星屑に導かれて 19




まだ夜明け前で日も出ていないというのに、レストランには既に客が数組いた。
早くに朝食を済ませ、インドの一日をめいっぱい満喫しようという、アクティブな観光客だろう。
先を急ぐのは自分達も同じだ。但し、観光の為ではないが。
雨粒が窓ガラスに弾けて伝う音を聞きながら、アヴドゥルは、今ここにはいない仲間の事を思った。


「結局、戻って来なかったな・・・・・。」

食事をしながら、ジョースターがボソリと呟いた。
その言葉に、アヴドゥルはスープを飲もうとしていた手を止めた。
コーヒーを飲んでいた承太郎も、花京院も、同じように動きを止め、誰からともなく視線を空席へと向けた。
ポルナレフと、江里子。
二人の席は、ちゃんと用意されてある。
そうしてなまじ綺麗にセッティングされてあるのが、二人の不在を却って強調しているようで、妙に不吉な感じだった。


「二人とも、無事なんでしょうか・・・・・。ポルナレフはともかく、江里子さんは闘えない・・・・・。今頃、どこで何をしているのか・・・・」

とうとう花京院が不安を口に出して言った。
昨日の内は、ポルナレフが江里子を連れて自分から戻って来るのをじっと待っていたのだが、一晩経っても二人が戻らなかった事で、恐らく皆、不安が高まってきたのだろうと思われた。
実のところ、誰よりもアヴドゥル自身が強い不安を感じていた。
闘えない江里子を道連れに無茶をする程、そこまで始末に負えない馬鹿野郎ではない筈、自分のペースで動けない事で多少の冷静さを取り戻し、江里子を連れて戻って来るんじゃないか、そんな風に考えていたのだが、それは単なる願望に過ぎなかったのだろうか。


「まあ、多分無事じゃろう・・・、今のところはな。昨夜は特に何の騒ぎも起きていないようだし、敵もそう遠くへは行っておらん筈じゃ。
まずはポルナレフ一人にターゲットを絞っていたとしても、儂らがまだこの町に留まっているのだ。まだ儂らの近くに、この町にいるのは確かじゃろう。奴はDIOの刺客として、儂ら全員の抹殺を命じられている筈じゃからな。」
「そう・・ですね。確かにそうですよね。二人ともまだ、きっと近くにいる筈だ。」

ジョースターの見解にはいつもながら説得力があり、花京院はそれに幾らか励まされたようだった。
だが、それはあくまで今の時点に限っての事であるのは、言うまでもなかった。


「じゃが、流石にこれ以上悠長にはしておれんな。儂のハーミットで念写して、二人の居場所を突き止めよう。食事が済んだら、全員儂の部屋に集まってくれ。」
「・・・そうと決まれば、さっさと飯を済ませちまおうぜ。」

丁度運ばれてきたばかりの料理を、承太郎がおもむろに食べ始めた。
育ちが良いせいか、不良の割に綺麗な食べ方をする男だが、よく見ていると、何だか今朝はやけに慌ただしく食べている。
何も言わないが、承太郎もきっと焦っているのだ。
冷静さを欠いた状態で一人でいるポルナレフも心配だが、それ以上に非力な江里子の事が心配なのだ。
アヴドゥルには、その気持ちがよく理解出来た。













殆どかき込むようにして朝食を終えてから、一同はジョースターとアヴドゥルの部屋に集結した。そして早速にも、ジョースターがTVで念写を始めた。


「むぅぅんっ!ハーミットパープル!」

TVの画面にノイズが走り、忙しなくチャンネルが変わり始めた。
シンガポールのホテルで行った時と同じような状態だった。
程なくして、TVが語り始めた。


『ポル』
『ナ』
『レフ』
『と』
『エリー』
『は』
『一緒』
『ニ』
『い』
『ナイ』


「何じゃとぉーーーっ!?」

その答えに、まずジョースターが、隣室にまで聞こえそうな程の大声を張り上げて驚いた。


「一緒にいないとはどういう事じゃあ!」
「まさかポルナレフの奴、江里子さんが邪魔になって、何処かに置き去りにしたのでは・・」
「いや、それはない!」

花京院が口にしかけた疑惑を、アヴドゥルは思わず強く否定した。


「・・・・・それはない。ポルナレフは、そんな奴じゃあない。
短気で、お調子者で、すぐ感情的になって、自惚れ屋で、全く始末に負えない男だが、あの男の騎士道精神は本物だ。
敵が間近に迫っていると分かっているのに、か弱い女性を一人で置き去りにしていくような奴ではない。断じて、そんな奴では・・・・・」
「・・・すみません、アヴドゥルさん。言い過ぎました。」
「いや、良いんだ、花京院。君が悪いんじゃあない・・・・。」

アヴドゥルは、力なく首を振った。
ポルナレフの事は信じている。
だが、ポルナレフはどうなのだろうか。
果たして自分は彼に信用されているのか、その自信は、今のアヴドゥルにはなかった。


「・・・一緒にいねぇんなら、別々に調べていくしかねぇだろ。
ジジイ、まずは江里の居所を調べてくれ。」
「分かった。」

承太郎に言われて、ジョースターが再度、TVで念写を始めた。


『エリー』
『は』
『ホテル』
『アリア』
『に』
『い』
『ル』


「ホテル・アリア・・・・・・」

その名前を、承太郎が小さく復唱した。



「ポルナレフはどこじゃ!?」

ジョースターは三度、念写に及んだ。


『ポル』
『ナ』
『レ』
『ふ・・』
『!&%$ё・・・・・』


だが、どういう訳か、今度は何も答えが返って来なかった。


「おい、ハーミット!どうした!?ポルナレフはどこじゃ!?」

ジョースターはまたもや念写を試みたが、TVはザラザラと耳障りなノイズを流すだけで、何も意味のある言葉を紡ごうとはしなかった。


「Oh, shit!! 何てこった、何故何も答えん!?まさか敵にやられて死んだのか!?」
『ポル』
『ナレ』
『フ』
『は』
『死ん』
『デ』
『い』
『ナイ』
「ならばどこにおるのじゃ!?」
『!&%$ё・・・・・』
「ぬぅぅ〜・・・・・、Son of a bitch!! 」

とうとうジョースターはカンカンに腹を立て、TVを放り出してしまった。
頭から湯気を噴きそうになっているジョースターを、承太郎が宥め始めた。


「そう熱くなるな、ジジイ。落ち着いて、ハーミットの出した答えから考えてみな。」
「ハーミットの出した答えから?」
「そうだ。まず、ポルナレフは死んじゃあいねえ。つまり、最悪の事態は起きちゃあいねぇという事だ。」
「むぅ・・・・、なるほど・・・・・」

承太郎の言葉でひとまず安心したのか、ジョースターは落ち着きを取り戻した。


「そして、それも含めて色々と答えておきながら、ポルナレフの居場所となると答えなくなるというのは、ハーミットの調子が悪いせいじゃあねぇ。
つまり、ポルナレフの居場所だけが掴めねぇという事だろう。」
「それはつまり、どういう事じゃ?」
「そこが分かりゃあ苦労はしねぇぜ。だが、何らかの理由で居場所が特定出来ねぇんだろう。」

ジョースターのスタンド、ハーミットパープルは、遠く離れたものまで見通す事が出来る。
日本にいながらにして、エジプトにいる筈のDIOの姿を念写出来る位なのだ。
そのハーミットが掴めない場所というのは、一体どこなのだろうか。
ほぼ確実に、同じ町の中にいる筈なのに。
考えれば考える程、分からなくなるばかりだった。



「・・・・・仕方がない。ともかく、居所の判明しているエリーだけでも迎えに行こう。ホテル・アリアといったな?早速フロントに尋ねて・・」

ジョースターがそう言った瞬間、部屋の電話が鳴った。


「Hello?・・・・・何ぃッ!?エリーの代理人からじゃと!?」

電話を取ったジョースターは、突然、大声を張り上げた。
エリーの『代理人』。
何やら不穏な響きのあるその単語に、アヴドゥルは思わず身構えた。


「分かった、繋いでくれたまえ、うむ・・・・・」

承太郎も花京院も、警戒心を滲ませた厳しい表情で、じっと押し黙るジョースターを見守っていた。
ややあって、外線が繋がり、ジョースターが再び喋り始めた。


「Hello!?・・・・・・エリー!今どこじゃ!?無事なのか!?」

『代理人』と言っていたが、どうやら電話の相手は江里子本人のようだった。


「・・・多分!?そりゃあどういう事じゃ?
・・・・・・なるほど・・・・。それで、君は今、そのホテルなのか!?
・・・・・・・・・・・分かった。儂らの内の誰かが、すぐに迎えに行く。君はそこで待っとるんじゃ。くれぐれも動かないように。」

花京院がジョースターに話しかけようとしたが、ジョースターは片手でそれを制した。どうやら電話はまだ終わっていないようだった。


「Hello? Oh, thank you very much. Yes, please・・・・」

ジョースターは電話をしながら、側にあったメモ帳に何かを書きつけた。そして、礼を言って電話を切った。
礼を言ったという事は、『代理人』というのは、敵のスタンド使いや誘拐犯などの類ではなく、純粋に協力してくれた親切な人なのだろう。そう思うと、ひとまず緊張が緩んだ。


「エリーからだった。今、『HOTEL ARIA』という所にいるらしい。無事なようで、元気そうな声だった。」

電話を切ったジョースターが、皆に向かって報告を始めた。


「昨夜、ポルナレフと二人でその宿に泊まったらしいが、朝起きたら、ポルナレフがいなくなっていたそうだ。多分、一人で敵を捜しに行ったようだと、エリーは言っておった。」
「その『代理人』という奴は?何者だったんだ?」
「宿の主人らしい。このホテルから向こうの宿までの道を教えてくれた。ポルナレフが、エリーの事を頼んでいったようじゃ。
多分、敵の一味ではないだろう。勿論、警戒はしておくべきだろうが。」

やはり自分の見立てに狂いはなかったと、アヴドゥルは少しだけ安堵した。
ポルナレフはやはり、江里子を見捨てるような真似はしなかったのだ。
戻っては来なかったが、今の彼に出来る精一杯の事をしていったのだ、と。


「『HOTEL ARIA』ですね。僕が迎えに行ってきます。」

花京院が、矢も楯も堪らずといった様子で進み出た。
江里子の事が心配で心配で堪らないのだろう。当然だ。愛する女性が一人ぼっちで迎えを待っていると聞かされては。
彼が江里子に対する気持ちを口に出した事は今まで一度もないが、アヴドゥルは気付いていた。
花京院は、江里子を密かに想っている。
そして多分、承太郎も。
気付いているからこそ、アヴドゥルは、己の気持ちを隠し通すしかなかった。
9歳も年上の異国の男よりも、同じ国で生まれ育った同年代の少年の方が、若い江里子には相応しいから。


「うむ、頼む。住所と電話番号はこのメモに書いてある。ここからだと車で20分程で着くそうじゃ。フロントに頼んで、タクシーを呼んで貰いなさい。」
「はい。」
「それから、これはチップじゃ。タクシーの運転手と、向こうの宿の主人に。
特に、タクシーの運転手には弾みなさい。ケチってトラブルに巻き込まれると困る。」
「分かりました。」
「道中、くれぐれも油断するんじゃあないぞ。宿の主人にも、一応の警戒は怠るな。」
「分かっています。行ってきます。」

ジョースターから金とメモを受け取ると、花京院は足早に出て行った。
承太郎は、ついて行こうとはしなかった。彼も自分の気持ちを隠し通すつもりなのだろうか。



「さて・・・・・、あとはポルナレフをどうやって捜すか、じゃな・・・・」

ジョースターのその言葉で、アヴドゥルは我に返った。
愛だの恋だの、今はそんな事を考えるべきではなかった。
江里子とポルナレフ、二人と無事に合流するまでは、真に安堵する事は出来ないのだ。


「どうするんだ、ジジイ?」
「うぅむ・・・・・・・」

ジョースターは暫し、難しい顔をして何事かを考え込んだ。


「・・・・・・・・アヴドゥル、承太郎。二人とも、少し外してくれるか?」

そして、アヴドゥルと承太郎に向かって、そう頼んだ。


「儂のハーミットには、まだ他に使い方があるような気がするのじゃ。そいつを一人になって、少し考えたい。」
「・・・分かった。」
「分かりました。」

拒否など、出来る筈も、するつもりもなかった。
アヴドゥルは承太郎と共に、すぐさま部屋を出た。


「とりあえず、俺の部屋で待とうぜ。」
「ああ、そうだな。」
「・・・しまった、煙草が切れてるのを忘れてたぜ。」

承太郎は小さく舌打ちをした。
そして、学ランのポケットからルームキーを取り出すと、アヴドゥルに差し出した。


「ちょっと買ってくる。先に部屋に入っててくれ。」
「ああ。」

廊下を歩いていく承太郎を少しの間見送ると、アヴドゥルは渡された鍵で承太郎の部屋のドアを開け、中に入った。


「・・・・・・・」

アヴドゥルは窓辺に立ち、降りしきる雨を眺めた。
この雨空の下の何処に、ポルナレフはいるのだろうか。
仇を捜して、今も一人、この雨に濡れながら町を彷徨っているのだろうか。


「ポルナレフ・・・・・・」

一昨日の夜に感じたあの妙な胸騒ぎは、この事だったのだ。
アヴドゥルは今、はっきりとそう確信していた。
向こうから現れた仇。
激しい怒りに我を忘れ、敵の罠の中にたった一人で飛び出して行ったポルナレフ。
彼を止めようと、その後を追っていった江里子。
全ては、『DIO』の意のままに。


「・・・・・」

鍵は、『吊られた男』の逆位置。
暗示は、困難、失敗、そして。


「犠牲・・・・・・・」

アヴドゥルはルームキーを掴むと、足早に部屋を出て行った。
覚悟は、もう決めていた。















雨は少ない季節の筈なのに、昨夜から嫌な雨が降り続いていた。
いっそスコールのように派手な土砂降りなら良かったのに、まるでシェリーが殺されたあの日のような、陰鬱な雨だった。
不吉なその雨の中を、ポルナレフは一人、彷徨い歩いていた。
早朝から商売を始めている店の主人やタクシーの運転手などに、片っ端から両右手の男の事を尋ねて回った。
だが、誰もあの男の事を知らなかった。
それどころか、左手が右手の男などという不可解な説明をするポルナレフの事を、頭がおかしいんじゃないかとばかりに胡散臭そうに見る始末だった。


「ぬぅぅ・・・・・・!」

ポルナレフは苛立っていた。
だが、諦める事は絶対に出来ない。
ようやくここまで接近出来たというのにみすみす取り逃がすなど、絶対に嫌だった。
草の根を分けてでも、必ず、必ず、見つけ出してみせる。
その一念で、ポルナレフは歯を食い縛り、店から店へ、人から人へと聞き込んで回った。
やがて、東の空の端が白み始めると同時に、雨の勢いが弱まってきた。


「何っ!?見ただと!?両手とも右手の男を、確かに見たのか!!」

路上に座り込んでいるルンペンのような老人は、確かにこっくりと頷いた。
駄目元で、半ばヤケクソで訊いてみただけだったので、まさかここで手掛かりを得られるとは思っておらず、ポルナレフは思わず大声を張り上げ、枯れ枝のように痩せこけたその肩を掴んで揺さぶった。


「何処でだ!?」
「へぇぇ・・・・」

老人は、少しぼけているのか、ぼんやりと締まりのない様子で、目の前の通りの向こうを指差した。
既に少なくない数の人間が活動し始めている、夜明けの町の大通り。
そのど真ん中を、男が二人、並んで歩いてくる。


「っ・・・・!!」

見つけた。
遂に見つけた。
妹の、シェリーの仇を。


「ぬぅぅ・・・・・・・!」

男は、黒い雲の隙間から差し込んでくる金色の朝日を浴びて、堂々と歩いてきた。
何と傲慢で、厚かましいのだろう。この男には、たとえ一筋たりとも日の光を浴びる資格など無いというのに。
許せない。
直ちにこの男の魂を身体ごと千の欠片に切り刻み、未来永劫、一筋の光も届かぬ地獄の一番底の暗闇に叩き落してやらねば気が済まない。
ポルナレフは立ち上がり、仇を迎え撃つべく歩き出した。


「あれ?おかしいな。一人見失っただ。今そこにいたのに。」
「っ・・・・!」

老人がぼんやりとした口ぶりで呟くのを聞いたポルナレフは、ハッと足を止めた。


「何っ!?」
「ほれ、その男と一緒にいた・・・」

その時には、既にその男はポルナレフの目の前にいた。
長い金髪の頭にテンガロンハットを被り、左手の指に火を点ける前の煙草を挟んで。
そう、『左手』に。


「チィッ・・・・!」

やられた。
この男はJ・ガイルではない。
それに気付いた瞬間、男は口を開いた。


「銃は剣よりも強し!」
「あ?」
「んっん〜!名言だなぁこれは!」
「あぁ!?あぁ!?何だぁテメェは!?」
「・・・フン。」

男は気障ったらしい仕草で帽子のひさしを上げ、顔を見せた。


「ホル・ホース!俺の名前だぜ。エンペラーのカードを暗示するスタンド使いって訳よ。アンタらを始末して来いと、DIO様に金で雇われたって事さ。」

ポルナレフはうんざりと溜息を吐いた。


「おい田舎モン!テメェの自己紹介は必要ないぜ!」
「っ・・・・!」
「両右手の男を知ってるのか?」
「勝手な野郎だ!アンタが訊いたから答えたんだ!フッ・・・、まあ良い。」

ホル・ホースと名乗った男は、煙草を咥えながら答えた。


「・・・・・奴とは一緒に来た。」
「っ!!」
「近くにいるぜ。」
「何・・・・・!?どいつだ!?」

ポルナレフは、忙しなく辺りを見回した。


「それこそ言う必要のねぇ事だぜ。このホル・ホースが、あんさんを始末するからな。」

全く、愚かな男だった。
自分が優位に立っていると思っているのだ。
残念ながらそれは見立て違い、自惚れに過ぎないというのに。
ポルナレフは小さく笑った。


「・・・・オメェのようなカスは皆そう言うぜ。そしていつも逆にやられる。」
「フッフッフッフッフ」
「ほぉ!?おかしいか?」
「DIO様が言ってたぜ。ポルナレフって野郎は、人を甘く見る性格してっから、俺になら簡単に倒せるってな。」
「っ・・・!」

ポルナレフは、思わず言葉に詰まった。
ホル・ホースの声に、一瞬、アヴドゥルの声が重なって聞こえたような気がして。


「その通りなんで、思わず笑っちまったぜ。ヘッヘッヘ。」

いや、気のせいだ。
雑魚が精一杯の虚勢を張っているだけ、単なる挑発だ。
ポルナレフは自分にそう言い聞かせ、気を取り直した。


「貴様を先に倒さなきゃ、奴に遭えねぇんならそうしてやる。かかってこい!」

今度はポルナレフが余裕の笑みを浮かべて、挑発し返した。
だがホル・ホースは、その場に立ったまま、微動だにしなかった。


「軍人将棋ってあるよなぁ!?戦車は兵隊より強いし、戦車は地雷に弱いんだ。ま、闘いの原則ってやつよ。」

眩しく昇ってきた朝日を背に、ホル・ホースはひたすらクドクドと喋っていた。


「このホル・ホースのエンペラーは、あんさんより強いから、俺のスタンドの能力を闘う前に教えといてやるぜ?」

そして、指で鉄砲の構えを作って、気障ったらしいポーズまで決めてみせた。


「銃は剣よりも強し!!んっん〜!名言だなぁこれは!」

さっきも聞いた台詞である。
いちいち芝居がかって鬱陶しい男だ。
僅かな時間も惜しみたいこちらの気持ちを知っていておちょくるかのようなこのふざけた態度に、ポルナレフは本気で苛立っていた。


「・・・さっきから何が言いてぇんだ?」
「俺のスタンドはハジキだ。ハジキに剣では勝てねぇ。」
「なに!?『おはじき』だぁ!?ワーッハハハ!!!」

ポルナレフは、大声で笑った。


「イィーッヒヒヒヒ!!」

すると、ホル・ホースも同じ位の大声を上げて笑った。
二人はそのまま、ひたすら大笑いした。
手を叩き、腹を抱えて笑い転げる二人を、周りの人々が『何だコイツら』とばかりに怪訝そうに見ている。
しかし、足元の水溜りに雨水が一滴、ポチョンと落ちたその瞬間、突如、二人の顔付きが変わった。


「「テメェ、ぶっ殺す!!!」」

二人同時に吐いたこの言葉が、二人の闘いの幕を切って落とした。


「甘く見たな、ポルナレフ!!」

僅かに速かったのは、ホル・ホースの方だった。
ホル・ホースは煙草を吐き捨て、エンペラーを発動させた。


「やはりテメェの負けだ!!!」

エンペラーの銃弾は、ホル・ホースの吐き捨てた煙草を弾き上げ、唸りを上げてまっすぐポルナレフに襲い掛かってきた。
そう。
ホル・ホースのスタンド、『エンペラー』は、拳銃だった。
手品のように突然、ホル・ホースの掌に現れたその銃に、ポルナレフは驚いた。
確かにエンペラーは素早い。
驚いてしまったのもあって、シルバーチャリオッツを発動させるのが、一瞬遅れてしまった。
だが生憎と、スピード勝負で負ける気はしなかった。


「甲冑を脱ぎ捨てればッ・・・・!これしきの弾丸・・・・・!」

甲冑を外したシルバーチャリオッツは、十分な間合いをもってエンペラーの弾丸の前に立ちはだかり、迎え撃とうとした。
位置も、タイミングも、十分に正確に合っていた。
トップスピードのチャリオッツについてこられるのは、恐らく、スタンドの中でも承太郎のスタープラチナ位のものだろう。その絶対的な自信が、ポルナレフにはあった。
だが。


「何ィィィッ・・・・!?」

銃弾はいきなり軌道を変え、チャリオッツの剣の下を潜り抜けた。


「フン。」

焦るポルナレフとは対照的に、ホル・ホースは得意げな笑みを浮かべていた。


― ば、馬鹿な・・・・!軌道が曲がった・・・・!し、しまった・・・・・!


あらぬ方向に軌道が逸れた筈のエンペラーの弾丸は、いつの間にかまた軌道を戻し、ポルナレフの眉間をまっすぐ狙ってきていた。
この弾も、スタンドなのだ。
ホル・ホースの意思によって自在に操れる。
何故、今の今までそれに気付かなかったのだろう。
目の前に迫り来る弾丸を、ポルナレフはなす術もなく呆然と見ていた。



「ポルナレフ!!!」
「おわぁっ・・・・・!」

突如、誰かがポルナレフを突き飛ばした。
ポルナレフの眉間を外した弾丸は、また思いきり逸れて空に飛び上がっていったが、ポルナレフはそれに気付かなかった。
自分を突き飛ばし、一緒になって地べたに転がった『誰か』に驚いていたせいで。


「うっ・・・・・・、な・・・・!?アヴドゥル・・・・・!」
「心配して来てみりゃあ、言った事じゃあない!!自惚れが強すぎるぞポルナレフ!!」

アヴドゥルは身を起こしながら、厳しくポルナレフを諌めた。


「し、心配だと!?」

ポルナレフも立ち上がり、声を荒げた。


「このヤロ、まだ説教するつもりか!!」
「相手はお前を知り尽くしているんだぞ!!」

アヴドゥルも立ち上がり、更に言い返してきた。


「お前は一人で生きてきたと言ったが、これからはお前一人では勝てんぞ!!」
「うっ・・・・・・」

アヴドゥルは昨日よりも更に厳しく、そしてポルナレフは、昨日程には言い返せなかった。
何故なら、アヴドゥルに助けられていなければ、今頃は眉間を撃ち抜かれて死んでいたからだ。
それと分かっているからこそ、昨日のようには言えなかった。


「・・・フン、とんだところで邪魔が入ったが・・・・」

ホル・ホースが、落ちてきた煙草を口でキャッチしながら言った。
その言葉で、ようやくポルナレフとアヴドゥルは気付いた。
闘いはまだ終わっていないという事に。


「どけ、ポルナレフ!!弾丸が戻って来る!!」

アヴドゥルは、ポルナレフを庇うように突き飛ばした。
そして、空中で大きく曲がって方向を変え、再び襲い掛かってくる弾丸に向かって対峙した。


「マジシャンズレッド!!」

灼熱の炎の熱気が、たちまち辺りに立ち込めた。
触れるもの全てを焼き尽くす、紅蓮の炎。
悔しいが、震えがくるほど頼もしいと思った。
それなのに、何故だろうか。


「焼き尽くしてやる!!」
「・・・・フン!」

2対1になったというのに、何故か益々余裕めいた笑みを浮かべているホル・ホースに、ポルナレフはまた、拭いきれない不安をも感じていた。
















「着いたヨ。『HOTEL ARIA』、ここネ。」

車を停めると、タクシーの運転手は愛想の良い笑顔で花京院を振り返った。


「じゃあこれで。」
「ありがとネー!」

花京院は運賃にチップを加えて、運転手に差し出した。
ジョースターの指示通り多めに出すと、運転手は更に顔を輝かせた。


「すぐに連れを連れて戻ってくるので、ここで待っていてくれないか?『HOTEL.GRAND』に戻って欲しいんだ。」
「O.K.!O.K.!」
「ありがとう!」

花京院は飛び出すようにしてタクシーを降り、目の前の宿屋に飛び込んだ。


「花京院さん!!」

エントランスホール、とはお世辞にも呼べないのだが、とにかくそこに江里子はいた。
駆け寄る花京院に応えるかのように、江里子もまた、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がり、花京院に駆け寄ってきた。


「江里子さん!良かった、無事で・・・・・!」
「すみません、ご迷惑をお掛けして・・・・・!」
「良いんですそんな事、とにかく無事で本当に良かった・・・・・・!」

思わず抱きしめそうになったのを、花京院は何とか堪えた。
見た限り、江里子は怪我も無く、大丈夫そうだった。
ポルナレフと一晩一緒だった筈だが、何かあったような様子も感じられなかった。
安心しかけたその時、ふと、江里子のブラウスの胸元が少し裂けているのが目に付いた。


「江里子さん、その・・・、失礼ですが、ブラウスの胸元が破れていませんか?」
「あ・・・・!こ、これは、ちょっとその、引っかけちゃって、あはは・・・・!」

遠慮がちに指摘すると、江里子は慌てたようにせかせかと笑い、胸元を手で隠した。


「・・・・本当に、引っかけて破いてしまっただけなのですか?」

花京院が再度尋ねると、江里子は一瞬、ハッとした顔になった。
だが、その目は少しも泳がなかった。


「・・・・本当です。」

確かめる術はなかった。江里子本人がここまではっきりと断言している以上、これ以上勘繰る訳にはいかなかった。
それをしてしまえば、生まれて初めて得る事の出来た大事な何かが、ひび割れて壊れてしまう気がして。


「・・・・そうですか。だったら良いんです。怪我でもしたのかと思って。失礼しました。」
「いえ・・・・。本当に、ご心配をお掛けして・・・・・。」

嫉妬と疑惑に喘ぐ自分自身を押し殺し、ともかく江里子が無事だった事だけを喜べと言い聞かせて、花京院は受付カウンターの奥にいる老人に歩み寄っていった。


「すみません、Mr.ジョースターの使いの者です。ご連絡ありがとうございました。」
「ああ〜、いやいや。」
「すみませんが、電話をお借り出来ますか?」
「ああ、良いよ。」

花京院が幾ばくかの金を差し出して頼むと、老人は快く電話を貸してくれた。
掛ける相手は勿論、ジョースターである。
『HOTEL.GRAND』に電話を掛け、交換手にルームナンバーを告げて待つ事僅か、すぐにジョースターが電話に出た。


『Hello?』
「もしもし?ジョースターさんですか?花京院です。」
『おお!花京院か!』
「今、『HOTEL ARIA』に着きました。江里子さんは無事です。」
『本当か!それは良かった!・・・だがな、今度はアヴドゥルがいなくなった。』
「何ですって?」
『考え事があって、少しの間、部屋を出ていて貰ったのだ。
そのほんの僅かな間に、誰にも何も告げず、ホテルからいなくなった。』

嫌な予感が、花京院の背筋を走った。
アヴドゥルは、思い付きで衝動的な行動に出る男ではない。自由気ままなポルナレフとは、まるで真逆の性格をしているのだ。
その彼が、らしくもない無鉄砲な単独行動に出た。
ポルナレフが抜けていった時は、多少の苛立ちや失望も感じたが、今は違う。
苛立ちよりも何よりも、強い不安が花京院を襲っていた。


『アヴドゥルはきっと、ポルナレフを捜しに行ったのだ。』
「場所が分かったのですか?」
『いや、分からんままだ・・・・。』
「では、アヴドゥルさんも何処へ行ったか・・・・・」
『うむ・・・・・・・』

電話の向こうで、ジョースターは少しの間、不安げに押し黙った。
しかし、すぐに気を取り直したように、力強い声で話し始めた。


『だが、まだそう時間は経っていない。儂と承太郎は、これから手分けして町の中を捜す。花京院、君もそのまま、エリーと一緒に捜してみてくれ!』
「分かりました!」

電話を切って振り返ると、江里子が心配そうな顔をしていた。


「花京院さん、今の電話・・・・・・・」
「アヴドゥルさんが、一人でポルナレフを捜しに出たようです。」
「アヴドゥルさんまで・・・・・・・」

江里子は震えるような溜息を吐いた。


「僕らも捜しに行きましょう、アヴドゥルさんと、ポルナレフを!」
「はい!」

しかし、江里子は気丈だった。
旅に出たばかりの頃とは、何かが違ってきている。
彼女の中で、何かが変わりつつある。
強い気力の漲ったその瞳に、花京院は力強く頷き返した。














花京院は江里子と二人、町の中を駆け抜けた。
雑然とした通りの中に、アヴドゥルとポルナレフの姿を捜して。


「すみません!男の人を見ませんでしたか!?シルバーブロンドの男性か、頭に白いターバンを巻いた男性・・・・・!」

江里子は通りすがりの人達に、ポルナレフとアヴドゥルの事を訊いて回っている。
だが、二人を見掛けた者は、この辺には誰もいないようだった。


― 何処だアヴドゥルさん、ポルナレフ・・・・!さっきから嫌な予感が・・・・!

時間が経てば経つ程、不安はより一層強くなってきていた。


「おい!あっちで妙なケンカしてるぞ!!」

その時、近くで見知らぬ誰かの声が上がった。


「ん!?」

野次馬根性丸出しの、興味津々なその声を聞き止め、花京院は振り返った。
妙なケンカという言葉に、直感が働いた。


「江里子さん、こっちです!」
「はい!」

花京院は江里子を呼び寄せると、声のした方に走って行った。
通りを駆け抜けて、路上駐車の車の陰から飛び出すと。




「うっ・・・・!」

向こうの通りに、アヴドゥルがいた。
臨戦態勢を取っている彼の姿を目に留めた瞬間、彼の後ろにある水溜りに、不気味なミイラ男の姿が映った。
ミイラ男は、手首からナイフを出して、彼の背中に突き立てた。


「ぬおっ・・・・!」

水溜りの中で、ミイラ男がナイフを深々と突き刺すと、アヴドゥルの背中から血が噴き出した。


「水溜りに・・・・!」

アヴドゥルも気付いたようだったが、その時にはもう遅かった。
仰向けに倒れ込んだ彼の額に、何処からともなく飛んできた弾丸が命中した。
それらの全てが、何もかもが、ほんの一瞬の出来事だった。
ただ、彼の白いターバンが千切れて落ちる様だけが、妙にスローだった。


「何・・・・・!?」

彼のすぐ側にいたポルナレフが、目を見開いて立ち尽くしていた。


「あぁ・・・・・!」

花京院もまた、倒れていくアヴドゥルを、呆然と見守る事しか出来なかった。
そして、血染めのターバンが地に落ちた瞬間、水溜りに映っていたミイラ男は消えた。



「・・・・アヴドゥルさん!!」
「いやああーーーっ!!!」

花京院の叫び声に触発されたかのように、江里子が甲高い悲鳴を上げた。
倒れたアヴドゥルの周りに血溜りが広がっていくのを見て、周囲の野次馬達は怖がり、一目散に逃げていった。


「ほう?こいつはツイてるぜ!!」

蜘蛛の子を散らすように野次馬達が逃げていった中で、たった一人残った男が、銃を手に機嫌の良さそうな声を発した。


「俺の銃とJ・ガイルの鏡は、アヴドゥルの炎が苦手でよぉ!
一番の強敵はアヴドゥルと思ってたから、ラッキー!この軍人将棋は、もう怖い駒はねぇぜ!」

つまりこの男は、敵なのだ。
ポルナレフの妹の仇と組んで、復讐に我を忘れているポルナレフを孤立させ、闘いを仕掛け、そしてアヴドゥルを倒した。
しかし今は、そんな事などどうでも良かった。
この男に一瞥をくれる余裕すらなかった。


「アヴドゥルさん!!」

花京院はアヴドゥルに走り寄り、助け起こした。


「アヴドゥルさん!!」

江里子も走り寄って来て、アヴドゥルの身体を揺すった。
しかし、アヴドゥルは返事をせず、目も開けなかった。


「はッ・・・・!?」

彼を抱き起こした自分の手にベッタリと血がついているのを見て、花京院は息を呑んだ。


― け、怪我をしているだけに決まっている、軽い怪我さ。


「アヴドゥルさん!アヴドゥルさん!しっかりして下さい!」

江里子が、泣きながらアヴドゥルを揺さぶり続けている。


「アヴドゥルさん!アヴドゥルさんってば!!」


― ほら、喋り出すぞ、今にきっと目を開ける。アヴドゥルさん、そうでしょう・・・・!?


花京院もアヴドゥルを揺さぶった。
だが、彼は起きなかった。


― 起きてくれるんでしょう・・・・!?


背中を刺されただけなら、きっと起きたに違いない。
だが、頭を銃で撃ち抜かれて『起きられる』人間など、いるのだろうか?


「アヴドゥルさん!!起きてくれ!!頼む!!アヴドゥルさん!!」
「ううっ・・・・・・!ううぅぅッ・・・・・・・!」

花京院が叫ぶと、江里子が悲痛な声で咽び泣き始めた。
花京院も、そして江里子も、もう認めてしまったのだ。
アヴドゥルは、死んだのだと。
花京院は、アヴドゥルをそっと地面に横たえた。
すると、彼の全身から蒸気が上がった。マジシャンズレッドの炎の余波だろうか。
それがまるで、魂が抜け出ていく様のように見えて、花京院は堪え切れず肩を落とした。


「くっ・・・・・!」


― 馬鹿な・・・・、簡単すぎる・・・・!呆気なさすぎる・・・・!!


「いやぁ・・・・・!アヴドゥルさん・・・・・!アヴドゥルさぁん・・・・・!」

唐突に無念の死を遂げたアヴドゥルも、彼の亡骸に縋って号泣する江里子も見ていられず、花京院は俯けた顔を更に背けた。


「・・・・・・ペッ」

ポルナレフがおもむろに唾を吐き捨て、その辺りの砂を蹴り上げた。
そして背を向け、蔑むように吐き捨てた。


「説教好きだからこうなるんだぜ。何てザマだ。」
「な・・・・!何だと、ポルナレフ・・・・・!?アヴドゥルさんはお前を心配して・・・・!」
「誰が助けてくれと頼んだ!!お節介好きのしゃしゃり出のくせに、ウスノロだからやられるんだ。こういう奴が足手纏いになるから、俺は一人でやるのが良いと言ったんだぜ!!」
「きっ・・・・、貴様・・・・・!助けて貰って、何て奴だ・・・・!」

聞き捨てならなかった。もう勘弁ならなかった。
恐らく命を懸けて助けてやったのであろうアヴドゥルには悪いが、今すぐこの場で、この手で、ポルナレフの息の根を止めてやりたいと思った。
だが。


「あっ・・・・・?」

ポルナレフの足元に、水滴が滴り落ちていた。
また雨が降り出したのかと一瞬思ったが、違った。
その水滴は、ポルナレフの足元にしか落ちなかった。


「うっく・・・、うっ・・・・くっ・・・・・」

そのうち、ポルナレフは小刻みに震え始めた。


「・・・・迷惑なんだよ・・・・・」

低く掠れた声を絞り出すようにしてそう呟いた後、ポルナレフは振り返った。
その顔を見て、花京院は言葉を失った。


「自分の周りで死なれるのは・・・・!!」
「ポルナレフ・・・・・」

ポルナレフは、泣いていた。


「すげぇ迷惑だぜ・・・・・!この俺は・・・・・!!!」

人目も憚らず、とめどなく涙を溢れさせて。



















「ヒッヒ!濃い顔に似合わず、あっさり死んじまったなぁ!」

ホル・ホースだけが笑っていた。卑怯な手口を使ってアヴドゥルを殺しただけでは飽き足らず、その死までをも愚弄していた。
耳障りなその笑い声に、江里子は泣き濡れた顔をはね上げ、ホル・ホースを睨みつけた。


「ま、人生の終わりってのは、大抵の場合、あっけない幕切れよのぉ!
さよならの一言もなく死んでゆくのが、普通なんだろうねぇ!」

しかしホル・ホースは、江里子の視線など全く気にも留めず、煙草を落として踏みつけながら、相変わらず一人、芝居の台詞めいた事をとうとうと喋り続けていた。
分かっている、これは挑発だ。
だが、そうと分かっていても、耐え難い程憎らしかった。口ぶり、言い回し、態度、笑い声、何もかもが。
このホル・ホースという男は、何と人を食った奴なのだろう。
人の怒りを誘発し、感情を掻き乱すのがとてつもなく巧い。
自分ですらこれ程昂るのだ。ポルナレフはきっと・・・・・


「ポルナレフさん・・・・」

心配になって目を向ければ、案の定、ポルナレフが拳を握って震えていた。


「ヒッヒ!悟ったような事を言うようだがよぉ!」

ポルナレフは拳で涙を拭い、赤く泣き腫れた目をしながらも、ホル・ホースに向かっていった。


「ポルナレフさん!」
「ポルナレフ!!相手の挑発には、乗らないで下さい!!」

江里子と花京院は、彼を引き留めようと必死になった。
しかしポルナレフは、江里子達を無視して歩いていった。


「まだ分からないのですか!!アヴドゥルさんは言った!一人で闘うなと!!」
「っ・・・・・・!」

花京院の叱責で、ポルナレフはようやく立ち止まった。


「貴方はそれを無視した・・・。貴方は相討ちしてでも、仇を討つと考えている!
アヴドゥルさんはそれを心配して、貴方を追ってこうなった!!」
「・・・・くっ・・・・・、俺に、どうしろというのだ・・・・・!」
「ここは一旦退くのです・・・・!」
「・・・・アヴドゥルは背中を無残にも刺された・・・・・。妹は無抵抗で殺された・・・・・・!この無念を、抑えて逃げろというのか・・・・・!?」

喉から血を絞り出すかのような、無念の声だった。
その声を聞いた途端、江里子の瞳からまた涙が溢れてきた。


「あいつらのスタンドの性質が分からない内は闘うな!!自分も死ぬような闘いはやめるんだ!!アヴドゥルさんはそれを言っているのだ!!」

感情的になり、ただ泣く事しか出来ない江里子とは違い、花京院は必死でポルナレフを落ち着かせようとしていた。
今この場において、彼のその冷静さはとてつもなく頼もしかった。
怒りと悲しみに支配されている頭でも、それは分かった。
だからきっと、ホル・ホースにとっては厄介だったのだろう。


「ハァイ!カモーン!!ポルポルくぅ〜ん!?」

花京院の説得を邪魔するかのように、ホル・ホースは更に分かり易い挑発を仕掛けてきた。子供じみた低レベルな挑発だが、だからこそ、効果は抜群だった。


「野郎ォォ・・・・・・!!」

ポルナレフは爪が掌に食い込みそうな程に拳を固く握り、肩を震わせた。
本気で、本気で怒っているのだ。
そのあまりの激昂ぶりに、江里子は思わず恐怖した。


「ポルナレフ!!ゆっくり僕らの所まで戻って来るんだ・・・・!あのトラックで逃げる・・・・!」
「お・・・、抑えろというのか・・・・・!?」

ポルナレフが、アヴドゥルの亡骸に目を向けた。
肩で息をしながら、握った拳を震わせながら。


「戻って来て・・・・、お願い、ポルナレフさん・・・・・・!」

江里子も口添えをした。
花京院と共に、縋るように彼を見つめ続けた。


「・・・・・・わ、分かった・・・・・・」

やがてポルナレフは、小さな声でそう呟いた。
良かった、と喜びかけたその瞬間。



「ヒッヒ!おい、ポルナレフ!!」

花京院でもホル・ホースでもない、別の男の声がした。
知らない男の声だった。


「フハッ!フハハッ!!」
「うぅ・・・・!うぅぅ・・・・・!」

ポルナレフは目の前の建物の窓ガラスを、目を見開いて見つめている。
そこに映っているのだと、江里子は悟った。
自分の目には見えないが、そこに映っているのだ。
『吊られた男』が。


「アヴドゥルはお前の為に死んだ!」

ポルナレフは凄い勢いで後ろを振り返り、水溜りに目を向けた。


「アヴドゥルに、借りが出来たって事かなぁ!?お前がいなけりゃ、死ななかったかもなぁ!?ヘッヘヘヘヘ・・・・・!」
「や、野郎・・・・・!本体はどこにいやがる!!」

ポルナレフはホル・ホースに向かって怒鳴った。


「ポルナレフ、落ち着け!!」

花京院がまた呼びかけた。
だがポルナレフは、こちらに戻って来ようとはせず、窓ガラスに目を向け、立ち尽くしていた。


「でも、悲しむ必要はないなぁ?喜ぶべきだと思うぞぉ?すぐに面会出来るじゃあないか。」
「う・・・・・・・」
「お前も死んで、あの世で、マヌケな二人と一緒になぁ!?アッハハハハハ!!」

厭な笑い声が響き渡った。


「お前の妹は可愛かったなぁ!?ポルナレフぅ〜!?」
「うぅ・・・・・・・!」
「妹にあの世で再会したら聞かせて貰うと良い、どうやって俺に殺して貰ったかをなぁ!」
「うぅわあぁぁぁーーーーッ!!!」

ポルナレフは叫び声を上げた。
半狂乱状態だった。


「ポルナレフ、挑発に乗るなぁーーっ!!誘っているんだぁーーっ!!」
「ポルナレフさん!落ち着いてーっ!」

花京院と江里子が必死で止めたが、もう遅かった。


「ヤロオォォーーーッ!!!!」

ポルナレフはシルバーチャリオッツを発動し、窓ガラスを粉々に砕いた。
割れたガラスは無数の破片となり、キラキラと光りながら地に落ちてゆく。
その中の一つを見て、ポルナレフがまたハッと息を呑んだ。


「・・・クフフフッ。お前のチャリオッツに、我がハングドマンは斬れない。」

地に落ちたガラス片は、更に砕けて細かく散った。


「俺は鏡の中にいる。お前のスタンドは鏡の中に入れない。だからだ!フハハハハ!!」

突如、ポルナレフの右肩に痕が付いた。まるで人の手指のような形の痕が。


「悔しいか!?悔しいだろうなぁ〜!おーいホル・ホース、撃て!このアホをとどめるとしよう!」
「アイアイサー!」

ホル・ホースも、まるで銃を持つようにして手を構えた。


「ヘヘッ。」
「うぅっ・・・・!」

その手の中には何もないというのに、死の予感が色濃く立ち込めていた。
ホル・ホースの手の中には、江里子の目には見えない銃があった。
その銃口が、凍りついているポルナレフを狙っている。
そう、ポルナレフは絶体絶命だった。


「・・・江里子さん、今すぐ後ろのトラックに乗って下さい。」

その瞬間、花京院が小声で喋った。


「え・・・・・?」
「トラックの助手席に。早く。」
「は・・・、はい・・・・・!」

何だか分からないが、言う通りにしなければならない。
そう思った頷いたその瞬間。


「・・・ヘヘッ」

ホル・ホースが、『トリガー』を引いた。


「死ね。」

『吊られた男』の声がした。
そして。


「エメラルド・スプラッシュ!!」

何と驚くべき事に、花京院のハイエロファントグリーンまでもが、ポルナレフを攻撃した。


「「何っ!?」」

これには敵も驚いたようだった。


「江里子さん・・・・・・!」
「あっ・・・・、はいっ・・・・!」

花京院に腕を引っ張られ、江里子は我に返った。


「ぐっ・・・!?ごはぁぁっ・・・・・!」

ポルナレフは派手に吹き飛び、全身から血を噴き出させたが、花京院は構わず江里子を引っ張り、車に乗り込んだ。
ドアは開いていたので、難なく乗り込む事が出来た。


「何と・・・・、ポルナレフを・・・・!?」
「撃ちやがった・・・・・!」

あまりに予想外だったのか、敵の方はすっかり混乱していた。
その隙に、花京院は車のエンジンをかけていた。


「花京院さん・・・・・・、まさか・・・・・」

花京院の狙いはこれだったのだ。
敵の度肝を抜き、混乱させ、その隙に逃走準備を整える。
この一触即発の状況で、何故こんなにも頭が回るのだろうか。
何という明晰な頭脳なのだろう。
江里子は彼の白皙の横顔を、呆然と見つめた。


「江里子さん、そちら側のドアはしっかりロックして!」
「あ、はっ、はいっ!」
「いきますよ!ちょっと荒くなりますから、しっかり掴まっていて!」
「はっ、はいっ・・・・・・・!きゃあっ・・・・・・・!」

江里子が手近な所に捕まると、花京院は車を急発進させた。
そしてそのまま、猛スピードでポルナレフの方に走り始めた。
ポルナレフは、どうにか起き上がったところだった。
そこへ突っ込んでは、ポルナレフを轢き殺してしまう。


「危ないッ・・・・・!」

江里子は思わず悲鳴を上げた。
しかし花京院は、蛇行しながら彼のすぐ側ギリギリを走り、ドアを開けて手を差し出した。


「えぇぃっ・・・・・!」

そしてポルナレフは、その手をしっかりと掴んだ。


「ぐぅッ・・・・・・・!」
「ううっ・・・・・、くぅっ・・・・・・!」
「きゃあっ・・・・・・・・!」

花京院が引っ張り上げ、ポルナレフが地面を蹴り身を乗り出して、どうにかポルナレフは無事に車の中、花京院と江里子の膝の上に乗り込んだ。


「ポルナレフ、早くちゃんと座って・・・・・・・・!」
「ちょ、ちょっとポルナレフさん・・・・!変なとこに顔埋めないで・・・・!」
「す、すまねぇエリー!そんなつもりじゃ・・・・・!くっ・・・・、狭ぇ、この車・・・・・・!」
「いたっ、いたたっ!痛い、ポルナレフさんッ!」
「わ、悪い・・・・!」
「早く座って下さい!前が見えない!」
「わ、悪い・・・・・!!」

ドタバタする事暫し。



「・・・・・・やれやれ。どうにか逃げられたようですね。」

運転席に花京院、助手席に江里子、間にポルナレフという形で、どうにか収拾がついた。
花京院はバックミラーで後方を一瞥し、安堵の溜息を小さく吐いた。
ミラーには、横たわっているアヴドゥルの姿と、ホル・ホースの姿が映っていた。
しかしホル・ホースには、追って来る様子は見受けられなかった。


「・・・・す、すまねぇ、花京院、エリー・・・・」

ようやく落ち着きを取り戻し、ポルナレフは沈んだ声で詫びた。


「お、俺は・・・・、俺の妹の仇を取れるなら、死んでも良いと思っていた。
でも、分かったよ・・・・。アヴドゥルの気持ちが分かった・・・・。
奴の気持ちを無駄にはしない・・・・・。生きる為に闘う!!」

花京院が少しだけ目を見開いた。


「・・・・本当に分かったのですか?」
「ああ・・・・・」

ポルナレフが神妙な面持ちで頷いたその瞬間、花京院は突然、彼の顔面にエルボーの一撃を入れた。


「ごあぁ・・・・・!」
「きゃああっ!」

痛恨の一撃だったのか、ポルナレフは盛大に鼻血を噴き、江里子の方にもたれかかってきた。


「これは仲直りの握手の代わりだ、ポルナレフ・・・・・」

まるでギャグみたいな様相になっているポルナレフとは対照的に、花京院は真剣だった。
花京院は、泣いていた。


「花京院さん・・・・・・」
「あ、あぁ・・・・、サンキュゥ、花京院・・・・・ゴハッ・・・・・」

ダウンしたポルナレフが、江里子の肩に頭を乗せてきた。
それを、少し乱暴な仕草で髪を掴んでまっすぐに立て直しながら、花京院は呟いた。


「今度奴等が襲ってきたら、僕達二人が倒す・・・・・!」
「私も、お供します・・・・・・・!」

江里子は、間に挟まっているポルナレフを肘で押しのけると、少し身を乗り出し、涙の浮かぶ花京院の瞳をまっすぐに見つめて頷いた。


「江里子さん・・・・・・・・!」

花京院は一瞬、江里子の方を見て頷き返すと、片手を差し出してきた。
これは、決意の握手だ。
江里子は自分の両手で、その手を包み込むようにしっかりと握りしめた。


「あの・・・・・、俺だけ・・・・・この扱い・・・・・・?」

間に挟まっているポルナレフが、泣きそうな声を出した。




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