星屑に導かれて 30




ジョースター達と合流し、ひとまず馬車を停めていた所へ戻ってみると、エンヤ婆の死体が消えていた。
残っていたのは大量の血痕と、壊れた馬車の残骸だけだった。


「おい、荷物は!?」

ポルナレフの切羽詰まった叫び声に、一同は荷物が根こそぎ無くなっている事に気が付いた。


「し、しまった!盗まれたか!」
「ぼ、僕の荷物もない!何て事だ・・・・!」
「ど、どうしよう!着替えが全部なくなっちゃった・・・・・!!」

ジョースターも、花京院も、そして江里子も、それぞれに動揺していたその時、誰かが江里子の服の裾をクイクイと引っ張った。


「え・・・・・?・・・・ああっ、あなた!?」

それは、江里子がさっき助けた男の子だった。鼻に詰めてあげた筈のティッシュが抜かれていて、血も完全に止まっているようだった。


「鼻、大丈夫なの?」
「うん!さっきはありがと!」

男の子は元気そうな笑顔で、江里子にお礼を言った。江里子も笑い返し、男の子の頭を撫でた。


「どういたしまして。大丈夫そうで良かったわ。」
「来て!来て!」
「えっ?あっ、ちょっ・・・・!」

男の子は有無を言わさず、江里子の手を引っ張って駆け出した。
どこへ連れて行かれるのかと思ったら、スティーリー・ダンのやっていたケバブ屋の隣の店だった。
店の中には店主らしき中年の男性がいて、男の子が呼びかけると、江里子達の方を見て人の好さそうな微笑みを浮かべた。


「あなた方ですか!さっきはうちの子を助けてくれたそうで、どうもありがとうございます!表の壊れた馬車はあなた方のでしょう?うちで荷物を預かっていますので、どうぞ奥へ!」

店主のその言葉に、江里子達は思わず顔を輝かせた。
男の子に案内されて店の奥へ行くと、江里子達の荷物が残らずそこにあった。


「いやあ助かったぜ!ありがとよ坊主!」

ポルナレフは自分のズタ袋を大事そうに抱えて、男の子の頭を撫でくり回した。


「いや実に有り難い。感謝します。」

ジョースターは自分の荷物を受け取りながら、店主に深い感謝を示した。
人数分の冷たい飲み物を運んできてくれた店主は、照れ臭そうな笑顔で『こちらこそ』と返すと、ふと真顔に立ち返った。


「・・・息子が怪我をして泣いて帰って来て、話を聞いて外に出てみたら、あなた方の荷物と馬車の残骸と・・・・・、血塗れの老婆の死体が・・・・・・。」

その話に、全員が一瞬にして黙り込んだ。


「ともかく、荷物を盗られてはお困りだろうと思って、うちに運び入れたのです。息子に事情を聞いた限り、あなた方は悪い人ではない、そう思ったので。警察にも連絡しておりません。」
「・・・・・・・重ね重ね、感謝します。」

ジョースターは帽子を取り、深々と頭を下げた。


「とても気分の悪い事をお尋ねするが、その老婆の死体がどうなったか、ご存知ではありませんか?」

ジョースターが尋ねると、店主は小さく頷いた。


「荷物を運び入れ終わってすぐ、誰かが通りかかりました。
店の中からそっと様子を見てみたら、誰かが老婆の死体を抱え上げ、一瞬で何処かへ消えました。
警察に通報しなかったのは、実はそのせいでもあるのです。」
「何じゃと・・・・!?」
「その人の顔は?見ましたか?」

花京院の質問に、店主は申し訳なさそうに首を振った。


「顔は見えませんでした。黒い外套のフードをすっぽり被っていましたから・・・・。」
「男か、女か!?年の頃や背格好は!?何か特徴はなかったか!?」

ポルナレフの質問にも、店主は同じように首を振った。


「その時は男だと当たり前のように思いましたが、今になって思えば、絶対に男だったかどうかは・・・・。
取り立てて特徴らしい特徴はありませんでした。
年の頃も分かりません。背中はまっすぐでしたから、多分老人ではないと思いますが・・・・。
背格好は少し痩せた感じで・・・・、そう、貴方と貴女の中間ぐらいの背丈でしたか・・・・・」

店主はそう言って、江里子と花京院を指差した。


「私と・・・」
「僕の中間ぐらいか・・・・・。僕が178cmだから・・・」
「私は158cmですから・・・・、じゃあ、170cm足らずってとこですね・・・・」

身長170cm程の性別不問となれば、そんな人間は世界に星の数程いる。


「そいつが次の刺客となる事は十分に有り得るが・・・・、今は打つ手が無いのう。」

ジョースターの言う通り、エンヤ婆の死体を運び去った者を特定するのは、今のところ不可能だった。


「ともかく、早いところ出発しよう。
ご主人、お心遣い感謝しますぞ。もし失礼でなければ、何かお礼をしたいのだが。」

ジョースターの申し出を聞いた店主は、元々大きな目を更に大きく見開いて、とんでもないと叫んだ。


「不審な男に酷い目に遭わされた息子を助けて貰ったんです!感謝してるのはこちらの方です!」
「不審な男?ねえ、あの人、隣の店の人じゃなかったの?」

江里子は、自分に纏わりついている男の子に尋ねた。
すると男の子は、キョトンとした顔をブンブンと振った。


「違うよ!隣のケバブ屋は、いつもはお爺さんが一人でやってるんだよ!あの怖いお兄さんは見た事ない人だよ!」
「そうなんです。それがさっき、全く見た事もない若い男がやっていたと息子が言ったものですから、変だなぁと・・・・。」

父子の言う事を聞いて、江里子達は黙ったまま顔を見合わせた。
隣のケバブ屋の本物の店主の安否が気になるが、下手に深追いすれば、この親切な父子までも危険に晒してしまうかも知れない。


「ご主人、あれこれ尋ねて済まんが、儂らは急ぎ、アラビア半島に渡りたいのじゃ。
その方面へ運航する船に乗るには、どこへ行けば良い?」
「船ですか!?私はよく知らないけど、ひとまずカラチ港へ行ってみればどうでしょうか?」
「そうか、色々と世話になったな。本当にありがとう!ほれ、行くぞ、お前達!」

ジョースターに促され、江里子達もそれぞれの荷物を手に店を出た。


「お気をつけて!」
「バイバーイ!」

父子に見送られ、一行はひとまずカラチ港を目指した。




















「うぅ・・・・・・、うぅぅ・・・・・・・・・」

暗闇の中に、香の煙が細くたなびいている。


「うぅぅ・・・・・、えぐっ、えぐっ・・・・・・」

燭台にぼんやりと灯る紫色の炎の灯りが漆黒の闇を僅かに照らす中、ラビッシュは泣いていた。


「うぇぇぇぇ・・・・・・・」

ラビッシュの目の前の祭壇上に、二つの髑髏があった。
一つは大きくて、ちょうど脳天の部分に穴が開いている。
もう一つの方は小さくて、額の部分を中心に粉々に砕けている。
その損傷具合は、髑髏の持ち主の死に様を物語っていた。


「母さまぁ・・・・・・・、兄さまぁ・・・・・・・・・」

ラビッシュは床に這い蹲り、祭壇上の二つの髑髏を仰ぎ見ながら、とめどなく涙を流していた。


「うっ、うっ、えぐっ、えぐっ・・・・、悲しいよぉぉぉ〜〜〜〜ッッッ!!!」

顔中の穴という穴からあらゆる水を盛大に垂れ流し、汚らしい顔で号泣していた。


「兄さまも母さまも死んでしまったよぉぉぉぉ〜〜〜〜ッッッ!!
とうとうボクは、ひ、ひ、独りぼっちになってしまったぁぁぁ〜〜〜ッッッ!!
あぁあぁあぁあぁあぁ〜〜〜〜!!!寂しいよぉぉぉ〜〜〜〜〜ッッッ!!!」

気違いのように泣き喚くだけ泣き喚いて少し落ち着いたのか、ラビッシュは号泣するのをやめ、ヒックヒックとしゃくり上げながら、袖口で涙と鼻水を拭いた。


「ヒック、ヒック、ヒッ・・・・・、か、仇を討ってやる・・・・・。
仇を討てば、きっと母さまは褒めて下さる・・・・・。
よくやったラビッシュ、愛してるよ、って・・・・、フヘ、フヘヘヘ・・・・」

涙の跡の残る頬に、今度は無邪気な、しかしどこか歪な笑みが広がった。


「え、エジプトにおられるDIO様にも、きっと会わせて貰える・・・・・。
あの美しい瞳が、ぼ、ボクをまっすぐに見つめて、ハァ、ハァ・・・・・、ありがとうラビッシュ、ぜひ私と友達になってくれ、って・・・・、ハァ、ハァ・・・・、あの逞しい身体で、ハァ、ハァッ・・・・・、ぼぼ、ボクを、ハァッ、ハァッ、ち、力強く、だだ、抱きしめて・・・・、ハァッ、ハァッ、アァッ・・・・!!」

ラビッシュは堪りかねたようにズボンを下ろし、下半身を剥き出しにした。
そこに密かに勃ち上がっている彼のシンボルは、20歳前後であろう年齢の割に余りにも稚拙で、声変わり前の少年の幼い器官の如くであった。


「あっ、あぁッ・・・・!DIO様に、愛して貰える・・・・・・・!
あ、アイツらをメチャクチャにしてやったら、きっと、きっと、可愛がって貰える・・・・・!」

ラビッシュは激しく身悶えながら床に転がり、大きく脚を開いた。
その中心、未熟な男性器の根元には、驚くべき事に女性のそれまでもが存在していた。同じく成熟はしておらず、まだまだ青く固い蕾のような幼芯が。
ラビッシュは舐めしゃぶって唾液で濡らした指を己の小さな秘口に無理矢理捻じ込み、掻き回し始めた。


「あぅん・・・!あ、あのステキな方に・・・、きっと・・・、きっとぉ・・・!」

中に捻じ込まれる指が2本、3本と増えていき、粘膜の擦れる音が微かに響く。
同時に扱かれる楔が、相変わらず頼りなげなサイズではあるものの、ピンと張りつめて硬くなっていく。


「ア、アイツら、ぜったい、ぜったい、メチャメチャにしてやる・・・・・・!
メチャメチャにしてやったら・・・・、してやったら・・・・!おぉぉ・・・・!」

口の端から涎を垂らしながら、ラビッシュはより一層激しく両手を動かした。


「D、DIO様のぶっといXXXで、ボ、ボクを、メ、メチャクチャにしてぇぇぇア゛ァァァんんッッ・・・・・!」

程なくして、未熟な楔から幾ばくかの白濁液が滴り落ちた。
それと同時に、幼芯が僅かに蠢きながら、血の混じった蜜を垂らした。
小さな秘口を何本もの指で乱暴に掻き回したせいで、少し切れてしまったのだ。
どちらの器官も発達段階にあるのではない、これで既に完成されていた。
一人の人間の身体に二つの性が混在しているだけでも奇異な事だが、男としても女としても成熟出来ない彼の、果てて放心したしどけない姿は、哀しいまでに異様だった。


「ハァッ、ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・・・・ァン゛ッ・・・・」

ラビッシュは指を引き抜いた後、暫く目を閉じてぐったりとその場に転がっていたが、突然パチリと目を開けて起き上がった。


「フフフーン、フーン・・・・・」

ラビッシュは、ついさっきまでの悲しみ様や乱れ様とはうって変わって、今度は鼻歌などを歌いながら着衣を整え、粘液に塗れた指をズボンで拭いた。
そして、側の丸テーブルの上の水晶玉を覗き込んだ。


「・・・・・・・・・」

ラビッシュが呪文を唱えると、透き通っていた水晶玉が次第に濁り、もやが渦巻いたようになり、やがてそれが晴れてくると同時に人の姿が映った。


「ジョースター・・・・・・・」

まず、談笑しながらステーキを切り分けているジョセフ・ジョースターの姿が映った。


「承太郎・・・・・・・」

次は、ステーキの一切れを口に運びながらも、その口元に楽しげな笑みを浮かべている空条承太郎の姿だった。


「花京院・・・・・・・」

その次は、やはり談笑しながらパンを千切っている花京院典明の姿だった。


「ポルナレフ・・・・・・・」

その次は、赤ワインを飲みながら、誰よりも楽しげに笑っているジャン・ピエール・ポルナレフの姿だった。
そして。


「・・・・・江里子・・・・・・・」

食べる事も忘れたように、楽しそうに話している江里子。
そんな江里子の顔を、ラビッシュは粘るような目で見つめた。


「お前、ムカつくんだよ・・・・・・」

皆、江里子の話に耳を傾け、楽しそうに相槌を打っている。
皆、江里子を優しい目で見つめている。
皆、江里子を庇って守ろうとしている。
いつもいつも、どんな時でも、自分の身体を張ってまで。


「お前も同じ、無能な役立たずのくせに・・・・・・・」

スタンドを持たない、闘えない、非力な役立たずなのは同じなのに。
何故、江里子はその存在を許されているのか。
何故、受け入れて貰えるのか。
何故、疎まれないのか。
何故、愛して貰えるのか。


「許せない・・・・。見てなさいよ、すぐにメチャクチャにしてやるから・・・・」

ラビッシュは、水晶玉の傍らに置いてあった分厚い古文書を手に取った。
古代の言語らしき文字で書かれてあるその本の頁を注意深く捲っていき、目当ての頁に辿り着くと、唇を歪ませて笑った。


「お前達の薄っぺらい仲間意識なんか、すぐに粉々にしてやる。お前達は間もなくこのラビッシュの術中に嵌って、醜く無様な裏切り合いをするのさ。
愛も友情も信頼も、何もかも全部粉々に砕け散る。
幾ら格好の良い正義感や使命感を振りかざしたって、所詮人間なんて一皮剥けば下衆で下らない生き物なんだって、嫌という程思い知る事になるわ。
そしてお前達は、DIO様の元に辿り着く前に、破滅する・・・・・。」

篭った小さな笑い声が、ラビッシュの喉の奥で響いた。


「ジョースター達の破滅の原因は・・・・・、お前だよ、エリー。
愛しいダーリン達を破滅させるのは、他ならぬお前なんだよぉん、プククッ・・・・」

水晶玉には、談笑している江里子の笑顔が映っていた。
この密かな悪意にまだ何も気付いていない、屈託のない江里子の笑顔が。



















「すみません、花京院さん。部屋まで送って頂いて。」
「いえ、良いんですよ。」
「花京院さんは、皆と一緒にバーに行かなくて良かったんですか?」
「どうやら僕もまだ、酒の味はよく分からないようですので。」

少し肩を竦めて笑った花京院に、江里子も笑い返した。


「じゃあ、おこさまはおこさま同士、ジュースでもいかがですか?」
「え・・・、良いんですか?」
「勿論!どうぞどうぞ、入って下さい!」

江里子は部屋のキーを開け、花京院を招き入れた。
ここはアラブ首長国連邦の首都・アブダビの、とある高級ホテルの一室。
ラバーズの卑劣な襲撃を撃退した一行は、カラチからアラビア海を渡り、アラブ首長国連邦へ入っていた。
イランからイラクへの陸路は、政情不安の為避けて通ってきたのだが、対岸のこちら側は、戦火とはまるで無縁のリッチで平和そうな国であった。


「オレンジジュースとコーラがありますけど、どちらが良いですか?
あ、ティーセットもありますから、温かい紅茶も出来ますよ。」
「じゃあ、紅茶を頂こうかな。」
「はい。ちょっと待ってて下さいね。座って寛いでいて下さい。」

江里子はいそいそと紅茶の支度をしながら、花京院に笑いかけた。


「でも、花京院さんと二人でこうやってゆっくりお話するのって、何だか久しぶりですね。」
「ああ・・・、言われてみれば。」
「花京院さんだと何も考えずに日本語で喋れるから楽だわ〜!」

江里子は今、上機嫌だった。
この近代的で清潔なホテルの部屋や、上等なフルコース料理を出すレストランのお陰である。
本来、江里子は決して贅沢な性分ではないのだが、インド・西アジア方面の衛生状態は、想像を絶するレベルだったのだ。
船と車を乗り継ぎ、ようやくこのアブダビに辿り着いた時は、大袈裟でなく生き返った心地がしたものだった。


「フフッ。確かに、僕も江里子さんと承太郎が相手だと、喋るのが楽ですね。」
「ジョースターさんもポルナレフさんも、気を使って聞き取り易いように喋ってくれていますけど、
やっぱり日本人は日本語が楽ですよね、ふふっ!・・・はい、どうぞ。」
「ありがとうございます。」

江里子は温かい紅茶のカップを、花京院の前に置いた。
そして、その向かいに自分のカップを置くと、椅子に腰を落ち着けた。


「あ〜あ。でもちょっと残念だったなぁ。」
「何がですか?」
「ドバイです。ほんの少しの寄り道で行けたのに、このまま反対方向まっしぐらですもんね。この清潔で素敵な街とも明日の朝には早速おさらばして、砂漠のど真ん中に向かって突撃かぁ。」

それは、さっきの夕食の席で打ち合わせ、決定した旅程だった。
それを思い出し、ついぼやくと、花京院は可笑しそうに吹き出した。


「フフフッ、何だか面白い言い回しですね。」
「そうですか?」
「まあ、気持ちは分かりますよ。それに、ホリィさんに頼まれたお使いの件もありますしね。」

江里子は出発前の事を思い出した。
身体が焼けつくような高熱を押して、ファッション雑誌を片手にキャアキャアはしゃいで見せたホリィの事を。


「・・・花京院さんならきっともうお分かりでしょうけど、あれは奥様の口実なんです。」
「ええ。分かっています。」
「奥様は、決して贅沢がお好きな方ではないんです。
確かに高価な物を沢山お持ちですけど、しょっちゅうそんな物ばっかり買い込んでいる訳ではなくて、日頃はとても質素に暮らしておられるんです。
私とお揃いの、イチキュッパのTシャツとか平気で着ちゃうんですよ、ふふっ。
好きに使える1万円があったとしたら、ご自分のお洋服や化粧品じゃなくて、霜降りのすき焼き肉を買ってきちゃう・・・、そんな方なんです。」
「お世話になっていたのはものの数日でしたが、僕も分かります。とても愛情深い女性ですよね、ホリィさんは。」

花京院もまた、ホリィに思いを馳せるかのようにしみじみと呟いた。


「奥様は、闘いに行く皆さんの事だけじゃなく、単なるお荷物の私の事まで考えてくれていました。
タイで奥様と電話した時に、私、この旅を楽しんでしまっている事を、奥様に謝ったんです。
奥様が病気で苦しんでいる時に旅を楽しんでいるなんて、申し訳なくて、心苦しくて・・・・。
でもその時奥様は、それは私の世界が広がったって事だからとても嬉しいって、そう仰ったんです。
そして、私の大事な人達や私自身の為に、自分の思うように進みなさい、って。」

あれから以降、電話もままならないような状況が続いてしまったが、ホリィはどうしているだろうか。
あれからまた、色々な事が沢山あった。時間にしてみればたった2週間程度だが、密度が濃すぎて、2年分位の経験をした気がする。
それをまた、彼女に話したかった。色々と見聞きしてきた事、そして、刻々と変化していく自らの内面の事を。


「私ね・・・・・、この旅に出てきてから、何だかどんどん変わってきている気がするんです。
旅に同行して欲しいと奥様に頼まれた事も、初めは皆さんに無茶をさせないようにという言葉通りに受け止めていましたけど、今は、奥様はもしかしたら私自身の為にもそう仰ったのかなって思うんです。
小さな子供みたいに奥様の側に一日中くっついて回って、それが何よりの幸福だと思っていた私の為に。」

それに何の疑問も、勿論不満も、持っていなかった。今でもそうだ。
だが、そんな自分の心を客観的に捉えて分析出来るようになったのは、つい最近の事だった。


「結局私は、ないものねだりをしていただけなんですよね。
奥様と出会って、欲しくて欲しくて仕方がなかった温かい家庭の中に入れて貰えて、手に入ったと思い込んでいた。
ようやく手に入れたと思い込んでいた。・・・・それは私のものではないのに。
私が欲しいものは、私がこの手で作り上げていかなきゃいけないものなのに。」
「江里子さん・・・・・・・」
「この旅に出てから、だんだんそれが分かってきたんです。私の世界って、とんでもなく狭かったんだ、って。」

異国の地、馴染みのない習慣、それまでの日常とはまるで違う流れ方をする時間。
それらを感じている内に、江里子はいつの間にかそれに気付き始めていた。


「出発前に奥様は、とても自分を責めておられました。私に軽蔑されたって、嫌われたって仕方がないと思っている、って。
危険な旅ですからね。同行してくれと頼む事は、死んできてくれと言ってるようなものだって、思っていたんだと思います。
私はそんな事全く気にしていないんですけど、でもね、出発前と今とでは、気にしない理由が違ってきているんです。」
「・・・と、言うと?」
「出発前は、只々奥様から受けた恩に報いる為、奥様との穏やかな暮らしを取り戻す為、それだけでした。それだけで十分、命を懸けるに値すると思っていました。
だけど今は、自分の為にも、ついて来て良かったと思っているんです。
どんなに危険な目に遭っても、ついて来なきゃ知らなかった事、気付かなかった事、出逢えなかった人、色んな事がありましたから。
そしてこれからも、まだまだ沢山の事が。」

今、目の前にいて、江里子の話に真摯に耳を傾けてくれている花京院。
彼との出会いもまた、その内のひとつだった。
この奇妙な冒険が結びつけた不思議な縁に、江里子は改めて感謝していた。



「・・・・僕も同じです。」

江里子の話を聞き終わると、花京院は静かに口を開いた。


「僕の事は、出発前に少し話しましたよね?
このスタンド能力のせいで、僕はずっと孤独だった。友達どころか、家族さえもバラバラだった。
だけどこの旅に出てくるまでずっと、僕はそれをどうこうしようと考えた事がなかったんです。
孤独という殻に篭らざるを得ない自分を哀れみ、受け入れてくれない周囲に絶望して、その殻から出ようと考えた事がなかった。
どうせ誰も僕の事なんて分からない、生涯誰とも心が通じ合う事はない、なんて達観したつもりになって、何者をも拒絶していた。」

花京院は紅茶を一口飲むと、改めて語り始めた。


「DIOに出遭ったのは、今年の9月初旬の事でした。
夏休みも終わりに近づいたある日、ふと思い立って両親にエジプト旅行をせがんだんです。本当に、虫が報せたように、天の啓示を受けたかのように、エジプトに行きたいと思ったんです。
だから僕は、初めて自分から家族旅行をねだりました。」
「9月って・・・・・」
「ええ、あと2〜3日で2学期が始まるという時でした。
その上、休み明けにはすぐ実力テストが控えているという状態でしたが、その時の僕には、そんな事は全く念頭になかった。
普通、親ならば、そんな時期に旅行したいなんて息子の我儘を聞き入れる事は絶対に無いでしょう。
だが、僕の奇妙な力を恐れ、腫れもののように怖々遠巻きに接する母と、仕事という恰好の逃げ場にこれ幸いと逃げ込んでばかりの父に、駄目だと言う事は出来なかった。
出来ないような誘い方を、僕がした。」

具体的にどんな誘い方をしたのか、訊く事は躊躇われた。
罪の告白をするような花京院の声音が、そうさせた。


「ほとんど脅迫のようにしてまんまと連れて行って貰ったエジプトで、僕はDIOに遭遇した。
今から思えば、あれは虫の報せや天の啓示などではなく、DIOの呼び掛けだったのでしょう。
DIOは己の手駒とする為に、スタンド能力を持つ者を世界中から集めていた。或いは今もそれをしているかも知れない。
とにかく僕はそこでDIOと遭遇し、完膚無きまでに敗北し、傀儡となり下がった。
闘う事すら出来なかった。恐怖して、命惜しさに自ら奴の傀儡となる事を選んだ。」
「・・・・それはきっと、仕方のない事です。アヴドゥルさんだって、ポルナレフさんだって・・・」
「そう、皆同じだった。だけど、皆が同じなら平気かというと、そうじゃあない。
それはアヴドゥルさんもポルナレフも同じ筈です。僕らは皆、DIOに屈した自分を恥じ、悔いている。」

江里子は口を噤んだ。
励ますつもりで言った言葉が、全く無意味で、とてつもなく浅はかに聞こえて。


「あのままだったら僕は、DIOの操り人形となって使われるだけ使われた挙句、死んでいた。
だから、肉の芽に操られていた僕を救ってくれた承太郎に恩を返したい、ホリィさんを助けたい。
だけど、それだけではないんです。」
「え・・・・・?」
「僕らにとっての・・・、僕にとってのこの旅は、DIOに負けた自分に打ち克ち、僕自身を生まれ変わらせる為の、謂わば再生の旅なのです。」
「再生の、旅・・・・・・」
「僕も江里子さんと同じなんです。自分を受け入れて貰えない事に傷付いて、それ以上傷付きたくなくて、弱い心を硬い殻で守ってしまっていた。
僕はその殻を打ち砕く為に、この旅に出てきたのです。」

花京院の話が、心の奥の方に響いてきていた。
まるで紙に水が滲み込んでいくように、静かに、そして素直に。


「・・・・何だか私達・・・・、とても似てる・・・・・」

知らず知らずのうちに、江里子はそう呟いていた。


「江里子さん・・・・・・・」
「・・・あっ、も、勿論、全然別なんですよ!?」

江里子が我に返ったのは、戸惑うような花京院の瞳に見つめられている事に気付いた時だった。


「うちは借金まみれのド貧乏家庭だけど、花京院さんのお家は立派なお家柄ですし、学校だって県立の激烈バカ校と私立のエリート進学校で、月とスッポンですし!」

失礼だっただろうか?何か意味を取り違えたのだろうか?
彼の話は理解しているつもりだったが、こんな育ちの悪い娘が彼のような頭の良い高尚な人の言う事など、やはり理解出来ていなかったのだろうか?
江里子はぎくしゃくと笑いながら、早口で思い付く限りのフォローを入れた。


「私みたいなのが花京院さんと同じランクの人間だと言ってるんじゃあないんです!気を悪くなさらないで下さいね!
ただ、今までの生き方とか、考えている事とかの根本的な部分がちょっと似ているなって思っただけで・・・・!
あっ、紅茶、冷めちゃいましたよね!淹れ替えましょうね・・・!」

花京院の視線に耐えられず、江里子はそそくさと席を立ち、紅茶を淹れ替える体を装って彼に背を向けた。
だがそれは、結果的に、江里子をより一層困惑させる引き金となった。


「っ・・・・・!」

突然背中から抱きしめられ、江里子は一瞬、呼吸を止めた。


「・・・・ランク付けなんて、しないで下さい。
僕がそう思えたのは、江里子さん、貴女のお陰なんですから。」

すぐ後ろで、花京院の声がする。
何だか苦しげな、低い声だった。


「貴女はスタンド使いではないのに、僕を気味悪がらず、普通に接してくれた。
スタンドがあるかないかなんて関係なく、まっすぐな優しさで、貴女は僕の心に寄り添ってくれた。
スタンドが見えない普通の人間とは一生心を通わせる事など出来ないという僕の思い込みを、貴女が粉々に打ち壊してくれたんです。」

どんな言葉を返せば良いのか、何も分からなかった。
いや、言葉など、とてもではないが出なかった。
ただ胸が苦しくて、何かが喉に詰まって、花京院の腕の中で息を潜めてじっとしているしかなかった。


「・・・・・・・すみません・・・・・・・。今こんな事を話すべきでは、するべきでないのは分かっているのに・・・・・・。」
「・・・・・・・・・」
「分かっているのに・・・・・、時々、とても苦しくなる・・・・・・・。
貴女の心が誰にあるのかを、確かめたくなる・・・・・・・。」
「・・・・・・・花京院さん・・・・・・・・」

擦り切れそうな、切なげな花京院の囁きに、堪え切れない激しい感情が押し寄せた。
何を言えば良いのかもまだ分かっていないのに、それでも何かを言いたくて、何かを彼に伝えたくて、堪らなくなった。


「花京院さん、私・・・!」
「言わないで。」
「っ・・・・・・!」

しかし、振り返ろうとした江里子を、花京院はやんわりと拒んだ。


「何も言わないで下さい、・・・今は。」
「・・・・・今・・・・・は・・・・・・?」
「今は、DIOを倒し、ホリィさんを救う事だけを考えましょう。
だけど、全てが済んだその時には、僕はもう、僕の心を隠さない・・・・」

江里子を抱きしめたまま、花京院はそう告げた。


「・・・・・今夜の事は、ひとまず忘れて下さい。」
「・・・・花京院さん・・・・・」
「紅茶、ご馳走様でした。おやすみなさい。」

甘い束縛が解かれると共に、花京院は江里子に背を向けて出て行った。


「花京院さん・・・・・・・!」

呼び掛けたが、振り返っては貰えず、一言の返事もなかった。
やがてドアの閉まる小さな音が聞こえて、江里子はその場に崩れ落ちるようにして座り込んだ。


「・・・・・・何よ・・・・・・、ひとまず忘れて、って・・・・・・」

そんな事、出来る訳がない。
早鐘を打ち続ける胸をぎゅっと押さえながら、江里子は暫し、その場に座り込んでいた。






















翌朝、ホテルを出発した一行がまず真っ先に向かったのは、空港でもバス乗り場でもなく、とある高級車のディーラーだった。
そこへ着くなり、ジョースターは支配人を呼びつけ、この中で一番グレードの高い車をくれと言い放ったのだった。


「あとはそちらの書類にサインを頂ければ、契約完了です。」
「ん〜・・・・、これじゃな。」

躊躇いもなくサインを済ませたジョースターを、江里子はおずおずと見上げた。


「ジョースターさん、本当に良いんですか?」
「うん?何がじゃ?」
「こんな高い車を、試乗もせずにさっさと買っちゃうなんて・・・・・」

江里子がボソリと呟くと、支配人は極上の営業用スマイルを江里子に向けた。
普通、こういう事務処理は一般の販売員が対応するのだろうが、ジョースターがとびきりの上客だからだろう、案内から事務手続きに至るまで、支配人が終始直々に担当していた。


「ご心配には及びません、お嬢様。私共が扱っております車は、どれもこれも最先端技術を駆使して作られたものばかり。
整備も勿論、万端でございます。必ずやご満足頂けると、自信を持って申し上げられます。」
「あ、そ、そうですか、あはは・・・・・・」

とは言っても、江里子の思う高級車よりゼロがひとつ多い、超・高級車なのだ。
そんなとんでもない物を、値段も聞かず、内装ひとつ見もせずにポンと買ってしまうなんて、ちょっと信じられない。


「・・・やっぱり雲の上の人だなぁ・・・・・」
「うん?何じゃ?」
「いえいえ、何でも!」

江里子が愛想笑いをしている間に売買契約が終わったらしく、支配人は大きな茶封筒をジョースターに差し出した。


「ありがとうございます。こちらが売買契約関係の書類一式でございます。お買い上げありがとうございました。よいご旅行を。」
「うむ。ありがとう。さあエリー、行こうか。」
「はい。」

ジョースターは封筒を受け取ると、江里子を促した。
江里子もそれに従い、歩き出したのだが。


「いやぁ〜、君みたいな可愛い子にお願いされたら、俺も車買っちゃいそうだよ♪」
「まあ、お上手。」

ポルナレフが来客用のソファに腰掛け、金髪美人の女性販売員の手を握ってナンパしているのが目に入った。


「ポルナレフさんたら・・・・」
「またあの男は・・・・・・・」

江里子とジョースターは互いに呆れ顔を見合わせ、溜息を吐いた。


「今度改めて食事でもどうかな?・・・・うぐっ!」

この上なく絶妙なタイミングで、ジョースターはポルナレフの頭のてっぺんにバシッと封筒を叩きつけた。


「ポルナレフ君。お忙しいところ大変申し訳ないのだが・・・・」
「ジョースターさん!」
「出発するぞ。」
「ちょっとぉー!髪はやめてくれよぉ!ヘアースタイル整えんの大変なんだぜ!」
「ヘアースタイルなんぞ知らんよ。運転を頼む。」

ジョースターはそう言い置いて、一足先に歩き始めた。


「あいよ!バ〜イ、マドモアゼル♪」

ポルナレフもあっさり金髪美女から離れ、こちらについて来た。
そして、当たり前のように江里子の肩を抱いた。
別に嫌な訳ではないのだが、
この人のこういうところは今に始まった事ではないのだが、
それは彼にとっては社交辞令みたいなもので、お国柄からしてそんな感じがするといえばそうなのだが、


「・・・・・・・」

何だかモヤモヤする。


「・・・・・・・」

嫉妬だろうか?
確かに、たった今まで目の前で別の女性を口説いていたくせして何なんだとは思うが、しかし、嫉妬の一言で片付けられる程、簡単でもなかった。
うまく整理出来ないが、何だかモヤモヤする。
このところ色々ありすぎて、自分でも何が何だか分からないのだ。
ほんの1日2日の間に次々と、承太郎にキスされたり、花京院に抱きしめられて告白めいた事を言われたりして・・・・


「わぁぁぁっ!!」
「なっ、何だよ!?どうしたんだよエリー!?」

心の動揺が思わず口を突いて出てしまい、ポルナレフを驚かせてしまった。
だがまさか、理由を説明する事など出来る訳がない。


「・・・・・・何でも。」

江里子は落ち着き払った表情を作ると、フイとポルナレフの腕から逃れてジョースターの隣についた。
ポルナレフはそれを勘違いしたのだろう、諦めたように小さく肩を竦めてから、車の話に触れた。


「しかしジョースターさん、こんな砂だらけの土地で、何でまた洒落た高級車なんかに乗るんだ?
もっとこう、オフロードに向いたよぉ・・・」
「フッフーン・・・・、なぁに、すぐに分かる。」

ジョースターはただ、意味ありげに笑ってみせただけだった。








外に出ると、既に目の前に買った車が回されていて、販売員がご丁寧にドアまで開けて待ってくれていた。
運転席にはポルナレフが着き、助手席にジョースターが座った。
そして江里子は、承太郎と花京院と共に、後部座席に乗り込む破目になった。
しかも、二人の間に挟まれる形で。


「しかしたまげたな、この国は!どの家もこの家も、ぜぇんぶ豪邸だらけじゃあねーか!」

滑らかに窓の外を流れていくアブダビの街並みに、ポルナレフは運転しながら感嘆の声を上げた。


「う〜ん・・・・、東京なら30億40億はしそうな家ばかりだ。これがこの国の人々の普通の暮らしぶりらしい。
ほんの20年前までは砂漠だったが、オイルショックによる莫大な利益のせいで、夢のような都市に成長したのだ。」

ジョースターが地図を見ながら、それに答えた。
確かに、窓の外に建ち並ぶ家々は、どれも富豪の邸宅のような立派なものばかりだった。
古くから続く旧家である承太郎の家・空条家も、かなり敷地の広い邸宅だが、特定の1軒2軒ではなくそこら中の家が全部豪邸というのは、なかなか見られる光景ではなかった。


「日差しは強烈だが、車内はエアコンが効いていて快適そのもの。言う事ねぇぜ。」

清潔で快適な環境を何より重要視するポルナレフは、リラックスしてご機嫌な様子だったが、江里子は正直、リラックスどころの心境ではなかった。
どんな顔をしてこの二人の間に挟まっていれば良いのか、考えれば考える程モヤモヤして。


「ん?」
「どうした、花京院?」

ポルナレフと承太郎が、怪訝そうに花京院の様子を伺った。
それで初めて気付いたが、確かに花京院の様子がおかしかった。
何だかやけに後ろを気にしていたのだ。


「い、いや、こんなに見晴らしの良い場所だ。追手がついていれば分かるのだが、つい、誰かに見られているような気分がして、振り返ってしまう・・・・」

そう言って、花京院は苦笑した。


「ああ、無理もないぜ。」

ポルナレフは、それにすぐさま同調した。
確かにこのところ、連日のように敵の襲撃を受けている。
野宿もしたし、移動も過酷だ。
頭がモヤモヤして混乱するのは、それらの緊張や疲れが重なっているせいもあるのだろう。


「うぅむ・・・・、それでじゃ。」

ジョースターが地図を見ながら、一同に向かって話し始めた。


「これからのルートを考えたんだが、ここから北西100キロの所にヤプリーンという村がある。
砂漠と岩山があるので、道路がグルッと回り込んでいる。車だと2日はかかってしまうらしい。だから村の住民は、セスナ機で移動しているという事だ。
まず村へ行き、セスナを買って、サウジアラビアの広大な砂漠を横断しようと思う。」

セスナと聞いて、江里子は内心で思い出さずにはいられなかった。
香港沖でのあの飛行機墜落事故を。
チラリと様子を伺うと、花京院も同じ事を考えていたのか、少し表情が強張っていた。


「今までは、スタンド使いによる攻撃のせいで墜落し、他の人々を犠牲にしたくなかったので飛行機には乗らなかったが、セスナなら儂も操縦出来るし、旅行日程の短縮にもなる。」
「生涯に3度も飛行機で落ちた男と一緒に、セスナなんかあまり乗りたかねぇな。」

承太郎などは、憚る事なく口に出して不安がる始末だった。尤も彼の場合は、不安だけではなく、当てこすりの皮肉も多分に籠っているのだろうが。


「・・・・・・」

ジョースターは束の間、何か言いたげなジト目で承太郎を睨んだが、特段何も言い返さず、すっかり流して話を続けた。


「さあ、それでじゃ。その前にこの砂漠を横断して、ヤプリーンの村へ入ろうと思う。ラクダだと1日で着く。」
『えぇっ!?』

その瞬間、全員の声が上がった。
ジョースターはいとも簡単に、まるで車か何かのような口ぶりで言ってのけたが、それ以外の者は『ラクダ』という単語をサラッと聞き流す事など出来なかった。


「ラクダ!?おい、セスナは良いが、ちょっと待ってくれ!ラクダなんか乗った事ねぇぞ!」

ポルナレフが盛大な抗議の声を上げると、ジョースターはまた意味深な笑みを浮かべた。


「フッフッフッフッフ。任せろ。儂は良く知ってる!教えてやるよ。リラックスした気分で安心しておれ。」




















ほんの30〜40分も走ると、車は市街地を抜け、アブダビ郊外と思われる小さな集落に到着した。
豪邸や高級店ばかりの街中とは違い、未舗装の砂利道に、いかにも中東という感じの四角い家が転々とまばらに建っている。
店は白いテント張りの露店ばかりで、看板すらも無い。
そう、ここはもう、急成長を遂げた超近代都市ではなく、果てしなく広大な砂漠の入口だった。


「ラクダが欲しい?良いけど、結構イイお値段するよ?世話も大変だし・・・・。」

ジョースターは集落についてすぐ、観光客向けのラクダ乗りツアーをやっているらしい男に声を掛けた。
頭にターバンを巻いたその男は、ジョースターの目的がツアーではなくラクダの売買だと分かると、難しい顔で渋ってみせた。
しかし、それしきの事で引き下がるジョースターではなかった。


「こっちは大真面目に死活問題でな、何としても必要なんじゃよ。代金はあの車と交換でどうじゃ?」
『えええっ!?!?』

ジョースターの申し出たその条件には、ラクダ屋の男も含む全員が盛大に驚いた。


「おおおお客さん!気前良すぎるよ!」
「そうだぜジョースターさん!!あの車、さっき買ったばかりじゃねーか!!」
「ジョースターさん、そんな幾ら何でも・・・・・!」

江里子はポルナレフと共に激しくうろたえたが、当のジョースターは涼しい笑みを些かも崩さなかった。


「何故儂が敢えて洒落た高級車を買ったと思う?
砂地なら、オフロードカーが便利じゃ。しかし、こんな場所では当然小切手は切れんし、現金も信用が低い。
こういう場所では、物々交換が一番効果的なんじゃ!
非常時に安全を安く買おうとすると、逆に取り返しのつかない損を被るんじゃ。ま、今まで散々苦い思いをしてきたって事じゃよ。」

ジョースターは得意げな顔でそう説明すると、突然、ラクダ屋の主人の手を握った。


「旦那!」
「へっ?」
「交渉成立じゃな。」

ジョースターは朗らかな笑顔で、一方的に握手を済ませてしまった。
本業の不動産業でも、このようにやっているのだろうか。
江里子は思わずそんな事を考えてしまった。


「お、そうじゃ。差額分で、あそこのタンクにある水を頂戴したい。砂漠では何よりも大切な物じゃ。」
「水くらい、あの車に比べれば安いもんヨ。しっかしアンタ、変わったお人ネ!」
「フッフ。では皆!準備にかかるとしようか!砂漠越えは難度が高い!気を引き締めて行こう!!」

かくして江里子達は、ラクダに乗っての砂漠越えの準備に取り掛かったのだった。















水、食料、医薬品、野営の為の道具など、必要な物資を一通り揃え、
ついでに少し早いが昼食も済ませると、一行は改めてラクダ屋を訪れた。
ラクダ達の準備は、江里子達が旅支度をしている間に店主がぬかりなく整えてくれていたようで、引き渡された時には既に手綱や鞍などが着けられてあった。


「特に丈夫で気性の大人しい、扱い易い子達ばかり選んでおいたからネ!可愛がってやってネ!」
「いや、色々とありがとう。荷物の積み込みまで手伝って貰って助かったよ。」

ジョースターは再び、ラクダ屋の店主に握手を求めた。
今度は一方的なものにはならなかった。


「私の方こそホントにありがとネー!あんな凄い車貰っちゃって!」
「いやいや、良いんじゃよ。おおそうだ、最後にひとつ訊きたいのだが、このラクダ達はヤプリーンの村で引き取って貰えるのだろうか?」
「ノープロブレム!ヤプリーンにうちと同じ商売してる店がある。そこで買い取って貰えるよ。」
「そりゃあ良かった、そいつが聞けて安心したよ。ありがとう、後は我々だけで大丈夫だ。」
「えっ?ラクダの乗り方とか、教えなくて大丈夫なノ?」
「ああ、大丈夫だ!」
「そう?じゃあ良い旅を!どうもありがとネー!」

にこやかな笑顔で手を振って、ラクダ屋の店主は店の中に帰って行った。


「・・・よろしくね。」

江里子はまず、ラクダの首元をそっと撫でてみた。乗るのは勿論初めてで、ちょっと怖いとも思うが、ラクダそれ自体は決して嫌ではなかった。
よく人慣れしているらしく、ラクダは嫌がったり驚いたりせず、大人しく撫でさせてくれた。長い睫毛に縁取られたつぶらな瞳が、何とも愛嬌があって可愛かった。


「とにかくコイツに乗りゃあ良いんだろ?よしっ!」
「グルグルグルグル、ブフーーッ!!」
「ぐわっ・・・・!ぐ・・・、く・・・・、くっさぁ・・・・・!」

一方ポルナレフは、ラクダの鼻息を至近距離で浴びせられて涙目になっていた。


「お〜いジョースターさん!どうやって乗るんだ!高さが3mもあるぞ!!」

ポルナレフは鼻を摘みながら、トイレ用の消臭スプレーをラクダに向かって盛大に噴射した。


「ポルナレフさんてば、動物に向かってそんなのスプレーしちゃ駄目ですよ。」
「だってよぉ、臭ぇの何のって・・・・!エリーは気にならねぇのかよぉ!」
「あのじゃなあ、ラクダっていうのはなぁ、まず座らせてから乗るのじゃ。」

ジョースターは呆れ顔で、ラクダの手綱を掴んだ。


「・・・・ん?・・・・・ん、んっ、んっ・・・・!」

ジョースターは手綱を引いたが、しかしラクダは微動だにしなかった。


「まず座らせてから・・・・!乗るんだよぉ・・・・・!」

今度は手綱を両手で掴んで結構な力で引っ張ってみたが、ラクダはやはり動かなかった。


「座らせてから乗る!」

綱引きのように体全体で手綱を引いてみたが、それでもラクダは動かない。


「ぐ、く、く・・・・・!」

頑として、てこでも動かない。
ジョースターはとうとうラクダの首元にしがみつき、力ずくで無理矢理座らせようとし始めた。


「ちょ、ちょ、ちょっと待っておれ・・・!いい今すぐ座るからな・・・・!ぬおおぉっ・・・・!くっ・・・・・!」

ジョースターはラクダの背中に飛び付き、ここからが本番だとばかりにやり始めた。


「座れっ!くっ・・・・、座りやがれ!!くそぉっ、このっ!」

動かないラクダと格闘するジョースターの様を、江里子達は唖然と見守った。


「・・・・・もしかして、ジョースターさんて、まさか・・・・・・・・」

江里子が誰にともなく呟くと、ポルナレフが指を指しながらジョースター本人に直球で尋ねた。


「お〜い、本当に乗った事あるんだろうな?」

するとジョースターは、相変わらずラクダと格闘しながらも自信に満ちた笑顔を江里子達に向け、自信満々にこう言い切った。


「儂ぁあのクソ長い映画、『アラビアのロレンス』を3回も観たんじゃぞお!乗り方もよぉく知ってるわい!・・・2回は半分寝ちまったが・・・・」
「え、映画ぁ!?何ぃぃ、本当は乗った事はねぇのか・・・・!」

その答えに、ポルナレフは驚愕の叫びを上げた。
その時、散々強引に押したり引いたりされていい加減イヤになったのだろう、ラクダがイヤイヤと首を振った。
ヨダレなのか鼻水なのか、透明の粘液を盛大に撒き散らしながら。


「・・・・・・・」

ジョースターはそれを顔中に浴び、硬直した。


『あぁ・・・・・』

もう、目も当てられない。
江里子達が思わず溜息を吐くと、ジョースターはヌタヌタの粘液まみれの笑顔で振り返った。


「・・・日焼け止めになるんじゃあ。知らなかったぁ?ガハハハハ!!」

知ったかぶりもここまで貫き通せるのは、ある意味凄いと言えば凄い。
だが、このままだと埒が明かない。


「・・・やっぱり、乗り方を教えて貰いましょう。私、店のご主人呼んで来ます。」
「いやいや待て待て、待ってくれエリー!!その必要は無い!!」

ラクダ屋の店主を呼びに行こうとしたエリーを、ジョースターは呼び止めた。
何をそんなに意固地になっているのか、どうやら何が何でも自分がレクチャーしたいようだった。


「大丈夫、大丈夫なんじゃ!こういう場合はどうすりゃ良いかって?それはな・・・・」

ジョースターは一旦ラクダから離れると、自分のリュックに何かを取りに行った。


「・・・いいか、動物なんてモンはな、気持ちを理解してやる事が大切なんじゃ。気持ちをな。」

ジョースターが出したのは、真っ赤なリンゴだった。


「ほぉ〜れこのリンゴ、美味そうじゃろう?美味しいよぉ〜?
ほぉ〜れほれほれ、ほぉ〜れほれほれ・・・、おおいい子だ!はっはっはっは!」

リンゴで釣ると、ラクダはやっとしゃがんだ。


「見ろ!!な、座ったぞ!!」

リンゴに夢中になっているラクダを背に、ジョースターは満面の得意顔を江里子達に見せた。


「ラクダの気持ちを理解してやれば、座ってくれるのじゃ!!ケェーッケケケケケ!!」

ジョースターは勝利の高笑いを済ませると、ラクダがリンゴを食べ終わらない内にすかさずその背中に跨った。
その直後、リンゴを食べ終わったラクダは、またのっそりと立ち上がった。


「うおおぉぉーーーっっ!!やったぁぁーーーっっ!!」

ジョースターの笑顔が、一気にグンと高い位置に上がった。


「うおおぉぉっ、流石に高いのう!!鼻の穴は砂が入らないように、蓋が出来るんだよ〜ん!!ラクダは楽だなんて、蹴りを入れられそうな下らんダジャレは言わないように!!」

余程嬉しいのだろう、ジョースターはまるで子供のようにはしゃいでいた。
承太郎は『恥ずかしい奴め』と言わんばかりの冷めた目で見ていたが、江里子は何となく、そんなジョースターが微笑ましく思えた。


「よぉし!!では、ラクダを操る上での注意点を教えよう!!
いいか、ラクダというのは馬と違って、だく足歩行と言って、片側の前脚と後ろ脚が同時に前へ出て歩くので、結構揺れる。
だがな、そのリズムに逆らわずに乗るんじゃ。こういう風に!!」

ジョースターは勇ましくラクダを駆ろうとした。
が、それはやはり、些か調子に乗り過ぎというもののようだった。


「ま、待てコラ!!は、速いおぉッ!おっおっ、おぐっ、言う事を、あ、あぁあぁあ〜!」

ラクダはジョースターの言う事を見事なまでに聞かず、ジョースターを振り回しながら右往左往し始めた。
江里子達は思わず、その様子を目で追った。


「そっちじゃないと言って・・、ああっ、おおっ・・・・!」

右へ左へ振り回されたその挙句、とうとうジョースターは落馬ならぬ落ラクダしたのだった。



ややあって。



「よぉぉし!!皆予定通り、うまく乗れたようじゃのう。」

すったもんだで何とか全員、ラクダに乗る事が出来た。
勿論、ジョースターも含めて。


『・・・・・』

尤も、擦り傷だらけになってしまったジョースターの手当ての為に出発予定時刻は結構過ぎてしまったのだが、それはもうこの際考えない事にした方が良さそうだった。


「それでは砂漠を突っ切るぞ、皆!!北西へ向かって、出発進行じゃあ!!
お、おいッ!お、お、おいッッ!!」

腕を振り上げて士気を鼓舞するのは良いが、ジョースターのラクダだけ、最初の第一歩から早速迷走である。
余程相性が悪いのか、それともジョースターが下手すぎるのか。
ジョースターがまたもや右往左往し始めた様を、江里子達は諦めの目で眺めた。


「・・・・・本当にヤプリーンまで1日で着くと思いますか?」
「・・・・・もう少しかかると見ておく方が良いでしょうね。」
「だから普通にオフロードカーにしときゃあ良かったのによぉ、ミーハーなんだから全く・・・・」
「やれやれだぜ・・・・・」

・・・・・前途多難な旅の始まりだった。




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