夢の貌 ― ゆめのかたち ― 3




3月も間もなく終わろうとする頃、は真島との約束通りに東京を訪れた。
商売を営むにとって、大阪を離れる事は基本的には難しい。その時間がなかなか取れないからだ。
故に、真島と付き合ってもう丸2年が経とうとしているのに、はまだ数える程度しか東京に来た事がなく、土地勘も無いに等しいままだった。
多少知っているのは、真島のホームグラウンドである神室町と、その程近くにある真島のマンションの周辺位で、あとはどこが何やらさっぱり分からず、電車も複雑すぎて、駅員に訊かなければとても乗れない有り様だった。
今日もそうして道を訊き訊き、は一人で原宿へとやって来た。
店の女の子達と自分の妹へのお土産に、ファッション雑誌でこのところ盛んに取り上げられているブランドの化粧品を買いに来たのだ。
夜の世界でひとかどの人物となっている真島は女の子の扱いが巧く、ファッションだの美容だのといった話題にも見事に調子を合わせて会話を盛り上げる事が出来るのだが、それはあくまで仕事上の話であり、こういう買い物に付き合わせるのは気が引けた。
は着替えの入ったボストンバッグを駅のコインロッカーに預けると、持って来たファッション雑誌を片手に、原宿の街を歩き始めた。
夕方にもまだ早い時間帯だが、春休みの期間だからか、街は中高生位の女の子達で溢れ返っていた。丁度妹と同じ位の年頃の子達ばかりで、見ていると微笑ましかった。
弾けるような声で談笑している彼女らに混じって、は目的の店を探しつつ、通りすがりに気になった店をちょこちょこ覗きながら歩いた。

一人の少女に遭遇したのは、その最中だった。
特に目的も無く入った店の化粧品コーナーの一画にいたその少女は、テスターの口紅を夢中で試していた。
いや、夢中というよりは、必死というべきだろうか。
口紅を引いては真剣な表情で鏡を見て、角度を変えながら笑ってみたり、真顔になってみたり、かと思うとそそくさと唇をティッシュで拭って、また別の口紅を引き直して、という事を何度も繰り返していた。
この子も高校生位だろうか。覚えたてのメイクに夢中になる年頃だ。
それでいて、お財布事情はいつも切ない。
だから、自分に一番似合う最高の1本を見つけるのに必死なのだ。
自分もかつて通ってきた道、自分の妹も現在通っている道、には彼女の考えている事が手に取るように理解出来た。
ボーイッシュなショートヘアのその少女の真剣な横顔を気付かれないように眺めながら、は静かに微笑んだ。
幾らテスターでもあんまり遠慮なしに試してたら店の人に怒られるから気ィつけや、なんて直接には言えない余計なお節介を心の中で呟いていると、少女はようやく決断したかのように商品の口紅を1本、手に取った。
そして周囲をサッと見回すと、デニムのショートパンツのポケットにそれを素早く滑り込ませた。


「あっ・・・・!」

反射的に小さく声を上げてしまった口を、は慌てて噤んだ。
そっぽを向き、素知らぬ顔をして商品を見ているふりをしていると、少女はの方に向かって歩いて来た。万引きの現場をに見られた事には、どうやら気付いていないようだった。
多分、そのまま店を出て行く気なのだろう。少女はさっきからずっと一人でいたが、やはり連れはいないようだった。
どんどん近付いて来る少女を前に、はどうするべきか頭を悩ませた。
悩んでいられる時間はものの数秒足らずだった。そうこうしている内にも、少女はもうのすぐ側まで来ていて、そのまま横をすり抜けて行こうとしていた。


「待って。」

少女が完全に通り過ぎてしまうその寸前、は少女の華奢な手首を掴んだ。
余計なお節介を焼かれると人は不愉快になるものだが、これは焼くべき、いや、焼かねばならないお節介だった。


「な、何・・・・?」

少女は驚いたようにを振り返って見つめた。警戒心の強い瞳だった。
はそれをまっすぐに見つめ返しながら、声を潜めて少女に話しかけた。


「そのまま行ったらあかん。」
「は・・・・!?な、何なのアンタ・・・・!?意味分かんない・・」
「見えてたよ。」

のその一言に、少女はハッと息を呑んだ。警戒心の強い瞳が、動揺したように宙を泳いだ。
ちゃんと分かっているのだ。自分のやろうとしている事も、それが絶対にやってはいけない事だというのも。
途端に固く口を閉ざしてしまった少女を、は人目につき難いよう少し端の方へ誘導した。


「出して。」
「・・・・・」
「早く。」
「・・・・・」
「心配せんといて。私、お店の人でも警察でもないから。」

少女は人慣れしていない猫のような目でを凝視しながら、何か言おうとするかのように口を開いた。
だがその瞬間、向こうから店員がやって来るのが見えた。


「お店の人来るわ、早くっ・・・・!」
「っ・・・・・・!」

焦ったが急かすと、少女は遂に動揺を露わにしながら、慌ててポケットから口紅を出した。
間一髪、その瞬間は見られなかったようで、店員は口紅を持って立っている少女とに、いらっしゃいませーとにこやかに声を掛けてきた。


「あ、お決まりですかー?良かったらお預かりしましょうかー?」
「え・・・・・・?」
「あ、あぁ、えぇ、はい・・・・・!」

呆然とする少女に代わって、は咄嗟に愛想笑いを浮かべて返事をした。
その流れで有無を言わさずレジへと連れて行く事になったが、少女は呆然とはしていても、逃げ出したり抵抗したりするような素振りは見せなかった。


「お会計1,545円になります。」
「あ、はい。じゃあこれでお願いします。」

絶体絶命にまで追い詰められて観念したように立ち尽くしている少女の横で、は淡々と会計を済ませた。
代金と引き換えに小さな可愛い袋に入れて貰った口紅は、晴れて少女の目の前に差し出されたが、少女はそれを受け取ろうとはしなかった。


「ありがとう。さ、行こ。」
「ありがとうございましたー。」

は少女の代わりに口紅を受け取り、顔を凍りつかせて突っ立ったままの彼女の肩を抱いて、店の外に連れ出した。
そのまま店から少し離れた所まで行ってから手を放すと、少女はまた警戒を強めたようにサッと身を引いて、との距離を空けた。


「な、何なのアンタ!?一体どういうつもり!?」
「どうもこうもないわ。ああいう事はしたらあかんって言いたかっただけ。」
「か、関係ないでしょ!?ほっといてよ!
それに注意したかっただけなら、何でお金なんか払ってんのよ!?
言っとくけどあたし別に要らないから!お金返せとか言われても知らないからね!アンタが勝手に買ったんだから!」

なかなかに気の強そうな子だった。
いや、気が強いというよりは、必死で自分を守ろうとしているように見えた。
は小さく溜息を吐いて、口紅を少女に差し出した。


「そうや、私が勝手に買っただけや。だから別にお金なんかええよ。はい。」
「・・・・・・!」
「欲しかったんやろ?これ。」
「い、要らないって言ってるでしょ!良い人ぶって施しのつもり!?ざけんじゃないわよ!」

もう一歩でも踏み込んだら、噛みつかれるかも知れない。
そんな気がして思わず怯みそうになってしまう位の激しい警戒心を剥き出しにしながら、少女はに怒鳴り散らした。
面白半分、興味本位で万引きしたのなら、こんな凄まじい剣幕で怒るだろうか?
には、そうは思えなかった。
只の直感に過ぎないが、この少女には何か事情があるような気がしてならなかった。
とはいえ、それが何かは分からないし、それを詮索する必要はそれこそ無い。
ただ、自分の目の前で道を踏み外そうとしていた女の子をみすみす放っておく事は出来なかったし、出来ればこの子が自らその危険に気付いて、もう二度としないと思ってくれれば尚良い、それだけだった。


「要らんもんをあんなに真剣に選ぶ?真剣通り越して必死な顔しとったよ。
お金が無くて、欲しい物がどうしても買われへんっていうのは分かる。物凄い悔しいの、私もよう分かる。
そやけどな、盗ったらあかん。どんなに欲しくても、どんなに悔しくても、それは絶対にしたらあかん。
欲しい物は手に入っても、それ以上に大事なものを失っていく事になるんやで。だから、ああいう事はもう二度としたらあかん。」

立ち尽くしている少女の睨みつけるような強い瞳に、は静かに微笑みかけた。


「これは単に私が勝手にやった事の結果や。別に買う気は無かったんやけど、まあ成り行き上、しょうがなかったから。
色も知らんし肌に合うかどうかも分からんから、私は要らんねん。そやからあなたにあげるわ。後はどうとでも好きにして。」

は少女の手を取って、口紅を握らせた。
そしてそのまま少女に背を向け、歩き出した。


「・・・・・待ちなさいよ!」

その直後、少女の声がを呼び止めた。


「何?」
「お金払うから・・・・・!」

駆け寄って来た少女は、これ以上はないという位苦々しい顔をして、バッグから財布を取り出した。
断じて覗くつもりはなかったのだが、少女がの目の前で財布を開いたものだから、見るつもりのなかったものが見えてしまった。
彼女が千円札を2枚取り出した後の札入れの部分は、レシート1枚入っていない、スッカラカンだった。


「・・・・ホンマに貰ろてええの?」

つっけんどんにお金を差し出してきた少女に念を押してみると、少女はその苦々しい顔をギクリと強張らせた。
なかなか強烈な子だが、どうやら根は素直なようだ。
辛抱しきれず、はついつい笑ってしまった。
そして、その笑いをどうにか引っ込めると、更にまた一段と苦々しくなった顔を可愛らしく朱に染める少女の前で、軽く手を打ち鳴らした。


「よっしゃ!分かった!ほなちょっと働いて貰おかな?」
「は、働くって・・・・、何させる気よ・・・・・!?」

警戒度MAXという状態の少女に、はバッグから雑誌を取り出して見せた。


「これこれ、これやねんけどな。ここのお店に連れて行って欲しいねん。
も〜、それでのうてもこの辺ゴチャゴチャゴミゴミしてんのに、こんなテキトーな地図で余所モンが場所分かる訳ないやろ?もっと詳しく書いてくれやな分からんっちゅーねん。なぁ?」

がフレンドリーに話し掛けると、少女はその警戒レベルを、ゼロとまでは言わずとも半分位にまで落とした。


「アンタ、やっぱりこっちに住んでるんじゃないんだね・・・・・。関西の人なんでしょ?このお店に行く為にわざわざそんな遠くから来たの・・・・?」
「ああ、ちゃうちゃう。お土産の買い物やねん。買う物も大体決めてあるから、時間はそんな掛からんと思うわ。
この店に私を案内して、買い物済んだらまた駅まで案内して。口紅はそのお礼って事で、どう?」

きっとこの子はこの提案に乗る、そんなの予想は見事に当たり、少女は決まりの悪そうな顔で僅かに頷いた。


「よっしゃ!ほな行こか!」

は少女を促して、再び歩き始めた。


「えーと、あっちやったっけ?」
「違う!こっち!」
「え?そうやっけ?あはは、ごめんごめん!」

初めは決まりの悪そうな顔でぎくしゃくした態度を取っていた少女だったが、時間が経つにつれて少しずつ少しずつ、その態度と表情は和らいでいった。
目的の店で無事に買い物を済ませ、駅まで送って貰った頃には、最初の刺々しい警戒はもう随分と薄れて消えていた。


「ありがとう。お陰で楽に買い物出来たわ。」
「別に・・・・・」

改めて礼を言うと、少女はまたぎこちなく顔を強張らせた。
まだ幾らか身構えてはいるようだが、しかし、もう怒っている訳ではない。そんなような、はにかんだ表情だった。


「これから・・・・どうすんの?」

少女はその表情のまま、初めて自分からを気に掛けるような事を尋ねた。
何となく嬉しくなって、は目を細めて彼女に笑いかけた。


「神室町まで行くねん。」
「一人で行けるの?」
「それは大丈夫。あの辺はちょっと知ってるから。ありがとう、心配してくれて。」
「べっ、別に・・・・・!」

少女は狼狽したようにプイとそっぽを向くと、慌ただしく切符を買った。


「じゃあ、あたし方向違うから!」
「あっ、ちょっ・・・・!」

今一度呼び止める暇もなく、少女はさっさと改札を潜って行ってしまった。
人ごみに紛れてあっという間に見えなくなってしまった彼女を見送るのをやめて、は小さく溜息を吐いた。
何だかんだで結局名前を訊く事もないままだった。もう二度と会う事もないだろうと思うと、何だか少し寂しい気もする。
しかし、これから後の予定を考えると、その若干の寂しさはすぐに消え去った。
これから真島の部屋に行って、荷物を下ろして、ちょっと家事でもしてやって、真島が帰って来るまでの間にシャワーを浴びてドレスアップしておく。
そしてその後は、銀座のお洒落なイタリアンレストランでディナーだ。
この後の楽しい予定に胸を躍らせながら、もまた急いで切符を買い、改札を通って行った。



















「あ〜、お腹いっぱい!めっちゃ美味しかった〜!」

腕を組んで歩きながら満足そうな声を上げるを、真島は笑って一瞥した。


「そら良かったわ。あれこれリサーチした甲斐があったっちゅうもんや。」
「流石は銀座の高級店やなぁ。あれはちょっと家で真似して作れる感じとちゃうわぁ。
喫茶店のナポリタンとかミートソースなら、味の見当もつくから何となくそれっぽく作れるんやけどなぁ。」
「あ〜、確かにな。でも俺は喫茶店のナポリタンの方が好きかも知れんわ。あの素朴〜な感じの味がな、何やかんやでやっぱりホッとするっちゅうかな。」
「あ〜、それは言えてる。偶にめっちゃ食べたなるもんなぁ。」
「そやけどいっちゃん美味いのは、やっぱりお前の作る飯や。」

わざとらしく思いっきりムードを出して本音を言ってやると、は一瞬キョトンとした後、照れ臭そうにはにかんだ。


「・・・・・ふふ・・・・・、アホ・・・・・・」

ニヤニヤ笑ってモジモジしながら、なかなか筋の良いエルボーを繰り出してくる。相当に照れているという事だ。
おちょくりが成功したのとの可愛い反応を見られた事に気を良くして、真島もヒヒヒと笑った。


「さてと!この後どうする?どっか飲みに行くか?映画のレイトショーとかカラオケとか行ってもええし。」

時刻は夜の10時を回った位だった。
宵の口とは言わないが、もう遅いという程の時間でもない。
早く帰ってと甘い夜を過ごしたいのは山々だが、もう少し外でのデートを楽しんでも良い位だった。


「ん〜、今日はお酒はええかな?折角美味しいお料理でお腹いっぱいになったし。腹ごなしにちょっと歩きたい気分やわ。
私がこっち来る事あんま無いから、神室町の辺り以外殆ど知らんし、ちょっとこの辺散歩しても良い?」
「おう、別に構へんで。」
「やったー!ほな行こ行こ!」

は無邪気に喜んで、真島を引っ張るように歩き出した。
春とはいえ夜はまだ寒い時期だが、今夜は風もなく、散歩程度にブラつく位は苦にならなかった。
何より、楽しそうに嬉しそうに歩くが愛しくて、もっと喜ばせてやりたくなる。
どうせならいつも見慣れているような繁華街ではなく、静かで景色の綺麗な所が良いかと考えた真島は、をすぐ近くの公園へと誘った。
大小の音楽堂がある広いこの公園は、アイドルやロックバンドのライブスポットとしても大変有名な場所である。
とはいえ、別に用事も無いので真島はこれまで殆ど来た事がなく、に観光案内をしてやれる程詳しくはなかった。
二人並んで、そこらにポツポツと掲示されている園内案内図を見ながらあっちこっちと目的もなく歩いていると、広場に出た。
そこにはタンクトップにジャージ姿の男が一人いて、トレーニングをしていた。
左目の傷を隠す為のサングラスのせいで視界が暗く、男の顔ははっきりとは分からなかったが、鍛え抜かれた良い身体をしていた。背はあまり高くなさそうだが、ガッチリとした筋肉質の、パワーファイター系の体格である。
こういう身体つきをしている男を見かけると、喧嘩師としてはついつい目を惹かれてしまい、に『またかいな』と呆れられるのが大体いつものパターンなのだが、今日は珍しくも興味津々に男を見ていた。


「うわ、すっご・・・・・!凄いなあの人・・・・・!」

男は高い鉄棒で、見事な技を次々と決めていた。目まぐるしく移り変わっていくその派手なアクションがの目を惹いたのは間違いなかった。


「ほ〜、大したもんやな!体操の選手か何かやろか?」
「なぁ!?只者ちゃうよなぁ絶対!?」

と二人でボソボソ喋りながら見ていると、鉄棒を終えた男は、次にその場でファイティングポーズを決め、一人で闘い始めた。


「な、何やってはんねやろ、あれ・・・・・?」

は怪訝そうに首を捻ったが、あれはシャドーボクシング、いや、シャドーファイトだった。
パンチだけではなく、キックや頭突きなど様々な技が、見事なアクションを交えて繰り広げられていた。
まるでアクション映画のように鮮やかな技の数々は、真島の中に流れている喧嘩師の血をあっという間に沸々と滾らせた。


「・・・なぁ、ちょっと声掛けてきてええ?」
「なっ・・・!ちょっともうあんたまた・・・・・!」

また始まったと言いたげな顔をして、は真島の腕をバシッと叩いた。


「やめときぃや!あの人多分何かのトレーニングしてはんねんて!喧嘩なんか売りに行きなや、邪魔になるやんか!」
「邪魔しに行くんとちゃうがな、そのトレーニングの相手したろかっちゅーとんねん!ああいうのは一人でやるよか相手がおる方が絶対ええんやって!」
「何言うてんの、頼まれてもないのに!やめときて!」

止めようとすると小競り合いをしていると、広場にまた別の客が現れた。
神室町に数多く生息しているタイプの輩が数人、担いだラジカセからズンドコズンドコと腹に響くうるさい音楽を大音量で垂れ流しつつやって来たのである。
連中はシャドーファイト中の男に目を留めると、真島を出し抜いて男に歩み寄って行った。


「なぁ、一人で何やってんのオメー?」
「ナニと戦っちゃってんのぉ?」

真島がしようとしていたような、健全で友好的な声掛けではなかった。連中は明らかに因縁をつけ、絡みにいっていた。
しかし、男は一切相手にしなかった。
連中には当たらないようにしながらあくまでもシャドーファイトを続けつつ、邪魔しないで貰えますか、と答える声は、感心するぐらい冷静に落ち着き払っていた。
だが、この手合いはそういう反応をされると、益々調子に乗る。
真島が危惧した通り、連中は一層挑発的になって、下らない茶々を入れたり、男の肩や腕を小突いたりし始めた。


「ちょっと・・・・、何やのアレ・・・・・!?」

がその様子を心配そうに見ながら、憤慨した声で呟いた。
しかし、あれだけの身体と身体能力を持つ男だ。ここまでされれば流石に何らかの反撃に出るだろうし、それを見てみたいというのが真島の本心だった。
まずはお手並み拝見と静観を決め込んでいると、男は流石に耐えかねたように立ち止まり、消極的な態度ではあるものの、連中と対峙した。


「勘弁して下さい。邪魔されると困るんです。」
「なぁ、俺らが相手してやるよ。」
「かかって来いよ、オラオラ。」
「俺、喧嘩嫌いなんです。ホント勘弁して下さい。」

男は反撃どころか、連中に向かって頭まで下げた。
こんな事をすれば、もう決定的に調子付かせてしまう。獣に逃げる背中を見せるようなものだ。
真島が溜息を吐くと同時に、案の定、連中は狂喜したようにやかましい笑い声を上げた。


「何だオメー!どんだけビビってんだよー!」
「ビビリのくせに調子こいてんじゃねーよ!」

連中は問答無用に、よってたかって男に殴りかかっていった。
男は見事なアクションで、その攻撃をことごとく避けた。
が、それだけだった。
男はひたすら攻撃を避けるばかりで、やはり一向に反撃しようとはしなかった。


「吾朗・・・・・!」

が不安げな眼差しで真島を見上げた。
皆まで聞かずとも、の言いたい事は分かっていた。
最初は甘く見てナメてかかっていた連中が、思うように攻撃が当たらない事にだんだん本気で苛ついてきているのは、傍で見ていても一目瞭然だったのだ。


「・・・・しゃあないのう。、ちょうこれ持っといてくれや。」
「うん・・・・・!」

真島はスーツの上着を脱ぎ、ネクタイを解くと、まとめてに預けた。
シャツの喉元のボタンを1つ2つ外し、カフスも外して袖を肘まで捲り上げる。
今日はめかし込んできたせいで少し時間が掛かったが、これで一応喧嘩の身支度は整った。
拳をゴキゴキと鳴らしながら、真島は騒動の渦中へと歩を進めて行った。


「てんめぇ、ふざけてんじゃねーぞコラア!!!」

連中の内の一人が、とうとう飛び出しナイフを取り出して、男の背後から切りかかった。
真島がその腕を掴んで止めると、その場にいた連中が絡まれている方も含めて全員、誰だお前と言わんばかりの目で真島を見た。


「何やっとんねんお前ら。無抵抗の奴1人に何人がかりや、みっともない。」
「あぁ!?何だテメェ!?」
「兄ちゃん、アンタもアンタや。男なら逃げ回ってんと戦わんかい。金玉ついとんのやろが。折角の身体と技が宝の持ち腐れやで、勿体無い。」
「な・・・・・」

どいつもこいつも全員唖然としている中、真島はナイフを持っていた奴の顔面に渾身の拳をぶち込んだ。
その一撃で一番危なそうな奴をいち早く潰すと、真島は残りの連中に向かって挑発の笑みを浮かべた。


「おいお前ら。腹ごなしにいっちょ俺が相手したるわ。かかって来いや。」
「ふ・・・・っざけやがってぇ!」
「テメェも一緒にブッ殺してやるよ!」

完全に頭に血が上ったらしいその連中は、ターゲットを真島に移して一斉に躍りかかってきた。


「っしゃあっ!!」

真島はそれを片っ端から蹴散らしていった。
それなりに食べてきたばかりなので、多少腹が重くて攻撃のキレは今一つだが、こんなガキ共を蹴散らすのに不自由はなかった。


「うらぁぁぁっ!」

・・・・筈なのだが、それは些か油断のし過ぎだったのだろうか。
目の前の奴を殴っている内に、いつの間にか背後にも攻撃の気配が迫っていた。
それに気付いた時にはもう避けるタイミングを失っていて、真島は一撃喰らう事を瞬間的に覚悟した。
だが。


「うぐっ・・・・、うぅぅっ・・・・!」

覚悟していた一撃のダメージはやって来ず、代わりに妙な声が聞こえて、真島は後ろを振り返った。
見るとあの男が、真島の背後を狙っていた奴に絞め落としを決めていた。
白いタンクトップから剥き出しになっている腕は、惚れ惚れするような見事な筋肉が隆々と盛り上がり、ビキビキと筋が浮いている。その様を、真島は唖然と見つめた。


「ホント勘弁して下さいよ・・・・!俺喧嘩嫌いなんですってば・・・・!」

男がその屈強な腕力とは裏腹に情けない泣き言を呟いたと同時に、絞められていた奴は完全に落ちて地べたに崩れた。
泡を吹いて失神している奴と、困り果てたようにしけた顔をしている男とを見比べると、真島の背筋に一瞬、快感にも似た強い刺激が走り抜けた。


「・・・・ヒヒッ・・・・!」

いつの間にか乾ききっていた唇をペロリと一舐めして、真島は素早く体勢を立て直した。


「うっしゃあっ!!」
「ひぃっ、ひえぇぇっ!」
「な、何だよコイツ、バケモンかよ・・・・・!」
「ぎゃあああっ!」

もうこんな雑魚共に構っている暇など無かった。
こんなクソつまらない喧嘩はとっとと終わらせて、早くこの男と戦り合いたくて堪らなかった。
と多少喧嘩になる事さえ、やむなしと覚悟している位なのだ。こんな連中に割く時間など、もうあと1分1秒だって惜しかった。
真島はスピード重視で情け容赦なく連中を潰しきると、男の方に向き直った。


「よっしゃ、終わったで!ほな兄ちゃん、次は俺とサシで勝負や!」
「はぁ!?」

男は垂れ気味で柔和に見えるその目を、目一杯見開いて驚いた。


「いや、ちょっ・・・・、俺の話聞いてくれてました?俺喧嘩嫌いなんですけど・・・・」
「そっちこそ俺の話聞いとったか?アンタ折角ええ身体とええ技持っとんのに、喧嘩嫌いとか勿体無いにも程があるで!」
「そんなムチャクチャな・・・・・!」
「ちょっと吾朗・・・・・!」

男と押し問答を繰り広げていると、が真島の服を抱えた状態のまま、慌てて駆け寄ってきた。


「やめときって言うてるやろ!?この人嫌がってはるやんか!」
「嫌よ嫌よも好きの内や!戦ってる内にだんだん楽しなってくんねんて!それが男の喧嘩っちゅうもんや!」
「何をアホな事言うて・・・・!そんなんあんただけやっちゅーねん!この喧嘩バカ!」

やはり、は手強かった。
は正義感が強く無鉄砲な所がある一方で、争い事を好まない、優しい性分をしている。
そんなを、喧嘩に関する事で言い包めるのは至難の業なのだ。
を本気で怒らせたり心配させたりしないよう、かつ自分の要求が通るように説得するのは、敵対組織に単身カチコミをかけるよりも遥かに難しい。
それをどうにか成そうと奮闘していたその時。


「ちょっと!何なのアンタ!」

真島の背中に、刺々しい怒声が飛んで来た。
それも只の怒鳴り声ではない、若い女の子が怒っている声だった。


「あん?」

面食らった真島は、後ろを振り返った。
するとそこには、小ぶりのラジカセを持ったショートカットの少女が立っていた。
年の頃は16か17位だろうか?デニムのショートパンツがスラリとしたスタイルに良く似合っている、溌剌とした雰囲気の娘だった。


「な、何やオネーちゃん?」
「何って訊いてんのはこっちよ!かっちゃんにちょっかいかけるのやめてよね!」
「か、かっちゃん?・・・・って、この兄ちゃんの事かいな?」
「そうよ!」

少女は、どうやら『かっちゃん』という名前らしい男の前に、まるで彼を庇うようにして立ちはだかった。


「アンタ達みたいな連中にはホント迷惑してんのよ!こっちはねぇ、アンタ達みたいに暇じゃないの!人生懸けて毎日必死にトレーニングしてんのよ!アンタ達みたいな下らない社会のダニには分かんないだろうけどね!」
「しゃ、社会のダニて・・・・・」

あまりの言われように少なからずショックを受けて、真島は思わずを見た。
するとは、庇ったり慰めてくれるどころか吹き出した。


「いや何笑ろとんねんお前・・・・・」
「ごめん、つい・・・・・・」

はどうにか笑いを引っ込めると、何か言おうとするかのように少女の方を向いた。
そうやそうや、ガツンと言い返したれと、真島は内心でを応援した。
男相手なら己の拳で幾らでもガツンとやってやれるが、女、それもまだ高校生位の小娘が相手となると、勝手が違ってどうにも太刀打ち出来ないのだ。
ここは女同士、にきっちりカタをつけて貰おうと期待しながら待っていると、はふと目をまん丸くして少女を凝視した。


「・・・・・・あれ?あなたもしかして・・・・・」
「え・・・・・?あ・・・・・・」

少女の方も、同じような表情になってを見つめた。
そしてその直後。


「「あーーーっ!!!さっきの!!!」」

というと少女の叫び声が、重なって響き渡ったのであった。


















この少女、何処かで見かけた事があるような気がしていたが、まさか昼間のあの子だったとは。
も大いに驚いたが、相手も同じ反応を示していた。
まさかこんな所でまた会うとは、向こうもきっと夢にも思っていなかった筈だった。


「な、何やねん、知り合いなんか?」

真島が怪訝そうな顔をして、そう訊いてきた。
その声で我に返ったは、どう答えるべきかを一瞬の内に考えた。


「あ〜、うん、ちょっとな。昼に原宿で買い物しとった時に、ちょっと。」
「あ?どういうこっちゃ?」
「最近よう雑誌に載ってるお店に買い物行ってん。マニキュアとかアイシャドウとか、色数が凄い豊富やって評判やから、店の子らへのお土産に丁度ええわと思って。
ほんでもお店の場所がイマイチよう分からんかってな、ほんで偶々この子に声掛けて道案内して貰ってん。」
「ほ〜ん、そらえらい偶然やなぁ。」

真島は驚きながらもすんなりと納得した。本当の事だから当たり前ではあったが。


「昼間はありがとうね。ホンマ助かったわ。」

は改めて少女に向き直り、笑いかけた。
すると少女は、また警戒と動揺が混ざったような表情になった。


「べ、別に・・・・・。っていうか、その人こいつらの仲間じゃないの?何なのこの状況?どういう事?」
「ああ、違うんだよミレーちゃん。この人はこいつらに絡まれてた俺を助けてくれたんだよ。」

昼間、に対しても見せたような強い警戒の目で真島を睨む少女に、『かっちゃん』が手短に事情を説明した。
そして、改めて真島の方を向き、礼儀正しく頭を下げた。


「本当にありがとうございました。お陰で助かりました。
トレーニングしてると、時々ああいう奴らに絡まれる事があるんですよ。
いつもは謝って駄目なら逃げるんですけど、そうなるとトレーニングを中断しなきゃいけなくなるし、本当に助かりました。
けど、すみません。俺ホント喧嘩嫌いなんです。こうして鍛えてるのは喧嘩の為じゃなくて、これでも一応仕事なんです。」
「仕事?仕事って何しとんねん?」
「俺、俳優なんです、アクション専門の。って言ってもまだほんの駆け出しで、アクション俳優っていうよりは実質スタントマンなんですけど。」

良い意味で全く予想外の話に、も真島も大いに驚いた。


「ほぉ〜!俳優かいなアンタ!」
「いやぁ凄ぉい!道理で凄い運動神経してはると思ったわぁ!」
「い、いやぁ、そんな事は・・・・」

しきりに照れる『かっちゃん』を、は真島と一緒にもてはやした。
芸能の世界に身を置く人、そこで活躍している人は、店の得意客の中にも何人もいるが、殆どは関西ローカルの漫才師や芸人やタレント、或いは時代劇の役者で、アクション俳優と知り合うのはこれが初めてだったのだ。
だから、ついついミーハー心が騒いでしまうのも、無理からぬ事だった。


「あ、お名前教えて貰っても良いですか?」
「あ、か、勝矢直樹といいます。」
「それ芸名ですか?それとも本名?」
「本名です、本名で活動してるんです。」
「そうですか。あ・・・・」

浮かれた勢いのまま向こうの事を一方的に訊くだけ訊いて、こちらの事を何も話していなかった事に気が付いたは、改めて姿勢を正して勝矢に向き直った。


「私、です。で、こっちは・・・」
「真島吾朗や。よろしゅうな。」

ヘラヘラと名乗る真島の脇腹を、は肘で軽く小突いた。


「この人が困らせてごめんなさいね。ホンマ気にせんといて下さいね。」
「ちょっ、何でお前が勝手に話終わらせとんねん!」
「今聞いたやろ!?この人はお仕事でやってはんねん!邪魔したらあかん!」
「俺かて『お仕事』や!」
「何言うてんの!あんたは只々喧嘩が好きなだけやろ!」
「そうや!趣味と実益を兼ねた天職や!」

いつもの調子で真島と言い合いをしていると、勝矢が何か訊きたそうに、あの・・・と恐る恐る声を上げた。


「喧嘩が趣味と実益を兼ねた天職って、どういう事ですか?」
「あぁ〜、それはやな・・・・・」

その質問に、真島は一瞬口籠った。
黒いサングラスの奥に隠れてはいるが、その目が傍らの少女を気にしている事は、すぐに察しがついた。
年端もいかない女の子を怖がらせてしまう事に躊躇いを感じているのだ。
巷で『嶋野の狂犬』などと呼ばれて随分と恐れられているようだが、真島はそういう男だった。


「まぁ、ぶっちゃけ言うと筋者なんや。ああそやけど、別に何も悪させぇへんからな!心配せんといてや!」

真島は明るい口調で少し早口にそう捲し立てると、勝矢の逞しい両肩をガシッと掴んだ。


「いやしかし、アンタホンマにごっついで!ええ才能持っとる!一目見てそない思たんや!」
「そ、そうですか・・・・?」
「ホンマは1発喧嘩して、ええ感じやったらうちの組にスカウトしたろかなと思っとったんやけどな、まあそういう事ならしゃーない、喧嘩は諦めたる!将来有望な俳優に怪我させる訳にはいかんからな!
せやけど、戦り合うんは諦めへん!今この場で俺と1発戦ろうや!」

真島の大声が響いた後には、静謐なまでの沈黙が流れた。


「・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・・」

ちょっと何を言っているのかよく分からない。
きっと3人全員がそう思っている筈だった。
それを代表してツッコんでやれるのはやっぱり私しかおらんと、が口を開きかけたその瞬間、真島は続きを話し出した。


「勿論、喧嘩やない。寸止めや。お互い攻撃は絶対当てへん。」
「す、寸止め?」

面食らっている勝矢に、真島はニヤリと笑いかけた。


「アンタさっきシャドーファイトしとったやろ?その相手を俺がやったろっちゅうてんねん。
一人でやるよか相手がおるスパーリングの方が、技磨くにはより効果的やろ?」
「それは・・・・・、確かに・・・・・・」
「ほなええねんな!?な!?」
「は、はぁ・・・・・・」
「よっしゃ!!やったぁっ!!」

勝矢を口説き落とした真島は、文字通り飛び上がって喜び、クルリとの方を振り返った。


「っちゅーわけで、すまんけどもうちょい待っててくれや!あ、ついでにこれも頼むわ!」

真島ははしゃぐ子供のように無邪気に笑って、慌ただしくシャツを脱ぎ捨てた。
びっしりと刺青の入ったその身体を露わにすれば勝矢と少女がどう思うか、としては気掛かりだったのだが、これから始めようとしているスパーリングという名の喧嘩にひたすらワクワクしている真島は、そんな事になど全く気が回っていないようだった。
多分、極道者だともう明かしたから隠す必要など無いとでも思っているのだろう。


「あーもう、お前らいつまでここで寝とるんじゃ!邪魔やねん!とっとと往ねやこのボケが!」

真島はまだその辺で伸びたままのゴロツキ連中を追い払って場内整備をすると、嬉しそうに勝矢の肩を抱いた。


「よっしゃ!これでスッキリしたわ!ほないくでぇ勝っちゃあ〜ん!ガッカリさせんなやぁ!」
「お、お手柔らかにお願いしますね・・・・・・!」

と少女から少し離れた所まで行って遂におっ始めた真島を眺めて、は諦めの苦笑を洩らした。




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後書き

龍5のストーリーはツッコミどころ(矛盾点とか不可解な点)が多くて、夢書くのもなかなか大変です。
今回は、兄さん&朴さん&勝っちゃんの3ショット写真についてツッコミましょうか。

まずあの写真の飛び出し方。
何で魔王incの社長のケツポッケから出てくる(笑)!?
何かシチュエーションが不自然すぎません!?
棚とか机からアルバム出してきて、「ほらほら、これ・・・」って見せるとかした方が良くない!?

それから、写真そのもの。3人が着ている服の季節感がバラバラ(笑)!
背景も謎です。蒼天堀のように見えるのですが、あれは龍5の20年前、1992年の蒼天堀の景色ではない・・・・。
龍が如くシリーズって、実在の街並みをリアルに再現している事がポイントの一つでもあるから、こういう矛盾は残念で・・・・。
じゃあ東京?東京って事でいいスか?(当時の)大阪じゃないし。全然違う都道府県って解釈も有りっちゃ有りですけど。