星屑に導かれて 20




やがて車は、ゴツゴツとした岩肌の道が続く郊外へと出た。
牛が何頭かのんびり歩いており、近くに寺院か何かのような建造物が見えていた。


「・・・・あの時、俺は確かに奴を剣で突いた・・・・・。」

束の間の小休止とも呼べる状況の今、ポルナレフは改めてさっきの戦闘を思い起こしていた。


「だが命中はしなかった・・・・・。手応えは無かったんだ。」

鏡やガラスを何枚砕いても、あのスタンド、ハングドマンには掠り傷一つ付けられなかった。
悔しいが防戦一方の今、出来る事と言えばとにかく映る物を排除する事だけで、ポルナレフは苛立ちながら車のバックミラーを掴んでもぎ取った。


「奴のスタンド、ハングドマンは、鏡が割れても小さくなった破片の中からまた攻撃してきた!
奴は鏡の中で、鏡の中の俺を襲う・・・・!俺のスタンドは、鏡の中には入れない・・・・・。
鏡の世界なんて、どうやって攻撃すれば良いのだ・・・・!くそっ!」

もぎ取ったミラーを窓から外に投げ捨てると、ミラーは割れて粉々に砕けた。
隣で江里子が、何と言えば良いのか分からないといった顔をして俯いた。


「ポルナレフ。鏡の中とか、鏡の世界とか、盛んに言ってますが、鏡に中の世界なんてありませんよ。ファンタジーやメルヘンじゃあないんですから。」

しかし花京院は、冷静そのものでポルナレフの見解を全否定した。
あまりにも落ち着き払って真っ向から否定するものだから、ポルナレフは一瞬、唖然とした。


「何言ってんだ!オメェも見ただろ!?鏡の中だけにいて、振り向くといねぇんだぜ!」
「ええ。しかし鏡っていうのは光の反射、ただそれだけです。」
「教えて貰わなくたって知っとるぜ!」
「ポルナレフさん、落ち着いて!狭いんですから・・・・!」

花京院とポルナレフの間で、江里子が只でさえ小さくなっていた身体を更に窮屈そうに縮こまらせた。
敵の襲撃があった場合、窓辺はより一層危険だという考えから途中で場所替えしておいたのだが、今の江里子にとってはそれが裏目に出ていた。


「良いか、この場合だぜ!今の場合を言っとるんだよ!スタンドがあるなら、鏡の中の世界だってあるだろう!」
「ないです。」
「オメーなぁ!」

ポルナレフは盛大に呆れ、そして苛立った。
花京院の事を、何て石頭で可愛げの無いガキだろうと思った。
しかし花京院は、ただポルナレフの見解を否定したいのではないようだった。


「ハングドマンの謎は、きっとそこの点にあると思うんです。
スタンドはスタンドで倒せるのなら、我々にはまだ知らぬ奴の謎が・・・ん?」

花京院は突如、言葉を切った。
そして一瞬息を呑み、後ろを振り返った。


「ポルナレフ!!ハンドルのメッキに奴がいる!!」
「何ィーッ!?」
「奴は追い付いている!!」

花京院がそう叫んだ瞬間、運転席後部のガラスが突如、砕け散った。


「きゃああっ!!」
「エリーッ!!」

ポルナレフは咄嗟に江里子を抱きしめ、胸に庇った。


「危ないッ!!」

花京院はハンドルを思いきり切り、急ブレーキを踏んだ。
車はクルクルと回転しながら崖にぶつかり、跳ね上がってひっくり返った。



「う・・・・・・あぁ・・・・・・!」
「うぎぎぃ・・・・・!」
「うぅ・・・・・・!」

花京院と、江里子を抱いたポルナレフは、どうにか車の下から這い出した。


「だ、大丈夫か、エリー、花京院・・・・・!?」
「む、胸を打ったが、大丈夫だ・・・・!」
「う、うぅ・・・・」

花京院はしっかりと応答し、江里子も、ショックで声は出せないようだが、コクコクと何度も頷いてみせた。
不幸中の幸いで、三人共、怪我らしい怪我はないようだった。
それに安堵したのも束の間、ポルナレフは、割れたガラスやメッキ部分などがしきりとキラキラ反射するのに気付いた。


「な、何ぃっ!?」

車のバンパーに、ハングドマンが映っていた。
今にも攻撃せんと、ナイフを振り被って。


「うわぁぁぁチャリオッツ!!!」

ポルナレフは江里子を花京院に押し付けると、スタンドを発動させ、バンパーを細切れにした。


「花京院!エリーッ!映る物から逃げるんだ!!」
「江里子さんっ!」
「あっ・・・・!」

ポルナレフと、江里子の手を引いた花京院は、急いで後ろの大きな岩陰に避難した。



「ハァ、ハァ、ハァッ・・・・・!」
「はぁっ、はぁっ・・・・・!」
「はぁッ・・・・・・!」

ひとまずそこは安全圏のようだった。


「クソッ、分かった・・・・・、今、見えたんだ・・・・。」

呼吸を整えながら、ポルナレフは喋った。


「っ・・・・!?」
「な、何がですか・・・・!?」
「奴は鏡から鏡へ、映る物から映る物へ、飛び移って移動している・・・・!反射を繰り返して、ここまで追って来たんだ・・・・・!」
「反射・・・・・!?つまり、奴は光か!」

花京院も、気付いたようだった。


「奴の正体は、光のスタンドという事か!」
「花京院、エリー、奴は今、車のバンパーにいた。バンパーから何かに反射して、移動するに違いない!映る物の側へは行くな!ハッ・・・!?」

そうと分かれば、他にも気になる物があった。


「身体からも映るような物は外せ!制服のボタンも取れ!」

ポルナレフは自分のピアスを外しながら、花京院と江里子にそう指示した。
そう。『吊られた男』は鏡に限らず、映る物ならどんな物の中にも存在出来るのだ。


「わ、分かった・・・・・・!」
「は、はい・・・・・・・・!」

返事をしつつも、江里子は映る物を何も身に着けていなかったが、花京院には色々とあった。腕時計、ピアス、そして制服の金ボタン。それらを外していたその時。


「お兄ちゃん達、大丈夫!?お薬持って来ようか?」

地元の子供らしい少年が、三人を見て目を丸くしていた。


「おい小僧!危ねぇから向こうへ行け!!」

ポルナレフはシッシッとやって、少年を向こうへ追い払おうとした。
だが、少年は親切なのか、それともチップを貰おうとしているのか、引き下がりはしなかった。


「ねえ、車メチャメチャだけど?」

その時、ハングドマンがバンパーから移動した。
まず最初にその事に気付いたのは、花京院だった。


「ねえ、血が出てるけど!?怪我は大丈夫!?」

ポルナレフもすぐに気付いた。


「や、野郎・・・・・・!!」
「子供の目の中に・・・・!」

ハングドマンは、この少年の瞳の中にいた。


「フッフッフッフッフ、フッファッハッハッハ!」

いたいけな少年の瞳の中で、ハングドマンは禍々しい笑い声を上げていた。


「おい小僧、俺達を見るな!!」

ポルナレフは叫び、その場から飛び出した。
花京院も、少年から隠すようにして江里子を庇いつつ、その場を飛び離れた。


「あえ?」

分かっていないのは、少年一人だった。
自分が何かしたのかと、自分を指差ししながら、キョトンとした目でポルナレフを見ていた。


「見るなと言ってるだろうが!!」

堪らずに、ポルナレフは逃走した。
だが、少年の視線はすぐに追いついてくる。


「目で追うなコラ!!」
「ぅえ?怪我してるよ?」

逃げても逃げても、少年の視線はポルナレフを追ってきた。


「大丈夫だよ!ほら、ピンピンしてるよ!だからあっち見ろ!」

ポルナレフは力瘤を作ってみせて無事をアピールしてから、改めてシッシッと少年を追い払った。
だがそれでも、少年はあくまで、ポルナレフを心配し続けてくれた。


「ああ、血ィ出てるよ!」
「向こう向けガキャア!!」
「ギャッハッハッハッハ!!!」

純真な子供の瞳の中で、ハングドマンはさも愉しげに大笑いしていた。


「野郎・・・・・・!J・ガイル・・・・・・!!」

このまま良いようにされっぱなしは我慢ならない。
ポルナレフは、シルバーチャリオッツを発動させた。
だが、そこまでだった。


「どうするねぇ?まさかこの可愛い子供の目を、その剣で潰すというのかね?ポルナレフぅ!」
「がっ・・・・!!」

ハングドマンが、ポルナレフの首を掴んだ。


「ポルナレフ!!」
「ポルナレフさん!!」

返事をする事は出来なかった。
痕が出来る位の強い力で首を絞められ、ポルナレフは息も絶え絶えだった。


「遂に捕えたぞ・・・・・!もう逃れられん・・・・!
子供の目を潰さん限りな・・・・!ギャッハッハッハッハ・・・・!」

ハングドマンはポルナレフの首を絞めながら、手首から剣を出した。


「クッ・・・・・、何て卑劣な男だ・・・・・!許さん!」

花京院が拳を固めた。
だが彼にも、どうする事も出来なかった。


「あ・・・・、あ・・・・・!」

ハングドマン、J・ガイルだけが、勝ち誇った笑い声を上げていた。


「・・・・フフ、フフフフフッ・・・・・フッフッフッフッフ・・・・」

そう。あの男だけが勝ち誇った笑い声を上げている。
しかしそれは、大きな間違いというものだ。
勝利の笑い声を上げるべきは『吊られた男』ではなく、『勝利』の暗示を持つ『戦車』のカードなのだから。


「おい、花京院。この場合、そういう台詞を言うんじゃねぇ。」

笑いながら親指を立ててみせたポルナレフに、江里子も、花京院も、唖然としている。


「良いか。こういう場合、仇を討つ時というのは、今から言うような台詞を吐いて闘うんだ。」

ポルナレフは一呼吸置き、真顔になった。


「我が名はジャン・ピエール・ポルナレフ!!我が妹の名誉の為に、我が友・アヴドゥルの心の安らぎの為に、この俺が貴様を絶望の淵へブチ込んでやるッッ!!J・ガイル!!!」

ポルナレフは大きく腕を振り被り、キョトンとしている少年の瞳に向かって指を指した。
勿論、少年には見えていない。
しかしポルナレフのシルバーチャリオッツは、少年の瞳に映るハングドマンに、その剣の切っ先を向けていた。


「許せ、小僧!後でキャラメル買ってやるからな!」

ポルナレフは少年に詫びると、その目に飛ばすように、足元の砂を思いっきり蹴り上げた。


「うわぁっ!!目に砂がぁっ!」

少年は悲鳴を上げ、反射的に目を閉じた。
その瞬間、ハングドマンは飛び立った。
それをチャリオッツが、一刀両断にした。


「・・・ヘッ」

ポルナレフは笑った。
手に残る感覚は、間違いなくハングドマンを斬った証だった。


「ポ、ポルナレフの瞳の中に・・・・・!」
「えぇっ・・・・・!?」

ポルナレフは、驚愕する花京院と江里子を片腕で制した。


「原理はよく分からんが、コイツは光並みの速さで動く。普通なら見切れねぇスピードさ。
だが、子供の目が閉じたなら、コイツが次に移動するのは俺の瞳だろうという事は分かっていたのさ。」

目にしこたま砂を飛ばされた少年は、しゃがみ込んで必死に目を擦っている。
可哀相な事をしたが、命に別条はない。


「エリー、そのガキ看てやってくれねぇか。」
「は、はい・・・・・・!」

ポルナレフが頼むと、江里子は足早に少年に駆け寄り、面倒を看始めた。


「なるほど・・・・」

花京院も気付いたようだった。


「ハングドマンは、映っている物の世界にしか存在出来ない。
その世界が消滅する時は、別の反射物に移動しなければならないのだ・・・・!」

ポルナレフは、ゆっくりと頷いた。


「・・・・だからその軌道が読めれば、剣で斬るのは・・・・、容易い!!」
「ギェヤァァァーーッ!!!」

その瞬間、向こうの寺院の方から、下衆な悲鳴が聞こえてきた。


「あそこにいるな、本体!!」

ポルナレフは花京院と共に、その方向に向かって駆け出した。

















「野郎・・・・・!遂に・・・・・!」

石造りの塔のような建物、声はそこから聞こえてきたようだった。


「遂に・・・・・!」

そこに向かう石段を上りきると、そこはちょっとしたコミュニティになっていた。寺院は観光スポットらしく、訪れる観光客目当ての物乞い達が大勢いた。
そして、すぐ目の前に、切り傷を負って血塗れで座り込んでいる男がいた。その傷は、チャリオッツがハングドマンにつけたのと全く同じ位置にあった。


「・・・・遂に遭えたな・・・・・、J・ガイル!!」

ポルナレフと花京院は、その男、J・ガイルを取り囲んだ。


「俺の名はジャン・ピエール・ポルナレフ!貴様の鏡のスタンドの秘密は見切った!
もの凄ぇ速さで移動する光のスタンドだ。とても捕える事は出来ねぇ。
しかし、どこへ移動するかさえ分かれば、その瞬間、軌道を縦に裂けば、オメーも裂ける!」
「うぅ・・・・」

男は険しい表情をしてただ呻くだけで、何も言おうともしようともしなかった。
いや、しないのではない。出来ないのだ。
スタンドを見切られ、深手まで負って、もはやこれまでと観念したのだ。


「花京院とアヴドゥルが来てくれなければ、それが分からず、テメェにやられていただろうがよ。」
「はっ・・・・!?ポルナレフ!!それは両右手の男じゃあないぞ!!J・ガイルじゃあないッッ!!」

ポルナレフはそう思っていた。
花京院が叫び声を上げた、この瞬間までは。


「っ・・・・・!」

花京院の言う通り、男の左手は、ちゃんと『左手』だった。
不覚だった。
詰めが甘かった。
だが、もう遅かった。


「あ・・・・・あ・・・・あぁ・・・・あ・・・・・」

背中に深々と刃の突き刺さる痛みに、ポルナレフは愕然とした。




「な・・・・・何ィィ・・・・・・!?」
「ポルナレフ!!!」
「ぐっ・・・・!」

ポルナレフは思わずしゃがみ込んだ。


「ポルナレフ!!」

花京院が駆け寄って来て、ナイフを引っこ抜き、投げ捨てた。
ハングドマンのナイフかと思ったが、実体のある、本物のナイフだった。


「ッケヘヘヘヘッ!ここだ!」

不意に、とても近い場所から声が聞こえた。


「バカめ!!俺がJ・ガイルだ!!」

目の前の、崩れた壁の陰から出てきた男を見て、ポルナレフと花京院は目を見開いた。


「はっ・・・・・!?」
「てめぇ・・・・・・!」

醜悪な、化け物のような形相の男だった。
だがその男は確かに、本物のJ・ガイルのようだった。
胸の切り傷から血を流し、何より、両右手だった。


「そいつは偶々この村にいた流れ者だよ!俺の傷と同じ所に、ちょいとナイフで切れ目を入れておいたのさ!」
「ひぃぃぃ・・・・・!」

男は観念していたのではなく、怯えていたのだ。
不気味な男に、突然、ナイフで胸を裂かれて。
その痛みと恐怖にひたすら怯えていただけの、全く無関係の、普通の人間だったのだ。
愕然とするポルナレフと花京院を、J・ガイルはさも可笑しそうにけたたましく嘲笑った。


「まんまとひっかかったな!俺の顔を知らねぇのに、不用心に信じ込んで近付いたのが、大チョンボ!!アッハッハッハッハ!!!」
「っ・・・・・・!貴様・・・・・!」

指を指して笑うJ・ガイルに、流石の花京院もとうとうキレたようだった。花京院はハイエロファントグリーンを発動させると、すぐさま技のモーションに入った。


「喰らえ、僕のエメラルド・・」
「ヘェ〜ッ、待ちな!!周りをよ〜く見ろ!クッフッフッフッフ!」

しかし、J・ガイルにはまだ、何かの手があるようだった。
手傷を負って追い詰められた状態でなお、まだ余裕の笑い声を上げていられるような、秘策が。


「おぉい、集まれ〜ッ!!このお方達が、皆にお金を恵んで下さるとよ〜ッ!」

J・ガイルは手を挙げて、大声を張り上げた。
その声に反応して、地元の村人達が早速、ゾロゾロワラワラと集まってきた。


「っ!!」
「な、何ぃッ!?」

ポルナレフも花京院も驚愕した。
秘策といってもまさかこんな手段に出てくるとは、露程も思っていなかった。


「タダでお金下さるとは。」
「おお、ありがてぇ!」
「どんだけ太っ腹なおニイさん達だ!」
「ありがてぇありがてぇ!」

村人の数は、増えていく一方だった。
揉み手をしながら、愛想笑いを浮かべながら、ゾロゾロとポルナレフ達を取り囲んでくる。まるで、砂糖を見つけたアリの群れのように。


「ケッヘッヘ。これがどういう事か理解したか?」

J・ガイルは少し離れた場所の崩れた壁に腰掛けて、悠々と見物を決め込んでいた。


「・・・・・ハッ!」

J・ガイルの講じた策に、ポルナレフは気付いた。


「俺のスタンドを見切っただと!?バカめ!!俺は自分のスタンドの弱点は、とっくに知っていたわ!!」

ハングドマンのナイフが、ポルナレフの胸から腹までを一気に切り裂いた。
ゾロゾロと集まってくる村人の目の中で。


「うぅっ・・・・!」
「映る物を多くし、軌道が分からなくなれば、もはや弱点はないッッ!!」
「うぅっ・・・・!」

次に、花京院の右腕をも切りつけた。


「見るな!見つめるな、俺達を見つめるな・・・・!」

ポルナレフは村人達に向かって叫んだ。
だが、ただで金を恵んで貰えると聞いた村人達は、その事で頭が一杯で、誰もポルナレフの叫びに耳を貸そうとはしなかった。


「クッフッフッフッフ、もう逃れられん。一度に全員を爆破でもするかい!?」

そしてハングドマンは、村人達の間を自由自在に飛び回っていた。
ハエのように鬱陶しく飛び回り、無数の浅い傷をポルナレフに付けながら。
それは攻撃というよりは戯れ、まるで遊んでいるかのようなふざけたやり方だった。


「うわあぁぁーっ!!」

痛いのは、血の噴き出る傷ではない。
ここまで来て、ここまで追い詰めておいて、今一歩でとどめが刺せず、良いように弄ばれている。
心を焼き尽くすようなこの無念が、何より痛かった。


「青春を犠牲にして俺を追い続けたのに、あ〜あ!!途中で挫折するとは何とつまらない、寂しい人生よ!!」

そんなポルナレフを、J・ガイルは指を指しながら嘲笑った。


「そしてこのJ・ガイル様は、オメェの妹のように可愛い女の子を侍らせて、楽しく暮らしましたとさ!!」

戯れのようにポルナレフの身体を切り裂きながら。


「クッフッフ・・・、そういや泣き喚くのが上手かったなぁ・・・、オメェの妹はよ!!グッヘッヘッヘッヘッヘ!!」
「!!」

J・ガイルは、気持ちの悪い音を立てて舌舐めずりをした。


「さぁて、あの女はどんな声で『鳴く』かなぁ!?オメェの妹と、どっちが『イイ声』してるかなぁ!?
お前らを始末したら、ゆっくり聴かせて貰うとするか!ゲェッヘヘヘヘッ!!」

そして、一際けたたましい、耳障りな声で笑うと、首を掻っ切る真似をして見せた。


「・・・死にな」
「や、野郎・・・・・!」

とどめを刺せず、花京院共々、ここでやられてしまうのだろうか。
そんな事になったら、一人残される江里子は。
アヴドゥルを死なせてしまっただけでなく、江里子までシェリーの二の舞にさせてしまったら。
そうなったら、死んでも死にきれない。償っても、償いきれない。



「・・・・ポルナレフ。その台詞は違うぞ。」

無念の涙を流しかけたその時、不意に花京院が口を開いた。


「え・・・・・?」
「仇を討つ時というのは、野郎なんて台詞を吐くもんじゃあない。こう言うんだ。」

花京院は全く、冷静だった。
余裕の笑みさえ浮かべていた。


「我が名は花京院 典明!我が友人・アヴドゥルの無念の為に、左にいる友人・ポルナレフの妹の魂の安らぎの為に・・・・」

そして、学ランのポケットから金貨を1枚取り出すと、見せつけるようにして掲げた。


「・・・死をもって償わせてやる。」
『おおーーっ!!』

金貨を見た村人達は、興奮に沸いた。
そんな彼等に向かって、花京院は大きな声で宣言した。


「拾った者にはこの金貨をやるぞ!!顔が映る程、ピカピカの金貨だ!!」
『おおーーっ!!』

村人達は目の色を変えて、益々沸き立った。
彼等はもう、その金貨しか目に入らないようだった。


「な〜るほど、花京院!」

その様子を見て、ポルナレフは花京院の策に気付いた。
それが見当違いではない証拠に、花京院が金貨を高く弾き上げると、村人達も皆、一斉に上を向いた。


「これで皆の目が一点に集まったようですよ。」
「ああ!」
「ハングドマンが移動しなくてはならない軌道は分かった!!」
「メルシー、花京院!!」

ポルナレフは、砂を思いっきり蹴り上げた。


「うげぁぁぁぁ・・・・・!」

目に砂が入った村人が、悲鳴を上げて目を閉じた瞬間、ハングドマンは空中の金貨に飛んだ。
ポルナレフのチャリオッツは、それを見逃しはしなかった。


「瞬間!!」

金貨の前に立ちはだかったチャリオッツは、その剣でハングドマンを一刀両断にした。


「ぎにゃあぁぁぁ!!!」

頭から顔から、大量の血を迸らせたJ・ガイルは、半死半生で逃げていった。


「待てッ!!」

花京院は走って後を追って行ったが、ポルナレフは悠然と歩いていった。
急ぐ必要は全くなかった。
逃げたすぐ先には固く閉まった大きな門が行く手を塞いでくれているし、何より、急いで追いかける必要のない程の深手を、チャリオッツが負わせていたからだ。
今度こそ断言出来る。
J・ガイルの命は、もはや風前の灯だった。


「ひぃっ、ひぃっ・・・・!」

命からがら逃走を図ったJ・ガイルは、門に辿り着き、どうにかそれを開けようとしていた。


「ひぃっ、あかっ、開か、ない・・・・・!」
「泣き喚くのが上手いのはテメェの方だなぁ、J・ガイル。」

程なくして、ポルナレフはJ・ガイルを追い詰めた。


「これからテメェは泣き喚きながら地獄へ落ちる訳だが・・・・、ひとつだけ、地獄の番人にゃあ任せられん事がある。」

この時を、3年も待っていた。
この瞬間だけを支えに、この3年、生きてきた。


「それは!!」

未だかつてない程の強大なエネルギーを、チャリオッツから感じる。


「針串刺しの刑だぁーッッ!!!」
「ひぇあぁぁぁーーーッ!!」

チャリオッツの剣先に、幾千、幾万の手応えを感じる。


「この時を長年待ったぜッッ!!」

自分の痛み。
アヴドゥルの痛み。
シェリーの痛み。
それらを何倍にも、何倍にもして返した後で、チャリオッツの剣が遂に、J・ガイルの薄汚い舌から頭蓋骨の奥までを一気に貫き、振り上げ、その身体を空高く放り上げた。


「ごぇっ・・・・・!」

やがてJ・ガイルは、さかさまの恰好で落下してきた。
そして、短い断末魔と共に、呆気なく息絶えた。


「・・・・あとは閻魔様に任せたぜ。」

その無様な死骸に背を向け、顔だけで振り返って、ポルナレフは一言、そう吐き捨てた。


「これが本当の『ハングド・マン』か。心底クズ野郎だったな。」

確かに、花京院の言う通りだった。


「・・・・『吊られた男』、か・・・・・・」

以前、アヴドゥルのタロットカードを見せて貰った事がある。
あのカードの絵と同じような格好で、J・ガイルは死んでいた。己のカードの通りに。
皮肉と言えば、皮肉な死に様だ。
ポルナレフは束の間、J・ガイルの死体を見ていたが、すぐに前を向いた。


「・・・・仇は取ったぜ!」

歩き始めると、後ろから声が聞こえてきた。


「ポルナレフさーーんっ!花京院さーーんっ!」
「江里子さん!」

あの少年の手を引いた、江里子だった。
先に振り返った花京院は、江里子の元へと駆けて行った。


― シェリー・・・・・


ポルナレフは暫し目を閉じ、シェリーの魂の平安を祈った。


「・・・・・おおーいッ!エリーッ!!」

江里子を振り返り、笑顔で手を振るポルナレフの瞳には、もう涙は無かった。





















花京院が他の村人達に分からないよう金貨を1枚渡すと、少年は輝くような笑顔を見せ、しきりと感激しながら駆け出していった。
目はもう大丈夫なようで、跳ねる子ウサギのように元気に駆けていく少年の後ろ姿を、江里子達は笑って見送った。


「・・・・・この男が、J・ガイルなんですね・・・・・・」

少年の姿が見えなくなってから、江里子はJ・ガイルの死体に改めて一瞥をくれた。
全身血塗れなのを差し引いても、醜怪極まりない男だった。
こんな男に凌辱され、殺されてしまったポルナレフの妹が、気の毒でならなかった。


「死んで良かったんですよ。こんな男。」

無惨なその死に様を、不思議と怖いとは思わなかった。
こんな死に様を晒しているこの男を、尚も憎いと思った。
ポルナレフのたった一人の肉親を、そして、アヴドゥルを殺したこの男を。


「私も・・・・・、傷付けてやりたい・・・・・・」
「江里子さん・・・・・・・・」

ぼんやりとした江里子の呟きを聞いた花京院が、心配そうな眼差しを向けてきた。
それは分かっていたが、花京院の方を見る事は出来なかった。


「だけど・・・・、やり方が分からないんです・・・・・。」

江里子の持っている護身用の道具は、どれも人を殺傷出来るものではなかった。
銃も、ナイフもない。
また、仮に持っていたとしても、使い方が分からない。
そんな自分が、歯痒かった。


「・・・・・・・」

ふと、門の脇の所に、雑草が小さな花をつけているのが見えた。
江里子はそこへ歩いていき、その雑草を摘み取った。


「江里子さん・・・・?」
「こんな奴に、お花なんかあげません。絶対に。」

摘み取った小さな小さなその花を、江里子はハンカチにそっと挟み、ポケットにしまった。地獄に落ちる罪人に、手向けの花なんて必要ない。花を見た時に、そう思ったのだった。


「この花は、アヴドゥルさんとシェリーさんに。」

そうは言っても、どこで手向ければ良いのかは分からない。
アヴドゥルはともかく、シェリーはフランスに眠っている筈なのだ。
だがそれでも、何処かで、二人の為に捧げようと思った。


「・・・帰りましょう!ジョースターさんと承太郎さんが待ってますよ!」

江里子は威勢良く声を張り上げると、一人で先に歩き出した。
ポルナレフと花京院がすぐに後ろから追って来て、それぞれ江里子の腕を取って歩き始めた。
二人共、笑っていた。
ただ笑って、江里子に寄り添ってくれていた。
そんな彼等の前で、一人だけ泣き崩れる訳にはいかなかった。















寺院の敷地を出て少し歩くと、割と拓けた場所に出た。
メインストリートらしき広めの路地に、民家や商店が建ち並んでいる。
村とは言っても、ここは結構規模の大きそうな村だった。


「ここなら電話がありそうですね。公衆電話か、なければどこかで電話を借りて、ジョースターさんに連絡を入れましょう。」
「だな。大体花京院、ここは何処なんだ!?」
「僕に訊かれても知りませんよ。無我夢中で車を走らせただけなんですから。」

花京院もポルナレフも、至って普段通りだった。
二人に挟まれて歩きながら、彼等の他愛ない会話を聞いていたその時。


「待ちな!!」

後ろから、男の声が江里子達を呼び止めた。
江里子達は足を止め、振り返った。


「追って来たぜ!ヘッヘ!」

ホル・ホースだった。
手の構えで、既にあのスタンドを発動させているのが分かった。
ホル・ホースは、挑発するように拳銃を右手から左手に投げて持ち替える仕草をしながら、相変わらず余裕めいた笑いを浮かべていた。


「ポルナレフさん、花京院さん・・・・・・」
「心配すんな、エリー。」
「大丈夫ですよ。」

しかし、ポルナレフも花京院も、全く相手にしようとはせず、江里子と腕を組んだまま、また彼に背を向けた。


「なにトロトロ歩いてんだぁ!?逃げるんなら必死に逃げんかい!必死によぉ!なぁ!?J・ガイルの旦那ぁ!」

突如、目の前の店先に置いてあった壺が、粉々に割れた。


「きゃっ・・・・・・・!」

江里子は驚き、ポルナレフと花京院の腕にしがみ付いた。
二人は江里子を後ろに庇うようにして、またホル・ホースの方を振り返った。


「今度は観念しな!テメェらの人生の最期だ!最期らしく俺達にかかって来いよ!据わった根性見せてみろよコラァ!なぁー!J・ガイルの旦那ぁ!」

今度は近くの窓ガラスが割れた。
1枚、2枚、3枚・・・・・、ガラスが次々と割れていった。
割れた大量のガラスが、江里子達の足元に散らばり、陽光を反射してキラキラと眩しく煌めいた。
ホル・ホースは外したのではない。わざとガラス片を撒いているのだ。
ハングドマンの世界を広げる為に。
彼はまだ、何も知らないのだ。そう思うと、あまり怖くなくなった。


「・・・・・・・」

ポルナレフが、足元に落ちてきた大きな破片を踏みにじって粉々にした。


「っ・・・・!?聞いているのかい!?J・ガイルの旦那よぉ!」

すると、ホル・ホースの声から余裕がなくなった。あの憎たらしい、人を食ったような笑いをやめ、焦った声でJ・ガイルに呼び掛け始めた。


「野郎ならもう聞いてねぇと思うぜ。」

J・ガイルの代わりに、ポルナレフが答えた。


「あぁ!?」
「奴はとっても忙しい!!地獄で刑罰を受けているからな!」
「あん!?オイオイオイオイオイオイオイオイィ!!デマ言うんじゃあねぇぜ!
この俺にハッタリは通じねぇよぉ!テメーに倒せる訳ねぇだろーが!この俺だって、奴の無敵のハングドマンには一目置いてんだぜぇ!?
ポルナレフ、冗談キツいぜぇ!ヒッヒッヒッヒ・・・・!」

ホル・ホースは笑い飛ばしてみせたが、その顔は引き攣っていた。


「2〜300m向こうに、あのクズ野郎の死体がある。見てくるか?」
「・・・あ?」

江里子達とホル・ホースの間に、妙な沈黙が流れた。


「・・・よし見て来ようっ!」

と思った瞬間、ホル・ホースはサッと踵を返し、凄いスピードで逃走していった。


「あっ!!野郎、逃げる気か!!」

ポルナレフはすぐに後を追っていった。
J・ガイルの相棒、アヴドゥルを殺したあの男を許してやるつもりは、やはりないようだった。


「江里子さん、行きましょう。」
「はい・・・・・・・」

花京院に促され、江里子もポルナレフの後を追って走り始めた。
しかし、ホル・ホースは速かった。何故だかやたらと足が速かった。
江里子達も必死で走ったが、走れば走る程に距離が開いていく。
そしてホル・ホースは、不意に角を曲って細い路地へ入っていった。
このままではみすみす取り逃がしてしまうと焦った瞬間。


「何ッ・・・・・!?ぐひあぁっ・・・・・!!」

路地へ入っていった筈のホル・ホースが、大通りへ吹っ飛んで戻ってきた。




「あっ!ジョースターさん!承太郎!」

路地から出て来たのは、ジョースターと承太郎だった。
どうやら彼等が、ホル・ホースの逃走を阻んでくれたようだった。


「・・・アヴドゥルの事は、既に知っている。彼の遺体は、簡素ではあるが、埋葬してきたよ。」

ジョースターのその報告に、江里子達は皆、言葉を詰まらせた。
大切な仲間を、アヴドゥルを失った悲しみが、また一同の間に蘇ってきていた。


「っ・・・・・!」

ポルナレフは、射抜くような目でホル・ホースを睨み付けた。


「ひぃぃっ・・・・!」

一方、ホル・ホースの方は、ジョースター達に完全包囲された事も手伝ってか、すっかり及び腰になっていた。


「卑怯にもアヴドゥルさんを後ろから刺したのは両右手の男だが、直接の死因はこのホル・ホースの弾丸だ。この男をどうする?」
「俺が判決を言うぜ!」

花京院が皆の意向を確かめると、ポルナレフがすぐさま答えた。


「ひえぇぇぇ・・・・!」

ポルナレフは、怯えて後ずさりするホル・ホースにゆっくりと歩み寄り、指を指した。


「・・・・・死刑!!」

彼がこうして指を指す時、それが、スタンドを発動する時なのだ。
彼の闘いを見ている内に、江里子はいつの間にかそれを覚えていた。
ああして指した指を更に突き出せば、チャリオッツの剣がホル・ホースを刺し貫く。
だが。


「ぬあっ・・・・!」

突如走り出て来た女が、体当たりをしてポルナレフを突き飛ばし、それを阻止した。


「お逃げ下さい、ホル・ホース様!」
「何だぁ!?この女は!?」

女はポルナレフの上に圧し掛かり、その華奢な身体全体を使って、必死にポルナレフを押さえ込んでいた。


「ホル・ホース様!私には、事情はよく分かりませぬが、貴方の身をいつも案じておりまする!
それが私の生き甲斐!お逃げ下さい!早く!!」

女は、女というよりは、娘と呼ぶべき若さだった。
この娘、どこかで見た事がある。
そういえば、このホル・ホースという男も。


「このアマ!!離せ!!何考えてんだ!!承太郎!花京院!ホル・ホースを逃がすなよ!!」

ポルナレフは女の拘束に必死で抵抗しながら、二人に向かってそう叫んだ。
しかし誰も、動こうとはしなかった。


「・・もう遅い。」
「えっ?あ・・、あっ・・・・!」

そう。承太郎の言う通り、もう遅かった。
突然、馬のいななきが聞こえ、そちらの方を向くと。


「よく言ってくれた、ベイベー!!オメェの気持ち、ありがたく受け取って生き延びるぜぇ!!」

ホル・ホースはいつの間にか、馬に跨っていた。
そして素早く、躊躇いなく、自分を逃がしてくれた娘に背を向け、馬を走らせていった。


「逃げるのはオメェを愛しているからだぜ、ベイベーッ!!フォーエヴァーになーッ!」
「あっ、あの人・・・・・!」

江里子は思い出した。
あの男は、昨日、J・ガイルを捜してカルカッタの町を歩き回っていた時に遭った男だった。
娘もあの男の連れだった。
アヴドゥルの死のショックと、その後の激しい戦闘のせいですっかり忘れていたが、二人は、カルカッタのアクセサリー屋でJ・ガイルの事を尋ねた、あのカップルだったのだ。
という事は、あの男はあの時、嘘を吐いたのだ。
J・ガイルは知らないどころか仲間だったのに、まるで無関係な他人を装っていたのだ。作戦だったのか何なのか知らないが、正々堂々と闘おうともせずに。
何と姑息な根性をした男だろうか。


「んーーーえいっ!野郎ッ!」

ポルナレフも盛大に苛立ちながら、何とか娘を振り解いて起き上がった。


「待ちやがれっ!」

ポルナレフは逃げたホル・ホースの後を追って、ズンズンと歩き始めた。
だがその腰には、まだ娘が纏わり付いて邪魔をしていた。
しかし、そうは言っても華奢な娘である。
ポルナレフが本気でお構いなしに歩いていく内に、彼の腰にしがみ付いている腕が緩んでいき、ズルズルと崩れ落ち、やがて地面に倒れ込んだ。


「ああっ・・・!」

娘はその拍子に肘を擦り剥き、痛ましい悲鳴を上げた。
酷く擦り剥いたようで、結構な量の血がすぐさま吹き出した。


「『ああっ』じゃねぇ!このアマッ!」

ポルナレフはそんな彼女を心配するどころか、鬱陶しそうにそう吐き捨てたが、ホル・ホースの姿が完全に見えなくなっている事に気付くと、盛大に舌打ちして歩くのをやめた。
尤も、馬で逃げた男を人間の足で追いかけて捕えるなど、そもそも無理な話だったのだが。



「ポルナレフ。その女性も利用されている一人に過ぎん。」

ジョースターがハンカチを裂きながら、娘に歩み寄った。


「それに奴はもう、闘う意思はなかった。構っている暇はない!」

そして、裂いたそのハンカチを包帯のようにして巻き付け、手当てをしてやりながら言った。


「・・・・アヴドゥルはもういない。」

ポルナレフにも、皆にも、そしてジョースター自身にも言い聞かせるような、そんな哀しい口調だった。
アヴドゥルの仇を討とうとあの男を追い回したところで、アヴドゥルはもう帰って来ない。そう言われたような気がした。


「しかし、先を急がねばならんのだ。」
「・・・・・・・・」

ポルナレフは、暗い顔をして俯いた。
罪の意識に苛まれているのであろう事が、見て分かる表情だった。


「もう既に日本を出て15日が過ぎている。」

ジョースターは、娘の腕に巻き付けた包帯をしっかりと結わえた。
その時に、何か飛沫のようなものが飛んだように見えたのは、気のせいだろうか。


「・・・・・ったく!・・・・まあ、しょうがねぇ。」

ポルナレフは一人で先に歩き始め、ふと立ち止まって皆の方を振り返った。


「さあ!エジプトへの旅を再開しようぜ!
良いか!DIOを倒すにはよ、皆の心を一つにするんだぜ!
一人でも勝手な事をするとよ、奴等はそこにつけ込んでくるからよ!良いな!」

どこかで聞いた話だ。
だが、彼がそれを口にするのは、きっととてつもなく心が痛んだ筈だった。
だったらもう、言える事など何もなかった。
それに彼は今、改めて、正式に、仲間となってくれたのだ。
アヴドゥルならきっと、それを喜んだに違いない。そう思えてならなかった。


「・・・・・フッ」
「フフッ・・・・」

承太郎や花京院に目を向けると、彼等は小さく笑った。
江里子も笑い返した。


「先を急ごうぜ!!」
「ふぅ〜。」
「やれやれだぜ。」

ポルナレフに従うような形で、男達は歩き始めた。
しかし娘はまだ、ぼんやりと道に座り込んでいた。
必死の思いでなりふり構わず恋人を助けて逃がしたが、本当に置いて行かれて、途方に暮れてしまっているのだろう。
なまじ顔形の美しい娘なだけに、その姿は何とも憐れで儚げだった。
同じ女の江里子ですら、放っておけないと思ってしまう程に。


「腕、お大事に。元気・・・・、出して下さいね。」

しかし、実際にはどうする事も出来ない。せめて励ましてやる事ぐらいしか。
江里子は出来る限りの気を遣って、娘におずおずと声を掛けた。
娘は返事もせず、ぼんやりとしていたままだったので、江里子は無言で頭を下げ、ジョースター達の後を追おうとした。



「・・・・待って下さい!」

するとその時、娘が突然、江里子達を呼び止めた。


「私も一緒に連れて行って下さい!」
「何じゃと?」

振り返ったジョースターは、少し困った顔をして引き返してきた。


「お嬢さん。すまないが、それは出来んのだ。我々は先を急いでいる。
それに、連れて行ってくれと言うが、一体何処へ連れて行けというのかね?」
「それは・・・・・」

娘は口籠ったかと思うと、急に泣き出した。


「うぅっ・・・・!」
「す、すまない、泣かせるつもりは・・・・・・!」

ジョースターは大慌てで娘に謝った。
しかし、娘は両手で顔を覆ってさめざめと泣くばかりだった。


「うぅっ・・・・、うっ・・・・・・・!」
「おい君ぃ・・・・!頼むから泣きやんでくれ・・・・・!」

その様子に、ジョースターはすっかりお手上げのようだった。
江里子は、ジョースターの腕をつついた。


「ん?何じゃあ?」
「あの人多分、辛い状況なんじゃあないでしょうか?」
「辛い状況?とは?」
「一緒に連れて行って下さいって事は、彼女はきっと、地元の人ではないんでしょう。この町の人なら、家に帰れば良いだけの話なんですから。」
「ふむ・・・・、なるほどな。」
「多分、あの人はよその町の人で、このカルカッタには土地勘がないんでしょう。ホル・ホースにすっかり騙されて、駆け落ちみたいにして家を飛び出して来たのでは?
それなのに置き去りにされて、どうして良いか分からないんじゃあないでしょうか。他に頼る人もいなくて、それで私達に・・・・・・・」
「ふぅむ・・・・・・」

江里子の話を聞いた承太郎が、煙草に火を点けながら口を挟んできた。


「どうだかな。駆け落ちしてきた余所者と決まったもんでもねぇだろう。家は近所だが、単に帰りたくねぇだけかも知らねぇぜ。」
「或いは、僕らにホル・ホースを捜せと言いたいのかも知れませんね。彼の元に送り届けてくれ、と。」
「それは確かに・・・・、そうですけど・・・・・・・」

承太郎や花京院の話も、可能性としては十分に有り得る事だった。


「・・・よし分かった。ならば、彼女を家に送り届けてやる事はしよう。
儂らの進行方向にある町なら連れて行ってやるが、方向違いなら交通費を出してやるだけ。それ以外の手助けは一切出来ん。・・・という事でどうじゃ?」

ジョースターのその提案に異議を唱える者は、誰もいなかった。



「あ〜・・・・、お嬢さん。分かったよ。分かったから、ひとまず泣き止んでくれないか。」

ジョースターが改めて声を掛けると、娘はようやく泣くのを止めた。


「では、君の家まで送って行ってあげよう。但し、儂らにも深い事情がある。」
「事情・・・・・・・・?」
「そうじゃ。儂らはエジプトへ向かう旅をしており、とても急いでおる。君の家がこのカルカッタ近辺か、或いは儂らの通り道にあれば、儂らが君を家まで送って行ってやろう。
しかし、そうでなければ、済まないが送って行ってやる事は出来ん。家に帰り着く為の旅費は出してあげるが、付き添ってやる事は無理だ。」

ジョースターは噛んで含めるように、ゆっくりと、はっきりと、娘にそう告げた。


「また、さっきの男を追いかけて欲しいというような頼みも、聞く事は出来ん。
要するに、家に帰る気があるのなら送ってあげるが、それ以外の場所には連れて行けないという事だ。どうかね?」

娘は少しの沈黙の後、頼りなげな声で答えた。


「私・・・・・・、家に帰ります・・・・・・・。」
「うむ。それが良い。そうしなさい。」

ジョースターは、その答えに満足したように頷いた。


「して、君の家はどこだ?」
「・・・ベナレスです。」

ベナレス。
それは、カルカッタの北西にある、『聖地』と呼ばれる都市だった。




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