江里子達の乗っていた東京発エジプト行きの飛行機は、墜落事故により、香港沖35キロ地点で不時着した。
事故の原因はパイロット達の死亡と機体の自動操縦装置の故障だったが、そうなるに至った原因がことごとく謎に包まれており、解明されるにはかなりの時間を要するだろうと報じられた。
だが、飛行機墜落という大事故の割に犠牲者自体の数は驚く程少なく、乗員乗客合わせて200名足らずのうち、死亡者は7名だった。
内訳は、パイロットが2名、そして乗客が5名。
その中の1名がグレーフライという男性、タワーオブグレーの本体である、あの老人だった。
怪我人は何十人かいたようだったが、全員軽傷らしく、病院に搬送はされていったが、いずれもすぐに退院出来るような様子だった。
そんな中、江里子達は。
「ここが香港・・・・・!」
予定外に香港への上陸を余儀なくされた江里子達は、救急隊をうまくかわし、ひとまず便利の良い繁華街に身を寄せていた。
「香港って、本当にゴミゴミしてるんですね!」
「香港映画の世界そのままだな。」
これが人生初の海外旅行である江里子は勿論、アヴドゥルも香港は初めてだったようで、江里子はアヴドゥルと共に辺りをキョロキョロと見渡していた。
事故のショックは、初めて見る街並みへの好奇心が次第次第に消していってくれていて、今はもうすっかり落ち着きを取り戻していた。尤も、江里子自身を含めた一同全員に怪我らしい怪我がなかった事も、理由として大きかったが。
ジョースターは今、通りの向こうの公衆電話でどこかに電話を掛けている。それが終わるのを皆で待っている最中だった。
「そこのデカい兄ちゃん!」
不意に道端の店の中から、店員が承太郎に声を掛けてきた。
「あ?」
「アンタら観光客かい?どうだい、お粥!香港に来たら、点心かお粥食べなくちゃ!ホットコーラもあるでよ!」
「お粥か、悪くない。」
そのセールストークを聞いた花京院は、店のショーケースを覗きに行った。
「知っているか、ジョジョ?日本とは違って、香港では主食としてお粥を食べる事が多いんだ。
じゃ、ポピュラーな豚肉とピータンのお粥を貰おうかな。」
「毎度!」
花京院は豆知識を披露した後、さっさと注文をした。どうやら彼は食べる気満々のようだった。
いや、花京院だけではない。アヴドゥルも、承太郎も、満更でもない様子で店の前に集まって行った。
それは無論、江里子とて例外ではなかった。
何しろあの事故のせいで、朝食も食べそびれているのだ。
フライト直前に羽田空港のティールームで食べたカレーライスを最後に、実に16時間もの間、何も食べていないのだ。
セールストークに思わず釣られてしまっても、無理からぬ事だった。
「では、私は・・」
アヴドゥルが注文しかけたその時、通りの向こうからジョースターが呼び掛けてきた。
「おーい!!」
電話を終えたらしいジョースターは、こちらに向かって歩いて来た。
「お前ら、何を食おうとしてるんじゃあ!?これから儂の馴染みの店に行こうとしているのに。」
ジョースターは、お粥を注文しようとしていた江里子達を阻んだ。
するとすかさず店員が、ジョースターにも呼び掛けた。
「おっ、そこのダンディな旦那!香港名物ホットコーラはいかがですかな!?」
「ホットォ!?コーラは冷たいもんと相場が決まってるんじゃい!」
ジョースターは、店員の勧めを即座に断った。
店員は何とかホットコーラなるものを売り付けようと、あれこれセールストークを展開しているが、ジョースターはことごとくこき下ろし、否定に次ぐ否定を繰り返していた。
幾ら客とはいえ、店の売り物を無遠慮にこき下ろすジョースターもジョースターだが、どこまでも食い下がる店員のしつこさもかなりのものだと、江里子は半ば呆れながらそのやり取りを見ていた。
「ジジィ、どこに電話してたんだ?」
承太郎が話し掛けると、ジョースターはようやく店員とのやり取りをやめ、承太郎に向き直った。
「ん?ああ、詳しい事は店に行ってから説明するが、この先、安全かつ最短でエジプトに辿り着く為には、色々と策を講じなければならんという事だ。」
一同の間に、再び緊張が走った。
「策、ですか・・・・」
花京院は短くそう呟き、また黙り込んだ。
策と言われても、一体全体、何をどうすれば良いのか。
きっとそれを考えているのだろうと思われた。
「ジョースターさん、我々はもう一般人の犠牲を出す訳にはいきません。最短といえども、飛行機の使用は・・・・」
「分かっておる、アヴドゥル。」
ジョースターは言葉少なにそう返すと、フッとリラックスした表情になった。
「ともかく、食事に行こう!儂ぁもう腹ペコなんじゃ!食うものを食わにゃあ、動くに動けんわい!
なぁ、エリー?君も腹が減っただろう?」
「とっても。」
江里子は笑って頷いた。
連れて行かれたのは、水宝酒家という名の店だった。
店構えからして明らかに道端の他の店とは格が違っていたが、やはり、江里子には無縁なレベルの高級レストランだった。
スタイリッシュな黒服のボーイと、艶やかなチャイナドレス姿の美しいウェイトレスが優雅に店内を行き交い、インテリアは豪華絢爛、客の数は少なく、見るからに富裕層の人間ばかりである。落ち着いた静かな雰囲気の中で高級料理をゆっくりと楽しむ、明らかにクオリティを重視している店だった。
そんな店に来たのはこれが初めてだったので、江里子は緊張してギクシャクしていたのだが、他の者は皆落ち着き払った様子で、堂々と腰を落ち着け、出されたお茶を嗜み始めた。
江里子も見様見真似で彼等に倣い、この店の常連だというジョースターお勧めのジャスミンティーを味わった。
「どうじゃ、エリー?」
「・・・・・・美味しいです!こんなの初めて・・・・・・!」
初めて飲むジャスミンティーは、少しほろ苦く、かつ芳しく、実に優雅な味わいだった。
「良い香り・・・・・・!」
「そうじゃろう、そうじゃろう!ハッハッハ!」
江里子が喜ぶと、ジョースターは得意げに笑った。
そして、場を仕切り直すかのように、軽く手を打って鳴らした。
「さて!ではまず、今後の作戦会議といこうかの!」
かくして、ジョースターの鶴の一声で、作戦会議が始まった。
「確かに、我々はもう飛行機でエジプトに行くのは不可能になった。
またあのようなスタンド使いに飛行機内で出遭ったなら、今度という今度は、大人数を巻き込む大惨事を引き起こすだろう。
陸路か、海路をとってエジプトに入るしかない。」
ジョースターがそう言うと、アヴドゥルが少し、険しい表情を見せた。
「しかし、50日以内にDIOに出遭わなければ・・・・・!」
アヴドゥルの言わんとする事は、全員、分かっていた。
尤な意見だった。
無関係な人々に危害を及ぼす訳にはいかないが、かと言って、そればかりを考えて回り道をしていたら、元も子もなくなる。
誰もが難しい顔をして黙り込む中、花京院が口惜しそうに呟いた。
「あの飛行機なら、今頃はカイロに着いているものを・・・・」
「・・・・分かっている。しかし、案ずるのはまだ早い。」
だが、ジョースターはそう返した。
何か良い案があるのだろうか。
江里子も、他の者達も皆、一縷の期待を抱いて話の続きを待った。
「100年前のジュール・ヴェルヌの小説では、80日間で世界1周、4万キロを旅する話がある。
汽車とか、蒸気船の時代だぞ。
飛行機でなくても、50日あれば、1万キロのエジプトまで訳なく行けるさ。」
話しながら、ジョースターは懐から地図を取り出し、テーブルの上に広げた。
「そこでルートだが・・・・・」
地図は、世界地図だった。
皆がそれを覗き込むと、ジョースターは話を続けた。
「儂は海路を行くのを提案する。適当な大きさの船をチャーターし、マレー半島を周って、インド洋を突っ切る。いわば、海のシルクロードを行くのだ。」
その意見に、アヴドゥルも頷いた。
「私もそれが良いと思う。陸は国境が面倒だし、ヒマラヤ山脈や砂漠があって、もしトラブったら足止めを喰らう。危険がいっぱいだ。」
「私はそんな所、両方とも行った事がないので、何とも言えない。お二人に従うよ。」
「同じ。」
花京院も同意を示し、承太郎も頷いた。皆、船旅に異存はないようだった。
だが、正直なところ、江里子は少なからず不安だった。飛行機と同じく、船も乗った事がなかったからだ。
果たしてどんなものなのか、不安と、幾らかの恐怖心もある。
だが、何の役にも立たないのに強引にくっついてきている立場で、我儘を言う事は出来なかった。
我儘どころか、この旅に関して一切合財、口を挟む権利など自分にはないと思っていた。
「エリーも、それで構わんかな?」
だが、ジョースターは江里子の意思をも確認してきた。
こんな『お荷物』の意思など確認したところで、彼等の旅に何の利益ももたらさないのに。
「え、ええ、勿論。」
江里子は慌てて笑顔を取り繕い、頷いて見せた。
ジョセフ・ジョースターという人は、何と器の大きな人なのだろうか。
自分の大事な一人娘の命の危機だというのに、こんなお邪魔虫同然の小娘や、見ず知らずの他人の身まで案じて。
そんな状況ならば、恥も外聞もなく取り乱し、利己的な振舞いをしたとて、何の不思議もないのに。
江里子はジョースターを改めて尊敬すると共に、決して彼に余計な心配を掛けてはいけないと強く思った。
「決まりだな。だが、やはり一番の危険は、DIOが差し向けてくるスタンド使いだ。」
ジョースターは地図を元通りに畳んで懐にしまいながら、難しい顔で唸った。
「如何にして見つからずにエジプトに潜り込むか・・・・・」
そう。
今のところ、そこが一番の難問だった。
誰もが難しい顔をして、それを考えようとしていた。
その時。
グゥゥ、グキュルルルゥゥ・・・・・・
「!!」
静かな店内に、江里子の腹の虫が鳴り響いた。
「・・・・・・ったく、はしたねぇ女だな。ちったぁ我慢出来ねぇのか?」
承太郎に呆れられ、江里子は思わず動揺した。
「でっ、出来ますよ!!違いますこれは!わざとじゃなくて、そう、不可抗力で・・・・・!」
顔がカッと熱くなっているのが、自分でも分かる程だった。
早く落ち着きを取り戻さねばならないが、しかし男達は皆、江里子を見て笑うばかり。
残念ながら、江里子の顔は益々赤くなる一方だった。
「なっ、何ですか皆して!そんなに笑わなくても・・・・・!」
「はっはっは!いやいや、良いんじゃよエリー!その通りじゃ、まずは食事にしよう!さあ、何でも食べたいものを選んでくれ!」
ジョースターはカラカラと笑いながら、江里子にメニューを差し出してきた。
そんなつもりじゃなかったのにと内心で言い訳をしながらも、江里子は大人しくそれを受け取り、メニューを捲ってみた。
中身は当然ながら漢字ばかりで、何となく分かるような分からないような、微妙なところだった。
江里子がメニューと格闘している中、お茶を飲み干したらしい花京院は、茶器の蓋をずらして置いた。
承太郎がそれに気付き、花京院に目を向けた。
「フフ。これは『お茶のお替りを欲しい』のサインだよ。
香港ではこうしておくと、お替りを持ってきてくれるんだ。」
なるほどその通り、大胆にスリットが切れ上がったセクシーなウェイトレスがすぐさまお茶を持ってやって来て、花京院の茶碗にお茶を注いだ。
それを見届けると、花京院は再び口を開いた。
「また、お茶を茶碗に注いで貰った時は・・・・」
そして、トントンと、人差し指でテーブルをつつき、またも続けた。
「これが、『ありがとう』のサインさ。」
花京院は、ウェイトレスにっこりと微笑みかけた。
彼女もまた、チャーミングなスマイルを返した。
サービスを終えた彼女が去っていくと、江里子は花京院に話し掛けた。
「お詳しいんですね、花京院さん。」
「何度か来た事があるもので。」
花京院はそう言って、少し誇らしげに笑ってみせた。
そう言えば、花京院の父親は外務省勤めの官僚だと言っていた。
その父親の仕事の関係だろうか、それともプライベートでの家族旅行だろうか。
訊いてみようと思ったその途端。
「すみませぇん、ちょっと良いですかぁ!?」
見知らぬ男が、江里子達に英語で話し掛けてきた。
「私はフランスから来た旅行者なんですが、どうも漢字が難しくて、メニューが分かりません。助けて欲しいのですが。」
この男の容貌は、とても目立っていた。
真上へと逆立った個性的なスタイルの髪は、透けるように眩いシルバー・ブロンド。
アクアマリンのような、透き通った薄いブルーの瞳。
背が高く、隆々とした筋肉質の逞しい肉体が、変わったデザインの黒いタンクトップ越しにもはっきりと分かる。
そして、両の耳にぶらさがる、半分に割れたハートのような形をした、妙に可愛らしいピアス。
一目見たら絶対忘れないような、印象の強い男だった。
「やかましい、向こうへ行け。」
承太郎はいつもの如く無愛想に、男を追い払おうとした。
そんな承太郎を、ジョースターは苦笑を浮かべて宥めた。
「おいおい承太郎、まあ良いじゃないか。」
ジョースターは朗らかな笑顔で、男からメニューを受け取った。
「儂は何度も香港に来とるから、メニュー位の漢字は大体分かる。どうじゃ、一緒に?」
「それは有り難い!是非!」
男もまた、ジョースターに愛想の良い、にこやかな笑顔を見せた。
だが、何故だろうか。
その笑顔は、江里子には冷ややかな感じに見えた。
冷たく冴え渡る冬の月のような銀色の髪のせいだろうか。
それとも、切れ長の瞳が眼光を鋭く見せるのだろうか。
「で、何を注文したい?海老とアヒルとフカのヒレとキノコの料理?んん・・・・」
ジョースターは手を挙げてボーイを呼んだ。
そして、伝票片手にいそいそとやって来たボーイに、慣れた様子で注文をし始めた。
「これとこれとこれ、あと、これも貰おうかな。そうだ、それも。」
その様子を、一同は疑わしげな目で眺めていた。
ややあって、円卓に所狭しと並んだ料理は。
「・・・・牛肉と魚と貝と、カエルの料理に見えますが・・・・」
並んだ料理を見て、アヴドゥルが実に的確な感想を述べた。
正しく、その通りだった。
貝の蒸し物、大きな魚の煮付け、牛肉の入ったお粥、そして。
「か、カエル・・・・・・・・」
そのままの姿でこんがりと丸焼きにされたカエルがてんこ盛りに盛られている皿を見て、江里子は思わず口元を押さえた。
「確かに、全然違いますね・・・・」
「こうなるって思ってたぜ。」
花京院も唖然とし、承太郎はいつもの如く、やれやれと溜息を吐いた。
そして、フランスから来たというあの男は。
「あぁ・・・・・」
出てきた料理、主にカエルの皿を見て、唖然としていた。
同じ東洋人でもかなりの衝撃なのに、まるで文化の違う西洋人となれば、そのショックは如何ばかりか。
彼の今の心境を、江里子は手に取るように理解出来た。
「はっははは!ま、良いじゃないか!儂の奢りだ!何を注文しても結構美味いものよ!がぁーっはっはっはっは!!さあ、皆で食べよう!」
ジョースターは、己の失敗を豪快に笑い飛ばした。
悪気があってした事でないのは明らかだったし、全員空きっ腹に限界が来ていたので、そんなジョースターを責めようとする者は誰もいなかった。
渋々のように箸を取り、江里子達は恐る恐る、料理を口に運び始めた。
その結果。
「・・・・・んんっ!」
牛肉のお粥を口にした江里子は、その美味しさに思わず目を見開いた。
「おおっ、これは・・・・・!」
同じく、貝の蒸し物を食べた花京院も。
「んん・・・・・!」
魚の煮付けを摘んだアヴドゥルと承太郎も。
皆、驚きの表情でどんどん箸を進めていった。
ジョースターのチョイスは、結果的には失敗などではなかったのだ。
「どうじゃあ、美味いもんだろう!?はっはっはっはっは!」
若者達の食べっぷりに、ジョースターは大いに満足しているようだった。
或いは、責められずに済んで良かったと、内心でホッとしているのか。
どちらにせよ、上機嫌そのものだった。
「おおーっ!これは、手間暇かけてこさえてありますなぁ!」
ゲストの男も、彩り用に飾り切りを施された人参を箸で摘み上げ、しげしげとかざして眺めながら、感嘆の声を上げた。
「ほら、このニンジンの形。『スター』の形。何か見覚えあるなぁ。」
誰もが良い気分で食事をしていた中、何だか少しわざとらしい、違和感のある口調で。
そう感じたのは、江里子だけではなかったようだった。
『!?』
承太郎達も一瞬、食べる手を止めた。
「そうそう、私の知り合いが、首筋にこれと同じ形のアザを、持っていたなぁ・・・・・」
やはり、様子がおかしかった。
男はいやに剣呑な雰囲気を纏っていた。
江里子がそう思った時には、承太郎達は全員、箸を置いて警戒心を剥き出しにしていた。
「貴様、新手の・・・・!」
花京院が焦りも露にそう叫ぶと、男は不敵に鼻で笑い、自分の首筋にその星型のニンジンを張り付けた。
まるで、DIOの首筋にある星型のアザを真似てみせるかのように。
その途端、突然、ジョースターの目の前にあったお粥の丼がボコボコと沸騰を始めた。
そして、噴水のように勢い良く粥を噴き上げた。
「おおっ!!」
「ジョースターさん、危ない!!」
「スタンドだ!!」
それは、沸騰などではないようだった。
江里子の目には見えないが、男のスタンドがジョースターを襲ったようだった。
「マジシャンズレッド!!」
アヴドゥルが円卓をひっくり返し、自身のスタンドで男に攻撃を繰り出した。
「ケッ!」
だが男は、涼しげな表情を崩さなかった。
「何!?新たな、スタンド使い・・・・!?」
アヴドゥルが愕然と呟いた。どうやら攻撃が通じなかったようだった。
男はおもむろに、軽く腕を振るった。
「うぅっ・・・・!?」
「何という剣さばき・・・・!」
ジョースターも、花京院も、驚きの余り目を見開いている。
「俺のスタンドは、『戦車』のカードを持つ【銀の戦車−シルバー・チャリオッツ−】!!
モハメド・アヴドゥル、始末して欲しいのは貴様からのようだな!
そのテーブルに、火時計を作った!火が12時を燃やすまでに、貴様を殺す!!」
男は自信に満ちた声でそう宣言した。
ジョースター達は呆然とひっくり返ったテーブルを凝視しているが、それが今、『火時計』になっているという事なのだろうか。
江里子の目には、それらしい物は何も見えなかった。
「・・・・・・・」
殺すとまで宣言されておきながら、しかし当のアヴドゥルは眉一つ動かさず、落ち着き払っていた。
「恐るべき剣さばき・・・・・。
見事なものだが、テーブルの炎が12を燃やすまでにこの私を倒すだと?
相当自惚れが過ぎないか?あ〜っと?」
「ポルナレフ。」
男は、潔く己の名を名乗った。
「名乗らせて頂こう。ジャン・ピエール・ポルナレフ!」
「メルシー・ボークー。自己紹介、恐縮の至り。しかし!」
アヴドゥルは指先でそのテーブルを指した。
すると突然、テーブルが再び吹き飛び、猛烈な熱風が巻き起こった。
『おおっ!』
「きゃっ・・・・・!」
その勢いと熱に、承太郎達も、江里子も、思わず怯んだ。
この場で冷静な顔をしているのは、アヴドゥルとポルナレフ、この二人だけだった。
「ムッシュ・ポルナレフ、私の炎が自然通り、常に上の方や風下へ燃えていくと考えないで頂きたい。
炎を自在に扱えるからこそ、マジシャンズレッドと呼ばれている。」
「・・・・フン。この世の始まりは、炎に包まれていた。
流石、始まりを暗示し、始まりである炎を操るマジシャンズレッド。
しかし、この私を自惚れと言うのか?この私の剣さばきが・・・・」
ポルナレフはおもむろにズボンのポケットから銀貨を5枚、掴み出した。
「・・・・・自惚れだと!?」
そのコインを、ポルナレフは頭上高くに放り上げた。
「おおっ!?」
「えっ!?」
バラバラに宙を舞った筈のコインは、次の瞬間、規則的に並んで空中で止まった。
「コイン5枚をたった一突き!重なり合った一瞬を貫いた!」
「いや、よぉく見てみろ・・・」
「あれは!?」
ジョースターも、承太郎も、花京院も、目を凝らしてそれを凝視した。
「ぬうっ!?うぅむ、なるほど・・・・、コインとコインの間に、火炎をも取り込んでいる・・・」
アヴドゥルが感心したように唸った。
江里子の目にはその火炎は見えなかったが、銀貨が規則的な並びで宙に浮いている事自体が普通では起こり得ない事であり、それがポルナレフのスタンドの仕業だという事は、江里子にも即座に理解出来た。
「フン。これがどういう意味を持つか、分かったようだな?
自惚れではない、私のスタンドは自由自在に炎をも切断出来るという事だ。
ハッハッ、空気を裂き、空と空の間に溝を作れるという事だ。
つまり、貴様の炎は、私のシルバーチャリオッツの前では無力という事!」
ポルナレフが腕を一振りすると、宙に浮かんでいたコインは床に落ちた。
だが、驚くべきはそこではない。
その瞬間、ポルナレフは店のドアを開けて出て行こうとしていた。
『!』
誰もその動きを捉えられなかったようだった。
「いつの間に!?」
アヴドゥルも、初めて驚きを露にした。
そんな彼に、ポルナレフは言った。
「私のスタンド、チャリオッツのカードの持つ暗示は、侵略と勝利。
こんな狭っ苦しい所で始末してやっても良いが、アヴドゥル、お前の炎の能力は、広い場所の方が真価を発揮するだろう?
そこを叩きのめすのが、私のスタンドに相応しい・・・・・勝利!全員表へ出ろ!!」
その言動は、あくまでもフェアな勝負に拘っているようにも聞こえたし、また、店内にいる無関係な人々や店そのものにも危害を及ぼさないよう、配慮しているようにも聞こえた。
どちらにせよ、自分に絶大な自信があるという事だけは確かだったが。
ポルナレフの言動に、江里子は底知れぬ恐ろしさを感じた。
このポルナレフという男は、飛行機の中で遭遇したタワーオブグレーとは、全く質の違う人間のような気がして。
連れて行かれた先は、香港島のタイハンロード山腹斜面にある不可思議な庭園、その中の広場だった。
「な、何じゃあここはぁ!?」
鮮やかな色彩のサイケデリックなオブジェがひしめき合っている景色を見て、ジョースターは目を丸くした。
その驚きぶりに、ポルナレフは余裕めいた笑い声を軽く上げただけだった。
「タイガーバームガーデンですよ。」
「ほう?」
「何とも言えないこのセンスと世界観は、香港奇妙ゾーンNo.1なのです。」
キョロキョロと辺りを見回しているジョースターにこの場所の事を教えたのは、花京院だった。
香港に来た回数が多いのは、多分、恐らく、ジョースターより花京院の方なのだろう。江里子にはそう思えた。
だが、呑気に観光をしに来た訳ではないのだ。
「ここで予言をしてやる。まずアヴドゥル、貴様は、貴様自身のスタンドの能力で滅びるだろう。」
ポルナレフが改めてそう宣言、いや、予言した。
「アヴドゥル・・・」
「承太郎、手を出さなくて良いぞ。これだけ広い場所なら、思う存分スタンドを操れるというもの!ぬうぅぅん!!」
そしてアヴドゥルも、自身のスタンドを発動させた。
闘いの火蓋が、今、切って落とされたのであった。
「ほぉらぁ!ハッハッハ、ホラ、ホォラァ!ホラ、ホラ、ホォラ、オォラァ!どうしたぁ!?得意の炎を思う存分吐かないのかぁ!?」
ジョースターの後ろに庇われている江里子は、その大きな身体の影から、アヴドゥルとポルナレフの闘いを見守っていた。
スタンドは見えないが、優勢なのは明らかにポルナレフの方だった。
「吐かないのなら、こっちから行くぞ!!
ホラホラホラ、ホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラホラァッッ!!!」
突然、アヴドゥルの後ろにあった鷲のような鳥の彫像が崩れ落ちた。
『うおっ!?』
「っ・・・・・・・!」
離れた場所にいるとはいえ、男達も、江里子も、驚かずにはいられなかった。
そして、更に驚くべき事には。
「うんっ!?」
アヴドゥルは、崩れ落ちた像を凝視した。
粉塵と煙の中から姿を見せたのは、崩壊した像の残骸などではなく新たな彫像、同じ鳥ながら、さっきのものとはまるで違う鳥の像だった。
いや、果たしてそれは鳥なのだろうか。
大きく鋭そうな嘴が目立つ頭部は確かに鳥のものだが、肉体は人間のそれ、それも、筋骨隆々とした逞しい男の身体をしているのだ。
「野郎、コ、コケにしている!突きながら、マジシャンズレッドにそっくりな像を彫ってやがった!」
ジョースターがそう叫んだ。
「あれが・・・・・・、マジシャンズレッド・・・・・・・」
江里子は思わず、その像を無心で見つめてしまっていた。
ジョースターはコケにしていると言ったが、江里子は純粋に驚き、感心さえしてしまっていた。
男達は皆、互いのスタンドが見えている。だが、江里子には見えないのだ。
見たいと思っても見られなかったその姿を思いがけず見る事ができ、ついつい見入ってしまったのも無理からぬ事だった。
「なかなか。フッフッフッフ。この庭園にマッチしとるぞ。マジシャンズレッド。」
ポルナレフは、満足そうに自作の像を眺めつつ言った。
「むぅぅぅ・・・・」
だが、アヴドゥルが目を閉じて、身体の中に力を溜めるかのような様子を見せると、その小馬鹿にしたような笑みを一瞬で消した。
「・・・む、来るな?本気で能力を出すか・・・・。面白い、受けて立ってやる!」
ポルナレフがそう叫んだ瞬間、ジョースターが江里子の肩を強引に抱いた。
「きゃっ!」
「おい、何かに隠れろ!!アヴドゥルの『アレ』が出る!!」
江里子はジョースターと共に、岸壁の陰に隠れた。
「『アレ』だと?」
承太郎と花京院も、それぞれ素早く物陰や岩陰に身を隠した。
その瞬間。
「クロスファイヤー・ハリケーン!!!」
熱と衝撃が、江里子の身体に伝わってきた。
大きな岩越しにも感じる程なのだ。きっと凄まじいエネルギーなのだろう。
遮るものが何もなければ、江里子など余波で吹き飛ばされていただろう。
だがポルナレフは、それを多少なりともまともに受けた筈なのに、些かも動じていないようだった。
「これしきの威力しかないのかぁっ!?この剣さばきは、空と空の溝を作って、炎を弾き飛ばすと言ったろうがぁーーッ!」
『おおっ!?』
江里子はジョースターと共に、恐る恐る岩陰から顔を覗かせた。
「アヴドゥル!!」
ジョースターが叫び声を上げた。
「炎があまりにも強いので、自分自身が焼かれている!!」
「えぇっ・・・・・!?」
何が何だか分からない。ただ、凄まじい熱気だけは感じられた。
まるで火事場のすぐ前に立ってでもいるかのような熱さだった。
やがてアヴドゥルは、前のめりに倒れ込んだ。
「アヴドゥルさん!!!」
絶叫のような叫び声が、江里子の口から迸った。
今すぐに駆け寄って助けねばと頭では分かっているが、脚がピクリとも動かなかった。
「フッハッハ、予言通りだな。自分の炎で焼かれて死ぬのだ。」
ポルナレフは勝ち誇った笑みを浮かべて、アヴドゥルに一瞥を投げ掛けた。
その時。
「ぬぅっ!」
アヴドゥルの背中の辺りから、何かが飛んだ。
「あ〜あ〜、やれやれやれやれだ!!悪あがきが襲ってくるか、見苦しいな!!」
ポルナレフは面倒くさそうに、そして少し失望したように、応戦の構えに出た。
だが。
「妙な手応え!?・・・・っ何!?」
何が起きたのか、江里子には分からなかった。
「馬鹿な・・・・!切断した体内から、炎が出るなんて・・・・!」
ポルナレフの身体が瞬く間に、さっきまでのアヴドゥルと同じように動きを止めた。
同時に、飛んできた物体が地面に落ち、ガチャンと音を立てて割れた。
そう、ガチャンと。
まるで陶器が割れるかのような音を立てて。
「あれはスタンドではない!人形だ!!」
ジョースターも、それに気付いたようだった。
「ハッ・・・・!?」
ポルナレフが、初めてその涼しげな表情に動揺を表した。
それと同時に立ち上がったのは、アヴドゥルだった。
「炎で目が眩んだな。貴様が斬ったのは、シルバーチャリオッツが彫った彫刻の人形だ!」
「ぬうっ!?」
「アヴドゥルさん!!」
あれだけの熱波が嘘のようにかき消えて、まるで何事も無かったかのように平然と立っているアヴドゥルを見て、江里子は大いに安堵し、喜んだ。
「私の炎は自在と言ったろう。お前が打ち返した火炎が、人形の関節部をドロドロに熔かし、動かしていたのだ。
自分のスタンドの能力にやられたのは、お前の方だったな!
そして、改めて喰らえ!クロスファイヤー・ハリケーン!!」
凄まじい熱が、再び空気中で渦巻いた。
「うおわぁぁぁーーっ!!」
ポルナレフは、遠く向こうの方へ吹っ飛んでいった。
「占い師の私に予言で闘おうなどとは、10年は早いんじゃあないかな?」
ポルナレフの身体が地面に落ちた瞬間、その熱はまた幻のように消え去った。
「恐るべき威力!まともに喰らった奴のスタンドは溶解して、もう終わりだ!」
その様子を見たジョースターは、元から大きな目を更に大きくして唸った。
「酷ぇ火傷だ。こいつは死んだな。運が良くて重傷、いや、運が悪けりゃ・・・かな?」
「どっちみち、3ケ月は立ち上がれんだろう。スタンドもズタボロで、戦闘は不可能。」
承太郎も、花京院も、冷静に淡々と呟き、街に戻るべく広場の階段を下りようとした。
「さあ、江里子さん。行きましょう。」
「は、はい・・・・・」
花京院に促され、江里子は大人しくそれに従った。飛行機の中で約束した以上、敵の身の心配をする事は出来なかった。
分かっている。彼は敵なのだ。
下手な同情や道徳心で彼の身の心配をしても、決して為にはならない。ホリィの事を、まず第一に考えねばならないのだ。
彼が焼け死のうが、死ぬより酷い状態でその後の一生を生きねばならなくなろうが、私には何の関係もない。
江里子は自分にそう言い聞かせ、ポルナレフという男の事を忘れようとした。
「さあ、ジョースターさん。エジプトへの旅を急ぎましょう。」
「うむ。」
戦闘を終えたアヴドゥルも、こちらに合流してきた。
その時。
ボッショオ!!
ボヒューーン!!
何やら奇妙な爆裂音が聞こえた。ポルナレフの倒れている方向からだった。
砂煙がもうもうと立ち上がっているせいで、何が起きているのかは分からなかったが、しかし、スタンド使いである男達には見えたようだった。
「な、何だ!?」
「奴のスタンドがバラバラに分解したぞ!」
アヴドゥルが、ジョースターが、そう叫んだ瞬間、砂煙の中からポルナレフの身体が飛び上がるのが、江里子の目にもはっきりと見えた。
「なっ・・・・、何ですかあれは!?」
「奴が寝たままの姿勢で空に飛んだ!?」
花京院の言う通りだった。
ポルナレフは仰向けに寝た姿勢のままという、とても不自然な体勢で、そのまま垂直に飛び上がっていたのだ。
「ブラーボー!!オオーッ、ブラーボーッ!!」
そして、その状態で、拍手さえしているではないか。
「こ、こいつは!?」
「信じられん!」
「ピンピンしている!!」
ジョースターが、アヴドゥルが、花京院が、愕然と目を見開いてその様を眺めた。
「しかし、奴の身体が何故宙に浮くんだ!?」
「ッフフフ、感覚の目でよぉく見ろ!」
承太郎がそれを口にすると、ポルナレフは不敵な笑みを浮かべてみせた。
「おっ!?あれは!?」
感覚の目と言われても、江里子には全く分からなかったが、しかし、アヴドゥルには分かったようだった。
ポルナレフは宙返りをして見事な着地を決めると、アヴドゥルに向かって言い放った。
「そう、これだ。甲冑を外したスタンド、シルバーチャリオッツ!!」
「!!」
「呆気に取られているようだが、私の持っている能力を説明せずに、これから君を始末するのは騎士道に恥じる。
闇討ちにも等しい行為。どういう事か、説明する時間を頂けるかな?」
「・・・・・フン。恐れ入る。説明して頂こう。」
一度は江里子達に合流しかけたアヴドゥルだったが、彼はまた、闘いの場へと戻って行った。
これからきっと、より一層熾烈な闘いになるのだろう。
そこへ向かうアヴドゥルの剛健な背中を、江里子はただ見送る事しか出来なかった。
「私のスタンドは、さっき分解して消えたのではない。
シルバーチャリオッツには防御甲冑がついていた。今脱ぎ去ったのはそれだ。
君の炎に焼かれたのは甲冑の部分、だから私は軽傷で済んだのだ。
そして甲冑を脱ぎ捨てた分、身軽になった。私を持ち上げたスタンドの動きが見えたかね?そう、それ程のスピードで動けるようになったのだ!!」
「・・・ふむ、なるほど。先程は甲冑の重さゆえ、私のクロスファイヤー・ハリケーンを喰らったという事か。しかし!」
ポルナレフの説明を聞き終わったアヴドゥルは、ファイティングポーズを取った。
「逆に今はもう裸!プロテクターがないという事は、今度再び喰らったら、命はないという事!!」
「・・・・ふむ。ウィー、ごもっとも。だが・・・・、無理だね!!」
ポルナレフもまた、その鋭い瞳に殺気を込めた。
「無理と?試してみたいな。」
「何故なら君に、ゾッとするものをお見せするからだ。」
「ほう!?どうぞ!」
アヴドゥルが挑発した瞬間、ジョースターが叫んだ。
「な、何じゃあ!?奴のスタンドが6、いや、7体にも増えたぞ!!」
「ば、バカな!?スタンドは1人1体の筈!!」
「ぬ、あぁ・・・・!」
花京院も、そしてアヴドゥル自身も、度肝を抜かれたような顔になった。
何も見えない江里子だけがよく分かっていなかったのだが、それでも、本来1人1体の筈のスタンドが7体にまで増えたら、とんでもなく厄介だという事だけは辛うじて理解出来た。
「ゾッとしたようだな?これは残像だ。フッフッフ。
視覚ではなく君の感覚へ訴えるスタンドの残像群だ。君の感覚は、この動きについて来れないのだ。」
「くっ・・・・!」
「今度の剣さばきはどうだぁぁッ!!」
火だるまになったというのに、ポルナレフは些かも弱っていなかった。
「レッド・バインド!!」
「フッフッフ、この動きにはついて来れないと言ったろう。君の炎が捕らえるのは全て残像・・・・。」
アヴドゥルがまた別の技を発動させたようだったが、どうやらポルナレフには通じていないようだった。
「うおぉぉぉっ!!」
「手当たり次第か。少々ヤケクソに過ぎるぞ、アヴドゥル。」
ポルナレフは呆れているようだった。
「確かにあれでは消耗するのみ・・・・」
江里子の隣で、花京院が独り言のように呟いた。
一瞬、ポルナレフの挑発かとも思ったのだが、味方が同じ事を言うという事は、恐らく本当にアヴドゥルが自棄を起こしているのだろう。
「クロスファイヤー・ハリケーン!!」
「ノンノン、ノンノンノンノン!それも残像だ!
私のスタンドには、君の技は通じない!!ホラ、ホラ、ホォラァ!!」
「あぁっ・・・・・・・・!」
江里子は思わず息を呑んだ。
アヴドゥルの全身から、血が吹き出したのだ。
「ぬっ・・・・・!ぐっ・・・・・・・!」
「アヴドゥル!!」
事態は相当に深刻なのだろう。
焦る承太郎の顔を見て、江里子はそれを悟った。
「何という正確さ・・・・・!こ、これは・・・・!相当訓練されたスタンド能力・・・・!」
流れる血もそのままに、アヴドゥルは畏敬の念を声に滲ませ、ポルナレフの実力を認めた。
「フン。理由あって10年近く修行をした。さあ、いざ参られい。次なる攻撃で君にとどめを刺す。」
ポルナレフもまた、敵でありながら、アヴドゥルに対して礼を尽くした。
やはり、タワーオブグレーの時とはまるで違う闘いだった。
無関係な乗客やパイロットまでをも殺し、多くの人々を無駄に危険に晒したあの老人とは違い、ポルナレフは、無関係な人間は勿論、江里子やジョースター達にさえ手を出そうとはしなかった。
ポルナレフはあくまでも、アヴドゥル一人を見据えていた。
彼の自信に満ち満ちた表情からは、小賢しい策略など欠片も感じ取れなかった。
下手にこちらに手を出してきたところで多勢に無勢であるのも事実なのだが、それだけだろうか?
「騎士道精神とやらで手の内を明かしてからの攻撃、礼を失せぬ奴・・・・。
故に私も、秘密を明かしてから次の攻撃に移ろう!」
アヴドゥルも、江里子と同じ事を思っていたようだった。
「ほう?」
「実は私のクロスファイヤー・ハリケーンには、バリエーションがある。アンクの形の炎だが、一体だけではない。分裂させ、数体で飛ばす事が可能!」
アヴドゥルがそう宣言した途端、今までのよりも一段と強い、とてつもない熱波が、彼の足元から渦を巻くように生じた。
「クロスファイヤー・ハリケーン・・・・・スペシャル!!かわせるかぁっ!?」
「下らん、アヴドゥル!!!うおぉあぁぁぁっ!!!」
ポルナレフもまた、凄まじい気迫を漲らせた。
「円陣を組んだ!」
「死角がない!!」
ジョースターと花京院が、ポルナレフを見てそう叫んだ。
7体にまで増えたように見えるというそのスタンドの残像が、円陣を組んだというのだろうか。
そう見える程、ポルナレフのスタンドは更にスピードを増したという事なのだろうか。
「甘いッ!甘い甘い甘い甘い、甘あぁいっっ!!!前と同様、このパワーをそのまま貴様にぃっ!!切断ッ、弾き返してやるぅぅッッ!!」
炎の渦が、唸りを上げてポルナレフに襲い掛かった。
ポルナレフはそれを、弾き返そうとしていた。この瞬間まで、勝利を確信した顔で。
だが。
「何ぃぃぃッッ!?」
突然、ポルナレフの表情が一変した
「があぁぁぁッッ!!!」
そして彼は、一瞬の内に吹き飛ばされて、またも地面に叩き付けられた。
「うぅわはぁッッ・・・・・・!!」
さっきはこの瞬間、熱が引いた。
しかし今度は、引くどころかより一層高まっていく。
まるで、炎が益々燃え盛っているかのように。
「あれは!」
ジョースターが、アヴドゥルの足元にまるでマグマの水溜りのようなものが出来ているのに気付いた。
「さっき炎で開けた穴だ!そうか!1撃目の炎は、トンネルを掘る為だったのだ!そしてそこから、クロスファイヤー・ハリケーンを!」
「言ったろう、私の炎は分裂、何体にも分かれて飛ばせると!」
ポルナレフは、どうにか立ち上がろうとしていた。腕を支えに、どうにか身体を起こそうと。
だが、それは素人目に見ても不可能だった。
「ハッ、あぁ・・・・っ・・・・」
ポルナレフは、力尽きたように地に伏した。
そんな彼の目の前に、アヴドゥルは、懐から取り出したナイフを投げた。
「炎に焼かれて死ぬのは苦しかろう。その短剣で自害すると良い。」
アヴドゥルはそう言い残すと、ポルナレフに背を向けて、江里子達の方へと歩いて来た。
その時、江里子は見た。
「くっ・・・・・!」
ポルナレフが、掴み取ったナイフを、アヴドゥルの背中に向かって投げようとするのを。
「あっ・・・・・・・・!」
江里子は思わず声を上げた。
だが、ポルナレフはナイフを投げなかった。
投げるどころか、彼は突如、ナイフの切っ先を己の喉に向けた。
「あぁっ・・・・・!」
だが、それも叶わなかった。
ポルナレフは再び、力なく倒れ込んだ。
「自惚れていた・・・・。炎なんかに私の剣さばきが負ける筈がないと・・・・。
フフッ・・・・、やはりこのまま、潔く焼け死ぬとしよう・・・・。
それが君との闘いに敗れた、私の、君の能力への・・・礼儀・・・・・。自害するのは、無礼だ・・・・・」
「ハッ・・・・・!?」
ポルナレフの最期の言葉に、誰よりも驚いたのはアヴドゥルのようだった。
アヴドゥルは反射的にポルナレフの方を振り返り、指をパチンと鳴らした。
その途端、あれだけの熱気が、また一瞬にしてかき消えた。
「ああ・・・・・・・・!」
「・・・・フッ。」
江里子が思わず安堵の溜息を洩らすと、花京院が小さく笑った。
だが、その笑いは、江里子には聞こえなかった。
安堵した瞬間、江里子はアヴドゥルと共に、ポルナレフの方に向かって駆け出していたのだった。
「あくまでも騎士道とやらの礼を失せぬ奴。しかも、私の背後からも短剣を投げなかった!」
アヴドゥルは、力尽きたポルナレフを抱き起こした。
「DIOからの命令をも超える誇り高き精神・・・・、殺すのは惜しい・・・・・、っ!!」
アヴドゥルは、ポルナレフの身体に何かを見つけたような様子を見せた。
「何か訳があるな、こいつ・・・・・」
アヴドゥルは、ポルナレフの髪をかき分けた。
すると、髪の生え際、額のすぐ上の辺りに、不気味な肌色の物体が見えた。
この気持ちの悪い色、どこかで見覚えがある。
「アヴドゥルさん、これってもしかして・・・・・」
「・・・・うむ。これがDIOの『肉の芽』だ、エリー。」
アヴドゥルは険しい表情で頷き、承太郎を振り返った。
「ジョジョ!」
「うむ。」
彼等のこの短いやり取りの意味は何なのか。
これがあの『肉の芽』、花京院に埋め込まれていたものと同じものだというのなら、考えるまでもなく江里子にも理解出来た。
「うへえぇぇぇーーッ!!この触手が気持ち悪いんじゃよなあ!」
「ああ〜〜〜っ、いやぁぁぁ〜〜〜っ!!何コレ、気持ち悪すぎるぅ!!!」
「じゃよなぁ!?じゃよなぁ!?」
「花京院さんの時は、承太郎さんの腕の中を這い上がっていく所しか見えなかったんですけど、うわ・・・、こんなグロかったなんて・・・・、うわ、うわ、いやぁっ・・・・・!」
「オーノーッ!!夢に出てきそうじゃあ!!
コイツもそうじゃが、花京院、お前もよくこんなモノ頭にブッ刺されて生きていられたのう!!
もし儂の頭にこんなモノがブッ刺されたらと思うと・・・・、ううぅぅ、オーノーッ!!オーマイガーッ!!!」
肉の芽の『摘出手術』をかぶりつきで見学しながら、江里子は存分に怯え、騒いでいた。
何故かジョースターの方がそれ以上に騒いでいたのだが。
「承太郎、早く抜き取れよ!!早く、早くぅ!!」
「早くして下さい、承太郎さん!!」
「うるせぇぞジジイ!!江里!!」
ややあって、『手術』は無事に成功した。
スタープラチナに引っこ抜かれた肉の芽は、燦々と輝く陽光を浴びた途端、一瞬で塵と化した。
江里子はジョースターと顔を見合わせて、ホッと胸を撫で下ろした。
「フーッ!これで肉の芽が無くなって、『にくめない』奴になった訳じゃな!チャンチャン!!ヒッヒッ!!」
ポルナレフを抱き起こしながら、ジョースターは上機嫌で笑った。
「うふふっ、うまい事仰いますね!本当に日本語お上手なんですね、ジョースターさんって。」
江里子も笑いながら、それに同調した。
残念ながら、彼のダジャレにウケた訳ではない。
皆が無事で、こんな風に下らない事を言って笑っていられる状況なのが、江里子には嬉しかったのだ。
「そうじゃろう、そうじゃろう、ガッハッハ!!
まだまだ知っとるぞ、布団がふっとんだ、猫がねこんだ、隣の家に囲いが出来たってね、へーっ!」
「あははっ!やだぁ、ジョースターさんたら!そんなネタまでご存知なんですか!?通ですね!」
「まあなぁ!自慢じゃないがのう!ガッハハハ!!」
承太郎が一人、苦い顔をして溜息を吐いた。
「花京院、オメェ、こういうダジャレ言う奴ってよぉ、無性に腹が立ってこねぇか?」
「フッ。」
「フフッ。」
花京院は只、笑っただけだった。アヴドゥルも。
承太郎は諦めたのか、小さく肩を竦めて、煙草に火を吐けた。
そして、ジョースターと江里子に向かって、煙と共に小言を吐き出した。
「いい加減にしとけよジジィ。江里、テメェも調子に乗せんじゃねーよ。」
「良いじゃありませんか。だって、嬉しいんですもの。」
江里子はジョースターと笑い合っていたその顔を、そのまま承太郎に向けた。
「日本を出て来るなり、いきなり色んな事がいっぺんに起きて、どうなる事かと思いましたけど・・・・・、でも、皆さんご無事でしたし。
この人も・・・・・・・、何とか大丈夫そうですし。」
江里子はチラリとポルナレフに目を向けた。
ジョースターの腕の中で、ポルナレフはまだ気絶していた。
だが、命に別条はなく、怪我もすぐに治り、後遺症も残らないだろうというのが、全員一致の見解だった。
「別に、この人を心配する義理はこちらにはありませんけど、そんなに悪い人でもなさそうですし、もし死なれていたら、後味が悪かったんじゃありませんか?ねぇ?」
江里子がアヴドゥルを仰ぎ見ると、彼は静かに微笑んだまま、小さく頷いた。
「奥様の事が一番ではありますけど、でも、だからって、どんな犠牲を払っても良いって訳じゃあない。そんな風に考えたら、それこそ、誰よりも奥様が一番悲しまれますもの。
皆さんも、それを分かっておいでなのでしょう?
だから、無駄に時間が掛かるのを承知で、敢えて回り道を行こうとしておられるのでしょう?
そんな皆さんを、私は尊敬しています。」
ジョースターが江里子を見て、穏やかに微笑んだ。
「・・・・ありがとう、エリー。」
それまでのおちゃらけた笑い顔ではない、思慮深い、賢者のような微笑みだった。
「・・・・さてと、そろそろ街へ戻るか。街へ戻って宿を取ろう。
すぐにも出発したいのは山々だが、チャーターした船を寄越して貰うのに1日掛かる。明日の朝までは、否応なくこの街におらねばならんのだ。」
ジョースターはそう言うと、承太郎の方を見た。
「承太郎、この男を頼む。」
「?」
「わしゃトシじゃからな。こんなデカい野郎を抱えてこの坂道を下りたら、腰を痛めてリタイアになりかねん。
エリーは女の子、アヴドゥルは怪我をしているし、花京院はアヴドゥルに肩を貸しとる。だから、この男はお前が運んでやれ。」
「・・・・・やれやれだぜ。」
ジョースターの意思を汲み取った承太郎は、煙草を踏み消し、いつもの口癖と共に帽子を深く被り直した。
その口元に満更でもなさそうな微笑みが湛えられていたのを、江里子は見逃さなかった。
「さあ、行くか!ふかふかベッドのホテルを取りに!」
ジョースターが、威勢の良い声で指揮を取った。
「・・・・・・あっ・・・・・・・・・!」
その瞬間、江里子はある重大な事を思い出した。
それは、今この場ではとても言い出し難い、だが思い出してしまった以上は絶対に言わねばならない事だった。
「すみませんジョースターさん、折角の雰囲気に水を差して申し訳ないのですが、その前に、さっきのお店でお会計を済ませないと・・・・・。」
「なぬ?」
「あときっと・・・・・、お店を荒らした弁償も。」
「・・・・・・・・」
ジョースターの目が点になり、たっぷり何秒間かの沈黙が、一同の間に流れた。
そしてその後。
「・・・・・オーマイガーッッ!!!」
というジョースターの叫び声が、高らかに上がったのだった。