星屑に導かれて 12




昔々、スマトラという国の王子が、新しい領土を求めて航海に出た時、白いたてがみの獅子・シンガの住む島を見つけ、王子はその島を『シンガプーラ』と名付けた。
世界中の船やタンカーが行き交う海峡の国、自由貿易によって西洋と東洋が融け込む多民族国家。
それが、シンガポールという国だった。











「やれやれ、ようやく着いたか。」

2度目の漂流と相成り、一時はどうなる事かと思ったが、意外にも事態はあっさりと解決がついた。
幽霊船が消滅してから数時間程度で、クルーザーから発信した救助信号をキャッチし、捜索に来てくれていたタンカーと、無事に出会えたのだ。
そして、タンカーに牽引され、何とかシンガポールに上陸出来たのはその翌日の午前中の事、本来の到着予定日から2日遅れての事だった。
担いでいた荷物を地面に下ろし、ポルナレフはようやく人心地がついたとばかりに言った。
それは江里子も全く同感だった。
何しろこの数日間、海の上で漂流ばかりしていたのだ。
地面を踏み締める足の感覚が、喩えようもなく幸せだった。


「ああ・・・・・!やっぱり良いですよね、固い地面・・・・・!人間はやっぱり、大地に生きる生物なんですよ。今回の船旅で、つくづく思い知りました。」

足元が不安定に揺れる事もない。胃がフワフワと浮く不快感もない。
何と清々しい事か。
江里子がしみじみと幸せを噛みしめながら言うと、ジョースターは楽しげな笑い声を上げた。


「ははは!確かにのう!儂ももう当分海は見とうないわい!ガッハハハ!
ともかく、今夜はホテルに泊まって、これからのエジプトへの進路を決めるとしよう。」

ジョースターは辺りをチラリと見回すと、すぐにある一点を指差した。


「よし!あのホテルに泊まろう!」

ジョースターの示したホテルは、スタイリッシュな高層ホテルだった。
香港で泊まったホテルよりも、更にグレードの高そうな景観である。
贅沢をしてリッチな思いをしたいという訳では断じてないのだが、あれ程のホテルならば、バスルームには必ずシャンプーや石鹸があり、清潔なベッドもある筈だ。
それだけで十分、十分すぎる程御の字だ。
江里子が思わず歓声を上げた、その時だった。


「こら!貴様!」

突然、警官が血相を変えて江里子達の所に駆け寄って来た。


「お前!お前だよ!」
「あ?」

警官は、ポルナレフに詰め寄って行った。


「貴様!ゴミを捨てたな!罰金500シンガポールドルを科す!」
「あぁ?500ぅ!?」
「我がシンガポールでは、ゴミを捨てると罰金を科す法律があるのだ!」

全く、世界には色々な法律があるものだ。
驚くと同時に、江里子は少し心配になった。


「500シンガポールドル・・・」
「日本円で4万円程か・・・」

花京院とジョースターが、小さな声で呟いた。
入国早々条例違反で4万円の罰金とは幸先が悪いが、しかしそれ以前に、一つ気になる事があった。


「ゴミ・・・・?」

アヴドゥルも同じ事が気になっているらしく、首を捻っている。
そう。
その条例違反、『ゴミ捨て』そのものを、ポルナレフはしていないのだ。
彼は糸クズひとつ、地べたに落としてなどいなかった。


「分かったかね!?」

それなのに何故、この警官は彼を罰そうとしているのだろうか。


「ゴミ・・・・!?何の事・・・・・だ?」

不意にポルナレフが、自分の足元に目を向けた。
足元の、彼の全てが詰まっているというズタ袋、いや、バッグへ。


「プフッ・・・・」
「ふふっ・・・・」

アヴドゥルが小さく吹き出した。
釣られて江里子も、ほんの小声でだが、笑ってしまった。
その瞬間、ポルナレフの顔付きが変わった。


「俺には、自分の荷物の他には、なぁ〜んにも見えねぇけどぉ〜?ゴミってどれか、教えて貰えませんかねぇ?」

彼は警官の胸を指でつつきながら、ドスの効いた低い声でゆっくりと話した。


「どこにゴミが落ちてんのよ!?アンタ!?」

極悪な笑みを浮かべて警官の肩を叩く彼は、とてもカタギには見えなかった。


「いぃえぇぇ・・・、これは・・・・・アンタの荷物・・・・?」
「そうだよ!!」
「し、失礼した・・・・!」

筋骨隆々とした体格のポルナレフに肩を強引に組まれ、抱え込まれて、警官は脂汗をかきかき、彼に詫びた。
最初の威厳はどこへやら、その情けない様に、江里子達は大きな笑い声を上げた。


「あははは!」

そこに、少女の笑い声が混じっていた。
アンだ。
さっき別れた筈のアンが、江里子達から少し離れた場所で笑っていたのだ。


「うん!?」

ポルナレフもアンの声に気付き、彼女の方を振り返った。
その途端、アンはフンとそっぽを向いた。


「ああぁ、じゃあ、私はこれで・・・・!」

その隙に、警官はそそくさと逃げて行った。
その情けない背中に『シッシッ』っとやってから、ポルナレフは大きな声で言った。


「何だぁ!?あのガキ、まだくっついてくるぜ。」
「おい!親父さんに会いに行くんじゃあないのか?」
「俺達にくっついてないで、早く行けばぁ!?」

ジョースターとポルナレフが、アンに呼び掛けた。
ジョースターはともかく、ポルナレフの口ぶりは意地悪で、完全に嫌味っぽかった。


「フン!5日後落ち合うんだよ!どこ歩こうがあたいの勝手だろ!テメェらの指図は受けねぇよ!」

となれば、気の強いアンがこう返すのも、仕方がないといえば仕方がなかった。
しかし、ついて来るからには、何かそれなりの理由があるのだ。
その証拠に、アンはすぐに心細げな目で、江里子達をおずおずと上目遣いに見上げてきた。


「・・・フン」
「あの子は、我々といると危険だぞ。」

承太郎は一瞥して鼻を鳴らしただけだったが、アヴドゥルは小声で皆に話しかけた。


「しかし、お金が無いんじゃあないのかな?」
「私もそう思います。アヴドゥルさんの仰る事は尤もですが、あの子はきっと、私達しか頼る人がいないから・・・・・」

アヴドゥルの言う事も勿論理解出来たが、江里子としては花京院と同じ意見だった。
5日後に父親と落ち合うといっても、それまでの間を過ごす金の持ち合わせがなく、また、それまで独りっきりなのも怖い。要するにアンは、自分達を頼りたいのだ。
彼女がそんな心境である以上、ただ突き放してもどこまでもついて来るだろうと思われた。


「しょうがない。ホテル代を面倒みてやるか。」

ジョースターは小さく溜息を吐いた。


「ポルナレフ、彼女のプライドを傷付けんよう、連れて来てくれ。」
「あいよ!」

ポルナレフは自信たっぷりに引き受けると、ツカツカとアンに歩み寄って行った。


「おい!貧乏なんだろ!?恵んでやるから、ついて来な!」

そして、仁王立ちで胸を張り、こう言い放った。


「あぁ・・・・」
「はぁ・・・・」

アンとジョースターは顔を引き攣らせ、花京院は吹き出し、アヴドゥルと承太郎は絶句した。
全く、これ以上ない失敗だった。


「ちょ、ちょっとポルナレフさん・・・・・!そんな言い方・・・・・!」

江里子は慌ててすっ飛んで行き、ポルナレフの腕を引っ張った。


「何だよ、何かおかしかったか?ちゃんとプライドを傷付けないように配慮したぜ?」

だがポルナレフは、大真面目にキョトンとしていた。


「配慮って、あれで!?」
「だってよ、変に気を使われる方が、却って貧乏だって見下されてる気がするだろ?
貧乏なのは事実なんだからよ。だったら率直に言われる方がまだスカッとするぜ。」
「・・・・・・・」

これがフランス人の国民性なのだろうか。
それとも、彼個人の性格なのか。
ともかくもう、何も言い返せなかった。


「ああ・・・・、では、チェックインを・・・・。」
「う、うむ・・・・」

アヴドゥルとジョースターが『ともかく行こう』とその場をとりなし、かくして一同はホテルへと向かった。














江里子達が泊まる事になったシャングリラホテルは、シンガポールでも最高級のリゾートホテルだった。


「申し訳ありません。只今シーズン真っ盛りでして。
お部屋はバラバラになってしまいますが、宜しいでしょうか?」

フロント係の女性は、聞き取り易い綺麗な英語で申し訳なさそうにそう言った。
彼女の言う通り、広いロビーには宿泊客が溢れ返っていた。
こんな状態のところに、予約も無しに飛び込んで来たのだ。
泊まる部屋があっただけ、有り難いというものだった。


「まあ、やむを得ん。」

ジョースターは記帳を済ませると、江里子達を振り返った。


「では部屋を・・・あ〜・・・・、儂とアヴドゥルでまず1部屋。」

アヴドゥルが頷くと、花京院が口を開いた。


「僕と承太郎でもう1部屋を。学生は学生同士という事で。」
「フン。」

もう1ペア、花京院と承太郎組が成立した。


「となると、あと1つはポルナレフと・・・・」

アヴドゥルがそう言いかけた時、江里子は不意に、誰かに腰を抱き寄せられた。


「俺はエリーと同室で構わんぜ?」
「なっ・・・・!?」

ポルナレフだった。
妙に色気のある流し目でウインクされて、江里子は瞬時にパニックに陥った。


「何言ってんですかっ!だっ、ダメですよ!ダメダメっ!お断りですっ!」
「あいてっ」

腰を抱いている不埒な手をバチッと叩き落としたが、まだ江里子の頭の中は落ち着かなかった。
ポルナレフの誘惑(?)は打ち払ったが、次なる心配が湧いて出てきたのだ。
ホテル代を出すのは、いや、ホテルに限らずだが、この旅にまつわる資金の提供者はジョースターなのだ。
人にお金を出して貰っておきながら、やはりこれは我儘だろうか。
男性と相部屋なんてとんでもないのだが、かといって、こんな高級ホテルの宿泊代は自腹では払えないし、ここはやはり、渋々でも相部屋にしなければならないだろうか、と。


「あっ、あのっ、駄目は駄目なんですけど、それはそういう意味であって、同室自体は別に構わないんです!その方が費用もかさみませんし!だから、アンと3人で・・」
「えぇ!?冗談!誰がこんな奴と!!」

しどろもどろな江里子とは対照的に、アンは即座に、きっぱりはっきり、全身で拒絶した。


「あぁぁ!?」
「いーーっだ!!」

たちまち子供じみた小競り合いを始めたポルナレフとアンを見て、江里子以外のその場の全員が、フロント係の女性でさえもが、苦笑した。


「ははは。エリー、そんなに気を使う必要はない。金の事なら、君が気にする必要はないんだ。
確かに子供でもレディには違いないし、君は勿論、言うまでもない。男と相部屋なんて、させる気はないよ。」
「・・・・す、すみません・・・・・・・」

ジョースターは江里子に朗らかな笑顔を見せてから、フロント係の女性に向き直った。


「君、部屋を4つ頼む。」
「はい。」

そうして一同の前に、部屋のキーが4つ出された。
プレートに書いてあるルームナンバーは、1122、1212、912、1010。
確かに、見事にバラバラだった。
その内の1つ、912号室の鍵をいち早く取って、ポルナレフは踵を返した。


「フン!俺も一人の方が伸び伸び出来るぜ!願ったり叶ったりだ!」

彼は一足先に自分の荷物を持ってスタスタ行くと、数歩先からこちらを振り返った。


「行くぞ!香港を出て以来、ロクな目に遭わなかったからな!早く安全な部屋で、シャワーでも浴びようや!」

そんなポルナレフを見て、誰からともなく微笑んだ。
香港でジョースターがつまらないダジャレにして言っていたが、確かに彼は、何というか、『憎めない』人なのだ。
短気で、直情的で、騒々しいキャラクターだが、そこが何だか微笑ましい。そんな人だった。


「じゃ、行きましょうか。」

江里子達もそれぞれに部屋の鍵を受け取り、ポルナレフの後をついて行った。
最初はエレベーターを利用するつもりだったのだが、客が多いせいか、休日の都心の百貨店の如くなかなか降りて来ず、また、やっと来ても順番待ちのせいで乗れず、一同はエレベーターを諦め、各階まで階段で上がる事にした。
ロビー中央には、まるで上からお姫様でも下りてきそうな豪奢な造りの大きな階段があり、そこから上がっていけるようだった。
9階から12階まで、徒歩で上がるのはきつかったが、階段のデザインがとにかく美しかったので、意外と苦にはならなかった。
他愛ない話題で談笑しながらゆっくり上がっていくと、やがて9階に着いた。


「ほいじゃ!」

ポルナレフとは、そこで別れる事になった。


「シャワー浴びて着替えたら、部屋に遊びに行くからな、エリー!」
「レディの部屋に気安く来んじゃねーよ!このスケベ!!」

全く懲りた様子のないポルナレフに、アンが猛然と喰って掛かって行った。


「うっせクソガキ!何がレディだ生意気な!テメェにゃ用はねーんだよ!」
「んだとぉ!?この電柱野郎!」
「何をぉ!?このソバカス娘!」

たちまちのうちに、また喧嘩である。
どうもこの二人、感性が噛み合いすぎているようだ。
江里子は二人を眺めて苦笑しながら、皆に向かって提案した。


「後で皆でお食事に行きませんか?少ししたら、丁度ランチタイムですし。
このホテル、素敵なレストランが何軒も入ってるみたいですよ。」
「そうだな。そういえば、暫くまともな物を食っていなかったしな。」
「作戦会議もしなければなりませんしね。」
「フン」

アヴドゥルも花京院も承太郎も、江里子の提案に乗り気なようだった。


「では、1時間後に再びロビーで集合という事にしよう。」
「あいよ!」

ジョースターが話をまとめると、ポルナレフは荷物を担ぎ直してポーズを決め、9階のフロアへと消えて行った。
この時はまだ誰も、予想もしていなかった。
今この場に、既に次の刺客が送り込まれている事など。
















912号室。
ポルナレフはそのドアの鍵を静かに開けて、部屋に入った。
香港のホテルも素晴らしかったが、ここはまた一段とゴージャスな部屋だった。
だが、リラックスするのは、するべき事をしてからだ。


「・・・・・・・」

ポルナレフはバスルームのドアを開けた。
中にはスタンド・本体共に何も潜んでおらず、爆発物等が仕掛けられている様子もなく、ピカピカに磨き上げられた綺麗なユニットバスがあるだけだった。
部屋のチェックが済んだら即入ろうと心に決めて、ポルナレフはまた静かにドアを閉めた。
バスルームとトイレの並ぶ廊下を抜けると、すぐに居室に出た。
ベッドはシングルだが、部屋はゆったりと広く、大きなクローゼットと鏡台、小型の冷蔵庫があった。
そして、ベッドサイドのテーブルには、変わった人形が目を閉じて座っていた。
ぬいぐるみやアンティークドールの類ではない。
50cm程の大きさの、インディアンの男の子の人形だ。
アメリカ南西部辺りの田舎町の古臭いオモチャ屋で、誰にも買って貰えず埃を被っていそうな。
このラグジュアリーなホテルには似合わない、ホテルも何を思ってわざわざこんな物を飾っているんだかと思いながら、ポルナレフはその人形の載っているテーブルに部屋のキーを放り投げた。
そしてそのまま部屋を抜け、バルコニーに出た。


「・・・・ハァ」

バルコニーからは、ホテルのプールが見えた。広くて、綺麗で、マーライオンを模した噴水から綺麗な水が滝のように流れ続けている。
これを見て入りたいと思わない人間はいないだろう。
ポルナレフも勿論、一目見て入りたいと思った。
水着を借りて、江里子や皆を誘って、あそこでキャーキャーやれたら、さぞかし楽しいだろうと。
だが。


「・・・しかしテメェら、俺達に休む暇も与えてくれないという訳か。」

ポルナレフは部屋を振り返った。


「出て来い!」

やがて、不気味な軋んだ音を立てて、内側から冷蔵庫が開いた。
そして、何と中から人が出て来た。
小型の冷蔵庫から、ポルナレフと同じ位の体格をした、大柄な若い男が。


「・・・・・・」

こんな小さな冷蔵庫、江里子だってきっと入れない。
アンならばいけるだろうか、いや、どうだろう。
そんなスペースに、この男は隠れていたのだ。
少なからず受けている衝撃を決して面に出さないよう、ポルナレフは目の前の男と静かに対峙した。


「なかなか鋭い殺気をしているなぁ。ひとつ名乗っておきな。このポルナレフに殺される前にな。」

男は恐らくネイティブアメリカン、鋭い眼に、三つ編みにした黒い長髪、浅黒い肌の色をしていた。
それだけなら何とも思わないが、不気味なのは、その肌に無数に刻まれた古傷だった。
ポルナレフにも古傷は沢山あったが、この男のそれは半端な数ではない。
顔にも腕にも胴体にも凄い密度で傷があり、まるで黒魔術の道具に刻まれているような禍々しい模様に見える程だった。


「俺の名は、呪いのデーボ。スタンドは、『悪魔(デビル)』のカードの暗示。
呪いに振り回され、精神状態の悪化。不吉なる墜落の道を意味する。」

男は些かも怯まず、不敵な笑みを浮かべて名乗りを上げた。


「何故俺が冷蔵庫の中にいる事が分かった?」

褒めてやろうと言わんばかりのその物言いに、ポルナレフはカッとなり、デーボの胸倉を掴み上げた。


「テメェ、頭脳がマヌケか!?冷蔵庫の中身を全部外に出して、片付けてねぇぜ!!」

ポルナレフは冷蔵庫の上を指差した。
そこには、汗をかいたビールやジュースの缶瓶が、何本も無造作に放り出されてある。こんな状態になっていれば、子供だって気が付くというものだ。


「・・・・フン」

デーボは嫌な含み笑いを浮かべた。


「はっ・・・・!?」

危険だ。
瞬時に察知して間合いを取った瞬間、デーボはスタンドを発動させた。


「【悪魔−エボニー・デビル−】!!」
「シルバーチャリオッツ!!」

チャリオッツの剣が、圧倒的に速かった。


「ぎにゃあぁぁ!!」

デーボはチャリオッツの剣で顔面を何ヶ所も串刺しにされ、悲鳴を上げてダウンした。どうやら不気味なのは見てくれだけの、見かけ倒しだったようだ。


「呆気ねぇ奴だぜ!こないだの海で出遭ったエテ公の方が、よっぽど強敵で恐ろしいスタンド使いだったぜ。」

その時、デーボがゆらりと立ち上がった。


「おっ!?」
「つ、遂にやったな、ポルナレフゥゥンッ・・・・!イヒヒヒヒ、よくもこんなにしやがってぇ・・・・・!」

血塗られた顔で、デーボは笑っていた。


「エヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ!!」

突かれた左目から血を噴き出しながら。


「いてぇよぉぉーーっ!!!とっても、いてぇよおぉぉぉーーっ!!アハアハアハ、イヒャヒャ、アハハハハハ!!」

それはそれは、愉しげに。


「な、何だ、こいつ・・・・!?」

こんな人間を、ポルナレフは知らなかった。
人は痛みを前に、やせ我慢する事は出来ても、笑う事など出来ない。
それをこの男は、心の底から愉しそうに笑い転げているのだ。


「いてぇよぉぉ、ウヘヘヘヘ・・・・・!おのれ、ウヘヘヘヘ、グエワブバワワワ・・・・・!」

とてもまともな神経の持ち主ではない筈だった。
考えられるのは、重度の薬物中毒者か、さもなくば生まれついての気違いか。
ヨロヨロと後ろ歩きでバルコニーに逃げていくデーボを、ポルナレフは少なからず恐れながら見つめていた。


「よくも、よくもやりやがったなぁ!
これで思いっきりテメェを恨めるというものだぁ、ヒハハハハハ!
こんなに、こんなに痛い苦しみは、晴らさなくちゃあいかんなあぁばばばば・・・・!」

やがてデーボは、バルコニーの手すりに背中をぶつけて止まった。


「わざと見つかって、わざとやられたんだよお!へへ・・・わぁぁぁーーっ・・・・!」

そして、両手を広げて空を仰ぎ、どう見てもわざと、自ら、手摺を乗り越えて落ちて行った。


「っ!!」

ポルナレフはすぐさま駆け寄り、下を覗き込んだ。
だが、デーボらしき男の姿は、何処にもなかった。


「い、いない!?き、消えた・・・・・!ど、どういう事だ・・・・・・!?」

その時突然、シャキン!という金属音が聞こえ、同時に、左足に激痛が走った。


「うわっ・・・・・!」

左足首の身が削ぎ落とされていた。
身を斬られ、血が噴き出すその痛みよりも、まず先に驚きが勝った。


「し、信じられん・・・・!いつの間に斬りやがった・・・・!?
攻撃を受けた感覚は全く・・・・、いや、確かに、なかった・・・・・!」

報せねば。
仲間に報せねば。
ポルナレフは急いで部屋の中に戻った。












バッグの中を探って傷口を縛れそうな適当な布を取り出し、ベッドの上で手当てをしながら、ポルナレフは1212号室、ジョースターの部屋に内線電話を掛けた。


「ジョースターさんか!?スタンド使いが俺の部屋に潜んでいた!
ん?お前アヴドゥルか!?とにかく聞いてくれ!
ふ、不可解な奴なんだ、強いのか弱いのか、不気味だった・・・・!
逃げられた、くっそ、何てこった・・・・!油断するな!足をいきなり斬られた!」
『落ち着け、ポルナレフ!落ち着いてまずは深呼吸しろ!』
「あぁ!?この非常時に何言ってやがる!?」
『非常時だからこそだ!その話では訳が分からん!落ち着いて、順を追って話せ!』

アヴドゥルに叱られて一瞬苛立ったが、しかしそれは、ポルナレフにとって結果的に良い事だった。
不可解な敵を前に、確かに些か興奮しすぎていたのだ。
ポルナレフは渋々ながらもアヴドゥルの言う通り、意識して深く一呼吸した。


『まずはお前の怪我の具合だ。足を斬られたと言ったが、深刻なのか?』
「ああ、いや、それは大丈夫だ。大した事ない。」
『そうか。それは何よりだった。それで、そいつのスタンドは見たのか?本体は?』
「ああ!スタンドも本体も、両方見たぜ!ついでに名乗りも上げやがった!」
『何と?』
「スタンドはエボニーデビル。悪魔のカードの暗示を持つスタンドだ。
本体の男の名は、呪いのデーボ。俺より少し年上位の、身体中に傷のあるインディアンの男だった。」
『悪魔のカードの暗示のデーボ!?』

アヴドゥルは、驚いたように声を張り上げた。


『確かにそいつはそう言ったのか!?』
「ああ、だがどう思い出しても、納得がいかん!
確かに奴のスタンドはチラリと見えた、しかし、攻撃された形跡がないのに、足を抉られたんだ!」

アヴドゥルは、あの男について何か知っているのだろうか。
蛇の道は蛇、どう見ても下劣で凶悪なあの男ならば、シェリーを殺した両右手の男の事を知っているかも知れない。
うまくすれば、一気に辿り着けるかも。
ともかく、電話で長々と話していても埒があかない事だった。


「とにかくだ、5分後、そっちに行くぜ!」

ふと、ベッドの下に下ろしていた右足に、何かが当たった感触がした。
それを足先で探り当て、蹴り出すと、サイドテーブルに飾られていたあのインディアン人形だった。
さっきの戦闘のドタバタの時に転がり落ちて、ベッドの下に潜り込んでしまっていたのだろう。


「1212号室、12階だな!?花京院と承太郎にも連絡をしてくれ。じゃ!」

アヴドゥルとの電話を終わらせると、ポルナレフは次に、フロントの番号を呼び出した。ワンコールで、すぐに男の従業員が出た。


『フロントです。』
「もしもし?ホテルのルームサービス?ちょいと足を怪我した。」

ポルナレフは会話をしながら、足元の人形を拾い上げた。


「何か適当な薬と包帯を持って来てくれないか?912号室のポルナレフだ。」
『かしこまりました。すぐにお持ち致します。』

よく見ると、人形の目が開いていた。
このタイプの人形ならば知っている。瞼が開いたり閉じたりするやつだ。昔、シェリーも持っていた。尤も、シェリーの人形は、もっと可愛らしい女の子の人形だったが。
しかしこのインディアン人形は、縦にしても横にしても、どういう訳か目を閉じなかった。
さっきまでは確かに閉じていたと思ったのに。
古臭い人形だから、多分アイシャッターの開閉機能が壊れているのだろう。
受話器を置いたポルナレフは、人形を元の位置に座らせて、早速にも1212号室へ向かおうと立ち上がりかけた。


「・・・・はっ!?」

その時、ポルナレフはある重大な事に気が付いた。


「ああぁ、何てこった・・・・・!傷を縛ったのは、履いて洗っていないパンツの方だった・・・・・。ちくしょお、うぅ・・・・」

今はそのショックの方が大きすぎて、人形の事など、一瞬で忘れてしまっていた。
















どうもこの様子では、素敵なレストランでランチというわけにはいかなさそうだ。
とても、嫌な予感がする。
通話の切れた受話器を、アヴドゥルはゆっくりと本体に戻した。


「知っているのか、アヴドゥル?ポルナレフを襲った敵の素性を?」

着替えを終えたジョースターが、コーヒーを飲みながら尋ねた。
見ればテーブルの上にもう1つ、マグカップが置いてある。彼が淹れてくれたのだ。


「ええ。呪いのデーボ・・・・、『ネイティブアメリカンの呪術師』という触れ込みで商売する殺し屋です。
しかし、恐ろしいスタンド使いだ。マフィア、軍人、政治家、彼を雇う者は世界中にいます。
以前、一度だけデーボの姿を見掛けた事があるが、全身傷だらけ、しかもその傷は、まず相手を挑発し、自分を痛めつけさせた証。
その恨みのパワーでもって、自分のスタンドを操るのです。だから一般の人間には、呪い殺されたと見えるのです。」
「ポルナレフはそれに嵌ってしまったと?」
「・・・まずい事に。」
「どんなスタンドだね?」
「誰も知る者はいない。出遭った者は全員、即ち殺されているからです。」
「うぅむ・・・・」
「とにかく、ポルナレフを一人にしておくのは危険です!そして我々も!」
「そいつは一人ずつ、確実に、我々全員を倒すのが可能という訳か。」

ジョースターは少しの間沈黙してから、再び口を開いた。


「ともかく、全員をこの部屋に集めよう。」
「エリーとアンはどうします?」
「うむ・・・・・」

そこが悩ましいところだった。
ここへ連れて来ても、自分達の部屋に待機させておいても、どちらも安全と言えるし、また危険だとも言える。


「・・・エリーだけを呼び寄せようとしても、あの子の事じゃ、齧り付いてでもついて来るだろうな。」
「でしょうな。」
「やむを得ん。エリーにはあの子と共に部屋に閉じ籠っておいて貰おう。
デーボが痛めつけられた恨みのパワーでスタンドを操るというのなら、奴と会わない限りは恐らく大丈夫だろう。
それよりも、ここへ呼び寄せて、我々の話を色々と聞かれる方が、あの子にとっては危険じゃ。」
「・・・・・そうですね。私もそう思います。」

アヴドゥルが同意すると、ジョースターは電話の受話器を取り上げ、承太郎と花京院の部屋、1010号室をコールした。






















「・・・分かった。1212号室に集合だな、ジジイ。」

承太郎が受話器を置いた。
その声に緊張が篭っているのを、花京院は感じていた。


「何事だい、ジョジョ?」
「行くぞ。どうやらヤバい事態だ。」

承太郎は受話器を置くや否や、スタスタと行ってしまう。
花京院は部屋のキーを取ると、すぐにその後を追った。


「それで、そのヤバい事態とは?」

廊下を歩きながら、花京院は尋ねた。


「ポルナレフが敵に襲われた。」
「何だって!?」
「悪魔のカードの暗示を持つスタンド使いだそうだ。
名は呪いのデーボ。身体中傷だらけのインディアンの男だと。」
「呪いのデーボ・・・・・・。それで、ポルナレフは?」
「足を怪我したが、大した事はないらしい。デーボには逃げられたようだ。
これからジジイ達の部屋で落ち合って、奴を迎え撃つ対策を練るそうだが・・・・」

階段を上がりきった承太郎は、不意に進行方向を変え、11階のフロアの方へと歩き始めた。


「ジョジョ、ここは11階だぞ?ジョースターさん達の部屋は12階・・」
「分かってる。江里とあのチビの部屋に寄るんだ。」
「江里子さん達の?」
「ジジイに頼まれてな。二人の様子を見がてら、江里にだけ事情を話しに行く。」
「彼女等は呼ばれていないのか?」
「ああ。あのチビにこっちの事情を知られたくないらしい。」

あの少女とはきっと、明日にも別れる事になる。
その後の彼女の身の安全については、一切保証出来ない。
下手に関わらせてしまっては、あの少女を危険に晒す事になると、ジョースターは考えたのだろう。


「そのデーボって奴が、絶対にアイツ等を襲わねぇと決まったもんでもねぇんだがな。」

相変わらずの涼しげなポーカーフェイスだ。
その整った横顔をチラリと一瞥して、花京院は口を開いた。


「・・・心配かい?」

こんな意地の悪い質問をしてしまった理由は、自分でも良く分からなかった。
強いて言うなら、魔が差した、というのが一番近い気がした。
だから、答えを聞きたがるのは承太郎に悪いし、そもそもその答え自体、聞くまでもない事だった。


「まあ、君の言う事も尤もだね。そいつが彼女達を狙わないという保証はない。
だからそこで・・・・・・・、私のスタンドの出番だ。」

花京院は微笑むと、ハイエロファントグリーンを発動させた。


「私のスタンドで、江里子さん達の部屋に結界を張り巡らせておこう。
万が一の事があればすぐに私が感知出来るし、そもそも、ハイエロファントの結界には滅多やたらに手出しは出来ない。」
「・・・・フン。」

承太郎も、微かに口の端を吊り上げた。


「よし、行くぞ。」

承太郎は、1122号室のドアをノックした。
ドアはすぐに開いた。



「あ!ジョジョ!」

応対にはアンが出て来た。


「何か用?」
「いたか。江里は?」
「エリー?勿論いるわよ?」
「呼べ。」
「わ、分かった・・・・。エリー!」

アンが部屋の奥に向かって呼び掛けると、江里子もすぐに出て来た。


「あれ、どうしたんですかお二人共?まだ集合時間じゃありませんよ?それに、集合はロビーじゃあ・・」
「それは一旦保留だ。良いか、暫く部屋から出るな。」
「え?」
「後でまた迎えに来る。」

承太郎は全く、ぶっきらぼうな男だ。必要最低限の事しか言わないのだから。
花京院は小柄なアンの為に少し腰を落とし、微笑みかけた。


「知らない人が来ても、決してドアを開けるんじゃあないぞ。」
「あ、うん・・・・・」
「よし。じゃあ、奥に行っておいで。」
「はぁい・・・・・・」

アンは少し怪訝な顔をしながらも、花京院に従って素直に部屋へ戻って行った。
アンの姿が見えなくなると、花京院はそれまでの微笑みを消した。
それで十分察しがついたのだろう。江里子は途端に不安げな表情になった。


「・・・何かあったんですか?」
「ポルナレフが敵に襲われました。」
「えぇっ!?」
「静かにしろ。アンに気付かれる。」

承太郎が小声で呟くと、江里子は慌てて自分の口を掌で塞いだ。


「彼は無事です。ですが、敵には逃げられたらしく、まだ居場所も判明していません。」
「そうですか・・・・」
「我々はこれから、ジョースターさん達の部屋で落ち合い、対策を立てて敵と闘います。我々が迎えに来るまで、アンと共に決してこの部屋から出ないようにして下さい。
また、我々以外の誰が来ても、絶対に応対しないで下さい。たとえホテルの従業員でもです。」
「はい・・・・・・!」
「一応伝えておきますが、敵の本体は身体中に傷のあるインディアンの男です。万が一、そんな風貌の男がこの部屋を訪ねてきたら、特に用心して下さい。」
「は、はい・・・・・・!」

江里子の顔に戦慄が走る。
また怯えさせてしまったのだ。
仕方がない事とはいえ、心苦しかった。


「大丈夫。この部屋には私が結界を張り巡らせておきました。」
「え、い、いつの間に・・・・!?」
「たった今、貴女と話しながら。」

花京院は江里子を安心させるように、小さく笑い声を上げた。


「という訳ですので、用心は必要ですが、心配はご無用です。必要以上に気になさらず、アンと二人でゆっくりしていて下さい。」
「・・・すみません。何のお役にも立てなくて・・・・・」

江里子は申し訳なさそうに視線を落とした。
すると承太郎が、小さく鼻を鳴らした。


「何を今更。テメェは俺達の『お荷物』なんだろ?」
「そ、それは・・・・・」
「だったら、お荷物はお荷物らしく、デーンとしてりゃあ良い。テメェは黙って俺達に担がれてろ。」
「う・・・・・・」

江里子は、どう反応して良いか分からない様子だった。
黒い瞳が、戸惑うように揺れている。
江里子は、承太郎の事をどう思っているのだろうか。
大抵は悪口の応酬だが、偶に二人はこんな空気になる時がある。
承太郎も、江里子の事をどう思っているのだろうか。


「・・・・・」

今はそんな事を考えている場合ではないのだ。
花京院は半ば無理矢理考えを断ち切ると、本題に戻った。


「それと、ジョースターさんからの通達ですが、我々の事情は、アンには言わないで下さい。」
「あ、は、はい・・・・!」
「我々と別れた後、あの子に危険が及ばないようにする為です。あの子にどんなに問い詰められても、決して話さないで。」
「分かりました・・・・!」
「では。」

花京院は小さく頭を下げ、静かにドアを閉めようとした。
それを、江里子が阻んだ。


「気を付けて下さいね、二人共・・・・・!」

ドアの隙間から心配そうな顔を出して、江里子は言った。


「迎えに来てくれるの、待ってますから・・・・・!」

ホリィの言っていたという言葉が、思い出された。
お荷物を抱えている男は、本当の意味で強い。
このお荷物を残して絶対に死ねない、必ず生き抜かねば。
その思いが、男を強くさせる。
空条ホリィという女性は、何と凄い人なのだろう。
正に今、その言葉の通りの心境になっているのだから。
江里子と出逢って、江里子と共に旅をするようになってから、自分が少しずつだが、変わってきている気がする。
狭い殻の中に閉じ籠っていた惰弱な子供から、一人前の男になろうとしている。


「・・・・・すぐに迎えに来ます。」

そんな自分が、密かに誇らしかった。
















「11時過ぎかぁ・・・・・」

アンは壁の時計を見上げて、退屈そうに呟いた。


「お腹空いたなぁ・・・・・」
「ジュースでも飲む?」
「うん。」

江里子は冷蔵庫からオレンジジュースの缶を2本取り出し、1本をアンに差し出した。


「ありがと。ねぇ、エリー。」
「ん〜?」
「真面目な話、アンタ達ってさあ、何者なの?」

アンのその質問に、プルタブを開ける手が止まった。


「ジイちゃんは、娘さんの為に旅してるって言ってた。その娘さんって、ジョジョのお母さんなんでしょ?
その人の為に旅をしているって、どういう事?
ジイちゃんとジョジョはともかく、エリーやポルナレフや花京院さんやアヴドゥルさんは他人なんでしょ?何で一緒に旅をしているの?」

アンはジュースを飲みながら、幾つも質問を飛ばしてきた。
恐らく来ると予想は出来ていた事だったが、いざとなると答えに困った。


「・・・・・・ごめんね。私もよく知らないの。」

困った挙句、江里子は笑って誤魔化した。
しかしアンは、それでは引き下がらなかった。


「よく知りもしないのについて来たの?女の子なのに?あんなに危ない目に遭ってまで?」
「それはアンも同じでしょ?女の子なのに、それも私より年下なのに、たった一人で、密航なんて危ない事して。」
「そっ、それは・・・・・・・!」

まだ子供なのだ。
自分の発想の矛盾に気付かず、思った事をそのまま言ってしまう。
そして、指摘されて初めて気が付き、決まりが悪くなって黙り込んでしまう。
そんなアンが、可愛いと思った。


「私ね、承太郎さんちの家政婦なの。」
「えっ!?そうなの!?」
「承太郎さんのお母さん、ジョースターさんの娘さんは、私にとっての『女主人(ミストレス)』なの。」

江里子はふと、ホリィの事を考えた。
あれからホリィの容態はどうだろうか。
少しは熱が下がっただろうか、それとも、悪化の一途を辿っているのだろうか。


「彼女は私の主人で、大恩人で・・・・、大好きな人。
だから、詳しい事情なんてどうでも良かった。
私も、彼女の為に少しでも何かの役に立ちたくて、その一心でついて来たの。」

ホリィの笑顔を思い浮かべながら、江里子はアンに微笑みかけた。


「そっか・・・・・・」
「ごめんね。ちゃんと説明出来なくて。」
「ううん。」

幾らアンの為とはいえ、あれだけ怖い目に遭わせておきながらこんな話で誤魔化してしまう事に、多少の罪悪感はあった。
しかしアンは、江里子のその話で十分納得してくれたようだった。
安堵すると同時に、江里子は、アンの事情をまだ殆ど何も聞いていなかった事を思い出した。


「そういえば、アンは?」
「えっ?」
「5日後にお父さんと会えるんでしょ?お父さんってどんな人?こっちにはお仕事しに来てらっしゃるの?」

近隣の国の大きな街へ出稼ぎに行くというのは、この東南アジアの国々にはよくある話だ。日本にだって、そういった外国人労働者が沢山いる。
アンの父親もきっとその一人なのだろうと、江里子は思っていた。
だがアンは、急にしどろもどろになった。


「えっ・・・・あ、そ、そう!仕事で・・・・!べ、別にどんな人って事もないよ!フツーのオジさん!」
「へー・・・・」

その慌てぶりには、ちょっと引っ掛かるものがあった。


「そ、そうだ!あたい今の内にシャワー浴びようっと!先借りるねーっ!」

アンの父親は、単なる出稼ぎ労働者という訳ではないのだろうか。
たとえば、そう、あまり考えたくはないが、母国で犯罪を犯して逃亡中、だとか。
だが、詳しい事情を話せないのはお互い様だ。
アンは、口は乱暴だが、根は悪い子ではない。
そそくさとバスルームに逃げて行くアンを、江里子は黙って見送った。
















花京院が江里子とアンを迎えに来たのは本当にそれからすぐ、僅か30分も経たない内の事だった。


「なっ・・・、何ですかその大怪我はーーっ!?」

連れて行かれた1212号室でポルナレフに会うや否や、江里子は絶叫した。


「てっ、手当てしないと!すぐに!」
「こんくれぇ大丈夫だよエリー。」

当の本人は平気そうに笑って煙草を吸っていたが、血だらけで、何故か全身びしょ濡れで、江里子の目にはとでも大丈夫そうには見えなかった。


「大丈夫じゃありませんよ!血塗れじゃないですか!!」
「大体の所はもうアヴドゥルに手当てして貰ったぜ。後は全部掠り傷だよ。」
「それ掠り傷って言うんですか!?っていうか、なんか臭い・・・、お酒!?
服がビシャビシャなの、お酒で濡れてるんですかそれ!?」
「とか色々だけど、何その顔!?言っとくけど、俺一滴も飲んでねぇよ!?俺は闘ってたんだからな!?そこんとこ誤解すんなよ!?」
「とにかく全部脱いで下さい!そんなんじゃソファにも座れないでしょう!?」
「いや〜ん。全部脱げだなんて、エリーのエッチィ♪」
「何言ってるんですかっ!もうっ!!」

ドタバタやっていると、突然、部屋のドアが激しくノックされた。


「何だ?」

アヴドゥルが、首を捻りながら応対に出た。
すると。


「どけどけっ!」
「ポルナレフというのはどいつだ!?」

数人の警官がアヴドゥルを押し退けて、部屋の中に踏み込んで来た。


「ポルナレフは俺だが?」

ポルナレフは堂々と彼等に応対した。
すると、その中の一人がズイッと前に出て、ポルナレフを指差した。


「ポルナレフ、やはりな!最初に通りで見た時から、ロクでもない奴だと思っていたわ!」
「はぁ!?・・・・あっ、お前!さっきのマヌケな警官!!」
「誰がマヌケだ!」

なるほど。
その警官は、さっき表通りで無実の罪で絡んできたあの警官だった。



「912号室に泊まっているのは貴様だな!」
「それが何か?」
「室内の著しい器物破損は貴様の仕業だな!」
「え?・・・・あ〜・・・・・」
「室内で顔面を削ぎ落されて惨殺されていたホテルの従業員と、9階フロアの男子便所の個室で刺殺されていた身元不明の男の事も、何か知っているな!?」

それは気の毒にも巻き込まれてしまった犠牲者と、呪いのデーボの筈だった。
恐らくは、トイレで見つかった刺殺体の方がデーボなのだろう。
江里子達には、すぐにそれが分かった。
だが、スタンド使いでも何でもない只の刑事やおまわりさんに、それが分かる訳もない。


「ポルナレフ!貴様を殺人及び傷害及び器物損壊罪の犯人として逮捕する!!」
『はぁ!?!?』

ポルナレフの両手首に掛けられた手錠を見て、本人を含む一同は全員、目が点になった。


「ちょ、ちょっと待ってくれ!何か証拠があるのか!?」

いち早く我に返ったのは、花京院だった。


「物証や証言がなければ、逮捕は出来ない筈だ!これは違法じゃあないのか!?」
「はぁん!?物証!?証言!?んなモン、こいつのこのナリを見れば一目瞭然だろう!」

刑事はとんでもなく凶悪そうな表情を浮かべて、ポルナレフを指差した。


「コイツは何らかの理由で、殺された男と912号室で争った!
そして、コイツが男の全身を刃物でメッタ刺しにした!!
男は部屋から逃げ、トイレの個室に逃げ込み、そこで力尽きた!!そういう事だろう!!」
「ならば、部屋から便所の個室までの間は、さぞや血だらけだったんだろうなぁ。」

承太郎がボソリと呟いた。
小さく低い声で、しかし、その場を静まらせる程の威圧感を持って。


「全身メッタ刺しにされたら、相当血が出る筈だ。
逃げる途中に、廊下にも便所の床にも、至る所に大量の血溜まりが出来る。・・・だろう?」
「うぐ・・・・、そ、それ、は・・・・・・・」
「まさか、そういったものは一切無かったのだろうか?」

アヴドゥルが片眉を吊り上げると、刑事は明らかに怯んだ。


「それは〜・・・・・、その・・・・・・」
「ほう、無かったのか。ならば何故、そんな仮説が成り立つのだろうか。是非、納得のいく説明を頂きたいな。」
「いや、その、だから・・・・・」
「犯行現場がトイレの個室だったと仮定するなら、そこにはポルナレフの指紋や血痕が残っている筈なのだが、そういった物はあったのだろうか。
何しろこれだけの怪我だからな。血溜まりのひとつやふたつ、出来ていない訳がない。」

しどろもどろな刑事に向かって、花京院が毅然とした口調でそう言った。


「ううむむ・・・・・」
「凶器は見つかっているのか?
それと、912号室で死んでいた従業員。そいつは一体、何故そこで死んでたんだ?
それも、顔面を削ぎ落されるなんてえげつない殺され方でな。
ホテルの宿泊客と従業員と、身元不明の男が、ひとつの部屋で殺し合う理由は?」
「うぐぐ・・・・・、う、うるさーーーい!!」

承太郎がとどめとばかりに畳みかけると、刑事はとうとう盛大にキレた。



「そ、そんなものは、署の方で詳しく事情聴取すればどうとでもなるんだ!!とにかく来い!」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」

それまで只々圧倒されっぱなしだったが、江里子もようやく口を開く事が出来た。


「どうとでもなるって、どういう事ですか!?まさか彼に濡れ衣を着せる気ですか!?」
「うるさい!小娘が生意気に口を出すな!おい、連れて行け!」
「ちょっ、ちょっと待ってってば!」

ポルナレフを強引に引っ立てて行こうとするマヌケな警官の腕に、江里子は思わずしがみ付いた。


「ええい!放せ!」
「待って!待って下さい!せめて傷の手当てだけでもさせて下さい!大怪我してるんですから!」
「うるさいっ!邪魔すると、公務執行妨害でお前も逮捕するぞ!」
「手当てする間ぐらい待ってくれても良いでしょう!?ほっといて化膿でもしたら大変・・」
「ええい、鬱陶しい!!」
「あっ・・・・・!」

江里子は警官に突き飛ばされた。
突き飛ばされたというよりは、殆ど張り飛ばされるような感じだった。
大した体格もしていない小男なのに悔しいが、うっかりバランスを崩してしまい、江里子はよろめき、倒れ込んだ。


「エリー!」
「きゃっ・・・・・!あ、有り難うございます、アヴドゥルさん・・・・・」
「大丈夫か?」
「は、はい・・・・・」

アヴドゥルが咄嗟に抱き止めてくれなければ、思いっきり転んでいただろう。


「テメェ・・・・・・・、エリーに何してくれてんだ、あぁ?」

それまで飄々としていたポルナレフの顔付きが、瞬時に変わった。


「上等だよ。警察でも何処でも行ってやらぁ。だけどな、覚えてろよ?この落とし前は、必ずつけさせて貰うぜ?」
「う、うぅ・・・・・・・・」

マヌケな警官は一瞬にして、ポルナレフの気迫に完全に呑まれてしまった。
ポルナレフは小さく鼻を鳴らすと、江里子の方を向き、ニカッと笑って見せた。


「心配してくれてありがとよ、エリー!けど、俺なら大丈夫だ!この程度の傷、ツバつけときゃあ治る!」
「ポルナレフさん・・・・・・」
「オメーらもな!メルシー・ボーク―!」

こんな事態に陥っているというのに、ポルナレフは平気の平左で、皆に向かってウインクなどして見せた。


「ま、すぐ帰ってくるからよ!ちょっくら行ってくらぁ!」
「うむ!」

ジョースターは力強く頷くと、落ち着き払った表情で刑事の方を向いた。


「彼にはすぐさま弁護士をつける。今日明日中にも、スピードワゴン財団から派遣されてくる筈だ。そういう事で、宜しく頼む。」
「ス、スピードワゴン財団・・・!?あ、あの世界有数の、大財閥の・・・・!?」
「我々の大事な友人を、根拠もなく殺人犯扱いして逮捕するからには、きっとそちらもそれなりの覚悟がお有りなのでしょうな。少なくとも、こちらはそのつもりでおりますぞ。」
「ぐ、ぐぬぬ・・・・・・!」
「オラ!行くぞ!!さっさとしろ!!」

かくして、ポルナレフは警察へと連行されていった。
されていったというよりは、何故だか彼の方が警官達を引き連れて行く形になっていたが。


「ポルナレフさん、大丈夫でしょうか・・・・・?」

それでもやはり、一抹の心配は付きまとった。
すると、ジョースターが振り返り、あの朗らかな笑顔を見せた。


「なぁに、大丈夫じゃよ、エリー!ま、こうなった以上、仕方あるまい!
奴の事は財団の弁護士に任せておくとして、儂らはとりあえず、ランチにでも行くかのう!」
「早く行こうぜ。いい加減腹ペコだ。」
「あ、見て下さいこのパンフレット。ほら、日本食のレストランがありますよ。久しぶりに和食が食べたいな。」
「うむ、和食か。良いな。」

ジョースターも、承太郎も、花京院も、アヴドゥルも、何だか皆、呑気だった。
だがきっと、大丈夫なのだろう。
彼等が大丈夫だと言ったら、それはきっと大丈夫なのだ。


「・・・・・お食事が済んだら、ちょっと買い物に行って来ても良いですか?荷物が全部海に沈んでしまったので、着替えが無いんです。」
「ああ、そう言えば僕もだ。」
「俺もだ。」
「私もだ。というか、ポルナレフ以外、皆荷物を失くしてしまったからな。」
「儂はさっきそこら辺でひと揃い買ったが、やっぱり幾ら何でも足りんのう。
よし!食事が済んだら皆でショッピングしに街へ出よう!」
「あ、あたいも行っても良い!?」
「勿論じゃよ!」
「うわぁい!ありがとうジイちゃん!」

江里子の顔にも、いつの間にか、自然と笑みが浮かんでいた。




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