星屑に導かれて 15




列車に揺られること1日半、一行は無事に終点のハジャイに到着し、その日はそこで1泊した。
その翌朝、スピードワゴン財団のサポートチームから衣類や医薬品等の物資、現金等の提供を受け、車を借りてタイを更に北上した。
ポルナレフが運転する車に乗って5〜6時間程も走っただろうか。
着いた所はビルマとの国境の町、ラノーンだった。



「さて。ひとまずはここで一区切りを迎えた訳だ。」

目についた喫茶店に入って腰を落ち着けると、ジョースターの主導の下、早速ミーティングが始まった。


「まだ夕方の4時前だが、今日はここで足を止めて1泊する。
スピードワゴン財団に頼んであるクルーザーが、今夜、ここの港に到着する予定になっておるのだ。
明日は朝からその船で国境を越え、ビルマの首都・ラングーンへ向かおうと思う。
明日の朝に出発して、到着予定は明後日の夕方頃になるようだ。
と、それが当面の予定でだな・・・・」

ジョースターは、広げていた地図を畳んでポケットにしまい込んだ。


「差し当たって今日これからの予定だが、この町はタイでも有名な温泉街なのだ。
ほんの僅かとはいえ、折角滞在するんだ。ひとつ、温泉を楽しもうじゃあないか。」
「喜んでお供しますよ。」
「良いですね。日本の温泉とどう違うのか、楽しみだな。」
「おおーっ!俺実は、温泉って初めてなんだよ!」
「フン。」

ジョースターの提案に異議を唱える者は、誰もいなかった。


「こんな所で温泉に入れるなんて、思ってもみませんでした!うわぁ、楽しみです!」

そして勿論、江里子も。
今は比較的過ごし易いシーズンとはいえ、この辺りは熱帯の国。それなりに汗は掻いている。
しかもシンガポールを出てからこちら、入浴事情はあまり良くなかったのだ。
列車の中は簡易シャワー、ハジャイのホテルも建物全体が古くて、バスルームもそれなりだった。
シンガポールや香港のホテルが別格だった事は分かっている。
ここから先は、バスルームどころかトイレすらままならないような発展途上国が連なっているのだ、どうしたって慣れねばならないのだが、それでもやはり、一抹の不安は消せない。
そこへきてこの予期せぬ温泉は、江里子にとって決して小さくない朗報だった。

















では早速という事で喫茶店を出たものの、ひとまず一行は足を止める事となった。
敵の襲撃があった時の事を考えて、不特定多数の人間が出入りする公共の外湯を利用するのは避け、温泉を引いている宿に泊まり、そこの浴場を貸し切ろうという事になり、喫茶店の店主に心当たりを聞いたジョースターが今、そのホテルに掛け合っている最中なのである。
従って、彼の交渉を待つ間、江里子達は特にする事もなく、思い思いにそこら辺で佇んでいた。
喫煙の習慣がある承太郎とポルナレフは、向こうの通りの端で煙草を吸いながら談笑しているし、花京院はスケッチブックを開いて何やら熱心にスケッチしているし、アヴドゥルは近くの店の軒先を覗いて、並べられている品物を眺めて歩いている。
男女問わず単独行動はするなというのが、この破天荒な旅の唯一と言っても良い掟だが、互いの目の届く範囲内位は、流石に注意される事もない。
江里子もホッとしながら、大きな木の幹にもたれて夕涼みをしていた。

連れの男性陣は、某不良高校生を除けば、優しかったり楽しかったり、とにかく基本的には皆良い人達なのだが、何せデカい。
ジョースターと承太郎は共に195cm、アヴドゥルは188cm、ポルナレフは自称193cm、但しそれは逆立てた髪の毛込みの場合であって実際は185cm、彼等の中では一番低い花京院でも、178cmある。
158cmの江里子からすれば、誰も彼も見上げる大きさだった。
そんな彼等と、このところは列車だ車だと、狭い空間にひしめき合って過ごす事が多かったので、実は少々息苦しい思いをしていたのである。そんな事、絶対口には出せないが。
なので、この適度な距離感は、今の江里子にとってはとても快適だった。


「Hi. 」

突然、見知らぬ西洋人の男がにこやかに声を掛けてきた。
金髪碧眼までは良いとしても、腹のブヨッと突き出た、薄らハゲの中年である。
ジョースターより恐らく20歳位は若いであろうに、何とも無様な弛みようだった。
いや、本当はジョースターの方が特別なのだという事は分かっているのだが。


「Hello. 」

新たなDIOの刺客かも知れない。
江里子は身構えながらも、ひとまずは普通に挨拶を返した。
男に気付かれないよう、手をズボンのポケットに入れながら。
ポケットの中には、小さな香水ビンが入っている。但し中身は香水ではない、強烈な催涙スプレーだ。スピードワゴン財団から物資の供給を受けた際に貰った、護身用の道具である。
他にも、小型のスタンガンや大きな警報音の出るブザーも貰った。万が一の為の用心にと、ジョースターが頼んで手配しておいてくれたのだ。


「You so cute. 」
「No, No, Thank you.」

拳銃やナイフはとても怖くて持てないが、この催涙スプレーだけでも効果は十分だ。
財団傘下の化学技術研究機関が新しく開発した薬品で、目にひと吹きされれば強烈な痛みと熱で涙が止まらなくなり、丸3日はまともに目も開けられない位だという。
たとえ直接目に入らなくても、鼻や口元に吹きつけられるだけで薬品の刺激が目に抜け、暫くはのたうち回るらしい。
たとえこの中年男がスタンド使いだとしても、スプレーを吹き付けるほんの一瞬位は、きっと何とかなる。
そして、スプレーの一撃を喰らえば、たとえスタンド使いだとしても、それなりのダメージは受ける。少なくとも、すぐそこにいる承太郎達の所に逃げる時間を稼ぐ位は。
足が震えるのは、武者震いだ。
江里子は密かに自分を奮い立たせながら、これからの行動を頭の中でシミュレートしていた。
だが。


「How much? 」

男は、予想外の言葉を口走った。


「Pardon? 」

言葉の意味は分かるが、言われた意味が分からず、江里子は訊き返した。
すると男は、もう一度同じ言葉を繰り返した。
まだ意味が分からずポカンとしていると、男はおもむろに自分のズボンのポケットから財布を取り出し、紙幣を取り出した。


「1000baht, O.K. ? 」
「え・・・・?」
「Yeah, O.K. O.K. 」

男は札を江里子の手に有無を言わせず握らせ、そのまま馴れ馴れしく肩を抱いてきた。


「Let's go. 」
「ちょっ・・・・」

ここで江里子は、ようやく気付いた。
この男は敵のスタンド使いなどではなく、単なる買春客なのだと。
だが、そうと気付いた時には遅かった。
男はすっかり江里子を売春婦だと思い込み、ガッチリ肩を抱いて、何処かへ連れて行こうとしていた。


「ちょっと、いやっ・・・・!」

DIOの刺客でなかった事には安心したが、これはこれで、やはり怖い。
江里子は身を捩ってもがき、男の腕から逃れ出ようとした。
その時。


「Don't touch her. 」

下から響いてくるような太いバリトン・ボイスが、射竦めるように飛んできた。
次いで、誰かが江里子に纏わりついている鬱陶しい男をグイッと引っ剥がした。


「誰の連れに手ェ出してんだテメェは。あぁ!?」

見れば、例のあの凶悪な顔付きをしたポルナレフがいた。
その隣では、アヴドゥルがこれまで見た事もない程怖い顔をして、男を睨んでいた。


「今度からは、相手を良く見て声を掛ける事だな。」

驚く暇もなく、花京院が江里子の手から札を抜き取り、乱暴な仕草で男に叩き返した。
そして。


「She's not pussy. Fuck off mother fucker. 」

承太郎がゾクッとする程冷たいポーカーフェイスで、男に向かってそう吐き捨てた。
大体この男はいつでも仏頂面なのだが、3年半同じ屋根の下で暮らし、そして、こうして命懸けの旅を共にしている今、同じ仏頂面でも色々と種類がある事が分かってきた。
呆れている時、嬉しさや照れ臭さを隠そうとしている時、そして、本気で怒っている時。的確な説明は出来ないが、全て、目が違うのだ。その深緑の瞳が放つ光が。
今は多分、この男を心から軽蔑している。そんなような気がした。
ともかく、突然ガタイの良い男4人に包囲された中年男は、一瞬にして青ざめ、転がるようにして逃げて行った。


「あ・・・、ありがとうございました!お陰で助かりまし・・・た・・・・?」

ようやく安心する事が出来た江里子は、ともかく彼等に礼を言った。
だが、誰一人として、江里子に笑顔を返してはくれなかった。


「え・・・・・、あの・・・・・」
「危ないだろう、エリー!!」
「ひゃっ・・・・・!」

まずアヴドゥルが、エリーを叱り飛ばした。
彼にこんな風に叱られたのは初めてで、江里子は思わず身を竦ませた。


「前にも言っただろう!世界には危険な輩が数多くいるんだ!気をつけなければ駄目じゃあないか!」
「ご、ごめんなさい・・・・・!」
「日本ってのはそんなに治安が良いのかぁ!?ったく、信じらんねぇ無防備さだぜ!
俺らがすぐ側にいたから良かったようなもののよぉ、そうでなければ、今頃連れ込み宿に連れ込まれてたんだぜ!?」
「そ、そんな、つもりでは・・・・・」

ポルナレフにまで叱られて、江里子は益々小さくなった。


「女性にこんな事を言うのも何ですが、東南アジアの国々、特にここタイは、売春のメッカなんです。国全体が貧しくて、身体を売る女性が非常に多く、貨幣価値も低い。
だから安く女性を買えるという事で、欧米人が続々とやって来るんです。
日本人の男も大勢来るんですよ。俗に言う『買春ツアー』というやつです。
彼等の目的は、只々女性を買う事だけです。女性と見れば、すぐにそういう目を向ける。だから決して隙を見せないで下さい。」
「す、すみません・・・・・・」

花京院の博識ぶりはこんな分野にまで及んでいたのだが、それを口にして驚いたり感心したりすると本気で怒られそうな気がして、とてもではないが口に出来なかった。


「その思いっきりアジア人のツラぶら下げて、こんな所で一人で突っ立ってりゃあ、地元の立ちんぼに間違われても仕方ねぇ。気をつけやがれ、バカ。」
「ぐ・・・・・・」

承太郎は、それはそれは辛辣に、江里子を叱った。
いや、これは叱ったというのだろうか。
何だか必要以上にきつい言葉を浴びせられている気がしてならず、江里子はムスッと頬を膨らませた。


「な、何もそこまで言わなくても良いじゃないですか。私の不注意だったのは事実ですけど・・」
「これ位言わねぇと、お前には分かんねぇだろ。」
「まっ・・たバカにする!」

気が付けば、またいつもの言い合いが始まってしまっていた。


「何でいつも私の事をバカにしたような言い方するんですか!?」
「バカにバカと言って何が悪い。」
「さっきの人にだって、何か嫌な事言ってたでしょう!?どうせ頭の悪い女だとか、そういう意味の言葉なんでしょう!?」
「何がだ?」
「さっき言ってたじゃないですか!『pussy』って・・むぐっ!?・・・」

確かに、つい興奮して些か声のボリュームが大きくなっていたかも知れない。
だが、掌で口を塞がれる程だっただろうか。
江里子は目をパチクリとさせながら、その大きな掌を押しつけてきている承太郎を見た。


「だからテメェはバカだって言ってんだ。女がそんな事デケェ声で言うな。」
「む゛っ・・・・!う゛うっ・・・・・!う゛っ・・・・・!」

江里子は承太郎の手を振り解き、猛然と食って掛かった。


「いきなり何するんですか!っていうか、そんな人目を憚るような言葉なんですか!?」

承太郎は江里子に背を向けて、また新しい煙草に火を点けた。
これ以上喋る気はないとでも言いたげな様子である。
ふと見れば、アヴドゥルとポルナレフが呆然と目を見開いており、花京院は江里子と目が合うと、顔を赤らめてそっぽを向いてしまった。


「な、何ですか皆してそんな顔して・・・・・。な、何でそんな目で私を見るんですか・・・・?」
「いえ、別に、す、すみません・・・・・」
「エリー、それはちょっとマズいぞ。君の口から言うのは、ちょっとマズい。」
「え?え??」
「エリー、エリー。」

花京院とアヴドゥルの反応の意味が分からず混乱していると、ポルナレフが耳を貸せと手招きしてきた。
素直に従うと、ポルナレフは江里子の耳元に唇を寄せ、ヒソヒソ声で喋り始めた。


「あのな、『pussy』ってのはな」
「はい。」
「アンタの、ソコの事だ。」

そう言って、ポルナレフは下に向かって指を指した。
彼の人差し指が示している先は、江里子の局部だった。


「・・・・・・・・・・・・・・・・・・え?」
「でもって、そこから転じて、ソコでナニする為の女って意味になる。俺の言ってる事、分かるよな?」
「・・・・・・・」
「後ろに『cat』って単語がついてりゃあ、『カワイコちゃん』って意味の言葉になるんだが、それ単体では卑猥な言葉だ。少なくとも、女の子が通りで大声で言っちゃあいけない位のな。」

血が引いているのか逆流しているのか、よく分からない感覚が江里子を襲った。


「ちょっ・・・・!そ、それを先に言って下さいよ!!ちょっと、いやだもう!!」

一瞬間を置いてから、江里子は盛大に狼狽した。


「バカバカ、ポルナレフさんのバカーッ!!変態!!!」
「えぇ!?俺!?俺はただ意味を教えてやっただけじゃあねーかよ!!」
「大体、承太郎さんが悪いんですよ!!言うに事欠いて私の事、そ・・・そんな女だなんて・・・・!」
「だからお前はそんな女じゃねえって否定してやったんじゃあねぇか。逆だろバカ。」
「ううぅぅ・・・・・・・!だ、だって、そんな汚い英語は知らなかったんです!そりゃあ承太郎さんは悪い言葉も沢山知ってるんでしょうけど、私の英語は学校の授業と奥様に習ったものだから・・・!」
「どういう意味だテメェ。」
「分かりますよ江里子さん。ただ知らなかっただけなんですよね。当然です。僕だって下品な系統のスラングはあんまり知りませんし。」
「まあまあ、落ち着け、皆。」

ワイワイ騒いでいると、交渉が終わったのか、ジョースターが明るい表情で出てきた。


「おーい皆ぁ!交渉成立じゃあ!」
「温泉、貸し切れたんですね。」

花京院の言葉に、ジョースターは頷いた。


「うむ。但し、大浴場が閉まる夜の9時以降になるがな。それまではやはり駄目らしい。ホテルの部屋にバスルームがついとらんから、皆がその大浴場に来るのだそうだ。」
「なるほど。ならば仕方ありませんね。まあ、貸し切れただけ良しとしましょう。」
「うむ。しかも喜ばしい事に、混浴じゃぞ。」
『混浴ぅ!?』

そこでジョースターを除く全員の声がハモった。
その一瞬後に、指をパチンと鳴らしたのはポルナレフだった。


「Yeah!!やるじゃあねーか、ジョースターさん!!」
「そ、そんな!困ります私・・・!」

ポルナレフの歓声と江里子の悲鳴が、同時に上がった。
しかしジョースターは、すかさず悪戯っぽい笑みを浮かべた。


「無論、水着着用じゃ。」
「んだよー!!」
「なぁんだ・・・!」

ポルナレフと江里子の声が、またハモった。
だが、安心はしたものの、また別の心配が江里子の頭を過ぎった。


「でも、それじゃあ身体を洗ったり出来ませんよね?やっぱり混浴じゃあ、色々と都合が悪いのでは・・・」
「それは心配ない。大浴場の隣にシャワー室があるそうじゃ。
だから、身体だけそこで手早く洗い、シャンプーは大浴場ですれば良い。」

ジョースターは真摯な微笑みで、江里子に向き直った。


「エリー、色々と不都合なのは分かるが、どうか辛抱して欲しい。
幾ら貸し切ったとはいえ、やはり君を一人で入浴させるのは心配なのだ。
個室のバスルームならともかく、共用の大浴場ならば、その気になれば誰でも侵入可能だ。我々のいない所で、君一人が襲われる可能性が少なからずあるのだ。」
「・・・・ですよね。」
「言うまでもないが、無論、紳士にあるまじき卑劣な行為には決して及ばん。我が娘、ホリィに誓って。」
「そんな事・・・・・・・・!」

江里子は慌てて首を振った。


「そんな事、勿論心配していません!皆さんがそんな人達じゃない事ぐらい、分かっていますから!
そんなつもりで言ったんじゃないんです!
私のせいで、皆さんが気兼ねしてゆっくり寛げないんじゃあないかって思っただけで・・・・!」
「ははは、ありがとうエリー。だが、君がそんな風に気にする必要はない。レディへの気遣いは、男として当然の事じゃ。」

ジョースターの言葉に、ポルナレフ、アヴドゥル、花京院が頷いた。
承太郎は一人、小さく鼻を鳴らした。


「それじゃあ、話も決まったところで早速待ち時間じゃ!
夕食の時間を考慮に入れても、温泉に入れるまで随分暇があるが、さぁて、どうやってその暇を潰そうかのう・・・・」

思案に暮れているジョースターを何となく眺めている内に、江里子の頭にふと、ある閃きが浮かんだ。


「・・・・・あの。もし良かったら、ひとつお願いがあるんですけど・・・・・」
「何じゃ?」

それは、閃きというよりは、江里子の個人的な願いだった。
















近くの屋台で適当に夕食を済ませ、ホテルの部屋に引き揚げてから、江里子達はジョースターとアヴドゥルの部屋に改めて集結した。


「・・・・・よし、準備は良いな?では始め。」

ジョースターの号令で、承太郎、花京院、ポルナレフが一斉に動き出した。
と言っても、激しいアクションではない。


「・・・・・・・・・」

無言のまま佇む承太郎の背後で、鉛筆が目にも止まらない速さで紙の上を踊っている。スタープラチナが絵を描いているのだ。


「・・・・・・・・・」

花京院は、バッチリとポーズを決めているジョースターをじっと見つめながら、その姿をスケッチブックに描き込んでいる。


「ホラホラホラァ!」

一人うるさいのはポルナレフだ。
だが、無駄に騒いでいるのではない。
その辺で拾ってきた丸太の切れ端を、シルバーチャリオッツの剣先で削り、彫刻しているのである。
彼等の『作品』が着々と出来上がっていくのを、江里子はアヴドゥルやジョースターと共にニコニコと見守っていた。

江里子の願いとは、彼等のスタンドの姿を見たいというものだった。
アヴドゥルのマジシャンズレッドは、香港でポルナレフと闘った時に見たが、他の者達のスタンドは相変わらず分からない。
だから、いつか機会があれば見てみたいと、ずっと思っていたのだ。
それを口にしたところ、意外にも全員が乗り気で引き受けてくれたのである。
香港で見事な剣さばきでマジシャンズレッドの彫像を作り上げたポルナレフは勿論の事、絵が趣味だという花京院も、更には承太郎までもが、スタープラチナの動作の素早さと精度をより一層上げる為の訓練になるからと言って、スタンドをモチーフにした『作品』作りに参加したのだ。
かくして、承太郎が花京院のハイエロファントグリーンとアヴドゥルのマジシャンズレッドの絵を、花京院がポルナレフのシルバーチャリオッツとジョースターのハーミットパープルの絵を描き、ポルナレフが承太郎のスタープラチナの像を彫る事となった。

そうして、待つ事暫し。



「描けたぜ。」

いち早く絵を描き上げたのは、やはり、類稀なスピードを持つという承太郎のスタープラチナだった。


「うわぁ、これが・・・・・・!」

2枚の紙に、それぞれスタンドの姿が1体ずつ描かれてあった。
ひとつは大きな嘴と隆々とした肉体を持つ、炎を纏った鳥男。アヴドゥルのマジシャンズレッドだった。
香港でポルナレフが彫った彫像と全く同じ容貌をしている。
そしてもうひとつは、長い触手が少しグロテスクな、宇宙人のような姿。マジシャンズレッドよりは随分と華奢な体格だが、しかし決して貧弱な印象は受けない。
むしろ、物理的な力の代わりに何か底知れない能力を秘めていそうな、そのスタンドは。


「それが、僕のハイエロファントグリーンです。」

江里子がその絵をじっと見つめていると、花京院が少し誇らしげに答えた。


「見事な出来栄えじゃあないか、ジョジョ。寸分違わずそっくりだ。」
「色は再現出来てねぇがな。」
「それは仕方がないよ。鉛筆描きだから。」

褒められて照れ臭いのか、承太郎はそっぽを向いて煙草を吸い始めた。
花京院は目を細めて笑うと、また江里子に向き直った。


「色はね、全体的に緑なんです。それで、光っている。キラキラと、エメラルドのように。」
「へぇ・・・・・・!ああ、だから『グリーン』なんですね!」
「ええ。さて、僕も早く描き上げてしまわなければ。もう少しですから、待っていて下さいね。」
「はい!」

花京院が再び自分のスケッチブックに向かって暫くしてから、今度はポルナレフが彫刻を完成させた。


「出来たぜーっ!スタープラチナ、一丁上がりだ!」

さっきまで只の木片だったそれは、今や精巧な彫像となっていた。
豊かに流れる長髪、躍動する屈強な肉体。精悍なその顔立ちは、どことなく承太郎に似ている気がする。
それは、人型をしていながら明らかに幻想的なマジシャンズレッドやハイエロファントグリーンよりも、一層生身の人間に近い姿をしていた。


「これが、スタープラチナ・・・・・・・」

感嘆の溜息を零していると、横から承太郎がチラリと覗き込み、小さく笑った。


「ポルナレフ。お前、ワイン職人より彫刻家になった方が良いんじゃあねぇか。」

承太郎が言葉に表して人を褒めるのは、とても珍しい事である。
という事は、相当良く出来ているのだろう。


「だろ!?何たって、俺の剣さばきは超一流だからなぁ!ハッハッハァ!!」

ポルナレフが鼻高々に笑っていると、花京院が『僕も出来た』と声を上げた。


「本当か!?どれどれ・・・・・」

その声に誰よりも早く反応したポルナレフが、一番に花京院のスケッチブックを覗き込み、


「おおーっ、トレビア〜ン!!」

と叫んだ。


「正しく俺のチャリオッツじゃあねーか!凄ぇぜ花京院!!」
「ふふ、ありがとう。」
「私にも見せて下さい!」

江里子もスケッチブックを覗き込んだ。
そこには、フェンシングで使うような鋭く細い洋剣を構えた、甲冑姿の騎士のような絵が描かれてあった。
厳めしい鎧姿なのに、意外にも結構細身である。
上半身と下半身の間が空洞になっていて、そこを背骨のような支柱と管が通っている。それがより一層、スタンドを細く見せているのだろうか。


「これがポルナレフさんのスタンドなんですね!」
「そうだぜ、最高にCoolだろ!?ちなみに今は、アンタの足元に跪いている。
何なら手の甲にキスさせてみせようかい?貴女の騎士にお手をどうぞ、マドモアゼル?」
「や、やだ、ポルナレフさんったら!」

流石はフランス男。
低い囁き声と気取ったポーズと、些かの躊躇いもないセクシーな流し目が、やけに様になっている。
恥ずかしさと少しの怯えが混じり、江里子は顔を赤らめてせかせかと笑った。
そして、次のページに描かれているジョースターの絵に目を向けた。


「あっ、こ、こっちはジョースターさんのスタンドですね!」

描かれているのは、愛用のテンガロンハットを手で押さえ、ワイルドな笑みを浮かべてポーズを決めているジョースターの姿だった。
そしてその腕には、棘のような蔓が絡み付いていた。


「これが・・・・」
「そう、儂のスタンド、ハーミットパープルじゃ!」

ジョースターが得意げな笑みを見せた。


「ジョースターさんのスタンドも、『パープル』というからには、やっぱり紫色をしているんですか?」
「うむ。」

ジョースターの微笑みが、一瞬、ふと儚げな感じに翳った。


「ホリィに現れたスタンドも、紫色ではないが、儂のハーミットと似た感じの、蔓状の植物の形態をしておった。」
「奥様・・・の・・・・・・」
「ハーミットと同じような能力があるのか、それとも全く違うのか、結局、解明する事は出来なかったがな。」
「・・・・奥様の容態はどうなんですか・・・・・?」

ジョースターは定期的に、日本の空条邸へ電話を掛け、ホリィの様子を聞いている。
特に、こうして時間のある時には、必ずと言って良い程だった。


「うむ。ついさっき連絡を入れた。ホリィ自身は大丈夫だと言っておったが、ドクターの話では、相変わらず芳しくはないようだ。じわじわと弱っていく一方らしい。」
「・・・・・・そうですか・・・・・・。旦那様は、まだお帰りには・・・・・」
「サダオには報せておらんのだ。ホリィが頑なに拒否しておる。
女房の病気如きでツアーをキャンセルさせて、世界中のファンを悲しませる訳にはいかんとな。」

江里子は、日本にいるホリィに、暫し思いを馳せた。
きっと彼女は今でも、何でもない顔をして、穏やかに微笑んでいるのだろう。
家族が誰もいなくなった家の中で、たった一人で。


「君にも、自分の事は心配するなと言っておった。君の方こそ体に気をつけて、承太郎や皆を宜しく頼む、と。」
「・・・・そう・・・・・・ですか・・・・・・・」

空条家での穏やかな日々が、不意に江里子の頭を過ぎった。
実は旅に出てからこちら、何度かこういう事があった。
怖い時、不安な時、具合が悪い時、そういったネガティブな心境の時に、突然、里心がつくのだ。
今すぐ温かいあの家に帰り、あの台所でホリィと並んで作った食事を食べたい、そんな気持ちになるのだ。


「君は本当に、ホリィと電話しなくて良いのかね?今ならまだ何とか電話に出る事も出来るが、それもいつまで可能かは分からんのだぞ?」
「・・・・・・・・・」

だが、それはまだ叶わない。
今はまだ、長い長い旅路の途中だ。折り返してさえいない。
そんな時に、ホリィの声を聞いてしまったりなどしたら、きっと。


「この無愛想な承太郎でさえ、何度か電話しておるのに。」
「・・・・・・・私は、良いんです・・・・・・」

承太郎は強い。肉体も、精神も。
それに比べて、自分は弱い。
ネガティブな心境になる度に、日本に帰りたいと思ってしまう。
そんな惰弱な自分が、ホリィの声を聞いてしまったら、きっと甘えて弱音を吐いてしまう。泣いてしまう。
そしてそんな女は、闘う男達の邪魔になる。
ホリィを救う為に命を懸けて闘おうとしている彼等の、文字通りの『お荷物』に。


「奥様が今、一番聞きたいのは、承太郎さんとジョースターさんのお声なんです。
お二人の声が何よりの励みになるから、だからきっと、精一杯の力を振り絞って電話に出ておられるのです。」

何といってもホリィが一番愛しているのは、家族なのだ。
それはジョースターであり、承太郎であって、自分ではない。
残された僅かな体力を消耗してまで会話するに値するのは、実の父親や息子であって、赤の他人の娘ではない。
卑屈ではなく、江里子は心からそう思っていた。
ホリィの事を、密かに実の母のように慕うからこそ。


「それなのに、私が出しゃばって余計なお喋りをして、奥様を無駄に疲れさせる訳にはいきません。」

江里子はそう言い切って、にっこりと微笑んでみせた。

















夜の9時を回った頃、フロントから連絡が入り、江里子達は温泉へと向かった。
大浴場は混浴だが、流石に更衣室とシャワーブースは男女別である。
江里子は内心でホッとしながら更衣室に入ったが、しかし無人のそこは、それはそれで何となく居心地の悪い緊張感があった。
まさか・・・とは思うが、まさか、敵が潜んではいないだろうか。
そんな考えがふと頭を過ぎっては、いやまさか、そんな気配はないと打ち消しながら、江里子は服を脱ぎ、シャワーを浴びた。
更衣室は狭く、その中にあるシャワーブースは更に狭い。
もし敵が潜んでいれば、すぐに分かる筈であるし、そもそも、事前にジョースター達が入って入念に調べてくれてある。
敵が潜んでいる可能性は、限りなくゼロに近い。
だが、そうと分かっていても、ついつい身体を洗う手が早くなる。
江里子は急いで身体を洗い上げると、フロントで借りた水着を着て、急ぎ足で大浴場へ出た。


「おおーっ!待ってたぜ、エリー!」

大浴場へ出てきた江里子をいち早く見つけたのは、見慣れない男だった。


「だ・・・・誰??」
「あ?俺だよ俺!分かんねぇか!?」

良く見れば確かに、そのシルバーブロンドの髪色には見覚えがあった。


「もしかして・・・・・、ポルナレフ、さん・・・・?」
「そうだよ!」
「えぇぇポルナレフさん!?全く別人じゃあないですか!!」

江里子は思わず大声で驚いてしまった。
髪を下ろしたポルナレフは、それ程に印象が違って見えたのだ。
それはつまり、いつもの髪型がいかに個性的かという事になるのだが。


「さあさあ、こっち来て入れよ!」
「は、はい・・・・・・」

ポルナレフに肩を抱かれるがまま、江里子は円形のプールに入った。


「うわぁ、良い気持ち・・・・・!」

プールにはジャグジーがついていた。
熱帯の国々の湿気と暑さに多少うんざりし始めていた為か、ぬるいお湯が大層気持ち良かった。


「なかなか良いお湯ですね。」
「本当に!お隣、良いですか?」
「どうぞどうぞ。」

先に浸かっていた花京院の隣に、江里子は腰を下ろした。


「ね、ポルナレフさん、別人みたいじゃありません?」
「みたいというか、別人ですよもはや。僕らも散々驚いたところです。ジョースターさんのリアクションなんか凄かったですよ。」
「うふふふふっ!目に浮かぶようです。」
「あぁ?何だ?何喋ってるんだ、二人共!?」

日本語が全く、さっぱり、ビタイチ分からないというポルナレフは、江里子と花京院の日本語での会話が気になって気になって仕方がないようだった。


「君は髪を下ろすと別人だと話していたのさ。」

花京院が小さく苦笑しながら英語でそう説明していると、背中に馬鹿デカい気配がした。後ろを振り返ると、ジョースター、承太郎、アヴドゥルの3人がいた。
シャンプーを終えたところらしい彼等は、全員髪が濡れていたが、そこで江里子はまた驚かされる事となった。


「えぇぇぇアヴドゥルさん!?」
「な、何だ?」

その褐色の肌の色は、間違いなくアヴドゥルなのだが、髪型がいつもの彼ではなかった。いつも束ねている頭頂部と襟足の髪を解いて、豊かな長い黒髪をそのままに背中に流していたのである。


「これはまた、ポルナレフにひけをとらない別人っぷりですね・・・・!」
「ね・・・・・・!吃驚しました・・・・・!」

江里子と花京院が驚いた顔を見合わせると、プールに浸かりながらアヴドゥルが苦笑した。


「何だ何だ。そんなに変か?」
「違いますよ!そういう意味じゃありませんってば!」

江里子は慌てて否定した。


「全然変じゃありませんよ。印象が凄く変わるってだけで。
そうしていると、何か、ちょっと悪い人に見えます。」
「悪い人?」
「ええ。沢山の女の人を泣かせていそうな、ワルい男の人に。」
「なっ・・・・・!?」

まだ付き合いは短いが、彼は決してそういう類の男ではないと断言出来る。
その証拠に、アヴドゥルは羞恥したように言葉を詰まらせた。
そんな人だからこそ、ギャップが面白い。江里子は思わずクスクスと声を出して笑った。
その横で、ジョースターがしきりと肩を竦めたり、首を回していた。それに気付いた江里子は、笑うのをやめて彼に声を掛けた。


「ジョースターさん、肩凝りですか?」
「ん?ああ、少ーしな。ずっと狭い車の中に篭っておったせいじゃな。」
「良かったら、お揉みしましょうか?」
「ええ!?良いのか!?」
「どうぞどうぞ!遠慮なさらず!」

江里子はジョースターの背後に回ると、首筋、肩、そして背中と、順に一撫でしてみた。どこもかしこもガッチリと筋肉がついていて硬いが、肩の部分が特に、岩のように硬直しているのが分かった。
江里子はそこを親指の腹でゆっくりと押しながら、マッサージを始めた。


「ぐおおぉ〜っ!」

途端にジョースターが、堪らないといったように声を上げた。


「結構凝ってますね。肩カチカチですよ。」
「ああ、そこそこ・・・・・!効くわい・・・・・!」
「この辺とか、どうですか?」
「オーーゥ!So good・・・・・・!」
「良いなあジョースターさん!」

ジョースターの声に釣られて、ポルナレフがお湯をかき分けながら近付いてきた。


「エリー、俺にもしてくれよぉ!俺なんか朝からずっと運転しっぱなしだったんだぜぇ!?」
「良いですよ。あ、皆さんも是非。」
「いえ、私は・・・・・!」
「わ、私もそんな・・・・・!」
「・・・フン」

乗り気なのはポルナレフだけで、あとの3人は違っていた。
花京院とアヴドゥルはやたらと恐縮しているし、承太郎はそっぽを向いてしまっている。


「皆さん、そう遠慮なさらないで下さい。私のマッサージは奥様直伝なんです。これでもちょっとは腕に自信があるんですよ?」

だが、遠慮はして欲しくない。
江里子は明るい笑顔を浮かべて、再度、押してみた。


「じ・・・・、じゃあ、お願いしても・・・・・?」

すると、まず花京院が、幾分顔を赤らめながらも、おずおずと乗ってきた。


「はい!っていうか、順番で皆さんにやりますので。
だって、私に出来る事と言ったら、こんな事位しかありませんから。」

闘えない。
車の運転も出来ない。
自分の身すら、満足に守れない。
そんな『お荷物』でも、どんなに間接的でも些細な事でも、共に旅をするからにはせめて何かの役に立ちたかった。


「おい、そろそろ交代してくれよジョースターさん!」
「あぁ分かった分かった!ありがとうよエリー、お陰で随分楽になったわい!」
「本当ですか?良かったぁ!」

取るに足りない事でも、必要とされ、喜ばれるのは嬉しかった。




「はいはい、お待たせしましたポルナレフさん!」

江里子は次に、早く早くと急かすポルナレフの背後に回った。


「首!首頼むわー!凝って凝って仕方ねーんだよ!」
「こんなに筋肉ついてるのに凝るんですか?・・・あ、硬っ。」
「くあーーーっ!!!」

要望通りに項を押すと、ポルナレフは絶叫した。


「あーホントだ。凝ってますね。そう言えば、運転長かったですものね。お疲れ様でした。」
「何コレ!?何コレ!?ヤベェ、癖になりそう・・・!エリー巧すぎ・・・!」
「そうですか?ふふっ。」
「あ〜、堪んねぇ・・・・・・・!」
「もう良いだろう、代われポルナレフ。」
「ええーー!もうかよーー!!」

ポルナレフの恍惚とした表情を見て、アヴドゥルもだんだんと興味が湧いてきたようだった。彼は名残惜しそうなポルナレフを半ば無理矢理押し出すと、江里子に背を向けて座った。


「さて。では、済まんが頼む。」
「はい。」

長い黒髪を横に流すと、まるで彫刻のような見事な背筋のついた広い背中が露になった。その背中の中心から少しだけ左右にずれた所、背骨を挟んだ両側を、江里子はゆっくりと親指の腹で押し流した。


「あぁ・・・・、アヴドゥルさんも凄く硬い・・・・・、こんなに・・・・・・」
「うぅむ・・・・・・・・」

アヴドゥルの口から、不明瞭な呻きが小さく洩れた。


「どうですか?気持ち良いですか?」
「・・・・・・あ、あぁ・・・・・・・・」

ふと見れば、何だかアヴドゥルの様子がおかしかった。


「あれ?どうしたんですか、アヴドゥルさん?」
「い・・・いや別に。あ、ありがとうエリー。随分軽くなった。」

何だか妙にそそくさとしていて、目も泳いでいる。
何か変な事をしただろうかと考えてはみたが、江里子にはその心当たりがなかった。


「次もつかえている事だし、私はもう良い。ありがとう。」
「そうですか?じゃあ、お次は花京院さんに!」

考えても分からない事は仕方がない。
江里子は言われるがままアヴドゥルの側を離れ、花京院の後ろに回った。


「花京院さん、どうかしました?」
「い、いや、別に・・・・・・・・。」
「でも、何か顔赤くありません?のぼせました?」
「あ、ああ、そうかも・・・・・・・」

見れば、花京院も何だか目が泳いでいる。
笑い方も曖昧で、江里子と目を合わせようとしなかった。
だが、アヴドゥルと違い、同じ日本人である花京院の様子は察しがついた。
恥ずかしがっているのだ。
とすれば、アヴドゥルもそうだったのだろうか。
こんな事で何も照れる事はないのに、花京院もアヴドゥルも、少し堅すぎる位実直な人だから。
江里子は何とか笑いを噛み殺すと、意外に筋肉質な花京院の肩や背中を揉み始めた。


「あー、花京院さんも背中ゴリゴリしてますよ。ほら。」
「くっ・・・・・・・・!」

ジョースター、ポルナレフ、アヴドゥル、そして花京院。
誰も彼も、どうしてこんなに筋肉モリモリなのだろうか。
何を食べてどんな運動をしたら、こんな立派すぎる肉体になるのだろうか。
お陰で江里子の手も、次第に限界が近付いてきていた。
只でさえ鋼のように硬い筋肉質な身体を何人分も揉み解すにしては、江里子の手の力は些か弱すぎた。


「あぁ・・・・、硬い・・・・・!」

ついうっかり、弱音が吐息と共に洩れてしまった。
自分からやると言い出しておいてこれはマズいと、江里子は慌てて笑顔を作った、が。


「皆さん硬いから、揉み甲斐が・・って、花京院さん?」
「・・・・・・・・・・・・」
「何で急に猫背になるんですか?」
「・・・・・・いえ、何でも・・・・・・・」

花京院は身体をくの字に曲げ、お湯に半分以上顔を浸けてしまっていた。


「花京院さん、何してるんですか?そんな事してると余計にのぼせますよ?」
「え、ええ、いえ、大丈夫です。あ、ありがとうございました。
ぼ、僕はもう十分ですので、次はジョジョに。」

妙に余所余所しい花京院の態度に、江里子は少し不安になった。


「もしかして、気持ち良くありませんでした?」
「いえ、そんな事は決して・・・・!むしろ気持ち良すぎて、ちょっとこれ以上は危険な気が・・、あ、あ、何を言ってるんだ僕は・・・・!き、気にしないで下さい・・・・・!」
「そう、ですか??」

何をそんなにしどろもどろになっているのか、江里子には分からなかったが、ともかく、茹でタコみたいになっている花京院をこれ以上揉みくちゃにするのも良くない気がして、江里子は彼の側を離れた。



「はい、お待たせしました。次は承太郎さんの番です。」
「俺は別に待ってねぇし凝ってもいねぇ。」

その素っ気ない口ぶりで、江里子はひとつ、ある事を思い出した。


「あ、そっか。承太郎さんって擽ったがりでしたよね。奥様が揉んであげるって言っても、いっつも逃げてましたもんね。ふふっ。」
「・・・・・・・ああそうだぜ」

妙な沈黙が、一瞬あった。
だが、江里子がそれに気付く前に、承太郎は動いていた。


「だから次はテメェの番だ。」
「え?きゃあっ・・・・・!」

承太郎の背中に回っていた筈が、気付けば自分がバックを取られ、あまつさえ首や肩をゴツゴツした大きな手でグイグイと揉みしだかれて、江里子は悲鳴を上げた。


「痛っ!いたたたたっ!痛いっ、承太郎さん!」
「オメェも硬いぜ、首も肩も。」
「いたたたたっ!!痛いってば!!」
「肩肘張って平気なふりばっかしてやがるからだ。」
「っ・・・・・・」

不意に発せられた承太郎のその言葉に、江里子は声を詰まらせた。
見透かされている、そんな気がして。


「お前こそ、なに遠慮してんのか知らねぇがな。先はまだ長ぇんだ。辛い時は辛いと言え。怖い時は怖いと言え。テメェは女なんだからな。」
「・・・・・・・」
「・・・・と、お前に伝えてくれと、お袋が言ってたぜ。」
「奥様、が・・・・・・」

今しがたまでのたうち回る程痛かった筈の承太郎の手が、いつの間にか痛くなくなっていた。


「お袋にとってのお前は、お前自身が思ってる程小さい存在じゃあねぇ。
お袋はいつもお前の声を聞きたがってる。次に電話する時は、お前も出てやれ。」

肩を掴んでいるその大きな手の感触が、とても頼もしくて、安心出来て。
それは、空条家での日常のふとした時に感じる気持ちに、とても良く似ていた。


「・・・・・・・・・承太郎さん、マッサージ下手クソ」
「何?」
「もう結構ですっ!私、シャンプーしますから!!」

江里子は勢い良く立ち上がると、ザバザバとお湯を掻き分けてプールから上がり、皆から少し離れたところで頭から豪快にお湯を浴びた。
そして、滝のように流れていくその湯で誤魔化しながら、ほんの少しだけ、泣いた。




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