星屑に導かれて 34




「何てこった・・・・・・、俺は何て事をしてしまったんだ・・・・・!」

誰よりも激しい後悔に苛まれていたのが、ポルナレフだった。


「花京院を俺は気絶させちまった・・・・・!」

一緒に闘うどころか欠片程も信じてやれず、一人で敵と闘おうとした花京院を背後から不意打ちしてしまった。
精神的に惰弱な奴だったのだと、心の何処かで見下しさえしてしまっていた。
どうすれば償えるのだろうか。どうすれば。


「はっ・・・・・・・!もう既に、この世界に来ている筈だッ!!」

ポルナレフはハッと息を呑み、コーヒーカップの手摺を飛び越えて走り出した。
気付いたのだ。
自分が気絶させてしまった花京院は、一足先にこの世界に来ているに違いない、と。


「捜さなくては!!どこだ花京院は!?奴に、謝らなくては・・・・!」
「うっ・・・・!」
「ポ、ポルナレフさん、その頭・・・・・!」
「ポルナレフ!!そのヘアースタイルどうした!?デッサンが狂ったか!?」

ポルナレフが辺りを見回していると、承太郎達が次々に驚いた顔になった。


「え!?」

ジョースターに指摘されて、ポルナレフは自分の頭上に目を向けた。
自分の髪型を確認する為には、普通、鏡が必要なのだが、どういう訳か今は無くても見えた。視界の隅に、自分の銀髪がチラリと見えたのだ。


「うん?・・・・おぉ〜〜ッッ!?」

ポルナレフの髪は、いつの間にか異常な程に伸びていた。


「うおぉぉぉ〜〜〜ッッッ!!」

それはどんどんどんどん高く伸びていき、やがてパーンと弾け飛び、少しずつ束になった髪が植物の蔓のように両脇の柱に絡みついた。


「おわぁぁーーーッッ!!」

絡みついた髪が縄のようになり、ポルナレフは後ろに引っ張られ、激しく尻もちをついた。


「ポルナレフ!!」
「ポルナレフさんっ!」
「なっ・・・・!ぐぅっ・・・・!」

助けに行く暇もなく、今度は承太郎の襟元の鎖が伸び、彼の首に巻き付いた。


「なっ・・・・、わ、儂の、儂の義手が・・・・!」

次はジョースターの番だった。
義手が突然ギシギシと軋み始め、膨らみ始め、やがて魔法でもかけられたかのように巨大化した。


「ホーリーシィィーーッット!!!う・・・・、うおわぁぁぁ!!」

巨大化した金属製の義手は重すぎて、ジョースターの腕では支えきれず、けたたましい金属音を立てて地面に落ちた。


「え・・・・・!?な、何・・・・・・・!?」

そして遂に、江里子にも敵の魔の手が伸びてきた。


「な、何なのこの感じ・・・・・、え、えぇっ・・・・・!?」

胸が急にジンと痺れて重くなった。初めて味わう感覚だった。
それに驚いていると、突然、胸の先端がムズムズし始めて、そして。


「き・・・・・、きゃあああーーーーッッッ!!!何これぇッッッ!?!?」

『ブシューッ!』とホースで勢い良く水を撒き散らすような音を立てて、江里子の胸から液体が迸り始めたのだ。
あっという間に下着や服をボトボトに濡らし、外に滲み出して足元に溜り始めたその液体は、何故か白い色をしていた。


「なぁっ!?!?!?」
「うっ・・・・・!?」
「オーマイガーーッッ!!!」

ポルナレフ、承太郎、そしてジョースターの赤くなった顔を見て、江里子はようやくその意味を理解した。
これはつまり。


「いやーーーーっっっ!!!み、見ないで見ないでーーーッッッ!!!」

江里子は激しくうろたえながら両腕で胸を覆い、水溜りならぬ乳溜りの上に蹲った。


「キャキャキャキャキャ!!!」
「キャキャキャキャキャ!!!」
「キャキャキャキャキャ!!!」

赤いポストが笑いながら、手紙を吐き散らしている。
道端の花も皆、笑っている。
なす術の無いジョースター達を、嘲笑っている。
正にここは悪夢の世界、敵の独壇場だった。


「どうやって闘えば良いんだ!?どうやって!?こ、ここは何でも有りだ・・・・、ルールとか、常識なんて無い・・・・!奴の思い通りに動かせる世界なんだ!」

ポルナレフはそう叫んでから、自分の発した言葉にハッとした。


「・・・いや、ひとつだけルールがあった・・・・・。」

誰一人として身動きの取れない中、近付いてくる影があった。


「俺達を、切り刻んで殺すのだけは・・・・・」
「っ・・・・・!」

承太郎もそれに気付いた。


「奴のスタンドが・・・・・・・」
「くぅっ・・・・!」

ジョースターも。


「直接やるって事だ!!」
「はっ・・・・・・!」

そして、江里子にも感じられたその時には。


「ラ・リ・ホォォ〜〜ゥッッ!!」

大鎌を肩に担いだデスサーティーンは、もうすぐそこにまで迫っていた。


















「ラ・リ・ホォォ〜〜ゥッッ!!」

デスサーティーンは大鎌を振り上げ、ジョースター達に向かって襲い掛かってきた。
承太郎がそれにいち早く反応し、スタンドを発動させようとした。


「オォォッ!!!スター・・」
「無駄だ承太郎!!夢の中に、俺達のスタンドは持ち込めないんだぁッッ!!」
「プラチナ!!」

ポルナレフが止めたのと、スタープラチナが発動したのは、ほぼ同時だった。


「お、おかしい・・・・・、スタンドが出た・・・・!」
「えぇっ・・・・!?な、何で・・・・!?」

ポルナレフと江里子は、出現したスタープラチナを見て唖然となった。
前に花京院と3人でいた時にはスタンドは出せなかったのに、何故今は出ているのか。
更には、普通の人間である江里子の目にスタープラチナの姿が見える事自体不思議なのだが、すっかり気が動転してしまっている今の江里子は、それに気付かなかった。


「・・・・・・・」

現れたスタープラチナは、本体の承太郎をチラリと一瞥した。
そして。


「オラオラオラオラオラオラオラオラ!!!オラァッ!!!」

何故か承太郎に向かって攻撃を繰り出した。


「うげぇっ!!」

咄嗟にクロスさせた両腕でガードはしたものの、スタープラチナのパンチラッシュを喰らって、承太郎は後ろに吹っ飛んだ。


「ハハハッ、ハハハハッ!!」

更にスタープラチナは、楽しげに声を出して笑った。
手の中にボンとフライパンが現れて、スタープラチナはそれで自分の顔を殴った。


「オロ?」

パッコォォ〜〜ン!!と小気味良い音を立てて打たれたスタープラチナの顔は、フライ返しでギュウギュウに押さえ付けたパンケーキみたいに、まん丸でまっ平らになった。呆気に取られていると、スタープラチナはもう一撃、顔面にフライパンを叩きつけた。


「オロ!?」

更にもう一撃。


「オロ!?」

更に更にもう一撃。


「オロ!?」
またまたもう一撃。


「オロ!?」

打てば打つだけ、スタープラチナの顔は面白おかしく変わっていく。
まるで子供向けのギャグコミックのように。


「オロ!?オロ!?オロ!?ハハハッ、ハハハハッ!!」

スタープラチナの頭がクルクルと回転し、デスサーティーンの首にすげ変わった。


「ラリホ〜ッ!俺はニセモノだよ〜ん!」

一際大きな爆発音がし、まるでマジックショーのような大袈裟な煙がモクモクと沸いた。そしてそれが晴れると、何だか形態の変わったスタープラチナの後ろに、本物のデスサーティーンがいた。
よく見るとそれは、スタープラチナとシルバーチャリオッツとデスサーティーンが半身・半分ずつ組み合わさった、不気味な合体スタンドだった。


「この圧倒的な強さ!この絶対的な恐怖!楽しいねぇ〜!!」

デスサーティーンは、ジョースター達を指差して勝ち誇った。


「スタンドとは精神のエネルギーだ。そして夢とは無防備状態の精神。
その無防備の精神をデスサーティーンは包み込んでしまっているから、スタンドは出せなくなっているのだ。尤も・・・」

デスサーティーンは、大鎌で合体スタンドの首をスッと刎ねた。
鎌の上に乗った血塗れの首はまた煙に包まれ、いつの間にかシルバーチャリオッツの首に変わっていた。


「眠る前にスタンドを出して眠りに入れば・・・・」

デスサーティーンの指先でピンと弾かれ、チャリオッツの首はゴトンと音を立てて地面に転がり落ちた。


「着ている衣服や寝袋や義手などと同じように、夢の中に持ち込めたがね。
このデスサーティーンが他のスタンドに出遭う事は、決して無い。
そしてスタンドはスタンドでしか倒せない。だから必ず勝つのは俺という訳さ。フフフフ・・・・・・。
さて。それでは最後に、余裕ある勝利と、ハッピーで爽やかな気分を象徴した叫びを発させて貰おうかなぁ〜!」

デスサーティーンは、完全に勝利を確信している様子だった。
その背中に、音もなく緑色の触手が現れた。
江里子にはそれが何なのか分からなかったが、ジョースター達は皆、何かに気付いたようにハッとした。


「ラリ・・お?」
「ラリホー。」

デスサーティーンの肩を掴み、肩越しにニュッと顔を出したのは、ハイエロファントグリーンだった。


「何だ、俺の作った偽物か。」

デスサーティーンはハイエロファントの額に、引っ込めとばかりのデコピンをかました。しかしそのハイエロファントは、消えるどころかデスサーティーンの首を両手で絞めた。


「ひぅぅっ・・・・、な・・・、バカな・・・・!?コイツは偽物じゃあねぇ・・・・!本物のハイエロファント・・・・・!う、うぅぅ、う・・・・・!」

ボン!ボン!ボン!ボン!
江里子達はまた次々と煙に包まれ、その煙が晴れた時には皆元に戻っていた。
まるで、悪い魔法が解けたかのように。


「おおっ!戻った!」
「・・・・・・・」
「よ、良かった・・・・!」

ジョースターの義手も、承太郎の鎖も、元のサイズに戻っていた。
勿論江里子の胸も、衣服に染みひとつ残っておらず、足元の乳溜りも一滴残らず消えていた。


「ああっ!花京院だッ!花京院はあそこだ!」

ポルナレフが指差した先に、花京院がいた。
余裕の微笑みを浮かべて、コーヒーカップに乗っている花京院が。


「僕がさっき気を失った時、ハイエロファントを出していたのを忘れたのかい?」

ハイエロファントに絞められているデスサーティーンの首が、ベシベシと嫌な音を立て始めた。


「ハイエロファントを地面に潜り込ませ、隠したのさ。眠りに入る前にね。」
「うぅっ、くぅっ・・・・!たすけて・・・・!」
「・・・さあ、お仕置きの時間だよ、ベイビー。」

僅かに細めた花京院の目が、一瞬、酷く艶めかしく、そしてサディスティックに見えて、江里子は思わず身震いした。



















「・・・ゲ、エヘッ・・・・」

マニッシュボーイは匙を取り落とし、首を押さえて苦しみ始めた。
デスサーティーンのピンチは、即ち、彼にとってのピンチだった。
何故ならスタンドと本体は二つで一つの命、どちらかが死ねば、もう片方も死ぬのだから。


「ッグ・・・・、放せ・・・・、うっ・・・・・!」

デスサーティーンは、苦し紛れに大鎌をブンブンと振り回した。
しかしその刃の切っ先さえも、デスサーティーンの背中にしがみついているハイエロファントには届かなかった。


「やめろ、デスサーティーン!完全にお前の背中の死角に入っている!それ以上無駄な抵抗をすると・・・」

花京院は身軽な仕草でコーヒーカップから飛び降りた。


「幾らお前が赤ん坊でも、本当に首をへし折るぞ。」
「花京院!!」

ジョースターを先頭に、一同は彼の元へ駆け寄った。
花京院はそれを、いつもの通りの理知的な微笑みで迎えた。
恨みも憎しみも、その顔には欠片も見当たらなかった。
それがまた、一同の罪悪感をより一層掻き立てた。


「花京院、儂らは君に謝らなくっちゃあならない!」
「俺はお前の事を、精神的に弱い奴と疑ってしまった・・・・・。信じてやれなかった・・・・。迫った危機に、孤独に闘っていたんだな・・・・・。済まない・・・・・。」

ジョースターやポルナレフの詫びの言葉を聞くと、花京院は小さく笑って首を振った。


「いやポルナレフ、無理もないこと。この夢の中にスタンドを持ち込む方法を思い付いたのは、君から当て身を喰らった瞬間に閃いた事だった。だから君のお陰でもあるんだ。」
「そ、そぉかぁ〜!?な、なんか複雑な気持ちだなぁ〜、面目なぁい・・・・!」

ポルナレフは頭を掻き掻き、照れ笑いをした。



「・・・エヘ、エヘヘヘ・・・・ニヘヘヘヘ・・・・」

背後でポルナレフのアホな笑い声が聞こえるが、振り返ったり野次を飛ばしたりする余裕は、今のマニッシュボーイには無かった。


― ・・・・お、俺が赤ん坊だから、手加減しているな・・・・・


息が詰まる苦しさに翻弄されながらも、しかし、僅かばかりの余力はあった。
完全に窒息するには至らない程度に、花京院が手加減をしているのだ。
マニッシュボーイは目だけを横に動かして、花京院の方を見た。
間に江里子が横たわっているので、花京院の顔を確認する事は出来なかったが、花京院は身じろぎひとつしていなかった。まだぐっすりと眠っている最中なのだ。


― クッ、ケッヘヘヘ・・・・・、花京院、その性格の甘さが命取り・・・・!お前らはまだ、俺のナイトメア・ワールドにいるんだぜぇ・・・・・!!


マニッシュボーイは花京院に与えられたその余力を振り絞り、次の一手を打った。



その瞬間、ナイトメア・ワールドでは、空が真っ黒になり、雲が異常に速く流れ始めた。


「うっ・・・!」
「っ・・・・!」
「おい!なんだ、雲が・・・・!」
「雲が・・・・、奇妙な動きで近付いてくる!!」

花京院も、承太郎も、ポルナレフも、そしてジョースターも、一斉に警戒した面持ちに変わった。


「妙な事をするんじゃあないぞ!!デスサーティーン!!」

花京院が警告を発した瞬間、デスサーティーンの頭上で雲がドーナツ状になり、更に上空へ吸い込まれていってから大きく爆発した。


「花京院!!ハイエロファントを、奴の背中から離れさせろ!!」

承太郎が鋭い声で叫んだ。
だが、少し遅かった。
雲は巨大な腕に変わり、その手がデスサーティーンの大鎌を掴み取った。


「何ッ!?」
「ぶった切れろぉぉーーッッ!!!」

巨大な雲の手は、デスサーティーンごとハイエロファントの胴体を真っ二つに切断した。


「ば、バカな・・・・!自分の胴体ごと・・・・、せ、切断、するなんて・・・・」

ハイエロファントが、デスサーティーンの背中からゆっくりと離れていく。
花京院も、ゆっくりと倒れていく。


『花京院ーーッッ!!!』
「いやーーーっっっ!!花京院さんーーーッッ!!!」
「ラリホーーーゥッ!!!」

デスサーティーンは、己の黒衣をガバッと開いて見せた。


「気付かなかったか!デスサーティーンの胴体は、実は空洞だったんだよ〜!!」

デスサーティーンの手の中に、大鎌がクルクルと回転しながら戻ってきた。
その言葉の通り、黒衣の中にデスサーティーンのボディは存在しなかった。



「キャキャキャキャ!!」

息苦しさから解放されたのと、鮮やかな一発逆転を決めてみせた爽快感で、マニッシュボーイは甲高い声を上げて笑い転げていた。


― デスサーティーンは、頭と腕と、あとは大鎌というデザインなのさ!!大バカ野郎めッ!!


「エェウゥ〜・・・・・」

マニッシュボーイは改めて花京院の方へ顔を向けた。
花京院は江里子の向こうで、更に向こうを向いて横たわっていた。


― どれ、花京院の胴体も、シュラフの中で輪切り真っ二つになってるかなぁ?


ハイエロファントを倒した今、花京院の側へハイハイしていってその死体を確認するなど、赤子の手を捻るより簡単だ。
マニッシュボーイは余裕の笑みを浮かべて、一歩を這い出そうとした。
その時。




「・・・・・なぁ〜んてね。」

花京院が立ち上がった。


『花京院!!!』
「花京院さん!!!」

胴体が真っ二つどころか、掠り傷ひとつ負った様子もなく、花京院は軽々と立ち上がり、服の埃を払った。


「だ、大丈夫なのか!?」
「フフッ、よく見て下さい。いつまでも背中に張り付いている程、僕のハイエロファントは呑気してませんよ。」

それでも心配するジョースターに、花京院は意味深な笑みで応えた。
その時ようやく、デスサーティーンは気付いた。
いつの間にか何かが、自分の耳の中に入り込んでいる事に。


「ハッ・・・・・」

突然、デスサーティーンの黒衣が毟り取られた。
それをしたのはハイエロファントの手、デスサーティーンの背中から離れた筈のハイエロファントが、まだ地に落ちずにぶら下がっていたのだ。
腰の先を紐状に細くして、デスサーティーンの耳へと入り込みながら。


「うお・・・・!うぅおぉぉ・・・・・!!」


― 切断されていない・・・!胴体を紐状にして、耳から俺の体内へ・・・・!!


異物が体内に侵入してくる感覚というのは、耐え難い程気持ち悪かった。
昔、まだ首も据わらないヒヨッコだった頃、大便の出が悪いと時々母親に肛門に油を塗った綿棒を突っ込まれたが、あれよりもまだ一層気持ち悪かった。


「うぅ・・・・・!うぅぅぅ・・・・・・!!」

ハイエロファントは、デスサーティーンの中にどんどん入り込んでいった。
デスサーティーンは大鎌を一閃させたが、もはや掠りもしなかった。
ハイエロファントは更に両腕も紐状に変え、反対側の耳からも入り始めた。
ハイエロファントの身体がまるで毛糸玉のようにスルスルと解けて、どんどんデスサーティーンの体内へと入り込んでいく様は、何とも言い様のないグロテスクな光景だった。


「う、うううぅぅ・・・!!うぅぅ・・・・!か、勝手に腕がぁ・・・・・!!」

やがて、大鎌を持つデスサーティーンの腕がぎこちなく動き始めた。
それが自分の意思でない事は、明らかだった。


「う、うぇぇぇっ・・・・!!」

自分の意思ならば、大鎌の刃がデスサーティーン自身の首を狙う事など、ある筈がない。


「ふ、ふわぁぁぁ・・・・!!は、入ってぇぇ、いくぅぅぅ・・・・!!!」

遂にハイエロファントの全てが、デスサーティーンの中に入り込んだ。
そして、デスサーティーンの口の中から、ハイエロファントが顔を出した。


「だから言ったろ!死角に入っているから、大鎌では斬れんとな!
さ、内部から破裂させられたくなかったら、この腕の傷を今、治して貰おうか。
夢の中は何でもありだから、傷ぐらい治せるだろう?
ああそれから、彼女の風邪も治してくれ。これも当然出来るよなあ?」
「は・・・・・、はい・・・・・・!」

デスサーティーンが、無条件降伏した瞬間だった。








「・・・・・・これで、風邪が治った・・・んですかね?」
「恐らく。僕の腕の傷もほら、この通り、完全に消えましたから。」

半信半疑の江里子に、花京院は微笑んで左腕を捲って見せた。
その腕に刻まれていた『BABY STAND』の文字は、今はもう跡形も無く消えてしまっていた。


「でも、そういえば私、この世界にいる間は辛くなかったんですけど・・・・・」
「何でも有りの夢の世界です。深く考えるだけ無駄ですよきっと。」
「そう・・・ですね。そうですよね。」

江里子は小さく笑ったが、すぐに表情を引き締めると、花京院に向かって深々と頭を下げた。


「え、江里子さん・・・・!?」
「すみませんでした花京院さん!私も花京院さんの事、信じきれなくて・・・・!」
「・・・頭を上げて下さい、江里子さん。」

江里子の頭の上に、花京院の優しい声が静かに降ってきた。


「この件はもうすぐ、何もかも無かった事になります。
デスサーティーンの世界は、目覚めれば、全てを忘れてしまうから。」
「でも・・・・・・・」
「貴女は何も悪くありませんよ。その不必要な罪悪感は、この世界の記憶ごと、綺麗さっぱり忘れてしまって下さい。」
「・・・・花京院さん・・・・・・」

向こうからジェットコースターの轟音と共に、『キャッホー!』という大きな歓声が聞こえてきた。


「イエーーーイッ!!!エリーッッ!!花京院ーーーッッ!!」

ジェットコースターの先頭に乗ったポルナレフが、弾けるような笑顔で花京院と江里子に手を振りながら、凄まじい速さで駆け抜けていった。
彼に笑って手を振り返してから、二人は顔を見合わせて苦笑した。


「何だかすっかり楽しんじゃってますね、ポルナレフさんてば。」
「承太郎とジョースターさんもですよ。ほら。」

花京院が指差した方に目を向けると、承太郎とジョースターがゴーカートで激しいデッドヒートを繰り広げていた。江里子は思わず呆れて溜息を吐いた。


「やれやれ・・・・・。皆子供みたいにはしゃいじゃって。」
「フフッ、まあ良いじゃありませんか。目覚めるまでのほんの束の間の、フリータイムなんですから。」

それは一同(主にポルナレフだが)が、無条件降伏したデスサーティーンに突き付けた要求だった。
何もなければここは嬉しい楽しい遊園地、しかも何でも有りのウルトラミラクルワンダーランドなのだ。せめて夢の中でもめいっぱい遊ばなければ勿体無い、と言って。
空を自在に舞うジェットコースター、F1カー並みのスピードが出るのに決して事故らないゴーカート、本物の大粒の宝石を掴み取れるクレーンゲーム等々、一同は思い付くままあらゆる要望を出した。
それら全てを、デスサーティーンは叶えた。
叶えて、今はすっかり遊園地の係員と化している。
無条件降伏した今、彼はうって変わってすっかり低姿勢になっていた。
かなり特殊な能力を持つスタンドだが、本体が赤ん坊だからか、それともそういう特性なのか、体力や攻撃力は低いらしく、ハイエロファントグリーンには敵わないようだった。


「実は僕、夢だったんです。」
「え?」
「こんな風に、仲間と遊園地に来て思いっきり遊ぶのが。これを実現出来たと言えるのかどうかは分かりませんが、それでも今、密かに嬉しいんです。」

気恥ずかしそうに笑う花京院の気持ちは、江里子にはよく理解出来た。


「・・・分かります。実は私も憧れていました。だから、夢の中だって分かっていても、やっぱり嬉しいです。」
「やっぱり僕ら、似てますね。」
「はい。」

江里子がはにかむと、花京院はフッと目を細めた。


「この旅が終わったら、必ず実現させましょう。今度は正真正銘、現実の世界の遊園地で。」
「・・・是非!」

江里子は花京院の手を取り、走り出した。


「私達も行きましょう!折角なんだし、何か乗らなきゃ勿体無いですよ!いつ消えちゃうか分からないんですから!」

自然に目覚めるまでのほんの束の間、いつ消えてしまうか分からない夢の一時。
瞬きした拍子に消えてしまうかも知れないから、今この瞬間を少しでも楽しみたかった。


「花京院さん、早く早く・・・」

しかし花京院は、不意にその場で立ち止まった。


「花京院さん?」
「・・・・・いつ消えてしまうか分かりませんから、今、言わせて下さい・・・・」
「え・・・・・・?あ・・・・・・・・!」

突然、花京院の腕が江里子を引き寄せ、抱きしめた。
そして彼の唇が、江里子の唇にそっと重ねられた。


「・・・・・・・・」

驚きはしたが、嫌ではなかった。
躊躇いながらも拒む事は出来ず、江里子は花京院の腕の中で、彼の口付けをじっと受け止めていた。


「・・・・・・貴女を愛している。」

やがてゆっくりと唇を離すと、花京院は江里子にそう告げた。
泣きたくなる程、まっすぐな眼差しをして。


「花、京院、さん・・・・・・・」

ジンと熱くなった目が瞬いたその刹那。


「・・花京院さん・・・・・?」

花京院は、江里子の目の前から消えていた。


「・・・・やだ・・・・・・・」

最初から分かっていた事だった。
ここは儚い夢の世界、何かの拍子に一瞬にして弾けて消える。
でも、花京院は消えて無くなった訳ではない。
目覚めればそこに彼はいる、いつも通りの元気な姿で。


「・・・・・・やだ・・・・・・・・!」

けれど、この世界は消えて無くなる。
ここで彼と交わした会話も、口付けも、全てシャボン玉が割れるように儚く消えてしまう。
先に目覚めた花京院はきっと、もう既に忘れているだろう。
遊園地の約束も、愛していると言ってくれた事も。


― 何で・・・・・・・・・!?何でこんなに苦しいの・・・・・・・・!?


江里子はその場にしゃがみ込み、花京院を想って泣いた。
























不毛の砂漠に、また新しい一日が訪れた。
空が白々と明るくなっていく頃、朝食が出来上がった。
スクランブルエッグとウインナー、それにバターたっぷりのパンケーキとコーヒー。
砂漠のキャンプにしてはまずまず上等なラインナップだと、花京院は自画自賛した。
さて、朝食の準備が整ったら、あとは食べるだけだ。


「さあ皆!起きて起きて!!」

花京院はフライパンとフライ返しをカンカンと打ち鳴らし、皆を起こした。


「あ、あぁ・・・・・・」
「う、うぅぅ・・・・ん・・・・・・!」

そのけたたましい音に、皆小さな唸り声を上げながら、モゾモゾと動き始めた。


「ポルナレフ、起きろ!朝食の用意ができたぞ。」

フライパンの音ぐらいではまだ動きそうにないポルナレフの事は直接揺すって起こし、花京院は再び焚火の方へ向かった。


「うぅ・・・・・・・・・」
「ああ・・・・・・・・・」

ベビーフードを作っている花京院の側を、皆がゾンビのような足取りで通り過ぎてオアシスへ向かっていく。
寝覚めの悪そうな彼等をチラリと一瞥して、花京院は微かに笑った。


「・・・・おはようございます・・・・・」

江里子の声がして、花京院は顔を上げた。
江里子の表情は、他の皆とは少し違っていた。
体力的に疲れているというよりは、気持ちが動揺した時のような顔をしていた。
例えばそう、何か泣きたい事があった時のような。


「おはようございます、江里子さん。顔を洗ってきて下さい。食事が出来ていますよ。」

花京院は何も訊かず、笑ってそう言った。




「・・・・フゥ〜ッ・・・・!なんか酷い夢を見たような気がするが・・・・」
「儂もじゃ。忘れてしまったが、凄く恐ろしい目に遭ったような気がする。」
「うん・・・・・・」

ポルナレフとジョースターと承太郎は、3人並んで冴えない顔をタオルで拭いていた。オアシスの冷たい水で洗っても、デスサーティーンの悪夢の余韻は、すぐにはスッキリ洗い流せないようだった。


「ハッ・・・・・!花京院!」

かと思うと、突然ポルナレフが大声を上げ、赤ん坊の食事の用意をしている花京院の所へ足早にやって来た。


「お、お前、大丈夫か!?」
「何が?」
「な、何がって・・・・!お前、昨晩は凄く錯乱していた!自分の腕に傷で、文字、を・・・・・」

ポルナレフは花京院の左腕に目を向けて、言葉尻を濁した。
袖を捲っている花京院の左腕には、小さな掠り傷ひとつ付いていなかった。


「あ、あれ??傷が無い・・・・・」
「さ、赤ちゃんのおしめを取り替えてあげよう。」

花京院は器によそったベビーフードを手に、赤ん坊の所へ行った。


「あれぇ???」
「ほら、朝だぞ。」
「赤ん坊とも仲が良いみたいだし、俺、夢でも見てたのかなぁ??」
「ッフフ、どうだ、よく眠れたか?」

赤ん坊を抱き上げて話しかけている花京院を見て、ポルナレフは狐に摘まれたような顔をしていたが。


「・・・・ま、いっかぁ!」

やがて自己完結して終わった。
ポルナレフが今後、この件を蒸し返すような事は無いだろうと思われた。
考えても分からない事を、しかも終わった事を、いつまでも考え込むような性格ではないからだ。
しかし花京院にとっては、この件はまだ未完結だった。
大事な大事な、最後の仕上げが残っているのだ。



「うん・・・・・・」

赤ん坊のおしめを広げて、花京院は少しだけ顔を逸らして微笑んだ。
そこにはまた、見事な一本糞がなされてあった。


「ア・・・・、アェ・・・・・、アェェェ・・・・・」

赤ん坊は怯えた顔をして、されるがまま、仰向けに寝転がっていた。
花京院はおしめを取り替える体を装って、彼にしか聞こえない程度の小声で話し掛けた。


「・・・・皆忘れている。いたという事さえ覚えていないスタンド、変わったスタンドだ。
だが僕は覚えているぞ。夢の中にスタンドを持ち込んだのは、僕だけのようだな。
いいか?お前は赤ん坊だから、再起不能にしたり、傷めつけたりしない。
近くの町まで連れて行ってやろう。母親の所へ帰るんだな。
しかし、二度と我々の側に近付くな。近付いたら罰を与えるぞ。」

花京院はおもむろにスプーンを取り出し、赤ん坊に見せつけた。
そしてそれで、おしめの上のウンチを掬った。


「・・・こんな風な罰をな。」
「えぇっ・・・・・!?」

『お、俺のウンチ・・・・・』と呟いていそうな赤ん坊の表情を堪能してから、花京院はソレをベビーフードの器に投入した。


「えっ!?」

更にそれを、スプーンでしっかりと混ぜた。


「え、えぇっ・・・・!?」

赤ん坊が懲罰の内容を理解したと同時に、絶妙なタイミングで洗面を終えたジョースターがやって来た。


「おおーっ、花京院!ベビーフードまで作ってくれとったのかぁ!」
「ええ。」

あまりの動揺に、赤ん坊が小さく声を詰まらせたが、ジョースターには気付かれていないようだった。


「どれ。さすがにもう腹空いとるだろう。」

赤ん坊は、顔を青ざめさせた。
『おい・・・・・!まさか、そんな事・・・・・!!』と言わんばかりの顔だった。
花京院は笑い出しそうになるのを何とか堪えて赤ん坊に新しいおしめを着けてやると、硬直する赤ん坊をジョースターに手渡した。


「さぁ〜!おいちいでちゅよぉ〜!!」

程なくして、赤ちゃん言葉を喋るジョースターの大声が辺りに轟いた。


「あぁぁ〜ん☆☆☆」
「ウゥゥッ!ウゥゥッ!!ウゥゥッ!!!」
「あぁぁ〜ん☆☆☆」

昨夜と同じようにジョースターの腕に抱かれた赤ん坊は、昨夜よりも一層必死な抵抗を見せた。これでもかと固く口を噤み、顔を背けて、何が何でも食うものか、断固絶対食うものかと言わんばかりに。


「おやぁ?またかぁ。何が気に入らんのかのう?」
「ウゥゥッ!ウゥゥッ!!ウゥゥッ!!!」
「こうなったら、無理矢理食べさせるか。」

ジョースターは赤ん坊の口元にスプーンを押し付け始めた。
赤ん坊は息も絶え絶え、涙目で、『やめろぉぉーーーッッッ!!!』という絶叫が聞こえてきそうな様子だった。


「おいおいジョースターさん!」
「うん?」
「無理強いしたら、余計に嫌いになっちまうぜ!」

そこへポルナレフが知った顔でやって来た。


「こういう場合はだな・・・・」
「え・・・・・・」

何だか不穏な感じにコチョコチョと動いているポルナレフの大きな手を見て、赤ん坊は顔を引き攣らせた。
多分、察しがついたのだろう。
そしてそれは、見事に大当たりだった。


「コチョコチョコチョコチョォ〜!☆」

ポルナレフは、赤ん坊の小さな腹をコチョコチョと擽り始めた。


「っ・・・・・・!!」
「コチョコチョコチョコチョォ〜!☆」
「っっ・・・・・!!!」

赤ん坊はよく耐えた。
ここまで実によく耐えた。
だが、ここまでだった。


「コチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョコチョオ!!☆」
「・・・ッキャハハ!!ッ・・・・・!」

とうとう耐えきれず、声を出して笑ったところへ、ジョースターがスプーンを突っ込んだ。


・・・・ゴックン。


その音が、花京院の耳にもバッチリ届いた。
赤ん坊が自分のウンチ入りのベビーフードを飲み込んだ音が。
ややあって。


「ギャーーーーッ!!!!!」

赤ん坊は火がついたように泣き叫び始めた。


「ほぉ〜ら、美味しいだろう?」
「ちゃんと食べないと、またコチョコチョするぜぇ?」

ジョースターとポルナレフの様子からすると、お仕置きはまだ続きそうだ。
少なくとも、器が空っぽになるまでは。
なかなか愉快なオチがついたようである。


「・・・・ちゃんちゃん☆」
「うん?」
「いや、何でも。」

つい口をついて出たそれを、近くでコーヒーを飲んでいた承太郎が聞きつけたが、花京院は笑って流し、汚れたおしめを持ってその場を離れた。
皆から少し離れた場所で赤ん坊のウンチを処理していると、後ろに誰かがやって来た。



「・・・・・・花京院さん」
「江里子さん・・・・・・」

江里子が、何か言いたげな顔をして立っていた。


「・・・顔色が良くなりましたね。お加減は如何ですか?」
「熱、下がったみたいです。何だかすっかり楽になりました。ご迷惑をお掛けしました。」

江里子は恥ずかしそうに笑って、小さく頭を下げた。
花京院も小さく笑って、首を振った。


「とんでもない。元気になって良かったです。」
「ありがとうございます。・・・・・・あの・・・・・・・」

江里子のそのもどかしそうな顔に、花京院は密かに息を呑んだ。
江里子が何の話をしに来たのか、何となく分かった気がして。


「あのね花京院さん、私・・・・・・・、夢を見たんです。」
「夢・・・・・・?」
「怖い夢。大きな鎌を持った死神が出てくる、怖い夢です。
でも、死神って言っても、骸骨じゃなくてピエロみたいな顔した死神で。」

相槌すら打てない程、花京院は内心で驚いていた。


「その死神に私達皆殺されそうになって・・・・・、それで、気が付いたら、花京院さんと二人になっていました。」
「・・・・・・・・」
「さっきまで殺されそうだった筈なのに、今度は凄く楽しくて・・・・・・。
場所は・・・はっきり思い出せないんですけど、何だかとても楽しそうな所で、そこで私達、遊んでいるんです。遊んで、また来ようって約束しているんです。」

あのナイトメア・ワールドの事を、そしてデスサーティーンを倒した後のあの一瞬の事を江里子がほぼ正確に覚えている事に、花京院は酷く驚いていた。


「それで・・・・・・・、それでね・・・・・・・・」
「・・・・・・それで・・・・・・・・?」

江里子は覚えているのだろうか?
あの告白と、口付けを。
花京院は息を殺して、江里子の話の続きを待った。


「・・・・・・・・・・・ふふっ、ごめんなさい、何でもないです。」

しかし、続きは無かった。
そこから記憶が途切れてしまっているのか、それとも、本当は覚えているのに話さないだけなのか、どちらとも受け取れる感じだった。


「・・・何だか意味深ですね。」
「ごめんなさい、そんなんじゃないんです。・・・・ただ・・・・・」
「ただ?」
「起きた時に・・・・・・、花京院さんがいなくなっちゃったんじゃないかって不安で・・・・・。だから、朝ご飯作ってテキパキ動いている花京院さんを見て、何だかとっても安心して・・・・・。」

江里子はそう言って、泣きそうな顔で笑った。


「あれ?私、何言ってるんでしょうね・・・・・!何かちょっと不思議な夢見ちゃったから、頭が混乱してるんでしょうね。熱のせいかな?」
「・・・良く覚えているんですね、夢の事。」
「私、割とはっきりした夢を見る方なんです。印象深い夢なら、何日も覚えていたりして。眠りが浅いせいですかね?」
「そうかも知れませんね。僕も同じです。また共通点が見つかりましたね。」
「・・・そうですね。」

花京院がそう言うと、江里子は恥ずかしそうにはにかんで頷いた。


「・・・・・江里子さん・・・・・・・」

その顔を見ていると、言ってしまいたくなる。
江里子がここまで覚えているのなら、今なら言えば思い出すだろう。
僕はその夢の中で貴女に愛を告白し、僕らは口付けを交わしたのだ、と。
そうすれば、江里子の返事を聞く事が出来るかも知れない。


「・・・・・・さあ、向こうへ戻って我々も食べましょう。」
「・・・はい・・・・・!」

しかし花京院は、それをしなかった。



















それから程なくして到着した救助隊によって、一行は近くのライラーという街に送られた。
デスサーティーンの本体、マニッシュボーイは、その街の医院に預けた。
外国人旅行者達が見ず知らずの赤ん坊を預けようとすれば、普通は警察を呼ばれる程の大騒ぎになりそうなものだが、実際には何の騒ぎも起きなかった。
物理的な攻撃ではなく、精神支配に特化した能力を持つデスサーティーンは、眠った人を夢の世界に閉じ込めるだけでなく、起きている人の思考をある程度操作する事も出来るらしく、医院の医者も看護婦達も、マニッシュボーイの泣き声を聞いている内に、ごく当たり前のような感じで快く彼を預かったのだ。
決して他人に危害を加えず、大人しくまっすぐ母親の所へ帰れときつく言い付けて、一行はマニッシュボーイと別れた。
尤も、それは花京院が一人で内密に行った事で、他の者達は知らない事だったが。

マニッシュボーイと別れたその後、ジョースターはすぐさま新たなセスナを買い求めた。そして、他の全員から嫌そうな顔をされて憤慨しながら、早速にもライラーの街を飛び立った。
僅か一月の内に2度も墜落事故に遭っている承太郎・花京院・江里子、そして1度の墜落ですっかり懲りたポルナレフは、飛行機の中で憚る事なく神仏に祈り、呪文のように『安全飛行・安全飛行』と呟き続けて、操縦士であるジョースターの精神を攻撃したが、今回は幸いにも3度目の正直となり、セスナは同日夕刻、無事にアラビア半島西部の港町・スワルに到着した。
そこは国際空港もある、拓けた大きな街だった。




「オーーッッ!!久しぶりのゴージャスなホテル!!か〜っ、やっぱり良いねぇこういうのは!!」

部屋の内装をグルリと見回して、ポルナレフは感激の声を上げた。
到着後、すぐさまホテルに直行した一同は今、今後の予定の打ち合せの為、ジョースターと承太郎の部屋に集まっていた。


「ほらほら見て見て!!便器がすげーキレイなんだよホレェ!」
「分かった後で見るからさっさと座れポルナレフ。」
「チェー、ノリ悪ぃなぁ!」

花京院に窘められ、ポルナレフは江里子が腰掛けているのと同じベッドにドサッと腰を下ろした。


「きゃっ・・・・・!」

その衝撃でベッドの分厚いマットレスが弾み、江里子の身体も大きく跳ねた。


「もー、ポルナレフさん。静かに座って下さいよ。
トイレが綺麗でテンション上がるのは分かりますけど、はしゃぎすぎですよ。」
「何だよエリーまでぇ!元気になった早々、怖い顔して小言かよぉ!」

江里子がジト目で睨むと、ポルナレフは少し決まりが悪そうにプッと膨れた。
まるで子供みたいだと、江里子は小さく溜息を吐いた。


「ポルナレフ君、そろそろ打ち合せを始めたいのじゃが、宜しいかね?」

ジョースターが盛大な溜息を吐いて慇懃無礼に切り出すと、ポルナレフはでヘヘ・・・と恥ずかしそうに頭を掻いた。


「ああ悪い悪い。どうぞどうぞ、始めてくれよ。」
「では始めよう。ゴホン・・・・。まず、明日の出発の件だ。
明日も朝から移動を予定している。ここの港でクルーザーをチャーターし、海路でいよいよエジプトへ向かう。」

エジプトという言葉を耳にした途端、全員の表情が一瞬にして引き締まった。
今の今までヘラヘラしていたポルナレフも、まるで最初からそうだったかのように厳しい真顔になっていた。


「クルーザーについては、儂が手配する。君達には、明日からの航海に備えて物資の調達をお願いしたい。航海は丸1日位のほんの短い期間だが、食料や医薬品等の備えは必要だからな。」

ジョースターは部屋の壁時計をチラリと見た。


「6時過ぎか、今ならまだ店が開いているだろう。夕食前の空腹時に悪いのだが、夜になって閉店する前に、今から全員で手分けして買い出しに行って来て欲しい。」
「ああ。」
「分かりました。」
「あいよ!」
「はい。」

ジョースターに頼まれた若者達は、揃ってそれを快諾した。
そして、二人ずつで分かれて行こうとなった結果。


「じゃあ、僕と承太郎が、スーパーマーケットへ食料や日用品の買い出しに。」
「俺とエリーが、ドラッグストアで医薬品の買い出しって事で!」
『行ってきまーすッッ!!!』

承太郎と花京院、ポルナレフとエリーというコンビを組んで、4人の若者達は元気に部屋を飛び出して行った。
ジョースターは笑顔でヒラヒラと手を振って彼等を送り出したが、部屋のドアが閉まると、表情を引き締めて立ち上がった。そして、荷物の中から革の手帳を取り出し、ある頁を開いて電話器の前に置いた。
その頁にはどこかの電話番号らしき数字が書き込んであり、ジョースターはその番号をダイヤルした。暫く待っていると、やがて電話口に『相手』が出た。


「・・・ああ、儂だ。さっき無事に到着した。そちらはどうだ?
・・・そうか、予定通りに着いたか。
悪かったな、連絡が遅れてしまって。このところ色々とアクシデントが続いてな、
・・・・・ああいやいや、もう大丈夫だ。今のところ全て解決済みだ。問題は無い。
それより、そちらの方は?・・・・・・そうか、それは助かる。手間が省けた。
ふむ、ふむ、ちょっと待ってくれ、メモを取る・・・・・・、よし、いいぞ。」

ジョースターは手帳の頁に、また新たな電話番号を書き込んだ。


「ここに連絡すれば良いのだな?アーレフ・アーデル氏の友人という事で・・・、ふむ、分かった。
そうじゃな、確かに人目を避けねばならん。明日は敢えてゆっくり出発するとしよう。昼頃にこちらを出る事にする。そうすれば、丁度良い時間帯に着くだろう。
それで、肝心の例のブツは?無事、手に入ったのかね?
・・・・・・・・・うむ、そうか。そいつを聞いて安心した。これでいよいよエジプトへ上陸出来るという訳だな。色々とご苦労だった。感謝する。」

ジョースターは電話の相手に敬意を込めて労うと、ふと楽しげな笑みを浮かべた。


「ところで、明日の事なのだがな。どうせなら少し面白い趣向を凝らしたいと思わんかね?いや、実は良い計画を思い付いたのじゃよ。
何かって?フフフ、それはじゃなあ・・・・・、ああ大丈夫、連中なら全員買い出しに行かせた。暫く帰って来んよ。それでな・・・・・・・・」

ジョースターは悪戯小僧のような無邪気な笑い声をクスクスと上げながら、電話の相手に『計画』を話し始めたのだった。























翌日、一行はいつもよりのんびりと朝食を摂り、ゆっくりと支度して、昼前にホテルを出た。ジョースターが、少し疲れたので今朝はのんびりしたいと言ったのだ。それに、ヨットハーバーの管理事務所がこれ位の時間にならないとまともに仕事をしないようだ、とも。
かくして、いつもより随分のんびりと出発した一行は、ヨットハーバーからクルーザーに乗り込んだ。
そして、エメラルドグリーンに透き通る美しい海を、ゴージャスな純白のクルーザーで白波を蹴立てて進むこと数時間。アラビア半島を越えたジョースター達5人は今、紅海を渡ってエジプトに入ろうとしている。


・・・・しかし。




「・・・・おいジジイ。おかしいな、方角が違ってるぞ。まっすぐ西へ、エジプトへ向かってるんじゃあないのか?」

クルーザーの計器をチェックした承太郎が、不意にそんな事を言い出した。


「え?」
「ん?」
「あ?」

江里子、花京院、ポルナレフは、承太郎が指摘して初めてそれに気付いた。
何せ海というのは見渡す限りの青一色、どこをどう走っているのか、自分の目線ではさっぱり分からないのだ。
だがその青一色の世界の中に、緑色の小島があった。それも、結構近い距離に。
承太郎はその小島を指差した。


「あの島へ向かっているようだが。」
「・・・ああ、その通りだ。」

ジョースターは重々しい口調で、ようやく返事をした。


「訳あって今まで黙っていたが、エジプトに入る前にほんの少し寄り道をする。ある人物に会う為だ。」
「「!!」」

承太郎と花京院はハッとした。
二人には、『ある人物』というのに心当たりがあった。


「あぁ??」
「え???」

しかしポルナレフと江里子には、さっぱり見当もつかなかった。


「この旅にとってもの凄く大切な男なんだ。」
「大切な男・・・・・?」

ジョースターの言った言葉を反芻して、ポルナレフは首を傾げた。


「どなたなんですか、その方は?」
「じきに分かるよ。もうすぐだ。会えば分かる。」

江里子が訊いても、ジョースターは曖昧な答えしか返さなかった。
だがその表情は真剣そのもの、それどころか、何だか痛ましいと言っても良いような翳りのある表情で、それ以上しつこく食い下がるのは憚られた。
皆、同じように感じたのだろう。それ以上、誰も何も訊こうとはしなかった。
スワルを出港して数時間、ここまでは至って順調に進んできたのだが、また何やら波乱の予感がする。


― 今回も無事に切り抜けられますように・・・・・


青く煌めく海に自分達の無事を祈りながら、江里子は目の前の小島を見つめた。
どんどん、どんどん、近付いてくる、緑豊かな小島を。




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