檻の犬と籠の鳥 6




「はい。すみませんけど、宜しくお願いします。」

受話器を置くと、沈黙が身に沁みた。
後ろにいる真島はまだ何も言わず、腕や肩にさえ触れてこない。
だが、それもきっと、ほんの僅かな間の事だろう。
自分の言動が真島にとってどういう意味を持つものだったのかは勿論自覚しているし、撤回する気もない。
ただ、覚悟を決める必要があった。
幼い頃からこれまでずっと夢に描いてきた幸福とは、きっと違う形になる事を。
そういう男を、自分は愛してしまったのだという事を。
一体、何処でこうなってしまったのだろうか。
真島との出逢いを思い出し、は思わず吹き出した。


「・・・・・・何やねん?」

急に笑ったせいで、真島が戸惑っている。
気分を壊すだろうかとは思ったが、それでも止められなかった。


「ふふふっ・・・・・・、だって・・・・・・」
「だって・・・何やねん・・・・・?」
「だって、まさか思いもせぇへんやん?」

振り返ると、案の定、真島は困ったような顔をしていた。


「犬の『ゴローちゃん』が、まさか人間の男で、それもこんな刺青バリバリのヤクザやなんて。」
「うぐっ・・・・・・、せ、せやからそれは佐川のオッサンが・・」
「その上更にこんな事になるなんてホンマ、思いもせぇへんかった。」

だが、気が付いた時には、もう好きになっていた。
その気持ちを、止められなくなっていた。
そしてさっき、抱きしめられて、泣きそうに震えている声で『行かんとってくれ』と懇願されたあの時。


「・・・・・あんたの事、こんなに好きになるなんて。」

普通の人と人並みの結婚をして、平凡で穏やかな家庭を持ちたいという憧れを、女なら誰でも夢見る幸福な未来を、捨てても良いと思ってしまった。


「・・・・何でやねん・・・・、お前が先言うなや・・・・・」

それでも良いから、この孤独な男の側にいたいと、願ってしまった。


「こういうのは男から言わな、格好つかんやろが・・・・・・」
「ふふっ・・・、また出た。男のプライドってやつ?」

真島の顔付きが一瞬変わったように見えた瞬間、は真島に抱きしめられていた。


「・・・・・そうや・・・・・・」

思わず息が止まってしまう位に真剣な眼差しが、ゆっくりと近付いてくる。


「好きや、・・・・・、お前の事が・・・・・・」

もう、引き返せない。
今この瞬間に自分の何もかもが変わる事を覚悟して、はそっと目を閉じた。




「・・・・・ん・・・・・・」

乾いた唇が、遠慮がちにの唇に触れた。
一度離れてはまた触れて、また離れてはもう一度触れる。恐々と様子を窺うような、意外にも優しすぎるキスだった。
遠慮しているのだろうか、それとも、哀しいのだろうか。
真島の様子を窺おうと目を開きかけたその時、熱く滑る舌がの唇を割って入ってきた。


「んんっ・・・・・・!」

強く抱きしめられて吐息と共に洩れた声が、外に出る事なく真島に飲み込まれてゆく。
絡め取られた舌が真島の舌先で擽られ、甘く吸われて、腰がすぐさま砕けた。
柄にもなく随分控えめなキスだなんて考えていられたのは最初のほんの一瞬の事で、今はもう真島の腕の力で何とか立たされているような状態だった。


「んっ・・・・、んぅ・・・・っ・・・・・」

身体に力が入らず、真島の腕に身を委ねていると、そっとベッドに横たえられた。
乱暴に引き倒されて圧し掛かられたいつぞやは怖いと思ったが、今は全く怖くなかった。
同じ体勢なのに、気持ちがまるで違う。
ゆっくりと覆い被さってくる真島を待ちきれず、は自分から腕を伸ばして真島を引き寄せた。


「ん・・・・・・・」

殆ど密着した身体と身体の間で、大きな掌がを優しく弄り始めた。
太腿から腰までのラインを何度か往復したかと思うと、そのまま上へ上がり、シャツの上からやんわりと乳房を包んで揉みしだく。
まるで壊れ物にでも触れるかのような、優しい、優しい仕草だった。
優しいその手はそのままボタンをひとつずつ丁寧に外していき、全て外し終わるとの肩を撫でるようにして、滑らかな動作でシャツを大きくはだけた。


「ぁ・・・・・・・・」

露わになった胸元に真島の唇が押し当てられ、は小さく身じろぎした。
中途半端に脱げたシャツがもどかしくて、何とか身を捩って袖から腕を抜くと、背中に回った真島の手がブラジャーのホックを外し、キャミソールごと脱がされた。
部屋の中は暗かったが、完全な闇ではなく、自分ばかりが裸を、それも全く自信の無いそれを晒している事が酷く恥ずかしくて、は両手で胸を覆い隠そうとした。
だが真島は、の手首をやんわりと掴んでベッドに押さえ込むと、熱を帯びた隻眼でをじっと見つめた。


「ゃ・・・・、あんまり見んといて・・・・・。スタイル良くないねん・・・・・・」

この熱い眼差しに応えられるだけの容姿があれば良いのだが、生憎とそうではない。
居た堪れなくてつい白状してしまうと、真島はふと目を細めて微かに笑い、おもむろにの胸の先端を口に含んだ。


「あんっ・・・・・・・!」

一瞬で身体を駆け巡った甘い痺れに、自分でも恥ずかしくなる程はっきりとした声が出た。
どうやっても誤魔化しようのない、歓喜の声が。
はしたない女だと思われるのは嫌なのだが、実際、これまでに無かった程、身も心も激しく昂っていた。


「あぁ・・・・・!」

その昂りに任せて真島の頭をかき抱くと、の想いに応えるかのような愛撫が始まった。


「あっ・・・・!ん・・・・・、んんっ・・・・・!」

熱い舌先が胸の先端を何度も転がしては、絡み付くように甘く吸い上げる。
その刺激に思わず身を捩ると、今度は反対側の乳房を優しく捏ねられ、少しかさついた指先に頂を弾かれて、また身体が跳ねてしまう。
左右を入れ替えながら手と舌とで与えられる違った刺激に、はあっという間に翻弄されていった。


「あ・・・・、ぁぁ・・・・っ・・・・・!」

下腹が疼いて止まらなくて、恥ずかしいのに、腰が勝手に揺れ始める。
それを何とか抑えようと太腿に力を込めていると、真島の膝が閉じた太腿の間を割って入ってきた。


「ぁんっ・・・・・・」

真島の膝が内股に擦れる感触に、思わず声が震えた。
すぐ間近で目が合って、恥ずかしいのに、逸らす事も出来ない。
その場に縫い留められたように動けず、息を潜めていると、また唇を啄まれ、舌を甘く吸われた。


「んん・・・・・・」

優しいキスに応えている内にジーンズの前が寛げられてゆき、真島の手がの秘所に触れた。
下着の上から包み込むように何度か撫でて、それから中へと入って来る。
長い指が秘裂に滑り込むと、湿った音がの耳にも小さく聞こえた。


「は・・・・・・んん・・・・・・」

秘裂を擦り上げられる度に、真島の指に蜜の絡む音がして、熱い吐息が唇から零れ落ちる。
だが、昂っているのはばかりではなかった。
の太腿に当たっている真島のものもまた、どんどんその硬度を増しながら膨張してきていた。
それに気付いて密かに息を呑んだその時、真島は焦れたようにのジーンズとショーツをまとめて一思いに脱がせた。
そして自分も全てを脱ぎ捨てて、その艶やかで精悍な肉体を露わにした。


「あっ・・・・・!」

膝を大きく開かれて、その間に真島が頭を沈めた。
それと気付いた時には既に、開かれた花弁に熱い吐息が当たるのを感じていた。


「あぁんっ・・・・・!」

真島の舌が秘裂を舐め上げる感触に、は堪らず甘い声を上げた。


「あっ・・・・!んんっ・・・・・!や、ぁっ・・・・・!」

巧みに動く舌先が、蜜を掻き出すようにの中心を擽っては、敏感な花芽を優しくつつく。
身体が切なく痺れて、何かに縋りついていないとどうにかなってしまいそうで、は必死にシーツを握り締めた。


「あっ・・・・・!は・・・、あぁっ・・・・!」

やがて、真島の指がの中にゆっくりと入って来た。


「あ、あぁぁっ・・・・・!」

スラリと長い真島の指が、の中をじわじわと押し拡げていき、少し怖くなる位奥深くにまで到達すると、ゆっくりとかき回し始めた。


「あっんん・・・・・!や、ぁぁっ・・・・・!」

ふと触れられた部分が痺れるように強く感じて、は思わず身体を弾ませた。


「ぃやっ・・・・!あぁんっ・・・・・!」

これまで知らなかった快感だった。
甘くて、激しくて、今この時の事以外には何も考えられなくなるような、そんな未知の感覚だった。


「ああっ・・・・・・!やっ・・・・・!あか・・・、んんっ・・・・・!」

只でさえそうなのに、同時に花芽を舌で転がされて、快感が益々強くなる。
持て余す程のそれをどうして良いか分からずに、は真島の手首を握り締めて、子供のように首を振った。


「痛いか・・・・・?」

気遣ってくれる声にすら昂って、腰の奥がキュンと疼く。
このまま流されていけば自分がどうなってしまうか分からないという怖れと同時に、このままどうにでもして欲しいという願望をも抱いている自分が恥ずかしくて堪らなかった。


「・・・・恥ず・・・かしぃ・・・・・・」

やっとの思いでそう呟くと、真島は微かに笑った。


「・・・ほな、痛いんとちゃうんやな?」
「あ、あぁっ・・・・・!?」

中断されていた愛撫がまた始まった。
それも、さっきまでよりももっと積極的になって。


「あっ、あんっ!あっ・・・・、い・・やぁっ・・・・・!」

もう1本、指が増やされて、強く感じる部分を突き上げられる。
花芽を転がす舌の動きも、だんだんと速くなってくる。


「あぁっ・・・・・!も・・・・・・!やぁぁっ・・・・・!」

そう、真島はを押し流そうとしていた。
この抗い難い波に乗せて、絶頂の果てまで押し流そうと。


「あぁぁぁぁっ・・・・・・!」

程なくして、は真島の手を握り締めながら、その波に流されて果てた。














「ぁ・・・んっ・・・・・」

絶頂の余韻が薄れてきた頃、真島の指がゆっくりと引き抜かれた。
生まれて初めて味わった激しい快感の後には、蕩けるような幸福感と心地良い疲労感があった。
それらに包まれてぼんやりと放心していると、両脚が大きく開かれ、真島が腰を寄せてきた。


「ええか、・・・・・?」

その真摯な眼差しに、は思わず息を呑んだ。
小さく頷いて返事をすると、熱い塊が開いた花弁の中心に押し当てられた。
もうすぐ、ひとつになる。
この人と、結ばれる。
今はただ、その事が嬉しくて、幸せだった。


「んっ・・・・・、あ・・・・・・!」

真島は入口を探るようにの秘裂を何度か擦ると、ゆっくりとの中に入ってきた。


「あ・・・・・あぁっ・・・・・・!」

愛しい人が、自分の中いっぱいに満ちていく。
暫く忘れていた、けれど以前よりも遥かに深く大きくなったその悦びに、身も心も震えた。


「・・・・吾朗・・・・・・」

切なげに顔を顰めている真島に向かってゆるゆると手を伸ばすと、真島はその手を取って指先に口付け、の上に覆い被さってきた。


「あ、あぁっっ・・・・・!」

圧し掛かられた拍子に奥まで突き込まれて、また身体が甘く痺れた。
堪らなくて、真島の背中に回した腕に力を込めると、呼応するように真島も強く抱きしめ返してくれた。


「あっ・・・・!あぁんっ・・・・・!」

逞しい楔が、浅く、深く、の中を突く。
同時に首筋や鎖骨に幾つものキスが降り、肌を甘く吸われて、その度に真島を受け入れている部分が締まるのが自分でも分かった。


「あっ、あんっ、ぁ・・・あぁっ!やぁんっ・・・・・!」

もう十分どうにかなってしまいそうなのに、また胸の先端を指で擦られて、一層高みへと押し上げられる。
過ぎた快感は涙となっての睫毛を濡らし、昂る一方の真島への想いが、胸に詰まって苦しい位だった。


「好きや、・・・・・、好きや・・・・・・」

耳元に囁かれた真島の声も、まるで泣き出しそうに震えていた。
さっきもそうだった。初めて食事を共にした時もそうだった。
心に抱えた何かに傷付いて、或いはその重みに耐えかねて、こんな風に声を押し殺すのだろうか。
こうして身体を重ねている今も、この人は独りで何かに苦しみ、耐えているのだろうか。
そう思うと、堪らなかった。


「・・・・私もや・・・・・」

は真島の髪を撫で、肉付きの薄い頬を両手で包み込んだ。


「私もあんたが好きや・・・・、そやから・・・・・」

その続きに迷って、は言葉を切った。
泣かないで?
彼の抱えているものを何も知らないのに?
ずっと側にいる?
彼がそれを望んでいるのかどうかも分からないのに?
そんな事を言っても、彼を勇気付けるどころか、迷惑がられるだけかも知れないのに?


「・・・・・・そやから・・・・・・」
「そやから・・・・、何や・・・・・・?」
「・・・・・・・大丈夫や。」

だからは、微笑んでそれだけを告げた。
すると真島は、擽ったそうに目を細めて笑った。


「・・・・フッ・・・・・、大丈夫て、何が大丈夫やねん・・・・・。」
「んん・・・・・、何か・・・・・、色々・・・・?」
「ひひっ・・・、何やそれ。ワケ分からんわ。」
「うん、私も・・・・、自分で言うててワケ分からん。ふふっ・・・・」

訳なんて無かった。
ただ、こうして笑い合っていたいだけ。こうして側にいたいだけ。
それ以外の訳なんて、何も無かった。


「ぁ・・・・ん・・・・・」

柔らかいキスで唇が塞がれ、凪いでいた快楽の波が、またの中に押し寄せ始めた。


「あ、ぁぁっ・・・・・、んんっ・・・・・・!」

段々と強く、激しくなってくるそのリズムに身を委ねながら、は夢中で目の前の愛しい男を抱きしめた。
















時間が経つにつれて、雨は本降りになってきていた。
ベッドに横になったまま、降りしきる雨音をぼんやりと聞いていると、真島の腕の中でがポツリと呟いた。


「雨、酷なってきたなぁ・・・・・」
「せやな・・・・・・」

このまま、時が止まってしまえば良い。
そうしたら、終わりが来る事もないのに。
だが、終わりは来る。
それも恐らく、そう遠くない内に。


「・・・・・なぁ」
「ん・・・・・?」
「佐川、あれから店来るか?」

そう尋ねると、は小さく頭を振った。


「ううん、来てへん。少なくとも私は会うてへんわ。」
「そうか・・・・」

これまでずっと、その事には触れないようにしていた。
いつか来る『終わり』を認識するのが嫌で。
だがこうなった以上、このまま気付かない振りをし続ける訳にはいかなかった。
実らない片想いのままだったならいざ知らず、今更『契約終了』なんて無機質な一言でと引き離されるなんて、そしてそれを甘んじて受け入れるなんて、とても出来そうになかった。


「・・・・お前、このバイトいつまでや?」

真島は意を決して、それを訊いた。
も多分、心の片隅で気にしていたのだろう。そんなような顔で、はまた小さく頭を振った。


「・・・分からん。取り敢えず一月の契約やねんけど・・・・」
「一月、ほな・・・」
「そやな。もうすぐ終わりやわ。」

残された時間は、真島が思っていた以上に短かった。
咄嗟に返す言葉すら思い浮かばない程、その事に内心、ショックを受けていた。
もきっと、同じ思いの筈だった。
言葉もないまま見つめ合っていると、の方が先に表情を和らげた。


「多分な、そろそろ何か言うてきはると思うねん!そしたら、まだあんま調子良くないって言うたろか!
契約延長して貰えたらお金も儲かるし、一石二鳥やと思わへん!?」

明るく笑って、さも妙案だとばかりの物言いだが、は肝心な事を何も分かっていなかった。


「・・・・お前、分かっとんのか?相手は極道やぞ?」

は、極道の恐ろしさを何も分かっていない。
幾ら羽振りが良さそうに振舞っていたとしても、小娘の嘘にまんまと騙されてホイホイ金を出すような愚かな真似はしない。
まして相手はあの近江連合直参の組長、海千山千の大物なのだ。
もしもが更に金を吹っ掛けるような事を言えば、下手をするとの身に危険が及ぶかも知れない。


「・・・・分かってる。何も本気であの人を騙してお金儲け出来るなんて思ってへんわ。
でも、契約が切れたって、何か問題ある?
別に延長して貰えんでも、個人的に会いに来るだけの話や。そうやろ?」

だがは、全く恐れていなかった。
佐川の事も、そして真島の事も。


「私、これからもあんたに会いに来てええんやろ?」

のそのまっすぐで純粋な眼差しを受け止めきれず、真島は逃げるようにそっと目を逸らした。


「何でそんな顔すんの?迷惑やから?」

ベッドで男にこんな景気の悪い顔をされて黙り込まれたら、女なら怒って当然だ。
なのには怒るでもなく、ショックを受けた風でもなく、淡々と冷静にそう訊いてきた。


「・・・・そうやない・・・・・」
「変な気ィ遣わんといてな。私、もう騙されるのは懲り懲りやねん。
騙されて気持ち踏み躙られる位なら、最初から遊びやて言われてる方がよっぽどマシや。
それならそうとはっきり言うてくれたら良いし、いざ抱いてみたらイマイチやったって言うんなら、それもそう言うてくれたら良いんやで。」
「そんな訳あるか!何ちゅう事言うとんねんお前!」

その言い草に吃驚して、真島は思わず身を起こし、を叱った。
気持ちに嘘は無い。本気でを愛している。心も体も、全部。


「・・・・そんなんとちゃうんや・・・・・・」

ただ、何も見えないのだ。
1年前のあの日からずっと、自分の行く末が、何ひとつ。
自分の明日が、行くべき道が、潰れてしまったこの左目と同じように、何も見えなくなっているのだ。


「じゃあ教えてや、あんたの事。何もかも全部。」

も身を起こし、真剣な目で真島を見つめた。


「・・・・教えてや・・・・・・・」
「・・・・、お前・・・・・・」

覚悟の宿るこの瞳を、何処かで見たような気がした。


「・・・・何や、似とるわ。冴島に・・・・・」

真島は知らず知らずの内に、その名前を口にしていた。


「冴島・・・・・?誰やの、その人?」
「俺の、たった一人の兄弟や・・・・・・。」

揺るぎない心で、何をも恐れず己の意志を貫こうとする。
のその凛とした強さは、あの男のそれに良く似ていた。
















堅気の女に事情を明かす気はなかった。
住む世界が違うのだから、理解して貰える訳もないと思っていた。
だが今、真島はにそれを打ち明けようとしていた。


「俺と冴島は、関東最大の極道組織、東城会の若衆やった。所属している組は違うが、お互い、たった一人の兄弟分やった。」
「どんな人なん?」
「俺と同い年で、見た目は、そうやな・・・・・・」

さっきは何度思い出そうとしても出て来てくれなかったのに、何故か今はすんなりと冴島の姿形が頭に浮かんだ。


「一言で言うと、馬鹿デカいゴリラや。」
「なっ・・・・!ちょっとぉ!人が真剣に聞いてるのに冗談言わんといてや!」

憤慨したが、目を吊り上げてキーキーと怒り出した。


「いやいや、ホンマに。冗談ちゃうねんてコレが。背ェは190cmありよるし、アホみたいに筋肉ムキムキやし、目付きも悪うてゴリラみたいな顔しとんねんてホンマに。」
「ちょっと、そんなんますます聞き捨てならへんやんか!その人と私が似てるってどういう意味やのそれ!?」
「ぐぇっ」

脇腹を肘で小突かれて、思わず変な声が出た。
力は別に強くないのに、やけに良いポイントに突き刺さったのだ。
これはきっと冴島からの仕返しだと思うと、何だか少し嬉しくなって、笑いが込み上げてきた。


「ひひひっ・・・・!いやいや、ちゃうて。外見の話しとんとちゃうがな。
あっちは馬鹿デカい怪力ゴリラ男で、こっちはチンチクリン女。そら見た目は全然ちゃうて。」
「チンチクリンは余計や。ほんなら何やの?」
「うん・・・・・、何ちゅうかな、心が似とると思ったんや。」

は今の今まで吊り上げていた目を、きょとんと丸くさせた。


「こ・・・心?」
「あいつもまっすぐな、強い男なんや。自分がこうと決めた事は、何があっても貫く。そんな奴なんや。」

だからこそ、心底惚れ込んだ。
だからこそ、兄弟の契りを交わした。
だが、その気高さと強さがあの時、裏目に出てしまった。
こんな皮肉な事があろうか。


「・・・・丁度1年前や。俺と冴島は、二人で大きな仕事をしようとしとった。あいつの親父の為の、大事な大事な大仕事やった。」
「親父って・・・・、親分さん、って事・・・・・?」
「せや。」
「でも冴島さんとあんたは、組が違ったんやろ?ほんなら冴島さんの親分さんは、あんたの親分さんとは別の人なんやろ?」
「あいつは自分の親父を、ホンマの父親のように慕っとった。俺はそんなあいつを、ホンマの家族のように思っとった。理由なんかそれだけで十分やった。」

ざわめく心を鎮めたくて、真島は煙草を咥えて火を点けた。


「・・・・・そやけど俺は・・・・・・」

あの日の悪夢が、真島の脳裏にまた蘇った。


「吾朗・・・・・?どしたん・・・・・?」

心配そうな顔をするを一瞥して、真島は胸の中いっぱいに苦い煙を吸い込んだ。


「・・・・俺は・・・・、土壇場であいつを裏切ってしまった・・・・・」

後悔は、噛み締める程に苦くなる。
失ったものが、あまりにも大きすぎて。


「・・・・何で・・・・・?」
「うちの上の意向で、俺だけ土壇場で足止めを喰らったんや。
親が絶対なんは、あいつだけやない。俺も・・・、いや、極道なら皆同じや。
親が黒と言うたら、白いもんも黒になる。親の言う事には絶対に逆らわれへん。それが『極道の掟』なんや。」
「・・・・・だから、裏切ったん?」
「そうや。」
「ホンマに?ホンマにそうなんか?」

は探るような目を向けながら、真島にそう問いかけてきた。


「その極道の掟ってやつは、別に極道の世界だけの話とちゃうやん。
そんなもん、堅気の世界かて同じやんか。上の立場の人、お金持ってる人が絶対や。
社長が白や言うたら、黒いもんも白になる。上の意向に逆らったら、自分の立場が危なくなる。
左遷されたり、最悪クビになったり。どこの会社かて皆似たようなもんや。
騙されたって弄ばれたって、相手の方が立場が上なら泣き寝入りや。そやろ?」

鋭い言葉が、真島の心に突き刺さった。
の言う事は正論だった。
極道の世界に限らず、弱肉強食はこの世の理。
金のある者に服従を強いられる貧乏人も、男に弄ばれて涙を飲む女も、この世には星の数程いる。


「そんな事で、あんたホンマにその大事な兄弟分を自分から裏切ったんか?
あんたがそんな、自分の立場を気にして長いもんにただ大人しく巻かれるような人やとは、あんまり思えへんねんけど。」

真島の脳裏に、あの時の苦悩が蘇った。
堂島組長の意向に逆らえば、親の嶋野にも甚大な迷惑を掛ける事になる。
かと言って、大人しく従えば、それは冴島を見殺しにする事になる。
己に突き付けられたたった2つの選択肢は、どちらもあまりにも無情だった。


「・・・・当たり前や・・・・、誰が己の保身の為に裏切るかいな・・・・・」

だが、迷いは無かった。
そう言えば、冴島は信じてくれるだろうか?
あの時俺は、何を犠牲にしてでも、お前の元へ行こうとしたのだと。


「・・・・あいつんとこへ行きとうても、行かれへんかった・・・・・。
とっ捕まって、目ん玉抉られて、どないしても身動きとれんかったんや・・・・・。」

気が付くと真島は、決して届かない言い訳をに対してしていた。


「じゃああんたのその目は、あんたの親分が・・・・!?」
「いいや違う。これをやったんは、実際俺を足止めしに来た他所の組のチンピラや。」

しかし、言い訳はやはり、何処までいっても言い訳でしかない。
結果、冴島は一人で罪を背負い、自分は極道の掟に背いた。
その事実は、覆りようもなかった。


「・・・・結局行かれへんかったとはいえ、俺が上の意向に逆らったんは事実や。せやから俺の親父は、俺に罰を与えた。」
「罰・・・・?罰ってまさか・・・・・」

何か察したかのように、は目を見開いた。


「だからあんた、あんなにボロボロやったんか・・・・・!?」
「ああ。俺はこの1年、ある場所にずっと閉じ込められて、色々と痛い目に遭うとった。
せやけど、俺にとってホンマの罰は、そないな事やない。」
「え・・・・・!?」
「ある日親父が、佐川を連れて来た。そんで俺を、堅気として佐川に預けたんや。」
「・・・・・え・・・・・?」

あんな満身創痍の状態だったのだ、普通は誰でもあれが『罰』だと思うだろう。


「あんな他所モンのオッサンに堅気として抱え込まれてもうたら、俺はどないして冴島に償えっちゅうんや・・・・・」

だが真島にとっては、リンチよりもレイプよりも、冴島との繋がりを断たれる方が、あの男への贖罪の機会を奪われる事の方が、遥かに辛かった。


「・・・・・そんなに、辛い・・・・・?」
「あぁ?」
「堅気になるの、そんなに辛い事なん?」

はやはり、何も分かっていなかった。


「ヤクザが足洗うのって簡単やないんやろ?大金払わされたり、指詰めさせられたりするって聞いた事あるわ。
でもそんな事してでも、ヤクザ辞めたがる人はおるんや。
それを思ったら、向こうから堅気にして放り出してくれて、むしろラッキーなんとちゃうの?」
「・・・ラッキーやと?」

理解されない事は最初から分かっていた。それでに対して腹を立てる筋合いも無い。
それでも思わず、心に微かな波が立った。
しかしは少しも怯まず、真島をじっと見据えたまま続けた。


「償いって、何をどないして償う気やったん?その肝心の冴島さんは、今どこでどないしてんの?」
「・・・・あいつは・・・・、今・・・・・」

後になって、あの『穴倉』の中で、嶋野からまるで寝物語のように聞かされた。
事が済んだ後すぐに自首して逮捕された冴島は、黙秘を貫き通し、死刑の判決を下された、と。


「・・・・今は・・・・・ムショにおる・・・・・・」

その事はどうしても、口に出して言いたくなかった。
それだけはどうしても、断固として認めたくなかった。
あの男はそんなしおらしいタマではないのだ。
たとえ首に縄を巻かれたとしても、あの男ならきっとそれを引き千切って、この裏切り者をぶち殺しに来る。
必ず、やって来る。
真島は強く、強く、そう信じていた。


「・・・・・そう。だったら尚更、堅気になって困る事なんか何もないやん。
冴島さんかて、刑務所から出て来たら、足洗って人生やり直した方が良いに決まってる。
そやけど、刑務所から出てきた元ヤクザなんて、普通はどこも雇ってくれへん。堅気の世界かてそんなに甘くないからな。
でも、あんたが先に堅気になっとったら・・・・・!」

だがは、真島とは違う事を考えていた。


「あんたが先に足洗って、真っ当な仕事に就いとったら、先々冴島さんの力になってあげられるやんか!
そうやん!例えば、何か店でもして、冴島さんが出て来たら一緒にやったらええねん!そうやん、そうしたらええやん!」

の表情は、何だか眩しい位に輝いていた。
瞳をキラキラさせて、頬を紅潮させて、何がそんなに嬉しいのか興奮したように話すを、真島は複雑な思いで見つめた。


「佐川さんが何なんか知らんけど、堅気として預けられたっちゅうんなら、別にあの人の子分にされた訳やないんやろ!?
言うたら身元引受人みたいなもんやろ!?ほんなら別にそんな気にせんでええやん!
迷惑さえ掛けへんかったらええだけやんか!普通に働いて生活しとったら、まずそんな事にもなれへんし!」

はふと押し黙ると、おずおずと真島に身をすり寄せてきた。


「・・・私も、自分とこの家族の生活があるから、全力でって訳にはいかんけど・・・・・、でも、私も出来るだけの協力するから・・・・・」
・・・・・・」
「だから・・・・、な・・・・・・?」

真島を見つめるの眼差しは、真剣を通り越して、切実だった。
の立場から考えれば、それが一番幸せな事なのは分かっている。
きっと、実際そうなのだろう。
切った張ったの血生臭い稼業からきっぱり足を洗って、惚れた女と、兄弟と、小さな店でもやりながら暮らしていけたら。
大切な家族と、何気ない日々を穏やかに暮らしていけたら。


「・・・・・そやな・・・・・・・」

それに憧れを感じながらも、しかし実感する事は出来なかった。
綺麗なその夢は、には確かに相応しい。
だが、そんな綺麗な夢で贖える程己の罪は軽くないし、極道の世界も甘くない。
破門でもされているならいざ知らず、この宙ぶらりんの状態を自由と見なして喜ぶのは、早合点というものだった。
嶋野は、そんなに甘くも、単純でもない。
そしてその兄弟分である以上、恐らく佐川も同類、少なくとも嶋野とタメを張れる程度の強く冷酷な男である事は間違いないのだ。


「それも悪うないな。」

真島は薄く笑って、短くなった煙草を灰皿に押し潰した。


「そやろ・・・・・・?」

微笑み返すの声は、微かに震えていた。
肩を抱き寄せると、の身体はいとも容易く真島の腕の中に収まった。
抱き寄せて、口付けて、もう一度ベッドに組み敷きながら、真島は心の中でに詫びた。
これだけの愛情を与えられておきながら、偽りの安心感しか返してやれないこの卑怯な男を、どうか赦してくれ、と。




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後書き

この位の頃の兄さんは、素人童●だったらカワイイわ(*´艸`*)
組のアニキ達に連れられて、健康とか石鹸とか(←英語読みして下さい)にはちょこちょこ出入りしてたけど、普通の恋愛経験は実はない、みたいな。
冴島共々、お金ない下っ端のドチンピラだからモテない、みたいな(酷)。
だから、技術はあるけど意外と女慣れはしてない、ピュアな若者なの(*´艸`*)

・・・・という、どうしようもない低俗な妄想をかました後で言うのも何ですが、桐生ちゃんお誕生日ですねー!ハッピーバースデー!
この話には桐生ちゃんひとかけらも出てきませんが、やっぱり不動の主人公ですよね!
今年で52歳!兄さんと同じく、そうは見えない50代!
兄さん共々、まだまだ活躍して欲しいなぁと願ってやみません。