夢の貌 ― ゆめのかたち ― 6




週が明け、月が変わった7月頭のある夜、真島は予定通りに大阪を訪れた。いつもは一人なのだが、今回は嶋野と、そのお供としてついて来た組の連中も何人かいた。
大阪での用事というのが何なのか、嶋野はまだ明かしてくれていなかった。
いや、もしかしたら、明かす気は無いのかも知れない。
一緒に来るには来たが、の店へ行った後からは別行動で、嶋野とお供の連中は、そのまま翌日には東京へ戻る事になっているのだ。
お前も色々忙しいやろ、という親の心遣いの形を成したそれを、子分の立場でどうして詮索出来ようか。
だが、分からないなら分からないで構わない。
の言う通り、こちらに出来るのは、店に来る嶋野を精一杯もてなす事だけだ。
真島は努めて心を無にして、嶋野をの店へ案内した。
嶋野はともかく、お供の奴等にまで自分のプライベートエリアに踏み込んで来られるのは正直不愉快なのだが、こうなってはやむを得ない。
腹を括っていると、嶋野はふと立ち止まり、財布から万札を何枚か抜いてお供の連中に渡した。


「おう、お前らはちょっとここら辺で適当に遊んどけや。」

嶋野の渡した金は、この辺りで遊ぶにはギリギリ、いや、何なら少し足りない位の額だった。
そう、嶋野は何も本気で子分共に羽を伸ばさせてやりたいと思っているのではなく、ただ人払いをしたいだけに過ぎなかった。
こいつ等もその辺は弁えていて、即座に礼を言ってその金を受け取ると、そそくさと散って行った。
多分、その辺りの割烹かどこかで軽く一杯ひっかけてから、後はずっと嶋野が出て来るのを番犬のように待ち続けるのだろう。
連中の去って行く後ろ姿をチラリと見送ってから、真島は嶋野の為にドアを開け、どうぞと頭を下げた。


「いらっしゃいませ、クラブパニエにようこそ。お待ちしておりました。」
『いらっしゃいませ。』

店のフロントには、上品な薄桃色の着物でたおやかに装ったが、既にホステス達を率いて待機しており、嶋野が店内に足を踏み入れると、一斉に深々と頭を下げて出迎えた。


「初めまして、嶋野様。私、この店のママをしております、と申します。」

が名刺を差し出すと、嶋野はその大きな手でそれを受け取り、を値踏みするように一瞥して薄く笑った。


「・・・ほ〜う。こらどえらい別嬪や。ホステスも上玉揃いやし、ええ店やないか。」
「恐れ入ります。」
「嶋野や。宜しゅう頼むわ。そんな畏まってくれんかてええで。こういう店のオネーちゃんらは皆、儂の事を『親分さん』言うて呼びよるわ。」

差し出された嶋野の名刺を、はまた恭しく頭を下げて受け取った。


「畏まりました。ではそのようにさせて頂きます。お席の用意をしておりますので、こちらへどうぞ。」
「おう。」

案内されたのは、店の一番奥にあるVIP席だった。今夜、は嶋野の来訪に備えて店を貸し切りにし、贅を尽くしたもてなしの準備を整えてくれていた。
最高級の酒、豪華なアラカルト、そして、トップ3を筆頭に、いつも以上に美しく装った数々の美女達。
今夜の『クラブ パニエ』は、どこかアットホームで和やかな雰囲気を醸し出している普段とは違って、凛とした高級感を店内の隅々にまで漂わせていた。


「こちらが当店自慢のトップ3です。No.3の亜由美ちゃんとNo.2の美雪ちゃん、それから、No.1のゆかりちゃんです。」
「初めましてぇ!亜由美で〜す!」
「美雪です。初めまして。」
「ゆかりです、初めまして!」

の紹介を受けて、3人の女の子達はそれぞれ極上の笑顔を浮かべて嶋野に挨拶した。すると、嶋野は鋭いその目を細めて笑い、また値踏みするように彼女達を順に眺めた。


「お〜。こらまた見事に別嬪揃いやないか。」
「恐れ入ります。はるばる東京から親分さんがお越し下さると聞きまして、従業員一同楽しみにお待ちしておりました。
ひとまず私共4人がお相手させて頂きます。では、早速失礼しまして。」

は女の子達を促して、嶋野の隣に座らせようとした。
その瞬間、嶋野はそれを阻むかのように、低い笑い声を微かに洩らした。


「せやけどすまんのう。今日ははんと飲みたい思て来たんや。オネーちゃんらはまた今度の機会にっちゅう事で、今日は外してくれるか?」

いきなり予想外の事を言われて、達が困惑したのが見て取れた。
けれども、嶋野本人にそう望まれては仕方がない。
がさり気なく目配せすると、彼女達は気を取り直したようにまた笑顔を浮かべて頭を下げ、失礼しますとこの場を離れて行った。
女の子達が下がると、嶋野は真島の方を向いた。


「他の客はおらんのか?」
「今夜は親父に心おきなく楽しんで貰おう思いまして、店を貸し切りにしとります。」

店を貸し切りにして貰ったのは、単に嶋野を歓待する為だけではなかった。
関西、特にこの大阪は近江連合の膝元だ。この店の客の中にも、近江連合の息のかかった組の者が何人もいるし、何なら直参の幹部だっている。
顔も名前も広く知れ渡っている東城会直系の大幹部である嶋野とその内の誰かがかち合えば、一体どうなる事か。
何しろ『カラの一坪』を巡ったあの大抗争から、まだたったの2年半しか経っていないのだから。


「フッ。何や、わざわざそないな気ィ遣こてくれんで良かったのに。儂は構へんさかい、店開けていつも通り営業せぇや。」
「せやけど親父・・・」
「儂はこの席とママを一時貸しといて貰えたらそれでええ。
それに言うたやろ?お前が堅気の仕事しとる姿を見ぃたいて。
店が貸し切りになっとったら、あの佐川が舌を巻いとった『夜の帝王』の雄姿を見られへんやないか。」

不意打ちのように飛び出した佐川の名に反応してしまったのだろう。の瞳が一瞬、微かに揺れた。
しかしそれはほんの一瞬の事で、嶋野にはきっと気付かれていない筈だった。
佐川が喋っていなかった限り、と佐川の事を嶋野が知る由はないし、佐川がそんな事を嶋野に喋る理由も無かった筈だった。


「・・・・分かりました。ほなお言葉に甘えて、失礼しまっさ。」

真島は一礼し、ひとまずその場をに任せて離れた。
離れる寸前、チラリと目を向けると、はごくごく微かに微笑んでみせた。
大丈夫やから心配せんといて、そう言ってくれているような気がして、真島も嶋野に分からないよう、ごくごく僅かな微笑みで応えた。
取り敢えず着替えをしようと事務室へ行きかけると、そこへさっきの女の子達がコソコソと集まって来た。


「ちょっとぉ、どういう事やの支配人・・・・!?」
「今日は店挙げて親分さんを接待するて言うてたんちゃうん・・・・!?」
「ああ、すまんな。すっかり予定が変わってもうてな、貸し切りはもう終いや。
振り回してすまんけど、すぐ店開けるから、皆も大至急営業かけてくれるか?」
「それはええけどぉ・・・・」

ゆかりはVIP席の方をチラリと盗み見て、隠れるように肩を小さく竦めた。


「せやけどめっっっっちゃ顔怖いなあの人。支配人より怖いやん。」
「なぁ。支配人も大概ガラ悪いけど、あの人の方が上やわ。あの頭のせいやろか?」
「眼帯もヤバいけどスキンヘッドもヤバ過ぎるよな。しかもあのデカさ。人食い熊みたいやん。」

小さくなって声を潜めて怖い怖いと陰口を叩きまくる女の子達に、真島は思わず苦笑した。


「何でいちいち一緒に俺の悪口まで言うねんな。あんまいじめんといてくれや。とにかく皆、営業の方頼んだで。」

はーいと返事をする彼女達に形ばかり笑いかけて、真島は事務室に入った。
今はあれこれと考えても仕方がない。ともかく早くタキシードに着替えて、この店の支配人としてフロアに出なければいけなかった。



















嶋野という男は、その如何にもな荒々しい風貌に似つかず、驚く程紳士的だった。
無茶に飲まず、無理に飲ませず、声も荒げず、の肩を抱き寄せようとも、手を握ろうとさえもしなかった。
愚痴っぽくもならず、下品な話もせず、当たり障りがなく会話を成り立たせやすい話題、例えば、最近関西で人気のある芸人は誰だとか、美味い店は何処だとか、そういった事でごく自然と会話を弾ませていた。
もっと威圧的に何か言われたり、侮辱されたりする事もあり得ると覚悟していただけに、随分と拍子抜けだった。
その内にちらほらと他の客が入り始め、店内にいつもの活気が出てきて回り始めると、嶋野はそれを遠目に眺め、薄く笑った。


「よう賑おうとるなぁ。商売繁盛で結構なこっちゃ。」
「ありがとうございます。これも全部、真島さんの手腕のお陰です。いつも私が甘えて我儘言うて、何かと助けて貰ろてるんです。」

それは牽制のつもりだった。
真島は個人にとってかけがえのない人であるが、この店にとってもまた、必要不可欠な人材である。真島が定期的に組を空けているのは真島のせいではない、あの人を咎めないで欲しい、そんな一心で言った事だった。


「・・・・フフ。アイツはなぁ、こっちにおった儂の兄弟分に一時預けとったんや。
真島はそいつの持っとった蒼天堀のキャバレーの支配人として働いて、堅気の商売のイロハを学んで修行を積んだ。アンタ知っとったか?」

今でも浮かんでくる。
あのスマートな物腰も、軽い口調も、皮肉な笑みも。
は微かに笑って、かつてのパトロン、佐川司の幻影を吹き消した。


「ええ、多少は。」
「そういやアンタは確か真島の馴染みやったかいな。随分前に真島からそない聞いた気ィするわ。」
「ええ。私がこの店始める前にキャバレー勤めしてた時に知り合うたんです。」
「そうかぁ。」

嶋野はブランデーを軽く呷り、煙草を咥えた。
その先端に向かってさり気なくライターの火を差し出すと、嶋野はその火を受け取って、美味そうに紫煙を燻らせ始めた。


「儂の兄弟も言うとった事やが、アイツにはなかなか商才がある。ヤクザのシノギやのうて、堅気の商売の才能がな。
アンタは?どない思う?アイツのオンナとしてやのうて経営者としての目ェで見て、どないや?うん?」
「真島さんの経営手腕は、公平な目で見てもホンマに素晴らしいと思います。」
「やっぱりそない思うか。」

嶋野の視線の先には、優雅な物腰で接客している真島がいた。


「世の中どんどん変わっていきよる。今は儂らの若い頃みたいに、ヤクザは任侠に生きとったらええっちゅう時代やない。
これからの世の中、ヤクザ稼業に拘って齧り付いとってもあかん。折角才能があるんや、それを活かさん手ェはない。そない思わんか?」
「・・・・それは・・・・・」

どういう意味だろうか?
それを訊こうか、訊かざるべきか。
考えていると、不意に嶋野がブランデーのボトルを取り上げ、のグラスに酌をして注ぎ足した。


「ありがとうございます。頂きます。」
「おう。」

嶋野の酒を飲まない訳にはいかない。ひとまずはグラスを取り上げ、甘く芳しいその酒を飲んだ。
その瞬間、嶋野はまた口を開いた。


「真島とは先の話をしとんのかいな?」
「え・・・・・?」
「アンタも女や。色々と先の事を考えるやろう。アイツにもそういう事を一緒に考えて欲しいとは思わんか?」

それはつまり、真島との将来の事を言っているのだろうか?
そしてそれを、後押ししようとでもいう気なのだろうか?
全く予想もしていなかった嶋野の言動に、は戸惑い、暫し何も言う事が出来なかった。


「親っちゅうんはな、何やかんや己の子が可愛いし、幸せになって貰いたいと思うもんなんや。こんだけ惚れ合うて支えてくれるええ女がおるっちゅうのに、いつまでもみすみす離れて暮らさせるのは、儂としては忍びないんや。」
「親分さん、それは・・・」

やはり嶋野は、真島が東京と大阪を忙しなく行き来する生活をしているのを良く思っていないのだ。
女一人の我儘の為に、若頭が度々不在になるという不都合を、何故自分の組が強いられなければならないのだと常日頃思っていて、いよいよ我慢ならなくなったからこうして乗り込んで来たのだ。


「ああそやけど、誤解せんといてや。儂はアンタにこの店辞めぇっちゅうてんやないで。この店はええ店や。畳んだり人手に渡したりするのは勿体無い。
そやのうて、真島がこっちにしっかり根を張ったらええんちゃうかと思てな。」
「・・・・・え・・・・・?」

・・・・と、最初はそう思ったのだが、どうも違うようだった。
嶋野の意図が読めなかった。嶋野の言っている事が、まるで真島を堅気にしようとしているように聞こえたからだ。
若頭として名実共に組を支えている真島を、どうして親の嶋野が手放そうとするかのような発言に及ぶのか、には全く理解出来なかった。


「それは・・・・、あの人を組から追い出すって事ですか・・・・・?」

初めて出逢った時の真島を、思い出さずにはいられなかった。
日頃口に出す事は無いが、真島の望みは、今もあの頃と何も変わってはいない。
東京と大阪を行き来しながらしゃかりきになって金を稼いでいるのは、ひとえに東城会でのし上がる為、一人で罪を背負って投獄された兄弟分への償いの為なのだ。
死刑宣告を受け、もう二度と娑婆に出て来る事はない筈の人だが、それでも真島はその人の為に、着々と金を稼ぎ、極道としての足場を固めていっている。何もかも、全てはその人の為にしている事なのだ。
それなのに、もしもまた組を追われるような事になれば、真島はまた絶望のどん底に突き落とされてしまう。
はそれを案じたのだが、しかし嶋野は事も無げに鼻を鳴らして笑っただけだった。


「そうやない。アイツは今までもこれからも、うちの大事な若頭や。アイツの代わりは誰にも務められん。
せやけど、その仕事は何も東京でしか出来ひん訳やない。
破門でもされへん限り、何処におろうが組のモンには違いないんや。たとえムショにブチ込まれようが、地獄の『穴』に叩き落されようがな。
真島は儂の大事な子や。儂はアイツに、極道としての人生だけやのうて、アイツ個人の人生も充実させて欲しいと思っとる。アイツがこの大阪へ本格的に拠点を移したら、きっとそれが叶う。儂はそない思とるんや。
それに、誰より幸せにならなあかんのは他でもない、はん、アンタや。
こないに綺麗な花の命を、アンタはこんだけ長い事アイツに捧げてくれとるんやさかいな。」

嶋野の話術は、驚く程巧みだった。
真島本人にさえ言われた事のないような事を優しくかき口説くように言ってくれる嶋野は、全くもってが思っていたような人ではなかった。


「・・・・・ふふっ。」

は小さく笑いながら、嶋野を臆さずに見つめた。


「すみません親分さん。私、勘違いしてました。」
「あ?」
「私、親分さんの外見やお声の感じだけで、親分さんの事を昔気質の厳しい方やと思い込んでたんですけど、こんなに女心を察して下さる優しい方やったんですね。失礼致しました。ふふふっ。」
「フフッ、そうかぁ?そない言われると何や照れるのう。」
「あの人も親分さんみたいに、女心を分かってくれる人やと良かったんですけどねぇ。そやけどあの人は親分さんと違ごてニブチンやから、そんな事なーんも考えてませんわ。
それにあの人、組の事に女が口出すな言うて、私がちょっと何か訊こうとしただけでもすぐ怒るんですよ?酷いでしょう?」

は苦笑いしながら、嶋野に向かってありきたりな女の愚痴を零した。
実際にはそんな風に怒られた事など一度も無い。嘘も方便というやつである。
真島本人から聞かされてもいない話を鵜呑みにして食いついたり、ましてや勝手に何らかの返事をするのは良くない、そんな気がしたのだ。


「フッ・・・・、なるほど。」

嶋野は小さく笑うと、煙草をもう一口吸って灰皿に押し付け、おもむろに立ち上がった。


「今日は楽しかったわ。ええ酒飲ませて貰ろた。」
「もうお帰りですか?もう少しゆっくりして行って下されば良いのに。」
「そないしぃたいのは山々なんやけどな、この後予定があるんや。
ああ、真島の事なら心配要らんで。アイツはここに置いて行くわ。遠慮のうこき使こてやってくれや。」

嶋野は背広の内ポケットから札束を2つ3つ取り出し、ポンとテーブルの上に投げた。


「釣りは要らんで。さっきのオネーちゃんらの機嫌でも取ったってくれや。」

百万円の束を、まるで小銭のように無造作にばら撒く嶋野からは、思わず息を詰めてしまうような威圧感が漂っていた。
その強面や人並外れて巨大な体躯のせいばかりではない。嶋野から滲み出ている威圧感は、生前の佐川から時折感じたそれととてもよく似ていた。
苛酷な修羅の道を歩み続けてのし上がっていった極道の身体に染み付いている、ゾッとするような気配だった。


「すみません、このようにお気遣い頂きまして。ありがとうございます。」

恐縮して金を返す事は、嶋野にとってはプライドを傷付けられるのと同じ事である。
はにこやかな微笑みを浮かべて金を受け取り、深々と頭を下げた。
嶋野とが立ち上がっているのに気が付いたらしく、真島がやって来た。
落ち着き払った態度を些かも崩してはいないが、慌てて飛んで来たのであろう事は察しがついた。


「親父、お帰りですか?」
「おう。次の約束があるんや。」
「ホンマに俺もご一緒せんでええんですか?」
「構へん。お前には大事な『仕事』が色々あるやろ?弾避け代わりの番犬なら、アレらで十分事足りるわ。」
「は・・・・・」

真島と共に見送りに出てみると、店のすぐ側に嶋野組の組員らしき男達が2〜3人いて、嶋野と真島を見ると頭を下げて近付いて来た。
弾避け代わりの番犬というのは、どうやらこの男達の事らしかった。


はん、今夜は世話になったのう。おおきにな。」
「いえ、こちらこそありがとうございました。またいつでもいらして下さい。お待ちしております。」
「ああ、また必ず寄して貰うわ。真島の事、宜しゅう頼むわな。」
「こちらこそ、今後共どうぞ宜しくお願いします。」

は今一度、嶋野に向かって深々とお辞儀をした。
嶋野はそれに薄い笑みで応えてから、真島に向き直って、その喉元を飾っている黒い蝶ネクタイの端を戯れのように摘まんだ。


「佐川から聞いとった通りや。夜の帝王・・・・、フッフッ。誰が言い出したか知らんが、上手い事言うもんやのう。なかなか様になっとったで、『支配人』。」
「・・・恐れ入ります。」
「ほなな。しっかり稼げや。期待しとるで。」

嶋野がお供の組員達を引き連れて悠々と歩き去って行くのを、は真島と共に頭を下げて見送った。
暫くして顔を上げた真島は、まだ嶋野が店にいた時と変わらない表情をしていた。


「ちょっとええか?」
「うん。」

真島が嶋野の意図を今すぐにでも知りたがっているのは、わざわざ想像するまでもなかった。
店に戻って事務室に入り、ドアを閉めると、真島は一息つく暇も惜しいとばかりに、『で?親父どないやった?』とに訊いた。


「うん、大丈夫。別に何も嫌な事なんか言われへんかったで。むしろ認められてるっちゅうか、幸せ願われたっちゅうか。」
「何やて?そらどういうこっちゃ?」
「何か、私らをいつまでも離れ離れにさせとくのは忍びないとか、あんたには極道としての人生だけやのうて、個人の人生も充実させて欲しいとか言うてはったわ。あんたが本格的に大阪へ拠点を移したら、きっとそれが叶う、とも。」

は嶋野との会話の内容をありのまま正直に答えながら、先に一服した。
すると、それに釣られるようにして、真島も機械的に煙草を咥えた。
まだ些かも緩まないその表情の下で、真島は今、何を考えているのだろうか?
煙草の先にライターの火を近付けてやりながら、は真島の胸中を慮った。


「・・・・優しい人やな、嶋野の親分さん。初対面の私にも、誰より幸せになって欲しいて言うてくれはったし。見た目の印象とかあんたから聞いてた話でイメージしてた感じと全然違ってたわ。」
「・・・・ほんで、お前は何て言うたんや?」
「すっとぼけといたわ。」

そう答えると、真島は少し驚いたような顔になった。


「何かよう分からんけど、探られてるっちゅうか、そんなような感じがしてん。大阪に拠点を移すなんて話も、あんたからはいっぺんも聞いた事なかったしな。
そういうきな臭い話は、分からんふりして聞き流しとくに限るやろ?っちゅうか実際分からへんねんし。
それに、あんまり口の上手い男は信用せぇへん事にしてるねん、私。男が口先で言う事をいちいち鵜呑みにして信じとったら、クラブのママ失格やからな。」

煙草の煙を細く吐き出しながら澄ました顔をしてみせると、真島はようやくその表情を幾らか和らげて、はにかむように微笑んだ。


「・・・さすがママや。抜かりないのう。」
「そやろ〜?」

は真島ににんまりと笑いかけた。


「親分さんが何考えてはるんかは知らんけど、私は今の暮らしに何の不満も無い。今が最高に幸せや。」
・・・・・」
「先戻ってるわ。他の席ずっと任せっきりやったから、早よ挨拶してこやんと。」

お互い自分の思う通りに生きながら、ずっと変わらず愛し合っていられる今のこの暮らしは、にとって最高の幸せだった。
たとえ真島が嶋野の公認の下、この大阪に拠点を移してきたとしても、真島が心からそれを望んでの事でなければ、『幸せ』とは呼べない。
たとえ一緒に暮らせるようになったとしても、正式に結婚出来たとしても、真島が自分の望みを諦めた上での事だとしたら、それは本当の幸せではないのだから。


















結局嶋野は、真島には何も明かさないままだった。
真島もまた、敢えて何も訊かずにおいた。子分という立場を弁えての事でもあるが、それ以上に嶋野の思惑が気になったのだ。
嶋野が何を考えているのか、それが幾らかでも見えない内には下手に自分からつつかない方が良い、そう考えた真島は敢えて何のアクションも起こさず、ただ淡々と日々を過ごしながら嶋野の動向をじっと窺っていた。
その結果、嶋野が遂に動きを見せたのは、嶋野をに会わせてから半月程が経ったある日の事だった。


「失礼します。親父、お呼びですか?」
「おう、真島か。」

事務所の社長室に呼ばれて行ってみると、嶋野がいつものように社長椅子にふんぞり返っていた。
機嫌は、そう悪くはなさそうだった。
辛気臭い長雨がようやく終わったからだろうか、それとも、何かを目論んでいるからだろうか?


「どないや?大阪の方のシノギは。」
「まあ、どれもボチボチですわ。」
「今は何をやっとったかいのう?確か、お笑い芸人の何ちゃら言うとったか。」
「プロデュースです。このところのお笑いブームで、関西の芸人が全国区で人気取れるようになってきとるんですわ。それと、例の武器の取引も相変わらずで。」
「ああ、あれか。蒼天堀の中国人の武器職人のやつやな。」
「はい。あとはまあ、小さい案件も他に幾つかありますけど・・」
「ほなまあ今んとこ抱えてると言えるんはそれやっちゅうこっちゃな。それと、オンナの店と。」

嶋野の口ぶりは、ただ真島の懐具合を探りたいというだけではないような気がした。
その腹の内に何を抱えているのか知りたくて、真島はひとまずただ一言、はいと返事をするだけに留めて様子を窺った。


「実はなぁ、儂も大阪で会社を立ち上げようかと思とるんや。」
「会社?」
「せや。キャバレーやキャバクラ、ナイトクラブなんかの運営をする会社や。」

嶋野のその発言に、真島は密かに固唾を呑んだ。
それは正に、かつての『飼い主』だった佐川の表稼業そのものだった。
かつて佐川はその商売を関西で手広く営み、莫大な利益を上げていた。


「バブルバブルて世の中相変わらず浮かれとるが、どうも雲行きが怪しなってきた。
せやけど、この世の摂理は何も変わらん。男っちゅう生き物は、いつの時代も女の色香に溺れるもんや。ちゅう事は、いつの時代も女は金になるという事や。せやろ?」

嶋野の言う通りだった。
『キャバレー グランド』も『キャバクラ サンシャイン』も『クラブ パニエ』も、客は皆、女の色香に酔いに来ていた。
飲んでいるのはどこにでも売っているようなありふれた酒なのに、綺麗に着飾った女が横に座るだけで、5万10万と平気で金を落とす。高い酒なら数十万、百万を超える事もある。男のスケベ心が大きなビジネスになるというのは、万国共通の、太古の昔からの常識だ。
けれども真島個人の本音としては、その商売自体は今も決して好きではなかった。
女を使って金を稼がせ、その上前を撥ねるようにして儲けるというやり方が、己の思う男の在り方に反していて、どうも性に合わないのだ。


「大阪を中心に京都や神戸にも店を出して、グループ系列店にするんや。
新しく作る会社っちゅうのは、それを全部取りまとめて管理・運営する、まあ言うたら親元になるっちゅう訳や。
社長は儂やが、現場を直接取り仕切る実質的な代表として、真島、お前にその会社の副社長になって欲しいと思とるんや。」
「俺が、副社長にですか・・・・?」
「せや。お前には儂の代わりに実質的な最高責任者として、その会社に常駐して、今後はそこでの仕事に注力して貰いたいんや。」

から聞いていた、大阪に拠点を移すという話は、この事だったのだ。
ようやく嶋野の考えている事が見えたが、しかしどうも解せなかった。
フロント会社の責任者になれというだけの話なら、わざわざ自ら大阪に出向いてまでに話す必要が、それも真島本人よりも先に聞かせる必要があったのだろうか?


「それをやるに当たってな、向こうに協力会社がおるんや。」
「協力会社?」
「不動産会社でな。バブルに乗っかって大分派手な地上げをかましては、ホテルやらビルやらをバンバン建てとる。そこと組んでの商売や。
うちの店は全てそこの物件で出していく。『夜の帝王』と呼ばれたお前のその水商売の才覚で、うちと向こうの両方を儲けさせたって欲しいんや。」

嶋野が組むと言うからには、そこが真っ当な堅気の会社であるとは到底思えない。ほぼ確実に、バックには何処かの組がついている筈だった。
それも恐らく、東城会と敵対していない組織ではなく、あの因縁深い近江連合の息のかかった組が。


「・・・・・その会社は、何処の筋なんですか?」
「決まっとるやろ。関西を牛耳っとるのは、今も昔も近江連合や。」

1988年の冬に起きた『カラの一坪』を巡ってのあの事件以降、嶋野は近江の筋とは断交していた。
あの一件の勝者となり東城会本家若頭の座に就いた世良勝が、その後もさり気なく目を光らせていたし、土壇場で裏切られて、本部長を失うという手痛い犠牲を払わされた上に東京進出の目論見を潰された近江連合にとっても、嶋野は憎き仇敵であるから、そうならざるを得なかったのだ。
だが、嶋野はいつまでも大人しく首根っこを押さえられているような男ではない。
また、近江連合も東城会と同じく、決して一枚岩の組織ではない。
たとえ表向きは鳴りを潜めていたとしても、水面下でまた何か次の策略を練り、それを実現させる時期を虎視眈々と窺っているであろう事は、前々から察しがついていた。


「そこの取締役専務が、向こうの組の若頭や。格としてはお前と同格、不足は無いやろ?」
「・・・・・どういう事でっか・・・・・?」
「お前に、その男と兄弟盃を交わして欲しいんや。今後、向こうと円滑に信頼関係を築いていく為にな。」

兄弟盃、その言葉が真島の胸に突き刺さった。


「勿論、五分の盃や。お前が肩身の狭い思いをする事はない。
それに、向こうへ移ったら、オンナとも一緒になれる。
何やったらあの店をうちの系列店の1号店にして、資金援助してもええ。
ほんなら経営もぐっと楽になるやろうし、オンナもきっと喜ぶでぇ。どや?悪い話やないやろ?」

の笑った顔が、真島の脳裏に浮かんだ。
この話を受けると言えば、はどんなに喜ぶだろうか。
大阪に居を移し、それなりの規模の会社の副社長に収まって、と共に堅気の商売に専念すると言えば。
この話を受けたら、きっと夢が叶うだろう。
の笑顔を、ずっとずっと側で見ていたいという夢が。


「・・・・親父、大変有り難いお話やとは思います。せやけど俺は、この神室町を離れる気ィはありまへん。」

けれども、真島にその話を受ける事は出来なかった。
その話を受けるという事は、実質的には恐らく、冴島への償いを諦め、冴島を見捨てる事になってしまうのだから。
真島が兄弟の契りを結んだ男は冴島大河ただ一人、生涯においてあの男一人だけなのだから。


「俺は嶋野組の傘下で、自分の組を立ち上げさせて貰いたいんです。どうか組の旗揚げをお許し下さい。お願いします。」

真島は深々と頭を下げた。
これまでは曖昧にはぐらかされてばかりだったが、今日という今日は逃がさない。
真島は頭を下げたまま、じっと嶋野の返答を待った。


「・・・・組の旗揚げ、なぁ・・・・・」

やがて嶋野は、いつも通り気が無さそうに呟いた。


「あれはなかなか難儀やで。金回りも厳しいし、子分もこっちの思たようについて来る奴ばかりやない。
軌道に乗せきれんで結局潰してしもたら、ええ恥晒しや。下の連中にまでナメくさられて、しまいに親元の組にも居辛うなる。
何とか軌道に乗せたとしても、直系に昇格させるのがまた大変や。
それが出来ずにチンケな弱小組のまんまなとこ・・・・、お前かてようさん知っとるやろ?」

嶋野は椅子から立ち上がり、悠々と真島に歩み寄って来た。
相変わらずのその巨体と凄まじい威圧感は、すぐ真横に立たれるとそれだけで押し潰されてしまいそうだった。


「儂はな、真島。お前にそんな苦労や、惨めな思いをさせとうないんや。
そらろくに苦労らしい苦労を知らん甘ったれになら、それをさすのも有りや。
そやけどお前はもう、そういうのは駆け出しの時分に人の何倍も十分経験済みや。そやろ?」

不意に嶋野の大きな手が、真島の尻を撫で回した。
もう遠くなって色褪せていた筈の記憶が、『穴倉』での悪夢の日々が、一瞬にして鮮烈にフラッシュバックし、眩暈がした。


「儂はな、ゆくゆくはお前に、この嶋野組の跡目を継いで貰いたいと思とるんや。
三次組織なんて小っさいハコなんぞで満足すな。
折角のその商才を存分に発揮して、この嶋野組をもっともっと大きゅうしてくれや。
それはゆくゆく全部、お前のもんになるんやさかい。・・・な?」

真島はあくまで嶋野の『子』であり、嶋野への仁義を欠く気は無かった。
何があろうが、嶋野は『親』なのだから。
だが、真島吾朗個人としての嶋野への思いは、もう昔とは違うものになっていた。
冴島との約束を果たす事を阻止され、『穴倉』へ叩き落された時に。
そこで男としての尊厳を穢された時に。
とどめすら刺して貰えず、瀕死の身一つで放り出された時に。
そして、『カラの一坪』を手に入れる為に、心までも利用され、仕組まれて踊らされていたのだと分かった時に。
かつて嶋野に対して抱いていた純粋な憧れや思慕の念は、その度にひび割れ、欠けていった。


「・・・・・有り難うございます。」

時は流れ、今の真島にとって、嶋野は足掛かりだった。
今の真島が追いかけているのは、もう嶋野の背中ではない。
辿り着きたいのは、嶋野のいる場所ではなく、それよりもっと上の高みだった。


「せやけどやっぱり、俺の気持ちは変わりまへん。俺はどうしても、親父の下で自分の組を持ちたいんです。
それに、たとえ大阪に移ったとしても、その専務とやらと兄弟盃を交わす事だけは絶対に出来まへん。相手が近江の奴やからやない、たとえ誰であっても、俺は生涯誰とも兄弟盃を交わす気はありまへん。」

俺はもうあんたの後をついて回るだけの番犬やない。
飼い主の利益の為にひたすら働くばかりの猟犬でもない。
『嶋野の狂犬』という名の、一匹の極道や。
真島は胸の内でそう呟き、笑みを消した嶋野の顔をじっと見据えた。


「・・・・冴島の事、まだ諦めとらんのか。」
「・・・・失礼します。」

真島は軽く頭を下げ、社長室を出た。
嶋野が傘下組織の立ち上げをそう易々と許してくれそうにない事は元から分かっていたが、これで一層困難になるだろう。
それを百も承知の上での、啖呵だった。














その夜遅く、時間を見計らって、真島はの店に電話を入れた。


『はい、クラブパニエでございます。』
か?俺や。」
『ああ、吾朗!』
「お疲れさん。店もう閉めたか?」
『お疲れさん。うん、丁度今から着替えて帰ろうと思ってたとこ。』
「そうか。」

の声はいつも通りに元気そうだった。これといったトラブルも起きず、今日も無事に営業を終える事が出来たのだろう。
それに安堵して微笑んだのも束の間、真島はすぐさま本題を切り出した。


「こないだ親父がお前に言うとった事、分かったんや。」
『え?こないだって・・・、あの大阪に拠点を移すとかどうとかいう話?』
「せや。大阪に水商売のチェーン店を経営する会社を作るから、俺にそこの副社長になって欲しいて言うてきたんや。」
『えぇ!?』
「しかも、一緒に商売する協力会社がおるらしくてな。店舗を提供する不動産会社で、何ちゅう組かは聞かされへんかったが、近江連合の筋のフロント企業やっちゅう事は間違いなかった。
そこの専務がその組の若頭で、今後円滑に信頼関係を築いていく為に、俺はそいつと兄弟盃を交わさなあかんらしい。」
『信頼関係を築いていくって・・・・』
「佐川はんが死ぬ事になった神室町の一坪の土地の件。前に話したん、覚えてるか?」

少しの沈黙の後、は小さな声で『うん・・・・』と呟いた。
念の為に訊いてみただけで、が忘れているとは思っていなかった。
真島にとっての佐川がそうであるように、にとっての佐川もまた、自分の人生に大きな影響を遺していった男なのだから。


「あの時に裏切ったせいで、親父は近江の信用を損のうとる。
せやからほとぼりの冷めた今、俺を使こて向こうを儲けさせてやって、ご機嫌を取って、何とか信用を回復させたいってとこやろ。
要するに、俺は近江の太鼓持ちってこっちゃ。親父の為に、向こうとのパイプ役になれっちゅうこっちゃ。」

根拠も証拠も無い憶測で、嶋野にものを言う事は出来ない。
けれどもには、にだけは、心の内をそのまま言う事が出来た。


『・・・・それで、あんたは何て返事したん?』
「断った。その話を受けたら、俺は多分、自分の組を持つ事は永遠に出来ん。
親父は前々から、俺が自分の組立ち上げんのを許してくれへんかった。その理由は今まではっきりせんかったけど、今日ようやく分かったわ。」
『何やの・・・・?』
「親父は、俺を自分の『飼い犬』のまんまにしときたいんや。
俺にゆくゆく嶋野組の跡目を継がせたいて言うとったけど、そんなもんは只のおためごかしや。
俺は親父が極道でおる限り、いや、親父が生きてる限り、親父の『犬』や。」

嶋野太という漢は、根っからの極道だ。
この道でしか生きていけない、本物の極道なのだ。
たとえこの先どれだけ歳を取っても、病気で余命幾ばくもない状態となっても、嶋野は決して引退など考えるような人ではない。その命がある限り、欲望のままに修羅の道を突き進んで行くことだろう。
嶋野がその道を外れる時はただ一つ、死ぬ時だけだ。
だが、猛虎の如き圧倒的な力と、狡猾なまでの周到さを併せ持つあの人の命を取れる者は、そうはいない。
嶋野組の頭がすげ替わる事など、当面起こりはしないだろう。向こう何年、いや、何十年に渡って。


「・・・・お前にとっては、きっとええ話なんやと思う。
その話を受けたら、俺はそっちに移り住む事になる。そしたら今みたいになかなか会われへんで寂しい思いをする事もないし、一緒に暮らす事かて出来る。
商売の事も、何やったらお前の店もうちのチェーンに組み込んで、資金援助してもええとまで言われた。そやけど俺には・・」
『ええやん、別に。気乗りせぇへん話を無理に受ける必要なんかないて。』

は穏やかな声で、真島の言い訳を遮った。


『命令ちゃうんやろ?問答無用の命令やったら、わざわざ親分さん直々に私んとこにまで話なんかしに来ぇへんもんな。』
「ああ。今んとこ命令はされとらん。お前に言いに行ったんは多分、先にお前を焚きつけてその気にさせて、お前から後押しさせたかったんやろう。」
『そういう事やろな。道理でええ事ばっかり言うてくれはると思ったわ。
そやけど、命令ちゃうんやったら大丈夫なんやろ?親に背いたって言われて酷い目に遭わされる事もないんやろ?・・・昔みたいに。』

『穴倉』で過酷な拷問に耐えた1年間が、あの地獄のどん底でのたうち回った悪夢の日々が、また真島の脳裏を掠めた。
だが、一介の若衆だったあの時と今では、立場がまるで違う。
嶋野組の若頭として組の屋台骨を支えている今の自分が、この件でまたあの地獄にぶち込まれるとは、真島には考え難かった。


「それは無いと思うわ。下っ端のドチンピラやったあん頃ならいざ知らず、今の俺は嶋野組の稼ぎ頭やからな。太鼓持ちを断ったからいうて組から追い出したら、困んのは親父の方や。」
『それやったら良かった。』

真島がそう答えると、は安心したように笑った。


『命令やとか何とか雲行きが怪しなってきたら、またそん時考えるとして、そうやない限りはあんたの思う通りにしぃ。』
・・・・・」
『こないだも言うた通り、私は今が最高に幸せや。私はあんたが危ない目に遭わへんねやったら、それでええ。』

の優しい声が、真島の胸を強く締め付けた。


「・・・・・なぁ、・・・・・」
『ん?』

自分の組を持つ事が出来たら、結婚しよう。
思わず口に出しかけたその台詞を、真島はどうにか呑み込んだ。
それはいつだと訊かれたら答える事も出来ないのに、気持ちだけが先走った口約束など、やはりする訳にはいかなかった。


「・・・・・・愛してる。」

呑み込んだプロポーズの代わりに、真島は一言そう告げた。
遠く離れた大阪にいるに、せめてこの気持ちだけでも届けと、願いを込めて。


『あははっ!何やの急に〜!?』

ややあって、電話の向こうからの明るい笑い声が聞こえてきた。
のその笑い声が、真島は堪らなく好きだった。


「何って、別に気持ち伝えんのにいちいち理由なんか要らんやろ。」
『ふふふふふっ!何よ、どしたん?もしかして酔うてる?』
「酔うてへんわい!」

の笑い声を聞いているだけで、心が温まって、気力が湧いてくる。
何が何でも成し遂げてやる。欲しいものを、必ずこの手で掴んでみせる。
だからそれまでもう少し、もう少しだけ待っていてくれ。
電話越しにと笑い合いながら、真島は胸の内でそう願った。




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後書き

嶋野の親父とヒロイン、初対面の巻でした。
文中で親父が『夜の帝王』の雄姿を見たがっていますが、それは私の気持ちの代弁です(笑)。
とにかく夜の帝王が見たいんやー!

・・・ま、それはそれとしまして。
親父ってずっと近江連合との繋がりがありますけど、龍0であれだけの裏切り行為を働いておいて、よく命を狙われないもんですねぇ。
普通、ガンガン鉄砲玉が送り込まれて来るんじゃなかろうかと思うんですけれども(笑)。
まぁ、シナリオ自体が後付け後付けですから・・・・・ね。
でも龍0が一番好きなので、私にとっては0が軸です。
従って、今作も当然の如く、龍0のストーリーを軸に書いております。