檻の犬と籠の鳥 17




「ほな、また来るわ。」
「うん、待ってる。ありがとうな。」

真島はに背を向けて歩き出した。
そして、少し行った所で足を止めると、再び取って返した。
はもう店に戻ったようだった。それを確認してから、真島は煙草に火を点けた。


「チッ・・・、案の定やんけ・・・・・・」

やはり、大阪に来たのは無駄ではなかった。
良い意味でも、そして悪い意味でも。
真島は紫煙を燻らせながら、店のドアをじっと見つめていた。
を困らせたくなくて、一度は調子を合わせて身を引いたが、本当に帰る気など毛頭無かった。
あの男が店に入って来た瞬間、が表情を固く強張らせたのを、真島はしっかりと見ていたのである。
もしも何か少しでも妙な気配や物音がしたら躊躇わずに踏み込む気で様子を窺っていると、少ししてすぐにドアが開き、あの男、岩下が、只でさえ人相の悪い顔を更に険しくさせて出て来た。


「・・・・見ぃひん顔やが、ワレどこの組のモンじゃ?」

真島に気付くと、岩下は威嚇するように訊いてきた。
プライベートを楽しんで来いと、真島の頭の中で嶋野がまた釘を刺した。


「どこの組のモンでもないわ。今はプライベートやさかいな。」

神室町のカラの一坪を巡って起きたあの大事件は、西も東も、お互いまだ記憶に新しい。
今ここで東城会の名前を出すような事になったら大変な事態になりかねない事は、真島とて重々承知していた。


「何を眠たい事抜かしとんねん。どうせ佐川んとこにおった若い衆とちゃうんかい。」
「ブー。ハズレや。」
「いちびっとんとちゃうぞ、チンピラが。」

岩下は明確な殺気を滲ませながらも、仕掛けては来なかった。


「あの店はワシのモンや。あの女も含めてな。昔の男か何か知らんが、いつまでもしつこく纏わりつくのはみっともないぞ。
おどれの出る幕なんぞ無いわ。引っ込んどれや。」
「ほー。その割に、俺とたったの一足違いで叩き出されとんのは何でなんやろなぁ?」

真島は煙草の煙を吐き出しながら、思ったままを言い返してやった。


「その様子じゃあ、オッサンが一方的に入れ込んどるだけとちゃうんか。
てんで相手にされとらんのに、勘違いしてしつこく纏わりつくのはみっともないで。
出る幕やないのはそっちの方やろ。歳考えろやオッサン。」
「何やと?」

一触即発の空気が流れた。
しかし次の瞬間、岩下はそれを鼻息で吹き飛ばした。


「・・・まあええ、好きに吼えとれ。どこの組かも言えんような野良犬がなんぼ吼えたところで、どないも出来んわ。」

三度の飯より喧嘩が好きで、相手がに害を為しそうな輩とくれば、てっとり早くぶちのめしてやりたいところだったが、相手も流石にこんな分かり易い挑発に乗ってくる程軽率ではないようだった。
スーツの胸元に留まっている代紋は、伊達ではないという事なのだろう。


「今度その面ワシの前に出したら命は無いと思っとけ、チンピラ。」

岩下は煙草に火を点けながら、真島の横を通り過ぎて行った。
そのありきたりな捨て台詞は、別に気にならない。
気になるのは、困った顔ひとつせずに笑っていたの本心だった。


― 何でやねん、・・・・・

どう考えても、『大丈夫』と笑っていられる状況ではない筈だった。
それなのに、は何故、何も言ってくれなかったのだろうか。
とうに縁の切れた男になど頼らずとも、誰か他に助けてくれる奴がいるという事なのだろうか。
グランドで別れた夜、身を切られるような思いでの幸せを願った事が思い出された。
あの時贈ったワインを飲む相手は、もう見つかったのだろうか。
それとも、夜の世界で生きていく為に、佐川に代わる新たな後ろ盾を得たのだろうか。
考え出すと、急に不安が広がってきた。
以前と変わらないの様子に、あの頃のままだとつい思い込んでしまっていたが、よくよく考えてみれば、絶対にそうだとは言い切れなかった。
さっきは佐川の話ととうに終わった昔の話をしただけで、今のの事は何も聞いていないのだから。
あの頃と同じように明るく笑って、あの頃の二人の思い出を何気なく口にしていたのも、気持ちが変わっていないからではなくて、とっくの昔に済んだ事だと完全に割り切れているからなのかも知れない。


― そ、それならそれで、別に構へんやろが・・・・・!

真島は弱気になりかけていた己を奮い立たせた。
に支えとなる誰かがいるのなら、それはそれで喜ぶべき事なのだ。
誰にも相談出来ず、一人で抱え込んで困っているよりはずっと良い。
だから、確かめる必要があった。
が本当に『大丈夫』なのかどうかを、大阪にいられるこの数日の内に。


― オープンは確か7時やて言うてたな。

それまで、まだ暫く時間がある。
ひとまずは暇潰しがてら、初めて来たこの街をぶらついてみるのも悪くはなかった。

















人生の転機というのは、往々にして突然訪れる。
日常に紛れて、何という事のない出来事として、何食わぬ顔でひょっこりと現れる。
そして、後になって気付くのだ。ああ、あれがそうだったのだと。
真島や佐川との出逢いも、正にそれだった。
彼等と出逢った時には、自分がこんな人生を歩む事になるとは全く思ってもみなかった。
目先の生活に精一杯で、先の事などあまり真剣に考えた事もなかったが、それでも漠然と、平凡ながらも穏やかな家庭を築いている事を夢見ていたのに、実際には何故だか一国一城の主として、毎日を慌ただしく過ごしている。
元は嫌々始めた水商売にここまでどっぷり浸かる事になるなんて自分でも不思議だが、それでも、意外と悪い気はしていなかった。

真島と引き裂かれた悲しみと絶望に打ちひしがれ、ただ泣いてばかりいた訳じゃない。
彼が教えてくれた事を支えに、自分なりに精一杯この店を作り上げてきたのだ。
それを彼に見て貰って、楽しんで貰いたかった。
そうしたら、あの時の自分が報われるような気がして。
あれからずっと、何となく止まったままのように感じていた時が、また進んでいってくれるような気がして。
彼はいつ来てくれるだろうか?明日か、それとも明後日だろうか?
きっとすぐに来てくれるに違いない。大丈夫、まだ間に合う。
彼がもう一度来てくれるまでの間位は、十分持ち堪えていられる。
だから、彼がいつ来ても大丈夫なように、ぬかりなく準備を整えておかねばならなかった。
店中を磨き上げて、綺麗な花を飾って、そして、この店の『売り』を、いつものように心を込めて作るのだ。

ただそれには、従業員達の力が不可欠だった。
花形はあくまでホステスの女の子達だが、彼女達が活躍出来る場を整えてくれるのは、この店に2人いる黒服の男性スタッフである。
彼等はいつも夕方から出勤して来て、開店準備を手伝ってくれている。
それがどうした事か、今日はいつもの時間になっても出勤して来なかった。
不審に思いながらも、開店準備に追われるにはどうする事も出来なかった。
きっとじきに来ると思いながら一人でバタバタと準備をしているうちに、女の子達がちらほらと出勤して来るようになったが、男衆は相変わらず姿を見せないままだった。


「ちょっとぉ〜、もうすぐ7時やでぇ!?どういう事なん!?」
「何かあったんやろか!?」

そして、間もなく開店時刻になろうかという今、店の中は大いに動揺してざわついていた。


「まさか事故にでも遭うたんかなぁ!?」
「3人共かぁ!?」

来ていないのは男衆だけではない。
No.1の女の子までもが、彼等と同じように連絡無しに来ていなかった。
これまでも色々と悩ましい出来事はあったが、こんな不可解かつ不吉な事態は、この店始まって以来だった。


「まさかぁ、それは無いやろ〜!なぁママ!?」
「そやな、それは無いと思いたいけど・・・・・・」

何にせよ、このまま騒いでいたって埒が明かなかった。
何とか開店準備を済ませたは、来ていない従業員達に連絡をしようと、電話の受話器を取り上げかけた。
その時、ワンテンポ早く電話の方が先に鳴った。


「はい、クラブパニエでございます。」
『あ・・・、ママ?』
「千秋ちゃん!?」

電話をかけてきたのは、件のNo.1ホステスだった。
思ったより元気そうな声にひとまず安心はしたが、かと言って、この混乱が治まった訳ではなかった。


「どないしたん!?大丈夫!?何かあったんかと思って、皆で心配してたんやで!?今どこにおんの!?」
『あぁ・・・・、あの、大丈夫です、別に何も・・・・・。』

何だか決まりの悪そうなその喋り方は、何かの事故に遭ったような感じではなかった。


「ほんなら、どないしたん?」
『・・・・あの、私・・・・・、すいませんけど、これで辞めさせて貰います。』
「えっ!?」

正に青天の霹靂だった。
全く思ってもみなかった事を突然言われて、は思わず呆然とした。


「な・・・、何で・・・・・?何で急にそんな・・・」
『私、お店持たせて貰える事になったんです。』
「え・・・・・?」
『岩下さんに誘って貰ったんです。ミナミに今新しく作ってるクラブで、ママやってみぃひんかって。』
「岩下さんが・・・・・!?」
『すいません、ママには散々お世話になっといてアレなんですけど。』

岩下の名前を聞いた瞬間、合点がいった。
きっと全部、あの男の策略なのだと。


「待って千秋ちゃん、あの人は・・・」
『別に良いでしょ?ママが付き合うてたのは前のオーナーの佐川さんで、岩下さんとはそんな関係とちゃうんでしょ?それやったら別に良いでしょ?』
「良いとか悪いとか、そんな問題やなくて・・・!」
『ママかて前のオーナーと深い仲になったから、その店持たせて貰えたんでしょ?私も同じ事して何が悪いんですか?
私かて自分の店持ちたいんです。折角のチャンス、どうしても掴みたいんです。
ママには今まで色々良くして貰ってきて、感謝してます。でもそれとこれとは別やと思うんです。』

それを言われては、もう何も言えなかった。
反射的に岩下の魂胆を説明して分かって貰おうとしたが、よく考えてみれば、それはこの娘には関係の無い話だった。
岩下との間に生じている確執は、従業員達には何の関係も無い事。
沈みゆく船に、共に最後までしがみついてくれると思うのは、お門違いだった。


「・・・・そう・・・・、分かったわ。おめでとう、頑張ってな。」
『ありがとうございます、じゃあ。』

通話の切れた受話器を戻すと、待ち構えていたかのようにホステス達が詰め寄ってきた。


「ママ、千秋さん何て!?」
「おめでとうってどういう事!?」
「うん、それが・・・・、お店持つ事になったから、ここ辞めるって。」
「えーっ!?何それぇ!?めっちゃ急やん!」
「そんなん全然聞いてなかったでぇー!?」

急なのはきっと、岩下の堪忍袋の緒が切れたのが今だからだろう。
佐川の葬儀が終わって間もなく、ある日突然あの男が新しいオーナーとしてこの店にやって来てからというもの、はずっと岩下の誘いを断り続けてきていた。
岩下がここまで固執するのはそのせいか、或いは、佐川の事を死んだ今もなお敵視しているからか。
しかし何にせよ、には岩下の女になる気は更々無かった。
全く好きになれる気もしないし、何より、『籠の鳥』はもう真っ平だった。
たとえ嫌がらせのように支払いの金額を吊り上げられようが、意地でも払い続けて正々堂々とこの店を買い取り、正真正銘自分の城にする。
は自分にそう誓って、今日まで必死にこの店に齧り付いてきていた。
だが、向こうもそろそろ本気で頭に来だしたようだった。


「じゃあ男の子らは!?皆千秋さんについて辞めたって事!?」
「さあ、それはどうやろ。暇見てあの子らにも電話してみるわ。
フロントと給仕は私がやるけど、手ェ回らんかったら、悪いけど皆も手伝ってな。
千秋ちゃんの事は、今日は用事で休みって事にしておいて。」
「はい・・・・!」
「分かりました!」
「さあ、もう7時やわ!お店開けるで!皆、今日も宜しくね!」

とにかく、やれるところまでやってやる。
は自分を奮い立たせて、店のドアを開けた。















夜の7時を少し過ぎた。
そろそろ良い頃合いだろうと、真島は再びの店、『クラブ パニエ』に足を運んだ。


「いらっしゃいませ、クラブパニエへようこそ。」

ドアを開けると、シックなワインレッドのスーツで美しく装ったが出迎えてくれた。
は真島の顔を見るなり、目をまん丸にして驚いた。


「吾・・・、真島さん!」
「おう、さっきぶり。」
「もう来て下さったんですか!?」
「さっき食い損ねたオムレツ、食いに来たんや。」

半分は口実だが、もう半分は本心だった。
久しぶりにの手料理が食べられると思って、心も口もすっかりその気になっていたのに、その辺の店で胃袋だけ満たす気にはなれなくて、ずっと空きっ腹を辛抱していたのだ。


「そやけど、何でこの店こんなカレーの匂いがしてんねん?」

実のところ、空っぽの胃袋を一番刺激していたのは、店の中に充満しているカレーの匂いだった。
この匂いを嗅いでいると、急速に気分が変わっていくから不思議だ。
オムレツも良いがカレーも食べたい、いやいっそ両方食べたい。
お前は一体何をしに来たんやと自分で自分に突っ込む事すら忘れる程、空きっ腹が激しく自己主張をしていた。


「間違うてカレー屋に入ってもうたかと思ったわ。」
「あぁ・・・、ふふふっ。これは今日の晩ご飯なんです。」
「晩飯?」

キャバレーやクラブの中にも、アラカルトに拘る店はあるが、晩飯を出す店というのは流石に聞いた事がない。
思わず首を捻ると、は小さく吹き出した。


「どうぞ。お席にご案内しますので。」
「おう。」

ともかく、腰を落ち着けたい。積もる話はそれからだ。
真島はの後について、店の中を進んで行った。


「こちらのお席へどうぞ。」
「おう。」
「少々お待ち下さい。すぐにご用意致します。」

商売用のそのしとやかな物腰は、グランドで会った夜を思い出させた。
佐川の監視の下、互いに自分を抑えつけながら、それでもどうにか想いを伝え合おうとした、あの悲しい夜の事を。
だが、今はあの時とは違う。
誰の目も気にする事はないし、言いたい事も言える。時間だってたっぷりある。
真島は切なさを振り払い、が戻って来るまでの僅かな暇を潰すべく、店内の様子に目を向けた。
店の規模としては、『サンシャイン』と同じ位だろうか。
アイボリーを基調とした、明るくもエレガントな雰囲気の店だった。
開店後まだ間もない時間帯だが、既に半分程の席が埋まっている。
客筋もなかなか良さそうで、皆紳士的に女の子と談笑し、そして。


― 何でこの店、皆一緒にカレー食っとんねん?

皆、美味そうにカレーを食べている。
クラブというよりは、何だか家庭の食卓のような、ほのぼのとした光景だった。
呆気に取られながらそれを眺めていると、女が一人、真島のテーブルにやって来た。


「お待たせしました、こんばんは〜!」

20歳そこそこ位の、若いホステスだった。


「初めましてぇ、ゆかりで〜す♪」

真島は思わず肩を落としかけたが、寸でのところで踏みとどまった。


「お・・、おぉ〜!こらえらいべっぴんさんが来たなぁ!」
「ホンマぁ?うふふっ、ありがとう♪失礼しま〜す♪」

この女の子が気に入らない訳ではないのだが、てっきりがついてくれるとばかり思っていただけに、正直なところ落胆せずにはいられなかった。
だが、まさかそんな事は口が裂けても言えないし、顔や態度に出してもならない。
真島は努めて気持ちを切り替えると、隣に座ったゆかりに対して、対女の子用のスマイルを向けた。
そうしようと思ってしたのではない。
ついこの間まで、毎日毎日、散々やってきていた事だから、顔が勝手にその表情を作るのだ。


「飲み物は何にしはります?」
「そやなぁ、ほな、とりあえずシャンパンでも。」
「わぁ〜!私シャンパン大好き〜!なぁなぁ、私も飲んでもええ?」
「勿論。何でも好きなん頼みや。」
「いや〜ん嬉しい〜、ありがとう〜!お願いしま〜す!」

ゆかりの呼びかけに応えてやって来たのは、また別のホステスだった。


「は〜い、お待たせしましたぁ!」
「注文お願いしま〜す!シャンパンの白ね〜♪」
「は〜い!」
「それと、皆食うてるあのカレーも頼めるんか?」

真島が他のテーブルを指してそう頼むと、彼女は何だか無邪気な、楽しそうな笑顔を浮かべた。


「あ、本日の晩ご飯ですね?もっちろ〜ん!おひとり分?おふたり分?」
「ゆかりちゃんは?」
「食べた〜い!お腹ペコペコやね〜ん!」
「ほな2人分や。頼むで。」
「は〜い、少々お待ち下さ〜い!」

対女の子用のスマイルでヒラヒラと手を振り返して彼女を見送ったが、真島は内心で大いに驚いていた。
この店は、ホステスがボーイの仕事をするのだろうか?
小さな店なら女が一人や二人でやっていたりもするが、これ位の規模の店なら大抵は男のスタッフがいるというのに。
真島は再びフロントの方へ目を向けたが、は既におらず、代わりにそこに立っていたのはまた別の女の子だった。


「この店はボーイがおらんのか?」
「え」

ストレートに尋ねると、ゆかりは言葉に詰まって目を泳がせた。


「ぃ、ぃやあ〜別にぃ〜・・・」
「自分、嘘吐くんめっちゃ下手やな。何かあったんやろ、どないしたんや?」

女の子の胸の内を聞き出す事にも慣れている。それも毎日のように散々してきた事だ。
少し強引に、だが優しく、頼もしく、女の子を安心させるように問いかけるのがコツだ。
少々ブランクはあったが、腕は鈍っていなかったようで、ゆかりは戸惑いながらも何か話したそうな表情になった。


「・・・・コレは言うてええんかなぁ・・・・・」
「構へん構へん。ええから言うてみ?ほれ。」

優しく促すと、ゆかりは周りの目を気にしながらも、声を潜めて白状し始めた。


「・・・・実は、無断欠勤なんです。男の子ホンマは2人おるんですけど、どっちも。」
「何やと?けしからんなそれは。」
「いや、どっちも真面目によう働く人で、そんな事する人らとちゃうんです。それが今日急にこんな事になって・・・・・。」
「何やて?」

真島は改めて店の様子を窺った。
の姿はなく、店内を行き交う従業員は全て女の子ばかりだ。
更によくよく観察してみると、所々で困った顔をしている子がちらほらといる。
オーダーを通したいのに誰も来てくれずに途方に暮れている子や、フロントで不満げな顔をしている客にペコペコと頭を下げている子などが。


「何ぞあったんか?」
「分かりません・・・・・。ただ・・・・・・」
「ただ?何や?」

再び促すと、ゆかりは一層周りの目を気にしながら、更に声を潜めた。


「・・・・これ、私が言うたって言わんといて下さいね?絶対内緒ですよ?」
「分かっとる分かっとる。何や?」
「実は、No.1の女の子も、さっき電話でいきなり辞めるって言うてきたんです。」
「何でやねん?」
「自分のお店持つ事になったから、とか言うてたみたいで。」

何から何まで全く同じとは言わないが、よく似た話に覚えがあった。


「・・・それもまたえらい急な話やな。」
「そうでしょ〜?もう何が何やら、さっぱりワケが分からないんです。そやから実は今、こう見えて皆パニックになってるんですよ。」

あの事件に巻き込まれていく直前に、佐川から受けた嫌がらせに似ている。
人をおちょくっているようなあの皮肉な笑みが脳裏に蘇って来て、条件反射でイラつきそうになったその時、ボーイの代役を務めている女の子がシャンパンを運んで来たので、話は一時中断となった。


「とりあえず乾杯しましょ♪乾ぱ〜い!」
「おう、乾杯。」

真島はひとまず形ばかりゆかりと乾杯し、シャンパンを飲んだ。
そこへ一足遅れでカレーライスとオムレツが運ばれてきた。それを見て、ゆかりはキョトンとした顔で小首を傾げた。


「あれ?私、オムレツなんか注文したっけ?」
「ああ、これは俺がママに直接頼んどいたやつや。」
「へ〜!え、もしかしてお客さんって、ママのお知り合い?」

ゆかりは興味津々な顔で訊いてきた。
その質問に対する答えは、決まりきっていた。


「まぁな。昔の店の馴染みや。」
「へぇ〜!でも、うちに来はったのってこれが初めてでしょ?前にも来てはったら絶対忘れてへんもん、こんな個性強い人!」

その表現に苦笑いしながらも、それ以上追究されずに済んだ事に真島は安堵していた。
それ以上根掘り葉掘り訊かれたら、何と答えれば良いか分からなかったからだ。
昔の恋人というには、好き合った期間はまるで行きずりの関係の如く、あまりにも短かった。
そして、そんな昔の男が今頃何の用でやって来たのか、その答えが自分でもまだ分かっていなかった。


「今は東京におるもんでな。なかなか来られへんかったんや。」
「あ〜、なるほど!それやったらそうそう来られませんよねぇ!あ、冷めへん内に食べましょ!」
「そやな。」

ゆかりは唐突に、パンと音を立てて柏手を打った。


「はい!手を合わせて!」
「お、おう?」
「頂きま〜す!」
「い、頂きまーす・・・って小学校の給食かいな。」
「みたいで楽しいでしょ?こないすると。ふふっ。ん〜っ、美味しい!」

ゆかりは一足先にカレーを頬張って、満足そうな笑顔を浮かべている。
何とも変わった店だ。『サンシャイン』でも、女の子達がよくちらし寿司や何かを作っては皆でワイワイ食べていたが、この店は客も巻き込んでそれをしている。
が何を考え、どんな風にこの店をやってきたのか、何となく見えた気がして、真島は小さく笑った。
何はともあれ、久しぶりのの手料理だ。
真島は銀のフォークを取り上げ、ふんわりとしたオムレツを切り分けて、口に運んだ。
味を認識した途端、あのマンションの光景が浮かんできた。
部屋の匂い、家具の色、ベランダから見える景色、そして、の笑顔。
全部、全部、つい昨日の事のように浮かんできた。


「オムレツも美味しそう〜!私もちょっと貰って良い?」

ゆかりがオムレツをねだる声で我に返った真島は、咄嗟に笑顔を作ってゆかりにオムレツの皿を渡した。


「おう、ええで。食べ食べ。」
「わぁ〜い♪」

オムレツは名残惜しいが、カレーも早く食べたかった。
何しろ新幹線に乗る前に適当に食べたきりだったので、猛烈に腹が減っているのだ。
真島はフォークをスプーンに持ち替え、湯気を立てているカレーを一匙、何度も息を吹きかけながら頬張った。
見た目はさして凝っていない。シンプルな白皿に盛られた白飯にルウが直接かけられている、『家のカレー』だ。
けれども、味は確かだった。
レトルトではなく、肉や野菜がゴロゴロと入った、手作りの味だった。
優しいその味を噛みしめていると、食べるのが一段落したらしいゆかりが、誇らしげな顔で話しかけてきた。


「美味しいでしょ!うちのママ、料理上手やねん!」

言われなくても知っている。
その一言を、真島はシャンパンと共に飲み込んだ。
自分の気持ちもまだ分からず、の気持ちなどもっと分からない現状で、との過去を匂わせるような言動になど、まさか及べる筈もなかった。


「そやな。」
「実はこれがうちの『売り』やったりするんですよ。」
「これって、この『晩飯』か?」
「そうそう!うちのママ、毎日日替わりで晩ご飯作るんです。お酒よりもこれ目当てで通って来るお客さんが結構おるんですよ!
ただいま〜!今日の晩飯なに〜!?って毎日来る人もおる位。うふふっ!」
「ほ〜う、珍しい店やなぁ。」
「うふふっ、そうでしょ?ママも、夜の世界の人にしてはちょっと変わった人やし。」
「・・・確かにな。」

毎日毎日、色気ゼロの格好でキャバレーに出勤していたを思い出して、真島は懐かしさに目を細めた。
ふと視線を彷徨わせると、キッチンから出てきたが、酒のボトルやグラスを載せたトレーを客席へ運んで行くのが見えた。
ボーイの仕事をするママなんて前代未聞だ。真島は深々と溜息を吐くと、本腰を入れて食べ始めた。
相変わらずの猫舌だが、根性で何とか食べ進めていく。
ゆかりが『お客さん、食べんの速っ!』と叫んだが、構わずに無言のままバクバクと食べ、ものの数分でカレーとオムレツを完食すると、グラス1杯のシャンパンで口直しをし、食べ始めた時と同じように手を打ち鳴らした。


「ん、ごっそさん!」
「え?何?どこ行くの?まさかもう帰んの!?」

立ち上がった真島を見てゆかりが慌てた顔をしたが、勿論、そうではなかった。


「まさか。むしろその逆や。」
「えっ!?」

何が何だか訳の分かっていないゆかりにスマイルを投げかけてから、真島は席を離れた。




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後書き

サブストとか〇〇コンプとかミニゲームだけでもお腹いっぱい楽しめるのが、『龍が如く』シリーズの魅力の一つですよね!
キャラも色々出てくるし、意外と細やかな人間模様やドラマ性もある。
たかが小ネタ、されど小ネタ。
この後半戦は、そんなテイストを出したいなと思って書きました。