星屑に導かれて 32




ヤプリーンに到着したのは、その日の日没ギリギリだった。
村はこじんまりとしていたが、セスナの飛行場や立派なホテルがあり、意外と近代的な感じだった。
村に着くと、ジョースターはまずそのホテル、『HOTEL YARPLINE』を訪れた。


「いらっしゃいませ。ようこそお越し下さいました。」
「ツインの部屋はあるかね?」
「はい、ございます。」
「では、ツインを2部屋頼む。一番良い部屋にしてくれ。寝具も1組余分に貸して貰いたい。」
「かしこまりました。」
「それから、大至急お願いしたい事が3つある。
まず1つめは、今すぐ医者を呼んで貰いたい。連れの一人が今朝から高熱を出しておるのじゃ。
2つめは、セスナを買いたいので、売主を紹介して貰いたい。
明日の朝にはそれに乗ってここを出発せねばならんので、迅速な取引が出来る相手を希望する。
そして3つめは、我々が乗ってきたラクダを買い取って貰いたいので、その業者も紹介して貰いたい。
アブダビ郊外のラクダ屋の主人から聞いてきたが、こちらの村にも同業者がいて、ラクダを買い取って貰えるとか。是非その人に連絡を取って貰いたい。」

恐らく、色々と焦っているのだろう。ジョースターはつらつらと一気に用件を述べた。
案の定、宿の主人はついてこれず、気の毒になる程オロオロしだした。


「ちょ、ちょっとお待ち下さい!すみませんが、ひ、ひとつずつお願いできますか!?えぇと、まずは・・・」
「医者じゃ。これこの通り、病人がいる。」

ジョースターの紹介を受けると、江里子は申し訳なさそうに小さくなって、宿の主人にペコリと頭を下げた。
一応自力で立ってはいるが、熱は今朝から殆ど下がっていない。
江里子の赤く腫れぼったい顔を見て、宿の主人はまずひとつ、合点がいったようだった。


「おお、それはいけませんな・・・・!しかしすみませんが、この村には医者がいないのです。」
「何じゃと!?」

それは、驚愕の事実だった。
ヤプリーンに着きさえすれば何とかなると皆思い込んでいたので、この事実は正に不測の事態と言うしかなかった。


「この付近の集落にもいないのか!?」
「生憎と、徒歩やラクダや車で行けるような距離には。セスナでしたら、1時間も飛べば医者のいる町に着きますが・・・・。」
「むぅ・・・・・・・。ならばせめて、薬と体温計はないか?
旅の疲れと砂漠の温度差でやられたようで、恐らく風邪だと思うのだが。」
「風邪薬と解熱剤なら、常備薬があります。体温計も。」
「おお、そうか!そいつは助かる!すまんが今すぐ体温計を貸してくれ!それと、薬も分けて貰いたい!」
「すぐにお持ちいたします。氷枕もご用意しましょう。」
「有り難い!是非頼む!」

医者はいないが、一通りの看病が出来そうなのは不幸中の幸いだった。


「それから、そのセスナの件だが、今すぐに売って貰いたいのじゃ。
儂らは先を急いでおり、明日の朝にはセスナに乗って出発したい。
操縦は儂が出来るのでパイロットは不要、支払いは小切手、金に糸目はつけん。」
「そういう事でしたら、飛行場の方に問い合わせてみましょう。」
「宜しく頼む。それと、ラクダの業者もな。」
「分かりました。ではまず・・・・・・」
「体温計と、薬じゃ。」

ジョースターの指示で、宿の主人は奥の部屋に引っ込み、薬箱を手にすぐさまフロントへ飛び出してきた。
そして、受付カウンターの上に薬箱を置くと、中をひっかき回して体温計を取り出した。


「ささ、どうぞ!」
「ありがとうございます・・・・・・・」

それを受け取った江里子は、弱々しく微笑んで礼を言い、おもむろにブラウスの前のボタンを2つ3つ外した。


「っ・・・・・・!」

白くて深い胸の谷間が見えた途端、花京院は反射的に目を逸らした。
承太郎とジョースターも同じように目を逸らし、ポルナレフと宿の主人は、逆に目を大きく見開いて唖然と見つめていた。
江里子は高熱で朦朧としていて、気付いていないのだろう。
自分が何をしでかしたのかも、周囲の男達の態度や視線にも。
言うに言えないこの状況の中、江里子は何ひとつ気付かぬままに体温計を腋に挟み、ズルズルと床に座り込んだ。


「江里子さん・・・・・・!」

支えようとしたが、江里子は床に尻を着いて座り込み、ぼんやりとあらぬ方向を見つめたまま返事をしなかった。
相当に具合が悪いのだろう。
体温計を腋に挟んでいるせいでより一層深くなった胸の谷間に目を向けないよう気をつけながら、花京院は体温計が結果を出すのを皆と一緒に待った。

そして、約5分後。



『げぇぇぇーーーッッ!!!39.8℃ーーーーッッッ!?!?!?!?』

体温計を中心に集った男達(※宿の主人含む)は、信じられない数値を弾き出したそれを見て絶叫した。


「オーマイガーーッ!!何てこった!!おいダンナ!!は、は、早く薬と、ここ、氷枕を・・・!」
「はっ、はいぃぃっ!!」
「でもジョースターさん、その前に・・・・・・・」

荒い呼吸の合間に、江里子が呟いた。


「何か食べないと、薬飲めませんよ・・・・・」
「まだ食う気!?」

ポルナレフが目をひん剥いたが、江里子は朦朧とした表情で頷いただけだった。


「お腹・・・・・、空いた・・・・・・・・」
「こいつ、マジでバケモンか・・・・・!?」

いつもクールなあの承太郎も、未知の生物を見るような驚きの目で江里子を見ている。
花京院自身、実のところ、似たような驚きを感じていた。
何しろ江里子は、朝も昼も、それぞれ凄い量を食べているのだ。


「ご飯食べて、薬飲んで、シャワー浴びたら・・・・・、先に休ませて頂きます・・・・・」
「いやいやいやいやいやいや、この熱で本当に食えんのかよ!?
シャワーだって、バスルームでぶっ倒れるのがオチだぜ!やめといた方が・・」
「無理です、それは絶対無理・・・・・・」

良かれと思って止めるポルナレフに、江里子は鬼気迫る表情で首を振った。


「お腹・・・・ペコペコだし・・・・、身体は汗臭いし・・・・・、髪はベタベタするし・・・・・、砂まみれだし・・・・・、こんな状態じゃあ・・・・・、死んでも眠れない・・・・・・!!」
「そ、そうですか・・・・・;」

有無を言わせぬその迫力に、ポルナレフはすごすごと引き下がった。


「じゃ、じゃあ、パン粥でも作ってきましょう!消化に良いですから!ね!」

同じく迫力負けした宿の主人は、引き攣った笑顔を浮かべながらそそくさと出て行った。


「おいおい、マジで大丈夫かよエリー!?オメー、高熱で満腹中枢がイカれたんじゃあねーのかぁ!?
シャワーもよぉ、やっぱどう考えたって危ねぇぜ〜!
どうしても我慢出来ねぇんなら、後で俺が身体拭いてやるからよぉ・・・・・!」
「・・・・・・・・・」

江里子はジト目でポルナレフを睨み上げただけだった。返事をする元気も無いのだろう。
だが、食事をしてシャワーを浴びる力は残っている。
いや、命を削ってでもそれをしようとしているのだろうか。
か弱い女性だとばかり思っていたが、意外とタフな人だ。
そう思うと何だか可笑しくなって、花京院は小さく吹き出した。


「江里子さん、何か食べたいものは?」

花京院は、江里子の側にしゃがみ込みんで尋ねた。


「・・・・・甘いもの・・・・・・」

江里子は潤んだ瞳で花京院を暫し見つめ、小さな声でそう答えた。


「甘いもの・・・・・、食べたいです・・・・・」
「熱いもの?冷たいもの?」
「冷たいもの・・・・・・・。砂漠って本当、暑いですねぇ・・・・」
「暑いのは熱のせいですよ。ちょっと待っていて下さいね。」

花京院は江里子の側を離れた。宿の主人に江里子の希望を伝えようと思ったのだ。
その辺りを覗いて回っていると、宿の主人は厨房の中にいた。


「すみません、彼女の食事なんですが、パン粥はもう作ってしまわれましたか?」
「いえ、まだこれからです。」
「良かった。すみませんが、彼女の食事は今から僕が言うメニューにして貰えませんか?」
「は、はぁ・・・・・」
「まず、オムレツかベーコンエッグ。それと、野菜スープ。味付けは全て塩コショウで。彼女は日本人で、油やスパイスの強い料理はあまり好きではないのです。」

確かに江里子は、昨夜からよく食べている。
しかしそれは、ハムやコーンスープなど、元々馴染みのある食べ物だったからだ。
馴染みのない肉や香辛料が使われた料理では、また食べられなくなってしまう。
同じ日本人として、江里子の気持ちが良く分かる花京院は、その点が心配になったのだった。


「パンも出来るだけシンプルなもので。お粥でなくても大丈夫ですから。」
「は、はぁ、分かりました・・・・。」
「それと、何か果物と、アイスクリームはありますか?」
「ええ、オレンジとバナナが。アイスクリームは確かバニラが・・・・・」
「それで結構です。デザートに出してあげて下さい。宜しくお願いします。」
「分かりました。ああ、それからお客さん!」

立ち去りかけた花京院を、宿の主人は呼び止めた。


「さっき飛行場に電話しておきました。そういう事ならすぐお会いして話をしたいそうです。
夕食の支度にも少し時間がかかりますし、今から飛行場へ行って来られてはどうでしょう?セスナも何機かありますので、実際に見て来られた方が良いですし。
ラクダ屋の方は、今うちの息子に呼びに行かせました。じきに来るでしょう。」

宿の主人は、のんびりした雰囲気の割にテキパキと動く人のようだった。
しかも、結構気が利く。


「ありがとうございます。では、そのように伝えます。」

花京院は宿の主人に丁重に礼を言い、ジョースター達の元へと戻って行った。



















それからの数時間は、正しくてんてこ舞いだった。
ジョースターは飛行場へ出向いてセスナの売買契約に、ポルナレフは明日からの旅に備えて食料や物資の調達に、承太郎はラクダの売却に関する応対に、そして花京院は江里子の看護にと、それぞれにやる事をやり遂げ、ポルナレフと共に部屋に引き揚げた時には、花京院自身、結構な疲労を感じていた。


「あーっ、スッキリした!」

ベッドに横になっていると、シャワーを浴び終わったポルナレフが濡れた銀髪をガシガシと拭きつつ、パンツ一丁で戻って来た。
そして、ドカドカと大股で歩き、冷蔵庫を開け、缶ビールを取り出してグビグビと飲み、またドカドカと歩いてベッドのサイドテーブルに飲みかけの缶ビールを置き、ベッドに寝そべって煙草に火を点け、美味そうに燻らせ始めた。その全ての動作が、大きくてやかましかった。


「しっかしオメェ、寝る時までキッチリ服を着込むんだなぁ!」
「別にキッチリなんて着込んでいない、只のパジャマだ。君の方こそよくパンツ一丁で眠れるな。」
「これが楽なんだよぉ!」

ポルナレフは紫煙を一吸いして、しっかし・・・、と続けた。


「エリーは大丈夫なんだろうなぁ?」
「確かに心配だな。食欲は旺盛だが、ああも熱が高いと。今夜中に幾らかでも下がってくれれば良いのだが。」
「・・・も、あるけどよ・・・・・・」
「何だ?」
「・・・・・・・」

何やら言いたげに、しかし躊躇うように沈黙を保つポルナレフに、花京院は少し苛立った。


「何なんだ。はっきり言え。」
「いやっ、別に何でもないんだ!ジョースターさんがついてるし、大丈夫だよなっ!」

誤魔化すように笑うポルナレフの顔を見て、花京院は彼が何を言いたかったのか、何となく想像がついた。


― 江里子さん・・・・・・


江里子は今、ジョースターと承太郎の部屋で眠っている。
病気の江里子を一人に出来ないという理由で、ジョースターが決めた事だった。
他意など無いのは分かっている。何事も起きよう筈がないのも。
しかし、頭でそう分かっていても、心の片隅に小さな染みのような黒い感情が、僅かに蟠っていた。
ポルナレフも、きっと同じような心境なのだろう。


「・・・当たり前だ。大丈夫に決まっているだろう。きっとすぐに良くなる。あれだけ食べて、元気にならない筈がない。」

花京院は、ポルナレフに微笑んで見せた。


「・・・ハハハッ、違いねぇ!」

自分の気持ちにどう決着をつけたのかは分からないが、ポルナレフもあっけらかんと笑った。


「さあっ、寝るとするか!明日も早いぜぇーっ!」
「分かってる。寝坊するなよポルナレフ。おやすみ。」
「オメーこそな花京院!おやすみぃっ!」

しかし花京院はまだ、己の気持ちに決着を着けきれていなかった。
決着どころか、先日のアブダビでの夜の事を、内心でずっと気にし続けていた。
後悔している訳ではない。気持ちに偽りはない。
ただ、自信が無いのだ。
江里子と適切な距離を保ち続ける自信が、己を抑え続ける自信が。


― 馬鹿だ、僕は・・・・・。己を制する事も出来ないのに、彼女にあんな事を言って・・・・・


ひとまず忘れてくれと言ったのは自分の方なのに、実際は全く忘れられていない。
むしろ、日に日に気持ちが昂っていっている。


― こんな事ではいけない。今はDIOを倒す事だけを考えるんだ、DIOを倒す事だけを・・・・


花京院は固く目を閉じて、半ば無理矢理に自分を眠りの淵へ押しやった。



















ホェェェ・・・・・、ホェェェ・・・・・・・


ホェェェ・・・・・、ホェェェ・・・・・・・


どこからか、泣き声が聞こえる。
赤ん坊の泣き声だ。


― うるさいな・・・・・・・


「ん・・・・・・」

その泣き声に眠りを妨げられ、花京院は目を開けた。
起き上がって、まだ焦点の合わない目を擦っていると、自分が知らない場所にいる事に気が付いた。
今、花京院は、ホテルの部屋のベッドではなく、何かの乗り物の中にいた。
周りを見れば、何だかメルヘンチックな世界が広がっている。
パステルカラーの大きなコーヒーカップ、見事な白馬や豪華な馬車のメリーゴーランド。そしてよく見れば、花京院が乗っている乗り物は観覧車だった。


「な、何だここは・・・・?遊園地じゃあないか・・・・!」

そう、ここは遊園地だった。


「初めて来る場所だ・・・・・。な、何故僕は、呑気に観覧車に乗っているのだろう・・・・・。」

それが何故、いきなり来てしまったのだろう。
しかも、パジャマのままで。


「おかしいな・・・・・、僕達、サウジアラビアの砂漠を、ラクダで旅をしていた筈なのに・・・・。」

花京院は自分の記憶を辿っていった。
遊園地になど来られる筈がない。
サウジアラビアの砂漠を丸1日以上かけてラクダで渡り、やっとの思いで人里に辿り着いたところなのだ。
太陽のスタンド使いと闘って大変な目に遭い、江里子が高熱を出してしまった。
そういえば、江里子はどこだろうか?
承太郎は?ジョースターは?ポルナレフは?


「皆がいない・・・・・。僕は一人か・・・・・?」
「ワゥ」
「っ!」

驚いて振り返ると、向かいのシートに犬が座っていた。
砂漠の砂と同じ色の毛の、大きくて、愛嬌のある顔をした犬が。
人懐っこそうな、可愛い犬だ。
花京院はその犬の隣に座り、頭を撫でた。犬は嬉しそうに尻尾を何度か振った。


「それにしても妙だ、人っ子一人いない遊園地なのに、さっきから聞こえる赤ん坊の声・・・・・。どこで泣いているのだろう・・・・・。」

花京院と犬以外に、動くものはなかった。
にも関わらず、さっきからずっと、何処からか赤ん坊の泣き声がしている。
何処からだろうかと外を見渡していると、また何処からか、風船がふわふわと飛んできた。色とりどりの風船が、いくつもいくつもフワフワと飛んでくる。メルヘンチックな光景だった。
そのうちのひとつ、緑色の風船が、空を漂いながら花京院の方へと飛んできた。
風船の紐の先に、カードが1枚ぶら下がっている。花京院はそのカードを手に取り、裏返して見た。


「うっ・・・・!こ、このカードは・・・・・!」

そのカードは、タロットカードだった。
描かれているのは、鋭い大鎌を手に不気味な笑みを浮かべている、黒衣の道化師。
それはタロット13番目のカード、『死神』のカードだった。


「デスサーティーン!!」

突如、カードの死神の手首から、体液のような緑色の液体が噴き出した。


「カードが動いている!!」

一瞬、死神の口元が、ニッと吊り上がったように見えた。
その瞬間、カードから大鎌を持った死神の手が飛び出してきた。


「うおわぁぁぁーーーーーッッッ!!!」

間一髪、花京院はカードを放り出した。
しかしその時には、死神の大鎌は既に振り上げられていた。
花京院を狙ったのであろうその大鎌の刃は、隣にいた犬の頭に深々と突き刺さった。


「うぅっ・・・・!!」

ほんの一瞬の出来事。
凄惨な光景。
全身の毛が逆立つような恐怖が、花京院を襲った。


「うわぁぁぁぁぁーーーーーーッッッ!!!」

花京院は、声の限りに叫んだ。







「花京院、花京院!!」
「はっ・・・・・!!」

瞬きの間に、また世界が一変した。
メルヘンランドは跡形もなく消え失せ、犬の死体の代わりにポルナレフが横にいて、花京院を揺さぶっていた。


「おい頼むぜぇ、エクソシストみてぇにベッド揺らしてうなされてんじゃねーよ!ビックリするぜぇ!」
「ここは・・・・!」

暗闇の中、花京院は呆然とした。


「ここはじゃねーよ!ほれほれ、早く起きろ!」

ポルナレフは手を打ち鳴らしながら歩き、窓を開け放った。
その途端、真っ暗な空間に鮮やかな太陽の光が一瞬で満ちた。
眩しすぎるその光に、花京院は反射的に目を細め、顔の前に手を翳した。
やがてだんだん目が慣れてくると、外の景色が見えてきた。
外は見晴らしが良く、飛行機の滑走路がすぐ前にあった。そういえば、このホテルは飛行場のすぐ側にあったのだ。


「飯食ったら飛行機で出発だぜ!また暑くなりそうだなぁ!」

ポルナレフのその大きな動作と声、そして気楽さが、今は心底有り難かった。
この恐怖を、蹴散らしてくれるようで。
花京院は重苦しい溜息を吐き、ポルナレフに打ち明け始めた。


「・・・・恐ろしい夢を見た。本当に恐ろしかったんだ・・・・・。」
「おおーっ!どんな夢だぁ!?聞かせて聞かせて!」

ポルナレフは興味津々な様子で、花京院に近付いてきた。
さっき出てきた『エクソシスト』というタイトルといい、ポルナレフはホラーが好きなのだろうか。
しかし花京院には、彼の好奇心を満たしてやる事は出来なかった。


「それが思い出せないんだ。忘れてしまった・・・・。」
「だっ・・・・・」

ポルナレフはガックリと肩を落とした。
ここで笑い話にして終わる事が出来たら、どれだけ良いだろうか。


「とにかく恐ろしかった。君に起こされて、助かったんだよ・・・・・・」

夢の内容は何も覚えていない。
しかし、恐怖だけはまだ鮮烈に残っていた。頭の中にも、身体にも。
睡眠時間は十分な長さがあった筈なのに、徹夜明けよりも疲れていて、頭がじわじわと締め付けられるように痛み、身体も泥の中に沈んだように重かった。


「もーっ、ヒマな事言ってんじゃあねーよ!」

ポルナレフはとうとう呆れてしまったのか、足元のズタ袋を担ぎ上げてドアの方へと歩いて行った。


「行くぞ!早く支度しろ!」

そう言い残して、ポルナレフは先に部屋を出て行ってしまった。
一人になった花京院は、また溜息を吐いた。
確かに、馬鹿げている。
怖い夢を見てうなされたなんて、まるで子供だ。そんな事をいつまでも気に病んでいる暇は無い。


「・・・・・・・よし」

花京院は、ベッドから出ようとした。
その時、手に痛みが走った。


「あっ・・・・」

痛いと思ったら、怪我をしていた。
左手の端、小指の下2cm程のところが、すっぱりと切れて出血していた。
大した深さではないが、滴り落ちた血が真っ白なシーツに滲んで広がり、大きな染みを作っていた。
昨日、こんな怪我をしただろうか?
いや、もししていれば、昨日の内に気がついて手当てをしている。
ならば一体いつ、何処で、この怪我を負ったのだろうか。


「手が切れている・・・・。一体どこで・・・・?」

何度考えても、そんな怪我をした覚えは無かった。




















身支度を済ませて部屋を出ると、ロビーにはポルナレフしかいなかった。


「来たか花京院!食堂に朝飯出てるぜ!早く食うぞ!」
「僕達だけか?」
「おう。承太郎とジョースターさんは一足先に済ませたみたいだ。」
「江里子さんも?」
「ああ、飯は一応済んでるみてぇだ。が・・・・」

ポルナレフはふと厳しい顔付きになった。


「熱は全く下がってねぇ。おまけに今日は食欲まで無くなっちまってて、昨日より悪いようだ。」
「何だって・・・・!?」
「まあ、食欲が無ぇのは、単に昨日食い過ぎただけじゃねぇかって気もするが、熱がまだ39℃台なのが気にかかるぜ。」
「それで、江里子さんは今どこに?」
「部屋で寝ている。ギリギリまで快適な場所で休ませておいてやろうって、ジョースターさんが。」
「そうか・・・・・・・」
「そういう事!だから早く飯食っちまわねぇと!」

バシッと叩かれた背中が、やけに痛く感じられた。
ポルナレフが馬鹿力なのはいつもの事だが、それを受け止める自分の身体の方が、何だか調子が悪いのだ。
しかし、それ以上の重病人がいる。
今は一刻も早くここを出発して、江里子を病院に連れて行かねばならない。
花京院は己を奮い立たせ、ポルナレフと共に食堂に入った。
そして、急いで朝食を済ませると、江里子を部屋まで迎えに行った。


「おはようございます。お待たせしました。」

すぐに部屋から出てきて、自分で荷物を持ち、『早く行きましょう』と笑顔で歩いていく江里子は、明らかに無理をしていた。


「江里子さん、歩いて大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ、これくらい。」
「何が大丈夫だよ、全然熱下がってねぇのによ。」

ポルナレフは呆れた口ぶりでそう言い、江里子の手から荷物のバッグを奪って花京院に渡した。


「花京院、それ持ってやれ。俺はこっちを・・・・よっと!」
「ちょっ・・・・!何するんですかっ・・・・・!」

突然抱き上げられそうになって、江里子は激しくうろたえ始めた。


「何って、抱いてやるっつってんだよ。足元フラフラじゃあねぇか。」
「大丈夫ですよ、自分で歩けますから・・・・!」
「何意地張ってんだよ。熱高ぇのに。」
「意地なんか張ってません!子供じゃあるまいし、自分で歩けますってば!大袈裟なんですよポルナレフさんは・・・っ・・・・・」
「江里子さんっ・・・・・!」

江里子の身体が急に傾いで、花京院の方に倒れ込んできた。
咄嗟に抱き止めた江里子の身体は、怖くなる程熱かった。


「ハァ・・・・・、ハァ・・・・・、す、すみません、花京院さん・・・・・・・」
「江里子さん、お願いですから無理をしないで下さい。不本意でしょうが、ここはポルナレフに甘えておくべきです。」

実のところ、不本意なのは花京院自身の方だった。本当なら自分が江里子を抱いて運んでやりたいが、今は残念ながら出来そうになかった。
すぐに元に戻るだろうと思っていた不調が、まだ長引いているのだ。
今朝のあの酷い夢の余韻がいつまでもしつこく尾を引いていて、朝食も殆ど喉を通らず、治るどころか時間が経つにつれてどんどん調子が悪くなる一方で、今はそれを隠すだけでも精一杯な状態だった。


「おい、今何か失礼な事言わなかったか?」

恐るべき勘の鋭さを見せながらも、ポルナレフはそれ以上は深く追及してこなかった。


「・・・・すみません・・・・。じゃあ・・・・、お願いします・・・・・。」
「ったく、最初からそうやって素直になれっつーの。」

ポルナレフは呆れ顔で、再び江里子を抱き上げようとした。
が、江里子も再び抵抗を始めた。


「いやっ、ちょっ・・・・!それはちょっとやっぱり・・・・・!」
「はぁ!?やっぱりって何だよ!?何が嫌なんだよ!?
あっ!オメーまさか、俺が汚ねぇとか思ってんじゃあねーだろうな!言っとくがちゃんとシャワーも浴びてるし、服だって換えてるぞ!デザインは同じだけどな!」
「ち、違います!そうじゃなくて・・・・・・・!そ、そうやって抱き上げられるのがちょっと・・・・・!」
「ちょっと、何だよ!?」
「ひ、人に見られたら恥ずかしいから・・・・・・!」

江里子の顔が赤いのは、どうも熱のせいばかりではないようだった。
ポルナレフは、茹で上がったばかりのタコのような顔色をしている江里子を暫し唖然と見つめてから、おもむろに花京院の方を向いた。


「・・・オメーら日本人の国民性がさっぱり分かんねぇわ。何が恥ずかしいの?」

確かに日本人は、良くも悪くも体面を気にする。幼い頃から『恥を知れ』と教育される。しかし、常に人目を気にし、慎み深い行動をするからこそ、世界中から称賛されるほど平和で秩序ある国が形成されるのだ。
近年は享楽的な生き方をする若者が急増してきて、日本古来の道徳観が脅かされてきているが、そんな中、女性の慎みを知る江里子は、同じ日本人として誇らしく思える人だ。
・・・という事を説明してやりたいが、正直、長々と喋るのも億劫な位、心も身体も重くて仕方がなかった。


「・・・文化の違いだ。」

花京院は、言葉少なにそう答えた。








結局、江里子はポルナレフの背中に負ぶさる形で決着が着き、花京院達はホテルのエントランスを出た。


「承太郎とジョースターさんは、既に飛行機の所へ行ってるぜ。今日これから500キロは飛ぶ予定らしいぜ。」

ポルナレフの話に相槌を打とうとしたその時、子供の泣きじゃくる声が聞こえてきた。


「あぁぁぁぁ!!!僕の犬がぁッ!!」

声のする方を見ると、ホテルの主人の息子が、尋常でない様子で号泣していた。


「僕の犬が、死んでしまっているッッ!!」

号泣する子供の向こうに、寝そべったまま死んでいる犬の死体があった。
それも、老衰や病死ではない。
血塗れの、惨たらしい死体だった。


「!!!」

その凄惨な死体に、花京院は息を呑んだ。
ショックを受けただけではない。
その死体の有様に、その死に様に、見覚えがあるような気がして。


「誰がこんな事を・・・・!」

子供の泣き声には、悲しみのみならず、怒りと無念も多分に籠っていた。
そう。彼の愛犬は寿命や病気で自然に死んだのではなく、不慮の事故に巻き込まれた訳でもなく、明らかに何者かによって殺害されていた。
離れた所からでは詳しい事は分からないが、どうも頭部を刺されたか斬りつけられたかしたようだった。


「犬・・・?犬・・・・。つい最近も、犬の死体を見たような気がするが・・・・」

花京院はまたも自分の記憶を辿っていった。
確かに、犬の死体を見たような気がする。しかしそれはいつ、何処でだったか。
そこに繋がる記憶が、どういう訳かプツリと途絶えていた。
左手の怪我の事と同じように。


「酷ぇ事するが、俺達にゃあ関係ねぇ。行こうぜ。」

ポルナレフはさっさと先に行ってしまった。
一見、冷たく感じる態度だったが、今は仕方がなかった。
病人にこの残酷な光景は、毒どころかとどめの一撃になりかねない。
事実、江里子はポルナレフの肩に顔を埋めるようにして怯えていた。


「・・・・・・・」

しかし花京院自身の目は、暫くその犬の死体から逸らす事が出来なかった。













「おいおいおいおい、おいおいおいおい!ちょいと待ってくれよオッサン!」

その頃、飛行場では、ジョースターが左右の人差し指を交互に突き出しながら、パイロットの男に詰め寄っていた。


「今更飛行機を売れんとはどういう事だぁ!?昨日の夜は売ってくれると金を受け取ったじゃあないか!」
「お金は返すよ。実は、赤ん坊が病気になったネ。熱が39℃もある。」
「えっ!?」

パイロットの話を聞いた瞬間、ジョースターの目が点になった。
そこへ村人らしきチャードル姿の婦人が、籠に入った赤ん坊を連れてきた。


「この村に医者がいないので、医者のいる町まで連れてかねばならなくなったネ。」
「う、うぅむ・・・・・」

ジョースターは困ったように小さく唸ると、向こうの方に停まっているセスナを指差した。


「そ、それじゃあ、向こうの飛行機は駄目なのかぁ?」
「あれ故障中ネ。他は今、出払っていて、2日しないと戻って来ないネ。」

ポルナレフと花京院が到着したのは、ジョースターとパイロットがまたもや言い合いを始めた時だった。


「どうしたぁ?揉め事かぁ?」
「ああ。」
「何だ何だ、何があったんだよ?」
「いや、それがよぉ・・・・・」

ポルナレフは承太郎に今の状況の説明を受け始めたが、花京院は違うものに目を奪われていた。


「赤ん坊・・・・・」

婦人の抱えている籠の中で、赤ん坊が眠っている。
その赤ん坊の姿を、花京院はじっと見つめた。


― 赤ん坊・・・・・?赤ん坊・・・・・・・・。どこかで泣き声を聞いたような・・・・・思い出せない・・・・・


「この飛行機が戻るのは、明日の夕方だネ。その後なら、また売っても良いネ。」
「明日の夕方ぁ!?」

ジョースターの声で、花京院は我に返った。
その途端、ジョースターは苛立った様子でズンズンと歩み寄り、小柄なパイロットの胸倉を、身体が浮き上がる程掴み上げた。
止める暇どころか全く話を聞いていなかったので、花京院は正直、この展開についていけていなかった。


「儂らにも人の命に関わる訳がある!!この村に2日も足止めを食らう訳にはいかん!!」
「じゃあ、あの赤ちゃんを見殺しにしろと言うのかね!!」

ジョースターは声を荒げて主張したが、パイロットも決して負けてはいなかった。


「うぅっ・・・・!うぅぅ・・・・・!それは〜・・・・・」

両者一歩も引かず・・・ではなかった。
軍配は既に、パイロットの方に上がっているようなものだった。
ジョースターが、我が娘さえ助かれば他人の赤ん坊など知った事ではないと言い切れる人物ならば、勝てたかも知れないが。


「あの、こうしてはどうでしょう?」

おもむろに婦人が口を開いた。


「赤ちゃんをこの方達にお任せして、お医者の所に連れて行って貰っては?」

その場の全員の注目を浴びながら、彼女はこうのたまった。


「えぇっ!?いや、それは・・・・」
「セスナは5人乗りです。でも赤ちゃんぐらいは乗せられます。」

渋りかけたジョースターに、婦人は更に畳みかけた。
その時、それまで苦しそうな表情で眠っていた赤ん坊が、ニッと笑った。


「ハッ・・・・!」

驚いてもう一度見たが、赤ん坊は苦しそうに眠っているだけだった。


― 今、笑ったような・・・・・。それに、もう歯が生えているのか・・・・・?


さっきの笑顔は、幼子の無邪気な微笑みではなく、してやったりと言わんばかりの含み笑いだった。
小さな唇の奥に、鋭い牙のような歯も見えた。
確かにそう見えた・・・、気がした。
気がしたが、気のせいだったのだろうか?


「良いのかね、アンタ?赤ちゃんをこんな奴らに任せても?」

パイロットは不信感丸出しの目でジョースターを指差しながら、婦人に確認した。


「えぇっ・・・!?ちょ、ちょっと待て!儂らも困る!赤ちゃんが我々と来るのは危険だ!」

ジョースターは必死で最後の抵抗を始めた。
だが、結果は見えているようなものだった。






















「危険だと言っとるのに・・・・」

操縦席に着いたジョースターは、ヘッドフォンを装着しながらぼやいた。
結局、案の定、赤ん坊を預かる破目になったのだ。


「なぁ〜に!大丈夫だって、ジョースターさん!上空を飛ぶ飛行機にスタンドを届かす追手なんていないぜ!
この飛行機自体がスタンドじゃねぇ事も・・・、確かめたしよ!」

ポルナレフは至って楽観的だった。
機体の内壁を叩き、ゴンゴンと重い金属音がするのを聞いて、もうこれで安心とばかりだった。
確かに、このセスナは本物の飛行機だ。
地上から4000m程の高さまで届くスタンドも、まずもって存在しない。
他人が乗ってはいるが、『人』とは言っても、まだ歩く事も出来ないような赤ん坊だ。医者への寄り道も、元々江里子を連れて行く予定だったのだから、足止めという程の事でもない。
しかしそれでも尚、形容し難い不安が花京院の胸の中を黒く塗り潰していた。


「俺はスタンドより、ジジイの操縦の方が心配だがな。」

セスナが滑走を始めると、助手席の承太郎がボソリと呟いた。
ポルナレフは窓際の江里子の方に身を乗り出し、見送りの村人達に向かって上機嫌に手を振っている。
そして赤ん坊は、ポルナレフの足元に置いてある籠の中で、変わらず眠っている。
江里子も赤ん坊も、今のところこれ以上急激な悪化もしそうな気配はない。
だが、何故だろうか。
今朝のあの夢の余韻が、消えるどころか益々強くなっていくのは。
上昇を始めたセスナの中で、花京院は一人密かに、その不安と闘っていた。


「あぁ〜良かった!これで一安心だわ!ところであの赤ちゃん、どこの子かしら?」
「えっ!?アンタが母親じゃあないのかね!?」
「朝、井戸の所で見つけただけよ!でも、あの子の泣き声を聞いていたら、何故かフラフラ〜ッと、飛行機に乗せなきゃって気になって・・・・。」
「えぇぇぇぇ・・・・・?」

丁度その頃、地上で村人達がこんな会話を交わしている事など知る由もなく。
出発前に先にそれを話していてくれたら、免れる事が出来たのだろうか。
それともやはり、逃れられない運命にあったのだろうか。
いずれにせよ、飛行機は空に向かって飛び立った。
花京院達と、一人の赤ん坊を乗せて。
















空の旅は快適かつ順調だった。
大汗をかきつつラクダに乗って砂漠を越えるのに比べたら、この空調の効いたセスナは、多少の狭苦しさを差し引いても、文字通り天と地程の差があった。


「ふわぁぁぁぁ・・・・。なぁんか飛行機に乗ると、眠くなってくるなぁ・・・・」

飛び始めて2時間ばかり経った頃、ポルナレフが大きな欠伸をした。


「ジョースターさん、すまねぇが30分ぐらい眠らせて貰うぜ。」
「ああ。」

ポルナレフとジョースターの声を、花京院も夢現のうちに聞いていた。
体調が悪くて、身体が異様に疲れていて、眠くて眠くて仕方がなかったのだ。
熱のある江里子と赤ん坊は、はじめからずっと眠っている。ポルナレフもとうとう眠ってしまった。
そこへ自分まで眠ってしまっては、ジョースターと承太郎に悪いとは思うのだが。


― 駄目だ、僕も、もう・・・・・・


波のように押し寄せてくる眠気に勝つ事は出来ず、花京院の意識は彼方へと流されていった。
だから、花京院は見ていなかったのだ。
眠っていた赤ん坊がふと目を開けて、ニッと笑ったのを。





「・・・・はっ!!!」
「なっ・・・!えぇっ!?」
「えぇぇっ!?」

花京院とポルナレフと江里子は、ほぼ同時に声を上げた。


「な、何だこりゃあ!?か、花京院!ここは何処だ!?ジョースターさんと承太郎は!?」
「えっ!?えっ!?何ここ!?遊園地!?これ観覧車なの!?」
「うおぉあぁッ!!!」
「いやあぁぁっ!!!」

ポルナレフと江里子は、外の景色を見ては驚き、向かいのシートにある犬の死体を見ては悲鳴を上げた。


「これは朝見た夢の続きだ・・・・・、僕らは夢の中にいるんだ・・・・・!」

カラフルなメルヘンランド。
観覧車のシートに、血塗れの犬の死体。
花京院は、それら全てに見覚えがあった。


「なに!?夢!?」
「ああ・・・・!」
「はぁ〜ッ!なぁ〜んだ、こらぁ夢かぁ!」

ポルナレフはすっかり気を抜き、犬の死体の横にドッカリと腰を下ろした。


「なら、安心だぜ!夢なら犬の死体なんて怖くないもんね〜ッ!」
「ポルナレフ、何言ってるんだ!」
「夢ってのは、怖いと思うから怖いんだぜぇ。」

ポルナレフは何だかずれた事を言いながら、犬の耳など捲ってみたりし始めた。


「いやぁ・・・・、夢でも怖いですよ・・・・・。何で平気で触れるんですか・・・・・?」

江里子は気味が悪そうに顔を顰めたが、ポルナレフは平然とウインクを飛ばした。


「だって夢だもんよぉ!おお〜ッ!リラックスしろよぉ!」
「違う!!3人で同じ夢を見るか!?」
「あ?それもそうだな・・・・、ちょいと変だが、でも、夢なら有り得るぜ。
おおーっとぉーッ!!いつの間にか!!」

突然、ポルナレフの両手の中に、特大サイズのポップコーンとソフトクリームが出現した。


「こりゃ便利でラッキー!じゃのう。ベロベロベロ・・・」

突如現れたそれらに何の警戒もせず、ポルナレフはソフトクリームを美味そうに舐めた。


「な!?楽しいと思えば、夢は楽しくなるのさぁ!ハハハハハ・・・」

お前も食うか?とばかりに差し出されたポップコーンのカップを、花京院は思いきり弾き飛ばした。


「良いか!!この犬が朝死んでいるのを見たろ!!
この犬もきっと僕と同じ夢を見ていたんだ!!夢の中で殺されたんだ!!
この手の傷も、その時つけられたんだ・・・・・・。」

花京院は、ようやく思い出していた。
左手に傷を負わせたのも、犬を殺したのも、全てはこの夢、この夢の中に現れた敵のスタンドだった事を。


「・・・・・誰に?」

ポルナレフはようやく呑気にソフトクリームを舐めるのをやめて、真剣な顔付きで花京院を見た。


「敵のスタンド、【死神−デスサーティーン−】!!」
「敵のスタンド?」

花京院は頷いた。
するとポルナレフは。


「・・・なぁ〜んだぁ〜!!お前スタンドの夢なんか見てたのかぁ!?ハッハッ、リラックスしろよ、リラックス!!」

さっきよりも一層能天気に、花京院を笑い飛ばした。


「違うッッ!!スタンドの夢じゃあなくて、夢のスタンドなんだ!!」
「そぉだよぉ?だからここは夢なんだろ〜?」
「分からん奴だな!!!」

この男はどうしてこう飲み込みが悪いのか。花京院は思わず江里子の前である事も忘れ、苛立ちに任せて観覧車の支柱に拳を叩きつけた。


「か、花京院さん、落ち着いて!」
「ラリホーッ!!とんだ頭の悪いヤローだぜッ!」

江里子が宥める声に重なるようにして、いや、江里子の声に完全に被さって、子供のような甲高い声が大きく響いた。
それも、肉声ではなく、拡声器を通したような奇妙なトーンで。
それと同時に、犬の死体が不気味に痙攣し始めた。


「えぇっ!?」

それには流石のポルナレフも怯んだらしく、反射的にその場を飛び離れた。
犬の死体は何かの前兆のような小刻みな痙攣を繰り返しながら、激しく血を吹き出させていた。


「全く、理解力の遅い脳ミソだと言ってるんだよ、ポルナレフゥッ!!」
「い、犬の傷口から・・・・・!」

やがて犬の頭部の傷から、何と、大きな拡声器が押し出されてきた。
それはあっという間に皮膚を突き破り、すぐさま完全に姿を現した。


「ラリホォゥッ!!貴様は死神世界の夢の中にいるんだよ、ポルナレフゥゥゥ〜〜ッ!!」
「か、拡声器・・・・・!」

驚いているポルナレフをおちょくるように、拡声器が突如、こちらに向かって飛び出してきた。


「うぇぇっ!!」
「きゃああっ!!」
「うっ・・・・・!」

3人共、辛うじて避ける事は出来た。
誰にも当たらなかった拡声器は落ちて転がり、床に大きな血溜りを作った。
ここまででも十分にグロテスクな光景だったが、しかし、悪夢はこれで終わった訳ではなかった。拡声器を生み出した犬の頭部から、今度はギョロッとした大きな目玉が出現したのだ。


「な、何だこいつは!?」
「ポルナレフ、闘いの態勢を取れ!!そいつがデスサーティーンだ!!
江里子さん、出来るだけ下がってて下さいッ!」

ポルナレフの足元に、糸クズのようなものがポトッ、ポトッ、と落ち始めた。
いや、糸クズではない。それはミミズだった。ミミズが上から降ってきていた。


「あぁっ・・・・?」

ポルナレフは、怪訝な顔で上を見上げた。


「うげぇっ!!!ミ、ミミ・・・・!」

ミミズの出所は、ポルナレフの持っているソフトクリームだった。
アイスの部分がいつの間にか大量のミミズに変わっていて、のたうちながらコーンから飛び出し、床に落ちてきていた。


「きゃああああっ!!いやあぁぁっ!!」

吐き気を催すようなこの状況に、江里子はパニックを起こしてしまった。
だが、落ち着かせる暇もなく、敵が現れた。
大きく盛り上がった犬の目玉から、デスサーティーンが飛び出してきたのだ。


「うおぉぉあぁぁぁっ!!!」
「出ろ、ハイエロファントグリーン!!」
「ごぁぁっ・・・!!」

出遅れてしまったポルナレフが、デスサーティーンに首を掴まれた。


「ハイエロファント、出て来いッ!!」
「ぐぐぐっ・・・・、チャリオッツ!!!」
「ハイエロファントが出て来ない・・・・!出せないッッ!!」

しかし、ハイエロファントグリーンも、シルバーチャリオッツも、何度念じても姿を現さなかった。


「ここが、夢の中だからか・・・・・!?」
「ラリホォゥッ!!夢の中で死ねるなんてロマンチックだと思わないかい?ラリホォ〜・・・・・・」

死神の大鎌の切っ先は、ポルナレフの口の中に入っている。
スタンドを出せない今、この状況は正しく絶体絶命というしかなかった。


「・・・おぁぁっ!!がぁっ!!あぐぐっ・・・・!!」

ポルナレフは必死であがいた。
だが、精神エネルギーが具現化したものであるスタンドに、物理的な攻撃は通じない。ポルナレフの拳も蹴りも、デスサーティーンにはやはり全く無効だった。


「お前バカか!?スタンドはスタンドでなければ倒せないのは知ってんだろ?
永遠の眠りの時間だぜ、ポルナレフ・・・・・」
「ごぁぁぁ・・・・・!」
「ラリホォ〜ゥ・・・・・・」
「ポルナレフゥゥーーーーッッ!!!」
「ポルナレフさーーんッッ!!!」
「死ねぇぇいッッッ!!!」

なす術も無いまま、遂に死神の大鎌が一閃された。
だがその瞬間、ポルナレフの姿は、まるで跡形もなく消え失せたのだった。













「・・・ポルナレフ、起きろポルナレフ。」
「う、うぅぅ・・・・・!」

何かが額にぶつかった。
ボール状の、軽くてカサカサした何かが。
その感触で、ポルナレフは目を擦りつつ起きた。


「ポルナレフ。赤んぼが漏らしとるぞ。おしめを取り替えてやってくれ。」
「あ、あぁ・・・・・」

ポルナレフを起こしたのはジョースターだった。膝の上には丸めた紙クズが落ちていて、ジョースターがこれを投げて起こしたようだった。
どうやら赤ん坊のおしめを替えなければならないらしい。
何もかも全部理解してはいるのだが、どういう訳か身体が思うように動かなかった。


「おいポルナレフ、起きてるのかぁ?おしめだよ、おしめ!」
「ああ、分かったよ・・・・。」

ポルナレフはやっとの思いで返事をし、重苦しい溜息を吐いた。
頭が痛い。身体が重い。
江里子の風邪が移ったのだろうか?でもそれとは少し違う気がする。
とにかく、最悪な気分だった。


「ハァ・・・・・、なんか、凄く恐ろしい夢を見たような気がするが・・・・。
でも、どんな夢だったか思い出せない・・・・・。忘れてしまった・・・・・。」
「おしめを取り替えたら、幾らでもどんどん続きを見てくれ。もう起こさんよ。」

そういえば花京院も今朝、同じような事を言って朝食もろくに食べなかった事を思い出し、ポルナレフは右隣に座っている彼の様子を伺った。


「・・・・・うぅ・・・・・、ん・・・・・・」

花京院はよく眠っていた。
彼が日中にこんなに眠りこけるなんて珍しいが、今日は寝覚めが悪かったせいでまだ眠いのだろうか。
何となく、うなされているように見えなくもないが。


「ポルナレフ、早くしてくれ!」
「ああ、分かったよ・・・・・・!」

ジョースターに急かされて、ポルナレフは花京院から目を離した。



「で?何だって?おしめを替えりゃあ良いのか?・・・・って俺がぁぁぁ!?!?」

ポルナレフは、ここでようやくはっきりと覚醒した。


「お、おいちょっと待ってくれよ!俺はおしめなんて替えた事ねぇぜ!?」
「儂は今、見ての通り手が放せん。承太郎もそっちへは行けんし、花京院もよく寝ている。従って、今はお前しかおしめを替える事が出来んのだ。」
「花京院の奴を起こしゃあ良いじゃねーか!」
「何だか調子が悪そうだっただろう。もう少し寝かしといてやれ。」

そう言われると、返す言葉も無かった。
ましてや、まだ熱の下がらない江里子を叩き起こす事など、それこそ出来る訳がない。


「う、うぅ・・・・・、しょーがねーな・・・・・・。」

ポルナレフは覚悟を決めて、腹を括った。
おしめの替えは、さっき村を出る時にあの婦人から貰っている。
ひとまずそれを広げてみて、ポルナレフは首を傾げた。


「それはそうと、おしめってどうやるんだー?初めてでよ。もしかして、これをパンツみてぇに履かせるのかぁ!?」
「それは布タオルだから、適当に巻き付けて、安全ピンで留めりゃあ良いんじゃよ。」
「なるほど・・・・」

ポルナレフは言われた通り、安全ピンを出して口に咥えてから、赤ん坊のおしめを解いてみた。
そこに綺麗なものがある訳でない事は、おぼろげながらもちゃんと理解していた。
だが、実際は。



「お、おお、おぉえぇぇぇ・・・・!!!」

白いおしめの上に、威圧感たっぷりに鎮座している一本の糞。
想像を遥かに超えるその衝撃的なものを目の当たりにし、ポルナレフは思わずえずいた。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!!こいつ何と、おしめにウンチしてるぜ!!見ろッ、これ見ろよッッ!!」
「赤ん坊だもの、するからおしめしてんじゃあないか。」

ジョースターが、さも当然とばかりの反応を示すのもまた衝撃だった。
この赤ん坊といい、ジョースターといい、何故そんなに平然としていられるのだろうか。ウンチなんて人の最もプライベートな領域を、平気で見たり見られたりするなんて。
その神経が、ポルナレフには理解不能だった。


「本当かぁっ!?マジ!?・・・知らなかった・・・・!何て不潔な生き物なんだ!あちこちついてるぜぇっ!」
「ウダウダ言っとらんで、早く取り替えろ。臭うぞ。」
「あ、あぁ・・・・・」

甚だ気は進まないが、こうなった以上、最後までやり遂げるしかなかった。


「恥ずかしくないのかぁ?大人になれよ、大人に!」

ポルナレフは、トイレットペーパーで赤ん坊の小さな尻を拭いてやった。
こんな屈辱を受けているというのに、赤ん坊は平気な顔、いやむしろスッキリ爽快とでも言いたげな顔をしているのがまた信じられなかったが、いちいち指摘してもキリがないのでやめておいた。
それよりも、早いところ新しいおしめを着けてやらねばならない。
ポルナレフはジョースターに言われた通り、布タオルを適当に赤ん坊に巻き付けてみた。赤ん坊の大きさの割にタオルが長すぎて、おしめというよりはズボンみたいな状態になった。


「これで良いのかなぁ?」

ポルナレフは赤ん坊を逆さ吊りの状態で抱えて、承太郎にチェックを求めた。
赤ん坊が『逆位置』なのは、『正位置』だと折角巻いたおしめがストンと落ちてしまうからである。
承太郎は何も言わなかった。
良いとも言わないが、駄目だとも言わないのなら、まあ問題は無いという事なのだろうとポルナレフは解釈した。


「ま、良い事にしよう。承太郎、ちょいと端っこ持ってくれ。ピンで留めるから。」
「ああ。こうか?」
「おぉい、ちょっ・・・、赤ん坊ごと持ってくれよ・・・・」

どうやら承太郎も赤ん坊には不慣れなようで、大の男2人、赤ん坊のおしめを固定するのに四苦八苦し始めた。
だからポルナレフも、承太郎も、気付かなかった。
眠っている花京院と江里子が、眉間に深い皺を寄せてうなされている事に。




















「チッ、惜しい・・・・!誰かに起こされたな?運の良い奴・・・・!」

ポルナレフがかき消えた後、デスサーティーンは忌々しそうに大鎌の柄を床に打ちつけた。


「あ・・ぁぁ・・・・!」
「ラリホ〜!まあ良い。どうせ目を覚ましたところで、記憶は消えてるんだからな。また眠ったところをやれば良いのさ。
・・・・さて花京院。お前が先だ!ラリホ〜ゥッ!」
「う、うぅぅ・・・・!」

標的を江里子に定められなかったのは幸いだったが、それは即ち、花京院自身が窮地に立たされているという事であった。
自分のスタンドが出せない状態で敵スタンドの世界に閉じ込められ、スタンドは勿論、本体を攻撃する事も出来ない。
正に絶体絶命の大ピンチだった。


「あ、あぁぁ・・・・・!あぁ・・・・・!」

花京院はジリジリと後ろに追い詰められていった。
狭い観覧車の中ではそもそも逃げ場など無く、2・3歩後ずさったところで背中に支柱が当たった。
観覧車は高く上がっていて、飛び降りれば命は無い。
ここは夢の中だが、いや、敵スタンド使いの作り出した夢の中だからこそ、必ず死ぬと思われた。


「う、うぅぅぅ・・・・!」
「花京院さん・・・・・!」
「ラリホォゥッ!!!」

デスサーティーンは、躊躇いなく大鎌を振り上げた。


「やめてーーーーッッッ!!!」
「うわあぁぁぁぁッッ!!!」

江里子は勿論、もはや花京院にもなす術が無かった。
目覚めない限り、どこに逃げようが、何をしようが、必ず殺される。
未だ悪夢の中に囚われたままの二人にはただ、死の恐怖に叫び声を上げる事しか出来なかった。




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