愛願人形 17




間もなく7月に入るという頃、形兆は予定通り、単身エジプトへと旅立って行った。
留守を預かった億泰とは、形兆の身を案じながらも、それぞれの日常を過ごしていた。
虹村兄弟の父親も、また同じだった。
息子が遠い異国の地へ、それも自分がかつて訪れていたエジプトへ、自分を殺す方法を見つけに行った事など露知らず、彼はいつも通りに旺盛な食欲を発揮し、一心不乱に木箱を漁り、そしてまたスイッチが入ると、いつもの如くその欲望をに叩き付けていた。
何ら変わり映えのしない、奇妙な日々。歪な穏やかさに満ちたこの日常は、未だ終わりが見えず、このままいつまでも永遠に続くように思えていた。
その果てしない長さに、は少し疲れてきていた。
終わりは必ずあると信じ、希望を持とうとする事にさえ、疲れてきていた。
もう別に、このままでも構わないのではないだろうか。どうせ元々、夢も希望も居場所も無かったのだから、このままでも別に構わないのではないだろうか。
その内にこの命が尽きて、それで終わり。それでも別に構わないのではないかと、そんな気にさえなっていた。

形兆には、終わりが見えてきているのだろうか?
遥か遠い異国の地で、ずっと探していたものは見つかったのだろうか?
今、何をしているのだろうか?

いつものように虹村兄弟の父親に組み敷かれ、とめどもないその欲望を吐き出させてやりながら、は旅立って行った時の形兆の広い背中をぼんやりと思い出していた。
その時、ふと彼が動きを止めて静かになった。
力尽きて眠りに落ちる訳でもなく、ただぼんやりと停止している。彼がこんな様子を見せたのは初めてだった。


「・・・・・・?」

終わったのだろうかと思って身体を押してみたが、彼は動かなかった。
いつものように力尽きての上にその重たい身体を投げ出すのではなく、を潰さないように、覆い被さるようにして、そのまま動かなかった。
不審に思ったその瞬間、は気付いた。


「・・・・・ォォ・・・・・」

彼の目は、を見つめていた。
ただ偶然目を向けているだけではない、欲望の対象として本能的に捉えている訳でもない。そのどんよりと澱んだ目には今、明らかに感情が籠っていて、をじっと見つめていた。


「オオ・・・・・」
「・・・・・!」

不意に彼は、の顔の辺りに手を伸ばしてきた。
危害を加えられる、いや、殺されるかも知れない。
反射的にそんな警戒心が働いたが、逃げようとて逃げられず、は身体中に力を込めて身構えた。


「・・・・・!」

すると彼は、その手での頬にそっと触れた。
壊れものに触るかのように、そしてそれを壊すまいとするかのように、優しく。
そうとしか思えないようなその仕草に、は大いに驚いた。
彼がこんな行動を取った事は、が知っている限り、一度も無かったからだ。
思わず息を潜めて硬直していると、やがて彼は掌全体をの頬に当てて、ゆっくりと撫でるような真似を始めた。


「オオ・・・・・」

いや、真似ではない。
彼は今確かに、の頬を優しく撫でていた。
慈しむような眼差しをに向けて、そのイボだらけの手で、を愛しげに撫でていた。
こんな事をされたのは初めてだった。
発情時でさえ、彼は自分の欲望を吐き出す事以外はしない。
の裸体を見て反応はしても、まるで獣の交尾のようにすぐさま腰を振り出すだけで、に何らかの性戯を施そうとした事は無かった。
ましてこんな、愛情を表現するかのような仕草など。


「・・・・・」

驚いてはいる。怖くもある。
だが、その目が何故だか余りにも優しく見えて、彼の手を払い除ける事が出来なかった。何か応えてあげないといけない気がして、はおずおずと彼の手に自分の手を重ねた。
すると彼は、何だか嬉しそうに少しだけ目を細めて、篭った声をまた微かに上げた。


「オオ・・・・、オ、オ・・・・」

その声は、そう言えばさっきからずっと発せられている。
最初は声にまで気が向いていなかったが、よくよく彼の様子を窺っていると、次第に喋りかけられているような気がしてきた。
暫し迷ってから、は意を決して、彼の口を縛り上げている手拭いを引っ張ってずらし、口の中に押し込んであるボールを取り出した。
治まったかどうか判断もつかない内から猿轡を解くのは良くないと分かってはいたが、彼が何を言っているのか、どうしても聞きたかったのだ。


「・・・・・サ・・・・・・」

口が自由になると、彼はまた声を出した。


「・・・リ・・・・サ・・・・・」

リサ、そう言っているように聞こえた。


「リ・・・・サ・・・・・」

彼はを見つめ、頬を撫でながら確かにそう言っていた、いや、呼びかけていた。
は自分の耳を疑わずにはいられなかった。
この暮らしを始めて3年半経つが、彼が意味のある言葉を発しているところは見聞きした事が無いのだから。
ただ偶然そう聞こえただけだろうと考えたが、しかしやはりそうではなかった。


「リ、サ・・・・・」

彼は今、に向かって確かに呼びかけていた。
リサ、と。

















彼の『スイッチ』は、そのままOFFになった。
彼はもういつもの状態に戻っていて、口を利くどころか、あらぬ方向をぼんやりと眺めているばかりだった。
その様子を見ていると、さっきまでのあれは夢幻か錯覚ではと思ってしまいそうだったが、断じてそうではなかった。
は手早く後始末を済ませると、億泰の部屋に向かった。
閉められている襖を掌で軽く叩くと、襖が開いて、ぎこちない半笑いを顔に浮かべた億泰が出て来た。


「よ、よぉっス。ひ、久しぶりぃ・・・・」

この数日、がずっと離れに篭っていた事も、それが何の為なのかも、億泰は勿論知っている。
多分もうずっと前から密かに知ってはいたのだろうが、形兆の代わりに離れまでの食事を運んでくれたのは、今回が初めてだった。
これまでずっと、億泰とは他愛のない会話や子供じみた遊びをするばかりだったので、気まずいのはも同じだったが、だからと言って気後れしている場合ではなかった。


「ど、どぉしたんスか?晩飯にはまだちょっと早くないスか?」

目に見えてギクシャクしている億泰の前で、は筆談帳にサラサラとペンを走らせた。


「な、何スか・・・・?聞きたい事があるんだけど・・・・?は、はぁ、何スか?」
「『りさ』って知ってる?誰かの名前かな?心当たりある?」

そう書いて尋ねると、億泰はきょとんとした顔になった。


「りさ?・・・・そりゃあ確か、お袋の名前だぜぇ。」
「・・・・ホント?」

紙に書くより前に、思わず唇が動いていた。
声になっていないその短い言葉を、億泰はちゃんと正しく読んでくれた。


「おう、マジだぜぇ。そりゃお袋の名前だ、間違いねぇよ。うちのお袋、虹村リサってんだ。カタカナで、リ・サ。」

億泰はの手からペンを抜き取って、筆談帳にその名を書いてみせた。


「ホントは何かもういっこ、ミ、ミド?ミドル、何とか?と、とにかくもういっこ名前があったらしいんだけどよ、ほら、うちのお袋ハーフだったらしいからよ。でもそっちは俺よく知らねぇんだよ。兄貴だったら多分知ってんだけどな。
で、でも何で急にそんな事訊くんだよぉ?」

信じてくれるだろうか?
一抹の不安を覚えながらも、はまたペンを走らせた。


「さっきお父さんが私に向かってそう言ったの。まるで呼びかけられてるみたいに聞こえた。」
「えぇぇぇぇ!?マジかよぉ!?空耳じゃねーのか!?・・・・にしたって、そんな偶然も妙だよなぁ。空耳で偶然お袋の名前に聞こえるなんてよぉ・・・・・」

がコクコクと頷くと、億泰はもう一度、マジかよぉと繰り返した。
今度のそれは、一度目よりもっと深刻そうなトーンだった。


「その名前がお母さんの名前なんだったら、お父さん、少し記憶が戻ってきたって事じゃないかな?」
「えぇぇぇぇ・・・・・!?」
「お父さん、ほんのちょっとの間だったけど、いつもと様子が違ってた。何か、人間らしいっていうか、感情があったような気がするの。」
「ま、マジかよぉ・・・!?」

億泰は只々驚き、狼狽するばかりだった。
もしも形兆が今この場にいたら、どう考えるだろうか?
エジプトの事件を解明する事にずっと活路を見出そうとしてきた形兆にとっては、取るに足りない、下らない事だろうか?


「億泰君、私ちょっとやってみたい事があるの。協力してくれる?」
「そ、そりゃあ良いけど・・・、でも、やってみたい事って何だよぉ?」

しかしにとっては、これこそが活路に見えていた。
この先無限に続いていきそうなこの奇妙な日々の何かが、これで変わるかも知れない。
そうしたら、形兆の求めているものが得られるかも知れない。
彼の考えている形とは違っていても、本質的には同じものが得られるかも知れない。
そうしたら、億泰も、自分も、幸せになれる。
皆で一緒に、幸せになれる。
その一縷の希望にただ縋り付きたいだけなのかも知れないが、それでもには、そんな気がしてならなかった。
















翌日、は億泰と共に、駅前の大型スーパーまで買い物にやって来た。
食料品も必要だったが、今日の一番の目的は、虹村兄弟の父親の服だった。


「しっかし、親父の服ったってよぉ・・・・・」

紳士服売り場のTシャツコーナーを熱心に見ているの後ろで、億泰は困惑したようにぼやいた。


「マジでそんなの買う気かよぉ?しつこいようだけどよぉ、ホント無駄だぜ?」

その台詞は、ここに来るまでの間に何度も聞いていた。
あの化け物に服なんか着せたところで、盛大に汚されてただ洗濯物が増えるだけ、何なら破かれたりして無駄な金と労力がかかるばかりだと、形兆が腹を立てて着せなくなったとの事だった。
どうやら、彼が完全に変貌して間もなくの頃からそうなってしまったらしい。
だが、その当時と今とは違う。
10年という長い時間に、そして自分自身、という存在に、はどうしても賭けてみたかった。
自分に出来る事は何でも協力すると、形兆にそう約束したのだから。


「・・・・・・!」

は、ふと目に留まったえんじ色のタンクトップを手に取った。
星と瓶コーラのバックプリントが、ポップな感じで可愛い。
値段も手頃で、はそれがすっかり気に入り、億泰に見せた。


「お?どれどれ?わははは、何だコレ!コーラ柄じゃねーの!
え、なになに?・・・・変かなぁ?いやぁ、変っつーか、親父にゃ派手すぎねぇ?
え?そんな事ない?そうかなぁ?だって見た目アレだぜ?」

アレだからこそ、可愛い柄や明るい色の服を着せてあげた方が良いと思うし、似合う気もする。
筆談帳にそう書いて見せると、億泰は暫し想像を巡らせるように黙り込んでから、楽しげな笑顔になった。


「・・・かもな?うん・・・、そうかも!んじゃあさー、えーとえーと・・・、あっ!コレとかもどーよ!?目玉焼き柄!面白くねぇ!?」

も笑顔で頷き返し、その後暫く、二人してあれでもないこれでもないと服選びを楽しんだ。
その結果、厳選した何枚かのTシャツと半ズボンと下着を買い、食材も買い込んで、二人は早々にバス停を目指した。
このまままっすぐ帰って、美味しい物を作って、買ったばかりのこの服を虹村兄弟の父親に着せて、3人で食卓を囲む予定なのだ。
億泰も初めは大層驚いていたが、のその考えに賛同して乗ってくれていた。
うまくいくかどうかなんて、勿論分からない。
けれども、少しでも可能性があるのなら、それに全力で賭けてみたかった。
もしも虹村兄弟の父親に幾ばくかの記憶や知能が戻ってきているのなら、訓練次第で今よりももっと人間らしい暮らしが出来るようになるだろう。
そうすれば、形兆の背負っている重荷もきっと軽くなる。
何も今すぐ殺す事ばかりを考えなくても、普通とは違っていても、それでもそれなりに暮らしていけるのならば、きっと形兆も楽になる。安心して、自分の人生を始めていく事が出来る。そう思うと何だか無性に気持ちが高揚した。
声が出なくなってからは特に、自分が形兆の重荷にしかなっていないような気がしていたので、こんな自分でも何か出来る事があると思えた事がとても嬉しかった。
逸る気持ちでバスを待っていたその時、は食材の買い忘れがあった事に思い当たった。


「どしたんだよぉ?え、何?・・・・コショー買い忘れた・・・、マジかよぉ!」

が手を合わせて謝る仕草をすると、億泰は顔をクシャッとさせて苦笑いした。


「ったく、しょーがねーなぁ。んじゃあ俺がひとっ走り行って来てやるよ。」

も苦笑しながら首を振り、筆談帳に『いいの、私が行く』と書いた。


「ちっちゃい物だし、平気平気!すぐ戻るから、ここで座って待ってて!」
「えー、そうかぁ?んじゃあまあ・・・、気ィつけて行けよ?」

は笑って頷いてその場を離れた。
来た道を早足で急いでいると、道端にバイクを停めて煙草を吸いながら談笑している不良少年が3人程固まっていた。そのすぐ横を通るのは何だか怖くて気が進まないのだが、そこを通らない事にはスーパーに戻れない。
やむにやまれず、は腹を括ってそのまま進んで行った。
大丈夫、形兆君の方がよっぽど怖いし億泰君の方がよっぽど目付きが悪い、そう自分に言い聞かせながら歩いていると、に気付いた少年達が、嫌な感じのする笑みを浮かべた。


「ねーねー彼女、どこ行くのぉ?」
「急いでんの?乗っけてってやろーか?」

少年達は明らかにに向かって声を掛けてきていた。他に誰も歩いていないので、残念ながら間違いなかった。
は彼等に応えず、目も向けずに、そのまま振り切るように進んだ。


「ねぇってばぁ。そこの彼女ぉ。」
「シカトすんなよぉ。」
「オレら傷付いちまうよぉ。」

放っておいて欲しいのに、彼等はバイクを動かしてまでの後を追って来て、あっという間にの周りを取り囲んだ。


「そんなツンケンすんなよぉ。ちょっと声掛けただけじゃーん。」
「なぁなぁ、どっか遊び行かねぇ?」
「なぁ、何か返事しろよ。」

返事しろよと言われても、声が出ないし、それをこんな連中に知られたくもない。
怯えている事を悟られないよう眉間にぐっと力を込めて、はどうにか彼らの間を突破して行こうとした。
しかし。


「ちょ待てよ。」
「!」

無遠慮に腕を掴まれ、は恐怖に息を呑んだ。


「遊びに行こって誘ってるだけなのによぉ、そんな態度取る事ねーだろ?」
「そーそー。可愛くねー女はモテねーぜー?」
「いつまでもシカトこいてんじゃねーよ。いい加減にしねーとラチんぞ?」
「・・・・・!」

大声を出そうにも、声が出ない。
誰か通り掛かってと心の中で願ったその時。


「おいテメーらぁ。何してやがんだぁ?」

ちょっとガラが悪くてハスキーな、億泰の声が聞こえて来た。


「あぁ?何だテメェ?」
「そりゃこっちのセリフだよぉ。うちの姉貴に何か用かよぉ。」

両腕に買い物袋をぶら下げた億泰がいつの間にかそこにいて、不良達と対峙していた。


「あぁ?姉貴?この女がか?」
「そーだよぉ。テメーら、この虹村億泰の姉貴に手ェ出してタダで済むと思うなよぉ。」
「ニジムラオクヤスぅ?知らねーよテメーなんか。へへへっ!」
「そーかそーか知らねーのか。どーりでダッセェ単車転がしてると思ったぜ。どこの田舎モンだテメーら?」
「何ぃ!?」

相手は複数だというのに、億泰は落ち着き払っていた。


「ふざけてんじゃねーぞコラ!!」
「テメーぶっ殺す!!」

億泰は、殴りかかってきた連中を避けがてら買い物袋を地面に下ろすと、固めた拳を側にいた奴の顔面に叩き付けた。その一撃で一人を派手に吹っ飛ばすと、次の奴を蹴り飛ばし、また別の奴を何発か殴った。
流れるようなその喧嘩を、は思わず唖然と見つめた。
億泰の『武勇伝』は色々と聞いていたが、実際に目にするのはこれが初めてだったのだ。
目まぐるしくて何が何だか分からなかったが、気が付くと、不良達は全員あっという間にズタボロになっていた。


「う、うぅ・・・・・!」
「テメーら、二度とこの辺ウロつくんじゃねーぞ。次見かけたらこんなモンじゃ済まねーからなぁ?」
「ひっ、ひぃぃっ・・・・!」

不良達がほうほうの体で逃げて行くと、億泰はまた買い物袋を持ち上げ、に向かって目を丸くした。


「やっぱ心配になってよぉ、すぐ追っかけて来たんだけど、大正解だったぜぇ!俺の勘すごくね!?」

ありがとう、唇でそう告げると、億泰は照れたように笑った。


「別に礼言われるような事じゃねーよ。兄貴の留守中にネーちゃんに何かあったら、俺が兄貴に殺されちまうからな、はははっ!」

そう言われて真っ先に頭に浮かんだのは、躊躇わずに背中を向けて出て行く形兆の後ろ姿だった。
そんな風に思って貰えているのだろうか。
もう、好きという気持ちを向ける事すら迷惑がられていそうなのに。
なのにそれでも彼の側にいたいと望んでいる自分が、馬鹿な女以外の何者にも思えなくて、ついつい自嘲の笑いが零れた。


「それによぉ、俺昔言っただろぉ?ネーちゃんの弟になってやるってよぉ。
弟としちゃあよぉ、姉貴がヤカラに絡まれてんのをほっとくわけにはいかねーだろぉ?」

ヘヘヘと笑う億泰の顔には、小学5年生の時の面影がまだ残っていた。
いつの間にかすっかり身長も抜かされてしまったが、億泰の笑った顔はまだあの頃のままで、何だか可愛かった。
二人で公園で走り転げていた事をふと思い出して、は筆談帳にペンを走らせた。


「え、なになに?・・・スーパーまで競争しよっか?3、2、1・・・」

億泰がそこまで読み上げた瞬間、は走り出した。


「えっ!?ちょっ・・・!?いきなりかよーっ!」

荷物を全部抱えて、億泰が後ろから走って来る。
億泰は足が速いから、これだけハンデがあっても、きっとすぐに追いつかれてしまうだろう。中2の時ですら、駆けっこしても抜かされて、鬼ごっこしてもすぐ捕まっていたのだから。
ぐんぐん迫って来る億泰の足音と声を聞きながら、は束の間、童心に返って笑っていた。
















食卓の上に、料理が出揃った。
準備万端整えたところで、は億泰に頷いて合図を送った。
すると億泰は、表情を固くして頷き返し、居間を出て行った。
それから少しして、億泰は離れから父親を連れて来た。
いつもの首輪と鎖は着けたままだが、可愛いコーラ柄のタンクトップと白い半ズボンを着ているお陰で、あの独特の異様な風貌が幾らかまろやかに見える。
着せたのは30分程前だったが、その時も特に嫌がる様子もなく、その後も一応そのまま無事に着ていてくれたようだった。


「つ、連れて来たぜ・・・!」

問題はここからだった。まずは落ち着いて食卓に着けるかどうか。
そう思った瞬間、食べ物の存在に気付いた億泰の父親は、唸り声を上げながら食卓に向かって突進していった。


「ブギィッ、ブギィッ!」
「ちょちょちょちょっ・・・・!親父ィっ!がっつくんじゃねぇって!!」

早速食卓が荒らされるかと思ったが、億泰が思いきり鎖を引いて、何とかそれを阻止した。


「ブギィッ!フゴフゴッ・・・、ブギィッ・・・!!」
「座れって!座るんだよ!ここに座って食うの!言う事聞いてくれよ頼むから!」
「・・・・・!」

空腹の彼は、もう食べ物しか目に入っていない。
いつものように今すぐ手掴みで食べ始めようとするのを、と億泰は殆ど無理矢理、力任せに阻みながら、どうにかこうにか彼を食卓の前に座らせた。


「親父、いいか!?こうやって座って、皆で一緒に食うんだよ!いいな!?分かったな!?」
「ブギィッ!!ブギィッ!!」

億泰は父親の耳元で大きな声を出して、彼にそう教え込んだ。
しかし億泰のやり方は、形兆のやり方と比べると、良く言えば優しい、悪く言えば押しが弱かった。
彼は息子の言う事になど聞く耳を持たず、目の前の唐揚げを掴み取ろうと必死になっていた。
形兆ならばきっと、吹っ飛ぶ位の力で殴るか蹴るかしているところだろう。
しかし億泰はそうしなかった。
億泰は、父親を力で押さえ込みはしても、決して痛めつけようとはしなかった。
もそれに協力しながら、どうにか彼の右手に先割れタイプのスプーンを握らせた。


「ブギィッ!!ブギィッ!!」
「親父!そのスプーンで食うんだぜ!ほら!それの先っぽで突き刺すんだよ、こうやって!」

億泰が父親の手を取って誘導し、目の前の唐揚げにスプーンの先端を突き刺させた。


「そうっ!いいぞ親父ぃ!そんでもってそれを、こうして・・・、食うっ・・・!」
「・・・・・・!」
「ブギィッ!ブギィッ!フンゴッ・・・!フンゴッ・・・!」

スプーンの先に刺さった唐揚げを彼が反対側の手で掴み取ってしまわないように、は反対側の腕をしっかりと押さえつけた。
その間に、億泰は再び父親の手を誘導して、唐揚げを口に運ばせた。
唐揚げが口に入った途端、それまで押さえるのも一苦労な程もがいていた億泰の父親は、ピタリと動くのをやめて、モグモグと咀嚼を始めた。


「い・・・、イケるかな・・・?」
「・・・・・・・?」

は億泰と共に、固唾を呑んで彼の動向を見守った。
ややあって、口の中の物をゴクリと音を立てて飲み込んだ彼は。


「・・・ブ、ブギィィィッ!!!」
「うわぁっ!」
「っ・・・・・!」

一瞬の間を置いて再び激しく興奮し始め、億泰とを振り払って、いつもの如く手当たり次第にガツガツと手掴みで食べ始めた。


「ああああ親父ぃぃぃ!!だからダメだって・・・・・!!」

億泰が再度押さえようとしたが、もう遅かった。
皿から唐揚げが転がり出て、飯粒があちこちにくっつき、サラダは飛び散り、味噌汁の椀がひっくり返って食卓の下に零れ落ちていく。
みるみる内に食い散らかされていくテーブルを、と億泰は呆然と眺めるしか出来なかった。


「・・・・ネーちゃん、やっぱよぉ、無理じゃねーかなぁ・・・。この親父に、服着せて居間で一緒に飯食わせるなんてよぉ・・・・」

億泰が覇気のない声で呟いた。
形兆だったら、何と言うだろうか?
そら見た事か、無駄なんだよ無駄無駄、とでも言われてしまうだろうか?


「・・・・・」

は固く唇を引き結び、首を振った。
転がった唐揚げも飛び散ったサラダも、また拾えば良い。
ご飯粒は拭き取れば良い。
お茶や汁物が零れても片付けが楽なように、食卓の下にはビニールシートを敷いてある。
全部ぶち撒けられても構わないように、食卓に出しているのは少しの量だ。


「こんなの想定内だよ。最初からうまくいくわけないじゃん。」

は筆談帳にそう書いて、億泰に笑いかけた。


「今日のところはこれで良し!一歩前進でしょ!あ、ちがう。お洋服着て、ここに座って、スプーンで一口食べたんだから、三歩前進だ!」

そう続けて書くと、億泰は何だか泣きそうな顔になって笑った。


「・・・ネーちゃん・・・」
「がんばろ!」

しょんぼりと弱気な感じに丸まっていた億泰の背中を、は笑ってバシッと叩いた。
















日本から遥か1万キロ彼方の砂漠の国、エジプト。
虹村形兆は今、たった独りでその地を彷徨い歩いていた。
首都・カイロにある、エジプト最大のスーク(市場)・ハンハリーリ。
事前に調べてきてはいたが、ここは思っていた以上に広く、迷路のように複雑で、店と人と物とで溢れ返っていた。
似て非なる店が星の数程連なっているその市場を、形兆は来る日も来る日も歩き回っていた。
目的のものを探す為のキーワードは、3つあった。
『DIO』、『スタンド』、そして『占い師』。
その3つの単語を、一体何度発音しただろう。きっともう100回や200回ではきくまい。
だが、エジプト最大の規模を誇るこのスークの中に、占いをしてくれる処は沢山あった。DIOという名に心当たりがある者もいなかったし、スタンドと言ったら、土産物のモザイクガラスのスタンドランプか鏡か置物の類が出てくるだけだった。
来る日も来る日も結果は同じ、宿代がかさむばかりで、何の手掛かりも得られないままだった。
だが、ここで絶望して諦める訳にはいかなかった。ここで諦めて日本に帰ってしまったら、それこそもう何の手掛かりもなくなってしまう。
石に齧りついてでも必ず見つけ出す、形兆の足を動かすのはその執念だけだった。
カメラを片手にはしゃぐ大勢の観光客を尻目に、形兆は今日もスークの中を歩いていた。


「スタンド?それなら良いのがあるよ。ほら、これなんかどうだい?綺麗だろ?」

毎度お馴染みの色鮮やかなモザイクガラスのスタンドランプを繰り出されて、形兆はうんざりと溜息を吐いた。


「それじゃない。『DIO』が持っていたやつが欲しいんだ。心当たりはあるか?」
「DIO?誰それ?ハリウッドかどっかのスター?」

形兆は二度目の溜息を吐いて、最後の質問を口にした。


「じゃあ、占い師に心当たりは?」
「ああ、あるよ。」
「どこにいる?」
「うちの向かい。」

店主はそう言って、店の外を指さした。
その指の先には確かに店らしきものがあったが、戸は閉まっていて中も薄暗く、商売中という様子には見えなかった。


「開いてるのか?」
「さあ。変わり者の兄弟がやってる店でね、いつやってるのかいつ休みなのか、よく分からないんだ。」
「最近出来た店なのか?」
「いいや、もう何年も経つよ。でも不愛想な連中でね、誰ともろくに付き合わないんだ。けど占いの腕は確かなようだよ。見て貰った人は皆、気持ち悪いぐらい当たると大騒ぎしてる。」

形兆は小さく鼻を鳴らし、店を出た。
当たると言われても、占いで商いをしている者は概してそれを売りにしているものであるし、形兆は占いなんて不確実なものは全く信用していなかった。つまり、この向かいの店もどうせ只の胡散臭いインチキ屋だと思っていた。
それでも全ての店をしらみつぶしに当たっている以上、立ち寄らない訳にはいかない。
形兆はその店のドアを開けて、薄暗い店内に足を踏み入れた。
その変わり者の兄弟とやらがいないかと店の中を見回してみると、奥の方に丸いテーブルと椅子のセットがあり、そこに男が一人、座っていた。
気配を殆ど感じさせないじっとりと陰気な目で見つめられている事に気付いた瞬間、多少ゾッとしたのだが、形兆はそれを顔や態度に出さないようにして男に近付いていった。


「あんた、この店の主か?」
「そ、そうです。い、いらっしゃい・・・・。」

不気味なぐらい陰気な男だが、一応、商売人としての自覚はあるようだった。
それに、間近で見ると意外に若かった。多分20歳そこそこ位だろうか。
更にそのいで立ちも、形兆が何となくイメージしていた『占い師』のそれとはまるで違っていた。
如何にもそれらしいフードのついたローブや何かではなく、ごく普通のTシャツとジーンズという格好をしていて、帽子のつばを後ろに向けて被っている。
が、これもよくよく見ると何だか妙で、モジャモジャの黒い髪の毛が帽子の本体を突き破って飛び出していた。


「な、何を知りたいのですか、ハイ・・・・」

奇妙な奴だと思いながらも、形兆はこの男にも例の質問をぶつけてみる事にした。


「スタンド。俺は『スタンド』を探している。知っているか?」
「う、うちは占いの店なんです、ハイ・・・・。ス、スタンドランプなら、向かいの店で色々売ってますです、ハイ・・・・」
「知っている。俺が探しているのは電気スタンドでも鏡でも置物でもない、『DIO』の持っていた『スタンド』だ。」

男の視線が一瞬泳いだ。


「・・・そ、そうですか、それがあなたの、知りたい事ですか・・・・」

男は殆ど独り言のようにそう呟きながら、テーブルの上に置いてあった紫色の表紙の分厚い本を手に取り、ページを捲り始めた。
男の意識はもう本に向けられていて、食い入るように読んでいた。


「おい、話の途中だ。読書は俺の質問に答えてからにしてくれ。」
「・・・・・・」
「おい、聞いてんのか?」

ムッとした形兆は、握り拳でテーブルを叩いた。
すると男はヒッと小さな悲鳴を上げ、怯えた顔を跳ね上げた。


「お客さん。うちの店で乱暴な真似をして貰っちゃ困りますよ。」

また別の男の声が聞こえて、形兆はその声がした方に目を向けた。
すると、階段から男が一人、下りて来ていた。
背が高く、帽子を斜に被った、人相の悪い男だった。座っている男よりも10歳位は上に見える。
この店は兄弟でやっているとの事だったから、この男は兄弟の片割れ、恐らくは兄の方だろうと形兆は思った。


「そんなつもりはない。俺は質問に答えて欲しいだけだ。」
「質問?」

人相の悪い男は小首を傾げると、馬鹿にしたように笑った。


「ハッ。お客さん、うちはね、占い専門の店なんですよ。それもそんじょそこらのインチキ占い屋じゃない。神に守護されている、正真正銘本物の、神聖な占術館なんですよ。」
「神だと?」
「そう。エジプト九栄神のうちの二神、【創造の神・クヌム】と【書物の神・トト】。俺達はその二神の守護を受けている。
そしてこの俺の弟は、トト神より賜りし予言の力を持っているのだ!」

人相の悪い男はどうだとばかりに胸を張ったが、肝心のその『予言者』の方は相変わらず陰気な顔をしたまま、一心不乱に本を読み耽っていた。
形兆は心の底から呆れ返った。
エジプトに来てからずっと無駄足続きだが、ここが一番の無駄足だったとさえ思った。


「フン、下らねぇ。知らないなら知らないとはっきり言え。こっちは暇じゃないんだ。」
「だから、うちのこの天才予言者に何か聞きたきゃあ、それなりの報酬を払えと言ってるんだよ。」
「何の情報も得られないのに金だけ払えるか。何も知らない旅行客だと思ってナメるなよ。ペテン師が、調子に乗るな。」
「な、何だとぉ!?」

男は只でさえ悪い人相を益々凶悪にさせて憤慨した。
喧嘩などしている場合ではないと頭では分かっていたが、このところ積もりに積もっていた苛立ちと焦りでストレスフルな状態になっていた形兆は、殆どこの喧嘩を買う気になっていた。
この男が殴りかかってきた時には、店ごとぶっ潰してやると拳を固めたその時。


「オ、オインゴ兄ちゃん・・・・!」

陰気な方が、人相の悪い方を呼んだ。
オインゴ兄ちゃんと呼ばれたその男は、たちまち視線を弟の方に移した。


「うん?どうしたボインゴ?」
「ちょ、ちょっと、これ見て・・・・」

オインゴとやらは呼ばれるままに、ボインゴという名前らしい弟の側へ行き、本を覗き込んだ。
兄弟は二人して無言で本を読み、少しするとまた二人して視線を形兆に向けた。
じっとりとしたその嫌な目付きもさる事ながら、目の動くタイミングがいちいち揃っているのが何とも不気味で、形兆は思わず怒りも忘れて顔を引き攣らせた。


「な、何なんだよお前ら、気持ち悪いな・・・・・」
「・・・・なるほど、そういう事か。ケーチョー・ニジムラ。」
「・・・・何・・・・?」

気持ち悪い連中だ、などと思ったのも束の間だった。
名乗りもしていなければ、名前の入ったものを人目に触れる所につけている訳でもないのに、何故、今初めて会ったばかりのこの連中が自分の名前を知っているのかと、形兆は戦慄した。


「何で俺の名前を知っている・・・・!?」
「フフン、言っただろう?俺の弟には予言の力があるのだと。」

兄のオインゴはまた自慢げな笑みを浮かべ、当の本人ボインゴはまたオドオドと本に顔を埋めた。
紫色の表紙の、分厚い本。その本が怪しい気がして、形兆はボインゴの手から素早くそれをひったくった。


「あっ・・・・!」
「テメェ、弟の本を!」
「やかましい!!見るだけだ!!」

形兆が一喝すると、オインゴとボインゴは顔を引き攣らせて黙った。
形兆はまず、奪い取った本の表紙を見た。
表表紙に絵とタイトルが入っていた。何だかふざけた落書きみたいなテイストの絵で、太陽と2人の男が描かれていた。
帽子を斜に被ったノッポの男と、頭のてっぺんでモジャモジャの髪をひっつめている小男である。
タイトルは『OINGO BOINGO BROTHERS ADVENTURE』となっており、作者名の記載は無かった。
普通は裏表紙に出版社の社名や本の値段などが印字されている筈だが、そういったものも一切無かった。


「オインゴとボインゴ兄弟大冒険・・・・?」

目の前にいる胡散臭い兄弟と同じ名前だ。
そういえば表紙の絵も、何となくこの二人に似ている。
形兆は首を捻りながらも、本のページを捲った。


『ぼくたちオインゴボインゴ兄弟!
ハンハリーリのスークで占いのお店をやっているよ!困っている人たちを助けるために毎日がんばっているんだ!
占いはいつも大当たり!エッヘン!だけど何故だかあんまりお客は来ない。
恋占いだってお手のものなのに、何故だか女の子たちには気持ち悪いって逃げられてしまう。何でだろう?悲しいーっ!』

訳の分からない内容だった。
ジョークにしても、笑いどころが分からない。
自分達をモデルにこんな意味不明な漫画本を作って、一体何が面白いのだろうか。
おちょくってんのかと本を叩きつけてやろうとしたその時、形兆はとても奇妙な違和感に気付いた。


「な、何だこの本・・・?何で台詞が日本語なんだ・・・・?」

そう、漫画の文章は日本語だった。
この兄弟、どう見ても日本人ではないし日本語も喋らないのに、何故本の文章を日本語で書いているのだろうか?
とてつもなく奇妙なこの違和感に恐怖さえ覚えながら、形兆はページを捲った。


『やったね、オインゴボインゴ!久しぶりのお客さんだよ!
彼の名前は虹村形兆!17歳、日本人!
お父さんと、弟と、彼女と、4人で暮らしてる!高校生のくせに生意気だ、クキー!
オインゴとボインゴにはいつまで経っても彼女が出来ないのに、ズルイぞズルイぞ!』

そのページを読んで、形兆は驚愕のあまりに凍りついた。
父親と、億泰と、の事まで、どうして書いてあるのか。
描かれている男も、やはりふざけた顔をしてはいるが、形兆に良く似ていた。特徴的なポイントがことごとく酷似しているのだ。


『形兆はスタンドの力を欲しがっている!
DIOの肉の芽を植え付けられ、それがDIOの死で暴走した為に、お父さんが不死の化け物になってしまったんだ!
そのお父さんを殺す為に、形兆はスタンドの力を求めて、はるばる日本から一人でやって来たんだ!』

鳥肌が立ち、寒気がした。
形兆は、陰気な目でじっと見つめてくるボインゴを凝視した。


「・・・そ、その本の文章は、読む人の深層心理に根付いた言語で表れます、ハイ。
で、ですからあなたの場合は日本語、僕らの場合はアラビア語になるという訳です、ハイ・・・・」
「・・・・ああ、それにも驚いているよ・・・。けど、それよりももっと驚いている事がある・・・・。
何で知ってるんだ、こっちの事を何もかも、何で・・・・・」

何故と問いかけはしたが、答えは聞く前から分かっていた。


「お前ら、やっぱり知ってるんだな!?スタンドの事もDIOの事も、何もかも!
じゃなきゃあ、俺の親父がDIOの肉の芽の暴走で化け物になっちまった事なんか分かる訳がねぇ!」

このボインゴという男は、本物の予言者なのだ。
そしてその予言の力というのは、空条ホリィの言っていた『スタンド』とやらの能力。『DIO』と同じ奇妙な力を、この男も持っているのだ。そうとしか考えられなかった。
形兆は固唾を呑みながら、更にページを繰った。


『さあ!オインゴボインゴ!そしてホル・ホース!弓と矢を形兆に売るんだ!
これでビンボー脱却だ!やったー!ハッピー!ルンルン!
形兆も欲しかったものを手に入れられて、やったー!ハッピー!ルンルン!』

次のページには、はしゃいで小躍りしているような男が4人、描かれていた。
オインゴボインゴ兄弟と形兆、そしてもう一人、拳銃を持った西部劇のガンマンのような男だった。
ホル・ホースというのは、この男の事だろうか。
それに、弓と矢というのは何なのだろうか?
疑問に思ったその瞬間、また一人、男が階段から下りて来た。


「・・・・んっん〜。何やら懐かしい名前が聞こえるなぁ。」

禁煙パイポを口に咥え、悠々とした足取りで現れた白人の中年男は、長い金髪頭にテンガロンハットを被って、西部劇のガンマンのような格好をしていた。
これまた絵の通りのいで立ちだった。


「テメェがホル・ホースか?」
「そういうお前は?」
「虹村。虹村形兆だ。」

形兆が名乗ると、ホル・ホースという男はフンと鼻を鳴らして笑った。
オインゴがホル・ホースに声を掛けた。


「そのケーチョーとかいうガキに弓と矢を売れと出ている。」
「ほーう?それはそれは。どういう事だ、見せてみな?」

ホル・ホースはすかした笑みを浮かべたまま、形兆に向かって手を出してきた。
少し考えてから、形兆は本をホル・ホースに渡した。
ホル・ホースは暫く黙ってその本を読んでいたが、やがて顔を上げると、また形兆にニヤリと笑いかけた。


「なるほどなるほど。そういう事か、ケーチョー・ニジムラ。ちょいと待ってな。」

ホル・ホースは本をボインゴに返すと、また階段を上って行った。
少しして戻って来たホル・ホースは、腕に古めかしい木の弓と1本の矢を抱えていた。


「・・・何なんだ、その弓と矢は?」
「こいつはスタンドの能力を引き出す事の出来る矢だ。」

形兆は思わず目を見開いた。
もっと詳しく話せと怒鳴りかけたが、それを見越していたかのように、ホル・ホースの方から先に喋り始めた。


「この矢に射抜かれた者は、自らの内に眠っていた潜在的な能力に目覚め、『スタンド』が発現する。ただし、それは素質のある者に限っての話だ。素質のない奴が射抜かれた場合、そいつはその場で死ぬ。」
「・・・・お前らも皆、スタンドの能力があるのか?この矢で射抜かれて、その力を身に着けたのか?」
「ああそうさ。俺達もかつてこの矢に射抜かれ、スタンド使いとなったのさ。」
「・・・スタンド使い・・・」

形兆がその言葉を反芻すると、ホル・ホースは得意げな笑みを浮かべた。


「このボインゴの能力はもう見ただろう?こいつの力は予言の力。一見ふざけた漫画だが、こうして印刷に出た事は必ず現実になる。こいつの予言は絶対なんだ。なあボインゴ?」
「ト、トト神の予言は絶対なんです、ハイ・・・・」
「更に、兄貴のオインゴの能力は・・・、おい、見せてやりな。」
「チッ、しょーがねーな。」

オインゴは面倒臭そうに形兆の前まで出て来ると、突然、自分の顔を引っ張り始めた。それもただ引っ張るのではない、まるでピザの生地か何かのように、グニグニと派手に引き伸ばしている。
だが、形兆が驚いて声を上げかけたその瞬間には、もうそれは終わっていて、形兆の目の前には、何と形兆自身が立っていた。


「な・・・・!お、俺だと・・・!?」
「そう、これが創造の神・クヌムの力だ。俺のスタンド能力は変身。何から何まで寸分違わずそっくりに変身できる。身長、体重、匂いまでも思いのままさ。」

服はオインゴの着ていた物そのままだが、顔形はまるで鏡でも見ているかのように瓜二つだった。
もしも服まで同じになっていたら、きっと自分ですら違いが分からなかっただろう。
形兆が呆然としていると、オインゴはひけらかすようにTシャツの裾を捲り上げて見せた。その腹には、かつて父親から受けた暴力の痕までもが、位置・形状共に完璧な精度で再現されていた。


「そしてこの俺、ホル・ホースの能力は【皇帝−エンペラー−】!タロット4番目のカード、『皇帝』の暗示を持つ。」

ホル・ホースは再び、俺が真打だとばかりに勿体つけて前に出て来た。
ホル・ホースのスタンドは、オインゴボインゴ兄弟のそれとは違うのだろうか?
タロットカードが占いに使うカードだという事は知っていたが、それ以外の事は何も知らない形兆には、何のイメージも出来なかった。
皇帝のカードの暗示と言われても、それが一体どんな力なのか、皆目見当もつかなかった。


「エンペラー・・・・、どんな力だ?」
「俺のスタンドはハジキだ。尤も、スタンド使いじゃないお前に見る事は出来ないがな。」
「見えないのか?」
「通常、スタンドというやつは普通の人間の目には見えない。
とは言っても、オインゴボインゴ兄弟のスタンドみたいに、普通の人間にも見えるタイプのやつもチラホラあるがな。まあいいからついて来いよ。」

呼ばれるまま、形兆は取り敢えずホル・ホースについて店の外に出た。


「・・・よし、アレにするか。おいケーチョー、あそこにチャラチャラした男がいるのが分かるか?」

ホル・ホースが指をさした先には、大きなバックパックを背負った旅行客らしき欧米人の男が1人いた。大ぶりなアクセサリーをこれ見よがしにゴテゴテと飾り付けていて、確かにチャラチャラした印象の男だった。


「ああ。」
「あの野郎の着けている悪趣味な耳飾りを、俺のスタンドで撃ち抜いてやる。」
「何だと?」

ターゲットの男との距離はかなりあった。
しかも、こちらとその男との間には、何人もの通行人がいる状態だった。
そのスタンドの銃とやらが本当にあったとして、こんな所で撃てば、ターゲットに当たる前にまず無関係な通行人に当たってしまう事は火を見るより明らかだった。


「おい本気か!?」
「まあ見てな。いくぞ。」

ホル・ホースは余裕の笑みを崩さぬまま、ターゲットの男に向かって拳銃を構えるように腕を伸ばした。
そして、引き金を引くように指を曲げた。
その手の中に銃は無かったし、銃声も聞こえなかった。
なのに数秒後、ターゲットの男の両耳にぶら下がっていた耳飾りが、木っ端微塵に砕け散った。
更に少しの間を置いて、それに気付いた男がパニックを起こしたように大騒ぎし始めたが、怪我をしている様子は一切無かった。


「俺のスタンド、エンペラーは、銃身と弾丸の両方だ。弾の弾道も、俺の思いのままに変化させる事が出来る。発射した弾を、着弾する前に消す事さえもな。」

ホル・ホースは得意げに鼻を鳴らして笑うと、先に一人で店に戻って行った。


「・・・・マジかよ・・・・!」

信じられない事だったが、紛れもない現実だった。
ようやく、ようやく、辿り着く事が出来たのだ。
10年かかってようやく、求め続けたものに出遭えたのだ。
言葉にならない異常な高揚感が、形兆の中にどっと押し寄せた。それはまるで恐怖のようでさえあった。気温はもの凄く高い筈なのに、寒気を感じる程だった。
形兆は毛が逆立った腕をゴシゴシと擦ると、ホル・ホースを追って店に駆け戻って行った。




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後書き

ホリィさんに続いて、ホル・ホースとオインゴボインゴ兄弟の登場でした!
どんどん突拍子もない方向に転がっていきますよー(笑)。
私はやっぱり3部が一番好きなので、3部のキャラをどうにか絡めたくなります。
ホル・ホースはその後、オインゴボインゴ兄弟と組んでいて欲しいな〜という願望(妄想)を基に、今回を書きました。

ボインゴの予言は金になる!と踏んで、DIO様死亡後もコンビ解消する気ゼロのホル・ホース。
ふざけんじゃねー!俺の弟だぞ!と、全く弟離れしないオインゴ。
両側から腕を引っ張られて白目剥いてるボインゴ。
で、そんな3人で組んで、お互い協力しながら日々チマチマと小金を稼いでほのぼのと暮らしている、みたいな。
本人達はドカンとデカく稼ぐ気満々なんだけれども、意外とうまくいかなくて小金しか稼げない、みたいな(笑)。
そんなヘッポコで楽しい毎日を過ごしていて欲しいなと思います。
『ケチな暮らしだがよぉ、まあ・・・、そう悪くもねぇよ(←ホル・ホース談)』という感じで☆

ボインゴには、アヴドゥルさんの後釜的な感じの予言者(占い師)になっていて欲しいなと思うんですよ。
折角あの戦いで成長したのだから、おケツの怪我にめげずに、自分の能力を人の役に立てようと頑張る子になっていて欲しい!
で、アヴドゥルさんのお店も評判が高かったけど、アヴドゥルさんのとこよりも当たると評判なんです。
でも見た目とか喋り方が不気味でキモいから、アヴドゥルさんのとこみたいな人気は無い、と(笑)。