星屑に導かれて 21




先を急ぐ旅ではあったが、ハングドマンとの闘いで受けたダメージを回復させる必要があるとジョースターが判断し、一行がベナレス行きに向けて動いたのは翌日の事だった。


「おーい!ベナレス行きのチケットが取れたぞ!」

購入してきたばかりの6枚のバスチケットを手に、ジョースターが江里子達の元に戻って来た。


「出発は夜の8時じゃ。ベナレスへの到着は明日の昼頃になる。」

ベナレスへは、夜行バスで行く事になった。列車は現在数時間遅れている最中で、到着予定も未だはっきりしないので、乗れなかったのだ。
アジアの国々は、本当に驚く程時間にルーズだ。
列車がきっちり時刻表通りに発着するのは当たり前の事だと思っていたが、それはどうやら日本だけのようだった。
この辺りでは、10分や20分のズレは、『ズレ』の内にも入らない。
下手をすれば、こうして数時間も遅れたりする場合さえあるらしいのだ。それも、割と日常的に。


「出発まで随分時間がありますね。それまでどうしますか?」
「町をうろついても、無駄に疲れるだけじゃ。ホテルの部屋に戻り、出発直前まで身体を休めていよう。」
「だな。」

意見は満場一致で纏まり、江里子達はひとまず『HOTEL.GRAND』』に戻り、レストランで昼食を摂った。
あまり食べる気はしなかったが、しかし食べなければ身体がもたないし、皆に余計な心配も掛ける。
積極的に食事を楽しめるような心境でないのは、皆同じなのだ。
何とか詰め込むようにして食事を終えると、江里子は早々に部屋へ引き揚げた。

アンの時とは違って、今回、あの娘とは同室にならなかった。
あのホル・ホースの恋人だという事で、用心しておくに越した事はないと、ジョースターが彼女の分も部屋を取ったのだ。
彼女は、大層無口な娘だった。
家はベナレスのとある名家だという事以外は、何も喋らなかった。
ホル・ホースの事は勿論、名前も、歳も、何を訊かれても一切答えなかった。
元々の性格なのか、或いは置き去りにされたショックがそうさせているのかも知れないが、とにかくずっとそんな調子なので、今回は女同士の友情も芽生えそうになかった。


部屋に戻ると、江里子は何となくベッドに寝転んだ。
思いがけずポッカリと空いた半日程の時間を潰す方法が、思いつかなかった。
このまま夕方まで眠ろうかとも思ったが、今眠ってしまうと、多分夜行バスの中で眠れなくなってしまう。
となると、昼寝はやめておく方が良さそうだった。
ならば何をして暇を潰そうか。


「・・・・あ、そうだ・・・・・」

ふと思い付いたのは、繕い物だった。
江里子は、ポルナレフに破られてしまったレモンイエローのブラウスを手に取った。
改めて破れ方を見てみると、ちゃんと繕えば、まだまだ着られそうな感じだった。


「・・・・・・・」

そのブラウスを見ていると、一昨日の夜の事が思い出されて複雑な心境だったが、ブラウスに罪はないし、ポルナレフにもそんなつもりはなかった筈だった。
あれはアクシデント、ものの弾みだったのだ。
事実、我に返った途端、彼はもの凄く打ちのめされたような表情をしていた。
誰よりも彼自身が、彼のした事を責めたのだ。
そんなポルナレフを憎む気は、江里子にはなかった。
江里子はバッグから裁縫セットを取り出し、ソファに腰掛けて繕い物を始めた。部屋のチャイムが鳴ったのは、その時だった。


「はい・・・・?」

ジョースターに常々言われている通り、いきなりドアを開けずに内側からレンズ越しに確認すると、ドアの前に立っていたのはポルナレフだった。


「ポルナレフさん・・・・!」
「よぉ。」

ドアを開けると、ポルナレフは少しぎこちない感じで笑った。



「どうしたんですか?・・・まあ・・・、取り敢えず、どうぞ?」
「いや、いいんだ。」

江里子は中へ入るよう勧めたが、ポルナレフは入って来ようとはしなかった。


「今、忙しいか?」
「え?今ですか?いえ、別に・・・・・。」
「だったら、これからちょっと出掛けねぇか?」
「え?」

江里子は思わず面食らった。
日頃、こういう事に関しては軟派な彼にしては、やけに固くてぎこちない誘い方だったからだ。


「ジョースターさんの許可はとってある。歩いて行ける場所だ。夕方までには戻って来る。だから・・・」
「はぁ・・・・、あの、それって、私達だけで、って事ですか?」
「ああ。俺とお前の二人だけで。嫌か?」
「・・・・・・何処へ行くつもりなんですか?」
「・・・・・・・アヴドゥルの、墓だ。」

いつになく気弱な感じの青い瞳を、江里子はじっと見つめた。
















承太郎と共に、当座に必要な細々とした物を買い出しに出ていた花京院は、ホテルの部屋に戻って、ポルナレフがいなくなっている事に気付いた。


「ポルナレフ・・・・・」

やはりアヴドゥルの死を背負いきれず、去ってしまったのだろうか。
いや、そんな感じではなかった。彼は全てを背負ってこの旅を全うすると、共にDIOを倒すと、決めていた筈だった。
しかし、仲間を死なせてしまった罪悪感がどれ程重いものかは、考えるまでもない。
ともかくジョースターに知らせねばと、花京院は受話器を取り、内線電話をかけた。


『Hello?』
「ジョースターさんですか?花京院です。」
『おお、花京院。どうした?』
「ポルナレフがいないんです。鞄もなくなっています。」
『ああ。ポルナレフなら、エリーと一緒に出掛けたよ。』
「えぇっ!?」

花京院は思わず大きな声を出して驚いてしまった。
その声が、自分でも分かる程焦った感じだったので、花京院は慌てて咳払いをした。


「一緒に出掛けたって・・・・」
『なぁに、この近くだ。夕方までには戻ると言っておった。
エリーの事なら心配はない。エリーの身の安全については自分が責任を持つと、ポルナレフが言っておった。』

だからこそ心配なのだ、別の意味で。と言いかけたのを、花京院はぐっと堪えた。
ポルナレフは、江里子を何処へ連れて行ったのだろうか。それとも、江里子から望んだのだろうか。気になって気になって、仕方がなかった。


「・・・・行き先は、ご存知なのですか?」
『アヴドゥルの墓参りじゃよ。』
「え・・・・・・」

ジョースターのその答えに、花京院は唖然とした。
確かに、少しもおかしな事ではなかった。
あと数時間でこの地を去ろうとしている今、ここに置いて行かねばならなくなった仲間にせめて別れの祈りを捧げたいと考える事は、人として当然だった。
だが。


「・・・・・・・それなら・・・・・・、僕も行きたかった・・・・・・」

そう考えるのは、ポルナレフや江里子だけではなかった。
ポルナレフにしても江里子にしても、そしてジョースターにしても、それが分からない人間ではない筈だった。
それなのに、どうして買い出しから戻るまでの僅かな間、待っていてくれなかったのか。どうして自分だけが一人、置いて行かれたのか。


『・・・・・花京院。ちょっと儂の部屋に来てくれないか?』

隠しきれない悔しさが声に滲み出ていたのか、ジョースターはまるで慰めるように優しい口調で、花京院を部屋へ呼んだ。








「・・・失礼します」

呼ばれるままジョースターの部屋へ出向くと、承太郎が出迎えてくれた。


「入りな。今、コーヒーを淹れたところだ。飲むだろ?」
「ああ、ありがとう・・・・・」

珍しい彼のその気遣いが、今は余計に辛かった。


「おお、来たか、花京院。まあこっちへ来て座りなさい。珍しく承太郎の奴がコーヒーを淹れたんじゃ。熱い内に飲むと良い。」
「ありがとうございます。」

花京院は促されるままソファに腰を掛け、目の前のカップを取り、形ばかり口をつけた。


「・・・・まあ、そう落ち込むな、花京院。」

ジョースターもコーヒーを一口飲み、そう呟いた。
自分の気持ちを人の目から隠す事は得意中の得意だったのに、どうしてこの人達といると、その『得意技』が出せないのだろうか。
花京院は、自嘲の笑いを小さく零した。


「別に落ち込んでなんかいませんよ。それより、僕にもアヴドゥルさんのお墓の場所を教えて下さい。出発前に僕も是非、彼にお別れを言いたいので。これを飲んだら、僕も行って・・」
「確かにポルナレフは、エリーと君を連れてお祈りに行きたいから、アヴドゥルを埋葬した場所を教えてくれと言ってきた。」
「・・・・・・・・・え?」
「そして、お前に声を掛けさせないよう仕向けたのは、この俺だ。」
「えぇっ・・・・・・・!?ど、どういう事ですか、それは・・・・!?」

花京院は目を見開き、ジョースターと承太郎を交互に見た。
ジョースターはもう一口コーヒーを啜り、花京院の目から逃れようとするかのように少し視線を逸らして、ボソリと呟いた。


「・・・・・・・・アヴドゥルは生きている。」
「な・・・・・・・・何だってぇぇぇーーーッ!?!?」

花京院の絶叫が、部屋中に響き渡った・・・・・。









「つまり、こういう事なのだよ。
エンペラーの弾丸は、アヴドゥルの脳を貫いてはいなかった。
額の肉と、頭蓋骨のほんの表面だけを僅かに抉っただけで、致命傷ではなかったのじゃ。」
「背中の刺し傷もな。僅かに急所を外していたお陰で、出血がちょっとばかり多かった以外はどうという事もなかった。」

花京院が落ち着きを取り戻してから、ジョースターと承太郎は説明を始めた。


「そんな・・・・・。僕はてっきり、アヴドゥルさんは死んだとばかり・・・・・」
「無理もない。あの場では完全に意識を失っておったしな。意識を取り戻したのは、安全な場所に運び込んで手当てを終えた後だったからのう。」
「じゃ、じゃあポルナレフと江里子さんは今そこに・・・・!?」
「いや、違う。彼等はアヴドゥルの『墓』に行った。」
「え・・・・・!?」
「間が悪いんじゃよ、ポルナレフの奴は。」

ジョースターは、顔を顰めて溜息を吐いた。


「あの娘さんと一緒にいるところで、それを訊いてきよってのう。
まあ、あんな気の弱そうな儚い美少女がスタンド使いという事もまさかないだろうが、かと言って、彼女の素性がはっきり保証された訳でもない。本人が言うには、ベナレスの名家の娘らしいが・・・・・。
ともかく、アヴドゥルが生きている事は、人前では言いたくなくてな。
ましてあの娘は、騙されて利用されていたのだろうとはいえ、ホル・ホースと恋仲だった娘だ。万が一、彼女の口から奴の耳に入れば、我々としては非常に都合が悪い。
だから仕方なく、思い付きで適当に言ったのじゃ。」
「なるほど・・・・・・、それで、どこだと言ったのですか?」
「ここの近くに大きな川があるだろう?そこじゃ。」

確かにこの近くには、ガンジス川の支流である大きな川があった。


「火葬にして、そこに灰を撒いたと言っておいた。」
「なるほど・・・・・・・」
「奴はお前も誘って三人で行くと言っていたが、お前は俺が買い出しの後で連れて行くと言って諦めさせた。」
「・・・・そうだったんですか・・・・・。」

花京院は、しみじみと重い溜息を吐いた。
こんなに驚かされた事は、これまで生きてきた中でもなかった。


「・・・良かった・・・・・、生きていたんだ・・・、良かった・・・・・」

瞑った目が、じんと熱くなった。
堪えきれない涙が、ポロポロと零れて頬を伝い落ちた。
すると、ジョースターがティッシュの箱を差し出しながら、優しい声で言った。


「・・・アヴドゥルは大丈夫だ。決して軽傷ではないが、少し養生すれば完治する。
一旦はここでリタイアだが、彼とはいずれ合流する予定じゃ。アフリカに上陸する前にな。」
「それまで、アヴドゥルは死んだという事にしておこうと決めた。お前も異論はないな?」

承太郎に訊かれて、花京院は涙を拭い、迷わず頷いた。


「勿論だ。こうなった以上、この状況を活かさない手はない。敵を欺くのに、これ以上の切り札はないからな。」
「うむ。儂も承太郎もそう思ったし、アヴドゥル自身もそう考えた。
だから彼は、一人でここに残る。彼にはここに残って養生して貰いつつ、裏で色々とバックアップして貰う。
そして、身体が回復したら、密かに儂らを追いかけて来て貰う手筈になった。」
「という事を伝える前に、アイツら辛気臭ぇツラして『墓参り』に行っちまったからな。さて、どうしたもんか・・・・・」

承太郎は、煙草に火を点けて燻らせ始めた。
表情こそいつものポーカーフェイスだが、割と真剣に悩んでいるのが分かる。
もうすっかり嗅ぎ慣れたこの苦い香りを嗅ぎながら、花京院も考えた。
そして、ある一つの結論に達した。


「・・・・いっそ、このまま黙っていませんか?」
「何?」
「何じゃと?」
「敵を欺くにはまず味方から、と言うでしょう。
ポルナレフにも、江里子さんにも、いっそこのまま秘密にしておくのです。
誓って信用していない訳ではありませんが、ポルナレフは直情的で、少々口の軽いところがある。
今後、新たな敵と遭遇し、また何らかの挑発や誘導尋問を受けた時などに、ついうっかり口を滑らせてしまわないとも限らない。」
「うぅむ、確かにのう・・・・・・」
「そいつは否定出来ねぇな。」

これは仲間外れなどではない、純然たる事実だった。
ジョースターと承太郎も納得している事が、その何よりの証だった。


「江里子さんも、今のところは取り立てて狙われずに済んでいますが、この先もしも、万が一彼女にターゲットを絞って狙われる事があったとしたら、そんな重大な情報を彼女が握っている事は危険です。
我々なら、万が一敵に捕まって拷問を受けたとしても、黙り通す事が出来る。・・・たとえ、どんな手を使っても。」

もう二度と、仲間を死なせはしない。
自分の命を懸けてでも、決して、もう二度と。
花京院には、その覚悟があった。
そして、ジョースターにも、承太郎にも、ポルナレフにも、その覚悟がある筈だと信じていた。


「ですが、江里子さんはそうはいきません。彼女は普通の女性です。
気丈な彼女の事ですから、もしも情報を握っていれば、どうにか隠し通そうとするでしょう。
だけど、闘えない彼女がなまじそれをすれば、どうなります?」

花京院が問いかけると、ジョースターは苦い顔を少し俯かせた。
そう。そんな事は、考えるまでもない事なのだ。


「僕は彼女に、そんな残酷な事はさせたくない。僕は彼女を危険な目には遭わせたくないんです、絶対に・・・・・!
・・・・・君もそう思っているんじゃあないのか、承太郎?」

承太郎は何も答えなかったが、花京院の視線をまっすぐに受け止めていた。


「・・・・・・分かった。花京院、君の提案を呑もうじゃないか。」
「・・・俺も異論はねぇぜ。アイツらには黙っていよう。」

ジョースターも承太郎も、花京院の提案に賛同した。


「ありがとうございます。ところで、アヴドゥルさんは今何処に?」
「ああ。そこの窓から外を見てみなさい。」
「え?・・・・・こうですか?」

花京院はジョースターに言われた通り、近くの窓から外を覗いた。


「そこに、小汚い布きれを沢山干しとるボロ家があるじゃろう?」
「ああ・・・・・、はい。」
「そこじゃ。」
「はぁ・・・・、え・・・、えぇっ!?」

灯台もと暗しとは、正にこの事だった。



















粗末な木のドアをノックすると、中から薄汚れたインド人の老人が顔を出した。


「・・・・・何じゃい。押し売りならお断りじゃよ。」
「煙草を買ってくれ。よく火の点くマッチも付ける。エジプトで大人気の銘柄だ。」
「・・・・・・入りな。」

人一人分の幅に開けられたドアの隙間から、花京院は素早く身を滑り込ませた。
雑然とした小汚い民家だったが、意外に中は広く、老人は一番奥の部屋へ行くよう促してきた。
花京院はそれに従い、一番奥の部屋のドアを開けた。


「・・・・・・アヴドゥルさん。」

狭苦しいその部屋の粗末なベッドの上に、頭に包帯を巻いたアヴドゥルが、目を閉じて横たわっていた。
だが、死んではいない。
胸が規則的に上下し、花京院が呼び掛けると、くっきりと濃い睫毛が僅かに震えた。


「・・・・・・花京院・・・、か・・・・・・」

花京院は変装の為に着込んでいた粗末な上着を脱ぎ捨て、煙草やマッチの箱を詰めたカゴをその辺に放り出すと、アヴドゥルの側に歩み寄った。



「アヴドゥルさん、良かった、生きていて・・・・・・・!」
「心配を・・・・・かけたな・・・・・・・」
「良いんです、そんな事・・・・・・・・・!」

花京院が手を取って握り締めると、アヴドゥルは薄らと微笑み、瞳だけを僅かに花京院の方へと向けた。
頭ごと向きを変えるのは、今は出来ないようだった。
幾ら致命傷でなかったとはいえ、頭に銃撃を受けたのだ。ほんの僅かに顔を動かすだけでも、きっとかなり辛いのだろう。


「ここは貴方の友人の家だとジョースターさんから聞きましたが・・・・」
「ああ・・・・・。ジョースターさんと承太郎が、倒れていた私を見つけたところに、偶然通りがかったらしくてな・・・・・。傷が治るまで、暫く厄介になる事にした・・・・。
大丈夫、ここの家族は皆、信用の出来る人達だ。心配しないでくれ・・・・。」
「そうですか、それなら良かった・・・・・・。」

それは信じても良さそうだった。
この家の者は、ジョースターの決めた『合い言葉』、つまり、あの少々長い煙草の売り文句だが、あれを言える者以外は一歩たりとも家に入れないという徹底ぶりで、アヴドゥルを守ってくれていた。


「あれから・・・・どうなった・・・・・?」
「ハングドマンのJ・ガイルは、無事、ポルナレフが倒しました。」
「そうか・・・・・・・・。ポルナレフは、妹の仇を討てたのだな、良かった・・・・・・」
「ええ。それに、江里子さんも無事ですよ。ただ、ホル・ホースには逃げられてしまいました。面目ない。」
「いや・・・・・、謝る事はない・・・・・。皆が無事で・・・・・良かった・・・・・。」

アヴドゥルは本当に嬉しそうに、ひっそりと目を閉じて微笑んでいた。
いつもエネルギッシュな彼の、こんなに弱々しい姿を見たのは初めてで、命に別条は無いと知りつつも、つい涙が出そうになる。
それを何とか堪えて、花京院も笑ってみせた。


「僕らは今夜、夜行バスでここを離れます。
このまま陸路でインドを横断し、パキスタンに入るつもりですが、ひとまずはベナレスで途中下車の予定です。ホル・ホースに置き去りにされた女性を、家に送り届ける事になりまして。」
「ふふ・・・・、そうか。分かった。気をつけて行け。」
「はい。」
「ポルナレフと、エリーは?」
「あの二人には、アヴドゥルさんが生きている事はまだ知らせていません。
アヴドゥルさんが合流するまで、二人にはこのまま秘密にしておきます。
ポルナレフはあの性格ですから、何かの拍子にうっかり口を滑らさないとも限りませんし、江里子さんにも、万一敵に襲われる危険性を考えたら、下手に教えない方が良いと思いまして。」
「うむ・・・・・・、そうだな・・・・・。それが良いだろう・・・・・・」
「あの二人が今、何処へ行っていると思いますか?」
「うん・・・・・・・?」
「貴方の『墓参り』ですよ。」

一瞬の沈黙の後、アヴドゥルは笑い出した。
尤も、いつものような豪快な笑い声は、とても上げられなかったが。


「ハハハ・・・・・・、あの男、なかなかいじらしい所があるじゃあないか・・・・・。」
「きっと、とても責任を感じているんですよ。」
「フフ・・・・、だろうな・・・・・。」

アヴドゥルは笑いを引っ込めると、少し改まった感じで口を開いた。


「皆を・・・、特に、ポルナレフを頼んだぞ・・・・・。
アイツは、どうにも突っ走りがちな男だ・・・・・。冷静な君が、上手く操縦してやってくれ・・・・・。」
「ふふ、どうでしょう。大人しく操縦されているようなタマじゃあありませんよ、彼は。」
「はは、確かにな・・・・・・。・・・それから、エリーの事も。」

何か含みのあるその声音に、花京院はハッとした。


「好きなのだろう?彼女が。」

アヴドゥルらしい、実にストレートな訊き方だった。
こうも直球で訊かれては、誤解も弁解の余地もなかった。


「・・・・・・アヴドゥルさん。僕は・・」
「ああ、いい、いい。何も・・・言うな・・・・・・・。」

しかしアヴドゥルは、弁解どころか、返答さえも求めなかった。


「私にとっては、とうに過ぎ去った昔の事だが、君らは今が・・・、青春の真っ只中だ・・・・・・。フフ・・・・・、何とも眩しくて、素敵な事じゃあないか・・・・・」
「アヴドゥルさん・・・・・・」
「私は、誰の味方もせんぞ・・・・・。若者同士、存分に・・・・・、青春の輝きを・・・・・、満喫すると良い・・・・・・。それも・・・・・、人生の醍醐味というものだ・・・・・・。」

その言葉は、青春という鮮烈な時期の中にいる者達を、少し先から懐かしんで見守っているようでもあり、また、ほんの束の間のその季節を惜しみ、もはやそこにいる事を許されてはいない自分に寂しさを感じているようにも聞こえた。


「さあ、もう行け・・・・・。あまり長くいると、万が一、敵に見つかるといけない・・・・・。」
「はい・・・・・。」

承太郎やポルナレフが、江里子に対してどれ程の想いを抱えているのか、確かめる事は出来ない。
今はそんな時ではないからだ。
花京院は立ち上がり、元の通りに上着を着てフードを被り、頭と顔を覆い隠した。


「・・・じゃあ、行きます、アヴドゥルさん。また、必ず・・・・・!」
「ああ・・・・・・」

最後にもう一度、アヴドゥルの手を固く握り締めると、アヴドゥルも、力は弱いながらも握り返してくれた。
傷付いた彼を一人置いて行くのは気が引けるが、後ろ髪を引いているのはアヴドゥルではない。自分自身の弱い心だ。
アヴドゥルは、行けと背中を押してくれている。
花京院は彼の手を放し、弱い己を振り切って、踵を返し部屋を出た。


「・・・・・エリー・・・・・・」

だから、ドアの閉まった後に呟いたアヴドゥルの微かな声は、花京院の耳には聞こえなかった。


















江里子はポルナレフに連れられて、バザールを歩いていた。
スナックやチャーイ、アクセサリーに雑貨、様々な屋台がひしめき合って、店と店との境目も分からない程賑やかだった。
歩きながらそれらを眺めていると、ふと、ポルナレフが足を止めた。


「どうしたんですか?」

彼が立ち止まって眺めているのは、婦人服屋だった。様々な色や素材のシャツやワンピースやスカートなどが山と積まれ、掲げられていた。
江里子とて女である。こういった物を見るのは、勿論嫌いではない。ホリィと一緒だったらば、キャアキャア言いながらこの山を掘り返しているところだ。
しかし、連れがポルナレフとなると、どうにも調子が狂った。


「あ、の・・・・、どうかしましたか?」
「お前、ああいうの似合いそうだな。」
「え?」
「おい、ちょっとそれ取ってくれ。」

戸惑う江里子をよそに、ポルナレフは店の主人を呼び、高い所に吊り下げられている青いブラウスを取らせた。
そしてそれを江里子に押し付け、一歩引いた所からしげしげと眺め始めた。


「あの・・・・、ポルナレフさん?」
「うん、見立て通りだ。悪くねぇ。」
「悪くねぇって・・・・、あの、ポルナレフさん?」
「あん?」
「あの、何ですか、コレ?」
「好みじゃねぇか?」

好みか好みじゃないかと訊かれれば、よく分からないというのが本当のところだった。今まで着た事のないデザインだったからだ。
襟元がスモックのようなシャーリングになっていて、袖や裾がふんわりと広がる、変わったデザインだった。
強いて言えば、子供の頃にTVで観た歌手が着ていた衣装に似た感じだった。


「いえ・・・・、良い、と、思いますけど・・・・・」

ふんわりと軽くて柔らかい綿らしき素材で、色はほんの少しくすんだ感じの淡いブルー。生地より一段濃い色合いの糸で施された細かな草花の刺繍が、見事な出来で美しかった。


「さすが白人の人はお目が高いね!それ、うちで一番良い服よ!全部手刺繍、ハンドメイドね!とても手間暇かけて作ってあるよ!観光客向けの高級デパートにも置いてある品ね!」
「フン、当然だ。何たって俺は、センス溢れるフランス人だからな。」
「オオーッ!パリジャンね!さすが!」

どうにか商品を買わせようとする店の主人の猛烈なセールストークとお世辞攻撃を涼しい顔で受け流し、ポルナレフは江里子に試着を勧めた。


「一度着てみろよ。オヤジ、構わねぇだろ?」
「O.K.!O.K.!」
「でも・・・」
「いいから着てみろって。その上からで構わねぇからよ。ほら!」

半ば無理矢理勧められ、江里子は仕方なく、自分の服の上からそのブラウスを着てみた。


「こ、これで良い、ですか・・・・?」
「うん・・・・・、うん。良いぜ、良く似合ってる。きつかったり緩すぎたりしねぇか?」
「いえ、全然。とても着心地が良いです、けど・・・・」
「よし。オヤジ、これくれ!幾らだ!?」
「メルシー、ムッシュー!1500ルピーね!」

貨幣価値はまだまだ理解不足だが、しかし、1500ルピーという価格は、インドでは決して安くないという事ぐらいは理解出来ていた。
しかしポルナレフは、それに対して一言の文句も言わず、すんなりと金を払った。


「ちょっ・・・、ポルナレフさん!?」
「何だよ?」
「何だよって何ですか!?何してるんですか!?」
「何って、代金払っただけだぜ?」
「いやいやそうじゃなくて・・・・、何で!?何でポルナレフさんが、私に服を買ってくれるんですか!?」

驚きの余り、きつい顔になっていたのだろうか。
ポルナレフは少し心外そうに、唇を尖らせた。


「そんな言い方しなくても良いじゃあねぇか。良いだろ別に。」
「いやいや良くありませんよ!そんな事して貰う訳にはいきません!」
「オメェなぁ・・・・・。日本人の女ってのは、皆そんなに可愛げがねぇのか!?それともお前が心得てねぇだけなのか!?」
「なっ・・・・・!?」
「皆まで言わせんな。こういう時は、当然よって顔して受け取ってりゃあ良いんだ。それがレディのマナーってもんだぜ。」

プイとよそを向くポルナレフの、決まりの悪そうな顔を見て、江里子はようやく悟った。これは一昨日の夜の償い、破いてしまったブラウスの弁償なのだ、と。
だが、代わりの服を買ってやりさえすれば帳消しになる、などと考えている訳ではない。それは、彼の顔を見れば分かる事だった。
誰に何と責められる前に、彼自身がずっと彼を責め苛んでいる。
口に出して許しを乞う事も出来ない程に。


「素直に謝れば良いだけなのに・・・・。普段はチャラチャラしてるくせに、変なところ日本の頑固親父みたいなんだから。」

彼の瞳のような淡いブルーのブラウスを眺めながら、江里子は思わずそうぼやいた。


「え?何だって?」

しかし日本語だったので、ポルナレフには全く理解出来ていないようだった。


「いいえ何にも!じゃあ有り難く貰います!メルシー・ボークー、ムッシュ・ポルナレフ!」

江里子が満面の笑顔を作って見せると、ポルナレフは肩を竦めて『Je vous en prie・・・』と呟いた。











ブラウスの入った紙袋を提げてまた歩き始めると、向こうの方から香の強い匂いが漂ってきた。
少し変わっているが、日本の線香の匂いに良く似ていた。
匂いに案内されながらその方向に向かってみると、屋台の店先に長い竹ひごのような細い棒が沢山立てて並べられてあった。
棒は先が全て燻り、それぞれ細い白煙をたなびかせていた。
色や形は日本の線香と随分違うが、やはりそれは線香のようだった。


「すみません、それ下さい。」
「Thank you. 」

線香を買い求めた江里子に、ポルナレフが不思議そうな顔をした。


「何だそれ?」
「フレグランスです。英語で何て言うんだろ・・・・・、日本語では『お線香』と言います。」
「オ・センコウ?」
「火を点けると香るんです。・・・日本では、死んだ人に祈りを捧げる為に使います。」

本当はもっと複雑な意味があるのかも知れないが、江里子はざっくりとそう説明した。それで十分過ぎる程通じたらしく、ポルナレフは悲しげな微笑みを薄く浮かべた。


「きっと喜ぶぜ。何しろ大の日本好きだった野郎だ。」
「だと良いんですけど。本当は、アヴドゥルさんの信仰している宗教のやり方にするのが一番良いんでしょうけど、分からないから・・・・。」
「エジプト人だろ?だったらイスラム教徒なんじゃあねぇかな。あそこは殆どの国民がそうだぜ。」
「へぇ〜・・・・・!でも、イスラム式の弔い方なんて、それこそ・・・」
「・・・確かに。」

江里子とポルナレフは、顔を見合わせて笑った。


「よし、じゃあ俺も!」

ポルナレフは生花を売っている屋台に目を向けると、そこへ駆けていき、花を一束、買って戻って来た。


「カトリックじゃあ、沢山の花で飾ってやるんだ。さあ、早く行ってやろうぜ。」
「・・・はい。」

江里子は微笑んで頷いた。













バザールを抜けて間もなく、広い川の川岸に着いた。
ここがフーグリー川、アヴドゥルの眠っている場所だった。
アヴドゥルの魂を弔う為、二人は水辺の際まで近付いた。


「ポルナレフさん。これに火を点けてくれませんか?」
「ああ。この先っぽで良いんだな?」
「はい。」

ポルナレフはサイドポケットからライターを取り出し、江里子の差し出した線香の先に火を点けた。
火が燻り出すと、香の濃厚な匂いが辺りに漂い始めた。
江里子がそれを足元に置くと、ポルナレフも花束を川の水面にそっと浮かべた。


「・・・・あ、そうだ。これも。」

江里子は摘んで持ち帰って来ていた花の事を思い出し、ハンカチに挟んであったそれを取り出した。花は時間が経ってしまったせいで萎れていたが、ポルナレフの花束の中に一緒に入れた。
ゆらゆらと揺れながらゆっくりと流されていく花々を見送ってから、ポルナレフはサイドポケットからロザリオを取り出し、胸の前で握り締めて、頭を垂れて祈りを捧げ始めた。
江里子もまた、川に向かって目を閉じて、両手を合わせた。
ヒンズー教の地で、カトリックと仏教の方式で、イスラム教徒の人間を弔う。
何もかもちぐはぐでヘンテコだったが、きっとアヴドゥルも、各界の神仏も、許してくれるだろう。
そう考えてから、江里子は一心に祈り始めた。


― アヴドゥルさん・・・・・・


アヴドゥルの冥福と、そして別れの決意と誓いを、長く、長く、祈った。
こんなに長い間祈りを捧げたのは、初めてだった。
だが、目を開けてみると、ポルナレフはまだ祈っている最中だった。声を掛ける事も憚られ、江里子はそのまま黙って待った。
そうして、どれ程待っただろうか。ようやくポルナレフが目を開け、頭を上げた。


「・・・・随分、熱心に祈っていましたね。」

江里子がおずおずと声を掛けると、ポルナレフは決まりが悪そうに微笑んだ。


「奴に懺悔しなきゃならねぇ事が、山程あったからな。」
「ポルナレフさん・・・・・」
「誰も俺を責めねぇ。花京院はエルボー1発で仲直りだと言ってくれたし、ジョースターさんも、承太郎も、お前も、何も言わねぇ。」

今にも泣き出しそうなポルナレフの微笑みを、江里子は黙って見つめた。


「いっそ皆、花京院みたいに俺を力いっぱいブン殴ってくれたら、少しは気が晴れるのかも知らねぇが・・・、いや、駄目だな。
それで気が晴れた気になるのは俺だけだ。それじゃあやっぱり何の償いにもなりゃしねぇ。」

ポルナレフは苦悩していた。
全てに区切りをつけて新たな気持ちで旅を続けると、表面上はそんな体を装っているが、やはり心の内は何も片付いていないようだった。
彼が自分を責めているのは分かっているから、何も言えなかったし憎む気もなかったが、こうなると少し考えを変えた方が良いかも知れないと、江里子は思った。


「・・・分かりました。ポルナレフさん、歯を食い縛ってて下さい。」
「え?」
「いきますよ?」
「え?ちょ、何・・・・ぶっ・・・・・!!」

江里子はおもむろに、ポルナレフの頬を平手で打った。
思いきり、渾身の力を込めて張り飛ばした。
幾ら何でも、多少は痛かった筈だ。
しかしポルナレフは、青い瞳を驚いたように見開いてはいたが、痛がったり怒ったりはしなかった。


「これは、ペナルティです。私のファーストキスを奪った事への。」
「えっ・・・・・・・!あの・・・・・、それ・・・・、マジで・・・・・・?」

ポルナレフは、妙な所に酷く驚いた反応を示した。


「マジです。」
「だって・・・・、18だろ?」
「それが何か?」
「何かって・・・・、18ならキスくらい・・」
「すみませんね、18にもなってキスの経験すらなくて。
何しろ私には、ボーイフレンドの一人もいた事ありませんから。
何もかも全く未経験なんです。キスどころかデートさえした事ありません。」

冷静に考えてみれば、はしたない上に情けないこと極まりない告白なのだが、歳の割に幼稚な娘だと馬鹿にされたような気がして、江里子は少しムッとしていた。


「それなのにあんな形で経験するなんて、不本意もいいところでした。私だって人並みに、ファーストキスに対して色んな憧れがあったのに。」
「う、うぅ・・・・・!」
「そりゃあ貴方は色んな女性と散々遊び倒してきて、キスなんて握手みたいなもんで、誰とだって出来るんでしょうけどね。」
「うぐぐ・・・・・・」

ちょっとこれは言い過ぎたかと思ったが、どうも事実のようだ。
ポルナレフは図星を突かれたような顔をして、モゴモゴと口籠っていた。


「腹が立つから、私も何とも思わない事にしました。あの事はカウントしません。私は今もピュアな乙女のままです。そういう事でよろしく。」
「ハ、ハイ・・・・・、すみませんでした・・・・・」

江里子はふと溜息を吐き、呼吸を整えた。
すっかり小さくなっているポルナレフの姿を見て、多少溜飲が下がったというのもあるが、本当に言いたかったのはそんな事ではなかったのだ。


「・・・・・一昨日の夜の事は、何とも思っていません、本当に。」
「・・・・・・・」
「そりゃあ、あの時はちょっと怖かったけど・・・・、でも、あの時の貴方は冷静じゃあなかった。
貴方の気持ちは、十分分かっているつもりです。貴方の立場だったら、誰だってあれ位、気持ちが昂ります。
だから私、本当に気にしていません。」
「・・・エリー・・・・・」
「あの夜の事は、誰にも何も言っていませんし、これからも言いません。
だって何もなかったんですから。忘れましょう。忘れてしまえば良いんです。」

江里子は、ポルナレフに微笑みかけた。
彼には何も気にして欲しくなかった。
あの夜、彼の目の前で自ら服を脱いだあの時、半分は意地だったが、もう半分は本心だった。それが彼にしてあげられる唯一の事だというなら応じようと、半分は本気でそう考えていた。
しかもそれは、義務感や正義感からというだけではなかった。

そう。
江里子は、ポルナレフが好きだった。
異性としてはどうなのか分からないが、人としては好きだった。
いや、ポルナレフだけではない。皆そうだ。
常に死と隣り合わせのようなこの旅を共に乗り越える内に、いつの間にか皆、江里子にとって大切な人になっていた。
花京院も、ジョースターも、日本にいた時は嫌ってさえいた承太郎も。
そして勿論、アヴドゥルも。


「・・・・アヴドゥルさんの事も・・・・・私・・・・、忘れます・・・・・。」

皆が心から好きだと思うからこそ、江里子はそう決意していた。


「え・・・・・?」
「さっき、アヴドゥルさんに謝って、誓いました。貴方の事、忘れますって。」

驚いたように目を見開いているポルナレフに、江里子は自分の決意を聞かせた。


「だって、アヴドゥルさんの事を考えていたら、ここから一歩も動けなくなっちゃうでしょう?
でもそんな事、アヴドゥルさんは絶対望まない。
喜ばれるどころか、さっさと行ってDIOを倒して来いって怒られると思うんです。」
「エリー・・・・・・」
「アヴドゥルさんの事を考えて、悲しんでばかりいちゃあ、ここから先の旅は続けられなくなっちゃうから・・・・、だから・・・・・・・」

ふと見れば、ポルナレフの青い瞳が涙で潤んでいた。
江里子はパッと顔を輝かせ、彼に笑いかけた。


「でもね、今だけ!今だけですよ!全部終わったら、またここに来ますって約束したんです!
DIOを倒して、奥様を助けて、みんなみんな無事に終わったら、そうしたら絶対、報告に来ますって!
アヴドゥルさんの好きな日本の食べ物いっぱい持って、また必ずここに来ますって!
彼、日本の食べ物が本当に大好きなんですよ!
うちに滞在したのはほんの数日でしたけど、その間、奥様や私が作った物、どれも美味しい美味しいって食べてくれて!」

遥か昔の事のように懐かしく思えるが、それはほんの半月前の事だった。
ほんの半月前、彼は確かに、江里子のすぐ傍で笑っていた。


「まず、お寿司でしょ。あと、蟹鍋・・・は持って来られないだろうから、蟹はボイルにして・・・・・」
「・・・・・・・・」
「それから、天ぷら。肉じゃが。お魚の煮付け。それから、お酒もお好きでしたっけ。日本酒と焼酎と・・・・、おつまみはスルメと揚げだし豆腐で・・・・・」

この半月、彼はいつも傍にいてくれた。
つい昨日まで、傍にいたのだ。
なのに、今はもういない。


「そうそう、それから、甘い物もお好きでしたっけ・・・・・!ふふっ、アヴドゥルさん、ああ見えて意外と甘党なんですよ・・・・・!」

二人で夜の浜辺を歩いたのは、つい3日前の事なのに。
抱きしめられた時の腕の強さも温もりも、まだこの身に残っているのに。
それなのに彼だけが、アヴドゥルだけがいない。
もう、この世の何処にも、彼はいない。


「大福でしょ、お饅頭でしょ、あと、鯛焼きと・・・・・、あと・・・・・・」
「エリー・・・・・・」

改めて噛み締めてしまったその事実が、江里子の胸を詰まらせた。


「あと・・・・・・・!」

江里子は、泣いていた。
笑いながら、いつの間にか、ボロボロと涙を零して泣いていた。


「エリー・・・・・・!」
「っ・・・・・・!」

不意にポルナレフが腕を伸ばし、江里子を引き寄せ、強く抱きしめた。


「・・・・・・うぅっ・・・・・、うっ・・・・・・、うぇぇぇん・・・・・・!」

ポルナレフの腕の中で、江里子は泣いた。
彼の広い胸に縋り付いて、大きな声を上げて、子供のように泣きじゃくった。


「うぐっ・・・・・、ううぅっ・・・・・・、うおぉぉ・・・・・!」

ポルナレフもまた、江里子を抱きしめながら慟哭していた。
周囲の人々が、抱き合って咽び泣く二人を何事かという顔で見ていたが、大事な仲間を失った悲しみに暮れる二人には、周りを気にする心の余裕はなかった。



「ううっ・・・・・・、グスッ・・・・・・・」

暫くして、少し落ち着きを取り戻したポルナレフが、江里子を強く抱きしめていた腕をそっと解いた。


「・・・・エリー・・・・・」
「・・・・はい・・・・・?」
「俺もな、アヴドゥルに誓ったんだ・・・・・・。」

ポルナレフは洟を啜り、拳で涙を拭い去った。
そして、江里子をまっすぐに見つめて言った。


「ここから先、俺は、持てる全ての力をジョースターさん達の為に使う。そして、俺の命に換えても、お前を護る。」
「・・・・・ポルナレフ、さん・・・・・・」

ポルナレフの指が、江里子の涙をそっと拭った。


「・・・アヴドゥルにそう誓ったんだ。だが、奴への償いの為じゃあねぇ。俺がそうしたいんだ。」

ポルナレフは、まだ涙で潤んでいる青い瞳を、優しく微笑ませた。


「たった一人の妹を殺されて、何にもなくなっちまったこの俺が、また得る事が出来たんだ。
俺は独りだと思っていたが、いつの間にかまた、俺は独りじゃなくなっていたんだ。
俺はバカだから、それに今頃気付いた。」
「・・・・・ほんと・・・・・・、バカなんだから。」

江里子がどうにか笑ってみせると、ポルナレフも決まりが悪そうに苦笑した。
しかし、すぐに真顔になると、江里子をまっすぐに見つめた。
強い意志の篭った、澄んだ瞳で。


「・・・この先どんな事があっても、俺がお前を護る。俺がお前の、騎士になる。」

気障な台詞だと笑い飛ばす事は出来なかった。
それ程に、ポルナレフは真剣な瞳をしていた。


「ポル、ナレフ、さん・・・・・・」

顔が熱いと自分で分かる程だった。
こういう事には慣れていないのだ。
しかしポルナレフは、そんな江里子を見ても笑いはしなかった。


「エリー。お前の言う通り、あの時の俺は全く冷静じゃあなかった。J・ガイルに仕掛けられて、怒りと焦りで頭が狂いそうだった。
お前はそんな俺の側に、一晩中ずっとついていてくれた。
あんな最低な事をしでかしたのに、それでも俺を独りにしないでくれた。その恩は絶対に忘れねぇ。」
「恩・・・、だなんて・・・・・」

江里子が戸惑っていると、ポルナレフはおもむろに、その場に跪いた。
そして、江里子の手を取り、手の甲に唇を押し当てた。


「・・・忠誠の証だ。」
「な・・・・・・・・!」

こんな事をされた場合、どんな態度を取るのがレディのマナーなのだろうか。
少なくとも、顔を真っ赤にして金魚みたいに口をパクパクさせるのは、間違いなくNGだろうが。
頭の片隅でそんな事を考えながら硬直していると、ポルナレフが立ち上がり、江里子の肩を抱いた。


「さあ、帰ろうぜッ!皆の所によ!」

お得意の思わせぶりなムードはなかった。
まるで男同士、肩でも組むような、ラフな仕草と笑顔だった。
そんな彼の様子は江里子を動揺させ、また同時に安心もさせた。

ポルナレフにどう思われているのか、気にならない訳ではない。
まるで愛の告白かと勘違いしてしまいそうな台詞を吐いたすぐ後で、何故こんなにあっけらかんとしているのか。
彼の真意を知りたくないといえば、それは嘘になる。

しかしそれ以上に、江里子は自分の気持ちを、ポルナレフに対する好意がどういうものなのかを、まだ分かっていなかった。
いや、分かろうとしたくなかったのだ。
今はまだホリィの命が懸かった大事な旅の途中で、アヴドゥルも無念の死を遂げたというのに、自分だけ愛だの恋だの考えるのは、とてもいけない事のような気がして。
そして、ポルナレフに対してだけではなく、花京院や承太郎、そして、死んでしまったアヴドゥルに対しても同じ気持ちを持っている自分が、酷くいけない事をしているような気がして。


「・・・・はいっ!」

だから今は、ポルナレフのあっけらかんとした明るい笑顔が、有り難かった。

















夜になり、江里子達はバスターミナルにやって来た。
列車とは違い、バスはまずまず時刻通りに発着するようで、無事に予定のバスに乗り込む事が出来た。
しかし、残念ながら他の予約客がいた為、座席の指定は6人でひと固まりという訳にはいかなかった。


「さあ、いよいよ出発じゃ!・・・あまり揺れないと良いんじゃがのう。」
「フン。」

まず、前方の席にジョースターと承太郎が座った。


「ポルナレフ、僕は眠るから、静かにしていてくれよ。」
「何だよ人を迷惑なガキみたいに!心配しなくても俺も寝るっつーの!」

そして、ジョースター達の後ろの席に、花京院とポルナレフが座った。
そのすぐ後ろの席は他の客が座っており、江里子と娘は、更にその後ろの席に座る事となった。


「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」

ホテルにいた時は、『別室』という口を利かない理由があったが、こうしてバスの座席に隣り合わせてしまった今、その理由は消滅した。


「・・・・・あ・・・・のぉ・・・・・・」

となると、喋らない訳にはいかない。


「よ、宜しくお願いします、ね、うふっ、うふふっ・・・・・・」

江里子は、少しでも朗らかな空気を醸し出そうと精一杯の笑顔を浮かべて、にこやかに娘に話しかけた。
すると娘はようやく、その物憂げな美しい瞳を少しだけ江里子に向けた。


「あ、あの、もう1回自己紹介しますね。私、江里子と言います。日本人です。エリーって呼んで下さい。」
「・・・・・はい・・・・・・」

短い一言ではあるが、娘は返事をした。
会話の取っ掛かりが出来そうな予感を初めて抱いた江里子は、そのまま彼女に話しかけ続ける事にした。


「あ、あの、貴女のお名前、訊いても良いですか・・・・?」
「・・・・・・・・ネーナ・・・・・・・・・」
「ネーナさん、素敵なお名前ですね!」
「・・・・・・ありがとうございます・・・・・・・・」
「お、お幾つですか?」
「16です・・・・・・」
「ああ、じゅ、16・・・・!私より年下ですね、私は18なんです・・・・!」
「そうですか・・・・・・・」
「ええ・・・・・・、はい・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」

続いたと思った会話は、ここで呆気なく終了した。
ようやく名を名乗ったその娘は、訊かれた事に答えはするが、自分から進んで会話をしようとはしなかった。
彼女はやはり、どうもアンの時と同じようにはいかないようだった。


「ええ・・・・と・・・・・・・・」

ネーナはずっと、悲しげにぼんやりしているばかりだった。
食事の席でも、バスターミナルに来る途中でも、誰とも殆ど喋らず、ホテルでもずっと一人で部屋に篭っていた。
そんなにまでショックだったのだろうか。
そんなにまで、あの胡散臭い男に惚れ込んでいたのだろうか。


「・・・・・・・・」

江里子には、そこまでの手痛い失恋の経験はなかった。
ボーイフレンドどころか、そもそも男女問わず周りはみんな敵みたいな状態で過ごしてきたから、そこまで人を好きになった事もなかったのだ。


― あ、改めて考えると、何かすごく哀しい・・・・・・!


18歳の自分より、16歳のネーナの方が女として遥かに成熟しているような気がして、江里子は思わず自分を哀れんでしまった。
つまり、ネーナは大人なのだ。だから噛み合わないのだ。
アンと波長が合ったのは、13歳のアンと自分の中身が同じだからであって・・・・


― だ、駄目だ、哀しすぎる・・・・・・!


江里子が一人でそんな苦悩をしている横で、ネーナは相変わらず悲しげにぼんやりとしていた。


「・・・・・ネーナさん・・・・・」

同じ女から見ても、溜息が出る程美しい横顔だった。
こんなに美しくていじらしい娘を、どうしていとも簡単に捨てていけるのか。
只でさえ憎かったホル・ホースが、尚の事憎らしく思えて仕方がなかった。


「・・・・彼の事は、忘れた方が良いですよ・・・・・。」

気が付けば、江里子はついつい余計なお節介を焼いていた。


「あの人は、悪い人です。貴女には相応しくない・・・と、思います。
貴女ならきっと、すぐにもっと素敵な人が現れますから、だから、元気出して下さい・・・・」
「・・・・・・ありがとう・・・・・・」

ネーナはやはり、ポツリと短く礼を言っただけだった。
心ここに在らずといった表情で、江里子の方を見もせずに。


「ごめんなさい、余計な事を言って・・・・・・」
「いえ、良いんです・・・・・」

それっきり、ネーナとの会話は途切れた。




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