星屑に導かれて 28




一行はまだ朝日の昇る前に出発し、長閑な田舎道を走り続けた。
道は未舗装の砂利道、乗り物はクラシカルな馬車。
つまり、何かにつけてゴトゴトと揺れる。


「ん・・・・・・・・」

ゴトン、と揺れた拍子に、江里子の身体が傾き、もたれかかってくる。
そして、頭が肩に触れると、途端に『ああすみません』とばかりに跳ね起き、またまっすぐの姿勢に戻る。
これで何度目だろう。こんな状態では熟睡出来ないのに。
ついさっきまでたった一人、徹夜で敵の見張りを務めてくれていたのに、こんな仮眠ではろくに疲れも取れないだろう。
今度は反対側のポルナレフの方に倒れかかっていく江里子を横目で見送りながら、花京院は小さく溜息を吐いた。


「・・・・・ぅん・・・・・・」

ゴン、と肩の骨に頭をぶつけて弾み、その反動でまっすぐの状態に戻っていく江里子に、ポルナレフは微かな苦笑を浮かべた。
さっきから振り子のように花京院との間を行ったり来たりしている江里子が、可笑しいやら可愛いやらで。
だが、いい加減可哀相だった。
馬車に乗り込んだ瞬間に即寝付いたのは良しとしても、この状態ではよく眠れない。
ぐっすり熟睡とまではいかなくても、何とか少しでも気持ち良く寝かせてやりたいものだと、また花京院の方へ傾いていく江里子を見ながら、ポルナレフは考えた。


「・・・・・・・・」

江里子がまたもたれかかってきた。
花京院はタイミングを合わせ、江里子の肩をそっと抱き寄せた。
尖った肩の骨ではなく、胸に頭を着けさせると、痛くないから目も覚めない。
これで一安心と思った瞬間、隣から刺すような視線を感じ、花京院は横を向いた。


「・・・・・・・」

ポルナレフが、ジト目で花京院を睨んでいた。
テメェ何やってんだよとでも言いたげである。
しかし花京院は、鮮やかにシカトを決め込んだ。
その瞬間、大きな石ころでも踏んだのか、幌がまた大きく揺れた。


「・・・・・・・っ!」

それは、ポルナレフにとってはまたとないチャンスだった。
幌が弾んで揺れて、江里子と花京院との間に隙間が出来たその一瞬の間に、ポルナレフは素早く江里子の身体を奪い取り、自分の胸に抱え込んだ。


「・・・・・・・」

なに人のものを盗ってるんだと言わんばかりに、花京院がポルナレフを睨んだ。
ポルナレフはそれに、勝ち誇った流し目で応えた。
その瞬間、また幌が揺れて、江里子の頬がポルナレフの胸から少し離れた。


「・・・・・・・っ!」

その瞬間、花京院は江里子を奪い返した。
江里子の肩を抱く手が、さっきよりもしっかりしている。
もう放さないぞと言わんばかりに。
挑戦されると、受けて立って叩き潰したくなる性分のポルナレフには、ここで引き下がる事など出来なかった。


「・・・・・・・っ!」

ポルナレフは、揺れてもないのに強引に江里子を取り戻した。
花京院の目が、『反則だろうそれは』とでも言いたげに大きく見開かれた。
しかし、知った事ではない。そんなルールを布いた覚えはない。
ポルナレフは益々勝ち誇り、江里子をしっかりと胸の中にかき抱いた。


「この・・・・・!」

熱くなった花京院は、殆ど力任せにポルナレフの腕から江里子を攫っていった。
ポルナレフの目が、『てんめぇこのヤロー・・・・!』と喧嘩腰になっているが、そんな事は知った事ではない。大事なのは江里子の睡眠なのだから。


「っどりゃあ・・・・・!」

とさかにきたポルナレフが、なりふり構わず花京院から江里子を略奪した。


「チィッ・・・・・!」

花京院が痛烈な舌打ちと共に、また江里子を奪い返せば。


「んだコラァ・・・・・!」

ポルナレフがまた猛然と江里子をひったくり。


「しつこいぞポルナレフ!」
「テメェこそだぜ花京院!」

とうとう人目も憚らない小競り合いへと発展していった。


「さっきから何やっとるんじゃあ、そこのバカ2人!エリーが起きちまうだろうが!静かにせんかい!」

そして、堪忍袋の緒を切らしたジョースターにまとめて一喝され、あっという間に粛清されるのだった。


「やれやれだぜ・・・・・・・・・」

ただ一人冷静な承太郎が、煙草に火を点けながらいつもの口癖を呟き、馬車はまた再び静けさを取り戻した。
そんなこんなで走る事数時間。
一行は、インダス河・デルタ地帯にあるパキスタン最大の商工業湾岸都市・カラチに到着した。
















カラチは流石に大都市なだけあり、久しぶりに活気のある町並みだった。
ジョースターはゆっくりと馬を歩かせながら、賑やかなカラチの町を眺めつつ進んだ。


「・・・お!ドネル・ケバブがあるぞ!」

前方に、『kebab』と書いてある看板を掲げた店があった。


「腹ごしらえでもするかぁ!」

時刻は午後2時過ぎ、まともな食事はまだ食べていない。今日の昼食はこれにしようと決め、ジョースターは舌なめずりをしながら馬車を停めた。
ドネル・ケバブとは、中東方面のハンバーガーである。
肉の塊を棒に刺し、回転させながら表面を焼く。焼き立てをナイフで削って、パンに乗せて食べる。それがまた絶品である。
この西アジアの料理は、どれもこれも腹を下しそうなスパイスまみれの品ばかりだが、これは積極的に食べたいと思える数少ない貴重な一品だった。
ジョースターは馬車を降り、店の前に立っている店員らしき男に歩み寄って行った。
ザ・中東人という服装とサングラスが胡散臭い男だった。


「すまない、6人分くれ。」
「6コ1200円ね。」
「1200円?」

中東方面では、日本や西洋などの常識は全く通用しない。
というのは、値段が凄くいい加減なのだ。
日常の値打ちを知らない初めての外国人は、一体幾らなのか見当もつかず、凄くカモられてしまう。しかし、この世界では、カモる事は悪い事ではない。騙されて買ってしまった奴がマヌケなのである。
それをジョースターは、この地方に足を踏み入れる前にあらかじめ仕入れておいた情報で知っていた。


「・・・・1200円?」

ジョースターは鼻で笑ってみせた。
まず、『儂は吹っかけられているのをお見通しだよん』という態度を取り、大声で笑うのだ。


「ハッハッハッハッハ!バカにしちゃあいかんよ君ィ!高い高い!」
「幾らなら買うネ?」

すると店員は、客に決めさせようと探ってくる。


「6人で300円にしろ!」

そこで、自分でも『こんなに安く言っちゃって悪いなあ』という位の値段を言うのだ。すると!


「オォッホッホッホッホッホォ〜〜ッ!」

『マジィ!?常識あんのぉ!?』と、人を小馬鹿にした態度で、


「そぉ〜んな値段で売ってたら、ワタシの家族、全員飢え死にだもんネー!ギーッ!」

・・・と、首を掻っ切る真似をしてくる。
しかし、ここで気負けしてはいけない!


「・・・じゃあ他の店で買おうかな?」
「OK,フレンド!ワタシ、外国人に親切ネ!6コ840円にするヨ!」

帰る真似をすると、このように言って引き止めてくる。
真の闘いは、正にここからなのだ。


「360にしろよ!」

値段交渉、開始!


「720!」
「420!」
「660!」
「480!」
「540!」

両者じりじりと歩み寄りを繰り返し、そして遂に。


「「510!!」」

落とし所が見つかる、という具合である。


「買った!!」

ジョースターは財布から紙幣を取り出し、きっちり支払った。


― やった半額以下までマケてやったぞ!ざまあみろ!!儲けた儲けた♪


ケバブの包みを受け取りながら内心でほくそ笑んでいたが、ジョースターは知らない。金を受け取った店員の方も、


― いつもは6コ180円で売ってるもんネ〜♪


と、心の中で舌を出している事を。


「バイバ〜イ、サンキューねー!」

調子の良い店員に手を振られながら、ジョースターは皆の待つ馬車へ戻ろうとした。
その時。



「はっ!?」

ジョースターは見た。
幌の最後列に一人で座らせてあるエンヤ婆の目が、大きく見開かれているのを。
明け方に江里子が少し世話をしたっきり、またピクリとも動かなかった彼女が、しっかりと目を覚ましているのを。
しかも、只ならぬ緊張感を帯びた顔つきになっている。
本能的に危険を感じたジョースターは、ケバブの袋を取り落として叫んだ。


「おい皆!その婆さん、目を覚ましておるぞ!!」

ジョースターのその声に、馬車に残っている承太郎達が一斉に最後列を振り返った。
誰も気付いていない隙をついて反撃に出るかと思ったが、しかしエンヤ婆は微動だにしなかった。


「あ、あわわ、あわわわわ・・・・・!」

いや、違う。
動いてはいた。
脂汗を流しながら、小刻みに震えていたのだ。


「ワ、ワシは、ワシは何も喋っておらぬぞ・・・・・!」

前方を凝視する瞳が不安定に動いている。恐怖しているのだ。
彼女は今、何かに怯え、恐怖していた。


「な、何故お前が、ワシの前に来る・・・・・!?
このエンヤがDIO様のスタンドの秘密を喋るとでも思っていたのかぁ・・・・!」
「えぇ!?」

このような台詞は普通、敵ではなく、味方に向けて発するものだ。
では一体、誰に向けられて発せられたものなのだろうか。
ジョースターはエンヤ婆の視線を辿り、自分の後ろを振り返った。
しかしそこには、先程の胡散臭いケバブ売りの男しかいなかった。
男はこちらの異変を全く気付いていない様子で違う方向を向いていて、おもむろに頭巾を取り、サングラスを外した。


― な、何じゃ、この奇妙な間は・・・・・・・


男が顔を見せるまでの間、奇妙な『間』があった。
ほんの一瞬だが、何とも形容し難い、嫌な間だった。
固唾を呑んだその瞬間、エンヤ婆の目・鼻・耳・口から、ミミズのような触手が這い出てきた。
そして、ジョースターがそれを認識するかしないかの内に、それらは一気にエンヤ婆の顔面から噴出してきた。


「あばばばばばばば、ばぁーーーッッッ!!」

勢い良く噴出した触手は幌を突き破り、馬と幌とを繋ぐ棒が折れ、車輪が砕け、馬車はあっという間に大破した。
馬もパニックを起こし、緊迫した声でいなないて逃げて行ってしまった。
承太郎達は寸でのところで飛び降り、江里子もポルナレフが抱えて飛び出したようで大丈夫そうだったが、エンヤ婆はとても楽観視出来る状態ではなかった。
身体を縛っていたロープが切れる程の勢いで、身体の中から無数の触手が飛び出したのだ。これで助かるとは、とてもではないが思えなかった。


「な、何だぁ、この触手はぁ!?」

エンヤ婆の顔面の穴という穴からウゾウゾと伸びている気持ちの悪い触手を見て、ポルナレフが顔を引き攣らせた。


「何故・・・・・、何故貴様がこのワシを殺しに来るぅぅぅ!?!?」

顔を血に染めながら、エンヤ婆はしわがれた声で叫んだ。
上着を脱ぎ始めているケバブ売りの男を、まっすぐに凝視しながら。


「・・・DIO様は決して何者にも心を許していないという事だ。口を封じさせて・・・・頂きます。」

年齢不詳・正体不明のいかにも中東人というのは仮の姿。
その中にいたのは、洒落たデザインの服を着こなした、細身の若い男だった。


「そしてそこの4人。お命頂戴致します。」

ケバブ売りの男、いや、新たなDIOの刺客は、気取ったポーズと物言いが鼻もちならない、格好つけの優男だった。
だが、そのチャラチャラした外見だけでこの男の能力を量ろうとするのは大間違いだった。


ブチャアアアアッッッ!!!


「バアさん!!」

とどめとばかりに更に噴き出してきた触手に、ポルナレフは血相を変えた。


「ぬぐわぁぁぁァァッッ!!」

エンヤ婆の断末魔の叫び声が響き渡った。
長く、長く、伸びた触手と共に、エンヤ婆の顔面から大量の血が迸る。
血と触手が噴き出す勢いで、エンヤ婆の小さな身体が空高く跳ね上がる。


「何ィィィ!?」

無惨。
そうとしか言い様のない、地獄のようなこの光景を、若者達は直視出来ないようだった。
ポルナレフも花京院も、あの承太郎ですら、固く目を瞑って顔を背けている。
江里子に至っては可哀相に、嘔吐する寸前のような青い顔をして震えている。
しかしジョースターは、その残酷な光景から目を逸らさなかった。
これが、これが、DIOという男のやり方なのだ。
だからこそ、何が何でも滅ぼさねばならないのだ。


「ぐっはぁぁぁッッ・・・・!!」

地べたに落下し、砂利道に身体を叩きつけられたエンヤ婆は、ピクリとも動かなくなった。顔面から突き出している触手だけが、まるでエンヤ婆の命を活動エネルギーに換えているかのように活発に蠢いていた。


「私の名はダン。スティーリー・ダン。スタンドは『恋人(ラバーズ)』のカードの暗示。君達にも、このエンヤ婆のようになって頂きます。」
「何て事を!!このバアさんはテメーらの仲間だろう!?バアさん!!」

ポルナレフはエンヤ婆の側に駆け寄ったが、エンヤ婆は辛うじて息こそまだあるものの、それも時間の問題というような状態だった。


「う、うぅ・・・、うそ・・・・、嘘じゃあぁぁ・・・・!
DIO様がこのワシにこんな事を・・・・・、する筈が・・・・・ない・・・・・」

死の淵に殆ど落ちかけながらも、エンヤ婆はまだDIOを信じようとしていた。


「婆さんの身体から出ているのは、スタンドじゃあないぞ!実体だ、本物の動いている触手だ!!」

彼女の命を奪うものの正体に気付いた花京院が、恐怖の叫びを上げた。


「あの方がこのワシにこのような事をする筈がぁぁぁ・・・・・!
肉の芽を植える筈がぁぁぁ・・・・・・!」
「肉の芽・・・・・!」

花京院はその白皙の顔を、戦慄に強張らせた。


「DIO様はワシの生き甲斐・・・・・、信頼し合っている・・・・・!」
「バアさん!!」

ポルナレフがチャリオッツを発動させ、我が物顔に蠢く触手を細切れに切り刻んだ。
それ自体は呆気なかった。
なす術もなく切り刻まれ、日なたに転がり出たそれらは、日の光の下であっという間に塵となった。


「こ、これは!太陽の光で熔けたぞ!肉の芽!DIOの奴の細胞だ!」

ジョースターはそれに嫌というほど覚えがあった。


「いかにも。よ〜く観察できました。それはDIO様の細胞・肉の芽が成長したものだ。今、この私が、エンヤ婆の体内で成長させたのだ。
エンヤ婆、貴女はDIO様にスタンドを教えたそうだが、DIO様が貴女のようなちっぽけな存在の女に心を許す訳がないのだ。それに気付いていなかったようだな。」

肉の芽を全て断ち切っても、エンヤ婆はもう手遅れだった。
今から急いで手当てをしても、もう決して助からない。
脳がメチャメチャに破壊され尽くしてしまった後なのだから。


「婆さん!!DIOのスタンドの正体を教えてくれ!!」

ジョースターはエンヤ婆に駆け寄り、その耳元に向かって声の限りに叫んだ。
死の淵に落ちかかっている彼女に届くように、出来る限りの大きな声で。
皆が吃驚した顔をしている。
分かっている。我ながら人でなしだと自分でも思っている。
今にも事切れかけている憐れな老婆に掛けてやる言葉が、それしかないのかと。


「言うんだ!!DIOという男に期待し、信頼を寄せたのだろうが、これで奴がアンタの考えていたような男ではないという事が、分かったろう!!
儂はDIOを倒さねばならん!!頼む、言ってくれ!!
教えるんだぁぁぁーーーーッッ!!!DIOのスタンドの性質を、教えるんだあぁぁーーーッッ!!!」

ジョースターは、殆ど絶叫するようにして頼み込んだ。
すると。


「・・・・DI・・・O・・・・様、は・・・・・」

敵味方、全ての者が固唾を呑んで見守る中、エンヤ婆は最期の力を振り絞ってか細い声を出した。


「このワシを信頼してくれている・・・・・。言えるか・・・・・・。かぁっ・・・・・!」

エンヤ婆の身体から、ガクンと力が抜けた。一瞬の間を置いて、今度は白い霧のようなものが身体から抜け出て、空へと昇っていった。


「Oh,Gooooーーーーーdddd!!!!」

間に合わなかった。
防げなかった。
無念の叫びが、ジョースターの喉を擦り削るように迸った・・・・・。
















旅に出て来てからこちら、散々怖い目に遭ってきた。吐きそうな程気持ちの悪いものも色々見てきた。
だが、このエンヤ婆の死に様程酷いものは初めてだった。
酷く惨たらしくて、そして、酷く憐れで。涙が一筋、自然と零れ落ちてきた。
TVの時代劇などで『敵ながらあっぱれ』という台詞を耳にするが、彼女は正にそれだった。主の秘密を守り抜き、壮絶な死を遂げたエンヤ婆は、正しく『強敵』に違いなかった。


「・・・フッフッフッフッフ。フッフッフッフッフッフッフ。」

新たな刺客、スティーリー・ダンは、店の外のイート・コーナーの椅子に腰かけ、気障な笑い声を上げた。
その笑い声が癇に障り、江里子は涙を拳で拭って彼を睨み付けた。


「哀しいな。どこまでも哀しすぎるバアさんだ。だがここまで信頼されているというのも、DIO様の魔の魅力の凄さでもあるがな。」

スティーリー・ダンは平然と笑い、いつの間に用意したのか、茶など飲み始めていた。仮にも仲間を躊躇わず手にかけたばかりか、死の間際に絶望の追い打ちをかけ、更にその死を嘲笑う。スティーリー・ダンは、ホル・ホース以上に人間の腐った男だった。


「・・・・俺はエンヤ婆に対しては、妹との因縁もあって複雑な気分だが、テメェは殺す!」

ポルナレフが怒りの声を上げた。


「・・・・・」

ジョースターは何も言わなかったが、ゾクッとする程厳しい顔でスティーリー・ダンをまっすぐに見据えていた。


「4対1だが躊躇しない。覚悟して貰おう。」


花京院は、この男を倒す為ならどんな手段も辞さないであろうという様子だった。


「立ちな。」

そして承太郎も、スティーリー・ダンに本気の怒りを覚えていた。
しかし当のスティーリー・ダン本人は、そのことごとくを無視して、澄ました顔でお茶を飲んでいるばかりだった。


「おいタコ!カッコつけて余裕こいた振りすんじゃねえ。テメェがかかって来なくてもやるぜ。」

珍しく、承太郎が熱くなっていた。
彼がこんなに怒りを露にしているのを、未だかつて見た事があっただろうか。
江里子は内心でハラハラしながら、事の成り行きを見守っていた。


「どうぞ。だが君達は、このスティーリー・ダンに指一本触る事は出来ない!」

スティーリー・ダンが挑発した瞬間。


「オラァッ!!」

承太郎がスタンドを発動させ、スティーリー・ダンを力の限りに殴り飛ばした。


「どはぁっ!」

スティーリー・ダンは呆気なく吹っ飛び、店のショーウインドウに派手に突っ込んだ。だが、それだけでは終わらなかった。


「どわぁぁッ!!」

同時に、どういう訳かジョースターまで吹っ飛んだのだ。


「何ッ!?」

これには承太郎本人も思わず怒りを忘れたように、呆然とジョースターを振り返った。


「ど、どうしたジョースターさん!?こいつと同じように飛んだぞ!?」

ポルナレフの言う通り、ジョースターはスティーリー・ダンと同じように吹っ飛んでいた。
巻き添えを喰ったのではない。ジョースターは全く違う場所にいた。
それなのに、全く同じように。


「大丈夫ですか、ジョースターさん!?」
「う、うぅ・・・・、な、何とかな・・・・・・」

江里子はジョースターに駆け寄り、彼を助け起こした。
直ちに病院に搬送せねばならないという訳ではなさそうだったが、それでもかなりのダメージを受けている様子だった。


「ぐく・・・・、この、バカが・・・・!まだ説明は途中だ・・・・!
もう少しで貴様は自分の祖父を殺すところだった・・・・・!」

敵の方も何とか立ち上がると、目を吊り上げて苛立ちを露にした。


「いいか?この私が、エンヤ婆を殺すだけの為に、君らの前に顔を出すと思うのか!?」

スティーリー・ダンは、血と共に不穏な台詞を吐き捨てた。


「き、貴様ぁ・・・・、ラバーズのカードのスタンドとか言ったな・・・・・?」

江里子がハンカチを差し出すと、ジョースターはそれを受け取って口元の血を拭った。


「い、一体、何だそれは・・・・・!?」
「もう既に闘いは始まっているのですよ、Mr.ジョースター。」

不敵な眼差しだった。
先手を打たれてしまったのだ。
承太郎、ポルナレフ、花京院は、ラバーズのスタンドの姿を捜そうと辺りを見回し始めた。


「愚か者共が。探しても私のスタンドは、すぐには見えやしないよ。」

口元の血を拭うダンの後ろに、男の子が1人いた。
この騒ぎを気にも留めずに、鼻歌を歌いながら道路を掃き掃除している。
スティーリー・ダンはその子に気付き、声を掛けた。


「おい小僧!」
「ん?」
「駄賃をやる。その箒の柄で私の脚を殴れ!」

スティーリー・ダンは札を1枚、子供に投げ渡した。


「お?おぉ・・・、お・・・・」

男の子は訳も分からず、目の前をヒラヒラと舞い落ちる札を、蝶を捕まえるようにして受け取った。


「あぁっ、ま、まさか・・・・!?」
「えっ!?な、何ですか!?」

江里子にはまだ分からなかったが、ジョースターにはその意図が読めたようだった。
だが、もう遅かった。


「殴れ!!」
「んっ!」

スティーリー・ダンに命じられ、男の子は箒の柄で彼の脚を殴りつけた。


「ぎええぇぇーーッッ!!」

ジョースターの脚が、スティーリー・ダンの脚の殴られた部分と同じ場所が、箒の柄の形にベッコリとへこんだ。


「おおっ!?」
「どうした、ジョースターさん!?」
「!?」
「ジョースターさん!」

ポルナレフも、花京院も、承太郎も、そして江里子も、何が起きているのかまだ分かっていなかった。


「い、痛い・・・・!訳が分からんが激痛がぁ・・・・・!」
「気が付かなかったのか?ジョセフ・ジョースター。
私のスタンドは、体内に入り込むスタンド。さっきエンヤ婆が死ぬ瞬間、耳から貴方の脳の奥に潜り込んで行ったわ!」
「何ィィ!?」

耳から脳の奥へ入り込んでいくスタンド。
ぞっとする響きだった。


「つまりスタンドと本体は一心同体!スタンドを傷付ければ本体も傷付く!
逆も真なり!この私を少しでも傷付けてみろ、同時に脳内で私のスタンドが私の痛みや苦しみに反応して暴れるのだ。同じ場所を数倍の痛みにしてお返しする。
もう一度言う。貴様らはこの私に指一本触れる事は出来ぬ!!
しかもラバーズはDIO様の肉の芽を持って入った。脳内で育てているぞ。
エンヤ婆のように、内面から食い破られて死ぬのだ!」

ジョースターの身に何が起きているのか、エンヤ婆は何故突然あのような死に方をしたのか、全てが理解出来たと同時に、声も出せないような恐怖が江里子を襲った。
承太郎達も皆、手も足も出せないもどかしさに歯を食い縛っていた。


「エッヘヘ・・・・」

駄賃を貰った子供だけが、この場の空気に気付いていなかった。
箒の柄で人をぶつ、普通は怒られるところが何と、お金が貰える。
いたずら盛りの子供にとっては、こんなに魅力的な話はない。
味を占めたらしく、男の子はまた箒の柄を構え、スティーリー・ダンの脚を思いきり殴った。


「痛ぁぁぁーーーッッ!!」

止める暇もなく殴られ、ジョースターは再び苦痛にのたうち回る破目になった。


「ジョースターさん!」
「うぐぐぉぉ・・・・・!!」

先程よりも痛そうにしているのは、2打目というのもあるが、先程よりも強く殴られたせいもあった。
最初の時は男の子も多少遠慮がちに、怖々と事に及んだが、2度目の今、その遠慮は欠片程も感じられなかった。


「・・・・フン」
「エッヘヘ・・・・」

微かに笑うスティーリー・ダンを、男の子はキラキラと無邪気な顔で見上げた。
しっかりバッチリ、小さなその手も差し出している。
だが次のお駄賃は、彼の期待している紙幣ではなかった。


「いつ2回殴って良いと言った?このガキが!!」

スティーリー・ダンは態度を豹変させると、背後の少年を裏拳で思いっきりぶん殴った。


「ギャッ!!」

男の子は盛大に吹っ飛び、道端に転がった。


「大丈夫!?」

江里子はすぐさま男の子に駆け寄り、助け起こした。


「うぇぇん・・・・・・!」
「ああ、鼻血が・・・・・」

気の毒に、男の子は鼻血をボタボタと垂らしていた。


「ちょ、ちょっと触るわよ、ごめんね・・・・・・」
「あぅっ・・・・!」

幸い、鼻の骨は折れていないようだった。
江里子は、男の子の鼻の下に垂れている血をハンカチで拭き取り、ティッシュを千切って鼻の穴に詰めてやった。
手当てが終わると、男の子は泣きながら一目散に逃げて行った。


「・・・・何て事するの・・・・・・・」

江里子は、スティーリー・ダンを睨みつけて呟いた。
しかしスティーリー・ダンは意にも介さず、殴られた膝の辺りを手で払いながら話を続けた。


「ま、はっきり言って私のスタンド【恋人−ラバーズ−】は力が弱い。
髪の毛1本動かす力さえも無い、史上最弱のスタンドさ。
だがね、人間を殺すのに力なんぞ要らないのだよ。分かるかね、諸君?
この私がもし、交通事故に遭ったり偶然にも野球のボールがぶつかってきたり、躓いて転んだとしても。・・・・・Mr.ジョースター。」
「お、おお・・・・・!?」
「貴方の身には何倍ものダメージとなって降りかかっていくのだ。」

スティーリー・ダンはおもむろに、左の指をボキボキと鳴らした。


「う、うおお・・・・!?ひ、左手の義手にさえ、本物の感覚が・・・・!」

同時に、ジョースターの義手の指が、まるで独自の意思を持った別の生き物のように勝手に動いた。


「そして10分もすれば、脳が食い破られ、エンヤ婆のようになって死ぬ!」
「ぬぅぅぅ・・・・!」

地獄に落ちろというジェスチャーをして見せたスティーリー・ダンに、承太郎の我慢は限界に達したようだった。
承太郎は再びスティーリー・ダンに掴みかかり、拳を振り上げた。


「承太郎、落ち着け!!馬鹿はよせ!!」
「いいや、コイツに痛みを感じる間を与えず、瞬間に殺してみせるぜ!」

花京院が間に割って入って止めたが、承太郎は聞く耳持たなかった。


「ぐあぁぁぁ・・・・・!」

だが、承太郎がスティーリー・ダンの胸倉を締め上げていれば、
ジョースターはその数倍の苦しみ、たとえば、首を絞められてでもいるかのような苦しみを味わわされる。
胸倉を掴んだだけでも、その瞬間にこれ程苦しむのだ。
痛みを感じさせる間もなく殺すというのが、果たして本当に出来るのかどうか。
一か八か試してみるには、あまりにも無謀すぎる賭けだった。


「っ!?」

承太郎も恐らくそう思ったのだろう。考え直したように、渋々ではあるが手を放した。


「ゲッホゲホゲホ・・・・!」
「ジョースターさん・・・・・!」

江里子は、苦しみからひとまず解放されて咳き込むジョースターの背中を擦った。


「痛みも感じない間の一瞬か。ほーう?良いアイデアだ。」

酷く咳き込んでいるジョースターとは対照的に、スティーリー・ダンは悠然と服の襟などを正していた。


「やってみろ承太郎。面白いな、どこを瞬間にブッ飛ばす?ほれ、顔か?喉か?」

承太郎の顔が強張った。


「ほれどうした?試してみろよ。どうなるかやってみろよ。胸に風穴開けるってのはどうだぁ?」

スティーリー・ダンは承太郎をわざと煽るように、自ら胸を肌蹴て見せた。


「それともスタンドはやめて、石で頭を叩き潰すってのはどうだ?
ほ〜ら石を拾ってやるよ。これ位のデカさで良いかぁ?」

更にはわざわざ数歩歩いて、無数の石ころの中から一際大きな石を選び取ってきた。
もしかしなくても、完全に挑発である。
そしてその分かり易い挑発に、承太郎はまんまと乗せられてしまった。


「・・・あまりナメた態度取るんじゃあねぇぜ。俺はやると言ったらやる男だぜ。」

承太郎は再び、スティーリー・ダンの胸倉を掴み上げた。
彼を睨む目が、先程よりも一層凄みを増している。
傍で見ている江里子の方が、思わず震えてしまうような怒りだった。
その本気の激しい怒りに、流石のスティーリー・ダンも口を噤んだ。


「うぐぉぉぉ・・・・!」

だが、スティーリー・ダンを叩きのめす事は出来ない。
彼に何かをすれば、その数倍、ジョースターが苦しむ事になるのだから。
しかし承太郎は一か八か、危険な賭けに出ようとした。


「オラァッ!!」
「早まるな、承太郎!!」

空気が激しく渦巻いた。
承太郎と、彼を止めようとする花京院が、ほんの一瞬だったが、それぞれにスタンドを発動させたようだった。


「こいつの能力は既に見たろう!?自分の祖父を殺す気か!」
「ほ、本当にやりかねねぇ奴だからな・・・・!」
「やめて下さい承太郎さん!お願いだから落ち着いて・・・・!」

江里子も花京院やポルナレフと共に、承太郎を止めにかかった。
腕の力だけではどうにもならないから、承太郎とスティーリー・ダンの間に身を割り込ませ、殆ど抱きつくような形で必死に承太郎を押しやって、スティーリー・ダンから引き放そうとした。


「チィッ・・・・・!」

承太郎は心の底から忌々しげに舌打ちをし、スティーリー・ダンの胸倉を掴む手から力を抜いた。


「ナメたヤローだ・・・・・!」

流石に本気で身の危険を感じたのだろうか、スティーリー・ダンは冷や汗をかいて引き攣った笑みを浮かべたが、承太郎の手から力が抜けたのを知ると、承太郎の肩を掴んでいる花京院の手を、持っていた石で殴りつけて振り払った。


「うっ・・・・・」
「花京院さん、大丈夫ですか!?」
「ええ・・・・・。江里子さんこそ、当たりませんでしたか?」
「ええ、私は・・・・・。」

幸いにも、花京院の手に怪我は無かった。


「・・・ほ〜う?」

ただ一人、承太郎だけがまだ離れていなかった。
力こそ緩めているが、相変わらずスティーリー・ダンの胸倉を掴んだままだった。
そんな承太郎の顔を見上げるスティーリー・ダンの目つきは、正しく人の足元を見ている時のそれだった。不敵なその眼差しが、『祖父がどうなっても良いのか』という脅し文句を吐いていた。


「・・・・・・・」

承太郎は屈辱に顔を歪めながら、渋々手を放した。


「このぉっ!!」

その瞬間、スティーリー・ダンは、石で承太郎の鳩尾を思いっきり殴った。
石といっても、小ぶりの岩というようなサイズである。そんな物で思いきり急所を殴りつけられては、流石の承太郎も平気ではいられなかった。


「ぐおっ・・・・!」
「承太郎!!」

悶絶して崩れ落ちる承太郎に、ジョースターが悲痛な声を上げた。
しかし、事はそれだけでは終わらなかった。


「俺をナメるな!ッヘヘ、貴様ぁ、ジョースターのジジイが死んだら、その次は!・・・お前!!」

スティーリー・ダンは更に石を振り被り、承太郎の頭に思いきり叩きつけた。


「承太郎さん!!!」

江里子達は、地べたに倒れ込んだ承太郎に駆け寄った。
死んでしまったのではないだろうかと怖くなる位の勢いで殴られたのだ。


「貴様の脳にラバーズを滑り込ませて殺す!!」
「な、何て事しやがる!!」
「フッハハハハハハハハ!!ウハハハハハ!!」

ジョースターの非難を、スティーリー・ダンは嘲笑で受け流した。


「うぅ・・・・・!」
「承太郎さん、大丈夫ですか!?」
「ああ・・・・・・・」

承太郎は支えようとする江里子の手を断り、自力で起き上がった。
いや、完全には起き上がれていない。
あの負け知らずの承太郎が、両膝を地に着け、血を吐きながら、四つん這いで必死に痛みをやり過ごしている。


「な、何て事だ・・・・、孫が殴られて、儂が助かるとは・・・・!
すっかり奴のペースだ・・・・・!儂の脳の中に、奴のスタンドがいる・・・・。
若い頃、心臓に毒薬を埋め込まれた事があったが、何とかしなければ・・・、何とかしなければ・・・・・!」

ジョースターが、小さな声で呟いていた。早口でよく聞き取れなかったが、相当に追い詰められているのは江里子にも理解出来ていた。
敵への攻撃は、ジョースターをその数倍の威力で攻撃するのと同じ事。
かと言って、このまま手をこまねいていても、ジョースターは助からない。
リミットは、あと10分。


― ど、どうしよう、どうすれば良いの・・・・・!?



「・・・・おっ!」

不意にジョースターが声を上げ、後ろを見た。
そこにいた花京院が、小さく頷いた。


「え・・・・・?」

二人の今のアイコンタクトが何を意味するのか、江里子には分からなかった。


「え・・・・、あ、ちょっ・・・・・!」

理解する暇もなく、ジョースターは花京院と連れ立って向こうへ走って行った。


「おっ、おいっ・・・・!」

何が何だか分からないという顔で、ポルナレフもその後を追いかけて行った。


「ちょっと!ポルナレフさんまで!!皆どこへ行くんですか!?」

江里子は叫んでから、自分の失言に気が付き、ハッと口を噤んだ。
どういう理由で走り出したのかは分からないが、敵の目の前で行き先を言わせて良いものか悪いものか、少し考えれば分かる事だ。
しまったと思った瞬間、花京院がこちらを振り返った。


「承太郎!!そいつをジョースターさんに近付けるな!!
そいつから出来るだけ、遠くへ離れるッッ!!
江里子さん、こちらの心配は要りません!承太郎の事を頼みますよ!!」

花京院は叫ぶようにしてそう告げると、また背を向けた。


「分かりましたーーっ!!皆さん、気をつけて!!!」

走っていく3人の背中に、江里子はそう叫んだ。




「・・・・・ほう?なるほど。」

スティーリー・ダンは、意外にも落ち着き払って微動だにしなかった。ジョースター達を追いかけようともしなければ、焦りの表情ひとつ浮かべる事もなかった。


「遠くへ離れればスタンドの力は消えてしまうと考えての事か。
だがな、物事というのは短所がすなわち長所になる。
私のスタンド・ラバーズは、力が弱い分、一度体内へ入ったら、どのスタンドより遠隔まで操作が可能なのだ。何百キロもな。」

承太郎が立ち上がった。
痛みがピークを越したのか、もういつものポーカーフェイスに戻っていた。


「ん?おい承太郎、オメーに話してんだよ。」

それが気に障ったのか、スティーリー・ダンは承太郎の胸倉を掴んだ。


「なに澄ました顔して視線避けてるんだよ!こっち見ろ!」

承太郎は横目でスティーリー・ダンを一瞥した。
怒りに任せて睨みつけるのではなく、冷静に観察するように。


「テメェ、だんだん品が悪くなってきたな。」
「貴様・・・・・、ジョセフが死ぬまでこの私に付きまとう気か?」
「ダンとか言ったな。このツケは必ず払って貰うぜ。」
「フッ・・・・フッフッフッフ・・・・・」

スティーリー・ダンは、不敵な笑いを微かに零した。


「そういうつもりで付きまとうなら、もっと借りとくとするか。」

そして突然、無遠慮に承太郎の学ランやズボンのポケットを漁り、財布と腕時計を引っ張り出した。
更にその財布を我が物顔で開き、中の紙幣の数を見て、馬鹿にしたように言った。


「これしか持ってないのか。時計は生意気にタグホイヤーだがな。『借りとく』ぜ。」
「それは・・・・・・・!」

承太郎のその腕時計は、彼の両親、つまり空条夫妻からの高校入学の祝いの品だった。大切な大切な、記念の品なのだ。


「それは返して下さい!」

何も言わない承太郎に代わり、江里子はスティーリー・ダンに詰め寄った。


「代わりに私の財布を出します!だからそれは返して下さい!」

江里子は自分のバッグから財布を取り出して差し出した。
スティーリー・ダンは一応それを受け取り、さっきと同じように無遠慮に中を確認して、心底呆れたように鼻を鳴らした。


「ハッ・・・・、おいおい。タグホイヤーの腕時計は、一体いつからこんな安物になり下がったんだ?」
「っ・・・・・・・!」

江里子はカッとなり、力ずくで腕時計を取り返そうと手を伸ばした。


「返して下さい!それは大事な物なんです!」
「そんな事言われたら、ますます返したくなくなるのが人情というものだよなあ〜。」

スティーリー・ダンは江里子の手をいとも容易く払い除け、腕時計を頭上高く掲げた。
承太郎に比べれば小柄で貧弱な体格の男だが、江里子よりはやはり大きい。
どんなに背伸びをしても、腕時計にはもう手が届かなかった。


「返して!お願い、返して・・・・・!」
「ハハハハ。」

飛び跳ねてまで取り戻そうとする江里子を、スティーリー・ダンは鼻で笑い飛ばしていたが、やがておもむろに江里子の手首を掴んで止めた。


「あっ・・・・・・・!」
「そんなに返して欲しいのかぁ?」

江里子は必死の形相で何度も頷いた。
するとスティーリー・ダンは、おぞましいとさえ思えるような厭らしい笑みを浮かべて言った。


「他に金目の物が無いんだったら、仕方がないなあ。君の身体と交換してやるよ。」
「なっ・・・・・・・!?」

頬が紅潮したのが、自分でも分かった。
照れているとか、恥ずかしいとかでは断じてない。
嫌悪と恐怖と、何より怒りの為だった。


「何言ってるの!?冗談じゃないわ!」
「ならば構わんよ。この腕時計は返せない、それだけの事だ。」
「そんな・・・・・・!」
「勘違いして貰っちゃあ困るなあ。私は別に君に興味がある訳じゃあない。
そっちが他に持ち合わせも無いのにどうしてもと我儘を言うから、親切で交換条件を出してやったんじゃあないか。」

怒りと屈辱に、江里子は奥歯を食い縛った。


「さあ、どうする?」
「・・・・・・・・」
「さあ!」

いつの間にか形勢は逆転し、江里子の方が詰め寄られてしまっていた。
江里子は暫しそのままスティーリー・ダンと睨み合いながら、結論を出した。


「・・・・・・分かりました。交換して下さい。」
「・・・いいだろう。」
「江里!」

スティーリー・ダンと承太郎の声が、ほぼ同時に江里子の耳に届いた。
その瞬間、江里子は承太郎に腕を引っ張られ、殆ど抱え込まれるような形でスティーリー・ダンから引き離された。


「テメェ、なに安請け合いしてんだ!自分が何言ってるのか分かってんのか!?」
「大丈夫ですよ。時間もないし、こんな状況じゃあ、実際には何も出来ませんよ。
せいぜいちょっと触られる位でしょ?大した事ありませんよ。」
「そうと決まった訳じゃあねえだろ!」
「こんな公衆の面前で、平然と事に及べる人なんていないでしょ。どんな恥知らずだって無理ですよ。
もし私がどこかに連れ込まれるとしても、承太郎さんがずっとついて来てくれるんでしょう?人にまじまじ見られながら事に及べる人も、そうそういないと思いますよ?」
「っ・・・・・・!」

江里子が口の端を吊り上げてみせると、承太郎の頬が僅かに赤くなった。
年下のくせにまるで年上のように、いつも上からものを言う可愛げの欠片もない男だが、この時は妙に微笑ましく、可愛く思えた。


「大丈夫、心配しないで私に任せて下さい。その程度の事で取り戻せるなら安いもんです。」
「お前・・・・・・」
「旦那様と奥様からの贈り物なんですから、大切にしないと。」

唖然と目を見開く承太郎に、江里子は微笑みかけた。


「話は済んだか?」

スティーリー・ダンが、少し焦れたように口を開いた。


「それが日本語か?私に分からないように何コソコソ話してたんだか知らんが、良い作戦は練れたか?」

答える必要はなかった。
無視していると、スティーリー・ダンは再び江里子に詰め寄ってきた。


「じゃあ、手付代わりにキスでもして貰おうか。」
「・・・・・・」

江里子は余裕のある素振りで、自分からも一歩、スティーリー・ダンに歩み寄った。
キス位、何という事はない。痛くも痒くも、減る訳でもない。
江里子は今、ポルナレフに感謝していた。
カルカッタの宿で彼に組み敷かれ、唇を奪われた時、とても怖かったが、あの経験で得た『免疫』があるから、今こうして耐えていられるのだ。
それに、もしあの事件がなければ、この卑劣漢にファーストキスをくれてやる破目になっていた。
今となれば、あんな形ではあっても、相手がポルナレフで本当に良かったと思える。


「・・・・・・」

さあどうぞと言わんばかりのスティーリー・ダンに近付き、江里子は自ら彼に口付けようとした。
だが。


「あっ・・・・・!」

唇を重ねかけた瞬間、江里子はまた強引に腕を引っ張られ、スティーリー・ダンから引っ剥がされた。


「承太郎さん、どうして・・・・・・!?」
「要らん事をするんじゃねえ」

承太郎の顔は帽子のひさしに隠れて、よく見えなかった。
だがその声には、いつもとは違う迫力というか、怖さがあった。


「よお、スティーリー・ダン。そいつは『貸し』といてやる。遠慮せずにとっときな。」

スティーリー・ダンは少しの間、まじまじと承太郎を眺めていたが、やがて愉悦の笑みをその口元に浮かべた。


「・・・ほ〜う?なるほどなぁ?そうかそうか、そういう事か、なあ承太郎?」
「・・・・・・」
「ん〜、こいつは楽しくなってきた。
折角はるばる日本からやって来たんだ。この私が君達に、カラチを案内してやろう。
なぁに心配は要らんさ。ガイド料を取ろうなんて思ってやしない。俺は外国人に親切なんだ。さあ行こう。」

スティーリー・ダンは江里子と承太郎に背を向け、先を歩き始めた。
ついて行かないという選択肢は、勿論なかった。


「・・・・・良いか、野郎の要求をお前が呑む必要はねえ。」

歩き出す前に、承太郎がまた声を潜めて話しかけてきた。


「でも・・・・・・」
「お前は何も心配するな。この先、俺が何をされようが、お前は知らん顔してろ。」
「何言ってるんですか、そんな事・・・!」
「良いな?」
「っ・・・・・・・!」

有無を言わせぬ険しい目でギロリと睨みつけられては、それ以上の反論は不可能だった。





















にぎやかなデコレーションの施されたバスが、埃っぽい砂利道をのどかに通り過ぎる。日本には無い光景だ。
しかし今の花京院には、それを楽しんでいる余裕はなかった。


「・・・あった!」

走りながら道端に並ぶ店を片っ端からチェックして、花京院はようやく目当ての店を見つけた。


「電気屋だ!ジョースターさん、TVがあります!」

その電気屋は、広いショーウィンドウの中にTVを何台も並べて置いてある、この辺りでは規模の大きそうな店だった。


「おっ、おい!何をする気なんだ!?」
「ポルナレフ、ただ逃げていると思ったのか!?」

ジョースターが呆れたような声を出した。
全く同感だった。
ジャン・ピエール・ポルナレフという男は、スタンド能力は申し分なく高く、精神も強く、頼もしい男なのだが、直情的で女好きで、少し察しが悪いのが玉にきずなのだ。


「頭の中のスタンドと、これから闘う!」
「た、闘うって・・・・!」
「あと数分しかない、君にも協力して貰うぞ。」

花京院は有無を言わせず、端的にそう告げた。


「えぇっ!?」
「ハーミットパープル!!」

ジョースターがハーミットパープルを発動させると、程なくしてショーウィンドウの中のTVにノイズが走り、ジョースターの脳内の映像が出た。


「いた・・・・!」

そこに、確かにラバーズはいた。
薄気味の悪い、小型のエイリアンみたいな形態のスタンドだった。


「オー!ノー!何てこった、自分の脳の中を見る事になるとは・・・・!」
「ほ、本当にもの凄く小さいスタンドがジョースターさんの中にいる事は分かった、でも、コイツをどうやってやっつけるんだ!?」

ポルナレフにもようやく、問題の大前提は呑み込めたようだった。


「僕と君のスタンドがジョースターさんの体内に入って、こいつをやっつける!」
「な、何だって!?」
「スタンドはエネルギーのイメージ化した姿だ、小さくなれる筈なんだ!」
「花京院!」

ポルナレフの青い瞳が、非難するように花京院を見た。
彼の言わんとする事は分かる。
今まで一度も試していないそれを、何故成功すると断言出来るのか。
いきなりぶっつけ本番で試して、うまくいかなかったらどうなるのか。
しかしそのリスクを秤にかけても、やらないという結論は出せなかった。


「おい、お手柔らかに頼むぞ・・・」

そのリスクを誰よりも重く受け止めているのは、当然だがジョースター本人だ。
だから、絶対に失敗しない。
失敗させる訳にはいかない。


「時間がない、入るぞ、ポルナレフ!」
「わ、分かった・・・・!」
「ハイエロファントグリーン!!」
「シルバーチャリオッツ!!」

その決意を固め、花京院はポルナレフと共に未知の領域に挑み始めた。


「小さく・・・・・!」

ポルナレフが呟く声が聞こえる。
それに精神を同調させ、花京院も己のスタンドを小さく、小さく凝縮させていくイメージを描いた。
そのイメージが鮮明になるにつれて、ハイエロファントグリーンがどんどん小さくなっていく。ジョースターの耳の穴から入り込める程に。


「もっと小さくなれ!途中から血管に入るぞ!」
「あ、ああ・・・・!」

花京院は益々精神を集中させ、頭の中のスケッチブックにイメージを強く描き続けた。小さく、小さく、もっと小さく。




















江里子達はスティーリー・ダンに連れられ、町中を歩かされた。
特別危険そうな所へは行かず、ごくごく普通の散歩のように、比較的綺麗な場所ばかり通った。
そのうちに、人工の堀のほとりに出た。


「堀か・・・・。この堀、飛び越えて渡っても良いが、もし躓いて足でも挫いたら危険だなぁ。向こうの橋まで行くのもめんどくせえし・・・・・。
おい承太郎。堀の間に横たわって『橋』になれ。その上を渡るからよ。」

承太郎はスティーリー・ダンと目も合わさず、何も答えなかった。
江里子もまた承太郎に倣った。


「どうだ?橋になってくれないのか?」
「テメェ、何ふざけてやがるんだ?」

承太郎が言い返した瞬間、スティーリー・ダンは余裕の表情を一変させた。


「・・・・橋になれと言ってるんだ!!!このポンチ野郎がぁ!!」

そして、堀の端に規則的に設置されている金属製の装飾柱のようなものを、思いっきり蹴りつけた。
いや、蹴ったのではない。そこにわざと自分の脚をぶつけたのだ。


「あぁっ・・・・・・!」

江里子はスティーリー・ダンの脚を、いや正確には、この町のどこかにいるジョースターの身を案じずにはいられなかった。
恐らく今、ジョースターは苦痛に喘いでいる。
花京院とポルナレフがついているから滅多な事はないだろうが、相当の痛みを感じているに違いなかった。


「ど〜したぁ承太郎?あぁ〜ん??」

スティーリー・ダンの勝ち誇った流し目に、承太郎は舌打ちをして堀に向かい、しゃがみ込んだ。


「ほらほら、早くしろよ?」
「ケッ・・・・・!」

帽子の影から、悔しげに歯を食い縛る承太郎の口元が見えた。居た堪れない気持ちになったが、しかし江里子は黙って見守っているより仕方がなかった。
やがて承太郎は堀の向こうに手を着き、自らの身体を橋に変えた。


「じょ、承太郎さん・・・・・・!」

堀の向こうを掴む承太郎の手が、こちら側で踏ん張っているつま先が、小刻みに震えている。決して余裕ではないのだ。
自然の川と比べるとパッと見は幅の狭い人工堀だが、承太郎だから辛うじて届いたのであって、並の身長の男ならば、そもそも橋になるなんて到底不可能な筈だった。


「・・・・ヘッ。よぉ〜し。」

スティーリー・ダンは満足げにほくそ笑むと、おもむろに承太郎の背中を思いきり踏みつけた。


「ぐっ・・・・・・・!」

間を置かず、スティーリー・ダンのもう片足が、また承太郎の背中を踏み締めた。


「くぅっ・・・・・!」

承太郎は苦しげな呻き声を微かに洩らし、必死に耐えていた。


「なかなかしっかりした橋になったじゃあないか。ほれほれほれ。ほぉ〜れ!!」

スティーリー・ダンは承太郎の背中の上で片足立ちになり、わざと圧力を強くかけて踏みにじったり、トランポリンを弾ませるようにギシギシと揺らせたりし始めた。


「承太郎さん、もうやめて!無理しないで手を放して!」

傍目で見ていても、承太郎はもう限界だった。
幸い、浅い人工堀で、落ちても死にはしないのだから、さっさと手を放してしまう方がダメージは小さい筈だ。
それなのに、承太郎は江里子の言う事を聞き入れなかった。


「ほれ!」

手の甲を靴の踵で思いきり踏みつけられても。


「ほれぇ・・・・!」

とどめとばかりにグリグリと踏みにじられても。


「ぐぅぅぅ・・・・・・!」

苦悶の呻き声を洩らしながらも、承太郎はただ耐えていた。


「承太郎さん!!」

もう見ていられなかった。
目が勝手に熱くなり、涙が押さえられなかった。


「もうやめて!!もう満足でしょう!?お願いだからもう下りて!!早く!!」

江里子は泣きながら、スティーリー・ダンに懇願した。
すると、スティーリー・ダンは江里子の顔をじっと凝視し、肩を竦めた。


「・・・ああいいとも。今、下りてやる。」

スティーリー・ダンは身軽な仕草で承太郎の頭を飛び越え、堀の向こう側に立った。
そしてその場から、江里子に呼び掛けた。


「次はお前の番だ。渡ってきな。」
「・・・・・・・・」

心のどこかで想定していた要求だった。
当然、呑む事など考えられなかった。


「結構です。私は面倒じゃあありません。向こうの橋から渡ります。」
「黙れ。俺はその『橋』を渡れと言っているんだ。」

スティーリー・ダンは剣呑な目で、江里子を睨みつけた。
こんな程度では負けていられない。江里子はぐっと目に力を込め、負けじと睨み返した。すると承太郎が、小さな声で呟いた。


「・・・江里、気にするな。奴の言う通り、俺の上を渡れ。」
「何言ってるんですか承太郎さん、そんな事・・・・・!」
「言っただろう、俺が何をされてもお前は知らん顔をしていろと。
良いから早く渡れ。さっさと渡って貰った方が、俺も楽なんだ。」
「っ・・・・・・!」

これ以上の押し問答は、却って承太郎のダメージを大きくする。
江里子は仕方なく、承太郎の背中におずおずと足を着けた。


「の、乗りますよ・・・・・」

合図をし、ゆっくりと、出来るだけ負担をかけないようにして背中に乗ると、承太郎はまた身体に力を込めて踏ん張った。
だが、さっきのような苦しげな呻き声は上げなかった。


「す、すみません、承太郎さん・・・・・・!」
「いいから早く行け・・・・・」
「す、すぐ行きますから・・・・・・・!」

2歩もあれば、堀の向こうへ渡れる。
一刻も早く承太郎を解放したい一心で、江里子は足を大きく前へ伸ばした。
その瞬間、スティーリー・ダンの鋭い声が飛んできた。


「ストップ!!今動くんじゃあないッッ!!」
「あっ・・・・!」

今正に動こうとしていたところを呼び止められ、江里子はバランスを崩してグラついた。そのせいで、承太郎がまた苦しげな呻き声を上げた。


「あっ、ご、ごめんなさい承太郎さん・・・・!」
「うぅ・・・・・・」

承太郎にはもう、返事をする余裕もなさそうだった。
江里子は焦り、怒りに任せてスティーリー・ダンを睨みつけた。


「もう付き合ってられない!私、ここから飛び降りるわ!これ以上こんな事を続ける位なら、堀に落ちてズブ濡れになった方がよっぽどマシよ!!」
「そうしたければするがいい。ジョースターがまた痛い目に遭うだけだ。」
「くっ・・・・・・・・!」

何て卑怯な男なのだろう。
最低の最低の、更に最低の男だ。江里子は心の中でこの男を憎み、呪った。


「・・・・じゃあ・・・・・、どうすれば良いの・・・・・・!?」
「こっちに渡ってくる時に、承太郎の手を踏みにじれ。思いっきり、グリグリとな。」
「なっ・・・・・・!?」

承太郎の手の甲は、今しがたスティーリー・ダンに散々踏みつけられ、皮膚が酷く擦り剥けていた。
今でさえ顔を顰めてしまうような傷なのに、そこを更に踏みにじれだなんて、とても人間の言う事とは思えなかった。


「何て残酷な人なの・・・・・・。同じ人間とは思えないわ・・・・・。」

江里子は呆然と呟いた。
しかしその呟きにすらも、スティーリー・ダンはほくそ笑んだ。


「何だ今頃気が付いたのか?そうとも、私はお前達と同じではない。もっと頭の良い人間だ。お前らとはここの出来が根本的に違うのさ。」

スティーリー・ダンは自分のこめかみを人差し指でトントンとつつき、悔し涙を浮かべている江里子を嘲笑った。


「さあ、どうした?早く来いよ。いつまでもそのままじゃあ、承太郎が苦しいだろう?いい加減に解放してやれよ、酷い女だな。」
「このっ・・・・・・・・!」

江里子は折れそうな程、奥歯を強く噛み締めた。
殺せるものなら、自分の手で殺してやりたいとさえ思った。
だが、出来ない。
ジョースターの命を盾に取られている以上、この男に擦り傷ひとつ与える事は出来ない。


「ぐぅぅッ・・・・・・!」

そして承太郎にも、これ以上の苦痛を与えたくない。
早く、一刻も早く、解放して楽にしてやらねば。


「・・・・・すみません承太郎さん、少しだけ辛抱してて下さいね・・・・!」

江里子は腹を括ると、承太郎の背中の上を一気に駆け抜けた。
必要以上に踏まず、勿論手の傷を踏みにじる事もせず、向こう側に渡ってスティーリー・ダンの目の前に躍り出た。


「っ・・・・・!」

完全に想定外だったのだろう。スティーリー・ダンは一瞬、焦った表情を浮かべた。
江里子はその首ったまに抱きつき、自分から彼にキスをした。


「・・・・・・お願いですから・・・・、これで許して下さい・・・・・・」

何秒間かそのままで耐えてから、江里子は唇を放し、そう呟いた。


「・・・・いいや、駄目だな。許してくれと言うのなら・・・・」

スティーリー・ダンの目が、急激にギラついたのが分かった。


「せめてこれ位はして貰わないとな!」
「きゃあっ・・・・・・!」

分かった瞬間、江里子は彼に引き寄せられ、唇を貪られていた。


「うぅっ・・・・・・、うぐっ・・・・・・!」

もがいてももがいても、逃げられなかった。
腰を引き寄せられ、髪に手を差し込まれて頭を固定され、いいように嬲られた。


「い、やぁ・・・・・、うぅっ・・・・・・!」

捻じ込まれた舌が、江里子の口内を無遠慮に弄っている。
舌を絡め取られ、強く吸われ、歯と歯が当たってガチガチと音を立てる。


「いやあっ、うぐぅぅ・・・・・・・・!」

必死の思いでのけ反っても、また力ずくで引き寄せられて、今度は唇をベロベロと舐め回される。
ポルナレフにされた時も突然で強引だったが、ここまで無慈悲で傲慢ではなかった。
スティーリー・ダンのキスは汚らわしくて、嫌悪感しか催さなかった。


「うぅぅ・・・・・・!!」

そしてそれを、承太郎の目の前でされている。
彼に見られている。
それを思うと、いっそ死にたい位だった。


「・・・・っぷはぁッ!ははっ!おい見たか承太郎!
お前の女、お前の目の前で俺に抱きついてキスしてきやがったぞ!
女の心変わりは早いというが、お前もまたえらく尻軽な女に惚れたもんだなぁ、ええ!?」

ようやく江里子を解放したスティーリー・ダンは、
恥辱の涙を流す江里子を一層侮辱し、なす術なく橋となっている承太郎を嘲笑った。


「・・・・・・・」

承太郎は何も言わなかった。
何も言わず、ただ、江里子をまっすぐに見つめていた。


「っ・・・・・・・・!」

その強い視線を、江里子はとても直視出来なかった。


「さあ、堀も無事に越えた事だ。先を行こう。」
「あっ・・・・・・・!」

屈辱に打ちひしがれている江里子の肩を、スティーリー・ダンは当然のように抱き寄せた。


「おい承太郎!お前の女も・・・・『借り』とくぜ?」
「あっ・・・・・・!」

肩を抱いていた手が、おもむろに胸を掴んで2・3度揉んた。
その感触に、江里子は思わず声を上げた。
断じて変な意味ではなく、単なる反射だったが、それはスティーリー・ダンを大層悦ばせてしまった。


「おい承太郎!お前の女、イイ乳してんなあ!デカいし感度も良い!ちょっと揉まれただけで『アンッ』だとよ!こんな公衆の面前で感じてやがるぜ!ハハハハハ!」
「・・・・・・・・・・・!」

スティーリー・ダンの腹立たしい裏声を、江里子は必死で聞き流した。
これ以上、この男の思うつぼにならないように。
これ以上、承太郎に情けない痴態を見聞きされないように。


「おい、もう良いぜ、承太郎。」

スティーリー・ダンは思い出したように振り返り、承太郎に声を掛けた。
そして、立ち上がった承太郎に、ニヤリと笑いかけた。


「・・・・ナイスな橋だったぜ、承太郎。フッフ、フッフッフ・・・・。」

スティーリー・ダンは鼻歌を歌いながら、また歩き始めた。
かと思うと、たったの数歩でまた立ち止まった。


「・・・・お。おい、承太郎。背中が痒いなあ。・・・掻け。」
「私がやります。」
「黙れ、引っ込んでろ。」

江里子が代わろうとしたが、スティーリー・ダンはそれを許さなかった。


「私でも良いでしょう?背中なんて誰が掻いても同じ・・」

江里子が食い下がろうとするのを阻むように、承太郎はすぐさまスティーリー・ダンの背中を掻き始めた。


「承太郎さん・・・・」
「・・・・・・・・・」

承太郎は江里子と目も合わせず、黙々とスティーリー・ダンの背中を掻いた。


「フッフッフ・・・・。うん・・・・・、もうちょい下だ。もっと下。
よしそこだ。爪を立てるなよ。ん〜。」

気持ち良さそうに目を細めるスティーリー・ダンを、江里子は憎悪の目で睨み付けた。だが、江里子の激しい怒りは、スティーリー・ダンには欠片程も届かなかった。




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