星屑に導かれて 41




「エリーの奴、おっせぇなぁ・・・・・」

紫煙を吐き出して、ポルナレフはふと、空席に置かれたティーカップに目を向けた。
カップになみなみと注がれている紅茶は、まだ一口も飲まれていないというのに、すっかり冷めてしまっていた。


「もう20分か・・・・・・・。幾ら何でも遅すぎるな・・・・・・」

腕時計を見て、花京院が不安げに呟いた。


「ああ。生理にしたって下痢にしたって、幾ら何でも遅すぎるぜ。」

ポルナレフが煙草をもう一口吸いながら同調すると、皆の厳しい視線が一斉にポルナレフへと突き刺さった。


「な、何だよその目は!オメーら知らねーのかよ!?生理の時は下痢をしやすいもんなんだ!」
「知る訳ないだろうそんな事!というか何故君が江里子さんのその・・・、『体調』の事を知っているんだ!?まさか根掘り葉掘り訊き出しているんじゃあないだろうな!?」
「そんな事する訳ねーだろ変態じゃああるまいし!あんまり便所が長ぇから、もしかしたらそうなのかなって思っただけだよ!」
「分かったから大きな声を出すなポルナレフ、恥ずかしい。」

現在はアメリカ人であるが生まれは英国のジョースターが、静かな口調で紳士的にポルナレフを窘めた。


「確かに、幾ら何でもちょっと遅すぎるな。誰か様子を見てきてくれ。」

全員の表情が、怯むように硬直した。


「・・・どいつもこいつも、何じゃあその顔は。エリーが心配じゃあないのか?」
「いえ、そういう訳ではありませんが・・・・。様子を見に行くというのは、トイレへ・・・・、という意味です、よね?」
「無論だ。」

恐る恐る確認したアヴドゥルに、ジョースターはきっぱりと頷いてみせた。
すると、承太郎が冷ややかな目で一瞥した。


「人に言う前にテメェが行け、ジジイ。」
「バカを言うな。紳士たる者、レディのトイレを覗きになんぞ行けるか。」
「あの、ジョースターさん、お言葉ですが、それは私も同じなんですが・・・・;」

気まずい役目の押し付け合いをする仲間達を呆れた目で一瞥して、ポルナレフは煙草を灰皿に押し付けた。


「ったく、しょーがねーなあ!どいつもこいつも、女っ気がねぇにも程があるぜ!もういいよ、俺が行ってきてやる!」
「おおっ、流石ポルナレフじゃ!」
「どーいう意味だよ!まあ、朴念仁のアヴドゥルや、チェリーボーイ二人は仕方ねぇとしてもだ。」
「誰が朴念仁だ」
「「誰がチェリーボーイだ」」
「ジョースターさん、アンタ嫁さんも娘さんもいるんだから、女には免疫あるだろうに。」
「儂は英国紳士じゃもーん。」
「意味分かんねぇよ。」

ポルナレフは席を立ち、江里子と同じように店の者にトイレの場所を訊き、外に出た。



「えっとぉ、外に出て右に曲がる・・・・だな・・・・。お、あったあった。」

トイレは、まずまず合格点というところだった。ちゃんと男女別々になっていて、割と広く、特別綺麗でもないが汚くもない。
ポルナレフはひとまず男性用に入ってみた。そこには個室と小便器が3つずつあり、他に人はいなかった。


「・・・・・とりあえず、俺もしよっと☆」

合格点のトイレがあれば、とにもかくにも済ませておく。
それが、ポルナレフがこの冒険で得た教訓だった。
どうせ1分とかからないのだから、江里子はその後で呼びに行けば良いのだ。ポルナレフは3つの小便器の中の一番綺麗な所を陣取り、ズボンのジッパーを下げた。


「んっん〜・・・・・♪へへっ、スッキリしたぜぇ。やっぱり綺麗なトイレは気持ちが良いなぁ☆」

用を足して手を洗うと、ポルナレフは上機嫌で外に出た。


「お〜いエリー!エリー!」

そして女性用のトイレに向かって、大声で呼び掛けた。
しかし、江里子からの返事は無かった。


「・・・あれ?おっかしーな・・・・。トイレはここしかねぇ筈だし・・・・。エリー!!おいエリー!!」

何度呼んでも、返事は無かった。


「妙だな・・・・・・。まさか、まさかとは思うが・・・・・・・」

これまで、江里子が個人的に狙われた事は一度も無かった。
江里子がスタンド使いでない事は敵の方にも知れ渡っているようだから、何の脅威にもならない江里子をわざわざ狙う奴はいないのだろうと考えていたが。


「・・・・・まさか・・・・・・!」

それは根拠のない楽観に過ぎなかったのだろうか。
嫌な予感が、ポルナレフの背筋を凍らせた。


「エリーッ!!」

ポルナレフは躊躇いなく、女性用トイレへ駆け込んだ。
そこに江里子の死体が転がっているかも知れない事を、半分覚悟しながら。


「い、いない・・・・・・!!」

だが、トイレの中には誰もいなかった。
個室は全てドアが開いており、争ったような形跡や不審な点は何も無かった。
それは勿論、喜び安堵すべき事だったのだが、それならば、江里子は何処へ行ってしまったのだろうか。店とトイレとの距離はごく短く、入れ違いになどなり得ない筈なのに。


「・・・・・大変だ・・・・・!!」

ポルナレフは、全速力でジョースター達の元へ駆け戻った。


「大変だッ!エリーがいなくなったッ!」

それを知らせると、全員、顔色が変わった。


「な・・、何じゃとぉッ!?」
「それは確かなのか、ポルナレフ!?」
「ああ、確かだ!トイレの中まで入って見たが、誰もいなかった・・・・・!」
「まさか、敵に連れ去られたのか・・・・!?だが、何故江里子さんを!?今までそんな事は一度も無かったのに・・・・・・!」

全員が血相を変える中、承太郎だけがただ一人、落ち着き払っていた。


「・・・今までは無くても、これからは有り得るという事だ。
いよいよDIOの野郎に差し迫ってきた今、闘えない江里は、今後益々、俺達の『お荷物』になる。俺達はそれを肝に銘じておかなきゃいけねぇという事だ。」

静かなその一言に、その場が水を打ったように静まり返った。


「・・・・・分かっているよ、承太郎。」

その静けさを打ち破ったのは、花京院だった。


「だけど僕は、この旅に江里子さんがついて来てくれた事を、良かったと思っている。何度も怖い思いをさせて申し訳ないとは思っているが、彼女を連れて来た事を後悔した事はない。今までも、そしてこれからも。」

花京院の言葉を、皆、それぞれの胸の内で噛み締めていた。


「・・・そう、最初から分かっていた事だ。彼女自身が最初からそう言っていた。
思った以上にガッツのある娘だったから、我々がつい忘れかけていただけでな。」

アヴドゥルは、ホリィの為に貴方達全員を無事に連れ帰ると宣言した時の、江里子の凛とした瞳を思い出していた。


「・・・違ぇねぇ。」

ポルナレフは、独りで仇を討とうと血眼になっていた自分を叱り、私達は仲間じゃないのかと言ってくれた時の、江里子のまっすぐな眼差しを思い出していた。


「・・・・・儂のハーミットで居場所を調べる。行くぞ、皆!」

ジョースターは、日本を発つ前に心に決めた事を思い出していた。
江里子を必ず無事に連れ帰り、自分の人生を歩ませるのだという決意を。


「・・・・・・・・フン」

承太郎は煙草を揉み消し、静かに立ち上がった。
今後、どれ程の強敵が目の前に立ち塞がったとしても、江里子は絶対に護り抜くという、確固たる決意を胸に秘めて。

















「うぅ・・・・・・」

江里子は、疼く身体を抑え込むようにして歩いていた。
町の規模としてはそう大きくない筈なのだが、地図も無い今、何処をどう歩いているのか、自分でもよく分かっていなかった。
しかし、たとえ現在地が分かったところで、どうしようもなかった。
これから何処へ行けば良いのか、どうすれば良いのか、全てが分からないのだから。


「・・・・・・うっ・・・・・・・」

胸が詰まり、涙が滲んでくる。
怖くて、寂しくて、そして何より、自分が情けなくて、腹立たしくて。


「うぅ・・・・・・!」

ホリィの為に皆を必ず無事に連れ帰ると大口を叩き、皆の足を引っ張るつもりはないから、私が邪魔になるなら置き去りにでも見殺しにでもしてくれと大見得を切ったくせに、今、怖くて、心細くて仕方がない。皆の元に逃げ帰りたくて堪らない。そんな自分が許せなかった。
こんな状況に陥ってしまったのは、偏に自分が油断していたからなのに。


「・・・・・くっ・・・・・・」

江里子はどうにか自分を奮い立たせて歩き続けた。
自業自得でのピンチで皆に迷惑を掛ける訳にはいかないし、何より、ラビッシュが言ったような事は、やはりどうしても出来なかった。
好きだからこそ。
彼等を愛しているからこそ。

そう。
こうなって初めて、江里子は誤魔化しようのない自分の気持ちを直視していた。
承太郎、花京院、ポルナレフ、アヴドゥル。
彼ら4人に対する想いは、恋愛感情以外の何物でもなかった。
ラビッシュに妄想を煽り立てられていたあの時、彼等の息遣いが、匂いが、感触が、リアルに感じられた。本当に彼等に抱かれているかのように、心が悦んでいた。
媚薬の催淫効果のせいなどではない、彼等だからこそ、あんなにも昂ってしまったのだ。

だが、そんな事をどうして彼等に伝えられようか。
こんな浅ましい姿を、どうして見せられようか。
愛しているからこそ、彼等の元には帰れなかった。


「Hey, girl. What's wrong? 」

思うように動かない身体をどうにか引き摺って歩いていると、突然、誰かが声を掛けてきた。


「What's wrong? Are you Alright? 」

地元人らしき黒人の男が、親しげな笑顔を浮かべて歩み寄ってきた。


「Nothing・・・・・, I'm O.K. Thank you・・・・・」

江里子は辛うじて口元に愛想笑いを作ると、男をかわして行こうとした。この男が只の親切な人であろうがDIOの刺客であろうが、今は誰とも関わりたくなかったのだ。
だが男は、江里子を行かせてくれなかった。


「本当かい?何だか苦しそうだよ?」
「いえ、別に・・・・。大丈夫ですから・・・・・。」
「まあまあ、ちょっとこっちおいでよ。」
「あっ・・・・・!」

男は有無を言わさず江里子の肩を抱くと、殆ど強引に歩き出した。


「や・・・・、やめて・・・・・、やめて下さい・・・・・」
「まあまあ、心配しないで。大丈夫だよ。何も怖くないよ。」

男を振り解いて逃げる力は、今の江里子にはもう残っていなかった。声を張り上げる事すらも、もう出来なかった。
そして江里子はなす術もなく、男に路地裏へと連れ込まれた。


「・・・・あれ?腕綺麗だね。」

人気のない路地裏の奥に辿り着くと、男はおもむろに江里子の腕を取って見た。
そして、何だか意外そうな口ぶりでそう言った。


「な、何するんですか・・・・・!?」
「ああ分かった、始めたばかりなんだな。」
「え・・・・・・!?」

江里子は男の言っている事の意味が分からなかった。
今、この時までは。


「ね、切れてるんだろ?」
「は・・・・・・・?」
「クスリさ。」

ここで江里子はようやく悟った。
麻薬の禁断症状を起こしているのだと勘違いされている事に。


「ち、違います、私そんな・・・・・!」
「良いんだよ隠さなくても。俺、警察じゃないから心配しないで。」
「はぁ・・・・・!?」
「良いの持ってんだよ。譲ってあげても良いよ。」

この男はどうやら、DIOの刺客でもラビッシュの仲間でもないようだった。
だが、これはこれで危険極まりなかった。
この男は、麻薬の売人なのだ。
それに気付いた時には、江里子は男の腕の中に閉じ込められており、もう逃げられない状況に陥っていた。


「いや・・・・、は、放して・・・・・・!」
「ドルで良いよ。君、旅行客だろ?」
「や、やめて・・・・・・!」

男は江里子のズボンのポケットに無理矢理手を突っ込んできたが、ハンカチしか出て来ないと分かると、驚いたような顔をした。


「何てこった!ハンカチ1枚で旅してるのか!?アンタ日本人だろ!?金持ってないのかよ!?」
「・・・・・・・!」

江里子が震えながら首を振ると、男の目付きが変わった。


「・・・・ふぅん?そうか・・・、なら、コッチで払ってくれても良いけど?」
「っ・・・・・・!」

男はおもむろに、江里子の尻を撫で回した。


「や・・・・!やめ・・・・て・・・・・・!」
「何で?クスリ欲しくないの?」
「ぃ・・・や・・・・・・、ぁ・・・・・・!」

ラビッシュの媚薬は、恐るべき効力を持っていた。
尻を撫で回す見知らぬ男の手にすら、感じてしまうのだから。
死にたくなるようようなその事実に、江里子は打ちのめされた。


「大丈夫、大人しくしてたら痛い事しない。ちゃんとクスリもあげるよ・・・・」

男は震えている江里子を抱き竦め、首筋を甘く吸った。


「やっ・・・、あぁんっ・・・!」

口をついて出たのは、紛れもなく甘い喘ぎ声だった。
声をか細く震わせ、その場に崩れ落ちた江里子を、男は初め唖然と見ていたが、すぐに愉しげな笑みを浮かべて江里子を抱き起こした。


「オーケイ、オーケイ。いいよ、大丈夫。うんと気持ち良くしてあげるよ・・・・」
「あ・・・・・・、あ・・・・・・!」

違う。違う。そうじゃない。
誰がこんな男に抱かれたいものか。
心の中でそう叫ぶものの、声にはならなかった。


「あっ・・・・、やぁっ・・・・・・・!」

男は江里子を壁に向かわせ、背中から抱きついてきた。
そして、ブラウスの裾から手を入れて素肌を弄り、ブラジャーのホックを外して乳房を揉み始めた。


「ン〜・・・・・、凄いね・・・・・、凄く良い・・・・・」
「んんっ・・・・・・・!」

虫酸が走る程嫌なのに、逃げ出したくて堪らないのに、身体が思うように動かなかった。


「・・・あ・・・・・ん・・・・っ・・・・、あんっ・・・・・・・!」

乳房を揉まれ、乳首を捏ねられる刺激に、子宮が激しく疼いていた。その疼きは次第に、この見知らぬ犯罪者に対する警戒心や嫌悪感をも塗り潰していった。


「あ、はっ・・・・、ん・・・・・・!」

やがて男は江里子のズボンのボタンを外し、ジッパーを下げた。
しかしそれを拒む力は勿論、拒もうと思う意思さえも、最早ぼやけて薄れていた。


「フフ・・・・・・」
「ぁ・・・・・」

男の親指が、ショーツの脇に食い込んだ。
ズボンとショーツをこのまま一気に引き下ろしてしまう気なのだ。
だが、それを悟っても不思議と怖くなかった。
警戒心や恐怖心がぼんやりとぼやけて、何も考えられなくなっていた。



「てんめぇッ・・・!!!チャリオッツッッッ!!!」

その時、突然、声がした。


「ぐえっ・・・!!!」

そして、江里子の身体を弄っていた男がビクンと大きく痙攣し、地面に倒れ込んだ。


「あぁっ・・・・・・・!」
「エリーッ!!」

巻き添えを喰って男と一緒に倒れた江里子を、誰かが抱き起こした。


「・・・アヴ・・・・ドゥル・・・・さん・・・・?」
「エリー、しっかりしろ!」

ぼやける視界の中に、心配そうなアヴドゥルの顔があった。


「エリー、大丈夫か!?」
「エリーッ!」
「江里子さんッ!」
「江里!」

ジョースターの顔も、
ポルナレフの顔も、
花京院の顔も、
そして承太郎の顔も。


「・・・・・・あ・・・・、わ・・・・、わた、し・・・・・・・」

立ち上がり、仲間達の顔を認識した途端、少しだけ理性が戻ってきた。


「まだヤラれてねぇよな!?良かったぜ、何とか間に合ったか・・・・!」
「こいつがDIOの刺客か。他愛もないが、今までで一番下衆な奴だったな。」
「こめかみを一突き・・・・、酷いぞポルナレフ。どうしてこんな殺し方をするんだ。僕がじっくりじわじわと甚振ってから引き千切ってやりかったのに。」
「おいおい花京院;まあともかく、エリーが無事で良かったわい。」
「近場で助かったぜ。遠くへ連れ去られていたら助けられねぇところだった。」

ポルナレフも、アヴドゥルも、花京院も、ジョースターも、承太郎も、誰も気付いていなかった。
彼等は全員、思い違いをしている。そうではないのだ。この男はDIOの刺客ではない。この男に連れ去られてきたのではないのだ。
だが、説明しようにも、言葉がうまく出て来なかった。

その時。


「アーッハッハッハ!アンタら皆おめでたいねぇ!そのアマが、DIO様の刺客に無理矢理攫われて襲われていた可哀相なお姫サマだとでも思ってんの?」

何処からともなく、ラビッシュの嘲笑が聞こえてきた。


「誰だ!?」
「どこにいやがる!?」

ジョースターやポルナレフが辺りを見回したその瞬間、江里子は自分の背後に気配を感じた。間違えようもない、あの気配を。


「はっ・・・・・・!」

いつの間に、どこから現れたのか、ラビッシュは江里子の後ろにいた。
いや、それだけではない。江里子を腕の中に閉じ込め、鋭く研ぎ澄まされたナイフを江里子の喉元に押し当てていた。


『エリーッ!!』
「妙な真似はしない事だよ。アンタらの大事な大事なお姫サマの喉笛を掻っ切られたくなかったらね。」

ラビッシュはジョースター達を牽制しながら、江里子を引き摺るようにして、ジリジリと彼等との距離を空けた。


「はッ・・・、お、お前ッ!さっきの町のアクセサリー屋じゃねーかッ!」

ポルナレフがラビッシュの顔を思い出し、指を指して叫んだ。


「・・・今の話はどういう事だ?この男はDIOの刺客ではないのか?そしてお前は何者だ?」

ジョースターは少しの油断もない表情と落ち着いた口調で、ラビッシュに問いかけた。するとラビッシュは、売人の死体をチラリと一瞥し、事も無げに答えた。


「そいつは単なる麻薬の売人。一人でフラフラ歩いていたこの女をドラッグ中毒だと勘違いして、ここに引っ張り込んだだけさ。
安心しな、まだ大して何もしちゃあいなかった。オッパイ揉んでたぐらいだよ。」

その言葉に、ジョースター達の顔が硬直した。
そんな彼等の様子を見て、ラビッシュは満足そうに小さく笑った。


「そしてボクはラビッシュ。ジャスティスのエンヤのもう一人の息子、お前に殺されたJ・ガイルの弟さ、ポルナレフゥッ!」
『なっ、何ィィィッッ!?』

誰一人、思いもしていなかったようだった。
江里子自身がそうだったように。


「す、するとお前もDIOの手先か!?ならば知っている筈だ!その娘はスタンド使いじゃあないッ!その娘はお前達と闘う為に我々といるのではないのだッ!汚い真似をしないで、堂々と自分のスタンドで我々にかかってこいッ!」
「無駄だぜアヴドゥル、ド汚ねぇのは血筋だ・・・・!何せあのJ・ガイルの弟なんだからな・・・・!
ラビッシュとか言ったな、テメェ、エリーを人質に取れば俺達が攻撃出来ねぇと思ってるんなら、そいつは大きな間違いというやつだぜ!ドクサレ兄貴同様、テメーもこの俺がブチ殺してやるッ!」
「どうぞ?いいよ?この女の身に今何が起きているのか、知らなくても良いならね?」

ジョースター達5人のスタンド使いと対峙しているというのに、闘えない筈のラビッシュはやけに鷹揚な態度だった。


「ど・・・、どういう意味だ!?貴様ッ、江里子さんに何かしたのか!?」
「そう怖い顔をしないでよ花京院。ちゃんと順番に話してあげるからさ。
まず先に断っておくと、ボクはスタンド使いじゃあない。だからボクはアンタらと闘う気はない。アンタらをブチ殺すのは、あくまでもDIO様の手下のスタンド使いさ。」
「何だって!?」
「テメェ・・・・、それを俺達に信じろというのか?」

皆、緊迫した表情だった。
そんな彼等の顔を、江里子は直視出来なかった。
心配されればされる程、まんまと罠に嵌ってしまった自分の愚かさが悔まれて。


「信じる信じないはそっちの勝手。だけどボクは断言しておく。ボクは闘えないし、闘わないとね。」
「ぬぅ・・・・・・」
「けれどボクはこの女と違って、何も出来ない訳じゃあない。」
「だっ・・・、駄目っ・・・・!」

バラされてしまう。
焦った江里子は、どうにかしてそれを阻もうと身を捩ったが、無駄だった。


「さっきの町で、ボクはこの女に媚薬を飲ませた。我がガイル家秘伝の、とびきり強烈なやつをね。」
『なっ、何ィィィッッ!?』

遂にその事が、ジョースター達に知れ渡ってしまった。
居た堪れなくなり、江里子はジョースター達から目を逸らした。


「ど、どうやって!?いつそんな事をしたというのだ!?見ず知らずの人間から渡された薬を飲むなんて、エリーがそんな事をする筈はないというのに!」
「ペンダントを買っていたあの時だとしか考えられないが、しかし不審な動きは何も無かった筈・・・・!」
「ッ・・・・・!!」

アヴドゥルと花京院の話に、ポルナレフが何か気付いたように息を呑んだ。


「い、いや・・・・、あった・・・・、あったぜ、心当たりがひとつだけ・・・・。
チョコレート・・・、アクセサリーを買った奴へのサービスだと言っていた、あのチョコレートだ・・・・!テメェ、さてはあのチョコレートにそのイカれたヤクを混ぜてやがったんだなぁッッ!!」
「見ず知らずの奴から渡された物を口に入れるなんて、エリーはそんな卑しい真似はしない?
そうかなぁ?とーっても簡単だったよ?
呼び込みにあっさり応じてくれて、催眠術にもあっさりかかってくれた。
パクッと一口で食べちゃったよ。実に素直でイイコだね。バカがつく位にさ。」

激昂するポルナレフを更に愚弄するような口調で、ラビッシュはあっさりとタネを明かした。


「ボクの媚薬は、そこらのドラッグなんかよりよっぽどブッ飛べる、スペシャルな薬さ。
この女は今、発情しきったメスそのもの。だからアンタらの元を勝手に離れて、一人でフラフラしてたのさ。男漁りをする為にね。」
「黙れッ!!嘘を吐くなッ!!江里子さんを愚弄すると許さんぞ貴様ッ!!」
「嘘だと思うなら、このビッチに直接訊いてみなよ?」
「っ・・・・・!!」

花京院の視線が、突き刺さるようだった。
嘘だと言いたかったが、言えなかった。
事実、どこの誰とも知れぬ男に身体を弄られて感じてしまっていたところを、彼に見られてしまっているのだから。
花京院の追い縋るような必死の表情が辛くて、江里子は顔を背ける事しか出来なかった。


「う・・・・、嘘だ・・・・、嘘でしょう江里子さん・・・・!?」
「その男にここへ連れ込まれた時も、結構ノリノリだったよ?口ではイヤイヤなんてしおらしく言ってたけど、もうその声があからさまに誘ってたね。
ポルナレフがイイところで邪魔したからさぁ、余計悶々としちゃってるよきっと。カワイソウなエリー。」
「黙れッ、黙りやがれこのドグサレ野郎がッッ!!」

ポルナレフは激しく怒り狂い、更に怒声を張り上げた。
冷静さを完全に欠いてしまっている彼を、ジョースターは庇うようにして後ろに下がらせ、代わりに自分が一歩前へ出た。


「・・・・貴様、闘えないし、闘う気もないと言っていたな。
それが本当だとしたら、一体何の為にわざわざ我々の前に出てきて、エリーを狙った?貴様の目的は一体何だ?」
「決まってるじゃない。アンタらを潰す為だよ。
ボクはアンタらをブッ潰して、DIO様の『お友達』にして貰うんだ。
母さまも兄さまも死んで、ガイル家の血を引く者は今やボク一人だからね。今後はボクがDIO様にガイル家の秘術の数々を教えて差し上げて、母さまや兄さまの代わりにお仕えしていかなきゃと思ってるんだ。」

ラビッシュはまるで将来の展望を語るように、夢見がちな口調でとうとうと答えた。
すると、承太郎が冷ややかに言い放った。


「俺達はテメェの妄想を訊いてるんじゃあねぇ。俺達を潰す為に、何故江里に一服盛る必要があるのかと訊いているんだぜ。」
「この女はアンタらの弱点じゃあないか。それもとびきりオイシイ・・・ね。
スタンド使いってのはどうしてこう、どいつもこいつも自分の能力に自惚れるのかねぇ。ボクに言わせりゃあ、アンタらみんな只の馬鹿だよ。どんな波風をも弾き返す頑丈な堤防も、蟻が内側から開けた小さな穴一つであっさり決壊する・・・、それを知らないんだからさ。」
「ぁっ・・・・・!」

ナイフの刃が、江里子の喉にほんの僅かに食い込んだ。
その瞬間、ジョースター達の表情がまた強張った。



「・・・・良いかい、よく聞きな。この女を助ける方法はたった一つ、この女の異常に昂った性欲を満たしてやる事だけ、つまり、ファックしてやる事だけよ。」
『なっ・・・・・!!!』

ジョースター達は、酷く狼狽した。
大概の事では動じない、あの承太郎までもが。


「このまま放っておけば、この女は発狂するか、悶絶死する。
時間の経過と共に薬の効果が切れる事はない。解毒剤も存在しない。作っていないだけとか隠しているとかじゃあなく、文字通り、この世にない。
ボクをブッ殺せば悪い魔法が解けるとか、そんなメルヘンチックな話でもない。ボクを殺したところで、この女は何ともならないよ。」
「そ・・・、そんな事、し、信じられるか・・・・!お前が本当の事を言っているという確証は何も・・」
「信じられないのなら、試しにこのまま放っておけばいいさ。あと何分もしない内に、アンタのディックにしゃぶりついてくるだろうよ、花京院。」
「ぐっ・・・・・!!」

江里子と目が合うと、花京院は言葉を詰まらせ、赤面した。
勿論江里子の方も、とても彼を、いや、彼らを直視出来なかった。


「や、やめて・・・・・・・!もうやめて・・・・・!」

江里子はラビッシュを黙らせようともがいた。
これ以上ジョースター達の前で恥を掻かされる位なら、喉に押し当てたナイフでいっそ一思いに殺して欲しかった。


「いや実際、もうとっくにそうなっていてもおかしくないんだ。
正直驚いたよ。この女、なかなか精神がタフなんだね。
テストに使った女達は、同じ位の放置時間で頭のネジが完全にブッ飛んでたよ。
そこからヤリまくって満足した連中は助かったけど、そのまま完全放置し続けた連中と、残念ながら間に合わなかったらしい連中は・・・、さっき言った通りさ。
殆どは水も飲まなくなって2〜3日で死に、若干名、辛うじて生き残ったのは、今じゃとある国のスラム街で『公衆便所』やってる。プププッ。」
「な、何じゃと・・・・・!?」
「時間がなくて十分なテストが出来なかったから、僕も今、この結果に驚いているんだ。
何が違うんだろうねぇ?
テストに使った女共が、既に半分脳ミソが溶けてるようなズブズブのジャンキーだったからかな?それともこの女が特別に我慢強いから?」

しかしラビッシュは、決して江里子の喉を掻き切ろうとはしなかった。


「もうそれ以上言わないでっ・・・・!お願いだからっ・・・・!」
「ああ、ヤマトナデシコは貞淑だって聞いた事があるから、国民性もあるのかなぁ!?」

むしろ決して死なせないとばかりに、もがく江里子を益々強い力で拘束し、捲し立てるようにして喋った。


「やっ、やめてっ・・・・!本当にお願い、もうそれ以上はっ・・・・!」
「だけど、流石にもう限界だね!だってさ、聞いてよ!?
この女ってばさぁ、今はこんな恥じらってるけど、さっきはアンタらに・・・!」
「だっ、駄目っ!!言わないでっ、それだけは言わないでぇぇーーーッッ!!!」

堪らずに、江里子は絶叫した。
その甲高い金切り声に驚いたジョースター達は皆、立ち尽くして唖然と江里子を見た。
次の瞬間、江里子の耳元で、ラビッシュは微かに笑った。
勝ち誇ったように、とても愉しそうに。
そして。


「大好きなアンタらにファックされる妄想して、イキまくってたのよぉッ!アハハハハッ!!アンタら全員に身体中舐め回されて、メチャクチャに突きまくられて、奥にブチ撒けられる妄想してさぁ、潮まで吹いてたのよぉッ!!アハハハハハッ!!」

玩具を床に叩きつける幼子のような無邪気さで、

江里子の自尊心を、

密かな恋心を、

粉々に、砕いた。



「・・・・・・ぬおぉぉぉッッ!!!」

やがて、地を這うような咆哮が響き渡った。


「この下衆野郎め!!!骨も残らん程に焼き尽くしてやる!!!」

空気の流れが突然変わり、燃え盛る炎のすぐ側にいるような熱気に包まれた。
怒りに我を忘れたアヴドゥルが、スタンドを発動させようとしていた。


「いいよ、やればぁ!?アンタのハニーも一緒にさあ!
言ってやりなよ、この恥知らずな女にさあ!俺以外の男にケツ振ってオネダリするビッチなんかもう要らないから死ねってさあ!」

しかしラビッシュは全く動じず、江里子を一歩前に突き出した。
全てを暴露され、心を砕かれた江里子は、ただ啜り泣きながら、されるがままになっていた。


「うぅっっ・・・・!!」

アヴドゥルの激しい怒りは、一瞬で狼狽に変わった。
同時に、辺り一帯を囲んでいた熱気が消え、空気の流れが元に戻った。


「・・・・ボクはずぅーっと、アンタらを見てきた。水晶玉を通してね。
だからボクは知っているんだ。
アンタらはお互い、知られていないと思っているだろうけどね、プククッ。皆、結構色々やらかしてきたよね、プククククッ。
さあ、この女をモノにするのは、一体誰かしらねぇ?
楽しみねぇ、エリー?アンタにブチ込んでくれるのは、一体誰かしらねぇ?」
「ひぃっ・・・・・・!」

ラビッシュはおもむろに、江里子の頬に伝う涙を舐め取った。
そのねっとりとしたおぞましい感触にさえ、下腹部が疼いた。


「さあッ、恋の鞘当てゲームの始まり始まりィィーッ!精々愉しみなぁクソッタレ共ォォッッ!」
「あっ・・・・・!」

江里子は突然、背中を思いきり突き飛ばされた。
そのまま地面に倒れ込みそうになったところをジョースターに抱き止められ、ふと気付いてみると。


「うっ・・・、動けない・・・・!何かがッ・・・・、何かがボクの襟首を、掴んでいるッ・・・・!」

ラビッシュが宙に浮いた状態で、ジタバタともがいていた。


「ぐっ、ぐるぢぃぃ・・・・!ま、まさか、スタンドかッ・・・・!?おお、お前らのッ、お前らのスタンドかこれはぁッ・・・・!?」
「テメェはずっと俺達を見ていたんじゃあねぇのか?
その割には、俺のスタープラチナのスピードと目の良さを知らなかったみてぇだな。
俺のスタープラチナには、テメェが上へ飛び上がって逃げようとするのが、しっかりバッチリ見えていたぜ。」
「ぐえっ!」

浮いていたラビッシュが、ドサリと地面に落ちた。


「まるで一瞬で消えたように思えるが、何の事はねぇ。単にすばしっこいってだけか。尤も、多少人間離れしてはいるがな。」
「あのバアさんの息子だ。納得いくぜ・・・・。あのバアさんも、ババアのくせにジョイナー並みの脚力してやがったからなぁ・・・・。」

落ちたラビッシュの周りを、承太郎やポルナレフ、そして花京院達が次々と囲んでいった。その様子を、江里子は傍らで呆然と見守っていた。


「ラビッシュとか言ったな。テメェ、スタンド使いじゃねぇと言ったが、そんな事は知った事じゃあねぇぜ。俺達はテメェを殺すのに、何の躊躇いもない。」
「ヒヒィィーーーッッッ!!!ヒィーーーッ!!!!」

承太郎の殺気に怯えたラビッシュは、けたたましい悲鳴を上げて泣き喚き始めた。
これまで遭遇してきた敵の中にも、なりふり構わず命乞いをした奴は何人もいたが、その中の誰のものよりラビッシュの甲高い泣き声は耳障りで、かつ惨めに聞こえた。


「こここ、殺さないでーッ!!殺さないでーーーッ!!
悪かった、悪かったよぉッ!ただ悔しかったんだよぉッ!!
ボクと同じ役立たずのくせに、アンタらに可愛がられて大事にされてるエリーが憎らしかったんだよぉッッ!!ウェ〜ンエンエン!!ウェ〜ンエンエン!!」
「な、何だこいつ!?ガキみたいに鼻水垂らして泣き喚いて、気味悪いぜ・・・!」

その惨めすぎる泣き方に圧倒されたらしく、ポルナレフは少しばかり後退りをした。


「ボクはずっと、母さまと兄さまに能なしの役立たずって言われてきたんだ・・・・!スタンドも、ガイル家の血統と強い霊力の証である両右手も持たずに生まれてしまったからね・・・・!
おまけにボクは、男でも女でもない・・・・!アンドロギュヌスなんだ・・・・!男にも女にもなれない半端者で、子孫を残す事さえ出来ない・・・・!
だからボクは、生まれた時からずっと、要らない子だったんだぁぁ!!えぐっ、えぐっ・・・・!」

ラビッシュは尚も泣き喚きながら、自分の不幸な身の上を承太郎達に語った。


「スタンドを使えず、闘えないのは同じなのに、エリーはカワイイ女の子だから、アンタらに大事にされて護られてる!
それに比べてボクは、護って貰えるどころか誰にも相手にされない!
ボクだってちゃんとした女の子だったら、せめて普通の女の子としての幸せぐらいは掴めたのにぃ!
ボクは何てカワイソウな子なんだぁ〜ッ!!ウェ〜ンエンエン!!ウェ〜ンエンエン!!」
「な、何だこいつは・・・・・」
「自分で可哀相な子なんて言っていますよ・・・・」
「やれやれだぜ・・・・・」

ラビッシュの大仰な泣き喚きっぷりに、皆すっかり圧倒されてしまっていた。
その時、おもむろにジョースターがラビッシュの前に出た。


「・・・分かったから静かにしろ。五月蝿くて敵わん。」
「じゃ、じゃあ殺さないでくれる!?」
「殺しはしない。お前に攻撃の意思が無いのならな。」

ジョースターがそう約束すると、ラビッシュの耳障りな鳴き声がひとまず止んだ。


「しっ、しないよぉ!言ったでしょお!?ボクはスタンド使いじゃあないんだッ!アンタらに攻撃なんか出来る訳ないじゃあないかッ!」
「ならば大人しくしている事だな。確かめさせて貰うぞ。」
「な・・・何を!?」
「ぬぅぅぅ・・・・・、ハーミットパープル!!」
「ああっ・・・・!」

ジョースターがスタンドを発動させると、おもむろに『ガサガサ、ピーピー』というノイズ音が流れてきた。
それはラジオ、ジョースターが持っていた携帯用ラジオの音だった。
ノイズはどんどん音を変え、音楽になったり、不明瞭な会話になったりしながら、やがてはっきりとした言葉を話し始めた。


『エリー・・・、ニ、ビ、ヤ、ク、ヲ、飲マセタ、ノハ、本当ダ。
解決、方法、ハ・・・、ヒトツ・・・、FXXK!・・fuck!・・・FUCK!
・・・依存、性、・・・中毒、性、・・・後遺症、・・・常用、シナケレバ、無シ。
満足、サセ、レバ、エリー、ハ、助カル。
ソノ、前ニ、発狂、シタラ、アウト。死ネバ、完全ニ・・・・、アウッアウッアウッアウッ!!!』

ハードロックの曲に合わせてボーカルがシャウトした後、音はまたノイズだけになった。


「・・・・・どうやらこいつが言っている事は、本当のようじゃな。」

ジョースターはラジオの電源を切ると、重苦しい口調でそう呟いた。


「皆、行くぞ。こいつにもう用は無い。」

歩いて行くジョースターに、ポルナレフと花京院が慌てて追い縋った。


「ちょ、ちょっと待ってくれよジョースターさん!!このクソッタレのカマ野郎をこのまま野放しにしておく気かよ!?」
「そうですよ!こいつの言っていた事が本当だとしても、それとこれとは話が別ですッ!このままでは、とても気が治まらないッ・・・・!」
「ポルナレフ、花京院。君達の気を晴らすのと、エリーを助けるのと、どちらが大事で、どちらが急を要するのかね?」

ジョースターのその一言に、二人はハッとして黙り込んだ。
ジョースターは肩越しに振り返り、思わず背筋が寒くなるような冷たい瞳でラビッシュを一瞥した。


「・・・ラビッシュとやら。貴様は我々にとって、敵対するにも値しない『クズ』だ。DIOの元へでも何処へでも行くが良い。貴様にはそれに相応しい末路が待っているだろう。」
「・・・・・・フ・・・・、フハハッ・・・、フハハハハッ!!」

ラビッシュは突然笑い出すと同時に、驚くような素早さで、すぐ側の建物の屋根の上に飛び乗った。


「バーカめーッ!ジョースターッ!その『クズ』に、お前らは負けるんだよ〜んッ!
なぁ〜にが仲間だッ!なぁ〜にが友情だッ!そんなゴムより薄っぺらいモン、そのクソビッチがか〜んたんに穴を開けちまうんだよ!
お前らはもうおしまいなんだよ〜んッッ!!アーッハッハッハッハァッ!!アーッハッハッハッハァッ!!」

そして、あっという間に何処かへと消え去ってしまった。


















「・・・・・・ちっきしょう・・・・・・!」

シンと静まり返ったところに、ポルナレフの悔しげな呟き声が小さく響いた。


「くっ・・・・・!」
「っ・・・・・・!」
「・・・・・・・・」

アヴドゥルも、花京院も、承太郎も、皆それぞれに憤りを押し殺していた。
彼らのその姿が、江里子の中の罪悪感を一層高めた。


「・・・放っておけ。気にするな。それより早く行くぞ。」

ジョースターは再び歩き出した。
その後をついて、承太郎達も歩き出した。
しかし江里子は、彼らの後を追わなかった。


「・・・・・どうした、エリー?」

江里子が立ち尽くしたままである事にすぐ気付いたジョースターは、また江里子の所へ戻って来た。


「歩けないのなら、儂が負ぶってあげよう。さあ。」

ジョースターはまた、いつかのように江里子の目の前にしゃがみ込み、背を向けた。
その優しさが、江里子の胸を痛い程締め付けた。


「・・・・・っ・・・・・」

江里子は俯き、小さく首を振った。誰とも目を合わせないようにして、しっかり唇を噛んでいないと、泣いてしまいそうだった。


「・・・・・遠慮しなくて良い。早く乗りなさい。さあ。」
「エリー・・・・・・」
「江里子さん・・・・」
「エリー・・・・・・」

ジョースター一人だけでも泣きそうなのに、アヴドゥルも、花京院も、ポルナレフも、心配そうな声で呼び掛けてくる。
ヘマをしてこんな恥辱に塗れてしまった恥ずかしい女を、皆、案じてくれている。
そう思うと、只々申し訳なくて、恥ずかしくて、それこそ気が変になりそうだった。
私の事なんか放っておいてと大声で叫んで、なりふり構わず泣き喚きたかった。喉元まで、その声が出かかっていた。


「・・・・・っ・・・・・」

しかし江里子は、寸でのところでそれを思い留まった。
それをして、何になるというのか。
只でさえ迷惑を掛けてしまっているのに、この上ヒステリーまで起こしては、それこそ彼らの足手纏いにしかならなくなる。
またぼやけてきた理性を奮い立たせて、江里子は今一度、初心を思い出した。
日本を発つ時に、誓った事を。


「・・・・皆さん・・・・、先に行って下さい・・・・・」

江里子は俯いたまま、声を絞り出すようにしてそう告げた。


「私はここで・・・・・、一旦、離脱します・・・・・・・」
「離脱って・・・・・、何を言ってるんだ、エリー!?」
「何バカな事言ってんだよッ!」

アヴドゥルとポルナレフにすぐさま叱られたが、江里子は引き下がらなかった。


「こうなったのは・・・・、自分の責任です・・・・。
私が・・・・、警戒を怠ったから・・・・。
私のせいで、皆さんに迷惑をかける訳にはいきません・・・・。」
「一人で離脱するだなんて、それこそ大迷惑です!そんな事ぐらい、貴女なら分かるでしょう!?」

花京院の諫言が、胸に突き刺さった。
そう、彼らに助けを求めようが求めまいが、どちらにしろ迷惑になってしまうのだ。
ならばせめて、これ以上の恥辱には塗れたくなかったし、何より、ラビッシュの思惑を阻止して、承太郎達の絆を壊さないようにするべきだった。


「・・・・分かっています、勿論・・・・・。
だから明日、明日の朝・・・、出発前に、さっきのカフェに来て下さい・・・・。私・・・・、そこで待っています、から・・・・・」

間もなく訪れる夜が怖い。
狂っていく自分が怖い。


「でも・・・・もし・・・・、もし・・・・、私が来なかったら・・・・、その時は・・・・、先に行って下さい・・・・・。」

でも、何より怖いのは、大切な仲間達が、大好きな彼らが、命を落としてしまう事。
生まれて初めて温かい居場所と安らぎをくれた、ホリィを死なせてしまう事。


「次の目的地は・・・・、アスワン・・・、でしたよね・・・・・。
最悪・・・、そこで、待ち合わせしましょう・・・・・・。
大丈夫・・・、大きな町ですし・・・・、どうとでもして、行けますから・・・・」

だから、何としても一人で乗り切って、必ず彼らの元に戻ろう。
不安に崩れ落ちそうになる自分に、江里子はそう言い聞かせて励ました。
その時。



「・・・・江里。テメェ、本気で言ってんのか?」

承太郎の低い声が、江里子の頭上に降ってきた。


「・・・はい・・・」
「だったら顔上げろ。俯いてボソボソ呟くんじゃなくて、俺達の顔を見てはっきり言え。」

いつもと何ら変わらない、落ち着き払った声だった。


「どうした、出来ねぇのか?やっぱり只の強がりか。出来もしねぇ事を言うんじゃあねぇぜ。ブスでマヌケな上に可愛げもねぇときちゃあ、どうしようもねぇな。やれやれだぜ。」
「っ・・・・・・!」

いつもの声、いつもの調子で馬鹿にされて挑発され、江里子は思わずカッとなった。


「・・・・・・・・!!」

そして気付けば、顔を上げて承太郎を睨み上げていた。


「・・・フン。そんだけ威勢の良い顔出来んじゃねぇか。つまんねぇ泣き言言ってんじゃねぇぞ、ブス。」
「泣き言じゃあありません。私は建設的な意見を言っているつもりです。」
「ブサイクな面してまた一段と可愛げのねぇ事を言いやがる。どの辺が建設的なんだ?」
「承太郎さんこそ、いちいち余計な悪口を挟まないと喋れないんですか?あなた方が無駄な時間を費やさなくて良いように、私なりに考えて提案しているんです。」
「お、おい花京院、アイツら何て言ってるんだ・・・・?」
「早口でさっぱり解らん・・・・・」

いつの間にか言葉が日本語にスイッチしていて、ポルナレフとアヴドゥルが花京院に通訳を求めたが、江里子は全く気付いていなかった。
いつも通りの承太郎の挑発が、あまりにいつも通りのこの口喧嘩が、江里子を蝕む媚薬の魔力をまた一時、押し返してくれているのだという事にも。


「大体、私は日本を発つ前に言った筈です。私はあなた方の『お荷物』ではあるけれど、足を引っ張るつもりはないと。忘れましたか?」
「いいや、覚えてるぜ。」
「私はあの時、もし私が邪魔になるようなら、その時は私を置き去りにでも見殺しにでもして下さいと言った筈です。
そして承太郎さん、あなたも言ったじゃありませんか。
私があなたの邪魔になるようなら、私を容赦なく切り捨てるって。」

江里子は今この時、殆ど勢いだけで、承太郎を言い負かしていった。


「今がその時だという事です。只それだけ。これのどこが泣き言なんですか?」

今、この時までは。


「・・・・・じゃあ、訊くがな。
お前のその『建設的な意見』とやらに従って、これから別行動するとしてだ。
お前はこれから今夜一晩、何処でどうするつもりだ?」
「っ・・・・・・・!」

核心そのものを的確に突いてくるその問いに、江里子は勿論、答えられなかった。


「・・・・それは・・・・・・、べ・・・別に・・・・・」
「『別に』じゃねぇ。誤魔化すな。具体的に答えろ。」
「ぁっ・・・・・・!」

しかし承太郎は容赦せず、その力強い手で江里子の腕を掴み、尚も問い質してきた。


「承太郎、何もそんな・・・」
「早く言え。」

見かねた花京院が止めに入ったが、承太郎は一切耳を貸さなかった。彼はただ、江里子だけを見ていた。


「目ェ逸らすな。こっち見ろ。」
「・・・・・・・・」
「こっちを見ろ、江里。」

とことんまで追い詰められて、もう逃げ道は無かった。
観念した途端、張り詰めていた心が緩んで、目頭が熱くなった。


「・・・・・っ・・・・・・」
「・・・・・そら見た事か。何が置き去りにでも見殺しにでもだ。
肩肘ばっか張りやがって。本当に可愛げのねぇ女だぜ。」
「・・・・・って・・・・・」

やっとの思いで出した声は、啜り泣きよりも小さかった。


「だって・・・・・・・・、もう・・・・、皆さんに・・・合わせる顔が、ないから・・・・・・」

江里子は幼い少女のようにポロポロと涙を零しながら、擦り切れるような声で答えた。


「ほーう?俺達に合わせる顔がねぇから、そこら辺の見ず知らずの野郎に頼ろうってのか?」
「っ・・・・・!」

承太郎のその言葉に、江里子は思わず顔を跳ね上げた。
すると、承太郎の顔が、江里子のすぐ目の前に迫っていた。


「はっ・・・・・・!!」

唇と唇が重なり合い、承太郎の熱い吐息が江里子の喉の奥へと流れ込んできた。
それを飲み込んだ瞬間、頭のてっぺんから足の先まで貫き通すような衝撃が、江里子の体内を一気に走り抜けた。


「っ・・・・・!んんっ・・・・・・・・・・!」

あまりにも甘く激しいその衝撃に、江里子の意識は弾け飛んだ・・・・・。























「っ・・・・・・・・」

気を失って崩れ落ちた江里子を、承太郎は静かに抱き上げた。


「・・・・行くぞ。」

誰もすぐには応えなかった。
呆気に取られているせいも勿論あるが、同時に決して小さくはないショックを受けてもいた筈だった。
しかし、今更もう取り繕う事は出来ない。
こうなった以上、もう一切の誤魔化しは利かないのだ。


「・・・そうじゃな。急ごう。時間がない。」
「あ、ああ・・・・・」
「・・・・はい・・・・・」
「うむ・・・・・・・・・」

ポルナレフも、花京院も、アヴドゥルも、それぞれに何か言いたげな視線を投げ掛けて、背を向けていった。
その視線を全て受け止めてから、承太郎は腕の中の江里子を見つめた。
睫毛にまだ涙の雫が絡んだままだが、今は拭ってやる事が出来なかった。


― バカヤロウが・・・・。合わせる顔がねぇのは、俺も、アイツらも、皆同じなんだよ・・・・・


いつか、どうにかしなければいけないとは思っていた。
この旅に出て来てからではなく、もっと前から。
それが今、こんな形で、決着をつけなければならなくなるとは、夢にも思わなかったけれども。


― 死ぬんじゃねぇぞ、江里・・・・・・


江里子への想いが成就しようか砕け散ろうが、そんな事にはもはや構っていられない。
とにかく、何としても江里子を助けねば。
承太郎は己にそう誓うと、仲間達の後に続いて歩き出した。




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