愛願人形 25




1999年4月。
そろそろ月半ばに差し掛かろうかという今日この日、虹村一家は人知れず杜王町へと居を移した。
当然、入学式も始業式ももうとっくに終わっている時期だが、立ち退き自体が急な話だった上に、折しも世間は引っ越しシーズン真っ只中でなかなか都合がつかず、今日になってしまったのである。
新居は閑静な住宅街の中にあった。各家の間隔はゆったりと広く空いており、平日の午後という時間帯のせいもあってか、通り掛かる人はほぼいなかった。
それは虹村家の者、いや、虹村形兆にとっては好ましい事だった。ここへ越して来た事は、出来るだけ周囲に気付かれたくなかったのだ。少なくとももう暫くの間は。
だからこの家に関しても、住むに当たって出来るだけの掃除はしたが、リフォームや修繕は入れず、庭木の剪定や草刈りもせず、ドアや窓も玄関以外は全て板切れで塞がれっぱなしのまま、敢えて廃墟の状態を保っていた。
理由は、数日前に掛かってきたアンジェロからの電話にあった。


― 俺の知らないスタンド使い、か・・・・・

その時のアンジェロの報告は、いつも通り素質のありそうな奴を見つけたという報告ではなく、既にスタンドを持ち、その能力を使いこなしているスタンド使いを発見したという報告だった。
どうやら破壊したものを直す能力であるらしい事と、本体は地元の高校生らしき男だという事以外には、まだ何も掴めていないようだったが、アンジェロはその男に何やらお楽しみの邪魔をされたようで、いつにも増して『調査』に意欲的になっていた。今頃はさぞや執念深くその男を追っている事だろう。
地元の学生らしいという事は、そのスタンド使いはこの杜王町内に住んでいる可能性が高かった。もしかしたら本当にすぐ近所かも知れない。
それを思うと、自分達兄弟の存在をこの町内の住人達に早々に知られるのは良くない気がしたのだ。
何しろ相手は未知のスタンド使い、あの矢以外のどんな方法でスタンド能力を身に着けたのか、まるで分からない奴なのだから。


「兄貴ィ〜、引っ越し屋帰ったぜぇ〜。」

ノックとほぼ同時にドアを開けて入って来た億泰の声で、形兆は我に返った。
打ち付けられた窓の隙間から見える空は、もう茜色に染まっていた。


「親父もう出してやって良い?」
「ああ。」

今回の家は今まで一番のボロ屋敷だった。ボロだが『屋敷』と呼んでも差し支えない程に広く、部屋数も多いのだ。
新しい父の部屋は最上階の小部屋、屋根裏部屋に決めていた。父はあの例の木箱に押し込められた状態で、既にその部屋の中にいた。引っ越し屋が引き揚げたのなら、もう出してやっても良い頃だった。


は?」
「まだ掃除してる。もう少しかかりそうだって。」
「そうか。」

前回の引っ越しの時とは違って、今回、の事はさほど心配していなかった。
家出してからもう4年も経っているし、実家のあるK県Y市からまた一層遠く離れもした。それに何より、今のは口が利けない。そんな状態でがここを逃げ出すとは考え難かった。


「・・・晩飯、弁当か何か買って来る。」
「マジすか!じゃあ俺唐揚げ弁当が良いな〜!ご飯大盛りで!」
「分かった。」

形兆は留守を億泰に任せて家を出た。を探して弁当のリクエストを聞く事は出来なかった。聞いたところで多分、皆と同じ物で良いというような答えしか返って来ないだろうからだ。もっと必要に迫られている事ならともかく、そんな程度の事で話しかけるのは、どうしても躊躇われた。
の存在意義を真っ向から否定するような事を言い放ったあの日以来、形兆はの顔もまともに見ていなかった。見ようとすると、あの夜のの悲しそうな泣き顔をどうしても思い出してしまって、居た堪れなくて。
今までずっと、傷付けて、傷付けて、傷付けて。そしてとうとう、とどめを刺してしまったのだ。
きっともう戻れる事はない。それを承知で口走ってしまったのは、あの時一瞬、もう何もかも全部放り出してしまいたくなったからだった。所謂ヤケというやつだ。
だが、そうかといって、ついカッとなって心にも無い事を言ってしまった、という訳でもなかった。あの夜に言った事は、それはそれで事実だった。

あの時、もしもの母親が家に男を住まわさなければ、を家出させる事は不可能だった。あの時、もしもに友達が一人でもいれば、決してを家の中に入れたりしなかった。家族の事や自分の事情を話しはしなかった。関わり合いになど絶対にならなかった。
あの時、もしもあの海辺の街で出逢ったのが、『』ではなかったら・・・・・

事実は事実だった。
だから撤回などする気は無かったし、たとえ撤回したとしても、もう全てが手遅れだった。
そう、気が付けば、いつの間にかもう何もかもが取り返しのつかないところまで来てしまっていた。

















杜王町に引っ越して来て2日が経った。
今まで全く馴染みの無かった地方の、全く知らない町に引っ越して来て、まだたったの2日。当然まだ何も慣れてはおらず、はずっとどことなく落ち着かない気分でいた。
虹村兄弟の父親も同じだったのだろうか、彼も引っ越して来た途端から何やら落ち着かず不安定な様子を見せ始め、食事にも殆ど手をつけず、その夜久しぶりに発情した。それまで暫く安定して比較的穏やかに過ごしていたのだが、まるで引っ越しが引き金になったかのように。
ともかく、一度そうなってしまうと治まりがつかないのは相変わらずで、は引っ越し早々から彼と共に屋根裏部屋に籠る事を余儀なくされた。
本能的な欲望を只々叩きつけてくる彼を、とにかく受け止め続けるだけの役目。
何も見ず、何も聞かず、何も言わず、何も考えず、ただ吐き出されるものを浴びるだけの存在。
それが人形、それが形兆の望む『』という女の在り方だった。
その意思に従って、延々と、淡々と、役目に徹し、疲れ果てて一時の眠りに落ちた後で目覚めてみると、部屋のドアの前にお握りと水の差し入れが置いてあって、虹村兄弟の姿が無かった。
そう言えば、今日はぶどうヶ丘高校の編入試験を受けに行くと形兆が言っていたのを思い出し、はホッと胸を撫で下ろした。
二人が黙っていなくなる筈などないのだが、一瞬、ふと二人が消えてしまったように感じて怖くなったのだ。それもきっと、まだこの新しい環境に慣れていないせいに違いなかった。
虹村兄弟の父親は、今はイビキをかいて熟睡していた。少し考えてから、は汚れた身体をざっと拭いてバスローブを羽織り、差し入れのトレーを持って階下へ下りた。暫くゆっくり出来そうだから、一度シャワーを浴びて、ダイニングのテーブルでちゃんと座って食べようと思ったのだ。
この家は、外側から見れば廃墟そのものだが、家の中はまだ辛うじて人が暮らせる状態を保っていた。
バスルームも、タイルが多少ひび割れていたり目地にカビが生えていたりはするが、お湯はちゃんと出る。はバスルームに入り、シャワーの栓を捻って、熱いシャワーを浴び始めた。
大量の粘液でベトベトになっていた素肌が、石鹸の泡で綺麗に洗い流されてさっぱりしていく爽快感に浸ってホッとしていると、ふと誰かに見られているような感じがして、は窓の方を向いた。
だが勿論、気のせいだった。この窓の向こうは草木の生い茂る庭だし、外から板で打ち付けられて塞がれているので、誰かが覗いているなどという事はまず有り得なかった。仮にもしもあったとしても、板きれの隙間から覗かないといけないので、窓にベッタリ張り付かないと不可能である。そんな事をされれば、気のせいなんかで済む筈がない。
はもう窓の事を気にしないようにしてシャワーを浴び、綺麗な下着とバスローブを身に着けて、ダイニングルームのテーブルに着いた。
まずは水を飲もうとグラスを手に取った時、ふとまたさっきのような、奇妙な気配を感じた。
しかし、ドアはちゃんと閉めているし、窓は無い。リビングとキッチンにはあるが、どちらもこれまた板で塞がれている上に、ここからは見えない。
釈然としないながらも、やっぱり気のせいだと結論付けるより仕方なく、はグラスの水をすっかり飲み干してから、お握りを食べた。それから後片付けをして、虹村兄弟の父親の様子を見に、屋根裏部屋に戻った。
彼はまだグウグウとイビキをかいて眠っていた。このまま治まって『スイッチ・オフ』になるだろうか?出来ればそう願いたいが。
は小さく溜息を吐き、丸裸で大の字になっている彼にバスタオルでもかけてあげようと近付いて行った。
その時、背後に先程とは比べものにならない明確な気配を感じて、は反射的に振り返った。


「っ・・・・・・・!」
「おう、邪魔するぜ。」

見知らぬ男がいつの間にか、屋根裏部屋のドアの前に立ち塞がっていた。
Tシャツとオーバーオール姿の、前髪が少し禿げ上がった大柄な男で、浮かべている愛想笑いがゾッとする程恐ろしかった。
は思わず出ない悲鳴を上げながら後退りした。すると男は、を追うようにして部屋の中にズカズカと踏み込んで来た。


「ちょいとつかぬ事を訊くが、ここはあの学生服の男の家かい?」
「・・・・!?」
「名前を知らねぇんだ。学生服を着た金髪の男という事しか分からねぇ。お嬢ちゃん、アンタあの人の名前を知ってるんだったら教えてくれるかい?」

形兆の客人だろうか?いや、そんな筈はない。
この男はきっと形兆に害をなす存在だと、は直感的に確信した。
だが、震える足を何とか励まして、男との距離をジリジリと空けてみるも、向こうが戸口を塞いでいては部屋の奥へと逃げ込むしかない。
そうこうしている内にどんどん追い詰められ、空けた筈の距離は、手を伸ばせば届く位にまであっという間に縮められてしまった。


「・・・・お嬢ちゃん、もしかしてアンタ、口が利けねぇのか?」

声の代わりのペンと筆談帳は、今は別に必要が無いと思って自分の部屋に置いてきていた。
だから、形兆の名前を教えろと言われても、答えようがない。たとえ殺されたって、答えようがない。堪らなく怖いが、それが少しだけ安心でもあった。


「そうかそうか、喋れねぇのか、可哀想になぁ。何で喋れねぇんだ?生まれつきか?それとも病気か?耳の方はどうだ?耳は聞こえるのかい?」

きっと、何も答えてはいけなかった。
は必死に恐怖を堪えながら、男の視線をかわし、ひたすら沈黙を貫いた。


「アンタはあの学生服の男の家族か?それとも女か?あとその気持ち悪いバケモンは何だ?首輪と鎖で繋いで、まるで犬みてぇだが、まさかペットなのか?」

男は、の足元で寝ている虹村兄弟の父親を指さした。
普段は首輪も鎖も着けていないが、発情時の今は念の為の用心として、首輪と鎖で壁のフックに繋ぎ留めている状態だった。


「実はよぉ、見てたんだよ。アンタ大人しそうなカワイイ顔して、随分エグい事するじゃねぇか。こんなバケモンの相手なんかよく出来るなぁ。凄ぇよ全く。なかなか出来る事じゃねぇぜ。」
「・・・・・・!」

何故、この見ず知らずの男がそれを知っているのだろうか?
見ていたと言うが、どこからどう見ていたのだろうか?


「なぁ、アンタもスタンド使いなのか?その化け物と、もう一人のバカっぽい方の学生服の男も。」

絶対に何も答えてはいけない。きっとこの男は、この家の人達にとって災いとなる、招かれざる客なのだ。
しっかりと歯を食い縛って口を噤んでいると、突然、の身体に異変が走った。


「っ・・・・・・!」

痛みや苦しみがある訳ではない、ただとにかく、身体がいう事を聞かなかった。
自分の身体なのに、指1本さえ自分の意思では動かせない、自分以外の誰かにコントロールされている、そんな不気味な感覚だった。


「アンタ嘘吐いてねえなぁ。イイ子だ。だから殺さずにいてやってるんだぜ?嘘吐きのワルい子だったら、とっくに殺してる。」
「っ・・・・・!!」
「そろそろ気付いたか?そうさ、お嬢ちゃん、今アンタの中には『俺』が入ってる。この俺のスタンドがな・・・・」

男は伸ばした人差し指で、おもむろにの喉元から胸、そして胃の辺りまでを撫で下ろした。


「喋れなくてもよぉ、首を振る位の事は出来るだろ?なぁ、俺の質問に答えろよ。『はい』か『いいえ』で答えられるように訊いてやるからよぉ、な?」

それまで抑えつけられているかのようだった身体に、少しだけまた自由が戻った。手も足も動かないが、頭だけは自由に動かせるようになっていたのだ。
咄嗟に男と目が合って、はふとその顔にデジャヴを感じた。


「じゃあまず、アンタの事から訊こうか。耳は聞こえてるか?」

この男の顔には見覚えがある。
でも直接会った訳ではない。何かで見たのだ。


「よし。ならちゃんと質問に答えられるよな。アンタもスタンド使いか?」

TVだっただろうか?
いや違う、PCだ。


「そうか、違うのか。まあそうだろうな。スタンド使いなら何かしらの能力があるんだから、もう少し抵抗するよな。
よし、じゃあ次の質問だ。そのバケモンはスタンド使いか?」

形兆が使っているPCの画面に映し出されていたのを、何ヶ月か前に目にしたのだ。


「違うってのか?じゃあコイツは何なんだ?こんな生き物見た事ねぇぞ。おっと、こりゃあ『はい』か『いいえ』じゃ答えられねぇな。
まあ良い、こんだけグースカ寝てやがったら、取り敢えずは大丈夫だろう。今はこのバケモンの事はひとまず置いとくとして、次はあの学生服の男達だ。
あの馬鹿ヅラ下げてる方もスタンド使いか?あの男は金髪の方を『兄貴』と呼んでいるなぁ。顔全然似てねぇけど、あの二人は兄弟なのか?」

男女問わず何人も強姦し、惨たらしく殺害した凶悪殺人鬼。
既に刑が確定している筈の、死刑囚。
名前は確か片桐安十郎、通称アンジェロ。


「・・・どうした?早く答えろよ。殺されたくはねぇだろう・・・?」

今、目の前での命を脅かしているのは間違いなく、あの時形兆が調べていた凶悪犯『アンジェロ』だった。


「っ・・・・・!!」

それに気付いた瞬間、また突然、身体が締め付けられるように苦しくなった。


「言う事聞かないワルい子は、お仕置きするぜ?」
「っ・・・・!っ・・・・!」

の手がひとりでに動き、バスローブの紐を解き始めた。
それをすれば半裸の身体をこの男に見られると、頭ではちゃんと分かっているのに、どうしても手が止まらない。
おぞましい笑みを薄く浮かべているアンジェロから目を背ける事すら許されず、はアンジェロの目の前で、見せつけるようにしてバスローブを脱ぎ落とした。


「フン・・・・、つくづく読めねぇなあの人は。こんな気持ち悪いバケモンのオモチャにするには勿体無ぇと思うんだが。それとも、散々遊び飽きた後のお下がりって事かぁ?」
「っ・・・・・!!」

それだけでは止まらず、は更に下着も脱ぎ捨て、一糸纏わぬ全裸になって、その場に横たわった。
そんな事をするつもりは毛頭無い。無いのに、膝が勝手に立ち、両脚が大きく開いていく。決して、決して、見せたくない部分を、恥ずかしげもなく曝け出していく。
アンジェロが脚の間にどっかりと座り込み、其処を無遠慮に覗き込んで喉の奥に籠るような笑い声を洩らすのを、は恥辱の涙を流しながら、ただじっと聞いている事しか出来なかった。


「っ・・・・・!?」

やがて、アンジェロの無骨な指がの秘裂を何度か擦り上げてから、中に入ってきた。恐怖で固く強張った身体に無理矢理捻じ込まれたそれは、に耐え難い苦痛をもたらした。
なのに、抵抗が出来ない。何かに身体を乗っ取られていて、逃げ出す事はおろか、脚を閉じようとする事さえも出来ず、はアンジェロの良いように弄られ続けた。


「っ・・・・!っ・・・・!」
「あー、こりゃあワルい子だ。」

の中をズクズクと執拗に突きながら、アンジェロはまた厭らしい笑い声を洩らした。


「こんな状況なのに感じてやがる。見掛けによらず意外と好き者なんだなぁ。流石、こんなバケモンの相手出来るだけの事はあるぜ。」
「・・・・・!」

快感などある訳がない。無理矢理に掻き回される痛みに只々耐えているだけだ。
その苦痛を和らげようと、身体が生理的な反応を示しているだけに過ぎないのに、しかしそれは皮肉にも、快楽に蕩ける時と同じ反応だった。


「おーおー、こんなになっちまって。オラ、聞こえるだろ?グチョグチョいってんのがよ。」

胎内を蹂躙する異物から身を守る為に滲み出る分泌液がアンジェロの指で撹拌される音が、確かにの耳にも届いていた。
流れる涙を拭う事も、恐怖と苦痛に悲鳴を上げる事も出来ずに、は胸の内で必死に助けを求めた。


― 形兆君・・・!億泰君・・・!

二人はまだ帰って来ない。
どれだけ願おうとも、足音も、声も、何も聞こえない。


― 助けて、お願い・・・・・!

今この場にいるのは、イビキをかいて寝ている虹村兄弟の父親だけだった。
仮に起きたとしても、彼がこの状況を理解して助けてくれるとは限らない。
それでも助けを乞わずにはいられなくて、は辛うじて動く目だけを彼の方に向けながら、強く、強く、助けてと念じ続けた。
すると、それが通じたかのように、彼はムニャムニャと口を動かしながら、その目をぼんやりと開けた。


「ウゥゥ〜・・・・・・」

虹村兄弟の父親は、寝ぼけた目での方を見た。
助けて!助けて!どんよりと澱んだ彼の目に、は必死で訴えかけた。


「取り敢えず1発ブチ込んどくか。」

アンジェロはオーバーオールの肩紐を外してゴソゴソと服を寛げ、欲望に滾る凶器を露出させた。
そしてとうとうを組み敷き、の身体の上に圧し掛かってきた。
限界にまで膨れ上がった恐怖の中、は自分の女としての尊厳も、命も、何もかもが奪われてしまうのだと観念した。


「フゴォォォォッ!」

だがその時、それまでボーッと事態を眺めていただけの虹村兄弟の父親が、突如覚醒したかのように叫び声を上げながら、アンジェロに飛び掛かった。


「うわぁぁっ!!」
「フゴッ、フゴゴッ・・・・!」

虹村兄弟の父親は、アンジェロを突き飛ばすようにして体当たりし、そのままアンジェロと共に床に転がって激しい揉み合いを始めた。
そういえば、初めて彼の相手をした時にも同じような事があった。あの時のように、自分の『人形』を取られると思って抵抗しているのだろうか?
しかし、あれから4年の月日を共に過ごし、彼の様子の変化を側で見続けてきた今、首に纏わりつく太い鎖をジャラジャラと鳴らしながらアンジェロと争う彼は、の目にはまるで自分を守ろうとしてくれているように映っていた。


「このクソッタレのバケモンがぁっ!」
「っ・・・・・!!」

突然、何の前触れもなく抗い難い吐き気を催して、は思わずその場で背中を波打たせた。
だが、吐いた感覚は確かにあるのに、床の上には何も無かった。吐き気を感じたのもさっきのほんの一瞬だけで、今はもうすっかり治まっていた。
何が起きたのだろうかと思った瞬間、アンジェロが虹村兄弟の父親の顔を目掛けて唾を吐きかけた。


「くたばりやがれ!アクア・ネックレス!」
「ブギッ・・・・・!」

一瞬、奇妙な『間』があった。
長いような、短いような、不思議な時間が通り過ぎたその後。


「ブゲェッ・・・・・!」

虹村兄弟の父親は、まるで何かに引き裂かれるようにして、バラバラの肉塊と化した。
彼の身体が無惨に飛び散る様を目の当たりにしたは、強烈なショックに精神を撃ち抜かれた。


「・・・・・・!!!」

動くどころか呼吸すらもまともに出来ず、はその場で凍りついた。
幾らか溜飲を下げたらしいアンジェロが、ざまあ見ろと鼻を鳴らしてまたの方に近付いて来ても、微動だに出来なかった。
恐怖が飽和してしまって、何が怖いのか、何に怯えているのか、もう自分でも分からなくなってしまっていた。


「さて、と。クヒヒ・・・・」

まさしく本物の人形のようになってしまったをまたさっきのように組み敷いてから、アンジェロはふと動きを止めた。


「な・・・・、何だ・・・・・?う、うわぁぁっ・・・・!?」

アンジェロはまた突然絶叫して、の側から飛び離れた。


「・・・・ブギィィ・・・・」

聞き覚えのあるその声で、は少しだけ我に返った。


「ウゲエェェッ!何だコイツ!?元に戻りやがった!!」
「・・・・・!?」

いつの間にか身体が動くようになっていた事に気が付いて、は身を起こした。
見れば、破裂四散した筈の虹村兄弟の父親が、元通りの状態でそこにいた。


「な、何なんだコイツは!?何故死なねぇ!?何で元通りになってやがるんだ!?」

アンジェロは青黒いような顔色になって、慌てて服を整え始めた。にはもう目もくれず、どうこうしようという気はすっかり失せてしまったようだった。
そのまま一目散に逃げて行くのだろうと思われたが、しかし次の瞬間、アンジェロは突如の横から消え、戸口の方へと瞬間移動していた。


「何だテメェ、勝手に人んち入って何してやがんだこのダボが!あぁ!?」
「ゴヘェッ!!」

億泰の声がしたかと思うと、アンジェロがまた室内に吹っ飛ばされて戻って来た。
そう、億泰の声だ。
大きな安堵感に、はようやく生きた心地がした。


「テメェ、よくもこの部屋に入りやがったな?決して見てはならねぇもんを見やがって・・・って、ネーちゃん!?」

アンジェロを追い詰めるようにして部屋に入って来た億泰は、を見てギョッと目を見開き、顔を赤らめてアワアワと動揺しながら、戸口の方に向かって『兄貴ィ!』と叫んだ。
ややあって、戸口の向こうから形兆が姿を現した。
と目が合うと、形兆も一瞬、僅かに目を見開いた。そこで初めては自分が全裸だった事を思い出し、慌てて床に落ちていたバスローブを取り上げて羽織った。


「・・・・アンジェロ、貴様、何しに来た?どうやってここを嗅ぎ付けた?」
「ち、ちげぇんだよ!そ、そうじゃねぇって!ま、まぁ落ち着いて聞いてくれよ、な・・・・!?」

アンジェロは上唇に垂れている鼻血を適当に拭いつつ、ヘラヘラと媚びるような愛想笑いを形兆に向けた。見るからに焦っていて、形兆を恐れているのが一目で分かった。


「ほ、ほら、こないだ報告しただろ?アンタが知らなかったスタンド使い!俺はずっとアイツの事を調べてたんだ!」
「それで?何か分かったのか?」
「名前は東方仗助!15歳!ぶどうヶ丘高校1年!家はすぐそこだ!この家の、ほんのすぐ目の前さ!」

それを聞いた億泰が、俺とタメじゃねぇかよ、と呟いた。


「奴の家をずっと張ってたら、アンタがこの家を出入りしてるのを見かけたんだよ。ほら、東方仗助んちのすぐ近所だろ?だからさ。全くの偶然だよ。
最初はよぉ、いつもみたいにスタンド使いになれそうな奴を探しに来たのかと思ったんだけど、ちょっと気になって少ぉ〜しだけ家の中覗いたら、コイツらがいて、皆で住んでるみたいじゃねぇか。パッと見は空き家なのによぉ。
俺はアンタの事は何も知らなかったし、だからついつい、ちょっと気になっちまって・・・・。ちょっとした好奇心だよ好奇心、ヘヘヘ・・・・」
「好奇心だとぉ!?テメェ、好奇心で俺の姉貴に手ェ出すたぁ良い度胸してるじゃねーか!!ブッ殺してやる!!」

億泰が右手を一閃させると、アンジェロは億泰の方に吸い寄せられて行った。


「オラァッ!!」
「ひっ、ひえぇっ・・・、ブベッ!や、ヤってねーよ!ま、まだヤってねーって!」
「うっせバーカ!んな事誰が信じるってんだ!死ねオラッ!死ねッ!」
「ぐえッ!うぐッ!ほ、ホントだって!ホントにヤッてねーよ!」

どれだけ逃げ回っても、アンジェロは瞬く間に億泰に引き寄せられていった。それは去年の夏、雑木林の中でが体験した事と同じ現象だった。
だから、目には見えなくても、それが億泰のスタンドの能力であるという事は理解出来ていた。
逃げ回っては引き戻され、億泰に殴られ蹴られて頭突きをされている内に、アンジェロはどんどん追い詰められていき、遂に壁を背負って完全に行き詰まってしまった。


「その頭削り取ってやる!!死ねオラァッッ!!」

億泰はアンジェロに向かって、右手を大きく振り被った。
その時、不意に形兆が億泰の肩を掴んで引き下がらせ、次の瞬間、アンジェロのすぐ後ろの壁に、ごく小さな穴が凄まじいスピードで無数に開き始めた。
アンジェロの輪郭をなぞるように点々と出来ていくその穴は、一体何なのだろうか?これが形兆の能力なのだろうか?固唾を呑んで見守っていると、暫くして穴の開くのが止まり、空中に舞い散っていた大量の白い粉塵が、粉雪のように音も無く床に降り積もっていった。


「ぅ・・・・、ぅぅ・・・・」

アンジェロは、脂汗を流して硬直していた。
億泰に痛めつけられた傷はあるが、後ろの壁のような穴は、見た限り身体のどこにも開いてはなさそうだった。


「アンジェロ、その『東方仗助』とやらを殺れ。もししくじれば、その時は俺がお前を殺す。」

その只ならぬ迫力に気圧されたのはだけではなく、億泰も、アンジェロも、それぞれに顔を凍りつかせて立ち尽くしていた。


「・・・・い、言われなくてもそのつもりよ、ヘヘッ・・・・」

アンジェロは脂汗でテカテカした顔に引き攣った笑みを浮かべてそう答え、恐る恐る部屋を出て行き、それからドタドタと騒々しい足音をさせて階段を駆け下りて行った。
その足音がやがて聞こえなくなると、億泰が激昂したような顔で形兆の方に向き直った。


「兄貴ィッ!何だよアイツは!?」
「奴の名は片桐安十郎、通称アンジェロ。前科多数の凶悪殺人鬼だ。」

形兆が淡々と答えると、億泰はまた一層大きく目を見開いた。


「きょ、凶悪殺人鬼って、何でそんな奴とつるんでんだよぉ!」
「つるんでなどいない。奴は単なる手駒だ。」
「手駒だろうがパシリだろうが、要するにあの野郎と組んで親父を殺せるスタンド使いを探してるって事だろ!?」
「まぁそうなるな。奴は俺の手となり足となって、この杜王町でスタンドの素質がありそうな奴を探し続けている。この数ヶ月ずっとな。」
「この数ヶ月・・・、ずっと・・・?」
「ああ。」
「・・・・俺よりも・・・・、ガキの頃からずっと一緒に地獄這いずって生きてきた俺よりも・・・、あんな奴のが信用出来るってのかよ・・・?」

形兆を問い詰める億泰の様子は、いつもの兄弟喧嘩の時とは違っていた。
いつもなら、腹を立てれば怒って突っ掛かっていくのに、今の億泰は俯いて、小さな声でボソボソと呟くように喋っていた。その様子は、怒っているというよりは、傷付いているように見えた。
かと思うと、億泰は突然顔を跳ね上げ、強い眼差しを形兆に向けた。


「冗談じゃねぇぜ兄貴!俺は認めねぇ!兄貴と組むのは俺だ!ずっと一緒に生きてきて、一緒にスタンド使いになった、この俺なんだよ!」

億泰は叫ぶようにそう言い放つと、プイとそっぽを向いて部屋を出て行こうとした。


「・・・・あんな奴とはさっさと手ェ切って下さいよ。いつまたネーちゃんが危ねぇ目に遭うか分かったもんじゃねぇ。あんなイカレ野郎なんかに頼らなくても、これからは俺が兄貴の手伝いをするからよぉ。」

出て行く直前、億泰は戸口の前で一度立ち止まり、またボソボソと低い声でそう呟いた。


「お前・・・・・、意味を分かってんだろうな・・・・?」
「・・・当然スよ」

億泰が階段を下りて行ってしまうと、部屋の中に沈黙が流れた。
虹村兄弟の父親は、部屋の隅でじっと蹲ったまま、身じろぎもしない。眠っているのか、起きているのか、それとも痛みや苦しみに耐えているのか。
様子を見なければと頭では思っているのだが、もまだショックが尾を引いていて、その場に座り込んだままどうしても動けなかった。

















形兆は窓に近付き、板きれの隙間から外を見た。
東方仗助というスタンド使いが住んでいる家は、どの家だろうか?
周囲の家々を眺めていると、外に出て行く億泰が見えた。駅の方角を向いているから、恐らく駅前でもぶらついて憂さ晴らしをしようというつもりなのだろう。
もしもアンジェロを捜し出してとどめを刺すつもりだったとしても、それならそれで構わないし、アンジェロのスタンドでは億泰には勝てないから、返り討ちに遭う心配もまず無い。取り敢えず億泰の事は放っておいても問題は無かった。
父親も、部屋の隅でじっと蹲っている。何があったのかは分からないが、発情さえ治まっているのなら、これもまた放っておいて構わない。放っておけないのはだった。


「・・・・大丈夫か?」

は頷いたが、只ならぬ恐怖を味わったのは間違いない様子だった。
留守の間に、一体何があったのだろうか?
アンジェロは未遂だと言い張っていたが、やはり何かされてしまったのだろうか?
それを思うと、言い様のない憤りがこみ上げてきた。アンジェロに対しても、自分自身に対しても。
たとえアンジェロの言っていた事が事実で身体は無事だったとしても、奴がを強い恐怖に陥れた事は確かであるし、そうなったのは迂闊にも油断していた自分のせいに他ならなかった。


「・・・部屋に帰って休め。」

形兆は放心したように床に座り込んだままのに歩み寄り、立ち上がるように促した。
はまた微かに頷いて立ち上がったが、それがやっとという状態だった。
覚束ない足取りでフラフラと歩いて行くは、見ていられない程危なっかしく、今にも消えてしまいそうに儚げだった。
今、このまま見送ってしまったら、もう永遠に見失ってしまう。何故だかそんな風に思えて、気が付くと、形兆はの後を追いかけて、その腕を掴んで引き止めていた。


「・・・・・?」

振り返ったを、形兆はおもむろに抱き上げた。


「っ・・・・・!?」
「・・・足元が危なっかしいんだよ。階段から転げ落ちる。」

驚いているその瞳から逃げるように視線を逸らして、形兆はゆっくりと階段を下りて行った。は身体を固く強張らせていたが、抵抗したり、形兆の腕の中から飛び出そうとしたりはしなかった。
の部屋に着くと、形兆はそのままをベッドに横たえた。


「寝ろ。とにかく休め。」

何があったのか、今すぐ問い詰めなければならない理由は無かったし、そもそも、どうしても聞き出さなければならない訳でもなかった。
が言いたくなければ、それで良い。命が無事だったのなら、それで良い。
に上掛けをかけてやってから、形兆は踵を返した。すると、すぐにが起き上がる気配がした。


「・・・・・・!」

今度はが形兆の腕を掴んで引き止めた。
振り返ると、今にも溢れそうな涙で瞳を潤ませたが、まっすぐに形兆を見つめていた。


「・・・・・何だよ?」

いつもが首から下げているペンと筆談帳は、今は机の上にあった。
それを取ってくれと頼まれたら、取ってやらないといけないのだろう。そうなれば、の心の内を聞かなければならなくなる。
は何を言おうとしているのだろうか?
そして、それを聞いて、どうしろというのだろうか?
何もかも、もう取り返しがつかないのに。


「・・・・・」

は吐息を微かに震わせながら、形兆の手を引いた。
意図が分からなくて、仕方なく再びの方に向き直ると、は形兆の手を開かせて、掌に指で字を書き始めた。


『い』
『か』
『な』
『い』
『で』


いかないで。
掌に書かれたその文字が、形兆の耳に音となって届いた。


「・・・・行かないで・・・・」

微かに震えている小さな唇が紡ぐ音の無いその言葉が、確かにの声となって聞こえた。


「・・・・・・・・・・」

の瞳から溢れた涙の雫が、白い頬の上を伝い落ちていった。
何かを考える前に手が勝手に動いて、形兆はその跡を拭い、の頬を掌でそっと包んだ。すると、の唇が少しだけ開き、しゃくり上げるように息を吸った。
形兆君、今にも声に出してそう呼びそうなの唇が形兆を優しく引き寄せ、ごく自然に、引き合うようにして、二人の唇が重なった。
形兆の膝がベッドに着き、の腕が形兆の首に回ると、引き合う力が更に強くなった。
形兆はを包み込み、は形兆を受け止めながら、二人してゆっくりとベッドに沈んでいった。


「っ・・・・・」

の首筋に唇を押し当てると、花のような優しい香りが形兆の鼻腔を擽った。の香りだ。冷たい緊張感で痛い程に張り詰めている心を、この香りはいつも、柔らかく温かく包み込んでくれる。
そう、いつもだ。14歳になったあの日からずっと。
邪な企みを隠して恋愛ごっこをしていた時も、どうにもならない苛立ちをぶつけていた時も、いつも心の底でを求めていた。
この優しい香りに包まれて、この温もりを抱きしめている時だけは、一時何もかもを忘れて、安らぎを感じていられたから。


「っ・・・・・・」

啄むようなキスを繰り返しながら、形兆は学ランを脱ぎ捨て、のバスローブの紐を解いた。
露わになった白い胸元にキスを落とすと、は微かに肩を震わせて、縋り付くように形兆の腕に手を掛けた。


「っ・・・・・・!」

の胸の頂は、軽く口付けただけですぐに固く膨らんだ。
形兆は心の赴くままにそれを口に含み、舌先で何度か撫でてから、甘く吸い上げた。


「ハッ・・・・・!」

は甘い吐息を洩らしながら、求めるようにして形兆の首をかき抱いた。
本人が言っていた通り、は何も変わっていなかった。
今でもまだ、自分はに愛されている。肌で感じるその事実が、形兆の心を痛い程に切なく苛んだ。


「ハァッ・・・・・!」

その痛みに突き動かされるようにして、形兆はの秘所に手を触れた。
勝手な都合と欲望のままに散々利用してきたこの身体を、今更愛したいと言ったら、罰が下るだろうか?
けれども、もう止まらなかった。
形兆はの其処を優しく弄りながら、の身体に残っている布切れを全部取り払い、自分も全てを脱ぎ捨てた。
隠すものが何も無くなったの身体は、まさしく花のようだった。
形兆が触れれば、柔らかく綻び、ゆっくりと開いていく。この世にたった1輪だけの、美しい花だった。


「ハァッ、ハッ・・・・・!」

触れれば触れる程、の花弁からは蜜が溢れた。
形兆はに深く口付けながら、の中にゆっくりと指を沈ませていった。


「ハッ・・・、ッ・・・・・!」

の中は熱く蕩けながら、形兆の指を受け入れて健気に締め付けてきた。それが決して許されない罪で紅く染まっている事を知っていて、なお。
こんな穢れた手で今更抱かれても、はきっと幸せにはならない。そう分かっているのに、それでも止められなかった。
甘い吐息を零しながら身を委ねてくるに、どうしても応えたくて。
もう同じ世界には生きていられなくなったと分かっているのに、今更のように、どうしてもの愛が欲しくて。


「ハッ、ハッ・・・、ハァッ・・・・!」

唇から喉元、胸、そして下腹部へと、点々とキスを落としていき、柔らかい茂みをかき分けて、舌先で花芽をそっと撫でると、の腰がビクンと震えた。指が一層締め付けられ、また新たな蜜が滲み出てくるのが感覚で分かった。
何度も何度も、数え切れないぐらい行為を重ねてきて、の身体の事は良く分かっている。形兆はの敏感な部分を、指と舌で優しく弄り続けた。を甘い罠に堕とす為ではなく、どうにもならない苦しみから自分が一時逃げる為でもなく、ただ、の温もりを、愛を、感じたくて。


「ハッ・・・!ハァッ・・・、ッッ・・・・!」

やがて形兆が導くままに、は絶頂の波に呑まれていった。
その余韻でいじらしく震えている身体を一度解放してから、形兆はをそっと組み敷き、涙を湛えたその瞳をすぐ近くから見下ろした。


「・・・・・・・・」

今更、後悔など許されない。
あの時、あの海辺の街でお前と出逢わなければ、お前をこんな目に遭わせずに済んだのに、なんて。
ましてや愛など口にする事は、決して、決して、許されない。
全てを胸の内に閉じ込めて、形兆はの中に身を沈めていった。


「ハッ・・・、ハァァッ・・・・!」

声にならない声が、の唇から迸った。
この声は、いつかまた元通りの澄んだ響きを取り戻せるだろうか?
そんな事を考えながら、形兆は引き寄せられるようにしてそこに深く口付け、熱い吐息をの口内に送り込んだ。そうする事で、自分の喉に備わっている声を出す機能を、にあげられるような気がして。


「ハッ・・・!ッッ・・・・!」

しっかりと舌を絡めて、混ざり合う吐息を夢中で交わしていると、は形兆の首を強くかき抱いて、熱く火照った身体をまた小刻みに痙攣させた。
吐息は甘く震えているのに、声はやはり出ていない。出る訳がない。自分の声を与える事など出来る訳がないのだ。形兆は歯を食い縛り、の胎内を力強く突き上げた。


「ハァァッ・・・・・!!」

声、時間、身体、心。
が形兆に捧げたものは、どれもこれも返してやれるものではなかった。金や品物と引き換えに出来るものでもなかった。
の大切なものをことごとく奪ったのに、それに対する償いの方法が見つからなかった。お前に対して必ず責任を取ると、そう約束したのに。


「ハッ・・・・!ッ・・・・・!ハァァッ・・・・・!」
「・・・・・・・・・!」

形兆は吐息を震わせて喘ぐを強く抱きしめ、決して口に出せない想いを、激しく、ひたむきに、の奥深くに刻み続けた。
大きな波に攫われて呑み込まれ、二人一緒に流され果ててしまうまで。














学ランのボタンを留め終わると、形兆はベッドの方を振り返った。
はぐっすりと良く眠っている。このまま暫く眠れば、気分も幾らかは和らぐだろう。あどけないその寝顔を見下ろして、形兆はふと表情を柔らかく綻ばせた。だがそれも、ほんの一瞬の事だった。


― ・・・・

出逢いそのものから悔やんで、の中から虹村形兆という男を跡形も無く消し去ってしまえるのなら、幾らでも悔やんでやる。
しかし、もうどうにもならない。
これからどうなっていくのかも、もう分からない。
ここまで来てしまった以上、もう行き着く処まで行くしかないのだ。
たとえをどれだけ悲しませようとも、傷付けようとも、これからもこのまま突き進んで行くしかないのだ。


「・・・・赦してくれ・・・・」

の頬に触れようとした手を思い留まって握り締め、形兆は静かに部屋を出て行った。




―――――その暫く後。




ぼんやりとした淡い夢が静かに弾けて、はゆっくりと目を開けた。


― 形兆君・・・・?

形兆はもういなくなっていた。
抱き合ったまま、確かに一緒に眠った筈なのに。
ふと見れば、傍らにきっちり畳まれたのバスローブと下着が置いてあって、形兆の服は全部無くなっていた。
先に起きたのだろうか?それとも、最初から一緒に眠るつもりなどなかったのだろうか?ベッドに独り取り残された寂しさを噛み締めながら、は下着を身に着け、バスローブではなくちゃんと服を着た。
時計を見てみると、まだ夕方にもなっていなかった。は形兆を探しに自室を出たが、またどこかへ出掛けたのか、形兆の姿は家の中のどこにも無く、億泰もあのまま外に行ってしまったようだった。
二人の事は、帰って来てくれるのを待つしかないとひとまず諦め、は次に虹村兄弟の父親の様子を見に屋根裏部屋へ向かった。
彼は至っていつも通りの様子で、ゴソゴソと木箱を漁っていた。身体を引き裂かれた事などまるで最初から無かったかのようで、発情ももうすっかり治まっているようだった。
は彼の側に行き、邪魔をしないように気を付けながら、伝える術の無い感謝の気持ちを胸の内で伝えた。
この人に初めて引き合わされた時は心底恐ろしかったし、正直、おぞましいとも思っていたが、今はもうそんな風には思わなかった。あの当時に比べると、幾らか意思の疎通が出来るようになってきたというか、何となく汲み取れるようになってきたからだろうか?
例えば、食べ物を包装しているビニールや紙を剥がしてあげようとしたらちゃんと待てるようになったとか、ズボンを広げて差し出したらそこに自分から足を通してくれるようになったとか、そんな程度の事ではあるが、あの当時の彼はそれすらも出来なかったのだ。だから、やはりさっきはきっと、状況を察知して助けようとしてくれたのだと思えてならなかった。
心の中でお礼を言い、風呂に入れて服を着せてあげる為に彼を部屋から連れ出そうとして、ははたと手を止めた。


「ウゥゥ〜・・・・・」

虹村兄弟の父親は、ひっくり返した木箱に頭を突っ込んで、中を漁っていた。
それ自体はいつもの事なのだが、彼は今、空っぽの箱の底板を、一心不乱にカリカリと爪で引っ掻いていた。


「・・・・・?」

その仕草は、そこをどうにかして開けようとしているようにしか見えなかった。
箱の底板が開いたり外れたりする事などあるのだろうかと考えて、はふと、二重底というものに思い当たった。昔、本で読んだか何かして、底が二重になっていて何か隠せたりする仕掛けの箱がある事を知っていたのだ。
今まで全く気付かなかったが、この箱もそういう造りになっているのだろうか?
少し気になって確かめてみたくなり、も箱の中に手を入れてみようとしたのだが、虹村兄弟の父親が邪魔をするなとばかりにその手を跳ね除けたので、それは叶わなかった。この様子では、どうやら暫くそっとしておくしかなさそうだった。


「ウゥゥゥ〜・・・・」

心なしか哀しげな呻き声を上げながら箱の中を引っ掻き回している彼をその場に残して、は一人で部屋を出て行った。




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後書き

虹村さんとこの息子さん達の話なんですけどね。
彼ら、親父を殺せるスタンド使いを探してると言ってますけど、でも実際、兄貴は億泰にほぼほぼ何もさせなかったんじゃないかと思うんですよ。
矢を射る事は勿論、ガオンで死体の処理を・・・・、という事も。それ死体の処理には最適な能力ですけど、絶対やらせなかったと思うんですよ。億泰の手を汚したくないから。億泰まで地獄に堕ちる事はないとか思って。
で、億泰は億泰で、本心では兄貴のやっている事は絶対間違っていると思っている。
でも、そうは言っても他に解決策なんて無いのは分かっているし、兄貴はとにかく絶対だし。
それに、何もやらせて貰えないのも、それはそれで役立たず扱いされているみたいでムカつくし、そのまま兄貴に置いて行かれそうで不安でもあるし。
なので、腹括って自分もやろうと決めた。だから仗助を殺せと兄貴に命じられた時も、全く怯まずやろうとした。
そこで初めて、ようやく、自分の手も汚して、兄貴と同じ宿命を背負おうと思っていたのに・・・・、みたいな。
形兆兄貴の亡骸を見つけた時の億泰を見ていたら、そんな風に思ったんです。

長々と書きましたが、要約しますと、虹村さんとこの息子さんら堪らんわぁ(興奮)!という話なんですけどね。

あと、あの虹村家の家族写真。
何でアレが仗助にドラララされるまで分からなかったのかが謎(笑)。
シュレッダーで細断でもされてんならともかく、あんな大まかに千切ってあるだけなら、今まで散々箱をひっくり返していた時に見つけて気付いただろうにと思うんですけど(笑)。
どうしてもそこをツッコミたい気持ちが抑えられないので、箱は二重底だった(※虹村パパ以外誰も知らないヒミツの仕掛け)という設定にしてみました。