星屑に導かれて 26




コォン、コォン、という音と共に、その人影はヒタヒタと歩いてきた。
江里子達は、その人影がこちらへ近付いてくるのを黙って見つめていた。
近付くにつれて、その人影はくっきりと濃くなり、影だけではなくその姿や顔形を現した。
人影は、老婆だった。
小柄で、杖をついた、長い白髪の老婆だった。
老婆は江里子達の前で立ち止まると、澄ました顔でペコリとお辞儀をした。
江里子達も皆、何となく釣られてお辞儀を返した。


「・・・旅のお方のようじゃな。」

老婆は顔を上げ、愛想の良い微笑みを浮かべた。


「この霧ですじゃ、もう町を出るのは危険ですじゃよ。崖が多いよってのう。
わたしゃ民宿をやっとりますが、今夜は良かったらうちの宿にお泊まりになりませんかのう?安くしときますよって。」

要するに、宿屋の客引きである。
しかし今の江里子には、まるで救いの神のように思えた。


「おおーっ!やっと普通の人間に会えたぜ!!」
「うぅむ、そうじゃな。今夜はこの婆さんの宿に泊めて貰うとするか。」
「そうですね。」
「フン」

そして、ポルナレフも、ジョースターも、花京院も、承太郎も、同じように思っているようだった。









「ホテルはすぐそこですじゃ。さぁさ、参りましょうか。」

老婆に促され、江里子達は歩き出そうとした。
その時、霧の中から突如、また人影が現れた。


「うわっ・・・・!な、何だ、誰だッ!?」

背後にいきなり現れたそれに驚き、ポルナレフが飛び上がって大きな声で叫んだ。


「何だ、警察かよ・・・・!驚かすんじゃあねーぜ!」

ポルナレフの背後に現れたのは、制服を着た警察官だった。
話の噛み合わない不気味な人だったが、あの女性がちゃんと呼んでくれていたのだ。
担架を携え、1人、2人、3人、と現れた彼等に、花京院とジョースターは状況を説明し始めた。


「通報を頼んだのは私達です。そこで人が死んでいるのです。」
「死体の着衣が乱れているのは、儂が検死をしたせいじゃ。あまりにも不可解すぎる死に方なので、何が起こって死に至ったのか、調べようとした。
その事について警察署に出頭しろというなら、無論、出頭する。幸い、目撃者は多数おる。この辺り一帯にいる人々皆、儂のしていた事を見ていた筈じゃ。」

しかし、3人の警官はいずれも、花京院やジョースターの話に耳を傾けなかった。
聞こえていない筈はないのだが、それでも、まるで何も聞こえていないかのような無関心な顔をして、道端の死体を担架に乗せ始めた。


「お、おい!儂らの話を聞く気がないのか!?お前らそれでも警官!?
死体を勝手にいじっちまったんだぞ!?証拠隠滅の疑いとかかけないわけぇ!?」

ジョースターが追い縋り、自ら墓穴を掘るような失言を発したが、それでも警官達は、ジョースターの顔すら見ようとしなかった。


「う、うぐぐ・・・・・!」
「無駄ですよ。あの警官達も例外じゃあない。さっきの女やその辺りの人達と同じ、まるで無関心です。」
「ぬぅぅ・・・・、やい貴様ら、後から指名手配とかするんじゃあないぞーッ!」

花京院に引き下がるよう促され、ジョースターはおかしな捨て台詞を吐いた。
警官達はやはり何の反応も返さず、死体を乗せた担架を担いで、何処かへと運んでいった。
警察にしょっぴかれずに済んだのは面倒がなくて良いのだが、果たしてこれを良しとして良いものなのだろうか。普通に濡れ衣を着せてしょっぴいてくれる警官の方が、安全だったのではないだろうか。
江里子はそんな事を考えながら、死体を運んでいく警官達を見送っていた。


「この町のどこかに、スタンド使いが潜んでいる可能性が強い・・・・。この濃すぎる程の霧も、奴等にとっては絶好のチャンス・・・・!今夜はもう、ずっと油断は禁物ですね・・・・。」
「しかし、誰が襲ってくる訳でもねぇが、不気味な町だぜ・・・・」

一緒に警官達を見送りながら、花京院とポルナレフがそう呟いた瞬間。


コォン!


不穏な空気を切り裂くかのように、老婆の杖の音が軽快に鳴り響いた。



「さぁさ、ジョースター様!あれが私のホテルですじゃ!ご案内いたしますよって、ついて来て下しゃれ。」

まるで気付かなかったが、いつの間にかすぐ前に立派な建物があった。
この濃霧のせいだろうが、この町のものは、何もかも突然姿を現す。人も、建物も。
その事が、江里子には薄気味悪く感じられた。


「あのホテルは小さいですが、20年程前、映画の『007』の撮影に使われ、あの有名なビートルズのジョン・レノンが泊まったというようなエピソードが・・・・」
「えっ!あるのか!」
「いえ、じぇんじぇんありませぬが。」
「んなっ・・・・!」

ポルナレフは思わず感嘆の声を上げかけて、ガクッと肩を落とした。
この老婆もまた、少し変わったジョーク・センスの持ち主らしい。ニコニコと愛想の良い笑顔を些かも変えぬまま、セールストークを続けた。


「結構良いホテルだと自負しておるのでごじゃりますですよ。
ホテルは今、他にお客はおりませぬが、夕食はお肉がよろしいですか?それともお魚が良いですか・・」

ホテルへ向かって歩きながら話し続ける老婆に、それまで沈黙を保っていた承太郎が突然、話し掛けた。


「待ちな、婆さん。今、ジョースターという名を呼んだが・・・・」
「う・・・・・!」

老婆は、ギクリとしたように立ち止まった。


「何故、その名が分かった?」
「うん?」

当のジョースターは自覚していなかったようで、不思議そうに承太郎を見た。


「・・・いやですねぇお客さん!今さっきそちらの方がジョースターさんて呼んだんじゃありませんか。」

老婆は振り返り、笑いながらポルナレフの方をチラリと見た。


「えっ?俺?そういや呼んだような・・・・」
「言いましたよぉ!客商売を長年やってるから、人様の名前はパッと覚えてしまうんですからねぇ!確かですよ!」

ポルナレフも、ジョースターも、そして江里子も、覚えていなかった。
名前を呼んだか呼んでいないかなんて、取るに足りない些細な事だから。
だが、こうして改めて考えると、妙に気になった。
まるで頭の中のある部分にだけ、霧がかかったようで。


「女将さんよぉ、ところでその左手はどうしたんだい?」

ポルナレフはその些細な謎をすっかり流して、老婆の左手を指さした。
老婆は左手は包帯でグルグル巻きになっており、指の先、爪の先すらも全く見えない状態だった。


「あ・・・、これ?これは火傷ですじゃ。齢のせいですかの、うっかり湯を零してしまってのう。ヒャッヒャッヒャッヒャッヒャ。」
「トシぃ?何を仰る!こうして見ると40ぐらいに見えるよぉ!デート申し込んじゃおうかなぁ、ヘヘッ!」
「ヒャヒャ!からかわないで下しゃれよぉお客さん〜!ヒャヒャヒャヒャヒャ!」

ポルナレフと老婆は、楽しそうに笑い合った。
いやに生気のない人間ばかりのこの町で、この老婆だけがただ一人、いきいきとしていた。
二人は楽しそうに談笑しながら、ホテルに向かって歩き始めた。
自分も後を追おうとしたその時、江里子は承太郎に肩を掴まれた。


「な、何ですか?」
「シィー・・・・・・」

承太郎は先を行く老婆に目を向け、彼女がこちらを向いていない事を確認してから、ジョースター、花京院、そして江里子を集め、声を潜めて言った。


「これから先、あのバアさんの前で俺の名を呼ぶな。お前らも名前を呼び合うんじゃあねぇ。」

その一言で、察しはついた。
承太郎は、あの老婆を疑っているのだ。
しかし江里子も、それを只の杞憂だとは思えなかった。
不自然すぎる程反応のない不気味な人間ばかりのこの町で、人間味のあるごく自然な反応を示すのは、あの老婆ただ一人なのだ。
最初は心底ホッとしたが、よくよく考えてみれば、それは逆に、とてつもなく不自然だとも言える。


「ポルナレフさんはどうするんですか?」
「うぅむ、何とかして伝えたいところだが・・・・・、いや、却って伝えん方が良いかも知れんな。」

江里子が尋ねると、ジョースターは、老婆の肩を抱いて談笑しながら前を歩くポルナレフに目を向けた。


「もしあのバアさんが敵だった場合、ポルナレフがあの状態でいてくれた方が都合が良い。
もしあのバアさんが敵ならば、まずポルナレフをターゲットに定めるか、そうでなくても、アイツの完全に油断している言動から、こちらをまんまと騙し遂せていると認識させる事は出来る。」

ジョースターのその言葉に、誰もが納得して頷いた。


「あのバアさんが白か黒かは、儂らがポルナレフの動向をさり気なく見守っていれば、すぐにハッキリする事じゃ。それまでは、儂らも全く警戒していないふりをしていよう。」
「何だかポルナレフさんを囮にするみたいでちょっと気が引けますけど・・・、それが良いでしょうね。」
「全くあのお調子者は、いつもいつも間の悪い・・・・」
「いつもいつも?・・って何の事ですか?」
「う゛ぇっ!?」

ふと感じた小さな疑問を何の気なしに口にすると、ジョースターは妙に狼狽した。


「いやっ、えと、そのじゃなぁ・・・・!」
「ポルナレフはいつもいつも見境なく女性に愛想を振り撒いて困るという意味ですよ。」
「そうっ!そうっ!その通りじゃ!」

助け舟を出した花京院と、助けられたジョースター。
江里子の目には、そのように見えた。


「・・・・・二人共、何か変ですね?」
「そうですか?」
「・・・・・・」

江里子は、穏やかな微笑を些かも崩さない花京院と、澄ました顔でしっかりと口を噤み、いやにバッチリ目を合わせてくるジョースターを、じっと見つめた。
何か隠し事がある、そんな気がしてならなかったのだ。


「おい、下らねぇ事やってる暇はねぇぜ。いい加減ついて行かねぇと、こっちが警戒している事があの婆さんにバレちまう。」

だがそれも、承太郎のこの一言で終了した。
何だか妙な態度だが、何を隠されているのかは皆目見当がつかないし、今はそれをしつこく問い質していられるような呑気な状況でもないのだ。


「あ、そうですね。すみません。行きましょう。」

江里子は、ポルナレフと老婆の後を追って歩き始めた。
今後の老婆への接し方を考えつつ歩いていたから、後ろでジョースターが安堵の溜息を吐いている事や、そんな彼を承太郎が睨み付けている事も、全く何も気付かなかった。



















ホテルは、とても立派な造りだった。
エントランスのホールは高い吹き抜けになっていて、1階は広いロビーだった。
外観も典型的なアラビア風の建物だったが、内装もクラシカルな感じで、ホール中央の上階へと続く階段が印象的だった。
いかにもなこの雰囲気は、旅行者のミーハー心を擽るのに十分で、油断は出来ないと分かっていながらも、江里子はついつい辺りを見回し、見惚れていた。
インドからパキスタンへの車中の旅の途中途中で立ち寄った宿が全て、お世辞にも素敵だとは言えなかっただけに、この清潔感と高級感溢れる雰囲気は、江里子には堪らなく喜ばしかった。


「お手数ですが、この宿帳にサインをお願いしますじゃ。」
「うむ。ツインの部屋を3つ頼む。そのうち1つだけでも構わないから、TVのある部屋にしてくれ。」

受付のカウンターの中に入り、宿帳を差し出した老婆に、ジョースターは要望を告げた。
しかし老婆は、皺だらけの顔を申し訳なさそうに顰めて、小さく首を振った。


「おお、申し訳ごじゃりませぬ。このホテルの部屋は、生憎と全てシングルですのじゃ。」
「おお、そうか。ではシングルを5つにしてくれ。」
「畏まりました。その代わりと言っては何ですが、TVは全ての部屋についておりますので、ご安心下しゃれ。」
「そうか、それは有り難い。」

ジョースターは宿帳にサインを書きつけ、ペンと共に老婆に返した。


「ありがとうごじゃります。では次の方、サインをお願いしますですじゃ。」

老婆は一旦返されたペンと宿帳を、今度はポルナレフの方に差し出した。


「俺?俺も書くのかよ?」
「うちは代表者様だけではなく、お泊まり頂く全てのお客様に、お一人お一人サインを頂いておりますのですじゃ。お手数ですが、ご協力をお願いしますですじゃ。」
「分かったよ。」

ポルナレフはペンを受け取り、サラサラと記帳した。


「おおーっ!悪くないんじゃあないか!?」
「ね!素敵ですよね!こんな建物、絵本の中でしか見た事なかったです!」

先にサインを済ませたジョースターが、改めてホテルの中を見回し、感嘆の声を上げた。これは本心なのか、それとも老婆に警戒していない事をアピールする為の演技なのか。
江里子は本心半分演技半分で、それに同調してみせた。


「ほれ、花京院。」
「ああ。」

ポルナレフは、ペンを花京院に譲ると、老婆にニコニコと話し掛けた。


「俺のサインはレノンばりに値打ち出るぜぇ!何たって『ポール』だしな!大事にとっとけよ!」
「それはそれは。そうさせて貰いますじゃ。」

ポルナレフと老婆が談笑している横をさり気なく通り過ぎ、江里子は花京院と承太郎の側に行った。


「ほら。」
「ああ。」

丁度、花京院が記帳を終え、ペンを承太郎に渡したところだった。
その時、一瞬、花京院の目が何か言いたげに承太郎と江里子を見た。
単に目が合っただけではない、明らかに何か含みのある視線だった。


「ほらよ。」
「あ・・・、はい。」

何の意味があるのか考える暇もなく、承太郎が早々とサインを済ませ、ペンを江里子に渡してきた。
承太郎には理解出来たのだろうか。それとも、自分の考え過ぎで、含みなど何もなかったのだろうか。
内心で少しうろたえながら宿帳に向かった江里子は、その瞬間、全てを理解した。


― これ・・・・・・!


『Tenmei Kakyoin』と『Qtaro Kujo』というサインを見た瞬間に。


「・・・・・・」

ジョースターとポルナレフは普通に本名のサインだったが、花京院と承太郎は偽名を書いた。
これはつまり、念には念をという二重作戦なのだ。
想定外に全員のサインを求められた瞬間、花京院がすぐさま策を講じたのだ。
その明晰な頭脳に改めて感服しつつ、江里子も二人に倣って『Hanako Yamada』とサインした。


「・・・・・・」
「・・・・・・」

ペンを置いてチラリと視線を上げると、承太郎がごくごく僅かに頷いた。


「・・・済んだぜ。」

承太郎は宿帳を閉じて、老婆に声を掛けた。


「おお。では、お部屋に案内しますじゃ。」

愛想の良い笑顔でそう答えた老婆は、またあの杖の音をさせながら受付から出て来た。
















案内されたのは、3階の部屋だった。
中は全て同じ広さに同じ造りだという事で、江里子達は適当に部屋を決め、ひとまず各々の部屋に入った。
確かに広くはなかったが、よく掃除の行き届いた綺麗な部屋だった。
インテリアも、シックな感じで好感が持てた。
上品なエンジ色のベッドカバーが掛けられたシングルベッドに小さなテーブル、壁際のサイドボードの上には、美しい模様や装飾の施された壺や置時計がさり気なく飾られていた。
そして、辺鄙な山岳地帯の田舎町の割に、割と新しいタイプのTVが置かれているのが、何より意外だった。
ジョースターは今頃、早速にもTVのスイッチを入れているだろうか。
そんな事を考えながら、江里子もTVの電源を入れてみた。
しかし、TVは映らなかった。


「あれ?」

何分幾らの有料TVかと思ったが、コインの投入口はない。
ならば偶々チャンネルが入っていないだけかと思ったが、ひとつずつ合わせていっても映るチャンネルはなく、砂嵐のノイズが耳に障るばかりだった。


「壊れてるのかな・・・・?」

江里子は首を捻りながら、TVの電源をOFFにした。
たちまち、元の静けさが戻った。


「・・・・・・・・」

何の音も聞こえない。
誰の声も聞こえない。
窓の外は濃い霧が立ち込めていて、外に大勢いる筈の人々の姿を、その気配ごと真っ白に塗り潰してしまっている。


「・・・・・・・」

あるのはただ、静寂のみ。
まるでゴーストタウンのような。


「っ・・・・・・!」

江里子は思わず身体を震わせた。
ここにはいられない。
とても一人でなんかいられない。
江里子は部屋を飛び出し、承太郎のいる隣室のドアをノックするとほぼ同時に開けた。


「何だ?どうした?」

ベッドに寝そべり煙草を吸っていた承太郎は、転がり込んできた江里子を見て、少し警戒した面持ちで身を起こした。


「べ、別に・・・・・。ただちょっと、何となく・・・・、あはは・・・・・」

江里子がしどろもどろに笑うと、承太郎はやれやれだぜと言わんばかりに溜息を吐いた。だが、用が無いなら出て行けとも言わなかった。


「・・・・・ジジイの部屋にでも行くか。出来るだけ一ヶ所に固まっていた方が良いだろう。」

承太郎は灰皿に煙草を押しつけ、立ち上がった。


「・・・あのお婆さん、やっぱり敵なんでしょうか?」
「恐らくな。だが、まだ確証がねぇ。」
「さっきの宿帳の偽名は、その確証を得る為の作戦、なんでしょう?」
「通じなきゃあどうしようかと思ったが、通じたようで良かったぜ。」

承太郎は江里子を一瞥して、微かに笑った。
江里子も、微笑み返した。


「日頃は絶望的に鈍いが、ここぞという時にはちゃんと回るんだな。良かった良かった。」
「なっ・・・・!?どういう意味ですかそれ!」

しかし次の瞬間、大きな手で頭をからかうようにポンポンと叩かれ、江里子は憤慨した。


「私の頭のどこが絶望的に鈍いんですか!?っていうか子供扱いしないで下さい!私の方が年上なの、忘れてません!?」
「キーキーうるせぇ。行くぞ、年上のオ・ネ・エ・サ・ン。」
「く〜〜〜っ、腹立つったら・・・・!」

一瞬流れた良いムードは、たちまちいつもの小競り合いに変わってしまった。
だが、さっきまで背筋を冷やしていた薄気味の悪さも、すっかり消え去っていたのだった。

















承太郎と共にジョースターの部屋を訪れてみると、ジョースターはTVのチャンネルをガチャガチャやっているところだった。


「おお、承太郎にエリーも。どうした?」
「いや、どうという訳じゃあないんだが、なるべく一ヶ所に集まっていた方が良いんじゃねぇかと思ってな。」
「ふむ、それもそうじゃな。」

承太郎と話しながらも、ジョースターは忙しなくチャンネルを変え続けていた。


「TV、映らないんですか?」
「そうなんじゃ。どの局に合わせても、まるで映らんのだよ。」
「私の部屋のTVも同じでしたよ。」
「何じゃと?」

ジョースターはTVから手を放し、承太郎と江里子に向き直った。


「エリーの所もか!どの局も?全然映らんの?」
「はい。全部のチャンネルに合わせてみましたけど、何一つ。」
「むうぅ・・・・、承太郎、お前の所のは?」
「まだ点けてねぇ。試してくる。」

承太郎は一人で部屋を出て行き、少しして戻ってきた。


「駄目だったぜ。」
「何じゃあ。全室TVがついていると言っても、これじゃあ只の飾りじゃないか。
芝居の小道具のハリボテじゃああるまいし。全く、役に立たん。」

只の飾り、芝居の小道具。
ジョースターが何気なく口にした言葉が聞き流せないのは、この陰鬱とした霧のせいだろうか。
そういえば、さっき書いた宿帳も、普通のノートだった。枠組みもキャプションもない、ただ罫線が引かれてあるだけの、ごく普通のノートだった。
頁を捲って調べた訳ではないが、パッと見た限り、他の客のサインもなかった。
仮にもこんな立派なホテルの宿帳が、あんな間に合わせのような、無愛想な帳面なのだろうか。
日付も入れず、適当にパッと開いた頁に客の名前を書かせるだけの、いい加減なもので良いのだろうか。
それともそれは日本人の感覚に過ぎず、この辺りの国々ではそんなものなのだろうか。
それは口に出すには余りにも細かすぎる小さな小さな疑惑で、江里子の喉につかえたまま、微動だにしなかった。


「次は花京院の部屋で試してみるか。」

ジョースターはブスッと頬を膨らませ、TVの電源を切った。

















「よっ!う〜〜んッ!!」

ポルナレフはバッグをベッドに投げ出すと、自分もそこへダイブした。
分厚いマットレスが、旅に疲れた身体を優しく受け止めてくれる。なかなか良い具合のベッドだ。シーツもベッドカバーも清潔そうで、変な匂いもしない。
ここ何日か、薄汚い町の薄汚れた宿ばかりでげんなりしていたところだったから、ここに来る事が出来たのは、全くもって幸運だった。
地元民が揃いも揃って不気味だという事が、玉にきずではあるが。


「んあ〜〜ッ!!全く、変な町だぜぇ!」

美しい街並み、快適なホテル、ロケーションは申し分ない。人口も多そうだ。
ただ、その住人の一人一人が、このホテルの女将以外、いやに虚ろで生気がない。
こんなにも栄えていそうな大きな街なのに。
しかし今のポルナレフには、それ以上真剣に考える気力はなかった。
ここ何日もずっと、毎日毎日朝から晩まで、運転手としてガタガタの砂利道を走り続けてきたのだ。不気味だろうが何だろうが、この快適なベッドを諦めるという選択肢は、ポルナレフにはなかった。


「・・・ほっ!」

ポルナレフは勢いをつけて飛び跳ね、一度ベッドの上に四つん這いになってから立ち上がった。


「よしっ、トイレ行こ♪」

ひと眠りする前に、まずはチェックも兼ねてトイレタイムだ。
宿に着いたらまず、トイレのチェックを行う。この作業は、ポルナレフにとっては、何より重要な事だった。
ポルナレフはまず、部屋を見回してみた。
だが、この部屋にトイレはついていなかった。
ならば隣でも見に行くかと、ポルナレフは自室を出て、隣の花京院の部屋を訪れた。
コンコンとノックをしてドアを開けてみると、その途端。


ガンッ!!!


という、なかなか派手な音を立てて、花京院がTVにチョップを喰らわせているところを目撃した。


「壊れているようですね。」

砂嵐しか映し出さないTVに、花京院はそう判断を下した。


「う〜ん・・・・。では、ハーミットパープルで敵の情報を探る事は出来んなぁ・・・・。」

部屋の中には、困り顔のジョースターと、江里子に承太郎までいた。
つまり、全員集合という訳である。


「お〜い、ジョースターさん。」

ポルナレフは、ジョースターに向かって声を掛けた。


「どうした?」
「この部屋、トイレある?俺のとこ無いみたいなんだよ。」
「このホテルでは共用なんじゃあないか?」

花京院にそう言われて初めて、ポルナレフはそれに気付いた。
こんなに良いホテルだから、トイレぐらい当然各部屋についているだろうという先入観があったのだ。


「あっ!なるほど!」

ポルナレフはドアを閉め、早速トイレを探しに行く事にした。
























深い深い霧の中、テンガロンハットを被った咥え煙草の男が一人、何処からともなく現れた。男はホテルの扉を潜り、ロビーを通り抜け、受付カウンターの上のフロント・ベルを鳴らした。
チィーン・・・というか細い音を聞き付けたホテルの女主人が、階段から杖をつきつつ下りてきた。


「あ・・・・・!?」

そして、男を見るなり、落ち窪んだその灰色の瞳を大きく見開いた。


「ジョースター御一行様は、ここの3階にご宿泊おあそばしですかい?」
「ホル・ホース!来たのか。」

その男、ホル・ホースは、自分と同じ階に下り立った女主人の前に跪き、彼女からやんわりと杖を取り上げ、その手を握った。


「ええ。俺も奴等を追って、今この町に着いたばかりですぜ。
しかし、たまげましたぜエンヤ婆。貴女が直々に出向いてくるとは。」

女に老いも若いもない。幾つになっても女は女。
抱きしめてやるような眼差しも、髪を撫でてやるような口調も、ホル・ホースにとってはごく当たり前のものだった。
それを向ける相手が、たとえ花の盛りの乙女であろうが、たとえ棺桶に片足を突っ込んでいるような老婆であろうが。


「うぅぅぅ・・・・・」

エンヤ婆はふるふると小刻みに震え始めた。


「うぅぅぅ・・・・・!」

かと思うと、顔面からあらゆる水を盛大に垂れ流し、汚らしい顔で号泣し始めた。


「おぉろろ〜!ひぃ〜っひひひぃ〜!」

そして、とても老婆とは思えない速さで、泣きながら隣室へと駆け込んで行った。


「ど、どうしたんですかいエンヤ婆!?いきなり泣き出したりして!」
「おろろろろろろぉ〜!」

後を追うと、エンヤ婆は椅子に身を突っ伏して、おいおいと咽び泣いていた。


「わっ、ワシは嬉しい、ホル・ホース!よく来てくれた!この孤独な老いた女の所へよく来てくれた!ワシは、お前に会えてとても嬉しいんじゃあ!」

結局、女は女。
孤独に弱く、優しく声を掛けられれば、おいおいと泣いて喜ぶ。
この魔女とて、やはり例外ではないのだ。
惨めな感情を剥き出しにして泣く老木の小枝のようなエンヤ婆の小さい背中を眺めながら、ホル・ホースは絶句し、同時に多少の憐れみも感じていた。


「ホル・ホース!お前はワシの息子と友達だったなぁ!?」
「友達!?えっ・・ええ!オッホン!」

不意打ちで突拍子もない事を訊かれ、ホル・ホースは慌てて帽子を目深に被り直し、咳払いをして声を整えた。


「確かに、トモダチでしたとも。」
「シクシク・・・・、親友だったのかい?」
「親友!!そう親友でしたぁ!良いコンビでしたぁ。どうしたんです?気丈な貴女らしくもありませんぜ?」
「・・・ワシの息子の恨みを晴らしてくれるのかいその為に来てくれたのかい・・・・!?」
「ええ!そうですともよ!討ちますぜ!親友の敵をね!」

その瞬間、ホル・ホースは奇妙な気配を察知した。
同時に、エンヤ婆の肩の辺りで、何かがキラリと光ったのを見た。


「・・・だから嬉しいんじゃよーーーーッッ!!!」

しかし、動くのが一歩遅かった。


「ほぎゃああぁぁーーーッッッ!!」

エンヤ婆は、とても老婆とは思えない素早い身のこなしで鋏を振り被り、ホル・ホースの右腕を刺していた。


「ケエェェェーッッ!!テメェをブチ殺せるからなあ!!」

それだけでは飽き足らず、更には突き刺した鋏の刃をグリグリと動かし、傷を抉った。


「エ、エンヤ婆!何しやがるんだ!!いぎゃあーーーっ!!」

激痛に叫びを上げながら、ホル・ホースは何とかエンヤ婆の攻撃から逃げた。
すると、エンヤ婆は鋏に付いた血を啜り舐め、ホル・ホースを執念深い目で見据えた。


「よくもホル・ホース!息子を見捨てて逃げ出したな!
おのれに出遭ったらまずブチ殺してやると心に決めておったわ!
息子の親友だと!?よくもぬけぬけと!」
「ま、待て!誤解だぜ!」

ホル・ホースは後退りしながら、必死で弁解した。


「俺が駆けつけた時は、J・ガイルは既にやられていたんだ!」
「ケエェェェーッ!!!」

しかしエンヤ婆は、ホル・ホースの弁解に耳を貸そうとはせず、再び鋏を振りかざして、ホル・ホースに飛び掛かった。


「ひええぇっ!!」

ホル・ホースは、その攻撃を間一髪で避けた。その瞬間、今の今までホル・ホースが尻もちをついていた場所に、鋏の刃が深々と突き立った。


「許せん!!貴様はポルナレフと同じくらい許せん!!
ワシのスタンド【正義−ジャスティス−】で死んで貰うわ!」
「ジャ、ジャスティス・・・・・!?」

エンヤ婆は両手を前に出し、空中にそれぞれの手で円を描くようにゆるりと動かした。すると、次第次第にエンヤ婆の周りに白い霧が立ち昇り始めた。


「お前も噂だけで見たことはないじゃろう・・・・。今見せてやるよホル・ホース!!」
「いぃっひひぃッ・・・・!?」

ホル・ホースが気付いた時には、もう遅かった。
いつの間にか腕の傷から霧が入り込み、血が蒸発していた。


「は、鋏で刺された腕の血がぁ・・・・・!霧の中に舞い上がっていく・・・・・!うぐわぁっ!」

そして遂に、ボゴーン!!という音と共に、傷にコイン大の大穴が開いた。


「げぇっ!?どひひぃぃ・・・・!」

傷穴は、向こう側の景色が見通せる程に大きく開いてしまっていた。
痛みもあるが、それ以上に見た目が衝撃的すぎて、ホル・ホースは思わずパニックに陥った。


「綺麗な穴が開いたようじゃの。
そうじゃ!ワシのスタンド、ジャスティスは、霧のスタンド!
この霧に触れた傷口は全て、このようにカッポリ穴が開く!そして・・・・」

天井の辺りに一際濃く立ち込めた霧が、口を開けて嘲笑する白い髑髏のように見える。


「・・・・ジャスティスが、ダンスしたいとさ!」
「ぐわああああ・・・・・!」

突然、ホル・ホースの右腕が後ろ手に回った。


「腕に開けた穴に霧が糸のように入って貴様は、ワシの操り人形と化した!
自らの腕で死にな、ホル・ホーーース!!」

その手は次に、ホル・ホース自身の口の中へと勢い良く突っ込んだ。


「オゴ・・・・、オゥエ・・・・、ブエェェッ・・・・!」

手がひとりでに喉の奥へと入り込み、窒息させようとする。
胃液を吐きながら、ホル・ホースは必死で己の手に抵抗した。


「ヒャーッハッハッハッハ!」

そんな様を見ながら、エンヤ婆は甲高い声を上げて笑った。
まるで、何もかも自分の方が上で、勝つのは必ず自分だとばかりに。
だが、スタンド使いはエンヤ婆だけではない。
ホル・ホースもまた、スタンド使いだった。


「・・・ちきしょう、いい気になるんじゃねぇ!」

ホル・ホースは何とか右手を引っ張り出すと、スタンドを発動させた。


「エンペラー!!」

ジャスティスがどんなスタンドだろうが、ホル・ホースにもスタンド使いとしての自信があった。
エンペラーの銃で、これまでどれだけの敵を始末してきたか。
あの厄介なスタンド使い、マジシャンズレッドのアヴドゥルとて、一撃の元に仕留めたのだ。
暗闇の中に引き籠って、呪術だの霊視だの胡散臭い事ばかりやっている魔女とは、闘いにおける場数が違う。


「くたばりやがれ、クソババア!!」

ホル・ホースは躊躇わずに銃口をエンヤ婆に向け、間髪入れずにトリガーを引いた。
だがその瞬間、突如、エンペラーがホル・ホース自身に銃身を向けた。


「げぇっ!?」

全ては一瞬の事だった。
自分の分身が自分を裏切った、その信じ難い事実に衝撃を受けた瞬間、エンペラーはホル・ホースの口の中へと、その銃弾を発射させていた。


「・・・『ジャスティス(正義)』は勝つ!」

己の銃を我が身に受けて吹き飛んだホル・ホースを一瞥して、エンヤ婆は勝利の声を上げたのだった。





















「・・・・ハァ」
「やれやれ、呑気な奴め・・・。いつ正体不明のスタンド使いが襲ってくるかも分からんのに。」

ポルナレフが出て行くのを見送って、花京院とジョースターは溜息を吐いた。


「・・・・・・・」

承太郎は窓辺に立ち、窓の外を見ていた。
外はますます霧が深くなってきており、それに比例して、江里子の不安も高まっていく一方だった。


「・・・・・・お茶でも淹れましょうか。」

江里子はおずおずと声を上げた。
何かしていないと、この静けさに押し潰されてしまいそうだったのだ。


「おお、そいつは良い。頼むよ、エリー。」

ジョースターがにこやかに頷いたその瞬間。


ドンガラガッシャーン!!


突然、音が聞こえた。
少し遠くに聞こえたが、結構派手な音だった。


「今の音、何でしょうか・・・・!?」
「部屋の外から聞こえましたよ。行ってみましょう。」

花京院が緊張した面持ちでそう言うと、承太郎とジョースターも頷いた。
一人で部屋に残る気にもなれず、江里子も彼等の後に続き、部屋を出た。


「おわ?おぉ??何だぁ、あの音は?ロビーの奥の部屋が騒がしいなぁ。」

廊下に出ると、ポルナレフがロビーに向かって階段を下りていくのが見えた。


「ポルナレフ!どうかしたか?」
「何か妙な物音がしたようだが。」

ジョースターと花京院が、ポルナレフに声を掛けた。
するとポルナレフは、二人を見上げて答えた。


「いや、ちょいと下を見てくるぜ。ロビーにいるからよ、何かあったら呼んでくれ。」

そう言い残して、ポルナレフはロビーへ下りて行った。
ロビーには誰の姿もなく、あれっきり物音ひとつしていない。
シン・・・と静まり返った広いロビーが、まるでポルナレフを待ち構えている罠のように見えて、江里子は思わずポルナレフを呼び止めようとした。
だが、それを承太郎が阻んだ。


「っ・・・・・!ど、どうしてですか・・・・!?」
「今は行かせろ。」
「そんな・・・・・・!やっぱり何か気味が悪いですよこのホテル・・・・・!」
「だからこそだ。」

承太郎は踵を返し、江里子達に背を向けた。


「あのババアが敵のスタンド使いかどうか、これで分かる。
5分経ってポルナレフが戻らなければ、俺が様子を見に行く。今は部屋へ戻るぞ。」

潜めた声でそう言うと、承太郎はジョースターの部屋へ戻って行った。
その背中を見送ったまま、何も言えなくなった江里子の肩を、ジョースターが優しく抱いた。


「ここは承太郎の言う通りにしよう。さあ、我々も部屋へ戻ろう。」
「ポルナレフの事なら心配は要りませんよ。彼が簡単にやられるようなタマじゃあない事は、江里子さんも良くご存知でしょう?」

花京院も、笑って頷いて見せた。
確かに、その通りだ。
あのポルナレフに限って、簡単にやられるような事は有り得ないし、5分後には承太郎も様子を見に行くと言っている。


「・・・・そうですね・・・・・。」

今の江里子に出来る事は、彼等を信じて待つ事だけだった。




















「おばさん?」

ロビーに下り立ったポルナレフは、その辺りにいる筈の女将の姿を捜し始めた。
しかしロビーには人っ子ひとりおらず、女将の返事もなかった。


「おーい。」

ポルナレフは知らなかった。
ロビーの奥の部屋のドアの陰に女将が・・・、いや、敵のスタンド使い、エンヤ婆が身を潜めている事を。


― おのれポルナレフゥゥ・・・・・!


そしてその胸の内で、ポルナレフに対するとてつもない悪意を滾らせている事を。


「おばさーん!」


― ポルナレフゥゥ・・・・・・!ブチ殺してやりたい・・・・・!息子の恨み、内臓引きずり出して晴らしてやりたい・・・・・!


「おーい、おばさーん!」


― しかし、ここでホル・ホースの死体が見つかるのはヤバいじゃ!


「カウンターの奥にもいねぇなぁ・・・・・」


― あの小娘はともかく、他の3人まで来られたらヤバいじゃ!一人ずつ殺すのじゃ!チキショー!今は向こうへ行きやがれ!


「おばさーん!?いるのかぁ!?」

ポルナレフは、ロビーの奥の部屋のドアをノックしながら呼び掛けた。


「何かが崩れるような音がしたが、どうかしたのか?」

捜せる所は既に全部捜した。いるとすれば、もうこの部屋しかない筈なのだ。
にも関わらず、やはり返事はなかった。


「・・・・・おばさん、入るぜ。」

妙に静かすぎる。
ポルナレフは警戒をしながら、ゆっくりと室内に足を踏み入れた。
その時。


「うぎゃっ・・・・!」

突然、部屋の中で小さな悲鳴が上がった。
ポルナレフは反射的に声のした方を見て、目を大きく見開いた。


「ああっ!」
「いたたたたたた・・・・!」

倒れたテーブルと椅子の側で、エンヤ婆が倒れていた。
そして、ポルナレフと目が合うと、恥ずかしそうに笑った。


「ヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ・・・・・!」
「どうした、おばさん!?」

ポルナレフは慌てて駆け寄り、エンヤ婆を助け起こした。


「ああいやいや、何でもありませんじゃ。ちょいと転んで腰を打っただけですじゃ。」
「転んだぁ!?危ねぇなあ!左手は火傷するし、ホント、そそっかしいんだなぁ。」
「ありがとう、すみましぇん、大丈夫、へっちゃらですじゃ。」

エンヤ婆は、皺だらけの顔を更にクシャクシャに歪めて笑った。


「何が大丈夫なもんか。腰の怪我を甘く見ちゃあいけねぇぜ。
ぎっくり腰とかよ、動けなくなっちまうんだぜ。そんなになったらどうすんだよ。」


― 出てけぇ、誰が部屋に入って良いと言った、チクショウ!


ポルナレフはエンヤ婆の悪意にも、自分の背後にあるホル・ホースの死体にも、まだ気付いていなかった。
そして、しゃがんでいる自分の股の下から、エンヤ婆が霧を這わせ、ホル・ホースの死体を長椅子の下へ引きずって行こうとしている事にも。


「はぁ・・・・、えぇ・・・・・・・・」


― ここは怒りを抑えてやる。しかし後で、ホル・ホースと同じようにブッ殺してやるからね!


「何だよ、他人事みたいな気のない返事をしてよ〜!アンタの心配をしてるんだぜぇ!?分かってんのかよぉ!?」
「へっ・・・・!?え、ええ、分かってますとも・・・・!ありがとう、すみましぇん・・・・・!」

エンヤ婆はポルナレフに見えないように後ろに回した手の指で、チョイチョイとホル・ホースの死体を操り、長椅子の下に完全に隠した。


― ちょいと傷をつければ良いのさ。あたしのジャスティスの操り人形にしてくれるよ!


「んん?」

正にその瞬間、ポルナレフはふと横を向いた。
そこにはつい今の今までホル・ホースの死体が転がっていたのだが、今はもう、エンヤ婆の杖が転がっているばかりだった。


「よっ!・・・っと!はい、杖!」

そうとも知らず、ポルナレフは拾った杖を、エンヤ婆に手渡した。


「う゛・・・・」
「何だ?随分汗かいてるな?」
「え!?いや!本当に構わんで下しゃれ!部屋で休んで下しゃれ。」

エンヤ婆は杖を受け取りつつ、愛想笑いを浮かべた。
しかしポルナレフはまだ、その事に気付いていなかった。


「あぁ?そうかぁ?でも女手ひとつでこのホテルを切り盛りしてるのかい?他に家族はいねぇのかい?息子さんとかよぉ。」
「っっ・・・・・!」


― ぐぐ、ぐぐぅぅぅ・・・・・!


「え?今、何て言ったんだい?」
「・・・い、いや、もう独り暮らしに慣れましたよってのう。」

エンヤ婆は、ポルナレフにフイと背中を向けて、そそくさとそう答えた。


「ほお〜ぅ、そうか・・・・。でも、心細いだろ?たとえば、息子さんと嫁がいてよ。」
「うぁ・・・・!?」
「アンタの孫なんかが、あのロビーなんかでキャッキャと騒ぎまくるんだ。ちょいとうるせーけど、家族って良いよなぁ!」

ポルナレフは両腕を広げて、家族の素晴らしさをとうとうと語った。


― ぐぐ、ぐぐぐぅ・・・・・!


「子供がいるとしたら、俺より年上かなぁ!?どうしたんだい?大都会にでも出て行っちまったのかい?」

この引き攣った顔の理由は、息子の親不孝のせいだろうか。
ポルナレフはエンヤ婆に対し、そんな心配さえし始めていた。


― あああ・・・・・!あああ、あ・・・・・・!


「・・・い、いえ、死にましたのじゃ・・・・」
「えぇぇぇ!?す、済まねぇ、そいつは悪い事聞いちまったな。」


― テメェに殺されたんだよクキィィーッ!チキショーッ!ブチ殺す、ブチ殺ぉぉすッッ!!


エンヤ婆の胸の内に燃え盛るどす黒い恨みの炎に未だ気付かず、ポルナレフはとうとう、彼女に哀れみと親近感を持ってしまった。
人一倍家族を愛しながらも、人一倍家族の縁が薄いポルナレフには、息子を亡くして独り暮らしを余儀なくされている老婆を放っておく事など出来なかったのだ。


「なぁ!座んなよ!肩揉んでやろうかぁ!?」

ポルナレフは倒れていたテーブルと椅子をいそいそと元に戻し、その椅子に有無を言わさずエンヤ婆を座らせた。


「俺も独りぼっちの身でよぉ。小さい時、母親を亡くしたんだ。」

ポルナレフは、エンヤ婆の枯れ木のように固く干からびた肩を丁寧に揉み解し、肘でグリグリとツボを刺激して、マッサージを始めた。


「思い出すなぁ、母さんをよぉ。」

記憶にあるポルナレフの母親は、勿論エンヤ婆よりももっと若かったが、年上の女性との温かい語らいとスキンシップは、ポルナレフに亡き母への想いを募らせていた。


「ひとつ、今夜は、ヘッヘッヘ・・・。この俺を、息子の代わりと思って、甘えて良いぜぇ〜☆」

そしてそれは、今、目の前にいる老婆へと向けられていた。


「ぐっ・・・・!」


― このクサレガキャー!!やっぱり今ブチ殺さでおくべきかぁーッ!


当の相手は、その想いに鋏の一撃で応えようとしている事にまるで気が付かずに。


「おおっ、随分凝ってるなぁ!やっぱ苦労してるんだなぁ。」
「う、うぅぅ・・・・、うぅ・・・・・・!」

不意に、呻き声が聞こえた。


「ん?」

ポルナレフは声のした方に目を向けた。


「あぁぁ・・・・、ウェッヘッ、ゲッヘ、ゲホッ・・・・」

すると、西部劇のガンマン風の男が、息も絶え絶えに長椅子の下から這い出して来ていて、ポルナレフに向かって『助けてくれ』とばかりに手を差し伸べていた。


「な・・・・、何だ、こいつは・・・・!?」


― ホ、ホル・ホース!まだ生きておったのか!自分の弾丸を口の中に喰らった瞬間、そのスタンドを消したな!

エンヤ婆のその誤算は、ポルナレフにとっては奇跡にも等しいチャンスだった。


「あぁっ!?そのツラは・・・・!」

ポルナレフは、男の顔を思い出した。
それと同時に、エンヤ婆は鋏を振りかざし、ポルナレフの背後に忍び寄った。


「ポ、ポルナレフ・・・・、う、後ろだ・・・・・」
「てめぇは、ホル・ホース!!」

ホル・ホースが出ない声を振り絞って警告し、ポルナレフが叫んだ瞬間、エンヤ婆はポルナレフに向かって飛び掛かっていた。


「っ!なっ・・・・!?」

ほんの僅かな空気の乱れ、背中に迫る殺気に気付き、ポルナレフは後ろを振り返った。


「キエェェーーッ!!!」

間一髪、ポルナレフはエンヤ婆の両腕を掴み、鋏の一撃を食い止めた。


「何をする!!」
「お黙り!!あたしゃテメーに殺されたJ・ガイルの母親だよ!!」
「げぇっ!?」

凄まじい衝撃が、ポルナレフの身体を駆け廻った。
つい今しがたまでニコニコと愛想の良い笑顔を浮かべていたこの老婆がまさか敵、それもあのJ・ガイルの母親だったとは、本人に自己紹介されるまで、まるで思ってもみなかった事だった。


「クケケケケケ、クケケケケケ!!!」

エンヤ婆は鋏をレイピアのように使いこなし、素早い突きを繰り出してきた。
その攻撃には、とても老婆の動きとは思えないスピードとキレがあった。


「チャリオッツ!!」

ポルナレフもスタンドを発動させ、応戦を始めた。


「貴様ぁ!スタンド使いか!!」
「息子を死に追いやった者は、全員嬲り殺しじゃ!!ケェェェーーッ!!」

ポルナレフはすっかり後手に回ってしまっていた。
本気で殺そうと思えば、多分殺せる。チャリオッツはまだ全力を出してはいない。
だが、どうしてだか、ポルナレフ自身がそれをしようという気になれなかったのだ。
相手はあの憎っくきJ・ガイルの母親だというのに、今こうして命を狙われているというのに、それでもどうしてか、この老婆を殺そうという気にはなれなかったのだ。


「ジョ、ジョースターさん!!!」

追い詰められたポルナレフは、堪らずに助けを呼んだ。


「フン!!もう遅い!他の3人に知らせる事は出来なくなっているんじゃよ!」
「っ!?」
「何故なら!!」

気付けば、ポルナレフの後ろに沢山の不気味な気配があった。


「はッ!」

ポルナレフは薄ら寒い恐怖を感じながら、恐る恐る後ろを振り返った。


「・・・・呼び寄せていたのさ!」

そして、そこにいた者達を見た瞬間、部屋のドアが音を立てて閉まった。


「何だ、テメーらは!?うぅっ・・・!?」

ポルナレフの背後には、いつの間にか町の住人らしき者達が集っていた。
その中に何人か、見覚えのある者達がいた。
レストランのドアマンや、花京院が呼び止めた子連れの女、そして。


「お、オメーは・・・・・!」

ポルナレフは震える手で、目の前の男を指差した。


「町に着いたばかりの時に死んでいた、インドの旅人!」

旅人は自ら服を肌蹴て、穴だらけの身体をポルナレフに見せつけた。ポルナレフ自身が『トムとジェリーの漫画に出てくるチーズ』と喩えた、あの傷穴を。
その穴という穴から、霧が細くたなびいていた。


「げぇぇっ!死人が動いているのか!」

ポルナレフはようやく悟った。
ノソノソと出てきた野良犬も、女が抱いている赤ん坊も皆、身体中に風穴の開いた死体だったのだ。


「・・・これがあたしのスタンド、ジャスティスの能力!スタンドは一人1体じゃ。しかし、ジャスティスは死体を操れる、霧のスタンドじゃ!」
「くっ・・・・!」
「百人だろうと千人だろうと操れるのじゃ。ヒャーッハハハハハ!ヒャーッハハハハハ!」
「さ、逆恨みも甚だしいぜ・・・・・!こんな性格の捻じ曲がったスタンド使いの追手だったとは・・・・・!」
「町中に・・・・・殺されるぞ・・・・・・。そ、それに、怪我をすると・・・・、こうなるぜ・・・・!」

幾らか回復してきたらしいホル・ホースが、さっきよりははっきりとした声でそう忠告し、自らの右手に開いた大きな傷穴を見せた。
つまり、怪我をすると穴が開き、その穴に霧のスタンドが入り込んで、その身体を自在に操るという事なのだろう。


「ほんのちょっと身体に傷をつけるだけで良いのじゃ。ほんのちょいと。
あとはワシのスタンド、ジャスティスが殺してくれるわ!!」

エンヤ婆の怒号を相図のようにして、死体達は一斉に舌を長針のように尖らせ、ポルナレフに襲い掛かってきた。


「飛びかかれぇーーーッ!!!」
「ううっ・・・・・・!逃げる!!!」

ポルナレフが選んだ対処法は、この場からの逃走だった。


「うぉっ・・・・!?あぁぁ・・・・!ポルナレフぅ・・・・!俺をほっとかないでくれぇ・・・・!」

逃げようとするポルナレフを、ホル・ホースが惨めったらしい声で呼び止めた。
ポルナレフは一応足を止めて、彼を振り返った。


「やかましいッ!!てめぇ、アヴドゥルの事忘れてんじゃねーのか!?俺が助ける義理はねえッ!そこで死ねッ、テメーは!!」

ポルナレフはそう吐き捨てて、一人でさっさと逃げた。
ポルナレフにとって、ホル・ホースはJ・ガイルに勝るとも劣らない因縁の仇敵だった。さっきエンヤ婆に不意打ちされる所を助けられたとはいえ、助け返してやる程の恩など感じてはいなかった。


「逃がすかぁーッ!ポルナレフぅぅ!!!」

後ろから、エンヤ婆が凄まじい速さで走って追いかけて来た。


「脳ミソ、ズル出してやるッ!!背骨、バキ折ってやるッ!!タマキン、ブチ潰してやるッ!!息子の恨み、今晴らしてやるッ!!ケエェェェーーッ!!!」
「でぇぇっ!?」

只でさえ吃驚するような速さだったのが、更に加速した事に、ポルナレフは驚きを隠せなかった。


― おっ、恐ろしいーッ!速いッ、これが年寄り女の脚力かぁッ!?

こんなに走れるのに、杖なんか何の為に持っているのだろう。
そんな事を考えながら、ポルナレフは本気の全力疾走でエンヤ婆から逃げた。


「喰らえぇいッ!!」

エンヤ婆が鋏を投げつけてきた。
ほんの僅かでもスピードを落とせば、鋏の刃が身体に突き刺さり、捕まってしまう。
ポルナレフは銃弾の雨をかい潜るかの如く走り、あわやというところで廊下へ逃げ込み、ドアを閉めた。
一瞬後に、ドアに鋏の刃が突き立った音がした。


「チキショウ!奥の部屋へ逃げ込みやがった!追えーッ、追えーッ!ドアをブチ破るんじゃあ!!」

次いで、逆上したエンヤ婆の怒号と、バキッという音が聞こえた。
まるで棒きれで誰かの顔面でもブン殴ったような音だった。
ともかく、一刻も早く何とか手を打たねばならない。
ポルナレフは素早く辺りを見回し、丁度そこにあった椅子の背もたれをドアノブの下に噛ませた。














「ハァッ、ハァッ・・・・!」

ドンドンとドアを叩く音を聞きながら、ポルナレフは荒い呼吸を繰り返していた。
そして、ほんの少しだけ落ち着いたところで周りを見て、ここが逃げ場としては好ましくない所である事に気付いた。


「な、何てこった・・・・!これは地下室に下りていく通路じゃねぇか・・・・!
ジョースターさん達を呼ぼうにも、ますます声が届かない所へ来ちまった・・・・!」

ドアは幾つかあったが、階段は下へ降りていくものがひとつだけだった。
地下になど下りては、それこそ袋の鼠になってしまう。
ここはやはり別室に逃げねばなるまいと考え、ポルナレフは向かいのドアを開けようとしてみた。
しかし、ドアは開かなかった。
迂闊にも追い詰められてしまったのだ。


「ちきしょう・・・・・・・」

全く、迂闊だった。
あの老婆がまさか敵、それもあのJ・ガイルの母親だったとは。
あの老婆がJ・ガイルの母親だという事は、すなわち、あの老婆がDIOにスタンドを教えた『魔女』だという事になる。
だとすると、あの老婆は敵の一味の中でもかなり上の立場の、幹部のような存在なのだろう。


「一人で闘っても負ける気はしねぇが・・・・・・」

隣のドアもノブを回してみたが、やはり開かなかった。


「ちょいとでも身体に傷をつけられたらヤバいぜ・・・・。穴が開いて操られてしまう・・・・。」

窓はひとつだけ、壁の高い位置にあった。
だが、小さい上に鉄格子が嵌っていて、とても出られそうにはなかった。


「クッ・・・、クソッ・・・・、外への出口はねぇのか・・・・!?窓には鉄格子が嵌っていて出られねぇ・・・・!」

そうこうしている間にも、ドアが今にも破られそうになってきている。


「くそぅッ・・・・・!」

あまり気は進まないが、仕方がない。ポルナレフは更に奥へと逃げた。


「この部屋に隠れるかッ・・・・・!」

そして、そこにひとつだけあったドアを、祈る思いで開けた。
その祈りが通じたのか、ドアは開いた。
ポルナレフがその中に滑り込み、ドアを閉めた瞬間、向こうのドアが破られた音が聞こえた。











― ・・・ドアを破った音だ・・・・。こ、こうなったら闘うしかねぇようだな・・・・。ただし、掠り傷ひとつ負う事は出来ねぇぜ・・・・・。

ドアの下の隙間から、歩いていく人影が見えた。


― 通路を歩いている音だ・・・・。他のドアを調べてやがるな・・・・。くそぉッ・・・・・!ここへだんだん近付いて来るぞ・・・・・!

次に人影が二つ、ポルナレフの隠れている部屋の前に立った。


― しかも何てこった・・・・!よく見たらこの部屋、便所かよ・・・・!何か俺、いつも便所みたいな所で襲われるな・・・・・。

ポルナレフは、泣きたい気分で視線を落とした。
そこにある便器は、一体いつ掃除をしたのかと問い詰めたくなる位、汚れがこびりついていて悪臭を放っていた。
しかも、ここもやっぱりご多分に洩れず、しっかりバッチリ、フィンガーウォシュレットである。


― チクショウ、汚ねぇ便器だぜ・・・・!さあっ、来るなら来い・・・・・・・!だが入って来た途端、俺のチャリオッツは一呼吸のうちに4人はぶった斬ってやるからな・・・・!

便器に対する嫌悪感をも力に変えて、ポルナレフはスタンドを発動させ、敵を待ち構えた。
だが二つの人影は、遠ざかって完全に消えた。
ポルナレフは音を立てないようにドアにペッタリと張り付き、外の様子を伺った。


― うぅ・・・・?な、何だ・・・・・?物音ひとつしなくなったぞ・・・・・?奴等、あのババア、一体何してやがるんだ・・・・!?ドアをブチ破って来ないのか!?

ポルナレフは息を呑み、神経を研ぎ澄ませた。


― 何してやがる・・・・!何か反応しやがれ・・・・・!

じっと待つというのは、短気なポルナレフの性には合わない行為だった。
すぐに痺れを切らしたポルナレフは、辛抱出来ずにドアの鍵穴から外を覗こうとした。
すると。


ドギョロン!


「うわぁっ!?」

すぐ向こうに目があった。


「ヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッヘッ・・・・レロレロレロレロ・・・・・」

鍵穴の向こうに、尖った舌をベロベロさせて不気味に笑っている男の姿が見えた。


「ぎえぇェーッ!向こうからも覗いていたぁーーッ!!」

叫んで飛び退いた瞬間、鍵穴からベロが飛び出して来た。
そして、レイピアの細い剣先のようになって、ポルナレフの舌を僅かに刺した。


「何ィィィッ!?」

それは確かに、ほんの掠り傷だった。


「し、しまった・・・・・!舌を刺された・・・・・!」

しかし、あのジャスティスの前では、その掠り傷が命取りなのだ。
傷口からたちまち吹き出してくる赤い血と白い霧に、ポルナレフは恐怖した。


「うわ・・・、うわ・・・・、うはぁっ・・・・!あへぇぁーーッッ!!」

瞬く間に、ポルナレフの舌に穴が開いた。


「でかした!!ついに我がジャスティスの術中に堕ちたな!!このクサレガキャア!!」

ドアのすぐ外で、エンヤ婆が狂喜する声が聞こえた。
それと同時に、ポルナレフは否応なしに舌を引っ張られ、ドアへと吸い寄せらた。


「そぉ〜ら、自分でそのドアを開けて出て来ないと、そのまま顔を叩き潰してくれるよ!このタコがぁ!」

目に見えない強い力でドアに身体を押し付けられて、もう限界だった。


「おわぁぁーーッ!!」

意識的にか無意識的にか、ポルナレフは自らの手でドアを開け、転がるように廊下へ飛び出た。


「笑え!!」

エンヤ婆が右手を上げて命令すると、周りの死体達が一斉に笑った。


「のぉぉぉーーーッッ!!」

ポルナレフは舌を引っ張られ、吊り上げられて、天井に飛んだ。


「うげっ!!」

そして、空中で霧に巻き取られて、宙に固定された。


「ヒェヒェヒェヒェヒェヒェヒェ!!惨めよのうポルナレフ、もの凄く惨めじゃぞ。ギャギャギャギャギャギャギャ!」
「うひぃっ!?おへぇっ!!」

今度は床に投げ飛ばされ、身体を廊下に思いきり叩きつけられた。
今、ポルナレフは、完全にエンヤ婆の玩具と化していた。


「じゃがな、ワシの息子J・ガイルは貴様に卑怯な事をされて、も〜っと惨めな悲しい気持ちで死んで行ったのじゃ。
どぉ〜れ、便所掃除でもして貰おうかのう!ポルナレフぅ!!」

エンヤ婆がベロベロと舌舐めずりをすると、霧があの便器の方へ流れ始めた。


「うぅ・・・・・、うぅ・・・・・、うぅぅ・・・・!うわぁぁぁ・・・・!」

霧に引きずられ、ポルナレフはズルズルと便所の中に引きずり込まれていった。


「・・・舐めるように、便器を綺麗にするんじゃ。
舐めるように、ぬあぁめぇるぅぅ、よぉぉぉ〜にぃぃぃ〜!だよ〜ん!!ベロベロ、レロレロレロレロ!」

エンヤ婆が狂ったように舌で舐め回す仕草をしている。
だが、それより何より気持ちが悪いのは、目の前に迫った悪臭を放つ便器だった。


「お・・・・、おぉぉぉ・・・・・!」

ポルナレフは便器の上に覆い被さり、更に一層顔を近付けようとしていた。


「そ、それだけは・・・・・!それだけは・・・・・・!!」

そこに倒れ込んで手をついている事だけでも、叫びたくなる程気持ち悪いのに。


「ぐ・・・・、ぐぐぐぐぐ・・・・・!」

そこを舐めさせられるなんて、とても生きてはいられない。
そんな事をさせられる位なら、いっそ一思いに首でも刎ねられた方が余程マシだ。
耐え難い嫌悪感と屈辱に、ポルナレフは涙を流した。


「くくく・・・・・、く・・・・・・!」

涙を流しながら、言う事を聞かない自分の身体に必死で抗った。


「お・・・・・、おえぇぇぇ・・・・・!た・・・、助けてぇ・・・・・・!!」

だが、身体をコントロールするジャスティスの力は強く、ポルナレフの意思をいとも容易く捩じ伏せていった。




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