愛願人形 30 〜 reunited ending 〜




罪を犯せば、罰が下る。
これは当然の末路なのだろう。抗う事は許されないし、その気も無い。
ただ一つ気掛かりなのは、の事だった。
大切なものを幾つも奪い、傷付けて、傷付けて、挙句の果てに命まで捨てさせる事になってしまったなんて、まさしく死んでも死にきれないという心境だった。
出来れば何とか、生きとし生ける者の世界へ戻っていて欲しい。
もしもそれが無理だというなら、せめて天国へと導かれていて欲しい。


「形兆君!!形兆君!!」

そう願いながら、ただ地獄へ叩き落されるその時を待っている形兆の耳に、の声が届いた。


「嫌だよこんなの・・・・・!起きてよ、ねぇ・・・・・!」

泣き叫ぶの声が、はっきりと聞こえていた。
いや、声だけではない。
身体を揺さぶられたり肩や腕を叩かれる感覚までもが、やけにはっきりとリアルに感じられた。
これは一体どういう事なのだろうかと不思議に思っていると、ふと目が覚めた。
間違いなく死んで地獄に堕ちた筈なのに、朝起きた時のような、ごく普通の目覚めの感覚だった。


「・・・・・うる・・・・せぇ・・・・・」

感じていた事を思わずそのまま呟くと、途端にの声が止み、形兆を叩き起こそうとしていた手も止まった。
やっと静かになって薄らと目を開けてみると、呆然と見開いた目からボロボロと涙を零しているの顔がまず見えた。
その横には同じような表情をした億泰がいて、更に東方仗助と康一もいる。
屋根裏部屋のコンセントの中に引き摺り込まれた筈だったのに、形兆自身も含めたその全員が、何故だか黄昏空の下にいた。


「・・・どういう、事だ・・・?あの世じゃねぇのかよ、ここ・・・・?」
「あ・・・兄貴ィィィィィ!!!」

取り敢えず身を起こしてみると、億泰が馬鹿デカい声を張り上げて、思いきり抱きついてきた。
それなりにデカい図体をしている癖に子供みたいに勢い良く、おまけにすぐ側にいたも巻き込んで一緒に雪崩れ込んできたものだから、堪ったものではない。
目覚めたばかりの身体に急激に加えられた人2人分の重みと衝撃を受け止める事は幾ら形兆といえども出来ず、形兆はまた後ろ向きにひっくり返る事を余儀なくされた。


「いっっ・・・・!!・・・てぇっ・・・・!」
「うわぁぁぁん!!!兄貴ィィィ!!兄貴ィィィッッ!!!」
「テメェ億泰っ・・・・・、重いんだよぉっ・・・・、どけっ!」
「ぐえっ!」

床に打ち付けた後頭部の痛みと、胸や腹の上に乗っかっている2人分の重みとに耐えながら、億泰の脇腹に1発パンチを入れると、変な悲鳴が上がって、ズッシリとかかっていた負荷が随分と軽くなった。


「痛ってぇ・・・・!超いってぇよぉっ・・・・!ヘヘヘへっ、いぃってぇ・・・・!」

億泰が泣きながら笑いつつ、脇腹を擦り擦り離れると、億泰と形兆の間に挟まって押し潰されていたが、恐る恐るといった風に少しだけ身体を起こして顔を上げた。


「・・・・・形兆君・・・・・」

まだポロポロと涙を零しているその目は、驚いたように形兆を見つめていた。
だが、驚いているのは形兆もまた同じだった。


「・・・・・・・・・・、お前・・・・、声が・・・・・」
「・・・・・え・・・・・?」
「声が・・・出てる・・・・」

失われてしまった筈のの声が、今、確かに聞こえていた。
消え入りそうに小さく掠れた声ではあるが、確かに、ちゃんと聞こえていた。
さっき夢現の内に聞いていたのは幻聴ではなく、本物のの声だったのだ。


「・・・・・私・・・・・」
「あぁっ!?ほ、ホントだ!ネーちゃん、声出てるじゃねーか!」

一番遅れて気付いたらしい億泰が、また馬鹿みたいに素っ頓狂な声を張り上げて大喜びした。


「うおおおぉぉーーーっ!!出たぁ!!声出たぁ!!やった!!やったぁぁ!!イエエエエーーーイ!!」
「うるせぇんだよさっきからテメーは!ちょっと黙ってろ!」
「いってーーーっっ!!」

今度は脛の辺りをドカッと蹴りつけてやると、億泰は瞬間的に更なる大声を上げたが、その後は一応静かになった。
ようやく億泰が黙ると、形兆は身を起こしてその場に座り込み、傍らに立っていた仗助を睨み上げた。


「・・・・・どういう事だ、東方仗助。一体どうやって俺達を助けた?」
「窓割ってここへ上がって来てみたら、あそこの電線に、あんた達が引っ掛かってるのが見えたんスよ。二人共黒焦げで、とても生きてるようには見えなかった。
けど、億泰のスタンドで引き寄せてみたら、微かだけど、二人共まだ息があったんです。それで、俺のスタンドで急いで・・・・。」
「・・・・そうか・・・・」
「弓と矢は?盗られちまったんスか?」

ここに無いという事は、そういう事だ。


「さっきの『レッド・ホット・チリ・ペッパー』ってスタンドは?奴もあんたが作り出したスタンド使いかよ?」

事の経緯と今の状況が分かってくると、沸々と怒りが沸いてきた。
音石に対しては勿論、それ以上に自分自身に対して。


「・・・・カッコ悪ぃ・・・・。ザマァねぇぜ・・・・。」

音石明は下らない小物だった。
スタンドのパワーも大した事なければ性根も腐っている、只々プライドが高いだけの、自己顕示欲の塊のような愚かな男だった。
だが、奴のそのプライドと自己顕示欲をなめて甘く見ていた一番の愚か者は、形兆自身だった。
スタンドが発現したからには、どんな下衆であろうともそれ相応の人並外れた精神力があるという事なのに、知らず知らずの内にそれを軽視してしまっていた。流れ作業のように矢を射る内に、そんなごく基本的な事をいつしか忘れてしまっていたのだ。
そしてその結果、不意打ちに遭い、大事な弓と矢を奪われた。
あまつさえ、敵だった東方仗助の能力で助けられて、おめおめと命拾いをした。
これが愚かでなくて何だろうか。無様でなくて何だろうか。
巻き添えにしてしまったが無事に助かった事は心から良かったと思っているが、自分に対してはとてもそんな風には思えなかった。
むしろ逆に、いっそ死んでいれば良かったとさえ思う位だった。


「・・・・・カッコ悪くても、ザマァなくてもよぉ。」

しかし東方仗助は、そんな形兆の自責の念を、取るに足りない事のように鼻であしらった。


「命がありゃあそれで良いんスよ。死んじまったらよぉ、何もかもそこで終わっちまうんだから。
それに、いっぺんに家族が2人も死んじまったら、残された奴はどうなるんスか。1人死んだだけでもよぉ、凄ぇ寂しいのに。」
「僕もそう思います。本当に、二人共助かってくれて良かったです。」
「・・・・そうだぜぇ、兄貴ィ・・・・」

仗助と康一の言葉を聞いて、億泰が情けない顔でべそをかき始めた。


「たとえよぉ、神様仏様が兄貴を悪党だって言って天罰を下したんだとしてもよぉ、でもやっぱり、俺にとってはたった一人の大事な兄貴なんだよぉ・・・・!
し・・、死んでたら、や、やっぱ・・・、す、すげぇ寂しいし、悲じいんだよぉぉ〜!」

思いきり顔を歪めておいおいと号泣する億泰を見ていると、不覚にも目頭が熱くなった。
見殺しにしようとした血も涙も無い男を、今もまだたった一人の大事な兄貴だと言い切る億泰の気持ちが、痛い位に形兆の胸を締め付けた。


「・・・・・億泰・・・・・」

家族は、1人死んだだけでも凄く寂しい。そんな事は仗助に言われるまでもなく、とっくの昔から知っている。
あの悲しみをまた、しかも今度は億泰一人にだけ味わわせるところだったのかと思うと、今更ながらに億泰に対する罪悪感が湧いてきたが、しかしそれを口に出して詫びる事など、格好悪くてとてもではないが出来なかった。
形兆は溢れそうになっていた涙を瞬きで誤魔化して、殊更に顔を険しく顰めてみせた。


「・・・汚ねぇツラして泣くな。それよりハシゴ持って来い。が下りられねぇ。」
「おうっ・・・・・!分かったぜぇ兄貴ィッ!」

億泰は鼻を啜り上げ、拳で目元をゴシゴシと拭ってから、元気が有り余っているかのように弾む足取りで屋根裏部屋へと飛び下りていった。
それを見て、康一が何か気付いたような顔になり、肘で仗助を軽く小突いた。


「あっ、じゃ、じゃあ僕達も・・・!」
「部屋直してきます。壁、派手にぶち抜いちまったんで。・・・あんたのスタンドが、だけどね。」

そういうつもりではなかったのだが、何やら余計な気を回されてしまったらしい。
生意気なガキ共めと苦々しく思いはしたが、かと言って二人を引き止める理由も無かった。むしろ、部屋を直してくれるというのならついでに一つ、どうしても頼みたい事があった。


「待て、東方仗助。」
「何スか?」
「・・・・一つ、頼みがある。」

人には頼りたくなかった。
人に借りを作る事は大嫌いだった。
だがこの件に関しては、残念ながら東方仗助のクレイジー・ダイヤモンドの能力が必要だった。
同じ物があるのなら買い直すところだが、1点物で他にはもう売っていないのだ。


「何スか?」
「こいつの部屋の床に、割れた鏡がある。落として割っちまったんだ。それもついでと言っちゃ何だが・・・、直してくれねぇか?」

恥を忍んで頼むと、がまた驚いたように丸く見開いた目で形兆を見た。
そんな顔をされると、只でさえ恥ずかしいのが余計に居た堪れなくなる。
形兆はから微妙に視線を逸らして、仗助の返事を待った。


「・・・部屋、どこっスか?」

程なくして仗助の返事を聞くと、はまたハッとしたように、今度は仗助の方を見た。そんなに喜ばれたら、余計に罪悪感が募るというものだった。


「億泰に案内させろ。」
「了解ッス。」

仗助と康一も屋根裏部屋に下りて行ってしまうと、気まずい位の静けさが、形兆とを包んだ。
これをどう打ち破れば良いのか分からなかった。
多分、謝らなければいけないのだろうが、同じように気まずそうに黙りこくっているを見ていると、やはりどうしても詫びの言葉が出て来なかった。


「・・・・・無茶しやがって」

ようやく形兆の口から出たのは、詫びの言葉どころか小言だった。
するとは、涙に濡れた目で形兆を心外そうに睨んでから筆談帳とペンを手に取り、もうそれが必要なくなった事を思い出したらしく、またおずおずと手放した。


「・・・・・お互い様でしょ・・・・・」

どういうメカニズムでの声が突然戻ったのかは分からない。
声を失わせるに至った原因、強い精神的ストレスは、無くなるどころかむしろ増えていた筈なのだが。
しかし何であれ、今、の声は戻っていた。
この不思議な現象は、形兆のこれまでの18年間の人生の中で初めて起きた奇跡であり、初めて得られた『救い』でもあった。


「約束破りまくってんじゃねぇよ。何でも協力するっつったのに、協力どころか全然言う事聞かねぇでよ。」
「それもお互い様だよ・・・。責任取るのも・・・、自分の人生始めるのも・・・、死んじゃったら・・・、出来ないのに・・・・」

互いに文句を言い合う内に、何だか妙に笑えてきた。
もう随分前からほんのついさっきまで、そんな心境にはとんとなっていなかったのに。


「・・・クッ・・・・・・」
「・・・ふふっ・・・・・」

堪えきれなくなった笑いが洩れると、も釣られるようにして吹き出した。
小さく掠れているが、でも嬉しそうな笑い声だった。
辺りはどんどん暗くなってきていて、紺色の夜の帳がヴェールを被せたようにの顔を翳らせ始めていたが、確かに聞こえるその声が、の居場所を教えてくれた。


「・・・・・」
「・・・・・」

大事な弓と矢は奪われて、自信はへし折れ、プライドはズタズタ。
どこからどう見ても完璧な『負け犬』だ。
けれども、格好悪いその負け犬が伸ばした手を、は拒まなかった。
それどころか、抱き寄せられるままにその身をすり寄せ、情けない負け犬を優しく抱きしめた。
やがて、引き合うようにして重なり合った唇に、塩辛い涙が染み込んできた。
どちらの涙なのかは、もう辺りが暗くて分からなかった。
無様な敗北を喫しておきながら、何故かちょっとスッキリした気分になっている大馬鹿野郎の負け犬にとっては、情けなくぶら下げた面を隠してくれるこの闇は、実に都合が良かった。



















『死んだ日』の翌日というのは、何か特別な感覚や雰囲気があるものかと思っていたが、いざ迎えてみると、別にそうでもなかった。
いつも通り、普通に日が昇ってきて、新聞や牛乳の配達員が乗っている自転車や原付の音がする。その内に、雀のさえずりに重なるようにして、学校へ行く小学生達の甲高い声が聞こえてくる。吃驚する位、至って普段通りの朝だった。
人の1人や2人、死のうが生き返ろうが、そんな事は何も関係ないとばかりに始まるいつも通りの朝を、形兆は虚しいようなホッとするような、複雑な心境で過ごしていた。
玄関のドアがドンドンドンドンと打ち鳴らされたのは、そんな気分で朝食を摂っていた最中だった。
応対に出てみると、ドアの向こうに立っていたのは東方仗助だった。


「はよざいまーす。インターホン連打しても全然応答ねぇから壊れてるのかと思って直したんスけど、やっぱ鳴らねぇみたいなんスけど。」
「・・・インターホンは電源を切ってある。」
「やっぱし。それインターホンついてる意味無くないスか?電源ぐらい入れといて下さいよ。」
「うるせぇ、ほっとけ。ところで、朝っぱらから何の用だ?東方仗助。」
「伝言持ってきました。」
「伝言?」

わざわざそんな事をするような相手には、全く心当たりが無かった。


「誰からだ?」
「空条承太郎さん、って言やぁ分かるよな。あんたあの人の事知ってんだろ。調べたって言ってたもんな。」
「・・・・ああ。だがお前との関係までは知らねぇ。お前、空条承太郎とどういう繋がりだ?」
「一応、血の繋がっている身内らしいッス。」

密かに気になっていた事を訊いてみると、仗助はまるで他人事のようにそう答えた。


「何だそりゃあ。まるで他人事みたいに言うじゃねぇか。」
「俺も知ったのついこないだなんスよ。何か、叔父と甥って関係らしいッス。」
「あ?どういう事だ?」

空条承太郎は、ジョセフ・ジョースターの一人娘の一人息子である。
兄弟がいないのだから、血の繋がった実の甥という存在が出来る筈がない。
それともまさか、あのホリィに婚外子でもいたというのだろうか?いや、そんな可能性は限りなく低い。有り得るとすれば、父親の空条貞夫の方だろうか。


「・・・・フン、なるほど。お前もなかなか複雑そうな事情を抱えてるんだな。」
「そうッスよ。いきなりあんなデカい人に、俺はお前の甥だとか言われても、ピンとこねぇッスよ。」
「あ!?」

ところが、話は形兆の予想もしなかった奇妙な方向へと転がった。
いや、奇妙というよりは、仗助が馬鹿なのだと考える方が自然だった。
何しろ、身内に超絶的な馬鹿がいるのだ。こいつもソレだと考えれば、この奇妙な話もすんなりと腑に落ちた。


「お前勘違いしてるだろ。いいか、叔父と甥ってのは・・」
「勘違いなんかしてねぇッスよ。俺が叔父で、承太郎さんが甥で間違いないんス。
そんな事より、いい加減本題に入らせてくれませんか?俺ガッコ行かなきゃいけないんスよ。」

仗助は少し焦れたようにソワソワし始めた。
こんなすっきりしない形で話が終わるとなると余計に気になるのだが、かと言って、単なる雑談をしつこく続けようとするのも妙なので、形兆はひとまずこの話を忘れる事にした。


「昨夜、承太郎さんに電話で昨日の事を報告したんスよ。そしたら、是非あんたに会って話をしたいって言われましてね。あんた今日、時間ありますか?」
「・・・・ああ・・・・」
「良かった。じゃあ都合の良い時間に、杜王グランドホテルの324号室に行って下さい。承太郎さんが待ってますんで。んじゃ、俺はこれで。」

言い終わると、仗助はさっさと行ってしまった。
空条承太郎との邂逅、まさかこんな機会があろうとは思いもしていなかった。
話というのは十中八九、弓と矢の事だろうが、空条承太郎もそれを狙っているのだろうか?
あれこれ考えてみても、今は何も分からない。ともかく仗助の伝言通り、杜王グランドホテルに出向いてみるしかなかった。


















昼食時もすっかり過ぎた昼下がり、形兆は一人、バイクを飛ばして杜王グランドホテルへ足を運んだ。
そこは海辺のリゾート地帯にある立派な観光ホテルだったが、オフシーズンの平日とあって、客の姿もごくまばらにしか見受けられなかった。
念の為にフロントで取り次いで貰うと、部屋まで上がって来るように言われたので、形兆は懇切丁寧なホテルマンの案内で324号室を訪れた。
案内を終えて戻っていくホテルマンの姿が見えなくなってから、深呼吸をして、ルームナンバーのプレートが掛かったドアをノックすると、すぐにドアが開いた。
そこにいたのは、仗助がアンジェロを倒した時に側にいた、あの白い服の男だった。
やっぱりそうだったかと、形兆は内心でチラリと思った。あの時は分からなかったが、仗助と承太郎に繋がりがあると知っている今なら、簡単に見当付けられる事だった。


「・・・初めまして。虹村形兆です。」

ともあれ、一応はこれが初対面になる。
形兆は改めて姿勢を正し、折り目正しく一礼した。


「空条承太郎だ。よく来てくれたな。さあ、入ってくれ。」

間近で見る空条承太郎は、同じ男の目から見ても抜群に整った容姿をしていた。美丈夫というのは、こういう男の事を言うのだろう。
そして、実に大きな男だった。
物理的に身長も高い、ゆうに190cmは超えていそうだが、体格だけではなく、その全身から滲み出ているオーラが、只ならぬ迫力を漂わせているように感じられた。
だがそれでいて、決して威圧的ではない。目下のガキだと見下して横柄な態度を取る事もなく、承太郎は至って紳士的に形兆を部屋に招き入れた。


「まずは座って楽にしてくれ。何か飲もう。君は何が良い?」
「いえ、お構いなく・・・」
「じゃあコーヒーで良いか?」
「・・・すみません・・・・・」

形兆は頭を下げ、勧められたソファに腰を下ろした。
テーブルの上には、何冊もの分厚い本や何かのレポートや原稿らしき紙の束、筆記具などが散らばっていて、チラリと見えた限り、海洋生物に関する事柄が書かれているようだった。


「これでも学者の端くれでな。日頃はアメリカで海洋生物の研究をしている。」

形兆の視線に気付いたらしく、承太郎はそれらを片付けながらそう明かした。
そうこうしている内に2人分のコーヒーとお茶請けの焼き菓子が届き、承太郎が形兆の差し向かいに座った。


「急に呼び出して済まなかったな。昨夜、仗助から一連の話を聞いて、どうしても君とサシで話がしたいと思ったんだ。」
「いえ。俺も東方仗助から貴方の名前を聞いて、気になっていましたから。」

こんな機会があるとは思ってもみなかったが、望んでいなかった訳ではない、むしろ切望していた位だった。
ただ惜しむらくは、それが今だったという事だ。
もう何もかも今更取り返しはつかないが、もっと早くに、せめてあと1年程早くにこうなれていたらと、虚しい後悔を噛み締めずにはいられなかった。


「まず、貴方と東方仗助との関係を教えて下さい。
仗助は貴方の事を血の繋がった実の甥だと言っていましたが、それは本当ですか?貴方の方が明らかにうんと年上なのに。」
「尤もな質問だな。俺が君でも同じ事を訊くだろう。」

承太郎はコーヒーカップを取り上げ、熱いブラックコーヒーを一口啜った。


「俺は今28歳、確かに仗助より一回りも年上だ。だが血縁上は、あくまでも仗助が俺の叔父なのだ。」
「そんな馬鹿な・・・・・。一体どういう事です?」
「身内の恥を晒すようだが、仗助は俺の祖父が60過ぎで浮気をして出来た子供だ。
仗助が生まれていた事自体、祖父はずっと知らないままだった。それが最近になって、先々の遺産分配の為の調査をしている内に判明してな。
だが、78歳の老体ではあれこれ処理をして来いと言ったってとても無理だし、何より奴は今とても忙しい。結婚61年目にして発覚した裏切りに怒り心頭の祖母によって、針の筵の上で吊るし上げを喰らう毎日だ。
全くあのクソジジイ、儂は生涯妻しか愛さないなどと、よくもいけしゃあしゃあと抜かしたもんだぜ。
おっと、口が悪かったな。とにかくそういう事情なので、孫である俺が、ジジイの代わりに仗助に会いに来たのだ。
俺の母親はジジイの娘で、仗助の姉に当たる。姉と言っても、親子か、何なら祖母と孫ぐらいの年の差だがな。だから続柄としては、あくまでも俺が甥で、仗助が叔父なのだ。」

なかなか聞かないような珍しい話だが、なるほど、聞いてみれば事情を理解する事は出来た。
ただ、そういう複雑極まりない人間模様なのであれば尚更、先々に待ち受けているのはそれこそ凄まじい骨肉の争いだ。
死んだ伯父、虹村千造の顔が否応無しに浮かんできて、形兆の心をざわつかせた。


「・・・・・そいつは大変ですね。N.Y.の不動産王ジョセフ・ジョースター氏の遺産ともなれば、どう少なめに見積もっても天文学的な金額になる。遺産相続の放棄を願おうにも、一筋縄ではいかないでしょうね。」

形兆がそう言うと、承太郎はその穏やかな表情を些かも変えないまま、そんな事はしない、と即答した。


「仗助は紛れもなくジジイの子だ。法に則って、正当な取り分を受け取る権利がある。
それを仗助に知らせずに素知らぬ顔でやり過ごすのは、大袈裟な言い方をすると、我がジョースター家の誇りに自ら泥を塗るも同然の卑怯な行いだ。」

承太郎のその言葉に、形兆は密かに胸を突かれた。
勿論、只の詭弁だろうと考える事は出来る。金を持っている奴程、腹の底は見せないものだから。
しかし、承太郎の穏やかな眼差しを見ていると、どうしてか、そうひねくれた考えをする自分の方が恥ずべき下衆のように思えた。


「・・・失礼しました。」
「いや。そう思われても無理のない話だ。」

承太郎は、形兆の非礼を咎めなかった。
眉ひとつ顰めず、ただ穏やかな目で形兆を見ているだけだった。


「・・・昨日、仗助に電話で報告を受けて思い出したよ。去年、うちのお袋を訪ねて来た男というのは君の事だったのだな、虹村形兆君。」
「・・・・・!」
「去年の6月頃、お袋から妙な電話が掛かってきた事があった。
『ニジムラケイチョウ』という男の子を知っているか?その子の父親を知っているか?とな。
知らないと答えると、お袋はそれっきりその事を言わなくなり、俺もそのまま忘れてしまっていた。昨日、仗助から君の名前を聞いて思い出したんだ。」

もはや言い逃れのしようもなかった。
自分の母親を騙して脅して情報を盗んでいった奴なんて、許せる訳がない。自分ならば許さない。だから当然承太郎もその筈だと、形兆は思っていた。


「・・・・・その節は、本当にすみませんでした・・・・・」

拳が飛んでくる事も覚悟していた。
しかし承太郎は、深々と下げた形兆の頭上に、その穏やかな低い声を投げ掛けただけだった。


「頭を上げてくれ。別に謝る必要は無い。危害を加えられた様子は一切無かったんだからな。」
「それは勿論・・・・・!」

許すというのだろうか?危害は加えていないにせよ、あんな無礼を働いた見ず知らずの小僧を、承太郎も、彼の母親も。
そう思うと、彼女の優しい笑顔が脳裏に蘇ってきて、訊けた義理ではないと承知していながらも、彼女の様子を訊かずにはいられなかった。


「・・・・・お袋さん、お元気ですか?」
「ああ、元気だよ。」
「そうですか・・・・・、良かった・・・・・・」

形兆がそう呟くと、承太郎は僅かに微笑みを浮かべ、もう一口コーヒーを飲んだ。
そしてカップを置くと、厳しささえ感じさせる毅然とした顔で、形兆をまっすぐに見つめた。


「虹村形兆君。今日、君に来て貰ったのは他でもない。君に全てを話して貰いたいんだ。
11年前、君のお父さんに何があったのか、君達兄弟が今までどう生きてきたのか、DIOや俺の事をどうやって調べ、どのように弓と矢を手に入れたのか、何もかも全てな。」
「・・・・はい・・・・」

拒んだり、嘘を吐いて真実を隠そうという気は起きなかった。
そんな事をしたって何の意味も無いというのが一番の理由だったが、どういう訳か、洗いざらいぶちまけてしまいたいという気持ちもあった。もう何もかもが失敗に終わってしまったからだろうか?
ともかく、形兆は承太郎の要求通りに全てを語った。
コーヒーが冷めるどころか、途中でお替りが届く程に、長い長い時間を掛けて。



「・・・・なるほどな。それで君は、弓と矢を使ってスタンド使いを次々と作り出していったのだな。」

形兆の話を全て聞き終わった後、承太郎は遂にその事に触れた。


「そして今、その弓と矢は、音石明という男が持っている・・・、という事か。
まずはその男を一刻も早く見つけて弓と矢を取り返さないとな、これ以上犠牲者が出ない内に。君にも協力して貰うぞ。良いな?」
「はい・・・・。」

形兆はそれに対しても従順に返事をした。
あの弓と矢が自分の自由になる事はもう二度と無いだろうと分かってはいるが、それでも音石の手に握らせたままにしておくより、承太郎に取り上げられた方が遥かに良かったからだ。


「・・・罪の意識はあるんだな。」

承太郎は形兆を一瞥すると、不意にそんな事を呟いた。


「そう、それで良い。それを感じ、背負って、この先を生きていくんだ。君も、そして俺も。」
「・・・・あんたも・・・・?」
「俺の事を調べたのなら、知っているのだろう。俺が何故、DIOを倒したのか。」

知っている。
そしてそれを責めるつもりもなかった。


「・・・・スタンドをコントロールする力が無ければ、自分のスタンドにエネルギーを吸い取られる事により、およそ50日程で死んでしまう。
貴方のお袋さんもその状態に陥ったそうですね。だから貴方は、お袋さんを助ける為にDIOを倒した。
貴方達の一族のスタンドは、貴方達の先祖の肉体を奪っていたDIOがスタンドを身に着けた事によって発現したものだった。
だから、DIOを倒す事によって、お袋さんのスタンドを消滅させようとしたのでしょう。」
「そう、その通りだ。だから俺はジジイや仲間達と共にDIOを倒した。
その為に多くの犠牲を払ったが、奴を倒した事を後悔した事は無いし、これから先もしない。
俺は自分の母親を、俺の祖父は自分の娘を、見捨てる事など出来なかったからだ。諦めて、見殺しにする事など出来なかったからだ。
だが一方で、払ってしまった犠牲を無かったものとする事も出来ない。
俺はテメェの母親の命と引き換えに、多くの他者の命を失わせてしまった。幼かった君達兄弟から父親を奪い、地獄のどん底に突き落としてしまった。それは決して消える事も書き変わる事もない事実であり、俺の罪だ。
しかし、俺のその罪を裁ける者は誰もいない。だから俺は、俺の罪を裁ける者はこの俺以外には誰もいない、そう思ってこの11年を生きてきた。」

承太郎の目が、形兆を鋭い矢のように射抜いた。
それ程に、厳しい眼差しだった。


「君も俺と同じだ、虹村形兆。弓と矢で何人もの人を殺したという君の罪は、誰にも裁けない。君を警察に突き出したところで、何も証拠が出てこないのだからな。
しかしだからと言って、君の罪がそれで無かった事になる訳ではない。
幾ら父親の為と言っても、それが他人の命を奪って良い理由にはならない。
君もこれから、その人生を懸けて償いを続けていかなければならない。」
「・・・・・俺に、どうしろと言うんですか・・・・・?」

だが、どうすれば良いというのだろうか?
法で裁けないこの罪を、どう贖えというのだろうか?
刑務所にも入れない、死刑台にも上がれない、当然殺した人間を生き返らせる事も出来ない。他に考えつく贖罪と言ったら、無責任なのを百も承知の上での自殺ぐらいしかなかった。


「どうしたって始末に負えない不死の化け物を、弟と、それこそ無関係の女に押し付けて、自殺でもしろと・・・・?」
「フン、自殺な。」

承太郎はその言葉を鼻で笑い、小馬鹿にするように反芻した。


「そんな事をしたって無駄以外の何物でもない。どうせ無駄に捨てても良い命なら、他の事に使え。」
「ほ、他の事・・・・・?」

他に何があるというのだろうか?
呆然としていると、承太郎はまた形兆をまじまじと見つめた。今度はまるで観察でもするかのような目だった。


「まだ幼い内からそれ程の過酷な人生を生き抜いてきた、その強靭な精神力。
大人でも理解出来ないような話をコツコツと調べ上げて解明し、弓と矢を手に入れるまでに至った、その抜群の行動力と明晰な頭脳。
それに加えて、強力なスタンドを持つスタンド使いでもある。
歳は若く、身体は健康。体格にも恵まれている。腕力や運動神経もかなりのものだろう。ステゴロでもかなりイケるクチだと見た。
そんな超一級の貴重な人材は、世界中草の根を分けて探し回ってもそうそう見つからない。」
「な・・・・、何が仰りたいんです・・・・・?」

いきなりベタ褒めに褒め倒されて、戸惑わない人間がいるだろうか?
否、誰だって戸惑う。だから当然、形兆も戸惑った。


「君、幾つだ?学生か?」
「じゅ、18です。学校は、本来ならこの春に高校卒業の筈でしたが、去年、出席日数不足で留年になったので・・・」
「中退したのか?」
「はい。場所がC県なので、どのみちもう通えませんでしたから。
杜王町に越して来てから、弟の億泰共々ぶどうヶ丘高校の編入試験を受けて、今日、合格通知を受け取りました。」

ここに来る途中、形兆は郵便局に立ち寄って、局留めにしておいた郵便物を受け取っていた。2通の合格通知は、その中に含まれていた。
形兆がポケットからそれを取り出して見せると、承太郎はまた穏やかな微笑みを浮かべた。


「そうか。それは良かった。なら、まずはぶどうヶ丘高校を卒業しろ。勿論、キッチリこの1年でな。そして、その後はアメリカに来い。スピードワゴン財団・・・、それも知っているだろう?」
「は、はい・・・・」
「スピードワゴン財団には、スタンドに関する調査や研究、その能力を解明する為の特殊機関がある。そこで働いている者の大半は普通の人間でな、スタンド使いは随時募集、熱烈大歓迎だ。
勿論、切り刻んで人体実験にする為のモルモットという訳ではなく、スタンドの研究や調査に携わって貰う。まあ尤も、その中には『戦闘』も含まれているので、死ぬ危険性がある事は残念ながら否めないのだがな。
弟の方もかなり強力なスタンド使いだと聞いた。高校を卒業次第、彼も呼び寄せて貰って勿論構わない。この事はまた近々改めて、億泰君本人にも直接打診するつもりだ。
それと、君達の親父さんは、その特殊機関が責任を持って預かる。
向こうの責任者に報告したところ、非常に興味を示してな、すぐにでも来て貰いたいそうだ。
こちらも当然、モルモット扱いなどは決してしない。一人の人間として尊重する。
一般的な健康診断レベルでの身体機能チェックや組織検体の採取を行ったり、心理テストや知能テストを実施して、その結果を研究用データとして活用させて貰う事はするが、むやみに苦痛や恐怖を与えたり、人としての尊厳を傷つけるような真似は絶対にしない。家族の面会も、勿論いつでも可能だ。」

実に淡々とした口調でつらつらと語られたその話は、形兆を言葉も出ない程に驚かせた。
11年、11年もの長い時間を地獄の底でのたうち回るような思いをして、それでも解決のつかなかった事を、どうしてこの人はあっさりと解決してしまえるのだろうか?


「親父さんがこの先どうなるのかは、現時点では誰にも分からん。
研究を続けていけば治療方法が見つかるかも知れないし、治す能力を持つスタンド使いが現れたり、今いるスタンド使いの能力が成長して、それが可能になるかも知れん。
また逆に、治らないまま、本当に永遠の時を生きていく事になるのかも知れん。
万策尽きて、もしも本当にそれしかないのだとしたら、その時は、親父さんをコールドスリープなどの方法で眠らせる事も出来る。
だが、それまでにはまだまだ時間がある。その間、親父さんには環境の良い所でのんびり暮らして貰い、君はスピードワゴン財団の特殊機関で、その能力を活かして働くんだ。
自分の犯した罪を償う為に、親父さんの治療方法を見つける為に、そして、君の人生を生きる為に。」

どうしてそんなに簡単に背負ってくれるのだろうか?
重くて重くて仕方なくて、最後まで背負いきる事も、さっさと放り投げてしまう事も出来なかった、人生の重荷を。


「・・・・どうして・・・・?」
「言っただろう、俺も罪を償っているんだ。誰にも裁いて貰えないテメェの罪を、自分に出来る精一杯の方法でな。
自殺は償いになどならん。投げ捨てるその命で、誰かや何かの為に、自分に出来る事を目一杯やるべきだ。死なせてしまった者達の分までな。
そうすると、自ずと『人生』というものが拓けてくる。
そしていつの間にか、幸せや喜びというものを手にしている。
DIOを倒した後、俺はアメリカに渡って猛勉強し、海洋学者になった。
縁あって結婚をして、娘も一人儲けた。女房に任せきりで、父親らしい事など何もしてやってはいないがな。」

そんな事が、本当にあるのだろうか?
何人もの人を殺めた虹村形兆に、本当にそんな人生が拓けていくのだろうか?
そんな事を、本当に望んでも良いのだろうか?


「君達兄弟も自分の人生を切り拓いてゆけ。その手伝いをする事が、俺が君達に対して出来るせめてもの償いだ。」

返事が出来ずにいると、承太郎は立ち上がり、形兆の横に来た。
そして、その力強い大きな手を、形兆の肩にそっと乗せた。


「・・・辛い思いをさせたな。きっと、君には特に。本当にすまなかった。」
「・・・・うぅっ・・・・」

人には頼りたくなかった。
人に借りを作る事は大嫌いだった。
ましてや弱みを見せる事などは最大級の大恥で、死んでも出来るかと思っていた。
だが今、形兆は、この空条承太郎という男に対してそれをしていた。


「うぅぅぅっ・・・・・!」

恥と思う暇も、自分を叱責する暇もなく、承太郎の前で泣き崩れていた。
大昔の、家族の温もりに包まれていた幼い頃のように、大きな声を上げて。

















話を終え、ホテルを出る頃には、もう夕方になっていた。
ちょっと買い物をして家に帰り着くや否や、今か今かと待ち構えていたかのように、億泰とが纏わりついてきた。
それを、まずは手ぐらい洗わせろと振り払って、洗面所で手洗いうがいをしていると、その間にがお茶を淹れたらしく、リビングに呼ばれた。
行ってみると、炬燵の上に4人分の茶が用意されていて、億泰と父親が一足先にフウフウ言いながら茶を啜っていた。
他に置いてある家具と言えばTVだけで、一歩離れた場所から客観的に見てみると、洋館のリビングルームにはやはりチグハグなインテリアだ。空間は広々としているのに、わざわざ狭苦しくひきめき合って炬燵を囲むというのも、どう考えても変である。
それなのに、その輪に加わってみると、これが不思議と悪い気はしなかった。


「で、どうだったんだよ、その空条承太郎って人はよぉ!?
仗助の甥だとか意味分かんねぇ事言ってたけど、どんな奴だったんだよ?まさかガキンチョじゃなかったんだろぉ?」
「ああ。仗助より一回りも年上の、大の大人だよ。結婚していて、娘が一人いるらしい。おまけに身長もデケェ。ありゃ190cm、いや、195cmはあるな。」
「マジかよぉ!?何でそんな年上が『甥』になるわけぇ!?」
「じゃあどういう事だったの!?」

確かに奇妙な話だった。形兆自身、呑み込めるまで気になって気になって仕方のなかった事なのだ。形兆は興味津々という顔をしている二人に苦笑しながらも、承太郎から聞いてきた話をそのまま聞かせてやった。
すると二人は、予想通り大いに驚きながらも、東方仗助と空条承太郎との関係を正しく理解した。


「は〜!!世の中そんな事があるんだなぁ!」
「凄い話だよねぇ・・・・・!何か、ドラマとか小説みたい。」
「いやホント、マジでマジで。あ!んでんで!?その承太郎さんが、兄貴に一体何の話だったんだよぉ!?」
「親父の事だ。親父を、アメリカにあるスピードワゴン財団の特殊機関で預かってくれるんだと。向こうは今すぐでもと言っているらしい。」
「「えぇぇぇぇぇ!?」」

億泰とは、温かい茶を飲みながら揃って声を上げて驚いた。
億泰の大声に乗っかる程度ではあるが、の声もちゃんと聞こえる。
少なくとも、昨日よりはもっとしっかり出るようになっていた。


「スピードワゴン財団って何だよぉ!?」
「世界有数の大財閥だ。創設者の代から、承太郎さんの母方の血筋であるジョースター家との親交が深く、DIOとの戦いの際にも様々な支援をしてくれたそうだ。
その特殊機関というのは、スタンドに関する調査や研究、その能力を解明する所だそうでな。そこで親父の身体や知能なんかを色々と調査して、治療方法を研究してくれるらしい。」
「マジかよぉ!?そんな事出来んのかよぉ、っつーか親父を調査って、親父に一体何する気だよぉ!?」
「一般的な健康診断レベルの身体機能チェックや組織検体の採取、心理テストや知能テストなんかだそうだ。後は環境の良い所でのんびり暮らさせてくれるらしい。
実験動物みてぇな扱いや酷い真似は絶対しねぇって言ってたし、研究の結果、やはり永遠に死ねない身体で打つ手も無いとなった時には、コールドスリープで眠りに就かせてくれるとも言っていた。」

二人共、すぐには返事をせず、ただ不安げな眼差しを父親に向けただけだった。
その話を聞かされた時の形兆自身と同じように、突然目の前が明るく開けた事に、喜びよりもまず戸惑いの方が勝っているのだろう。


「・・・・で・・・・、ど、どうすんだよぉ・・・・?」

やがて億泰が、恐る恐るといったように、形兆の意向を尋ねた。


「・・・・・預けようと思っている。でなきゃあ俺達はいつまでも自分の人生を始める事が出来ねぇし、親父にとってもその方が良い。
治る見込みが少しでもあるんならよぉ、やっぱりそれに賭けてやりてぇんだ。」
「そ、そりゃあ俺だってそう思うけど・・・・、で、でもよぉ、今すぐって言われても、それはそれで急すぎるっつーかよぉ・・」
「預ける時期については、お前達と相談して決めると答えておいた。
こっちも越して来たばっかで何かと忙しいし、ちょっと落ち着いたら、学校にも通い始めなきゃいけねぇしな。」

形兆は2通の合格通知を炬燵の上に出し、ほらよ、合格だ、と告げた。


「・・・だから、色々落ち着いて、少なくとも俺達が学校を卒業してからでも良いんじゃねぇかと、俺は思ってるんだが。どうだ?」

形兆がそう打診すると、暫くの間を置いて、億泰との顔が晴れ輝いた。


「さ・・・賛成ー!俺もそう思うぜぇー!」
「私もそれが良いと思う・・・!」

嬉しそうに笑う二人を見ていると、胸の中がじんわりと温まるようだった。
もう4年も5年もこうやって過ごしてきた筈なのに、いつしかこの感覚を忘れてしまっていた。他愛もない、けれどもとても大切なものの筈だったのに。
きっとそんなつもりは無いのであろう二人の笑顔にまた罪悪感を募らせながら、形兆は再び口を開いた。


「その特殊機関って所の協力が得られるのは、凄く有り難ぇ話だ。
けど、もしかしたら親父は、このままでもだんだん元に戻っていくかも知らねぇ。
昨日お前が言ったように、身体は治らなくても、心と記憶は、昔の優しかった頃の親父に戻るかも知らねぇ。今は俺も、ちょっとそんな気がしてきてるんだ。
だからもう少し、もう少しだけ、様子を見てみようと思う。お前らには引き続き面倒をかけちまうけど。」

知らん顔をして呑気に菓子を食べているが、自分の話をされていると分かっているのだろうか?形兆は傍らの父親を眺めながら、随分と上手になってきたその食べ方に感心し、密かな喜びさえ感じていた。
以前億泰が言ったように、もしかしたらいつか本当に、外へ食事に行けるだろうか?
長袖長ズボンを着せて、靴と手袋で手足も覆って、帽子を被せて、マスクとサングラスで顔も隠せば。
そんな事を考えて、ふとその姿を想像するとおかしくて、形兆は思わず苦笑を零した。すると、がキョトンとした顔で小首を傾げた。


「何笑ってるの?」
「いや、別に。」

チラッと頭を掠めた程度の事をまだ口に出す訳にはいかず、適当に誤魔化してしまうと、は優しい微笑みを浮かべて、形兆と同じように父親を見た。


「あの箱から出て来た写真、あんなのがあったなんて、今まで誰も知らなかったでしょ?でもお父さんは知ってたんだよ。
前にお父さん、あの箱の底板を開けたそうにずっと引っ掻いていた事があったの。多分あの底板、2重になってるんだと思う。それで昔、破いたあの写真をそこに入れたんだと思うの。
お父さんは多分、何となくでもそれをずっと覚えてたんだよ。だから今までずっと、あの箱をゴソゴソ引っ掻き回してたんだと思う。」
「そうか・・・・・。そうかも知らねぇな。」

なるほど、の言う通りかも知れなかった。
事実、のその推測を裏付けるかのように、昨日あの家族写真が見つかった後から、父は木箱を漁る事をピタリと止め、代わりにずっとそれを眺めている。
食事の時は束の間忘れているが、あとは片時も手放さないので、このままだとまたあっという間に傷んだり汚れたりしてボロボロになってしまいそうだった。


「そういや、写真立てを買ってきたんだ。ダイニングに置いた買い物袋の中に入ってるから、あの写真を入れてやってくれ。」
「うん、分かった。」

は微笑んで頷くと、丁度菓子を食べ終わった父を促して、リビングを出て行った。やがて二人が上階に上がっていくと、形兆は呑気に菓子を摘まんでいる億泰に目を向けた。


「・・・億泰。もう一つ、お前に話がある。」
「ほえ?何だよ?」
「俺は、学校を卒業したら、その特殊機関で働けと言われた。」
「・・・・って、アメリカでって事かよ・・・・?」
「ああ。そしてお前もな。」

そう告げると、億泰は目をひん剥いて、『俺もぉ!?!?』と叫んだ。


「いやいやいやいや、そんな事言われたってよぉ!俺がアメリカでなんか暮らせるわきゃねーだろぉ!?英語サッパリなのによぉ!つーかそれ命令なのかよぉ!?」
「命令じゃない、スカウトだ。どうやら俺達のスタンド能力を買ってくれての事らしい。」
「何だ良かった〜!命令じゃねーんだな!?あー良かったぁ〜!」

億泰は大袈裟な位に安堵し、安心したら腹が減ったとばかりに、また菓子を口に放り込んだ。


「嫌なのか?」
「嫌っつーか、まず普通に無理じゃん?俺ホント英語サッパリだしよぉ。逆に行けると思う方がおかしくね?」

威張って言う事かと呆れたが、億泰があまりにも当然のように、まるでそれが世界の常識かのように言うので、それを口に出す事が出来なかった。


「それに俺、この町気に入ったんだよ。な〜んか好きなんだよなぁ。
ここにいるとよぉ、なんか楽しい事が起きそうな気がするんだ。あの東方仗助と広瀬康一って奴も、面白そうな奴らだしよぉ。」

向学心の欠片も無い事にはガックリするが、しかしそれは今に始まった事ではない。
何より、今まで見た事がない程楽しそうな、満ち足りた表情をしている億泰を前にして、それを否定し、禁じる事はもう出来なかった。


「・・・・・そうか・・・・・」

東方仗助と広瀬康一は、きっと、億泰にとって大事な仲間になるのだろう。
その予感は形兆の中にもあった。多分、昨日戦っていた時から既に。


「なら、お前はお前の好きにしたら良い。明日、承太郎さんが親父に会いに来る事になっていて、そん時にお前にも直接話すと言っているから、自分で返事をしろ。」
「え?兄貴は?何か兄貴は行く気ありそうに聞こえるけどよぉ、まさか行く気かよ?」
「・・・そうだな・・・・」

形兆がそう答えると、億泰はまた目を大きくひん剥いた。


「じゃあネーちゃんどーすんだよぉ!?・・・あ、別に問題ねぇか。それを機に結婚して一緒について来て貰やぁ良いだけだもんな。
じゃあ俺どーすんだよぉ!?親父も兄貴もネーちゃんも皆でアメリカ行っちまったら、俺一人ぼっちになっちゃうじゃん!・・・あ、別にそうでもねぇか。仗助も康一もいるしなぁ。」
「うるせぇ、一人でとっ散らかってんじゃねぇぞ!」
「あいたっ!」

頭を1発平手で叩いてやると、億泰は一応静かになった。


「・・・・まだ先の話だ。決めた訳じゃない。考える時間が要る。お前には話したが、にはまだ言うなよ。分かったな?」
「わ、分かったよぉ・・・。」

億泰に口止めをしたのは、それが許されない事のような気がしたからだった。
これから罪を贖っていかねばならない身で、愛だの恋だのにうつつを抜かす訳にはいかないし、何よりの立場で考えてみると、それは結局、今のこの暮らしの延長に過ぎないとしか思えなかったのだ。
幾ら問題があるとはいえ、たった一人の肉親と絶縁させたまま、自分達兄弟は受けている人並みの教育すら享受させず、本来ならば幾つもある筈の人生の選択肢を全て捨てさせて、言葉も通じない遠い異国の地について来いと言うのは、愛でも恋でもなく、ただ自分の寂しさを埋める為に、『人形』を肌身離さず持ち歩こうとしているだけのようにしか思えなかった。




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後書き

形兆兄貴、やっぱり死んで欲しくなかったですねぇ・・・・・。
神(作者)の御意思は絶対とはいえ、惜しい、本当に惜しい・・・・。
死んで欲しくなかったキャラは他の部にも多々いますが、私もしかしたら、形兆兄貴が一番かもしれません。
何でだろうと考えて、気が付きました。

活躍の場が無いんですよ!!

見せ場がほぼ無いままに、音石の不意打ちにあっさりとやられてしまってるんですよね。
シーザーも花京院もイギーも、それぞれ壮絶な見せ場があっての最期だったのに(アヴドゥルさんは無かったけれども!涙)、形兆兄貴は最初から最期まで悲しいまま終わっちゃって・・・・。
その悲しさに形兆兄貴特有の美しさがあると言えばそうなのですが、でもやっぱり残念すぎるぜーーー!!!
ザ・ハンドとタッグを組んで、もっと派手に暴れ回って欲しかったぜーーー!!!


・・・・という思いが、この作品を書き進めていくにつれて、やっぱり強くなってきまして。
そんな思いで書きました、こちらの生存ルートエンディング。お楽しみ頂ければ幸いです。
なお、ザ・ハンドとタッグを組んで暴れ回る描写はありません。(←ないんかい 笑)
ほら、これ夢ですので。テーマはあくまで『LOVE』ですので。