夢の貌 ― ゆめのかたち ― 5




タクシーに乗って自宅マンションのすぐ近くまで帰り着き、途中のMストアで酒やジュースやつまみをどっさり買い込んでから、真島はと共に、客人二人を自宅へと案内した。
現在の真島の住まいは、神室町の近くにある、5階建てマンションの最上階の一室だった。ドアを開けて玄関に通すと、美麗は元気良く、勝矢は遠慮がちに、それぞれ『お邪魔します』と言った。


「狭うて悪いんやけど、遠慮せんとどこでも適当に座って寛いでや!」
「はーい!」
「失礼します。」

『キャバレー グランド』で支配人をしていた頃に住んでいた蒼天堀のボロアパートよりは、建物の外観も部屋の内装も随分とマシだが、それでも間取りはあそこと大して変わらない1Kである。
そこに4人の人間が集まると、どうしても狭苦しくはなってしまうが、それもまた新鮮で楽しかった。
こんなに沢山の客が来た事は、考えてみればこれが初めてだった。
この部屋を訪ねて来る者と言えばぐらいで、組の連中も入れた事はない。余程気心の知れた者でないと、自分の個人的な領域に踏み込んで来られるのが、どうにも不得手というか、嫌なのだ。
それが、この勝矢と美麗に対しては、不思議とそう思わなかった。さっき会ったばかりの、初対面の他人なのに。
と楽しそうに談笑している勝矢と美麗を何となく眺めながら、真島は、二人に対するこの親近感は何なのだろうかと考えた。
勿論、と同格という訳ではない。
けれども、組の舎弟連中という感じでもない。
強いて言うならば、の店の従業員や弟妹達みたいなものだろうか?


「吾朗さん、サングラス外さないの?家の中なのに。」

そんな事を考えていると、美麗が不思議そうな顔で、真島のサングラスを指差した。
言われて初めて、まだサングラスをかけたままだった事に気が付いた真島は、どうしたものかと一瞬考えた。
外でなら『ファッション』で通せても、流石に自分の家の中でまでそれは通用しない。かと言って、すぐさまパッと外してしまう訳にもいかない。


「ああ・・・、実は俺、左目が見えへんのや。昔ちょっと、事故みたいなもんで潰れてしもてな。」

考えた末に、真島はそれをごく軽い感じで打ち明けた。
この二人、特に勝矢とは、今後も付き合いをしていきたいと思っている。
だから、こういう事は早い段階でサラッと言っておく方がお互い楽だろうと考えたのだ。


「「え!?」」
「このサングラスは、その傷を隠す為のもんやねん。いつもは眼帯で隠しとんのやけど、今日はちょっとええ店に飯食いに行っとったもんやで、コレにしとったんや。」
「そうだったんですか・・・・・」
「ご、ごめんなさい、あたし余計な事訊いちゃって・・・・・」

思った通り、気まずい雰囲気にはなったが、それも想定内の事だった。


「ああ、構へん構へん!気にせんといてくれや!ほなちょっと、いつも通りにさせて貰うわな。」

真島は笑いながらいつもの眼帯を取り、皆に背を向けてサングラスと着け替えた。


「は〜!これでやっと視界が明るうなったわ!」

振り返って殊更に明るく笑ってみせると、美麗の口からポロリと、うわ、という呟きが洩れた。


「『うわ』て何やねん、美麗ちゃん。」
「あ、ご、ごめんなさい!でも・・・、一層怖いね。」

美麗がに耳打ちする声は、面白い位に丸聞こえだった。
それを聞いたで、あっけらかんと笑って、そやろ〜?と返した。
女二人の明るい笑い声のお陰で、勝矢の表情も次第に和らいでいった。
それは正しく、真島の望んでいた通りの展開だった。


「さ!今夜は皆でとことん飲もっか!美麗ちゃんはジュースやけどな!」

がいそいそと缶ビールやジュースを回し、楽しい飲み会が始まった。
幸い、翌日の朝や昼に予定のある者は誰もいなかったので、時間も気にせず、心おきなく宴を楽しむ事が出来た。
知り合ったばかりであるが故に話題には事欠かず、何本もの缶が空き、沢山買い込んできたおつまみもどんどん無くなっていった。
真島はかなり酒に強いタチだが、勝矢もなかなかいけるクチのようで、特別酒好きという訳ではなさそうだが、顔色ひとつ変えずに淡々と真島に付き合って飲んでいた。


「そう言えば、さんは何のお仕事されてるんですか?さっきチラッと『店』って仰ってましたけど。」
「私?大阪でクラブやってんねん。あ、そうや、名刺渡しとこ。」

は勝矢と美麗に、それぞれ店の名刺を渡した。
それを見た勝矢は、少し驚いたように目を見開いた。


「わっ、新地のママさんなんですね!」
「うん。って、勝っちゃんもしかして大阪知ってる?」
「実は俺、大阪に住んでた事があるんですよ。ガキの頃に、ほんの数年ばかしですけど。」
「え〜!ホンマぁ!」
「ほ〜!そうなんかい!」
「今は?偶に大阪来たりとかすんの?」

の何気ない質問に、勝矢は一瞬硬直した。どうしてか、そういう風に見えた。


「あ〜、いや、もう随分行ってないです。特に用事も無いので。」
「そっかぁ。まぁでも、もしいつか来る用事が出来たら、その時は是非うちの店に寄ってってな!」
「はは、ありがとうございます、是非。そん時までに金貯めときます。」
「あははっ!そんな構えんといて〜!心配せんでも私の奢りやってぇ〜!」

それにこれといった意味は無かったのかも知れない。
と談笑している勝矢の顔からはもう、さっき一瞬見えた気がした翳りのようなものは綺麗さっぱり消えていた。
ただ酒のせいでボーッとしていただけか。心の内でそう結論付けていると、美麗がふと真島の方を見て喋りかけてきた。


さんは大阪でお店やってて、で、吾朗さんは?どこの組の人なの?」

どこの組のモンだと訊かれるのには慣れているが、こんなに可愛らしい『どこの組のモンだ?』は初めてで、真島は思わず吹き出した。


「まぁ、言うても分からんやろうが、東城会の嶋野組っちゅうとこのモンや。神室町に事務所があんねん。」
「って事は、吾朗さん、まさか普段ここに住んでんの?」
「おう、そやで。ここ俺んちやて言うたがな。」
「いや、てっきりこっちに来た時の為の別荘みたいなもんかと・・・・。
ねぇ、ちょっと待って?って事は・・・・、もしかして二人は遠距離恋愛なの?」
「ああ、ま、そういう事になるなぁ。」
「うん。」

共々肯定すると、美麗は血相を変えた。


「うっそぉ!それ先に言ってよー!それじゃあたし達完全にお邪魔虫じゃないの!やだもうー!そういう事は早く言ってよねー!」
「何や、今頃気ィ付いたんかいな。ヒヒッ。」
「言うてたら大人しく家に帰った?」
「そ、それは・・・・!」

気まずそうにしながらも口籠るその正直さが、年相応の女の子らしくて可愛かった。
随分と気も我も強い子だと思っていたが、根は案外素直なのかも知れない。


「す、すいませんホントに、折角なのに邪魔しちゃって・・・・・!」

勝矢もまた、ひたすら恐縮していた。そんな必要など無いというのに。
本当に邪魔だと思っていたら、最初から家に誘おうなどとは考えていないし、それを許したも決して渋々ではなかった。
もこの二人との交流を楽しんでいると分かっていたからこそ、誘えたのだ。
その証拠のように、真島が何か言う前に、先にが明るい笑い声を上げた。


「二人共、ホンマに気にせんでええって!私らも勝っちゃんと美麗ちゃんと喋ってんの楽しいし!
それに、そんな心配してくれんでも、また近い内にこの人が大阪来るから。」
「俺、関西の方でも色々仕事しとるさかい、向こうにちょいちょい行っとるんや。の店も手伝うとるし。」

と真島が口々にそう言うと、二人はようやくホッとした顔になった。


「あぁ、そうなんですね・・・・・!それなら良かった・・・・・!」
「でも吃驚したぁ!どっちも大阪弁だから、てっきり二人共大阪の人だとばかり思ってたよ!」
「ああ、ちゃうちゃう。はコッテコテの大阪人やけど、俺ぁ実はこっちのモンなんや。」
「じゃあ何で大阪弁喋ってんの?」

真島が関西弁を使うようになったのはと出逢う以前の事で、兄弟分の冴島に感化された為でもあったが、親の嶋野に対する純粋な憧れが強かったからだった。
親の後をついて回ってその動作を真似る動物の仔のように、盲目的に嶋野の背中を追いかけていた青臭い頃の自分は、もうあまり思い出したくなかった。
にもちゃんと話していないそれを、幾ら意気投合したとはいえ、この二人に話す気にはなれなかった。


「一時、大阪に住んで働いとった事があるんや。」
「へ〜!何の仕事?」
「キャバレーの支配人や。雇われやけどな。」
「じゃあ、そこでさんと知り合ったんですか?」

真島がに目を向けると、の方も丁度同じタイミングで同じ事をしてきた。
重なり合った視線の中には、真島との二人にしか分からない物語があった。
地獄から何とか這い出した先でと出逢った時の事は、堅気の若者や、まして未成年の女の子に語って聞かせるような話ではないし、出逢ってからずっと順風満帆に付き合い続けてきた訳でもない。
だから真島は、訊かれるままにとの事をペラペラ喋る気にはどうしてもなれなかった。


「まあ・・・、そんなようなもんか。な?」
「・・・うん。」

に軽く笑いかけると、も微かに笑って頷いた。
もきっと同じような事を考え、同じような気持ちでいるのだろう、そう思えた。


「でも、遠距離恋愛って心配にならない?」
「心配って?」
「浮気とか。」

美麗の言ったその一言に、はキョトンと目を丸くした。
そして次の瞬間、屈託なく笑って、無い無い、と手を振った。


「この人、職業病なんかなぁ?水商売って、周りにいてんのが見事に女の子ばっかりやろ?そやから、何かあんまり女に対して幻想抱かへんっちゅうか、変に女慣れしてるっちゅうか、女の実態を分かり過ぎてるとこがあんねん。喩えて言うたら女子校の先生みたいな感じ?
そやから、女の子にワラワラ囲まれとっても、何か平然としてんねんな。
口では女の子らとキャッキャ言うてても、芯から浮ついてはないというか、どっか冷めてるというか。」
「は〜、なるほど・・・・・!」
「あー、ああいう感じなんだ!何か分かるぅ!あたし辞めた学校商業だったの!生徒がほぼ全員女子で、実質女子校みたいだったんだぁ!」
「ホンマ!?私も商業やってん!そうそう、ああいう感じ!分かるやろ!」

勝矢と美麗は、の喩えがすんなりと腑に落ちたようだった。
しかし真島としては、何だかむず痒いような、落ち着かない気分だった。
学校の先生など、ヤクザとは対極に位置する人間だ。学問になど一欠片の興味も無いが、たとえあったところで、裏社会に生きる極道者にはどう逆立ちしたって就けない職業である。
それを幼い頃に夢見て志した事があると言ったのは、冴島だったか。
酔いに任せて恥ずかしそうにポロッと零したいつかの冴島を思い出してつい感傷に浸りそうになったその時、が嫌そうに顔を顰めた。


「それよかこの人悪いの男癖!こっちの方がよっぽど悩みの種やわ!
ちょっと好みの男を見かけたらすーぐソワソワして声掛けに行くし、そのくせちょっとでも期待外れなとこがあると、途端に掌返したようにシレーッとなって、『アホくさ』とか平気で吐き捨てて!
女の子に対してはひたすら優しいねんけど、男に対しては何かもの凄い拘りが強いっちゅうか、好みがメチャメチャうるさいねんこの人!
ダーツの的で言うたら、真ん中の小っちゃい◎のとこぐらい!もうホンマあれ位、好みのストライクゾーンがクソ狭いねん!
その代わり、その◎のとこにドンピシャ突き刺さる人には、もうとことん惚れ込むみたい!
あ、ちなみに勝っちゃんにも相当惚れ込んでそうな感じやで?
さっき公園で見かけた瞬間にも目の色変えとったけど、知り合ったばっかりの人をこないして家にまで誘ったのなんか、私が知ってる限り初めてやわ。これは大分入れ込んでると見たで。」

ふと目が合った瞬間、勝矢は咄嗟にバッと尻を押さえて隠す仕草をした。
ウケ狙いの冗談ではなく、本気で怯んだような引き攣った顔で。
その瞬間、美麗が大爆笑した。
途端に猛烈に恥ずかしくなって、真島は激しく動揺した。


「ちょっ・・・、!アホかお前変な言い方すんなや!それじゃお前、まるで俺がモーホーみたいに聞こえるやんけ!」
「え?」

はまたキョトンとしてから、ようやく合点がいったかのように『あー!』と素っ頓狂な声を上げた。


「あはは!ホンマや!そう思って聞いたらそう聞こえるかもなぁ!ごめんごめん!」
「アホかお前!そうとしか聞こえへんやんけ人聞きの悪い!ちゃうちゃう、ちゃうからなホンマに!そういう意味とちゃうからな!」
「じゃあどういう意味なの?」

必死で否定する真島に、美麗がまだ笑いながらそう訊いた。


「俺は男が好きなんやない、喧嘩が好きなんや!やるかやられるかの本気の勝負が好きなんや!」

こんなうら若き乙女に語ったところで理解されないのは分かっているが、誤解を解く為には致し方なく、真島は己の主義を説明し始めた。


「せやけど、それが出来る相手がなかなかおらんねん。
まず、大抵の奴は弱い!単純に弱い!それだけで1発アウトや!
そこら辺歩いとったら、『アイス食うから金出せや!』とか『おのれの足臭すぎんねん!』とか因縁つけてくる奴ようおるけど、ああいうのはまずあかん!
さっき公園で勝っちゃんに絡んできよったアホガキらもそやけどな、ああいうのはもう論外や。話にならん。
それに、多少身体を鍛え込んでて喧嘩が強かろうが、性根が腐っとると、これもまたあかん!折角の楽しい喧嘩に水差すようなしょーもない小細工かましてきよったり、姑息な手ェ使こたり。こういう奴にはホンマにガッカリする!
あと、コロコロ変わり身の早い奴とか、金だの立場だの、そんな事ばかり気にしてそろばん弾いとる奴も白けるわ。一気に萎える。
ほんでもって極めつけは何と言うても、嘘吐きとか仁義の無い奴!こらもう最悪や!
たとえどんだけ喧嘩が強かろうが、いや、強けりゃ強い程、ホンマのホンマに許されへん!
そやから、強うて、強うて、とにかく強うて、不器用な位どこまでもまっすぐな奴!そういう漢が俺は好きなんや!」

軽く説明のつもりが、気付けばついつい熱く語ってしまっていた。
これで誤解は解けただろうか?分かって貰えただろうか?
相槌も打たずに話をじっと聞いていた3人の顔を見つめながらその反応を待っていると、少しして、が勝矢と美麗にチラリと目配せをした。


「・・・・・な?うるさいやろ?」
「確かに。ダーツの的の◎ってのが良く分かります。」
さんも大変なんだね。」
「だっ・・・・・!お前らなぁ!もうええわ!」

真島はガクッと肩を落とし、手元の缶ビールを一気に飲み干した。


















穏やかな日差しを瞼に感じて、はぼんやりと目を開けた。
ベッドで眠っていたようだったが、それにしては自分のスペースが何だか広い。
不思議に思って横を見てみると、隣で眠っているのは真島ではなく美麗だった。
道理で広いと思ったわけだ。気持ち良さそうにぐっすりと眠っているあどけないその寝顔を、は目を細めて眺めた。
時計を見てみると、もうとっくに昼を回っていた。
随分寝過ごしてしまったが、昨夜は大分遅くまで、というか、外が白み始めるまで飲んで喋っていたような気がするから、こうなっても当然と言えば当然だった。
けれども、二日酔いという程のダメージは残っていなかった。
元々酒に強い訳でもない身で酒の商売をしているから、己の適量はよくよく弁えている。毎夜毎夜の事だから、雰囲気に流され羽目を外して酔い潰れているようでは、クラブのママ失格なのだ。
は美麗に上掛けを掛け直してやってから、そっとベッドを抜け出した。
部屋の床には、真島と勝矢が思い思いに転がって爆睡していた。
エアコンの暖房をつけてはいるものの、何も掛けずに大の字になってグーグー寝ている男二人が風邪でも引きはしないかと心配になったが、女の子から布団を剥ぎ取る事は出来ないので、それぞれの上着を布団代わりに掛けてやった。
化粧は完全に崩れているし、服も昨夜着ていたワンピースのまま、おまけにストッキングまで履きっぱなしの状態だから、いい加減苦しい。
本来なら直ちにお風呂に入ってさっぱりし、着替えをするところだが、今のこの状況で自分一人そうする訳にもいかないので、は煙草だけを持って静かに部屋を出て、ひとまず最低限の身支度と寝覚めの一服を済ませた。
それから冷蔵庫を開けて、昨日買っておいた食材を適当に取り出し、炊飯器を仕掛けて味噌汁を作り始めた。
真島は日頃外食ばかりで、自炊はしない。がこちらに来る事もあまり無いから、この部屋には調味料も調理器具も食器も最低限しかないのだが、おにぎりと味噌汁ぐらいなら何とか4人分用意出来そうだった。
誰かが起きてきた気配を感じたのは、丁度味噌汁が出来上がったばかりの時だった。


「ああ、おはよう。」

振り返ったは、おずおずとキッチンに入って来た美麗に笑いかけた。


「おはよう・・・・。」
「ごめん、音うるさかった?」
「ううん、全然。良い匂いで目が覚めたの。」

美麗は恥ずかしそうにはにかんで、お腹空いちゃった、と呟いた。


「ふふふっ、私もお腹ペコペコやってん。おにぎりとお味噌汁しかないけど、食べていって。」
「でも・・・・、良いの?」
「勿論。食べて貰おうと思って4人分作ってんねんから。」

丁度良いところに炊飯器が鳴った。あとはおにぎりを握るだけだ。
炊きたて熱々のご飯をボウルに移して塩を混ぜ込み、具にする梅干しを解していると、美麗が手伝うよと言った。


「ホンマ?ありがとう。ほなこの梅干し、種取って適当に千切ってくれる?」
「分かった。」

美麗は手を洗い、の隣で梅干しを解し始めた。
それは彼女に任せる事にして、は皿を出しておにぎりを握り始めた。


「ねぇ、どうしてわざわざおにぎりにするの?」

水道の冷たい水で手を冷やしながら、炊きたてのご飯の熱さに耐えつつ握っていると、美麗が心配そうにそう訊いた。


「この家、食器がろくすっぽ無いねん。お味噌汁の分は何とか足りるねんけど、ご飯の分までは足らんから、おにぎりにしてお皿に並べよと思って。」
「あ〜・・・・、そっか・・・・。何か、ごめん・・・・・」
「何でよ〜。ええってホンマに。気にせんといて。私が食べたいだけやねんから。」

が笑い飛ばすと、美麗も少し安心したように笑った。


「吾朗さんって自炊しないの?」
「する訳ないやん!あれが自分のご飯をマメに作るような人に見える〜?」
「ふふふっ、見えない。健康の事とか心配になったりする?」
「まぁな〜。私も人の事言われへんけど、基本夜型で不規則な生活してるしなぁ。」
「結婚はしないの?一緒に暮らしたいとか、思ったりしないの?」

その何気ない質問に、は思わず手を止めた。
出逢ったばかりの頃、満身創痍の状態で組を追われて絶望していた真島に、一緒に暮らそうと誘った5年前の事を思い出して。
自分の気持ちばかりが先走って、結局、真島の事を何も考えられていなかった、あの頃の未熟な自分を思い出して。


「・・・だって私まだハタチやでぇ?ふふっ。」

感傷を抑えて笑ってみせると、の後ろから『誰がハタチやねん』と欠伸混じりにツッコむ、真島の眠そうな声がした。


「ああ、起きたん?おはよう。」
「あ、吾朗さん。おはよう。」
「おう、おはようさん。」

真島はと美麗に挨拶を返すと、顔を顰めてこめかみを揉んだ。


「か〜っ、あったま痛たぁ。ちょっと飲み過ぎたか。」
「昨夜だいぶ調子乗って飲んどったもんな。大丈夫?朝ご飯に梅干しのおにぎりとお味噌汁作ったけど、食べれる?」
「別に調子になんか乗っとらんわい。こんくらい大丈夫や、食える。ちゅーか腹減った。」
「勝っちゃんは?」
「あ〜、もう起きそうやでぇ。」
「ホンマ?ほなもう食べよか。」
「おう。」

真島はボリボリ頭を掻きつつ欠伸をしながら、トイレへと消えて行った。
部屋を覗くと、勝矢が寝起きの顔で座っていたが、彼の方もさほどダメージは残っていなかったようで、と美麗が昨夜の宴会の後片付けを始めると、シャキッと立ち上がって一緒に手伝ってくれた。
綺麗になったテーブルの上に出来たてのおにぎりと味噌汁を並べると、4人は何となく昨夜と同じフォーメーションで座り、食事を始めた。


「美味いっす・・・・・!」
「うん、美味しい!」

味噌汁を啜り、お握りに齧り付いた勝矢と美麗は、口々に嬉しい感想を言ってを喜ばせた。


「ホンマ?良かったぁ!」
「朝飯に作りたてのあったかい味噌汁が出て来るなんて、お袋が生きてた頃以来ですよ。」

勝矢はそう言って目を細めた。


「そう・・・・・。お母さん、いつ亡くなりはったん?」
「3年前です。病気で。そっから一人暮らしなんで、起きたら飯が出てくるなんて、凄ぇ久しぶりで嬉しいです。
いつもなら、自分でやんなきゃコップの水1杯出てきやしませんからね。ははっ。」
「そう言えば、勝っちゃんのお父さんの話って聞いた事なかったよね?ずっとお母さんと二人暮らしだったとは聞いてたけど。お父さんは?」

美麗の質問に、勝矢はああ・・・・と口籠り、ふと遠い目をして薄く笑った。


「いるにはいるんだけど、俺がガキの頃にお袋と離婚して、それっきりだったんだ。
連絡は一応取れる状態だから、お袋の葬式には顔出してくれたんだけど、またそれっきり。まあ別に用も無いんだけどね。」

淡々とした口調でそう言ってから、勝矢はまた味噌汁を一口飲み、お握りを食べ始めた。
この後どう話を繋げようかと考えていると、先に美麗が、そっか、と呟いた。


「でもちゃんと居所明かしてるだけ偉いよね、勝っちゃんのお父さんは。
あたしの実の母親はもうどこ行っちゃったか分かんないし、父親なんて最初からどこの誰だか分かんないし。」
「そういや美麗ちゃん昨夜、貰われっ子やて言うとったな。」
「うん。里親はあたしの実の母親の兄夫婦なの。あたしが3つの頃、母親があたしをアパートに置き去りにしてどっかへ行っちゃって、部屋の保証人になってたそっちに連絡が行ったんだって。それで引き取られたの。」

そう話す美麗の口調は、これもまた淡々と落ち着いてはいたが、隠しきれない棘があった。
それが自分でも分かったのだろう、言い終わるや否や、美麗は取り繕うように笑ってと真島の方を見た。


「吾朗さんとさんの家族は?」
「ああ、実は俺も美麗ちゃんとよう似た感じなんや。まあ俺は他に誰も身寄りが無かったから、施設で育ったんやけどな。」
「そうなんだ・・・・・・。じゃあさんは?」
「私?私んとこは、母親と弟2人と妹1人。」
「わ、弟妹が沢山いるんだね!」
「うん。妹が丁度美麗ちゃん位やわ。ひとつ下かな?今年16やから。」
「そうなんだぁ・・・・・・。」
「親父さんは?」
「ああ、うちも勝っちゃんとこと一緒。離婚してそれっきり。しかも2回。私と上の弟と、下の弟と妹とは、父親違うねん。」
「ああ〜・・・・、なるほど・・・・・」

話が一巡すると、気まずい沈黙が訪れた。
起き抜け早々に食卓を囲んで話す話題としては、些か重過ぎたか。
何しろ皆が皆、この有り様なのだから。
そう思うと何だか可笑しくなってきて、は思わず吹き出した。


「・・・何やどこの家も似たりよったりやなぁ、あはははっ!」

が笑うと、他の3人も釣られるようにして笑い出した。


「ははっ、本当ですね。」
「イヤんなっちゃうよね〜!あははっ!」
「ホンマやのう!はははっ!」

皆で笑いながら、ご飯を食べた。
そうして穏やかで楽しい一時を過ごした後、後片付けを終えると、勝矢と美麗はすぐに帰り支度を済ませ、玄関を出た。


「すみません、すっかり甘えてお世話になっちまって。ありがとうございました。本当に楽しかったです。」
「私も凄く楽しかった。色々ありがとう。」

戸口で並んでペコリと頭を下げる二人を、真島は少し物足りなさそうな顔で見た。


「ホンマに車で送らんでええんか?」
「大丈夫です。駅も分かりますし。」
「ありがと。大丈夫だから、心配しないで。」

家が近所だというこの二人は、バイト先も近くて、シフトの時間帯も大体同じだとの事だった。
勿論、そこまで何もかも偶然が重なりはしない。家出をし、勝矢と親しくなってから、美麗が勝矢のバイト先の居酒屋に近い場所のファミレスに移ったのだそうだ。
その目的が『盟友』と切磋琢磨しながら練習に励む為である事は、聞くまでもなかった。
今日も二人は、一旦それぞれの家に帰ってシャワーと着替えを済ませてから、夕方バイトに行って、夜にはまたあの公園の広場で練習をするのだという。
しかし、流石に今夜もまた4人で集まろうとは、自身も含めて誰も言い出しはしなかった。


「ね、また会える?」
「おう、勿論や!また時間見つけて公園覗きに行くわ!また絶対やろうや、ダンスバトルとスパーリング!な!?」
「うん!絶対よ!」
「いつでも来て下さい!俺達大体毎日、あれ位の時間にあそこにいますから!」
「よっしゃ!分かったわ!」

二人と約束を交わす真島の顔は、本当に楽しそうにいきいきとしていた。
今夜は行かないが、明日は行くかも知れない、そう思える位に本気で楽しみにしているのが見て取れた。


さんは?また会えるよね?」
「勿論!私もまた会いたいわ!お店があるから、こっちには偶にしか来られへんねんけど、また次来た時には4人で絶対会お!な!」
「ええ、是非是非!楽しみにしてます!」
「絶対よ!約束だからね!来る時決まったら教えてよね!」
「分かった、約束な!あ、でもその前に、オーディションの結果どうやったか、美麗ちゃんも教えてな!」
「OK!頑張るから応援しててね!」
「うん!」

もまた、勝矢や美麗との再会を熱望し、二人と自宅の住所や電話番号を教え合っていた。完全なプライベートで友達が出来たのは考えてみれば随分久しぶりの事で、この縁を大切にしたいと思ったのだ。
全員で再会の約束を交わすと、勝矢と美麗は名残を惜しみつつ、エレベーターに乗り込んで行った。
暫くすると、二人がマンションの外に出て来て、と真島を見上げて笑顔で手を振ったので、も真島と共に笑って手を振り返し、歩いて行く二人を見えなくなるまで見送った。


「・・・・・あ〜あ。皆帰ってもうたな。」

二人の姿が完全に見えなくなると、真島が一言、ポツリと呟いた。


「ふふっ・・・、寂しい?」
「まあ・・・・、ちょっとな?」

冗談めかしてヘラヘラしてはいるが、内心かなり寂しそうだった。


「これで私ももうすぐ帰るわって言うたらどうする?」

少し意地悪だっただろうか?
言葉に詰まった真島の顔が、の胸をチクリと刺した。何だか捨てられた子犬みたいに見えたのだ。


「ウソウソ!しゃーないなあ、寂しんぼうのゴローちゃんの為に、さんがもう1泊したるわ!」
「・・・ゴローちゃん言うな。」

が身体をすり寄せて笑いかけると、真島は少し憤慨したように口を尖らせた。
だが次の瞬間には、すぐに心配そうな表情になった。


「せやけど、店大丈夫なんか?明日からは開けんねやろ?」
「こんな事もあろうかと、出来るだけの準備は済ませてきてあるねん。明日の夕方までに店に着いたらOKや。」

一応は今日の夕方の新幹線で大阪に帰り、また明日から始まる仕事に備えてゆっくり疲れを取ろうかと思っていたのだが、恐らく1泊延ばす事になるのは最初から想定内だった。
勝矢と美麗との出会いは全く予想外の偶然だったが、真島と離れ難くて結局ギリギリまで一緒にいたくなる自分の気持ちには、十分予測がついていたのだ。


「さすがママ。お見事です。」
「ふふっ、当然や。」

ふざけて店にいる時のような口調になった真島に、はにんまりと微笑みかけた。


「ほなとりあえず・・・・・、お風呂入ろっか?」

意味を分かってくれるだろうか?
少し、いや、かなり期待しながら顔を見上げると、真島は少し照れたように、けれども嬉しそうに目を細めた。


「・・・おう。」

真島の腕が、の腰を優しく抱いた。
抱き寄せられるがままに寄り添って、は真島と共に部屋の中に戻って行った。

















あっという間に4月が終わり、5月が来て、真島は27歳になった。
一つ齢を重ねても、やる事は何ら変り映えしないのだが、ただ一つ変わった点と言えば、勝矢直樹と朴美麗という二人の友人との付き合いが、私生活の中に組み込まれた事だった。
二人と知り合ってから以降、真島は暇を見つけては、彼らが練習場所として使っている公園の広場に出向き、それぞれの練習に付き合った。
また、都合の合う時には何処かで待ち合わせて、食事を振舞う事も何度かあった。
特に勝矢とは男同士とあってどんどん親交が深まり、バッティングセンターでホームランの数を競い合ってみたり、雀荘で一勝負打ってみたり、どちらかの家で朝まで飲んだくれてみたりと、男の遊びに二人で興じるようになった。
勝矢とは妙に馬が合った。初対面の時から楽しいと感じていたが、付き合うにつれて益々そう思うようになっていった。
一方、と美麗も女同士の友情を順調に育んでおり、再会こそまだ実現していないものの、コンスタントに連絡を取り合っているようだった。
電話は遠距離だから料金がかさむし、何より、電話を使っていると美麗のルームメイトの女の子が嫌な顔をするのだそうで、二人のやり取りはほぼ手紙で行われていた。つまり文通である。
美麗と文通するようになってから、は文房具に凝って色々集めるようになった。
レターセット、ペンやマーカー、スタンプにシール、そんなような細々とした物を嬉々として買い集めるは、何だかとても楽しそうだった。それの何がそんなに楽しいのか、そんなに良いのか、真島にはさっぱり理解出来なかったが。
そんな日々を過ごしていく内に、季節はジメジメとした梅雨時に入り、やがて6月も終わろうとしていた。



「あ〜あ。毎日毎日ジメジメジメジメ、うっとしい雨やのう。」

ワンショット決めてから、嶋野はうんざりとした声でそうぼやいた。


「打ちっぱなしばっかやと飽きてまうのう。早よラウンドに出たいわ。」

この日、真島は嶋野のお供で、神室町近くにあるゴルフの練習場に来ていた。
梅雨の真っ只中でこのところは連日雨、嶋野の機嫌はあまり良くはなかった。
こういう時は無難な相槌を返しておくに限る。真島はそうでんな、と答えたきり口を噤んだ。
お付きの若衆が新しいボールをセットすると、嶋野はまた大きくクラブを振り被った。


「おう、真島ぁ。そういやお前、来週また大阪行く言うとったか?」

またワンショット決めてから、嶋野は唐突にそう訊いた。


「はい。いつも勝手許して貰いまして、えらいすんまへん。」
「何言うとんねん、当然の事や。大事なシノギなんやからな。変な事遠慮しとらんと、しっかり気張ってガンガン稼げや。」
「有り難うございます。」
「ところでのう、来週儂も大阪に用事があるんや。折角やから一緒に行って、あの例のキタの店でも案内して貰おかの。」

真島は密かに息を呑んだ。


「・・・・キタの店・・・・?」
「せや。お前がオンナにやらしとるクラブや。」

残念ながら、思い違いではなかった。
嶋野が言っているのは正にの店、『クラブ パニエ』の事だった。
嶋野がそこへ連れて行けなどと言い出したのはこれが初めてで、真島としては身構えずにはいられなかった。


「あの店は、確かに面倒はみとりますが、別に俺が金出してやらしてる店やないんですわ。女が自分で細々と経営しとるんです。」
「別にどっちでも一緒やろ。その経営者の女は、お前のコレや。そやろ?」

嶋野は小指を立ててみせ、唇の端を吊り上げた。
否定など通じない事は百も承知している。精々頭を僅かに下げて、肯定の仕方を消極的にする位が関の山だった。


「何やかんや長い事続いとんのう。もうどれ位になる?」
「2年ちょっとですわ。」
「こんな距離を飽かんと2年もせっせと通たる位や。相当惚れとんねやろ?えぇ?」

その底知れぬ恐ろしさを秘めた冷やかしを、真島は微かな苦笑でかわした。


「うちの若頭がそこまで惚れて大事にしとる女や。そろそろ顔見ぃたい思てな。
それに、お前が堅気の仕事しとる姿もいっぺん見てみたかったしのう。
佐川から聞いとったで。お前、蒼天堀におった頃、何や『夜の帝王』っちゅうてえらい評判やったらしいやんけ。」
「・・・・恐れ入ります。」

拒否はおろか、諦めさせるよう遠回しに説得を試みる事も許されない。嶋野はそういう男だった。
嶋野を止める事は出来ない。ただとにかく守りに徹するのみだった。


「ほれ、お前も1発どうや?雨続きで運動不足やろ。」
「はい。」

真島は渡されたクラブを受け取り、嶋野に代わって打席に立った。
若衆がボールをセットし、真島はクラブを振り被って、一瞬、考えた。


「・・・・・!」

そして、クラブを思いきりスイングし、ボールを飛ばした。
まっすぐにではなく、かと言ってわざとらしいメチャクチャな方向でもなく、程良い角度に外した方向へと。


「・・・・ゴルフはどうも難しいでんなぁ。なかなか狙い通りには飛びませんわ。」

休憩用の椅子で煙草を吸っていた嶋野は、真島がそう言うと、ただ薄く笑って紫煙を吐いた。











練習場を出ると、嶋野は情婦のマンションへ行くと言った。こんな鬱陶しい雨の日に、用事も無いのに外をうろついていても仕方がない、と。
マンションに着くと、嶋野は真島と若衆の両方に、今日はもうええでと言った。まだ夕方にもなっていないが、どうやら今日はもう、嶋野は動く気は無いようだった。
思ったより早く解放されてちょっと嬉しそうな若衆に、帰りついでに送らせて、真島も帰宅した。家に着く頃には雨足も強まっていて、傘を差してもあまり出歩きたくない位になっていた。
思いがけず時間が出来たが、この様子では多分、今夜は勝矢も美麗もバイトが終わればまっすぐ帰るだろう。折角出来た暇ではあるが、今日はこれを無駄に持て余すしかなさそうだった。
部屋着に着替え、眼帯を外すと、真島は窓辺に立って煙草に火を点けた。
少しだけ窓を開けてみると、見慣れた街が灰色の雨に煙っていた。
灰色の雨は嫌いだった。
見ていると、漠然とした不安が胸の中に立ち込めてくる。
もうあれから6年も経つというのに、未だに。
真島は窓を閉めると、電話機の前に座り込んで、指に馴染みきった番号をプッシュした。


『はい、クラブパニエでございます。』

何回かのコールの後に電話が繋がって、のしとやかな声が真島の耳に優しく届いた。


か?俺や。」
『ああ、吾朗!』

の声が、一気に素の状態に戻った。
溌剌と明るいの声は、真島の胸の中に蟠っている不安を、全てではないがたちまちの内に散らしてくれた。


「すまんな、準備中で忙しいとこ。」
『ううん、大丈夫。今日そっちの方結構降るって天気予報でやってたけど、どない?』
「丁度本降りになってきたとこや。」
『ホンマかぁ、うっとしいなぁ。こっちはギリギリ降ってないけど、湿気でジメジメして堪らんわぁ!頭カビ生えそうや!』

重たい雨雲さえも蹴散らしてしまいそうな軽やかな声に幾らか気が楽になって、真島は少しだけ笑った。
けれどもそれは、ほんの一瞬しかもたなかった。


「・・・あんな、来週そっち行く予定やったやろ?その事なんやけど。」
『うん、どしたん?都合悪なった?』
「いや、そうやない。予定通りに行くには行く。そやけど、うちの親父も一緒なんや。」
『親父って・・・・、嶋野の親分さんが?』
「ああ。何を思たかさっき急に、お前の店に連れてけ言うたんや。済まんが、断る事は出来んかった。」

少しの間、沈黙が流れた。


『・・・・そう。分かった。』
「別に店の経営に首突っ込んだり、お前をどないかしようっちゅう魂胆やないとは思う。そやけど、何が目的なんか分からへん。
そん時には俺も必ず店におるようにはするけど、お前も油断はせんといてくれ。」
『分かってる。余計な事は何も言わへんから、安心して。』
「いや、まぁそれもちょっと心配ではあったんやけど、それよりもお前が何を言われても気にせぇへんように、心構えをしといてくれって事なんや。もしかしたら何か嫌な事を言われるかも知れんから。」

そう、例えば、もしかしたら。
2年前には無かった何らかの目的が今はあって、俺が東京と大阪を行き来するのを、親父は快く思っていないのかも知れない。
そんな不安を、真島は言葉にしてに伝える事が出来なかった。


『大丈夫や。お嬢様育ちの箱入り娘やあるまいし、嫌な事なんか言われ慣れてるわ、ふふふっ。』

真島の不安を知ってか知らずか、はただ穏やかに笑うだけだった。


『親分さんが何考えてはろうが、私に出来んのは、この店のママとして精一杯のおもてなしをする、それだけや。』
・・・・・、おおきにな・・・・・。」

礼の言葉が、自然と口をついて出た。
するとは、電話の向こうでまた明るい笑い声を上げた。


『ええってええって!ママにドーンと任しとき!な!』
「ひひっ・・・・、そやな。ほなよろしゅう頼むわ。すまんな、忙しい時間に。」
『ううん、全然!』
「また連絡するわ。ほなな。」
『うん。私もまた連絡するわ。ほなまた。』

電話を切ると、さっきよりは随分と心が軽くなっていた。
空を覆う雨雲は、まだ消えてはいないけれども。


― そうや。何があろうが俺の考えは変わらへん、それだけや・・・・・

窓を叩く灰色の雨を眺めながら、真島は己にそう言い聞かせた。




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後書き

勝矢直樹と朴美麗との出会いの巻、でした。
しかしアレですね。男2女1で友達してて、そこでくっついて別れてって、やっぱり何度考えてもアレですな(笑)。
気まずい事この上ない。
私がこの三人の内のいずれかなら、この輪からは抜けます。
特に勝っちゃんやったら絶対抜ける(笑)。20年も親友でいられないと思います、気まずすぎて。百歩譲っても年1回会うかどうか位、何なら年賀状だけの繋がりですわ(笑)。
そして、いよいよ嶋野の親父の登場です!親父書くの楽しいです!
今作は親父の登場シーンがチラホラあります。張り切って書いていくぞー!