝転がると、が閉じていた瞼を気だるげに持ち上げて微笑み、真島に身をすり寄せてきた。
快楽の激しい波に攫われた後の二人に優しく押し寄せてくる、凪いだ水面のように穏やかな余韻。一時それに漂うのも、また深い歓びだった。
「一服したらちょっとそこのMストア行って来るわ。」
「え、何で?」
「2ラウンド目以降に備えてゴム買うてこな。」
「以降って何よ。何回する気?」
「何言うてんねん、今夜は寝かせへんて言うたやろ。」
「え、嘘やん、本気?」
「嘘や。」
「何やそれぇ!」
「お、ちょっとガッカリした?イヒヒヒッ!」
「ちゃうわ!あはははっ!」
先の事を考えると、焦りもするし、ふと不安に駆られたりもする。
けれども、こうしてと二人寄り添って、戯れのように髪に触れたり指を絡めたり、取り留めのない事を喋ったり、冗談を言って笑い合ったり。ただこんな夜を過ごせるだけでも幸せだった。
5年前に一度は失ってしまったそれをこうして取り戻す事が出来たのは、それだけでも奇跡で、そしてこの先もずっと続いていくものだと、真島は心から信じていた。
翌日、真島は朝食を済ませると、午前中のうちに出掛けて行った。
真島は今、シノギの一環として神室町に新しくオープンするカフェの出店業務に携わっていて、今日はそのテナント内覧を兼ねた打ち合わせがあるのだという。
真島を送り出して一人になったは、片付けや洗濯を済ませると、身支度をして神室町に繰り出した。美麗の誕生日プレゼントを買ってから、昼の3時に真島と合流する事になっているのだ。それから、夕方にバイト上がりの美麗を迎えに行って、3人で少し早めの誕生祝いをする予定だった。
今回、勝矢は撮影で忙しく、残念ながらどうしても来られないようだった。
運の向いてきた勝矢の躍進は勿論喜ばしい事だったが、依然としてチャンスを掴めないままの美麗の心境を思うと、内心複雑ではある。
だが、当の美麗が勝矢の成功を我が事のように喜んでいるのもまた事実なので、あまり余計な気を回さず、今日はただ、間もなく17歳になる美麗の誕生日を祝う事に専念するのが良さそうだった。
今日の誕生祝いでは、がプレゼントを贈り、真島が食事をご馳走する手筈になっていた。
食事をする店は真島が何やら良さげな店を押さえているようだったが、さて、自分は何を贈ろうかと色々考えた末、はブランドショップの『ル・マルシェ』に足を運んだ。
選んだのは、フランス製の革財布だった。
初めて会った時に見た美麗の財布が、随分使い込んだ感じのナイロン製で、縁取りの部分が少し擦り切れてもいた事を思い出して、これを選んだのだ。
少し値は張ったが、その分品質は良いし、定番デザインだからこの先も長く使っていける。美麗もきっと喜んでくれるに違いないと思うと早くも嬉しくなってきて、は綺麗にラッピングしてブランドの紙袋に入れて貰ったそれを手に、上機嫌で店を出た。
取り敢えずは何となく歩いてみたが、真島との待ち合わせまでにはまだ時間があった。真島の部屋に一度帰るには忙しないし、かと言って、ちょっと一服した位ではまだ持て余してしまう程度だ。
街をブラブラ散策するか?喫茶店でコーヒーでも飲むか?それとも、真島のポケベルを鳴らしてみるか?
暇の潰し方だけを考えながら歩いていると、いつの間にか公園の前を通り掛かっており、そこで小さな女の子を連れた背の高い若い男が慌てふためいているのを見かけた。
「も、もう少し我慢出来るか!?」
男の問いかけに、女の子は困った顔をしてフルフルと首を振った。
「ぬうう・・・・、じゃあ仕方ねぇ、ちょっとそこらで・・・・、つってもこれじゃあなぁ・・・・」
男が益々困ったようにチラリと目を向けた先には、酒盛りをしている浮浪者のグループがいた。
「じゃ、じゃあそこの店でトイレ借りてこい!」
男は次に、公園の真ん前にあるプリンスというカレー屋を指差したが、女の子はそれにもフルフルと首を振った。
「しーちゃんひとりでいけないー。」
「なっ・・・・!?」
最高潮にテンパった男の顔と一連の会話とで、合点がいった。
ワインレッドのシャツにライトグレーのスーツを着て、独特の鋭い眼差しをしているこの男は、まず間違いなく極道だったが、だからと言ってこの状況を無視して素通りするという選択肢は浮かばなかった。
「あの、良かったら何かお手伝いしましょうか?」
が声を掛けると、男は案の定、助けてくれと言わんばかりの目でを見た。
「この子、お手洗いに行きたがってるんですよね?」
「あ、ああ、そうなんだ!公衆トイレに連れて行こうにも我慢出来ねぇって言うし、そこらでさせようにも人目があるし、そこの店で借りてこいっつっても一人じゃ出来ねぇって言うし・・・・!」
「じゃあ、私が連れて行きましょうか?」
「本当か!?助かる!是非頼む!」
男はその凛々しい面魂を必死の形相にして、の方へ女の子をズイと突き出した。
若い父親・・・のように見えなくもないが、この如何にも慣れていなさそうな慌てぶりを見る限り、父親ではないのだろうか?
しかしそんな事よりも、今はとにかくこの子をトイレへ連れて行ってあげるのが先だった。
男の示したカレー屋は、お礼代わりの注文に丁度良いちょっとしたメニューは無さそうだし、かと言ってトイレだけ貸して下さいというのも言い難い。
はパッと辺りを見回してから、腰を少し屈めて女の子に訊いた。
「お姉ちゃんがおトイレ連れて行ってあげるわ。あそこのハンバーガー屋さんまで我慢出来る?」
女の子はおずおずとを見上げて、ようやくコクンと頷いた。
「よっしゃ!ほな行こ!おいで!」
は女の子の手を取り、すぐ向こうに見えている中道通り沿いのスマイルバーガーを目指して小走りし始めた。男は動かないだろうと思っていたが、その予想に反して、男もと女の子のすぐ後ろをついて来た。
店内に駆け込むと、店員の女の子が明るいスマイルを浮かべて、『いらっしゃいませー』と注文カウンターの方へを誘おうとしてきたが、そこへは立ち寄らず、まっすぐにトイレを目指した。
「あの、お客様!ご注文は!?」
「あ、すいません!注文は後で!」
は女の子と共に地下への階段を駆け下りて、トイレに滑り込んだ。
間一髪間に合って、女の子は何とか無事に用を足す事が出来た。
全てが終わってからトイレを出て、あの男はどうしたかと姿を捜してみると、彼は1Fのテーブル席に座っていて、と目が合うと少しバツの悪そうな笑みを浮かべて、こっちだ、と手を挙げた。
「お陰で助かった。本当にありがとう。」
と女の子が席に腰を落ち着けると、男は居住まいを正してに頭を下げた。
「いえ。こちらこそ、沢山ご馳走になってしまってすみません。」
も同じように頭を下げ返した。
トレーの上には、彼が買ってくれたジュースやポテトやバーガーやナゲットがわんさかと載っていた。その代金を払う気は勿論あったのだが、がお金を差し出しても、男は頑として受け取ってはくれなかった。
「いや、良いんだ。何かよく分からねぇままウンウン返事してたら、こんな事になっちまっただけだから。遠慮しねぇで食ってくれ。ほら、お前も食いな。」
男はそう言って、の隣に座っている女の子の手元に、デザートのバナナパイを差し出した。
箱を開けられない女の子の代わりに開けてやり、揚げたてでまだ熱いそれを、気ィ付けて食べやと食べ方を教えつつ渡すと、女の子はハフハフ言いながら美味しそうに食べ始めた。2歳か3歳位だろうか、なかなか可愛らしい子だ。
は女の子に微笑みかけながら、『おなまえは?』と優しく尋ねた。
すると女の子は、キョトンとした愛らしい瞳で暫くの顔を見つめてから、しーちゃん、と答えた。続けて『いくつ?』と訊くと、女の子はまた同じように暫くを見つめてから、みっちゅ、と答えた。
そのどちらにも口添えしようとしなかったところから考えても、男はやはりこの子の父親という訳ではなさそうだった。
「この子、あなたのお子さんじゃないんですか?」
「ああ。ちょっと知り合いの女から預かったんだ。」
男はコーラを一口飲むと、顔を顰めて話し始めた。
「歩いてたら、さっきの公園でこの子を連れたその女にバッタリ会ってな。ちょっと子供を見ててくれって言うから預かったら、これがなかなか戻って来なくてな。」
「はぁ・・・・・。戻って来ぇへんって、一体どれ位?」
「もうかれこれ3時間は経つな。」
この男の説明が事実なら、それはあまり『ちょっと』とは言わない長さだった。
「流石にこれ以上見ててやれる程こっちも暇じゃねぇし、かと言ってこんなチビを一人で置いて行く訳にもいかねぇんで、母親を捜しに行こうとしたら、ションベンしたいって言い出して・・・・。で、そこにアンタが通り掛かってくれたって訳だ。」
「そうでしたか。」
「すぐ近くに馴染みの店があるにはあるんだが、この時間だと閉まってて誰もいねぇし、どうすりゃ良いのか本当に困ってたんだ。
アンタが声掛けてくれて本当に助かったぜ。もし俺が一緒にトイレに入ったりなんかしたら、確実に警察呼ばれて、今頃とんでもなく不名誉な罪を着せられてパクられてたとこだ。」
男は低くて渋みのある美声でそうぼやいた。
スッキリとした短髪が男らしくて潔い、キリッとした男前なだけに、もしそうなっていた場合の事を想像するとやけに可笑しくて、悪いとは思いながらもつい笑ってしまった。
「ふふふっ・・・・・!それは災難でしたねぇ。お役に立てて良かったです。」
「いや本当に、お陰で助かったよ。ありがとう。ところで、アンタ関西の人か?」
「ええ。」
「こっちには遊びに?」
「ええ。」
「なら、気を付けて楽しんでいってくれ。この街は色々と楽しい所も多いが、タチの悪い店や危ねぇ場所も沢山ある。ヤバい奴等もよくウロついている。若い女が一人で歩いていると何かと危ねぇから、用心しろよ。」
男の目は鋭く、それでいて温かみがあった。
顔も形も全く似通ってはいないのだが、その目が何故だかちょっと真島に似ているような気がした。
この人は多分、日頃からこの辺りにいる極道なのだろうが、真島の事を知っているだろうか?訊いてみようかと思いかけたが、一瞬チラリとそう思っただけでやめた。
もしも敵対する関係だった場合の事を考えると、余計な事は話さずにおくべきだった。
「はい。ありがとうございま・・・ひゃっ!」
そろそろ失礼しようと礼を言いかけたその時、男の背後のウィンドウに、片目をひん剥いた真島がへばり付いているのに気付いて、は飛び上がりそうな程驚いた。
尤もそれはガラスの向こうにいる真島も同じで、彼もまためいっぱい驚いた顔をしていた。
「うおっ!兄さん!」
怪訝そうに後ろを振り返った男も、そこに張り付いている真島を見るや否や、驚いてそう口走った。
「に、兄さん?」
やっぱり知り合いなのだろうか?
訊こうとしたその瞬間、男は張り詰めたような緊張感を漂わせ、にチラリと目を向けた。
「この辺で一番ヤバい極道だ。何だか知らねぇが、この様子、ちょっと只事じゃねぇ・・・・。おいアンタ、早く逃げた方が良い・・」
男の忠告は、少し遅すぎた。
男がを逃がしてくれようとした時には、もう既に真島は店内へと踏み込んで来ていた。
「・・・・何しとるんや、キリュウちゃん?」
一触即発の危険な空気を醸し出しながら達のテーブルにツカツカとやって来た真島は、男を見下ろし、ドスの効いた低い声でそう訊いた。
『キリュウ』と呼ばれたその男は、眉ひとつ動かさずに軽く頭を下げた。
「これは真島の兄さん、どうも。」
「何しとるんやて訊いとんねん。」
キリュウという男はそれには答えず、もう一度に目を向けて、『アンタ、早く行け』と小さく呟いた。
その次の瞬間、真島がその鋭い隻眼をカッと見開いた。
「何でお前がと茶ぁしばいとんねん!ほんでこのガキ何や!?いつの間にこさえたんじゃ!?まさかに産ませたんか、ああ!?」
真島の何もかもに驚き恐怖した女の子が、目に見えてビクン!と震えて竦み上がった。
は大きく溜息を吐いて、真島の尻をバシッと叩いてやった。
「何をアホな事言うてんの。おっきい声出しなや。お店の迷惑になるし、この子も怖がるやろ。只でさえそんな怖い見た目してんのに。」
店中の人間が、点になった目を一斉にへと向けた。
「「ど、どういう事だ(やねん)!?」」
その中でも、最も目が点になっていたのは他でもない、この二人の男達だった。