やっとの思いで辿り着いた浜辺は、残念ながらクルーザーを停泊させた場所ではなかった。だが、この浜辺伝いに行けば、そのうち必ずクルーザーの所へ辿り着く。
「急がなきゃ・・・・・・・・・!」
早くしなければ、ポルナレフが死んでしまう。
彼の命は、自分に懸かっているのだ。
江里子は一度呼吸を整えると、再び浜辺を走り出した。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・・・・・!」
土の上はまだ走り易かったが、砂浜では足が砂に取られて、思うように走れない。
砂の中に埋まっていく足を抜くように走っていると、あっという間に疲労が蓄積し、どんどんスタミナが削れていく。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・・・・・!」
しかし江里子は負けずに走った。
走って、
走って、
走って。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ・・・・・・・・!はぁっ・・・・・・・・!!」
そしてとうとう、力尽きてしまった。
「うっ・・・・・・、うぅっ・・・・・・・・・!!」
江里子はその場にしゃがみ込み、堪え切れなくなった涙を零した。
もう間に合わない。ポルナレフはきっと今頃、殺されてしまっただろう。
そんなネガティブな考えが、頭の中いっぱいに広がった。
「うぅぅ・・・・・・!ポルナレフさん・・・・・・・!」
私のせいだ。私のせいで、彼を助けられなかった。
彼は自分を盾にして私を護り抜いてくれたのに、私は彼を助けられなかった。
そう自分を責めた瞬間、江里子はハッと我に返った。
今の江里子は、正しくさっきのポルナレフと同じだった。
アヴドゥルの死は自分のせいだと己を責め、反撃らしい反撃もせずに敢えて敵のなすがままになった彼と。
「・・・・・・ダメよ・・・・・・・、諦めちゃ・・・・・・」
江里子は涙を拭い、ゆらりと立ち上がった。
どんな時でも、諦めてはいけない。
この旅が、それを教えてくれたのだ。
ここで一人で泣いていたって、それこそ絶対にポルナレフは助けられない。
だが、皆の元に辿り着く事が出来れば、たとえ1%でも2%でも、ポルナレフを助けられる確率が上がる。
今、その可能性に懸ける事が出来ないのなら、DIOという化け物を倒す事など到底不可能だ。そして、ホリィを助ける事も。
「諦めちゃ・・・・・・・!」
江里子は歯を食い縛り、また進み始めた。
全速力どころか、もうジョギング程度のスピードさえ出せない、殆ど歩いているような状態だったが、それでも足を止める事なく進み続けた。
反対から回った方が近かっただろうかと考えるのは、敢えてしないようにした。
それを考えても、足が遅くなるだけだから。
「くっ・・・・・・・・」
歩き過ぎと走り過ぎでズキズキと痛み出した足を引き摺るようにして、江里子は進み続けた。すると。
『エリーッ!!』
「江里!!」
「江里子さん!!」
向こうから、江里子を呼ぶ皆の声が聞こえた。
そして、手を振るその姿も。
「あぁ・・・・・・・・!あぁぁぁ・・・・・・・・・!!!」
ようやく成し遂げた。
また込み上げてきた涙を拭って、江里子は最後の力を振り絞り、全力疾走を始めた。
「みんなーーーッッッ!!ゲホッ、ゲホッ・・・・!おぉぉーーいッッ!!」
江里子は咳き込みながら大声で呼び掛けつつ、仲間達の元に走った。
彼等の方も荷物を放り出し、駆けつけてくれた。
「エリーッ!!どこ行っとったんじゃあッ!」
「江里子さん!心配しましたよ!」
「ゲッホゲホゲホ・・・・・!!ゲホゲホッ・・・・!!」
ようやく仲間との合流を果たした江里子は、激しく咳き込みながらも、差し出されたジョースターや花京院の腕を掴んで身体を支え、必死に訴えかけた。
「皆来て・・・・・!ポルナレフさんが、ポルナレフさんが・・・・・!!!・・・・あれっ!?!?」
訴えかけたその相手が、何故か当のポルナレフで、江里子は目を見開いた。
「エリー、大丈夫か!?あーあー、こんなに擦り傷作っちまって!顔も汚れて真っ黒じゃねーか!」
更にポルナレフはどういう訳か、江里子の心配をし始めた。
ついさっきまで、自分が敵スタンドの土人形達に肉を食い千切られて絶体絶命に陥っていたのに。妹のシェリーとアヴドゥルに瓜二つの、あの土人形達に。
「・・・・・・・・・え・・・・・・・・・?」
ふと見れば、ポルナレフの隣にアヴドゥルがいた。
目が合うと、アヴドゥルは優しく目を細めた。
「・・・・・・・久しぶりだな、エリー。」
「・・・・・・アヴドゥル・・・・・さん・・・・・・?」
さっきの草むらの中で遭遇したアヴドゥルとは、目も、表情も、まるで違っていた。
あの煮えたぎるような怨念はなく、優しく、穏やかな、江里子のよく知る彼の顔だった。
「・・・・・・すまなかったな、エリー。今まで黙っていて。」
アヴドゥルは優しく微笑んだまま、江里子に詫びた。
「敵の目を欺く為、やむを得ず、江里子さんには今まで内緒にしていました。本当にすみません。」
「そうなんだよエリー!酷ぇと思わねぇか!?アヴドゥルが生きてた事、俺達二人にだけ内緒にしてやがったんだぜこいつら!!思い出したらまた腹立ってきた!!」
「まあまあポルナレフ・・・・」
花京院の詫びる声も、ポルナレフの憤慨も、どこか遠くに感じられた。
江里子の目は今、苦笑いするアヴドゥルに釘付けにされていた。
「エリー?」
言葉もなく呆然と立ち尽くす江里子の顔を、ポルナレフが怪訝そうに覗き込んだ。
「エリー・・・・?」
アヴドゥルも似たような表情をして、首を傾げながら江里子に歩み寄ってきた。
そして、恐る恐る江里子の肩に触れた。
「おいエリー、どうしたのだ?」
「っ・・・・・・・・・・!」
大きな手の感触を肩に感じたその瞬間、言い様のない激情が江里子に押し寄せてきた。
「うぅっ・・・・・・・・」
江里子は膝から崩れ落ち、砂浜の上にペタンと座り込んだ。
「うわあぁぁぁぁぁぁーーーーっっ!!!!!!」
そして、自分でも吃驚する程大きな声を上げて泣き出した。
するとアヴドゥルは、途端にオロオロと心配し出した。
「エリー!?どうした!?どこか怪我をしたのか!?痛むのか!?」
「うぇぇぇぇ・・・・・・!うわぁぁぁぁん・・・・・・!!!」
江里子は号泣しながら、ブンブンと首を振った。
違う。
そうじゃない。
そうじゃないのだ。
「エリー・・・・・、どうしたというのだ?」
困り果てたアヴドゥルは、様子を伺おうとするように江里子の前に膝を着いた。
「っ・・・・・・・・!」
江里子は何かに弾かれるようにして、アヴドゥルの首に抱きついた。
「!!」
アヴドゥルはギョッとして身を固くしたが、やがてゆっくりと江里子を抱きしめ返した。
「・・・・・悪かった。」
「うわぁぁぁぁ・・・・・!!!」
「私が悪かった。許してくれ。な?」
「うぇぇぇぇん・・・・・・!えっ、えっ、えぇぇぇぇん・・・・・・!!」
温かい胸も、背中や髪を優しく撫でてくれる大きな手の感触も、紛れもなく本物だった。
ポルナレフの第3の願いは、本当に叶ったのだ。
嬉しいとか、驚いたとか、そんな次元の話ではなかった。頭がついて来なくて、心が決壊してしまったようで、自分で自分を抑えられなかった。
「悪かった。悪かったよ・・・・・」
「ふえぇぇぇぇん・・・・・・・!!」
アヴドゥルの温かい胸の中で、江里子はそれから暫く、まるで子供のように泣きじゃくり続けたのだった。
江里子の涙がようやく止まった後、一行は浜辺を移動し始めた。
「だ・・・、大丈夫ですよアヴドゥルさん・・・!私、歩けますから・・・!」
「まあまあ、良いから良いから。」
江里子は今、アヴドゥルにお姫様抱っこで運ばれていた。
怪我は草や木の枝で掠った擦り傷程度だったが、体力の消耗が激しかったところへ爆泣きして更に体力を消費し、歩く事もままならない程フラフラになっていたのだ。
それを誤魔化し誤魔化し、皆の後ろをヨロヨロとついて歩いていると、ふとアヴドゥルが戻ってきて、まるで荷物でも担ぐようにヒョイと江里子を抱き上げたのだった。
「下ろして下さい、体に障りますよ・・・・!アヴドゥルさんは病み上がりなんですから・・・・・!」
「私ならもう平気だ。尤も、背中の傷はまだ少し突っ張るので、背負ってやる事は難しいのだが。代わりにこれで我慢してくれ。」
「ですからそうじゃなくて・・・・・!アヴドゥルさん、私が重いの知らないでしょう!?あんまり私をなめないで下さい!痛い目をみますよ!知りませんからね!」
「それはそれは、怖い怖い。ハハハ。あんまり暴れると落ちるぞ。気をつけろ。」
顔を真っ赤にしてジタバタする江里子を、アヴドゥルは朗らかな笑顔であしらっていた。
単に恥ずかしくて気が動転しているだけというのがバレているのは分かっているが、それがまた一層羞恥を煽り立て、とても冷静ではいられなかった。
「いいな〜エリー!アヴドゥル〜、俺も疲れて歩けねーよー!」
隣を歩きながら、ポルナレフがプッと唇を尖らせた。
そんなポルナレフを、アヴドゥルはジロリと横目で一瞥した。
「・・・それは私に、お前を担げと言っているのか?」
「担いでくれんのか?」
「バカは休み休み言え。自分のデカさを弁えんか。」
「チェーッ!」
「何が『チェーッ』だ。承太郎と花京院が、荷物を全部持ってくれているんだぞ。それだけでも大助かりだろうが。」
「ブゥッ・・・・・・」
ポルナレフは益々唇を尖らせた。
甘えて妬いて拗ねるのは、嬉しさの裏返しだ。
同じく騙されていた者同士として、江里子にはそれが良く分かった。
「まあまあエリー!ここは大人しく甘えておきたまえ!
大体、病み上がりは君も同じだ。あまり騒ぐと本当にまたダウンしちまうぞ!」
後ろからついて来ているジョースターが、笑いながら江里子を宥めた。
「病み上がり?そうなのか、エリー?」
「た、大した事ありませんよ。ちょっと風邪を引いただけです・・・。もう治りましたし。」
「40℃近い熱が丸2日も出るのを、『ちょっと風邪を引いた』とは普通言わんよ。」
「何ですって?そりゃあ益々下ろす訳にはいきませんな。」
「きゃあっ・・・・・!」
アヴドゥルは片方の眉を吊り上げて、江里子をヒョイと抱え直した。
アヴドゥルの腕の中で跳ね上がった江里子は、下りるどころか思わず彼の首にかじりついてしまった。
「ポルナレフ!!お前も機嫌を直せ!ほれほれぇ!」
ジョースターは、ポルナレフの背中をグイッと押した。
単なるスキンシップのように見えるが、誰かに背中を押して貰うと、歩くのが楽になる。これはつまり、負傷しているポルナレフへの、ジョースターのフォローだった。
「あぁ?」
尤もそれは、ポルナレフ本人には伝わっていないようだったが。
「もう来るぞ!」
「いや・・・、それって何だよ!?何もねぇじゃ・・・」
ポルナレフはまだ若干膨れっ面をしていたが、目の前の海面がブクブクと泡立つのを見て、目を丸くした。
「うぅっ・・・・!?」
「えぇっ・・・・!?」
江里子も一瞬の内に何もかもを忘れて、それを凝視した。
海中から突如姿を現した、『それ』を。
「何だぁッ!?!?うおぉぉぉぉ〜〜〜ッッッ!!!潜水艦!?!?」
「えぇぇぇぇーーっ!?!?」
ポルナレフと江里子は、思わず大声で叫んだ。
そう、それは潜水艦だった。
プラモデルや玩具ではなく、本物の、巨大な潜水艦だったのだ。
「そうじゃ!!ここからはこれに乗って、エジプトを目指す!!」
「う、嘘だろ!?ここまで買う!?」
あまりのスケールの大きさに、ポルナレフは唖然としていた。
江里子に至っては、もはや言葉も出ない始末だった。
― た、確かにコレは、アラブの大金持ちでもないと買えないわ・・・・・・
呆然とする頭の片隅で、江里子はそんな事を考えていたのだった。
「紅海。ダイバー達は、口を揃えてこう言う。世界で最も美しい海、と。東と西の沿岸は、共に赤い砂漠なので、『RED SEA』と呼ばれるようになった。
海を汚す都市らしい都市はなく、また、注ぎ込む川もない。汚れなき海なのだ。」
穏やかな水面を見つめながら、ジョースターはしみじみとそう呟いた。
「今現在、真っ黒にしか見えねぇがな。良いからとっとと乗れ。」
「ぐっ・・・・!」
孫の承太郎に冷ややかな目で一瞥され、ジョースターはジト目で彼を睨んだ後、渋々艦内へと続く梯子を下りて行った。
続いて下りる間際、江里子は承太郎を見上げて笑いかけた。
「ふふふっ、ジョースターさんてかなりユニークな人ですね。」
「灯りひとつない夜の海で、旅行のガイドブックの受け売りしている奴は、確かに『かなりユニーク』だろうな。」
「違いますよ、そんな嫌味な意味じゃなくて。つくづく楽しい方だなと思って。純然たる好意ですよ。」
「フン。いいからお前もとっとと下りろ。そしてそのドロドロに汚れたツラを何とかしろ。かなり不気味だぜ。」
承太郎はそう言って、江里子の顔を指さした。
さっきのジャッジメント戦で、血と涙と泥に汚れたままの顔を。
しかも、顔だけではない。
手も服もポルナレフの血と泥に塗れていて、今現在、江里子が何故か一番酷い姿をしているのだ。
「う゛・・・・、わ、分かってますよ・・・・・。」
落ち着いたらすぐに手と顔を洗って着替えようと思いながら、江里子は梯子を下りていった。
潜水艦の中には、部屋らしきドアが3つ程あり、その内の1つが開いていた。
そこから声が聞こえてくるので、ひとまず江里子もその部屋に入った。
その部屋は、操縦室のようだった。
と言っても、飛行機のコックピットのような雰囲気ではない。
割とゆったりとした空間で、座って寛げるようなテーブルセットも置いてあった。
そして操舵席には、アヴドゥルが着いていた。
「おい、操縦出来るのかぁ?アヴドゥル。」
操舵輪を握っているアヴドゥルに、ポルナレフがへばりついていた。
「チッチッ。ノープロブレム。問題は無い。」
「へぇ〜。」
何だかんだであれからずっと、ポルナレフはアヴドゥルにくっついている。
再会出来たのが余程嬉しいのだろう。
何だか微笑ましくて、江里子は思わずニヤニヤとその姿を眺めていた。
「儂も出来るよ、儂も!」
「テメェは操縦するな!また沈没でもしたら敵わねぇ。」
椅子に腰を落ち着けた承太郎がすぐさまそう言い放つと、ジョースターはバツが悪そうに口をへの字に曲げた。
「フンッ!辛口じゃのう、うちの孫は。」
「潜水艦か・・・・。乗るのは初めてですが、意外と閉塞感の無いものですね。」
花京院の言う通り、閉塞感は意外な程に無かった。
床面積はそれ程広くないが、天井が高いせいだろうか。
「ああ。これは金持ちが道楽で海底探検を行ったりする用の船だからな。見ての通り、窓もある・・」
「おぉぉーッ!!イイねぇ〜〜ッッ!!」
「おおっとぉっ!」
ポルナレフは説明中のジョースターを押し退けるようにして、窓に張り付きに行った。江里子は呆れて溜息を吐いた。
「ポルナレフさんてば、子供じゃないんですから、そんな事でドタバタ走らないで下さいよ。」
「だって早く見たいじゃねーかよ、海底の景色!ほらほら、エリーも見てみろよぉ!」
「ええ?もう・・・・・」
ポルナレフに来い来いと手招きされ、江里子は仕方なく彼の隣に行った。
そして、丸い窓から外の世界を覗いてみた。
「うわ・・・・・・・!」
夜だからか、海中は暗かったが、艦内の灯りのお陰ですぐ目の前ぐらいは見えた。
そこに、美しい縞模様の魚の群れが泳いでいた。
「魚いますねぇ!模様が綺麗・・・・、熱帯魚ですかね?朝になって見たら、きっともっと綺麗でしょうね!」
「ああ、明るくなったらまた見てみなきゃなあ!」
最初はそんなつもりではなかったのだが、初めて見た海底の世界に好奇心が刺激され、江里子も少しはしゃいでしまっていた。
「いやぁ〜、良いよなぁこういうの!俺こういうの、チョイ憧れだったのよぉ!」
「ん?」
気が付くと、ポルナレフの腕が江里子の肩を抱き寄せていた。
「美しい海の中をさあ、こう、二人っきりでさあ・・・・」
「・・・・・・・」
更に気が付けば、何となく、ポルナレフの唇がだんだん頬に近付いてきている気もする。もしやこの男、皆の前で際どい冗談をかます気ではないだろうか。
キスなど挨拶代わりのようなこのプレイボーイならば、無いとは言い切れない。
身の危険を感じた江里子は、ヒョイと首を傾けた。
「・・・今度はカワイコちゃんと来れると良いですね。
何でしたっけ、金髪でセクシーでスレンダーなモデル体型の美女でしたっけ。」
「だっ・・・・・!」
ポルナレフがズッコケた拍子に、江里子は彼の腕からスルリと抜け出した。
「金髪でセクシーでスレンダーなモデル体型の美女ぉ?何じゃあそれは?」
「ポルナレフさんの好みのタイプの女性です。次は素敵な彼女と来て下さいね。」
「だっ、だから違うって言ったじゃねーかよ!!ありゃ売り言葉に買い言葉で・・・・!!」
操舵席で、アヴドゥルが小さく笑い声を上げた。
「相変わらずだな、ポルナレフ。我々は遊びに来た訳ではないぞ。」
「分かってるよ!」
ポルナレフは決まりの悪そうな顔をして窓辺を離れ、今度は計器をチェックしているジョースターの側へ行った。
「おわっ、何それ?」
「ソナーだ。音波の跳ね返りで、レーダーみたいに水中の物体を確かめる。」
「へぇ〜!」
江里子もチラリと覗いてみた。
確かにそれはレーダーのような簡素な画面で、素人ながら、今のところ艦の進行を妨げるものは何も無いと理解出来た。
「異常なし。接近してくるものはありません。」
操舵席の方でも、異常はないようだった。
計器の見方や操縦が簡単そうなのは、お遊び用の船だからだろうか。
「これなら四方八方360℃、どこから襲ってこようと探知できる。」
「おおっ!!」
「なるほど・・・・・!」
ジョースターの話に、ポルナレフと江里子はすっかり安心しかけた。
しかしその時、承太郎がボソリと呟いた。
「・・・だがもし、この中で襲われでもしたら、逃げ場はねぇな。ここは何しろ海底60メートルだ。」
それもまた、尤もな話だった。
この潜水艦は、外側から見ればさながら難攻不落の要塞だが、内部から見れば逃げ場のない密室。この艦に乗った事が吉と出るか凶と出るかは、エジプトに着いてみるまで分からない。
「・・・・・大丈夫ですよ、江里子さん。」
「花京院さん・・・・・」
つい不安が顔に出てしまったのだろうか。
花京院が安心させるように、江里子に優しく微笑みかけてきた。
「艦内の安全は、乗り込む前に入念にチェックしてあります。出入り口のハッチも、我々が乗り込んだ後すぐに閉めている。敵の侵入はありません。
そして今現在、敵の侵入がなければ、今後外から入って来られる確率は限りなくゼロに近い。きっと大丈夫ですよ。無事にエジプトに到着する筈です。」
「・・・・ええ。そうですよね。」
江里子が微笑んで頷き返すと、ジョースターも江里子に笑いかけた。
「なぁに、心配するなエリー。ほんの一晩の話だ。明日の明け方には、エジプトに着いておる。
さあ、着替えをしてきなさい。丁度落ち着いたところだし、夕食にしよう。
久しぶりの、6人揃っての食事だ。楽しもうじゃあないか。うん?」
今取っている行動が、先々どう転ぶのかは分からない。
明日の朝どころか、30分先の事も予測がつかない。
ただひとつ、確実なのは。
「はい・・・・・・!」
どんな時でも、彼等を信じている。
それだけだった。
着替えや傷の手当てを済ませた江里子達は、久しぶりの全員揃った夕食をゆっくりと楽しんだ。
食事は相変わらず缶詰やインスタントフードが中心だったが、さっきの小島に自生しているという甘いフルーツをアヴドゥルが持って来てくれていたので、今夜は豪勢にデザート付きだった。
江里子達はそのディナーで、アヴドゥルの快気・復活祝いを行った。
仲間の復帰はやはり相当に喜ばしくめでたい事で、宴は大層盛り上がった。
「いいか、よく見てろよ。」
どれ程めでたく、どれ程盛り上がったかというと、いつも仏頂面のあの承太郎が、とっておきのかくし芸を披露してやると立ち上がる程である。
「いくぜ。」
皆が固唾を飲んで見守る中、承太郎は口に咥えた5本の煙草に次々と火を点けていった。
そして、それらを一度燻らせて、まるでボヤのようなもうもうとした煙を盛大に吐き出すと、一瞬大きく口を開けて、何と5本の煙草を全部丸ごと、口の中に飲み込んでしまった。
「うおおおーーーッ!!凄ぇぜ承太郎ーーッ!」
「オーマイガーッ!」
「おお!凄いな!」
「熱くないのか、承太郎!?」
「うわっ!怖っ!信じらんない・・・・!」
これだけでも十分、いや十分すぎる程に凄いというのに、承太郎は閉じた口の端を平然と吊り上げてみせてから、更にグビグビとジュースを呷った。
『えぇっ!?!?』
皆がどよめく中、承太郎はもう一度大きく口を開いた。
すると、5本の煙草がまた元の通りに飛び出してきたではないか。
それも、火が点いたままの状態で。
「う・・・うおぉぉぉ!!!凄ぇぇぇぇ!!!!トレビアーン!!!!!」
いたく感動したらしいポルナレフが盛大な拍手を送ると、たちまち拍手喝采が巻き起こった。特にポルナレフは本当の本当に気に入ったらしく、少年のように無邪気に輝く瞳で承太郎にまとわり付いた。
「なぁなぁ承太郎ッ!俺にも教えて教えてッ!」
「いいぜ。まずは1本からな。」
「ちょっと二人共、危ない事しないで下さいよ。海の底で火事なんて冗談みたいな事、ご免ですからね。」
「へへっ、だーいじょうぶだってエリー!えーとまずは煙草に火を点けて・・・、んでからこう・・・、ぅあっちぃっ!!」
「もー!ほらー!」
大騒ぎしている内にあっという間に夜は更けていき、気が付くと、既に10時を回っていた。
「へぇ〜。さすが金持ちの道楽用の船だな。冷蔵庫にコーヒーメーカー、それに、最新の衛星電話まで揃っているぞ。」
改めて船室の中をチェックしていた花京院が、感嘆の声を上げた。
「ほえ〜〜っ!!何か飲み物くれ、花京院!喉がカラカラだぜ!」
「俺も貰おう!」
冷蔵庫と聞いて、ポルナレフとアヴドゥルが飲み物を欲しがった。
「ああ。コーラで良いかい?江里子さんは?飲みますか?」
江里子は、冷蔵庫を開けようとしていた花京院に歩み寄った。
「おっとストップ。こういうのは家政婦の仕事ですよ。ふふっ。」
「いや、そんな・・・・・」
「いいから、花京院さんはあっちで座ってて下さい。」
「・・・すみません。お願いします。」
花京院は申し訳なさそうな微笑みで江里子に頭を下げると、椅子に戻って行った。
単に冷蔵庫からコーラを出して、瓶の栓を抜いて出すというだけの仕事なのだが、久しぶりの本職らしい仕事に、江里子は張り切っていた。
この奇妙な冒険は何もかも無茶苦茶な旅で、すっかり勘が狂ってしまっていたが、何だか元の日常に戻ったようで、懐かしくて、嬉しかった。
そう思えるのは、間もなくエジプトに到着するからだろうか。
― 奥様・・・・・・・・
江里子は、日本にいるホリィを想った。
彼女の容態はどうだろうか。今、どうしているだろうか。
それは常に心の片隅にある心配だが、実際の状況を確かめる術は江里子には無かった。日本を含む各方面への連絡はジョースターが一手に担っていて、彼のタイミングで行われていたからだ。
彼はいちいち『今からどこへ連絡する』とは教えないし、また、逆に誰も訊かなかった。家族の承太郎ですら訊かない事を、どうして江里子が訊けるだろうか。
だから江里子は、彼女は必ず無事だと最後まで信じる事にしていた。
日本に帰ったその時に、この旅で得た事をひとつ残らず彼女に報告しようと決めて。
「おいジジイ。そんなとこに突っ立って、どうかしたのか?」
承太郎の声で、江里子は我に返った。
見ると、ジョースターが緊張感を帯びた表情で、衛星電話の前に立っていた。
「・・・皆、静かにしててくれ。これからある所に電話を掛ける。」
「電話?どこに?」
「こんな所からわざわざ掛けるなんて、余程大事な電話なのですか?」
ポルナレフと花京院が尋ねると、ジョースターは深刻な表情で頷いた。
「ああ。とても重要かつデリケートな電話だ。皆、静かにしていてくれ・・・・。」
誰からともなく固唾を呑んだ。今のジョースターには、それ程の緊張感があったのだ。
江里子達は、番号をプッシュして受話器を耳に当てるジョースターを、黙ってじっと見守っていた。
N.Y.03:00 PM。
喧騒の大都会の中、一際高くそびえ立つガラス張りの超高層マンションの最上階の一室に、老婦人の悩ましげな声が響き渡った。
「んん〜〜、迷っちゃう!どっちにしようかしらぁ?
こっちの輝くようなデザインはぁ〜、私好みだしぃ〜。
でも明日はチャリティの催しだからぁ、やっぱり爽やかに白が良いかしら?」
N.Y.の街並みを眼下に一望できる広々とした部屋の鏡の前で、老婦人は紫のドレスと白のドレスを交互に自らの身に当てていた。
後ろのテーブルの上に置いてあるチラシ、N.Y.市長スモーキー・ブラウン氏主催のチャリティコンサート、そこへ着ていく為のドレスを選ぶのに、彼女はもうかれこれ30分もこうしていた。
主催者のスモーキー・ブラウン氏は、貧しい生まれから苦学して政治学を修め、故郷・ジョージアで初の黒人市長となり、遂にはこのN.Y.の市長にまで上り詰めた人物で、老婦人の夫の古くからの親友でもある。
そのブラウン氏主催のイベントだからお洒落にも一層身が入る・・・、という訳ではなく、これは単に彼女の性格だった。
結婚記念日のディナーに行く為のドレスも、
日本へ嫁ぐ一人娘の婚礼の席で着る着物も、
自身の結婚式に着る為のウェディングドレスも、
果ては50年も昔、彼女が小間使いとして仕えていたある婦人の毎日のブラウスも。
「うぅ〜〜ん・・・・・・」
彼女は常に、こうして迷い続けてきた。
「どう思う、ローゼス?」
老婦人は、傍らに控えている執事に意見を求めた。
「どちらもお似合いです、奥様。」
執事のローゼスは、至極参考にならない答えを丁寧に返した。
電話が鳴ったのは、その時だった。
「あ、は〜い♪」
老婦人はドレスをあっさりと放り出すと、スリッパを軽やかに鳴らして電話を取りに行った。
「おおっ・・・・!」
執事のローゼスは、放っぽり出されたドレスを慌ててキャッチし、これでこのさっぱり答えの出ない難問からほんの一時でも解放されると安堵しかけたのだが。
「はい、もしもし?あ〜らジョセフ、あなたなの!」
「えっ・・・・!」
「ご無沙汰。ところで今どちら?何だか少し、電話が遠いわねぇ。」
― ジョ、ジョセフ様・・・・・・!?
電話に出た老婦人の上機嫌な声を聞いて、ギョッとした。
彼女が『ジョセフ』と呼ぶ人物、ジョセフ・ジョースターは、ローゼスが30年間忠義を尽くしてきた主人なのだが、今、彼から電話が掛かってくるのは、非常に都合が悪かったのだ。
何故なら、彼の妻であるこの老婦人、スージー・Q・ジョースターが在宅中だからである。
「う、うぅむ・・・・、旅先のホテルでな・・・・・。
すまんが、まだ当分仕事でそちらには戻れそうにない。」
『あらまあ!でも大変ねぇ!日本からそのまま他の国に出張だなんて!もうひと月近く経つじゃない。』
「う、うぅむ・・・・・、すまん・・・・・。」
潜水艦という特殊な空間にいるせいか、それとも衛星電話とはこういうものなのか、はたまた相手の声量の問題なのか、会話は面白い位に筒抜けだった。
あのジョースターがタジタジで話をしている電話の相手、その声を、江里子は知っていた。ジョースターの妻、ホリィの母親、そして承太郎の祖母である、スージー・Q・ジョースターである。
空条家に掛かってくる彼女からの電話を、江里子はこれまで何度も取り次いでいたし、ホリィから写真を見せて貰って顔形も知っている。実際に会った事はまだ一度もないが。
「ところで、スージー。お前、ホリィとは?」
『ええ。つい昨日も電話で話したわよ。何でも風邪をこじらせて、軽い肺炎に罹ったとか。あの子は大した事ないって言うけど、お見舞いに行こうかと・・・・』
「いや、その必要は無い。すぐに元気になるさ。心配性だなぁお前は。・・・・・」
ジョースターは、妻の気を変えようと言葉を尽くし始めた。
「・・・・・それは儂が確認しておこう。・・・・・いやいや心配は要らん、ああ・・・・・」
口調こそ落ち着いているが、内心はかなり必死そうである。
「なあ、あの電話ってまさか、ジョースターさんの嫁さん?」
ポルナレフが声を潜めて訊いた。
その質問に、彼女を知らない花京院以外が全員頷いた。
「重要な話ってコレかよ・・・・!」
ポルナレフは呆れたようにヒソヒソと呟いた。
彼はこの非常時にわざわざこんな所から嫁に定時連絡かと思ったようだったが、アヴドゥルは難しい顔をして微かに唸った。
「ああ。マダム・ジョースターはバイタリティ溢れるお方だからな。偶に牽制しておかねば、日本のホリィさんの元を訪ね、真相を知ってしまう恐れがある。」
「という事は、彼女は?」
花京院は何かを察したように、アヴドゥルに尋ねた。
「勿論、何も知らされていない。敢えて心配を掛ける必要もなかろう。」
言葉にしてしまえば実に短いが、ジョースターの苦悩は如何ばかりか。
「大丈夫、全く問題は無い・・・・。ああ、ああ・・・・・」
なかなか納得してくれない様子のスージー・Qを果敢に説得中のジョースターを、江里子達は再び口を閉じて見守った。
「うぅ〜ん・・・・・、そうねぇ・・・・・、そうね!分かった、日本行きはやめておくわ!」
老婦人改めスージー・Qは、リビングルームへと続く階段を下りながら、とうとう夫・ジョセフの説得に応じた。
彼に明日のチャリティコンサートの重要性を、正確には、そこへ彼の代理で自分が出席する事の重要性を、こんこんと説かれたのが決め手になったのだ。
しかしそれに当たって、彼女には、何が何でも解決しなければならない難問があった。
「・・・ところでジョセフ!丁度相談があるんだけど、今、白のドレスか紫のドレスか迷っててぇ♪」
『そ、そうかぁ・・・・・。スージー、ちょっと、ローゼスに代わってくれ。』
「えぇーーーッ!?」
しかし夫のジョセフは、妻の抱えるその問題の重要性にひとつも気付いてくれなかった。
スージー・Qが盛大に不満の声を上げると、横から執事のローゼスが何かを思い出したように話しかけてきた。
「奥様!そう言えば、あの青いドレスは如何です?確か、クローゼットの奥にあった筈・・・」
クローゼットの奥に青いドレス。
そういえば、あったような。
「う〜ん・・・・、そうね!じゃ、ちょっと見てくるわ♪」
スージー・Qは受話器をローゼスに渡すと、再び2Fへと上がっていった。
ローゼスはそれを注意深く見送り、彼女の姿が完全に見えなくなってから、すかさず受話器を耳に当て、小声で喋り始めた。
「・・・もしもし?私です、ジョセフ様。」
『スージーは?』
「中座なさいました。今なら話を聞かれる恐れはありません。」
『そうか・・・・。実は今、例の潜水艦の中から電話している。』
「は・・・・・!では無事に、アヴドゥル様と合流なさったのですね!」
ローゼスは、全ての事情を知っていた。
ジョースターはローゼスの事を、単なる一介の執事ではなく、かけがえのない自分の片腕として全幅の信頼を寄せていた。
そして、そうされている事を、ローゼス自身何よりの誇りに思い、ジョースターとその一家を自分の命よりも大切に想っていた。
『うむ・・・・・。して、ホリィの病状は?
スピードワゴン財団の医師達とは、連絡を取ってくれておるのか?』
「はぁ、それが・・・、ホリィお嬢様は、お電話では『少し風邪をこじらせただけ』と・・・。気丈に振舞われております・・・。ですが容態は日増しに悪化し・・・・・!」
ジョースターの最愛の娘は、ローゼスにとっても同じであった。
父親ぶる事こそ決してしないが、ジョースターがそうであるように、ローゼスもまた、ホリィを目の中に入れても痛くない程慈しんでいた。
そのホリィが日毎に弱っていくのを、ただ電話で聞く事しか出来ない現状に、ローゼスはもう耐えられなくなってきていた。彼女の母親であるスージー・Qを、あの天真爛漫で心優しい女性を、そ知らぬ顔して欺き続ける事にも。
「ジョセフ様・・・・!やはり奥様には本当の事をお伝えすべきでは・・・・!?」
とうとう堪え切れなくなり、ローゼスはジョースターにそう進言した。
『うぅむ・・・・・、・・・いや。その必要は無い。間もなく我々が全ての元凶を倒す。このまま普段の日常に戻れれば、それが一番良い。
スージーには決して、何も悟られるなよ。また連絡する。』
しかしジョースターは、それを良しとしなかった。
それならば、もうこれ以上、ローゼスにはどうしようもなかった。
一人で病床にいる娘を案じ、妻を欺いている事に、誰よりも一番ジョースターが苦しんでいる事を知っていたから。
「・・・・畏まりました。ご無事を祈っております・・・・・。」
だからローゼスにはせめて、主人と主人の仲間達の無事を祈る事しか出来なかった。
「あ〜らローゼス!!」
「うわっ・・・・!」
電話を切った瞬間、2Fからスージー・Qの声が飛んできた。
「もう切ってしまったの!?まだまだ話し足りないのにぃ!」
「奥様・・・・・!!」
スージー・Qがティーセットを乗せたトレイを持っているのに気付き、ローゼスは慌てて階段を駆け上がっていった。
「まあ良いわ、お茶にしましょう♪お前も飲むわよねぇ?ローゼス・・あら?」
「おおお奥様!!お座り下さい、お茶でしたら私めが・・・!」
「そ〜お?」
自分に出来る事が、もうひとつある。
この優しく無邪気な女主人を決して不安がらせないように、彼女が『普段の日常』の中にずっといられるように。
「ささ、奥様!そういえば、先日奥様がお気に召したクッキーも買ってございますよ!」
「あらホント!?」
「すぐにお持ち致しましょう!」
ローゼスはそう覚悟を決めて、敬愛する女主人に完璧な笑顔を見せた。
電話を切っても、まだその場にじっと立ち尽くしたままのジョースターの背中には、痛々しい程の重圧感が負ぶさっていた。
「・・・・お気持ちはお察しします、ジョースターさん。」
「けど、安心しな!俺達がついてるぜ!エジプトは目の前だぜ!」
「一刻も早くDIOを倒し、ホリィさんを助けましょう!私もその為に、こうして戻って来たのです!」
そんな彼に、花京院が、ポルナレフが、アヴドゥルが、次々と激励の言葉を掛けた。
「うむ・・・・・・、ありがとう、皆。」
振り返ったジョースターのエメラルドグリーンの瞳には、深い、深い、感謝が宿っていた。
「・・・ジョースターさん。コーラ、如何ですか?」
戦闘要員として直接的な役に立てない以上、花京院達のような事は言えないが、その他の、自分に出来る事なら何でも、何でもしたかった。
ホリィの為だけではなく、ジョセフ・ジョースター、彼の為に。
ジョセフ・ジョースターは、人としての器が人並み外れて大きい。
だからこそ魅力的であり、彼の為に自分の命を懸ける事になっても本望と思える。
いつかアヴドゥルが言っていたその言葉の意味が、今は良く分かる。
「・・・ああ、貰おうか。ありがとう、エリー。」
ジョースターは江里子の肩を優しく叩き、椅子に戻った。
江里子は彼の為にコーラを出して来ようと、再び冷蔵庫を開けた。
「おいアヴドゥル!ちょいと操縦代わってくれよ!ちょっと興味あるんだよ!」
ポルナレフがいつもの陽気なお喋りで、雰囲気をガラッと明るく変えた。
時々調子に乗り過ぎるところがたまに傷だが、彼のこういう所は本当に有り難かった。
「良いだろう。基本的には車の運転と同じだ。この操舵輪を握って、安定を保って・・・・」
「ッヘヘへ〜!意外と簡単だなぁ!これならアヴドゥルにも操縦できるわけだぜぇ♪」
早速操舵輪を握らせて貰ったポルナレフは、失礼な事を言いながらご機嫌で操舵を始めた。
「アヴドゥルさんに失礼ですよ、ポルナレフさん。」
江里子は苦笑しながら、栓を抜いたコーラをジョースターの元へ運んでいった。
その時、『ゴォーン・・・』という音と共に潜水艦が揺れた。
岩か何かに当たったのだろうか。
「だぁっ・・・・!」
「わぁっ・・・・・!っとぉ・・・・・・!
ポルナレフさん、気をつけて下さいよ。コーラが零れるじゃないですか。」
何とかコーラは無事だったが、言わんこっちゃない。
江里子は眉を顰めてポルナレフに抗議をした。
「ヘヘッ、悪い悪い!だがもうコツは掴んだ!ノープロブレムだぜ!」
「全く・・・・・。おい、調子に乗るな!海の中にも色々障害物はある!」
「分かってるって!ぃよぉ〜し!もうちょいスピードを上げ・・」
更にはアヴドゥルにも叱られたのだが、ポルナレフは全く懲りる事なく、更に調子に乗り始めた。その途端。
グワァーーン!!ゴゴン!!ガァァーーンン・・・・・!!!
「きゃあっ!!」
「うぉっとぉ!」
先程より一層凄い音と振動が襲ってきて、コーラがテーブルの上とジョースターの服に少し零れてしまった。
「すっ、すみませんジョースターさん!すぐに拭くものを・・・・!」
「いやいや、構わんよエリー。気にしないでくれ。」
「ポルナレフゥ〜〜〜!!!」
「もぉーっ、だから言ったでしょポルナレフさん!
操縦はアヴドゥルさんに代わって、あなたはさっさとタオル取って来て下さい!」
「今のは俺じゃねぇって!!」
この時、江里子達はまだ知らなかった。
何者かが、最新鋭の探知システムを搭載しているこの潜水艦の後をずっとつけて来ていた事を。
そしてたった今、それが艦内に侵入を果たした事を。
綺麗な野原にいた。
少し小高い丘になっていて、向こうに青く輝く海の見える野原に。
江里子は今、そこにいて、お弁当を広げていた。
ホリィと一緒に作った、重箱何段分もの、大量のお弁当だ。
「うむ、美味い!」
アヴドゥルが、美味しそうにおにぎりを頬張り始めた。
「本当ですか、良かった!」
「このフライドチキン、凄ぇ美味ぇなーッ!」
「それは唐揚げっていうんですよ。お気に召しましたか?ふふっ。」
「この出し巻き卵、絶品ですね!」
「ありがとうございます!」
「ワーオ!儂ベーコン巻き大好きぃ!」
「うふふっ!沢山食べて下さいね!」
「フン、まあまあだな。」
「ふふっ・・・・、素直じゃないんだから、全く。」
ポルナレフも、花京院も、ジョースターも、承太郎も、皆江里子の側で、美味しそうに弁当を食べていた。
誰かが足りないと思ったら、向こうからホリィとアンがやって来た。
そういえば、二人はジュースを買いに行っていたのだ。
「お帰りなさい、奥様!アン!」
「ただいまエリー!さ、私達も食べましょう!」
「早く食べようよーッ!あたい腹ペコよ!」
「そうね、ふふっ!」
ホリィやアンと共に、江里子もレジャーシートの上に腰を下ろした。
「エリー、おにぎり食べるでしょ?あたいが取ってあげる!」
「ありがとアン!」
「中身が色々あるのね。どれにする?」
アンに訊かれて、江里子は暫し考え込んだ。
「うーん、全部好きなんだけど・・・・・、どうしよう・・・・・・」
「早く決めなよ。早く食べないと、無くなっちゃうわよ。」
迷う江里子を、アンはユサユサと揺さぶって促した。
「うん、だけど迷っちゃって・・・・」
ユサユサと。
「じゃあ、エリーは何のおにぎりが一番好きなの?」
「一番好きなの?う〜ん、そうねぇ・・・・・・」
「早く決めなよエリー、エリーってばぁ!」
ユサユサ、ユサユサと。
「・・・・リー、エリー。」
「・・・・・・そうね・・・・・、やっぱりおにぎりは・・・・焼きたらこが・・・・・・」
答えた瞬間、目が開いた。
「・・・・・オニギリ??」
江里子の目の前には、アンではなく、大きな目をキョトンと丸く見開いたアヴドゥルがいた。
どうやら夢を見て、寝言を言ってしまったらしかった。
「っ・・・・・!」
「ブッ・・・・・、ックックック・・・・・」
江里子が我に返ると、アヴドゥルは可笑しそうに笑い始めた。
「わ、笑わないで下さいよ・・・・・!」
「いや、すまんすまん。しかし、楽しそうな夢で何よりだ。良かった良かった、ははは。」
「〜〜〜っ・・・・・!」
完全に子供扱いされている。
すっかり恥ずかしくなった江里子は、ぐうの音も出せずにモゾモゾとシュラフから出た。
「へぇ〜、焼きたらこか。良いですよね。僕も好きですよ。」
「フン、夢の中でもそんだけ食い意地張ってんなら、今日も張り切って冒険出来るな。」
横から聞こえた二人の男の声に、江里子はギクッと肩を強張らせた。
「かっ、花京院さん・・・・・!承太郎さんも・・・・・!き、聞いてたんですか今の・・・・・!?」
「ああ、僕も何だかおにぎりが食べたくなってきたな。そろそろ日本食が恋しいですよね。」
「確かに、いい加減、パンや色付きの米も飽きてきたな。炊きたての白い飯が食いてぇ。」
「それに、納豆と湯気の立つ味噌汁と、脂ののった焼き魚・・・なんてどうだい?」
「おいおい花京院、オメェ、何か大事なものを忘れてやしないか?・・・沢庵と出し巻き卵と味付け海苔をよ。」
「・・・・・・・・!やるな承太郎、今のは強烈に効いたよ。」
「テメェこそな、花京院。久々ボディにズシンときたぜ。」
日本食談義で互いの胃袋をいたずらに刺激し始めた承太郎と花京院の側では、ポルナレフがまだシュラフに埋もれてグースカといびきをかいていた。
一見、何でもありそうなこの潜水艦にも、流石に寝室というものはなかったので、昨夜はこの操縦室で、皆で雑魚寝をしていたのだ。
起こされたという事は、すなわち、いよいよ『時』が来たという事だった。
「・・・もうそんな時間になったんですね。」
「うむ。間もなく到着するぞ。そろそろ支度をしてくれ。」
「はい。」
身の引き締まる思いで、江里子は頷いた。
アヴドゥルも微かに微笑んで、それに頷き返した。
「ところで、ジョースターさんは?」
「トイレだ。」
「ポルナレフさんも起こしますか?」
「ああ、頼む。私は計器類をチェックせねばならんのでな。」
「分かりました。」
仕事のあるアヴドゥルに代わり、江里子はポルナレフを起こしにかかった。
「ポルナレフさん。起きて下さい。ポルナレフさん。」
「・・・・・・・・ん・・・・・・・・」
「ポルナレフさん・・・・・」
ユサユサと揺さぶっていると、シュラフからガバッと腕が出てきた。
「うわっ・・・・・・・!」
「うぅ〜ん・・・・・・」
「ちょっ・・・、きゃあっ・・・・!」
江里子はあっという間にポルナレフの胸に抱き込まれ、あまつさえ床に組み敷かれてしまった。
リラックスしきって力の抜けている彼の身体はズッシリと重く、江里子がどれ程もがいてもビクともしなかった。
「ちょっとっ!ポルナレフさん重いっ!こらーっ!」
「うぅ〜ん・・・、ウヘヘ・・・・、エリー・・・、ってあだだだだっ!!!」
突然、ポルナレフの身体がシュラフごと宙に浮いた。
『おはよう、ポルナレフ。』
悶絶しながら宙に浮いているポルナレフに、承太郎、花京院、アヴドゥル、そして、
トイレから戻ってきていたジョースターが、一斉に冷ややかな視線を向けた。
「ぐっ、ぐぇぇぇ・・・・・!く、苦し・・・・、お、おろ゛し゛て゛・・・・・!!」
どうやら彼等のスタンドが、ポルナレフを吊り上げて江里子から引っ剥がしたようだった。
「ふわぁぁぁ〜〜・・・・・!!ねみぃ・・・・・・。
まだ着かねぇのかよぉ・・・・・?」
すっかり身支度を済ませた後も、ポルナレフはまだ眠そうに目を擦っていた。
「もうすぐみたいですよ。今のうちに荷物を纏めて、下船の準備をしておいて下さい。ブラシとかヘアスプレーとか、洗面所の所に置きっぱなしにしてませんか?忘れ物しないように気をつけて下さいね。」
「わぁーってるよ・・・・。エリー何だか最近、シェリーに似てきたな。」
「え?私が妹さんに、ですか?」
「よくそうやってガミガミ言われてた。」
軽く肩を竦めるポルナレフは、いつもと何ら変わらない、陽気な彼だった。
敵のJ・ガイル、そしてカメオとの闘いを経て、彼はきっと、ようやく乗り越える事が出来たのだろう。妹の死を受け入れ、その悲しい記憶を、時の流れに委ねる事が。
「・・・・コーヒー淹れておきますから、早く準備してきて下さい。」
江里子はポルナレフに微笑みかけると、キャビネットを開けている花京院の所へ行った。キャビネットの中には丁度マグカップが人数分、6個揃っていた。
「1、2、3、4、5、6・・・・・。お、丁度カップが6つあるぞ。」
「良かった。じゃあ早速コーヒー淹れますね。花京院さんも座ってて下さい。」
「ああ・・・、すみません江里子さ・・」
「おいエリー!早くコーヒー淹れてくれ!飲みてぇよぉ〜!」
「自分で淹れろ自分で!江里子さんを召使い扱いするな!」
後ろで騒ぎ始めたポルナレフを叱り飛ばして、花京院は江里子に苦笑いしてみせた。
江里子もそれに苦笑で応えた。
「良いんですよ。後は私がやりますから、花京院さんも座って下さい。」
「・・・すみません。」
その時、ふと窓が目に入った。外はまだ真っ暗だった。
「まだ真っ暗ですねぇ・・・・・。本当に朝なんですかね?」
「ええ。時計は『04:50 AM』になっていますよ。そろそろ日が出てくる頃です。」
「へぇ〜・・・・。ここにいる限り、とてもそうは思えないですけどね。ふふっ。」
コーヒーの支度をしながらそんな事を話していると、望遠鏡で海上の様子を見ていたらしいアヴドゥルが口を開いた。
「いや、もう外は明るくなり始めているぞ。」
「本当ですか?」
「ああ。今日も良い天気になりそうだ。・・・うんッ・・・・!?」
「どうしたんですか、アヴドゥルさん?」
「おい!アフリカ大陸の海岸が見えたぞ!!到着するぞ!!」
その報告に、一行の士気が上がった。
「・・・・・・」
「っへへ・・・・」
皆、言葉はなかった。
ただ、間もなく来る『その時』を、逸る気持ちをじっと押さえて待っているように、江里子には見えた。
江里子もまた、何も言わなかった。
何も言わず、ただ心を込めて丁寧にコーヒーを淹れた。
一方、ジョースター達は早速、エジプト上陸にあたってのミーティングを始めようとしていた。
今回のミーティングの指揮は、アヴドゥルが取った。
エジプトは彼の故郷、一番土地勘があるのも当然ながら彼であるからだ。
アヴドゥルはまず、テーブルの上に広げた地図のある一点を指さした。
「ここのサンゴ礁の側に、自然の浸食で出来た海底トンネルがあって、内陸200mの所に出口がある。そこから上陸しよう。」
そこはエジプト南東部にある半島に程近い海だった。
「いよいよ、エジプトだな。」
「ああ、いよいよだな。」
「エジプトか・・・・」
「っ・・・・・」
「ああ!いよいよだ・・・・!」
ジョースターも、ポルナレフも、承太郎も、花京院も、アヴドゥルも、その表情に勇ましい緊張感を漲らせていた。
その時ふと、ポルナレフが笑った。
「・・・・フン。」
「どうした?」
「いや。改めて、嬉しくてよ。だって、久々だろ?こうして6人揃うのは。」
ポルナレフは、訊いたアヴドゥルだけではなく、全員を見回してそう言った。
勿論、江里子の事も。
戦力にならない『お荷物』だと公言しているのは他ならぬ自分自身だが、その『お荷物』を頭数にカウントしてくれる彼の気持ちが、江里子には堪らなく嬉しかった。
『・・・・・うむ・・・・・!』
引き締まった表情で頷く彼等の手元に、江里子は湯気の立つマグカップを運んでいった。そして、トレイを片付けてから、取り置いてあった自分の分を手に、皆の元へ行った。
「・・・・ん?」
「え?どうかしましたか?承太郎さん。」
不意に承太郎が怪訝な顔で、江里子の手の中のカップを見た。
「お前、今、それを淹れたのか?」
「え??」
「たった今、その1杯を別に淹れたのかと聞いているんだ。」
「い、いいえ・・・・。皆さんの分と一緒に淹れて、そこに置いておいただけですけど・・・・」
承太郎に訊かれている事の意味が分からず、江里子は首を傾げながらそう答えた。
「・・・おい花京院。カップを出したのは確かお前だったよな。」
「ああ。それがどうかしたか?」
「何故カップを7つ出す?6人だぞ。」
テーブルの上には、6個のカップが出ていた。
そして、江里子の手の中に1つ。
「え・・・・・?」
江里子は首を傾げた。
「おかしいなぁ。うっかりしてたよ。6個のつもりだったが・・・・」
花京院も首を捻った。
「うん・・・・・?」
ジョースターは何気なく、テーブルの上のカップのひとつに手を伸ばした。
その時。
「げぇぇッ・・・・!!」
ジョースターのカップが突然その形態を変え、大きなナイフのような刃物になった。
そしてそれは、あっという間にジョースターの左手首を切断した。
『なっ・・・・・!!』
「何ィィィーーーーッッッ!?」
更にジョースターの首に、金属製のパイプのようなものが突き刺さった。
全てが瞬き以下の、ほんの短い時間の中での出来事だった。
「うぅわぁぁぁーーーーッッッ!!」
手首と首から血を吹き出し、ジョースターは倒れた。
「ジジイ!!!」
「ジョースターさん!!!」
「キャーーッ!!ジョースターさんっ!!」
承太郎と花京院が血相を変え、江里子は思わず恐怖の悲鳴を上げた。
「ドギャーーーース!!!!」
何かがテーブルの上に落下し、カップがことごとく床に落ちて割れる音と共に耳障りな甲高い奇声が聞こえ、江里子は反射的にその声がした方を見た。
「なっ・・・・、何あれッ・・・・・!?」
それは醜怪な面相の、何とも形容し難い不気味な生物だった。
いや、きっと命ある生物ではない。似たような奇怪なものを見た事がある。
インドのベナレスでジョースターの腕に取り憑いた、エンプレスのスタンド。
あれに似た系統のものだった。
「バカなッ!!」
「スタンドだ!!いつの間にか艦の中にスタンドがいるぞ!!」
ポルナレフとアヴドゥルの言う通り、それはスタンドだった。
エンプレスがジョースターの腕に寄生したように、テーブルの上に何かのスタンドがへばりついていたのだ。
しかしそれは、エンプレスとは違っていた。
それは目にも止まらないような俊敏な動きで、テーブルの上から天井へと飛んで張り付いた。
「ぐっ・・・・・、オラァッ!!」
承太郎がスタープラチナで攻撃を仕掛けたようだったが、それはヒラリと向こうへ飛んだ。
「チッ・・・・・!」
攻撃をかわされ、承太郎は忌々しげに舌打ちした。
そして承太郎の攻撃をかわしたそれは、飛んでいった先でフッとかき消えた。
「き、消えた!?」
「いや違う!」
「化けたのだ!この計器の一つに化けたのだ!コーヒーカップに化けたのと同じように・・・・・!」
アヴドゥルの見立てに、一行は戦慄を覚えた。
この操縦室の内部に数十個も存在しようかという計器のひとつなんて、どう特定すれば良いというのか。
「マジかよ・・・・・!?もうサンゴ礁だ!あと数百mでエジプト上陸だっていうのによぉーーッ!」
計器を確認して、ポルナレフが叫んだ。
「ジョースターさん、しっかり・・・・!」
花京院はジョースターの元へ駆け寄り、何度か彼を揺さぶった。
しかしジョースターは気絶していて、返事をしなかった。
「ジョースターさん、しっかりして下さい・・・・!!」
「あ、て、手伝います・・・・!」
江里子は慌てて花京院を手伝いに走った。
花京院は、ジョースターの首に刺さっていたパイプを次々と引き抜いていった。
そのパイプに見覚えがあると思ったら、それはジョースターの義手の指だった。
さっきは一瞬すぎて見えなかったが、あの刃物のスタンドが斬って飛ばしたのだろうと思われた。
「気を失ってはいるが、傷は浅い!義手で良かった・・・・・!」
「あ・・・・・・・!」
軽傷だったのが不幸中の幸いだった。
切断されたのも義手ならば、首の傷も浅そうで、血もすぐに止まった。
少しだけ安堵しかけたその時、突然、衛星電話のベルが鳴った。
「で、電話ぁ!?こんな時に一体誰がぁッ!?」
「構うな、ポルナレフ!!気を散らすんじゃあないッッ!!」
花京院がポルナレフを諌めた瞬間、アヴドゥルが思い出したように叫んだ。
「【女教皇−ハイプリエステス−】だ・・・・!!
敵は、タロット2番目のカード、『女教皇』の暗示を持つスタンドだ・・・・・。」
「知っているのか?」
「聞いた事がある。スタンド使いの名は、ミドラーという奴・・・・。
かなり遠隔からでも操れるスタンドだから、本体は海上だろう・・・・・。」
「能力は!?」
「金属やガラスなどの鉱物なら、何にでも化けられる。
プラスティックやビニールは勿論だ。
触っても叩いても、攻撃してくるまで見分ける方法は無いという・・・・・。」
承太郎と花京院の質問のことごとくに、アヴドゥルは詳しく答えた。
江里子の目にも実体として見える程のパワーとかなりの射程距離を兼ね備え、金属・ガラス・ビニールなど、身の周りに溢れ返っている物質に完璧に化けられる能力を持つスタンド。
パワーと射程距離は基本的に反比例する筈なのに、まるで掟破りのようなスタンド。
少し考えただけで、背筋を悪寒が走った。
「し、しかし、何処からこの潜水艦に潜り込んで来たんだ!?」
ポルナレフは辺りをキョロキョロと見回した。
その瞬間、背後の丸い小窓のガラスが抜け落ち、室内に海水が入ってきた。
そして、非常時のサイレンが鳴り、赤いランプが物々しく点滅を始めた。
「あぁっ・・・・・!」
「くっ・・・・・、なるほどこういう事ぉ?単純ねェ・・・・!穴を開けて入って来たのねェ!」
怯える江里子を、ポルナレフが護るように抱き寄せた。
「浮上システムを壊していやがった!!どんどん沈んでいくぞ!!」
「いつの間にか酸素も殆ど無い!!航行不可能だ!!」
計器をチェックしたアヴドゥルと花京院が、焦りを露にした。
確かに二人の言う通り、この潜水艦はどんどん海底深くに向かって沈んでおり、酸素残量もみるみる減少していっていた。
只でさえそんな非常時だというのに、また電話のベルが鳴った。
「うぁもうーーーッ!!うるっせぇぞこんな時に!!どこのどいつだ!?い゛っ・・・・!」
苛立ちに任せて叫んだポルナレフは、承太郎がその電話を取りに行くのを見て、ギョッと目を見開いた。
「承太郎!!」
「おい!!迂闊に辺りに触るんじゃないッッ!!!」
承太郎は、ポルナレフやアヴドゥルが止めるのも聞かず、平然と電話を取った。
「承太郎さん・・・・・・!!」
もしもその電話が、あらゆる金属に化けられるというハイプリエステスの罠ならば。
「承太郎さん駄目っ・・・・・!」
「・・・・・・・」
江里子も止めたが、もう遅かった。
承太郎はその手でしっかりと受話器を握り、耳に押し当てていた。