昨日アンジェロが言った通り、東方仗助の家は、虹村家のほんのすぐ目の前にあった。窓から十分見える位置にあるその家を、形兆は自室の打ち付けられた窓の隙間からじっと見張っていた。東方仗助の動きと、東方仗助を見張っているアンジェロの動きの両方を。
アンジェロは近くの木に登り、青々と茂る枝葉に隠れて東方家を監視していた。逃げ出しそうな気配は無く、どうやら攻撃を仕掛けるチャンスを伺っているようだった。
一方、東方仗助は一晩の間、全く動かなかった。
形兆が見張りを始めてから東方家を出入りしたのは、白い服と帽子を身に着けた男が一人だけだったが、その男は若くはあるが20代後半位の大人で、高校1年生には決して見えなかった。つまり、その男は東方仗助ではないという事だ。
形兆の位置からは東方家の内部までは見えなかったので、形兆はアンジェロが仕掛けていくのをじっと待った。
その結果、アンジェロが動いたのは朝、通勤通学のラッシュタイムが過ぎて人通りが殆ど無くなった頃だった。
東方仗助の姿は相変わらず無く、白い服の男だけが、東方家の周りを何か調べるようにしてうろついていた。
その時、黒くぼってりと分厚い雲から雨が降り出し、白い服の男を濡らした。白い服の男がそれに気付いた瞬間、遂に戦いが始まった。その男を標的にして、アンジェロが仕掛けたのだ。
驚いた事に、白い服の男もスタンド使いだった。男のスタンドは人型で、かなり素早い動きをしていた。スピードだけではなくパワーも相当ありそうだったが、しかし相手は『水』、男のスタンドが繰り出したパンチではアンジェロのアクア・ネックレスにはダメージを与えられなかったようで、アクア・ネックレスはそのまま東方家に侵入し、男も弾かれたように家の中に駆け戻って行った。
それから暫くして、アンジェロの潜んでいる木の枝葉がざわつき、アンジェロが悲鳴を上げて飛び上がり、そのまま地面に落下した。
それを追って男が二人、外に出て来た。そう、二人だ。
一人は白い服の男、そしてもう一人、なかなか洒落た改造学ランの制服を身に着けて、髪をガッチリとリーゼントにしている若い男。
間違いなく、この男が『東方仗助』だった。
二人に追い詰められたアンジェロは、足をもつれさせながら逃走を図った。
アクア・ネックレスは、破壊力自体は弱い。人の体内に入り込めなければ、その殺傷能力を発揮する事は出来ない。逃げるという事はそれが不可能だったという事、つまり、アンジェロではあの二人には勝てないという事に他ならなかった。
しかし、ここでアンジェロを助けに出て行く義理は無かった。
危険極まりない凶悪殺人鬼、元より長々と付き合い続ける気は無かった。生かしておく気も、勿論。
そのまま静観を続けていると、逃げて行くアンジェロが道で滑って盛大に転んだ。雨に濡れたアスファルトで足を滑らせたのかと思ったが、どうやらそうではなく、東方仗助が持っている袋状の物、ゴム手袋か何かの中に、スタンドが閉じ込められているようだった。
更に追い詰められたアンジェロは、道端の大きな岩に背中を着き、とうとう完全に逃げ場を失った。
その一画だけ小奇麗に手入れされた草むらになっていて、わざわざ周囲を木枠で囲われてもいる、一体何なのかよく分からない岩だ。ここに引っ越して来た時から、密かに謎だと思っていたものだった。
「仗助ェ!!俺はオメーのジジイをブチ殺してやったが、オメーに俺を死刑にして良い権利はねぇ!!もし俺を殺したら、オメーも俺と同じ、呪われた魂になるぜ!!ヒーッヒヒッ!!」
それを背に、アンジェロは必死の形相で喚き散らした。辺りが静かな上にアンジェロの声が大きいので、喚いている事が形兆の耳にまで届いていた。
すると、指をさして喚くアンジェロの手を、東方仗助のスタンドが殴った。
それを見た形兆は、思わず息を呑んだ。東方仗助のスタンドに殴られて岩にぶつかったアンジェロの右手が、砕けた岩の破片に埋まっていたのだ。
だが、それだけでは済まなかった。東方仗助のスタンドは更にアンジェロの身体全体を乱打し、後ろの岩に完全に埋め込んでしまったのである。
「ぐがが・・・・!ちくしょー・・・・!!良い気になってんじゃねーぞ!!どうせオメーらなんか、あの人がブッ殺してくれんだからよぉーッ!!」
顔と手の一部が辛うじて露出している状態で、アンジェロは尚も大声で喚いた。
『あの人』という言葉に猛烈に嫌な予感がしたが、その先は声のトーンが落ちてしまって、聞き取る事は不可能だった。
だがきっと何か余計な事を喋っている、その確信が形兆にはあった。
自分の名前やスタンドの能力は教えていないが、自宅は知られてしまっている。
まさかそれを白状しているのではないかと案じていると、傘を差してプラプラと歩いて来た子供が、ゴム手袋に閉じ込められたままのアンジェロのスタンドに襲われた。
「馬鹿めェーーッッ!!!俺の話に聞き惚れて、俺のアクア・ネックレスを忘れていたようだな!!!仗助ェ!!!さっさと俺をこの岩から出しやがれ!!!」
通りすがりの無関係な子供の命を盾にして、まだ逃げ遂せようとしているのだ。
この期に及んでこの往生際の悪さ、流石は日本犯罪史上最低の殺人鬼と言われるだけの事はある。
一方で、東方仗助は落ち着き払っており、ポケットから櫛を取り出して、悠々と髪型など整え始めた。
「なーにやってんだぁーーッ!!!チンケな髪なんかいじってんじゃねえ!!!ガキをブッ殺すぞ!!!早く出せっつったら出せぇーッ!!!」
東方仗助のその様子を見て、アンジェロは更にそう喚き立てた。
その瞬間、東方仗助の顔付きが変わった。
それまでは何処か鷹揚に構えているように見えていたのが、この瞬間、一瞬にしてキレたのだ。
傍らの白い服の男が、何事かを叫んだ。だがその次の瞬間、東方仗助の咆哮が轟いた。
「・・・・俺の髪が・・・・何だってぇぇぇ!?」
そう言えば、最初の報告で聞いていた事だった。東方仗助は髪型をけなされた途端に酷くブチギレていた、と。
自分で報告しておきながら、それを忘れていたのだろうか?ともかくアンジェロは、東方仗助の逆鱗に触れてしまったようだった。
白い服の男が止めようとするのも無視して、東方仗助は岩に埋まったアンジェロを更に連打して木っ端微塵に打ち砕いた。
再び粉々になったその岩がまた元の形に戻った時、それはもう、良く似た別の岩になっていた。
まるで岩が丸飲みにでもしたかのようにアンジェロの全身を完全に取り込んで、その形を微妙に変えていたのである。
子供を窒息させようとしていたアンジェロのスタンドは地に落ちて恐らく消滅、手袋はもう動かなくなり、子供は悲鳴を上げながら一目散に逃げて行った。
その後少しの間、二人は何事かを話し合い、家の中に戻って行った。
その会話は聞こえなかったが、すぐ目の前の虹村家に目もくれなかったところから察するに、アンジェロは形兆の居場所については吐かなかったようだった。
だがそれはあくまで推測に過ぎない。確かなのは、虹村形兆という男の存在をあの二人に知られてしまったという事だった。
物事というのは何でも、最悪の事態を想定しておいて間違いはない。つまり、弓と矢の事も知られてしまったと考えておいて然るべきだった。
そして、そうである以上はあの二人を、ひとまずは居所と正体の分かっている東方仗助を、消さねばならなかった。
「・・・東方仗助、か・・・」
窓辺から離れようとしたその時、形兆の部屋のドアがノックされ、億泰が顔を覗かせた。
「兄貴ィ。親父の部屋の壁塗り、終わったぜ。」
億泰には今日、屋根裏部屋の壁の補修をするよう命じていた。
昨日、バッド・カンパニーでアンジェロに威嚇射撃をした時に出来た弾痕を、上から塗り固めて修繕する作業である。
多分真剣に取り組んでいたのであろう事は、今しがたの戦闘に気付いていなさそうな様子から察しがついた。
「ご苦労だったな。」
作業完了の報告が終わった後も、億泰はまだ出て行かなかった。
「・・・・どうした、まだ何か用か?」
「・・・いや・・・、用・・・、って、いうかさ・・・」
言い難そうに口籠りながらも、億泰の顔はらしくもない程の真剣味を帯びていた。
「・・・昨日の、話・・・・・」
「昨日の話?」
「お、俺が兄貴を手伝うって話だよ・・・・!」
やがて億泰は、勢いに任せるようにして強い口調でそう言った。
「これからは俺もやるぜ!兄貴と・・・、同じ事をよ・・・・!」
その意味は分かっていると、昨日億泰は言った。
一晩経っても答えが変わっていないという事は、多分本気なのだろう。
自分もスタンド使いになると言い出した時と同じ、いや、それ以上に強い眼差しを受け止めながら、形兆はそう悟った。
「・・・・今しがた、アンジェロがやられた。例の東方仗助にな。」
それを教えてやると、億泰は拍子抜けしたようにポカンとした後、不敵な笑みを浮かべた。
「・・・・ヘッ、そりゃあ良かったぜ。あんな物騒な奴にウロウロされちゃあ、ネーちゃんが安心して暮らせねぇからな。
けど、じゃあこれで兄貴の『手駒』は無くなったって事だよな?兄貴の味方は、本当にもう俺しかいねぇんだぜ?」
それで迫っているつもりなのだろうか?
つい笑いがこみ上げてきそうになったが、形兆はそれをどうにか抑え込んだ。
「・・・なら見張れ。この家に近付こうとする奴をな。そして、何人たりとも決して入れるな。分かったな?」
「おうよ・・・・!分かったぜ、兄貴・・・・!」
形兆は億泰をその場に残して部屋を出て行き、玄関のドアをほんの少しだけ開けて内側から外の様子を見た。
流石に玄関ドアは開閉出来るようにしたが、人目を欺く為にバリケードの板切れはドアに打ち付けたままにしてあるので、出入りの際には周囲に人がいないかチェックしないといけないのだ。
形兆は用心深く自宅を出て、向こうに見えている東方家の様子を窺った。そしてあの二人の姿が無い事を確認すると、アンジェロが埋め込まれた岩を見に行った。
「・・・・フン。こいつは凄いな。」
それは本当に、どこからどう見ても岩だった。
しかしそれでいて、微かにではあるが確かに生命の気配が漂っていた。
東方仗助のスタンド、壊したものを直す能力、それ自体は凄まじいものだと認めざるを得なかった。たとえば取引を持ち掛けるなどして、東方仗助を味方に引き入れるとしたらどうだろうか?
「・・・・アギ・・・・」
自分にそう問いかけた瞬間、岩の中からごくごく小さな声が聞こえてきた。
アンジェロだ。この岩の中で、岩と同化した状態で、アンジェロはやはり生きているのだ。
知能は残っているのだろうか?残っていて、助けてくれと訴えているのだろうか?それとも、もう何も分からず、ただ声を出しているだけなのだろうか?
「・・・・よぉ、アンジェロ。良いザマになったじゃねえか。うちの親父とお揃いだ。いや、それより酷ぇか。」
石や岩の寿命は何万年だという。人間のそれから考えれば、永遠というべき長さである。生きながらそこに囚われたアンジェロは、形兆の父・虹村万作と同じ、いや、それ以上に苛酷な罰を下されたと言えよう。
人生を楽しむ事は勿論、食べる事も、指1本動かす事さえ出来ずに、ただこの岩の牢獄の中で生き続けるだけ。その魂が解放され、救われる事は永遠に無い。
それではやはり駄目なのだ。
たとえ東方仗助を懐柔して味方につけたとしても、こうなっては意味が無い。
「あばよ、アンジェロ。今までご苦労だったな。」
形兆はズボンのポケットから携帯電話を取り出し、アンジェロに持たせていた電話を鳴らした。多分アンジェロと共に岩の中に閉じ込められてしまって回収は不可能だろうと諦めた上で、念の為の確認のつもりだったが、アンジェロが潜んでいた木の辺りで思いがけず着信音が鳴った。
形兆は電話を切り、アンジェロ、いや、アンジェロ岩に背を向けて、電話を回収しに行った。電話は木の根元の草むらの中にあった。それを拾い上げると、ふとさっきの億泰の言葉が蘇ってきた。
― これで兄貴の『手駒』は無くなったって事だよな。兄貴の味方は、本当にもう俺しかいねぇんだぜ?
さっきの億泰の真剣そのものな顔を思い出して、形兆は軽く笑った。
億泰では、アンジェロの代わりは出来ない。出来て精々見張り位だ。
何故なら、魂が違うからだ。
魂が呪われていない億泰には、アンジェロや、虹村形兆と同じ事など、出来はしない。
それでも、億泰が望むのなら、この手を差し伸べてやるべきなのだろうか?
ずっと一緒に地獄を這いずって生きてきた兄弟なのだから、そこより更に暗い、罪の深淵に堕ちる時も一緒だ、と。
それから数日が何事も無く過ぎていった。
アンジェロはやはり形兆の居場所を吐かなかったらしく、東方仗助もあの白い服の男も、虹村家を訪ねては来なかった。
だが、こんな目と鼻の先にいながら、このまま顔も合わせる事なく暮らしていくというのは考えられない。東方仗助とは遠からず戦う事になるだろう、そんな確信のような予感があった。
故に、形兆は密かにずっと見張りを続けていた。東方仗助やあの白い服の男がいつやって来ても良いように、その心積もりをして待ち構えていた。
形兆の予感が的中したのは、アンジェロが倒されてから数日後の夕方だった。
学校帰りなのだろう、東方仗助が友達らしき男を一人連れて、丁度虹村家の前を通り掛かろうとしていた。
それを察知した形兆は、照明代わりに使っている蝋燭を持って窓辺に立ち、その小さな炎と自分の視線とで、少しだけ気配を漂わせてやった。
東方仗助は鈍いのか呑気なのか、全く気付いていない様子だったが、連れの男の方はちゃんと感じ取ったようだった。小柄で顔も幼い、如何にもすっとろい坊ちゃんという感じの奴だが、感覚は意外となかなか鋭いらしい。
形兆は、家の前で立ち止まってこちらを見ながら喋っている二人から視線をずらし、門扉の隅に目を向けた。そこには億泰が潜んでいて、獲物が自分のテリトリーに入って来るのをじっと待つ肉食の獣のように、表にいる二人の動向を窺っていた。
億泰の意気込みは、相当なものだった。
億泰もあれからずっと『東方仗助』を意識して、一人でああして家の周りを見張っていた。それもただ見張るだけでなく、わざと誘い込もうと少しばかり門扉を開けている。馬鹿なりに考えて、罠を張っているのだ。そして、それに掛かって疑わしい動きをする奴を、片っ端からぶちのめしては追い払っていた。
今までは全く関係の無い奴等ばかりだったが、今回はようやく『当たり』だ。
まずは億泰に任せてみるつもりで静観していると、連れのチビの方がノコノコ近付いて来て、門扉から顔を出して中を覗き込んだ。
掛かった。そう思った瞬間、億泰も動いていた。
「うわあぁーっ!!」
億泰は半開きの門扉を思い切り蹴り閉めて、連れの首を挟み込んだ。
無警戒で完全によそ見をしていた東方仗助は、連れのその絶叫を聞いて瞬時に振り返った。
「人の家を覗いてんじゃねーぜ、ガキャア。何か言えコラァ!」
「康一!」
連れを罠に嵌められて本気で焦っている東方仗助の姿を、形兆は2階の自室の窓から見下ろしていた。見下ろしながら、手元のトランクケースを開けて、弓と矢を取り出した。
「おい、いきなり何してんだテメェ!」
「あぁ?そいつはこっちの台詞だぜぇ。人んちの前でよぉ。」
「テメェ、イカレてんのか?放しなよ。」
「この家は俺の親父が買った家だぁ!妙な詮索はするんじゃねーぜ!二度とな!」
「ンなこたぁ聞いてねぇッス。テメェに放せと言ってるだけだ。早く放さねぇと怒るぜ?」
康一という名前らしい連れの男は、どうやらスタンド使いではなさそうだった。それどころか、ろくに抗う術も無さそうな、非力な奴だった。
見た限り、スタンドの素質があるようにはあまり思えない。が、それがあると思っても実際には無かった奴等を何人も見送ってきた今となっては、この康一という奴を射抜く事に躊躇する理由は無かった。
形兆は矢を番えた弓を、康一に向かってしっかりと引き絞った。
「おいおい、『テメェ』はねぇだろ?人んちの前で、それも初対面の人間に対して、『テメェ』はよぉ。口の利き方知ってんのかぁ?」
「テメェの口を利けなくする方法なら知ってんスけどね!」
「ほ〜う?」
億泰が邪魔な位置に立っているので狙いをつけるのが少し難しかったが、一瞬のタイミングを掴んで、形兆は矢を放った。
億泰の横すれすれを飛んだ矢は、見事、康一の喉に命中した。
「何ィィッ!?」
「あ、兄貴ィ!」
こうして形兆が横から手出しをしたのは、これが初めてだった。
この何日かに限った事ではなく、昔々の幼い頃から、弟の喧嘩にしゃしゃり出るようなダサい真似はした事がなかった。だが、今度ばかりは話が別だった。
「・・・何故、矢で射抜いたか聞きたいのか?そっちの奴が『東方仗助』だからだ。」
「ほへぇ〜!こいつが・・・」
「アンジェロを倒した奴だという事は、俺達にとってもかなり邪魔なスタンド使いだ。」
「っ・・・!スタンド使いだと・・・!?テメェらスタンド使いなのか!?」
この東方仗助という男、本当に何と呑気で警戒心の薄い奴なのだろう。
アンジェロからきっと何らかの情報は引き出した筈だろうに、こうしてズバリと言われるまで少しも思い当たらなかったのだろうか?
てっきり向こうから仕掛けてくるだろうとずっと待ち構えていたのが一瞬馬鹿馬鹿しくなったが、ともかく、戦いの幕は切って落とされた。
「億泰よ!東方仗助を消せ!」
億泰が足をどけると、門扉がまたぎこちなく開いて、康一という奴は地面に倒れた。
微かに動いているのでまだ一応生きてはいるようだが、やはり素質があるとも思えないし、息絶えるのも時間の問題だと思われた。
「こ、康一・・・・・!」
「フン、ひょっとしたらそいつもスタンド使いになって利用出来ると思ったが、どうやら駄目だな。死ぬなぁ、そいつは。」
そう言ってやると、東方仗助は顔色を変え、康一に駆け寄ろうとした。
その目の前に、億泰が立ちはだかった。
「ど、どけ!まだ今なら俺の【クレイジー・ダイヤモンド】で傷を治せる!」
「・・・ダメだ。」
東方仗助と対峙する億泰を見守りながら、形兆は自分の中でせめぎ合う二つの思いに揺れていた。
何も億泰まで罪の深淵に沈む事は無い。魂が呪われた者の末路にあるのは、終わりのない苦しみだと分かっているのだから。
しかしそう思う一方で、兄の背中を必死に追いかけて来ようとする弟を振り返って、その手を取ってやりたいという気持ちもあった。
何故なら、これまでずっと、いつだって、そうしてきたからだ。
億泰の言う通り、そうやって地獄のような日々を、一緒に生き抜いてきたからだ。
「東方仗助!お前はこの虹村億泰の『ザ・ハンド』が消す!行くぜ!」
先制攻撃に出たのは、億泰のザ・ハンドだった。
だが、東方仗助のスタンドもやはり相当に能力が高いのか、その攻撃を喰らう前にカウンターで反撃した。
「どかねぇと、マジに顔を歪めてやるぜ?」
「・・・ほ〜う?なかなか素早いじゃん。」
億泰もかなりタフである。顔にパンチを1発喰らった程度では、ダメージという程のダメージは負っていないし、当然まだまだ戦れる。
だが、先手を取っておきながらまんまと返り討ちに遭ってしまったその事実はしっかりと知らしめて、これ以上油断しないように釘を刺す必要があった。
「おい億泰。スタンドというのは、車やバイクを運転するのと同じなのだ。
能力と根性の無いうすらボケは、どんなモンスターマシンに乗っても、ビビッてしまってみみっちい運転するよなぁ?」
嫌味を飛ばしてやると、億泰はムッとした顔で形兆の方を振り返った。
「兄貴ィ、あんまりムカつく事言わんといて下さいよ!この野郎、予想外のスピードだったもんでよぉ。」
「遊んでんじゃあねーんだぞ億泰ぅッ!!」
それこそが油断というものなのに、何も分かっていない億泰に苛立って、形兆は声を張り上げ叱責した。
「お前が身に着けたその『ザ・ハンド』は、この俺が思い出しただけでもゾッとするスタンドだ!
マジに操作しろよ。アンジェロを倒したその東方仗助は、必ずブッ殺せ!そいつは必ず俺達の障害になる男だ。」
「分かって・・・!・・・って、おわぁぁっ!俺が話し込んでる間に・・・!きき、きたねーぞ!」
その間に、東方仗助は億泰の横を素通りして、連れを助けに行こうとしていた。
なかなか抜け目のない奴だ。呑気そうに見えて肝心なところは抜け目なく押さえる、こういうタイプの奴は侮れないのだが、億泰はそれを分かっているだろうか?
「・・・お前、頭悪いだろ?」
「何!?な、何で・・・、何でそう思わぁぁっ!」
東方仗助は振り向きざまにもう一撃放ち、億泰を吹っ飛ばした。
さっきのカウンターは自己防衛と警告の為の攻撃だったが、今のは違う。明らかに攻撃の意思と怒りが篭った、本気の一撃だ。
そして、油断するなと釘を刺された側からまた迂闊にも2発目を喰らっている億泰はやはり馬鹿で、東方仗助とやり合うには残念ながら分が悪いと判断せざるを得なかった。
「どけっつってんスよ!」
抜け目のない東方仗助と、どこまでも単純馬鹿の億泰。性分的には確かに億泰の方が分が悪い。
だが億泰のスタンドには、その分の悪さを補えるだけの凄まじい破壊力がある。
ひとまずはこのまま億泰に任せようと静観を決め込んでいると、部屋のドアが忙しなくノックされた。
悲鳴のような誰かの叫び声が聞こえて、は思わず息を呑んだ。
知らない人の声だが、その声を上げさせた人が誰かは分かっている。億泰だ。
このところ、億泰はずっと庭の片隅から外を見張っていて、誰かがこの家に近付こうとすると痛めつけて追い払っている。それはの目には度が過ぎているようにしか見えず、やめさせようと何度か窘めはしたのだが、億泰は一切聞き入れてはくれなかった。
最初はあのアンジェロという凶悪犯を警戒しての事かと思ったが、しかしどうやら違うようだった。アンジェロなら顔を知っているのだから、誰彼構わず無差別に攻撃する筈がないのだ。
だとすると、他に心当たりは・・・
「遊んでんじゃあねーんだぞ億泰ぅッ!!」
それを考えかけた瞬間、形兆の怒鳴り声が聞こえた。
驚いて反射的に跳ねた心臓が、そのまま嫌な鼓動を打ち鳴らし始めた。
そう、あれは億泰個人の喧嘩などではない。形兆の意思に、億泰が望んで従っているのだ。兄弟で、自分達の父親を殺すスタンド使いを探そうとしているのだ。
そして今のところ、形兆が敵と見なしているのは『東方仗助』という人。
形兆はその人を殺そうとしている。アンジェロだけではなく、億泰にまで命じて。
「っ・・・・・!!」
不吉な予感が限界にまで膨れ上がり、は堪らずに自室を飛び出した。
ここに越して来てからというもの、形兆と億泰は、何かが狂ってしまったようにおかしくなっていた。
人目に触れる事を嫌がって、荒れ果てている家の外観を繕って整える事はおろか部屋の照明を点ける事さえせず、蝋燭の小さな灯りを頼りに外を見張ってばかりいて、この家に近付いて来る者を片っ端から威嚇し、攻撃している。
そんな二人の異様な様子は、まるで陣地に立てこもって遮二無二戦う敗軍の兵士のようで、日に日に狂気じみてきていた。このままだと、形兆も億泰も手の届かない処に行ってしまいそうで、怖くて仕方がなかった。
得体の知れない不安と恐怖に突き動かされるまま、形兆の部屋に駆けつけたは、無我夢中でドアを叩き、その応答も待たずしてドアを開けた。
「・・・・何だ?」
形兆は薄暗い部屋の窓辺に立っていた。その手にあるのは、あの弓だった。
は息を呑み、窓辺に駆け寄った。
窓を塞いでいる板切れの間から外を見てみると、家の前の道路で億泰が見知らぬ少年と戦っていて、他にもう一人、門扉の所に知らない少年が倒れているのが見えた。
その少年の喉には例の矢が深々と突き刺さっていて、おびただしい量の血が流れ出ていた。
「っ・・・・・!!!」
は大きく息を呑み、見開いた目を形兆に向けた。
しかし形兆は、動揺も激昂もせず、落ち着き払った表情でを見つめ返すだけだった。
どうしてそんなに落ち着いていられるのだろうか?
人を殺す事に、そんなにも慣れてしまったのだろうか?
「っ・・・・・!!」
泣いている場合ではなかった。あの少年を、辛うじてまだ息があるらしいあの少年を、何としても助けなければならないのだ。
は溢れそうになっていた涙を何とか堪えると、駆け出そうとした。
だが、形兆がそれを許さなかった。
「っ・・・・!っ・・・・・!」
形兆に捕まえられて、力ずくで拘束するかのように背後から強く抱き竦められて、は身動きが取れなくなった。
どれだけもがこうとも、形兆の腕は些かも緩まず、そこから抜け出すどころか筆談帳とペンを持つ事さえ出来なかった。
「無駄だ。あのガキが助かるか否かは本人次第だ。あのガキにスタンドの素質があるかどうか、それに懸かっている。お前も分かっている筈だぜ?」
確かに分かっている。形兆も億泰も、彼らの伯父もそうだった。
だが、そうだとしても、ただ黙ってなりゆきを見守っている事など出来る訳がない。
形兆に捕らわれたままの状態で、は彼を振り返り、その顔を見上げた。
「・・・・・!」
もうやめて!
は出ない声を振り絞って、そう訴えた。
形兆があの矢を射る度に、犠牲者が続々と増えていく。
だがそれと同時に、形兆自身も壊れていっているのだ。
壊れていく自分を、自分ではもう止められなくて、誰かに助けを求めている。
形兆はきっと認めないだろうし、もしかしたら気付いてすらいないかも知れないが、の目にはそう見えていた。
アンジェロに襲われたあの日、怖くて、不安で、寂しくて、堪えきれずに形兆に縋りついたあの時に、そう感じたのだ。
優しく触れてくれる手に、自分の全てを受け止めてくれとばかりに預けられる古傷だらけの身体の重みに、形兆がいつも心の奥底に押し込めているものを感じ取ったような気がしたのだ。
「っ・・・・!?」
しかし、の想いは届かなかった。
形兆に抱き竦められたまま、部屋から引き摺り出されたは、そのまま自室に連れて行かれた。
「暫くここでじっとしてろ。良いな?」
「っ・・・・・!」
の部屋に着くと、形兆は室内に向かって突き飛ばすような乱暴な仕草で、を解放した。
形兆はこれから何をするつもりなのだろうか?
億泰に加勢して、あの少年と戦うつもりなのだろうか?
それとも、瀕死の少年の様子を確認しに行くつもりなのだろうか?
「っ・・・・・・!」
言い付けに従って、このまま大人しく部屋に閉じ籠ってなどいられる訳がない。はすぐに振り返り、形兆の後を追おうとした。
「ここにいろと言っているだろうが!」
「・・・・・!」
命令に従わないに腹を立てた形兆は、厳しい表情と口調でをまた部屋の奥に向かって押し返した。
だが、負ける訳にはいかなかった。
たとえ殴られようが蹴られようが、狂って壊れていく形兆を、このまま手をこまねいて見ている事など出来なかった。
「いい加減にしろ!!俺の邪魔をするなと言っているのが分からねぇのか!!」
「っ・・・・!」
小競り合いはどんどん激化していき、形兆は一層強い力でを薙ぎ払った。
撥ね飛ばされたは、机に身体をぶつけた。その弾みで机の上に置いていた鏡が落ちて、床の上でガシャンと音を立てた。
「っ・・・・・・・!!」
形兆から贈られた鏡だった。
14歳の誕生日に貰ってからずっと大切に大切にしてきた、宝物だった。
それが今、床の上で無惨に割れていた。
美しかった青薔薇のステンドグラスが、まるで儚く散ってしまった花弁のように砕けて散らばっている様を、は息を呑んで呆然と見つめた。
「っ・・・・、来いっ!」
だが、嘆き悲しむ暇も無かった。
は再び形兆に腕を掴まれ、強引に部屋から引き摺り出されて行った。
を部屋から引き摺り出した形兆は、そのままを屋根裏部屋へと連れて行った。
今からここは戦場になる。言う事を聞かない邪魔なお荷物は、まとめて隠しておくしかなかった。を室内に連れ込むと、形兆は棚の鍵を開けて、父親の猿轡として使っている手拭いを取り出した。
「・・・・・・!?」
「俺の命令に従えないというなら、こうするしかねぇだろうが!」
「っ・・・・・!」
形兆はその手拭いで怯えているの手を後ろ手に縛り、そこに父親の鎖のスペアをきつく巻き付けて、壁のフックに繋ぎ留めた。
「カタがつくまでここで親父と大人しくしてろ、分かったな!」
それから、父親にも首輪と鎖を着けて同じ場所に繋ぎ留め、弓を持って足早に部屋を出た。
振り返る事はしなかった。の泣き顔など、見たくなかった。
― もう後戻りは出来ねぇんだよ、もう・・・・!
目に焼き付いているの絶望したような顔を無理矢理振り払って、形兆は下へ下りて行った。
そして、玄関で何とか心を落ち着かせて気を取り直すと、ゆっくりとドアを開けた。
外では、億泰と東方仗助がまだ戦闘中だった。戦況は億泰が圧倒的に有利で、その能力で空間を削り取っては東方仗助を引き寄せ、一方的に攻撃していた。
「どこへ行こうがテメェは・・・!常に・・・!俺の射程距離にいる・・・!うりゃああっ!!」
とどめのアッパーを喰らって、東方仗助はダウンした。
「弱ぇ!テメェそんなんで本当にアンジェロを倒したのか?」
圧倒的な勝利に酔いしれている億泰に一瞥をくれてから、形兆は気配を殺して外に出た。
「・・・あん?・・・・無駄だってのが分かんねぇようだな。頭悪いのはテメェだぜぇ!そして死ねぇ仗助ェ!!」
馬鹿が。
形兆の心の呟きが伝わったかのように、東方仗助が口を開いた。
「・・・やっぱりお前頭悪いだろ?」
「・・・何で!?」
その内こうなるだろうという、予想通りの結末だった。
ザ・ハンドの能力で空間を削り取れば、その向こうにあるものを引き寄せる。
空間が削り取られて距離が縮まるという原理なので、削れば削るだけ、何でもかんでもどんどん引き寄せる。それを考えず、勇み足になってしまったのだ。全く、億泰らしい間抜けな負け方だった。
「どぴ!!ぐはぁぁっ!!」
東方仗助の後ろにあった3つの植木鉢を全て顔面に喰らって、億泰は完全にダウンした。
だからと言って、今この場で闇雲に飛び出すのは愚策である。とどめを刺されようがどうなろうが知った事ではない。負けた億泰が悪いのだ。負けなら負けで、せめて今後の作戦の一部となって役に立つべきなのだ。
形兆は億泰を顧みる事なく、倒れている康一に近付いた。
間近で見ると、益々頼りなさそうなチビだった。しかし意外にも生命力が強いのか、まだ生きている。
ほぼ期待はしていないが、このガキ、ひょっとするとひょっとするかも知れない。
そんな事を考えながら、形兆は康一の足を掴んで、家の中へと引き摺って行った。
「な・・・!こ、康一が・・・・!」
東方仗助がそれに気付いたらしいのは、形兆が玄関の中に入ったところだった。
康一を玄関の中に引き摺り込み、そこで待ち構えていると、血相を変えた東方仗助が駆け込んで来た。
「・・・・この矢は大切な物で、1本しかない。俺の大切な『目的』だ。回収しないとな。」
康一の喉に突き刺さっている矢を掴むと、東方仗助は益々焦りの色を濃くした。
「矢を抜くんじゃあねーぞ!!出血が激しくなる!!」
初めて対面した東方仗助は、まっすぐで強い目をした男だった。
どうやら仲間意識が強いタイプらしい。髪型には何やら並々ならぬ拘りを持っているようだし、服装にも独自のセンスがある、なかなか面白そうな奴だった。
だが、敵だ。
目的を果たすのに邪魔になる奴は、誰であろうと排除するのみだった。
「弟が間抜けだから、貴様をこの俺がバラさなきゃあならなくなった。
となると、この矢に何かあったらヤバいだろ?近所のおばさんに見られたり折れたりしたら大変だ。
几帳面な性格でね、ちゃあ〜んと矢を抜いてキチッとしまっておきたいんだ。」
1本きりの、大切な矢。
10年という歳月をかけ、命綱の財産を注ぎ込んで、悪魔に魂を売り渡して手に入れた、大切な大切な矢。
それをいつまでも不用心に手元から離しておく訳にはいかなかった。
「お前は1枚のCDを聴き終わったら、キチッとケースにしまってから次のCDを聴くだろ?誰だってそうする。俺もそうする。」
形兆は何ら躊躇う事なく、康一の喉から矢を引き抜いた。
その瞬間、東方仗助は完全にキレて掛かってきた。
「・・・ほほう?この屋敷に入って来るのか。」
「考えてものを言え!入んなきゃテメーをブチのめして康一の怪我を治せねぇだろうがよぉーッ!!」
狙い通りの展開だった。
仲間意識が強い奴は、自分の仲間がやられた瞬間、頭に血が上る。
カッとなって我を忘れて冷静さを欠き、仲間をやった奴をぶちのめす事以外、何も考えなくなる。
自分が罠に嵌って、無防備に相手のテリトリーに踏み込んだ事にも気付かない。
そして気付いた時には、もう遅いのだ。
「・・・・フン」
愉悦の笑みが、形兆の口元に浮かんだ。
「兄貴ィーーッ!!!俺はまだ負けてはいねぇ!!そいつへの攻撃は待ってくれぇッ!!勝負はまだ、ついちゃねーんだぜぇーーーッ!!!」
想定外の出来事が起きたのは、その瞬間だった。
負けて道端で無様に伸びていた筈の億泰が、東方仗助を追って玄関に踏み込んで来たのだ。
もうあと2〜3秒でも早ければ間に合っただろう。だが、手遅れだった。
億泰が玄関に、いや、バッド・カンパニーの射程範囲に入って来た正にそのタイミングで、形兆は攻撃の指令を下していた。
「天井の闇の中から・・・・!?何か来るッ・・・・!」
驚くべき鋭敏な感覚で攻撃の気配を察知した東方仗助は、被弾する寸前に素早くその身を翻した。だから、バッド・カンパニーの機銃掃射を浴びたのは東方仗助ではなく、その後ろにいた億泰だった。
「ぐぁぁぁっ・・・・・!」
顔面に無数の弾丸を喰らった億泰は、暫くその場に立ち尽くしていたが、やがてゆらりと揺らめくようにして、ゆっくりと崩れ落ちて倒れていった。
「億泰・・・・」
その様を、東方仗助は愕然と見つめていた。
こいつがそんな顔をする理由など、無い筈なのに。
「・・・どこまでも馬鹿な弟だ。お前がしゃしゃり出て来なければ、俺のバッド・カンパニーは完璧に仗助に襲い掛かった。しかも、攻撃の軌道上に入って来るとはなぁ・・・・」
「ぁ・・・、兄・・・貴ィ・・・・」
「お前のザ・ハンドは恐ろしいスタンドだが、お前は無能だ。無能な奴は側の者の足を引っ張ると、ガキの頃から繰り返し言ったよなぁ?人は成長してこそ生きる価値ありと、何度も言ったよなぁ?」
自分の誤爆で瀕死の重傷を負った億泰の姿を見ても、不思議な位、焦りも悲しみも感じなかった。
むしろ、これはこれで良いのかも知れないとさえ思った位だった。
この先、魂が呪われて罪の深淵に堕ちていくより、綺麗なままで逝けば、母の待つ安らぎに満ちた美しい世界に辿り着けるだろうから。
そう考えると、億泰の手を取ってやるか否か、結論を出しかねていた半端な自分に代わって、神様か誰かが決めてくれたのかも知れないと思えた。
「弟よ、お前のような間抜けは、そのままくたばって当然と思っているよ!!」
形兆はそのまま、東方仗助に対して追撃を加えた。
東方仗助はまたそれを器用に避けたが、こんな限られたスペースでは、それももうそろそろ出来なくなってくる筈だった。
「また無数の穴だ・・・・!一体どんな攻撃してんだ・・・・!?クレイジー・ダイヤモンド!!」
東方仗助は、壁を攻撃して大きな穴を開けた。
それで脱出口を作ったつもりなのだろうが、勿論逃がす気は無い。形兆は間髪入れずにまたも追撃を加えた。
「っ・・・・!テ、テメェの弟ごと攻撃するつもりか!?」
確かに、バッド・カンパニーの攻撃の軌道上には億泰がいる。そんな事は百も承知の上だった。
まさか本気で自分の弟を殺りはすまいと甘く見ていたのだろう。仲間意識の強い奴は、とかくそういう甘ったれた考えをしがちだ。
だが、そんな甘い考えは、虹村形兆には通じない。
たとえ東方仗助がまたさっきのように攻撃を避けて、億泰にとどめを刺す事になったとしても、それはそれで仕方がない、そう覚悟した上での攻撃だった。
だが東方仗助は、その攻撃を避けずに億泰の胸倉を掴んだ。
そして、その手に銃弾の雨を浴びて苦痛の呻き声を上げながらも、とどめの攻撃を喰らう寸前に、億泰を連れて穴の向こうへと転がり出て行った。
それとほぼ同時に穴が塞がり、完全に元通りになった壁に、標的を見失った銃弾が次々と食い込んでいった。
「・・・・東方仗助・・・・」
今度は無数の小さな穴だらけになった壁を見つめながら、形兆はその向こうにいる筈の二人の事を考えた。
東方仗助は、億泰をどうするつもりだろうか?
捕らえて人質にでもする気だろうかと一瞬考えたが、多分違う。
見捨てられた奴を人質に取っても何の意味も無い事ぐらい、馬鹿でも分かる事だ。東方仗助のような抜け目のないタイプの奴に、それが分からない筈はない。
ならば、東方仗助は何の為に億泰まで連れて逃げたのだろうか?
たとえ怪我はスタンド能力で治せるのだとしても、それを負う瞬間はそれなりの苦痛を感じるだろうに、代わりに自分が負傷してまで、何故。
― あいつ・・・・・
人は誰でも、いや、生きとし生けるものは皆全て、何より我が身が可愛いものだ。それが本能なのだ。
仲間意識など、自己防衛の本能の前ではいとも容易く消し飛ぶもの。自分の安全が確保されていてこその、甘ったれた感情に過ぎない。
それなのに、どうして東方仗助は億泰を助けたのだろうか。
仲間ですらない、ついさっきまで命を狙っていた敵なのに。
「・・・・奴はこの康一とかいうガキを見捨てない筈だ。またこの屋敷に入って来るだろう・・・」
自分の身体を張ってまで敵を助けるような奴が、仲間を見捨てる事など、それこそ万に一つも無いだろう。
態勢を立て直してまたすぐにでも必ず突入して来る筈、決着をつけるのはその時だ。
「必ず殺す・・・・!この弓と矢の『目的』を邪魔する奴は、何者だろうとなぁ!」
それまでに、こちらも態勢を立て直しておく必要がある。
形兆は康一の足を引き摺りながら、階段を上っていった。