K県の海辺の街を離れ、C県の山間の町に移り住んでから、2年が経った。
虹村兄弟は、高校2年生と中学2年生になっていた。
虹村兄弟の弟、虹村億泰は、兄・形兆の卒業と入れ替わりに入学した地元の中学で、最初の夏休みを迎える前にトップを取った。
このトップというのは、勉強や部活においてではなく、喧嘩においてである。
同じ1年の中だけに留まらず、他学年も順にシメていき、今では学内で億泰に喧嘩を売る者は誰もいないらしい。
兄の形兆がたった1年という在校期間内に、学内は勿論、付近の高校の連中まで全員シメ上げたという伝説を作っていったのも割と大きな要因であるみたいだったが、億泰の実力そのものも抜きん出ている事は確かなようだった。
実年齢より幼く見える程小柄だった身体も、中学に入った途端にメキメキと成長し始めた。
今では身長163cmになり(中2の春の身体測定時に本人がそう言って喜んでいた)、ヒョロヒョロと痩せっぽちだった腕や脚にも次第に筋肉がついてきて、華奢な子供の体型から男っぽい身体つきになってきている。
虹村兄弟の兄、虹村形兆は、地元の公立高校に進学した。
成績優秀なので、東京の私立の進学校に特待生として入学出来る見込みもあったようだが、只でさえ私立は校則が厳しい上に、特待生には更に成績や素行に関しての制約が煩くついて回るそうで、それが自分にとっては不都合だと形兆が蹴ってしまったのである。
形兆が進学先に選んだのは、同じ市内にある公立の上位校だった。
校則が割と緩く、近所とは言わないまでも家から通い易い場所にあったのが決め手のようだった。それに、周りが皆優等生ばかりで頭の悪いヤンキーがいないから、絡んでこられる事もなくて楽だとも言っていた。
成績においてはその優等生達と同格でありながら、しかし形兆は、やはりここでも異質な存在になっているようだった。
只でさえ目立つ金髪を逆立て、更に長く伸びた襟足の髪をきっちりと編み、180cmを越えた筋肉質の長身に、打ち合いのデザインが随分風変わりな改造短ランの学生服を纏った形兆は、恐らくその学校始まって以来の異端児だった。
入学後暫くの間は生徒指導室にもよく呼び出されたようだが、形兆はそのスタイルを変える事はしなかった。
もしも形兆がその髪を安物のブリーチ剤で脱色してでもいたのなら、染め直してこいと言われるのも致し方のない事だが、直すも何も生まれた時からこの色なのだから、『直せ』と言われるのは納得がいかない、加えて、不要な髪染めは禁止という校則を学校側が破らせようとするのはおかしい、というのが彼の言い分だった。
学生服の改造についても同じだった。私服登校もOKの学校なのに、ちゃんとした詰襟学ランの制服を、少々洒落たデザインに改良したというだけで咎めを受ける筋合いはないと、頑なに言い張ったようだった。
そうして形兆はまず自己表現の自由を勝ち取り、16歳の誕生日を迎えるとすぐに免許を取ってバイクを買い、行動の自由をも手に入れた。
しかしその自由は、形兆に自分の人生を楽しませる為のものではなかった。
深い紫色の大きなバイクを颯爽と走らせて彼が向かうのは、東京の大学の図書館だった。父親を殺す方法を見つける為の『調査』、形兆が考えているのは、今も変わらずその事だけだった。
成績さえ良ければ文句はないだろうとばかりに、テストやレポートなどは抜かりなく押さえていたが、平常時には時々学校をサボったり、遅刻や早退をしてでも、『調査』の為の時間を捻出していた。
そして、16歳になったは、虹村家で相変わらずの隠遁生活を送っていた。
学校へは勿論通っておらず、アルバイトもしていない。
それどころか、ちょっと玄関先に出る事すらままならない暮らしだった。
料理はするが、買い物には行けない。
洗濯物を畳みはするが、庭に出てそれを取り込んだり干したりする事は出来ない。
全てがそんな調子で、とにかく極力人目につかない事を最優先にした生活だった。
外出は基本的に月に1度で、必ず虹村兄弟と一緒だった。
人に怪しまれないよう出掛けるのはいつも週末の昼間で、目的は個人の買い物、それも生理用品や下着といった、男には頼めない物の買い出しである。
駅前に出てレストランでランチを食べ、に必要な物や一家の為の食料品などを買って帰るのがいつものパターンで、何処かへ遊びに行った事は一度も無かった。
億泰はめげずに何度も映画館やゲームセンターに寄って行こうと誘い続けているのだが、今のところ、形兆が折れてその誘いに乗りそうな気配は無かった。
家にいる時も、形兆は常に『しなければならない事』に追われていた。
例の調査や、勉強や、家の用事、父親の世話など、いつも何かしら忙しそうにしていて、TVを見てボーッとしているところなどは見た事が無かった。
形兆の関心は『調査』にしか向けられておらず、今や彼はに指1本触れなくなっていた。
そうなってから、かれこれもう2年。その事は常にの心の片隅に引っ掛かっていた。満たされない思いが『寂しさ』という名の隙間風となって、いつもの心の隅から細く吹き込んでいるような状態だった。
だが、それを形兆に打ち明ける事は、やはりどうしても出来なかった。
以前にも増して忙しくなった形兆に、甘えた事はとても言えなかった。
寂しさを噛み締める時、一向に先の見えてこないトンネルの中で途方に暮れたような気持ちになる時、はいつも楽しかった思い出と共に、形兆と交わしたあの約束を思い出すようにしていた。
形兆は絶対に嘘は吐かない。
虹村形兆は、そんな人ではない。
彼が自分の人生を始める事が出来たら、その時には必ず、あの楽しかった時間が戻ってくる。束の間ではなくて、それがずっと続く幸せな日々が、きっとやって来る。
挫けそうになる度に、はそう思って自分を励ましていた。
そうして、自分に課せられた役目を日々粛々と果たしていた。
それは、梅雨入りしたばかりの、まだ少し肌寒い初夏の事だった。
ひんやりとした空気に起こされて、はゆっくりと目を開けた。
向こうでは、虹村兄弟の父親が大の字になってイビキをかいていた。
今日で丸4日。治まったかどうか、微妙なところだった。
は起き上がって彼の側へ行き、暫し彼の動向を見守った。だが、暫く見ていても、彼が目を覚ましそうな気配は無かった。
は彼の肩を揺すった。起こすつもりだから、遠慮はなかった。流石に形兆のように殴る蹴るは出来ないが、大きく揺さぶってみたり、叩いてみたりを何度か繰り返していると、ややあって彼の瞼がピクピクと動き、重たそうに開いた。
「・・・・フォォ・・・・・」
ぼんやりしている彼の目にしっかりと映るように、は彼のすぐ側に座り、彼の顔を自分の方に向けさせた。
「・・・・・・・」
着ていたバスローブを肩から滑らせても、彼の目はぼんやりとしたままだった。
その目にはの白い乳房がはっきりと映っているのに、もう何の反応も示さなかった。
どうやら治まってくれたようだ。
それを確信してから、はようやく安堵の溜息を吐く事が出来た。
これで何回目になるだろうか。もう覚えていなかった。
この2年の間に数え切れない程の回数をこなして、この『務め』にももう随分と慣れていた。
は改めてバスローブをきちんと着直し、しっかりと腰紐を締めた。
それから、緑色の粘液に塗れて満足しきったように放心している彼の身体をタオルで拭き、口に噛まされている猿轡を外してやった。
その最中も、彼は呆けたようにただ宙を眺めているだけで、もうの事は見ていなかった。
彼のこの様子に対しては、頭の中にあるスイッチが入ったり切れたりする、そんなイメージを持っていた。
ひとたび発情が始まれば際限無しに欲望を叩きつけてくるが、治まる時もまた突然で、まるで何事も無かったように大人しくなり、元に戻るからだ。
スイッチが切れた時の解放感は、格別だった。
それは裏を返せば、次にスイッチが入る時へのカウントダウンが始まったという事でもあるのだが、もうそういう風には考えないようにしていた。
ともかく今回も無事に終わった事に安堵して、は壁の掛け時計に目を向けた。
時刻は朝の5時過ぎだった。終わるのがあと1時間遅ければ間に合わないところだったが、今日は朝食とお弁当を作る時間がありそうだった。
既に汚れているタオルでその辺りの床もざっと拭いてから、は離れを出て、外から鍵を掛けた。虹村兄弟の父親が離れから脱走したり、そのような素振りを見せた事は今まで一度も無いのだが、念の為に鍵は必ず掛けろと形兆に言われているのだ。
『務め』が済んだら、まずは風呂だった。
風呂に入って汚れた身体を綺麗にして清潔な服に着替え、風呂場で予め手洗いしておいたタオルや下着を他の洗濯物と一緒に洗濯機に放り込んで回している間に冷蔵庫をチェックして、4人分の朝食と兄弟2人分のお弁当を作った。
丁度お弁当を包んでいるところで、誰かが起きて来る気配がした。落ち着いた少し重い足音、形兆だ。それに気付いてすぐ、まだ寝間着のままの形兆が台所に入って来た。
「・・・・おう」
を見ると、形兆は少しだけはにかんだ。
慣れてきたのはだけではなく、形兆もまた同じで、一目見れば状況をすぐに理解するようになっていた。
「疲れてんだろ。気にしねぇで寝りゃあ良かったのによ。」
「ううん、大丈夫。それにお腹ペコペコじゃ、寝ようったって眠れないし。」
は笑いながらそう返した。
返した、つもりだった。
「・・・・・・・、・・・・・・・、」
しかし実際には、その言葉が出なかった。
喋ったつもりなのに、どういう訳か声が出なかったのだ。
「・・・・?」
「・・・・・・、・・・・・・・、」
「どうしたんだよ?」
形兆は怪訝な顔をして、に歩み寄ってきた。
「何だよ?声出ねぇのか?」
「・・・・・」
うんと言葉で返事をしたいのに、やはりどうしても声が出ず、致し方なくは頷いて答えた。
すると形兆は、益々深刻な顔になった。
「何か妙な事されたのか?」
妙と言えばあの行為自体がそもそも妙なのだが、取り立てて『妙』と言う程の事は何も起きていなかった。
彼の様子は至っていつも通りで、それが疑似の行為である事にも相変わらず気付いてはいなかったし、もまたいつもの通りに彼の欲を処理しただけだった。
の気付かない内、例えば眠っている間などに、何かされているという事も無いと断言出来る状態だった。
随分慣れたとはいえ、行為の最中は酷く気が張っているので、彼が眠ってしまうまではとても眠れないし、寝込みを襲われないよう、彼には首輪と鎖を着けて、休憩を取る時には彼の手が届かない所まで離れるようにしている。だから、知らない内に何かされたという事も無い筈だった。
が首を振ると、形兆はその深刻な表情を幾らか和らげた。
「じゃあ風邪か・・・。喉痛ぇか?」
喉は今のところ別に痛くなかったが、梅雨入り直後という気候の不安定な時期故に、形兆の言う通り、風邪を引いてしまったのかも知れなかった。たとえこれといった自覚症状は無いとしても。
何とも答えられず困っていると、不意に大きな手が伸びてきて、の額に触れた。
親しくなったばかりの頃にも、風邪を引いて学校を休み、形兆が心配してお見舞いに来てくれた事があった。あの時にも形兆はこうして額に触れて、熱を確かめてくれた。あの時の事を思い出すと、今でもまだ胸が甘く締め付けられる。
あの時よりも更に大きく固くなったその手の温もりを感じながら遠い記憶に思いを馳せていると、形兆は小さく溜息を吐いての側を離れ、薬箱を出してきた。
「風邪薬は・・・、あった、これだな。とりあえずこれ飲んどけ。」
手渡された薬の箱を開けてみると、説明書と、カプセルの薬が1回分だけ残っていた。
「熱も無いみてぇだけど、大丈夫か?病院行かなくても我慢出来そうか?」
はコクコクと頷いた。
我慢も何も、声が出ない事以外、やはりこれと言って不調は無いのだから。
「帰りに薬買って来るから、今日は何もしねぇでゆっくり寝てろ。良いな?」
具合が悪いのかそうじゃないのか、自分でもよく分からない状態だったが、形兆が優しくしてくれるのは嬉しかった。その気持ちを隠さないまま頷くと、形兆は苦笑いしながら、何笑ってんだよと言った。
声がまるっきり出ないのは困りものだが、形兆が笑ってくれるなら、偶には風邪も悪くなかった。
いつも厳しい表情で遠い処ばかり見ている形兆が、振り向いて笑いかけてくれるのなら。
風邪など、数日もすれば治る。
薬を飲んで、ちゃんと食べて寝ていれば、その内に治る、筈だった。
だが、1週間経っても、2週間経っても、の声は出ないままだった。
駅前の医院に行って診て貰い、薬を貰っても、一向に出ないままだった。
「虹村さーん。虹村さーん。診察室へどうぞー。」
その呼ばれ方をするのは2度目だが、まだ慣れていなかった。
内心でちょっとドキッとしている事が知れたらきっと、何呑気な事考えてんだと形兆に叱られるだろう。隣にいる形兆の厳しい横顔をチラリと盗み見て、はそんな事を考えた。
虹村の姓を名乗り、形兆に付き添って貰ってはいるが、勿論、結婚して夫婦になったのではない。受診の為に兄妹と偽っているだけだった。
「はい、虹村さんね。えーと、喉だったね。その後調子はどうですか?」
「相変わらず声が出ないままです。薬もちゃんと指示通りに全部飲み切りましたけど。」
喋れないに代わって受け答えをしてくれるのは、形兆だった。
「熱は?」
「ありません。」
「咳は?」
「ありません。」
「ふぅむ・・・・・・」
医者は首を捻りながら、に口を開けるよう促した。
喉のうんと奥の方まで見られるのは、えずきそうになって苦しいのだが、我慢するしかなかった。
「うん・・・・、やっぱり何ともなっていませんねぇ。炎症も無いし、綺麗なもんだ。あーと言ってみて。」
言われた通りに発声してみたつもりだったが、声はやはり出てこなかった。
医者はまた首を捻りながら金属のトレーに使った器具をポイと捨て、形兆の方を向いた。
「やっぱり、見たところ異常は無いですねぇ。1週間前もそうでしたけど。」
「じゃあどうして妹は声が出なくなったんですか?何の異常も無いのに、ある日突然急に声が出なくなる事なんてあるんですか?」
「それは何とも・・・・。紹介状を書きますから、念の為に一度、設備の整った大きな病院で精密検査を受けて下さい。親御さんにもそのようにお伝え下さい。」
この医者は、に対してこれ以上の診察をする気は無さそうだった。
形兆は不満げな顔をしていたが、しかし当のは、それも無理からぬ事だとすんなり諦めがついていた。医者の見立てにも納得がいっていたし、それに多分、得体の知れない連中だと怪しまれてもいる気がしていたのだ。
高校生位の自称・兄妹が、保険証も持たずに高額な実費を払って来ている。しかも、原因不明の奇妙な症状を訴えている。そんな不審な患者はきっと、病院にとっては招かれざる客なのだろう。
診察代は、今日も高額だった。
町医者でちょっと診て貰うだけでこんなにかかるのだから、大きな病院で精密検査など受けたら、一体幾らかかるか。
生まれて初めて言われた『精密検査』という言葉自体と費用、その両方の面からは消極的になっていたが、形兆は病院を出た途端、厳しい顔のまま口を開いた。
「チッ、役に立たねぇヤブ医者だぜ。金は取るだけ取っといて、何一つはっきり言いやがらねぇでよ。
まあこうなったらしょうがねぇ、とにかく検査受けるしかねぇな。」
形兆は当然の如くそう言い切った。がブンブンと首を振っても、考えを変える気は無さそうだった。
「何嫌がってんだ。ガキじゃあるまいし、ビビってんじゃねぇぞ。」
「・・・・・!」
はバッグの中から、動物柄のピンク色のペンとノートを取り出した。2年前の誕生日に億泰から貰ったプレゼントだ。
すぐに使い果たしてしまわないよう、大切に少しずつ使っていた物だったが、最近はこれが声の代わりとなっているので、急速に減りが早くなってきている。
無駄なスペースを空けすぎないよう気をつけて、はノートにペンを走らせた。
『そりゃ怖いとも思ってるけど、でもそれだけじゃない!お金がもったいないよ!とんでもない額になるよ絶対!私なら大丈夫だから!』
書きつけていく端から読んでいた形兆は、が最後のエクスクラメーションマークを書き終えた途端、呆れたように鼻を鳴らした。
「そんな事気にすんな。」
『気になるよ!』
続けてそう走り書きして、は形兆の顔を見上げた。彼の厳しい眼差しに負けないように、睨み返す位の気持ちで。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
お互い黙ったまま、その場で暫し睨み合った。
「俺には、お前に対しての責任がある。約束した筈だぜ、忘れたのか?」
「・・・・・・!」
忘れてはいない。勿論、忘れてなどいない。
誰もいない夜の神社で、神様の前で交わしたあの約束は、あれからずっとの心の支えとなっていた。
「お前は俺に、約束を破らせる気か?」
が地面に視線を落とすと、形兆は溜息を吐いて、のヘルメットを差し出した。
「下らねぇ事ウジウジ気にすんじゃねぇ。分かったな?」
は微かに頷いてノートとペンをバッグに仕舞い、渡された白いヘルメットを受け取って被り、形兆のバイクの後ろに跨った。その逞しい背中にしがみつくように形兆の腰に腕を回すと、程なくしてバイクが走り出した。
お前に対しての責任がある、さっきそう言った時の形兆の顔が、どこか苦しげな表情が、ショックだった。
形兆の表情が険しいのはいつもの事だ。形兆の身に圧し掛かっている重荷は、まだ何一つ減っていないのだから。
だが、彼にその顔をさせる原因が自分であってはならないと、は思っていた。
その重荷をたとえ幾らかでも共に背負っているつもりの自分が、逆に重荷を増やすなんて、決してあってはならない事だった。
自分にとっては心の支えであるあの約束が、形兆にとっては重荷になっているのではないか、そう思うと居た堪れなかった。
冷たい雨にだんだんと生暖かい湿気が混ざり始め、次第に蒸すような暑さへと変わってきた。そう、夏の到来だ。
夏が始まったばかりのこの日、形兆はを連れて、精密検査の結果を聞きに病院を訪れていた。
「検査の結果ですが、特に異常は見当たりませんでした。」
医師のその一言を聞いて、形兆は内心で大いに安堵した。町医者で精密検査を勧められてから実に一月、密かに気が気ではなかったのだ。
この一月、決して口には出さなかったが、形兆は何度となく母親の事を思い出していた。大きな病院で『セイミツケンサ』を受けた後間もなくして入院し、そのまま二度と帰って来なかった母親の事を。
穏やかで幸せだった幼少期と、地獄の底を這いずり回るようなその後の人生との境目が、正に病院での精密検査だった。
も母親と同じ道を辿るのではないか、考えたくもないのにそんな風に考えては、独り密かに不安に苛まれる毎日だった。
だから、それが考え過ぎの取り越し苦労に終わったのは、勿論喜ばしい事であった。
しかし、ならばの声が出なくなったのは何故なのか。
反射的に喜んだ次の瞬間、形兆はその事に思い当たった。
「内科的な疾患ではないとなると、他に原因として考えられるのは、精神的なものですね。」
「精神的?」
「これははっきりした診断ではありませんが、妹さんの症状は、恐らく心因性の失声症によるものかと思われます。」
心因性。その言葉は、一瞬感じた安堵と喜びを跡形もなく消し飛ばした。
「失声症・・・・・?」
「精神的なストレスや心的外傷が原因で、声を出す為の神経の働きが悪くなり、喉の筋肉がうまく動かなくなって声が出なくなる、と考えられている病気です。」
形兆は、隣に座っているの横顔をそっと盗み見た。
は緊張感を帯びた、強張った表情をしていた。その胸の内で今何を考えているのか、察するのは簡単だった。
「何か強いストレスになるような事に、心当たりはありますか?学校かご家庭の中で何か問題があるとか、何らかの事故や事件に遭遇してとても怖い思いをしたとか。」
そんな事は、わざわざ考えてみるまでもなかった。
声を奪う程の強いストレスの原因は、あの化け物しかないのだから。
母親を捨て、自由を捨て、自分の全てを捨てて、あのおぞましい化け物の『人形』として暮らしている内に、は本当に物言わぬ人形になってしまったのだ。
そして、そうさせてしまったのはこの俺だ。
そんな心の声を決して洩らさぬよう、形兆は奥歯をきつく噛み締めた。
口の利けないと、一言も発さない形兆の様子を、医師は束の間窺うように見ていたが、やがて手元のカルテに視線を向けた。
「ま、そうなりますと、精神科での治療という事になりますね。うちの病院にもありますし、もっとお近くのクリニックでも構いませんし。
とにかく、改めて精神科を受診なさって下さい。はい、ではもう結構ですよ。」
自分の専門外だからか、それとも形兆との様子から何か厄介そうな雰囲気を感じ取ったからか、この医師はこれ以上関わる気は無さそうに、至って事務的かつ一方的に診察を終わらせて、カルテにペンを走らせ始めた。
しかし、前の町医者の時とは違って、もう腹を立てる気にも、食い下がる気にもならなかった。
原因が精神的なストレスだというのならば、にこれ以上の治療を受けさせてやる事は出来ないのだから。
精神科でカウンセリングなどを受けさせられたら、のストレスの元凶である虹村家の秘密を暴かれてしまう。それは絶対に、断固として許す事は出来ないのだから。
形兆はを促して、さっさと診察室を出た。形兆も喋りかけなかったが、も沈黙を保ったままだった。
歩いている最中は勿論、会計の順番待ちで受付のソファに座っている間にも、声の代わりのペンとノートを出そうとはしなかった。
だが、何も考えていない筈はないのだ。
言いたい事だって、きっと色々ある筈だった。
少なくとも形兆の方には、に告げておかなければならない事があった。
悪いが精神科での治療は受けさせられない、と。
会計を済ませながら、形兆はどのタイミングでそれを切り出そうか考えていた。
やはり一番良いのは今この時、家に帰る前だろう。昼飯がてらレストランかカフェにでも入ろうか、それとも人のいない静かな川っぺりにでも少し寄り道しようか。
そんな事を考えていると、病院を出たところでが形兆の腕を軽く叩いた。
「あ?何だよ?」
「・・・・・・」
が指さしたのは、木陰のベンチだった。
そこへ誘われているのだという事は、すぐに分かった。
「・・・先座ってろ。ジュース買って来る。お前何が良い?」
そう訊くと、はオレンジと言った。
勿論、声は出ていない。唇の動きや形を読み取るのだ。
これ位の短い一言ならば読めるので、ノートを出して筆談する必要は無かった。
「分かった。ちょっと待ってろ。」
は微笑んで頷き、一人でベンチの方へ歩いて行った。
形兆は一度病院の中に引き返し、自動販売機でオレンジジュースとコーラを買って、の元に戻った。
「ほらよ、オレンジ。」
「ありがと。」
オレンジジュースの缶を手渡すと、の唇がまた音の無い言葉を紡いだ。
形兆は少しだけ口元を笑わせると、の隣に腰を下ろした。
の膝の上にはノートとペンが載っていたが、それを開かせる前に、形兆は冷たいコーラをグビグビと呷った。
「ふぅっ・・・・・!しっかし暑いな。」
は笑って頷きながら、自分も缶を開けてオレンジジュースをゴクゴクと飲み、形兆の真似をするかのように大きな溜息を吐いた。
それから、膝に載せていたノートを開いて形兆に差し出した。
形兆が戻って来るのを待っている間に書いていたのだろう、そこには既にの声が書き込まれていた。
「形兆君、本当にごめんなさい。面倒も心配もいっぱいかけちゃって。お金もすごい使わせちゃったし。本当に本当に、ごめんなさい。
もうこれでおしまいにしよう。私はもう病院には行かない。
原因が精神的なものだっていうなら、あとは私自身の気の持ちようって事でしょ?だったら」
言葉はそこで途切れていた。
「・・・・だったら?」
形兆が続きを促すと、は少し考え込んだ後、その後ろに『大丈夫!』と続けて書いた。
「体はどこも悪くないんだから平気だよ!気楽に考えてたらそのうち治るよきっと!大丈夫大丈夫!」
書き終わってから、は顔を上げて笑った。
言われなくても、これ以上医者にかからせる事は出来ない。
口が利けなくなる程のストレスをもたらす今の状況から、すぐさま解き放ってやる事も出来ない。
いつになればそうしてやれるのかも分からない、下手をすれば一生不可能かも知れない。
そんなザマで、何が『大丈夫』だというのだろう。
大丈夫な訳がない、何が大丈夫なもんか。そう叫びたいのを、形兆は必死に堪えた。
こんな事になったのは、の声を奪ったのは、結局のところ自分なのだから。
孤独につけ込んでを誑かし、全てを捨てさせたのも、外の世界から遮断して化け物の檻に閉じ込め、慰みものの人形にしたのも、何もかも全部、形兆自身だったのだから。
しかしには、堪える筋合いなど無い筈だった。
は被害者なのだから、何も我慢なんかする必要は無かった。
泣いて喚いて、あんたのせいだ、私の声を返せと、形兆を責めて然るべきだった。
それなのに、何故は笑うのだろうか。
そんなのは絶対に本心じゃない、本当はきっと酷いショックを受けている筈なのに、何故それを隠して、無理矢理前向きな事を言って、明るく笑ってみせるのだろうか。
さっさと話題を変えて、呑気に昼飯の事などを書き始めたはきっと、そうする事で形兆の気持ちが幾らかでも楽になる、救われると思っているのだろう。
だが、逆だった。
そうやってが明るく振舞えば振舞う程、形兆の心を突き刺す自業自得の苦しみは増す一方だった。
が声を失ってから、家の中が随分と静かになっていた。
以前は億泰との会話や笑い声がテンポ良く聞こえていたが、今は沈黙の後に、億泰一人の声がするようになっている。
の方は筆談だから、言いたい事を書いて、それを読ませる時間がかかるのだ。
いちいち沈黙の挟まる歯切れの悪いそのやり取りに、億泰とはもう慣れたようだが、形兆はまだ慣れなかった。
四六時中筆談帳とペンを首からぶら下げて、何も不自由はないとばかりに文字で会話をするや、の為にせっせと要らない(要るものも混じっている恐れが大いにある)プリントを切っては筆談帳を作っている億泰を見ると、どうしようもない苛立ちが湧いてきて、内心穏やかではいられなかった。
それが間違った感情である事は分かっていた。だが、どうしようもなかった。どうしようもなくて、形兆は努めて二人と距離を置くようにしていた。
丁度夏休み中なのが幸いだった。形兆はここぞとばかりに『調査』に精を出しているという体で、億泰やとはサイクルの噛み合わない生活を送っていた。
今日もそうだった。一人で朝食を済ませて早くから東京に出掛け、大学の図書館で資料を集め、繁華街の大きな書店にも立ち寄って何か参考になりそうな書籍がないか探し、ファストフードの店で昼食を摂って、帰宅したのは午後の3時過ぎだった。
昼飯時もすっかり過ぎている上に、億泰が補習を喰らっていて夕方まで留守にしているので、このタイミングが一番帰宅し易い時間帯だったのだ。
勿論、は一日中家にいるが、億泰のようにベラベラ喋りかけてくる訳ではないから、もしもそこら辺でバッタリ出くわしても、忙しい振りをして素通りしてしまえば済む。今日もそうしてすぐに自室へ帰り、以降は調査に集中するつもりだった。
だが、の部屋の前を通り過ぎようとしたその瞬間、形兆は部屋のドアが少しだけ開いている事に気付いた。
そしてその隙間から、の姿を見てしまった。
「・・・・・・」
部屋の中で、は背筋をまっすぐ伸ばして立ち、口を開けたり閉じたりしていた。その横顔は真剣そのもので、その行為が何の為のものか、すぐに理解出来た。
は、発声練習をしているのだ。
それに気付いた形兆は、気配を殺して、そのままの様子をじっと窺った。
知らん顔をしてそのまま通り過ぎてしまえば良いのに、どうしても見守らずにはいられなかった。
「・・・・・・!・・・・・・!」
は口を大きく開けて、声を出す素振りを繰り返していた。
普通に声の出る状態ならば、叫び声と言える位のボリュームになっている筈だ。
なのに、何も聞こえてこなかった。
古いボロ家をきしませる程の飛行機の轟音以外は、何も。
「・・・・・!・・・・・!」
繰り返している内に、の横顔がみるみる歪んでいった。
は悔しげに唇を引き結んで、握り締めた拳を喉元に叩き付けた。1度と言わず、2度、3度と。
その姿には、紛れもなくの本心が表れていた。
そしてそれを叩き付ける先は、虹村形兆であるべきだった。
なのにはどうして、人知れず自分を責めるのか。
固く拳を握り締めたまま、俯いて立ち尽くしているの姿を見ていると、不意に強い衝動が形兆を襲った。
それに突き動かされるようにして、形兆はの部屋のドアを大きく開け放ち、中にズカズカと踏み込んでいった。
「っ・・・・!」
形兆に気付いた途端、は驚いて顔を跳ね上げた。
その瞳には少しだけ涙が溜まっていたが、何度かの瞬きであっという間に誤魔化され、代わりに笑顔が浮かんだ。
は首からぶら下げている帳面に、『おかえりなさい!』と書きつけて形兆に見せた。
形兆がそれに答えずにいると、はまた笑って、『お昼ごはんは?』と続けた。
それにも答えずにいると、はまたまた笑って、少しの間考えてから、『外、暑かったでしょ?』と書いた。
「・・・・・・」
書く事が、どんどん下らなくなっていく。
笑顔が、どんどんぎこちなくなっていく。
何をそんなに必死になって取り繕っているのだろう。何も隠せてなどいないのに。
「・・・・・・」
形兆はを睨み下ろしながら、の筆談帳とペンを毟り取って捨てた。
するとは一層驚いたような、怯えたような表情になった。
当然だ。男にそんな乱暴な真似をされて、怯えない女がいる訳ない。頭ではそう分かっていても、自分で自分が止められなかった。
「やめろ」
「・・・・・・!?」
「当てつけがましい事をするんじゃねぇ。」
「!!」
は目を大きく見開いて、激しく首を振った。
そんなんじゃない、そんなつもりじゃないと、そう言いたいのだろう。
「ヘラヘラ笑って誤魔化してばっかいねぇで、言いたい事があるならはっきり言えよ。テメーのせいでこんな病気になっちまった、どうしてくれるんだって、はっきり言やぁ良いだろ。」
「・・・・・・!」
一度は霧散した涙が、またの瞳を黒く潤ませ始めた。
小さな唇が小刻みに震えているのは、何か言いたいからか、それとも泣き出す予兆か。
息を呑むように微かに動く細い喉を、形兆はじっと見つめた。
しかしはどちらもせず、小さく頭を振っただけだった。
穏やかに微笑んで、そうじゃないよと言いたげに頭を振って、それから、そっと形兆を抱きしめた。
「・・・・・・」
は、これが私の気持ちだとでも言いたいのだろうか?
愛だの恋だの、まだそんな事を思っているとでもいうのだろうか?
何もかもを奪って壊しただけの男を、まだ愛しているとでも言うつもりなのだろうか?
顔を上げて優しく微笑みかけてくるを睨むように見つめ返して、形兆はきつく奥歯を食い縛った。
沸々と沸いてくるのは、の気持ちに応えられるような純粋な想いではなく、卑しい欲望だった。
間近に見える白い項や、密着している胸の感触に煽られて、それは恥ずかしげもなくどんどん膨れ上がっていった。
「っ・・・・!」
形兆は弾かれるようにして、の唇に噛み付いた。
当然の事ながら、は酷く驚き、反射的に身を固くして抵抗した。
だが、が幾ら踏ん張ったところで、それっぽっちの力では形兆の劣情を阻む事は出来なかった。
揉み合いになったのはほんの僅かな間で、形兆はたちまちの腕を掴んで開き、もう一度唇に噛み付いて、ベッドに押し倒した。
そして、の着ているTシャツと下着のキャミソールを胸の上まで捲り上げ、毟り取るようにブラジャーを引き下げた。
そこから零れ出てきた白い乳房は、一時恋愛ごっこに夢中になっていた頃よりも明らかに豊かになって、女としての魅力を増していた。
益々煽られる欲望のまま、紅い小さな果実のようなその先端に齧り付くと、は激しく身を捩って抵抗し、形兆の下から這うようにして逃げ出した。
「っ・・・・・!!」
は必死に這いつくばりながら、床に落ちていた筆談帳とペンを掴み取った。
すぐに何か書き始めたが、手が酷く震えていて、ミミズがのたくっているようにしか見えない。
形兆はの手から再び帳面とペンを奪い取って、部屋の隅に放り投げた。
そして、怯えて震えているをまっすぐに睨みながら呟いた。
「言いたい事があるならはっきり言えって言っただろ。その口で、声に出して言えよ。」
理不尽にも程がある。心の片隅にいる妙に冷静な自分が、下劣で野獣のような自分を軽蔑してそう吐き捨てた。
そう、自分がどれ程の暴言を吐いているのか、どれ程の暴挙に出ているのか、その自覚が形兆にはあった。
「っ・・・・・・!!」
それでも、目にいっぱいの涙を溜めて震えているに詫びて、部屋を出て行く事は出来なかった。
「気の持ちようなんだろ?だったら、その気になったら出るんだろ?」
「・・・・・・!?」
「声、出させてやるよ。」
「・・・・・・・・!!」
はまるで、食い殺される寸前の小動物のように怯えて震えていた。
そんなを、形兆はそのまま無情に、力ずくで押し倒した。
「っ・・・・・・!っ・・・・・・!」
もう一度のTシャツを捲り上げて乳房に齧り付き、先端をこれでもかと舌で転がすと、はビクビクと身を痙攣させた。
セックスは2年以上ぶりだったが、すぐに感覚が蘇ってきた。
形兆は忙しなくのジーンズの前を寛げ、まだ必死の抵抗を続けるをいなしながら、下着と共に強引に脱がせた。
そして、もがくに圧し掛かって自分の身体で押さえつけながら手を這わせ、何とか食い込ませた指で秘裂をなぞり上げた。
「ハッ・・・・・・!!」
形兆の指先がの花芽を弾いた時、の唇から音が出た。
声と言える程ではない、精々大きな呼吸音という程度の、単なる『音』だ。
だがそれでも、それは確かにの『声』だった。
「・・・出るじゃねぇか、声。」
「っ・・・・・・!」
「もっとちゃんと出してみろよ。」
羞恥して顔を赤らめているに口元だけで笑いかけて、形兆はの秘所に顔を埋めた。
「ハァッッ・・・・・・!!」
既に蜜の滲み出している其処に舌を這わせると、先程よりももう少しはっきりとした『声』が出た。
そう、恋愛ごっこに勤しんでいたあの頃も、此処をこうされるとは悦んでいた。あの時の甘い声が今にも聞こえてきそうな気がして、形兆は夢中で舌を動かした。
「ッ・・・・!ハッ・・・・・!ハァッ・・・・・・!!」
一番敏感な花芽に重点を置いて舌で弄っていると、すぐにの身体が小刻みに痙攣し始めた。
『声』も絶え間なく出るようになってきている。花弁は既に蕩けきって濡れそぼり、物欲しそうに形兆の目の前で小さな口を開いていた。
形兆はひとまず行為を中断し、窮屈なジーンズの前を広げて、自身を解放した。
暴れ出るように下着から飛び出したそれは、衣服の締め付けが無くなった途端、更に目に見えて膨れ上がった。
に触れなくなってから随分経つ今、コンドームは持っていなかったが、ここで止める、或いは疑似的な行為で我慢をするという選択肢は無かった。
形兆は躊躇わずの両脚を大きく開き、自分の腰を寄せた。
「っ・・・・・・!!」
すると、グッタリしていたが我に返ったようにまた抵抗を始め、逃げようとした。それを阻んで捕まえるのは、訳も無い事だった。
必死に這い出すように逃げていこうとする細い腰を掴んで引き摺り戻し、ベッドの上に腹這いに押さえ付けてから、形兆はまたの脚を開いた。
「っっ・・・・・・!!」
は激しく首を振っていた。だが、パックリと開いた花弁からは、溢れた蜜が一筋、糸を引きながら床に滴り落ちていた。
その扇情的な光景に生唾を呑み込みながら、形兆は其処へ怒張した自身を擦り付け、中に沈めていった。
「ハァァッ・・・・・!!!」
がか細く『声』を震わせた。
それを聞きながら、形兆は久しぶりの快楽を噛み締めた。
絡み付いてくる柔襞を貫いていって一番奥まで突き当たると、形兆はの華奢な背中に覆い被さった。
「・・・・相変わらず狭いな、お前の中・・・・」
「っっ・・・・・!」
柔らかい耳朶を甘噛みすると、の中が一層きつく締まった。
「もっと声出せよ、ほら・・・!」
「ハァァッ・・・・!!」
形兆は弾みをつけて、の中を突いた。
丸い尻がビクンと震えて、がまた『声』を迸らせた。
「もっとだ、もっと出るだろ、ほら・・・!」
形兆の中に澱のように溜まっていた苛立ちが、獰猛な欲望と化してを襲っていた。
それを止める術も無く、形兆は壊さんばかりにを激しく突き続けた。
そうしていると出てくるの『声』を求めて、夢中で腰を打ち付けた。
「くぅっ、ぅっ・・・・・!」
やがて、抗い難い激しい快感が形兆の身体中に充満し、弾けた。
咄嗟に働いた一片の理性での中から自身を引き抜くと同時に白濁液が迸り、勢い良く飛び散った。
快感の激流をどうにかやり過ごした後、形兆は息を切らせながら、に目を向けた。
「ハッ・・・・、ハッ・・・・」
は形兆が押さえ付けていたその姿勢のまま、息も絶え絶えにまだ微かな痙攣を繰り返していた。
食い散らかされた哀れな獲物のようなその姿を暫く見つめてから、形兆はティッシュを取り、自分自身と、大量の白濁液で汚れたの尻や背中を拭いた。
それから元通りに身なりを整え、まだグッタリとして動かないの尻の上に脱がせたジーンズを投げ掛けて、あられもなく曝け出されたままの艶めかしい部分を覆い隠した。そうしておかないと、自分の中の卑しい欲望が、またすぐにでもその獰猛な牙を剥き出しかねなかった。
もう少し時間があればそうなっても構わなかったのだが、もうすぐ億泰が帰って来る頃だから、今はひとまずこれで終わらせておかねばならなかった。
「・・・・・・」
今更詫びる意味も無ければ、その気も無かった。
それ程我慢を重ねていた事に、形兆は今更ながらに気付いていた。
はあの化け物の始末に負えない欲望を発散させる為の人形だ、そう自分に刷り込んで、ずっと我慢に我慢を重ねてきた事を、形兆は今はっきりと自覚していた。
そして、そんなやせ我慢を続けていた自分を無意味だったと、滑稽だとさえ感じていた。
自分だけが指1本触れずにいたところで、だから何だったというのか。
はもう2年以上も前から、欲望を処理する為の、玩具の人形だったのに。
恨み殺されたって仕方のない事を、自分はとっくにやらかしてきていたのに。
そんな男にいつまでも優しく笑いかけるが変だっただけで、それももういい加減に心変わりしていくだろう。
恨むなら恨めば良い。憎むなら憎めば良い。
それでもはこれからもずっと、この家の中で、『人形』として生きていくしかないのだ。
― そうさ、お前は俺のものなんだよ、・・・・
背を向けて、黙ったままのろのろと下着を履き始めたに一瞥をくれて、形兆は無言のまま部屋を出て行った。