愛願人形 8




いよいよ2学期の期末試験が始まった。
休み時間の度に、ヤベーよ絶対赤点だとか、全然勉強出来てないよとか、そんなの絶対嘘でしょとか、クラスの連中が興奮気味に騒いでいたが、形兆にはその心理が理解出来なかった。
作戦なら、せこい。自分を下げて見せる事で他人を引きずり落とそうなんて、レベルが低すぎる。
社交辞令なら、見え透いていて下らない。そのやり取りに一体何の意味があるというのか。
そして本音なら、只の馬鹿だ。
勉強というのは至ってシンプルなもので、要するに日々の積み重ねがものを言う。日課として一定の量をこなしていれば、定期テスト位で慌てふためく事にはならない。
仰々しく塾通いしておきながらこうも見苦しく騒ぐというのは、勉強の基本をまるで理解しておらず、またする気もないからだ。
やかましく騒ぐクラスの連中を尻目に、形兆はいつものように淡々と過ごした。
気になるのは試験などではなく、ただ一人、だった。
隣の席で、相変わらず一人ポツンとしているの横顔を、形兆は折に触れて人に気付かれないよう盗み見た。

昨日、あれからどうだっただろうか?
母親は店が休みで在宅していた筈だから多分大丈夫だろうが、あの男に何かされたりはしなかっただろうか?
自分達の関係を、虹村形兆の名前を、白状したりはしていないだろうか?

事は慎重に進める必要があった。
しっかりと状況を見極め、うまく導いてやらねばならない。
その為には、こまめに様子を窺い、の現状を出来る限り把握しておく事が不可欠だった。
その日のテストが終わると、形兆はそれとなく、帰って行くの後を追った。
そして、誰にも見られていない事を確かめてから、この間のように追い越しざまに声を掛けた。


「今夜、うちに来いよ。11時頃に。」
「・・・うん」

それは、誘いというよりは、一方的な呼び出しだった。
だが、は断らなかったし、理由を訊く事も時間の交渉をする事もしなかった。
はそのまま素知らぬ顔で帰って行き、形兆も何食わぬ顔で帰途に着いた。
の母親が出勤してから夜11時までの数時間、その空白の時間にどれ程の危険があるかは、勿論承知の上だった。
だが形兆は、敢えてその事には触れなかった。
その危険な時間帯をどのように過ごすかを自身が考えるように、正確に言えば、何処にも居場所の無い不安と恐怖を存分に味わわせる為に。
怖ければ怖い程、心細ければ心細い程、自分の元に来た時の安心感は何倍にも膨れ上がるだろう。そして、自ら虹村形兆の側にいる事を望み、やがて何があろうと離れられなくなる。
だからそれまでは、形兆自身も耐えなければならなかった。

が逃げきれず、抵抗しきれず、犯されてしまったら?
あの男から逃げる為、夜中まで当てもなく外をうろついて、万が一にも何かあったら?
それでなくとも、寒さを凌げる場所を探すだけでも四苦八苦するだろうに。

そんな事を考えてしまうといても立ってもいられなくなり、今すぐを迎えに行きたくなるが、計画を成功させる為には心を鬼にして、その不安や焦燥感を抑え込まねばならなかった。


家に帰り着くと、形兆はすぐに1階の事務所を掃除した。
そして、応接セットのソファを2台向き合わせてガムテープでしっかり固定し、
その上に使っていなかった毛布やタオルケットを敷き、クッションを並べた。
これで、ベッドの完成だった。
その作業が済むと、今度は駅前のショッピングセンターへ走り、電気ストーブと目覚まし時計を買って来て置いた。
天井の蛍光灯は敢えて取り替えず、雨戸やシャッターも閉まったままにしておいた。
そして仕上げに、応接セットのローテーブルの上に、ティッシュと、昨夜コンビニで買ったコンドームの箱を置いた。
部屋の準備が万端整うと、形兆は自室のベッドに潜り込み、億泰が学校から帰るまでの間、昼寝をした。
元来、形兆に昼寝の習慣はなく、寝付くのには少し苦労したが、これから暫くの間は体力的にきつい日が続くので、それに備えて休息を取る必要があった。

昼寝から起き、億泰が学校から帰って来ると、形兆は何食わぬ顔でいつも通りの仕事をこなした。
さもずっとそうしていたかのように勉強をし、洗濯物を片付けて夕飯の支度をし、父親の様子を見て、夕飯と風呂を済ませ、また勉強をした。
億泰は、まだ何も気付いていなかった。無邪気で無知な億泰はきっと、兄の口からはっきり具体的に言われるまで、何も分からないままだろう。
だが、今はまだその時期ではなかった。あと何時間かでが訪ねて来る事などおくびにも出さず、形兆はいつも通りに振舞った。
放っておくとテレビばかり見ている億泰をどやして宿題をさせ、入浴や歯磨きをしろと尻を蹴飛ばし、夜更かしするなと部屋へ追いやった。全て、いつも通りだった。
億泰がグウグウと寝息を立て始めたのもいつも通り、夜の10時半頃だった。

父親も、今は発情が収まっていて、大人しく眠っていた。
尤も、いつまた始まるかも分からないし、そうじゃなくても夜中に突然覚醒して、音を立てながらあの木箱を漁り始める事もあるから、油断は出来ない。
今のところはぐっすりと寝ている父親の口を粘着テープでしっかり塞ぎ、壁のフックに鎖で繋いでから、形兆は間もなくやって来る筈のを待つ為、家の外へ出た。
インターホンが壊れているので、というより、鳴らないようにわざと壊れたまま放置してあるので、ボタンを押したところで音が鳴らないのだ。
すっかり冬本番となり、外は凍てつくような夜風が吹いていた。
壁の陰に身を潜めてその寒さをやり過ごしながら待つ事暫し、やがて真っ暗な夜道を、華奢な人影が小走りにやって来るのが見えた。










夜11時。
形兆に指定された時刻は、にとってあまりに遠すぎた。
夕方までは和代の側から離れなければ良い。
だが、その後の数時間はどうすれば良いのだろう。
帰り道をわざとゆっくり遠回りして歩きながら、は必死に考えた。

こんな自分の事を、あんなにも真剣に想ってくれる形兆を裏切るような事は、絶対に出来ない。
自分の意思など関係ない、たとえ強姦でも、裏切りは裏切りなのだ。
この身体も心も、形兆以外の人には決して開かない。
それだけは絶対に守らなければならない、鉄の掟だった。

それを踏まえて今日これからの行動を考えると、は渋々帰宅した。
幸いな事に、安原はいなかった。
は昼寝をしている和代の側でテスト勉強をし、少し早めにいつもの炊事や家事をこなしてから、夕方、起きてきた和代と一緒に銭湯へ行った。
銭湯までの道を、久しぶりに和代と並んで歩くと、ふと幼い頃に戻ったような気分になった。


「何よぉ、一緒にお風呂行きたいなんて珍しい事言っちゃってぇ。」
「良いでしょ、別に。」
「ふふっ、子供じゃあるまいし。」

その言葉はを突き放すものだったが、その口調には母親の温もりが篭っていた。どちらかにしてくれたら、こちらも憎むか愛するか、はっきり決められるのに。


「・・・・・・ねぇ、お母さん」
「ん〜?」
「私・・・・・・、今日もこの後、友達とテスト勉強する約束してるの。」

言おうか言うまいか随分迷った末、はそれを告げた。
何も言わずに、和代が店に出ている間に行って帰って来ようかとも思ったが、和代の帰宅時間は正確に定まっている訳ではないし、安原もいつ余計な事を喋るとも限らない。
また昨日のような事になれば、それこそ形兆の事を根掘り葉掘り聞かれそうな気がして、やはり和代に断わっておいた方が良いと判断したのだった。


「えぇ、またぁ?」
「一緒に勉強した方がはかどるの。だから、お母さんと一緒に私も出掛けるね。」
「・・・一緒にお風呂なんて珍しい事言うと思ったら、そういう事だったのね。」

和代は小さく溜息を吐いた。


「で?何時に帰って来るの?」
「お母さんが帰る頃位には帰る。」
「・・・

和代は足を止めると、の方を向いた。


「ちょっと露骨すぎだよ。なんでそんなに信ちゃんの事毛嫌いするの?今まではこんな事一度も無かったのに。」

和代に咎められ、は思わず憤りを感じた。
それはこちらの台詞だと反射的に言い返しそうになったのを堪えて、は努めて冷静を装った。


「あの人の事は関係ないよ。」
「関係なくなんてないでしょ。」
「友達が出来たの。初めて、大事な友達が。」

は和代の厳しい顔を、まっすぐに見つめ返した。


「うちと同じような家の子で、勉強も、家の事も、全部全部一人で頑張ってて、凄く尊敬してるの。」
「ちょっと待ってよ・・・、その子・・・、女の子なんだよね・・・・?」

流石に和代の勘は鋭かった。
念を押すようなその問いかけには、女として何かを察している、明らかな疑念と戸惑いがあった。


「当たり前でしょ。」

は一言、平然とそう答えた。


「信じて良いのよね、それ・・・・?」
「信じてくれないなら、別に良い。」

がそう言うと、和代は少し動揺したように目を逸らした。


「・・・分かった。気を付けて行きなさい。」
「うん、ありがと。」
「危ない事はしないでね。」
「分かってる。」

実のところ、も動揺していた。恐らくは和代以上に。
こんな嘘を吐いたのはこれが初めてで、和代を裏切っているような後ろめたさを感じて心が揺れていた。
しかしは、それを決して面に出さなかった。













風呂と夕飯を済ませ、出勤していく和代と一緒に家を出たが、に行く当ては無かった。
時間が早すぎて形兆の家にはまだ行けないし、ろくにお金も持っていない。
夏、いや、せめて先月までだったらずっと公園にいられただろうが、12月の夜はとても外にはいられない。
少し考えてから、はひとまず駅前に向かった。
そして、ショッピングセンターに入り、閉店時刻の夜8時まで中をぶらついた。
ショッピングセンターが閉まると、次に本屋へ行き、同じく閉店時刻の10時近くまで立ち読みをして過ごした。
その後、コンビニを何軒か転々とし、ようやく10時40分を過ぎた頃、は形兆の家へと向かった。
10分位なら早く行っても構わないだろうか、なんて遠慮がちに考えていたが、足は自然とどんどん速くなった。
寒いし、心細いし、何よりも早く形兆に会いたくて。
早くあの腕の中に、抱きしめて貰いたくて。


「あ・・・・・・!」

海沿いの道を小走りに行くと、虹村家の前に誰かが立っているのが見えた。
月明かりに淡く透けるようなその金の髪は、紛れもなく形兆だった。


「形兆君っ・・・・・・!」

は手を振りながら、形兆に駆け寄った。


「おう。」

形兆はを見て、穏やかに微笑んだ。
それだけで、夜の町を一人で彷徨っていたこの数時間の心細さなど、瞬く間に帳消しになった。


「また良いタイミングだったな。」
「本当?良かった・・・・・!」
「そういやお前に言ってなかったと思うんだけどよ、うちのインターホン、壊れてて音出ねぇから、鳴らしても無駄だぜ。」
「そうなんだ。うん、分かった。」
「ドアをノックしてくれりゃ分かるからよ。次からはそれで頼むぜ。」
「うん・・・・・!」

形兆が当たり前のように『次』を約束してくれるのが、堪らなく嬉しかった。


「入れよ。」
「お邪魔します・・・・!」

は形兆に肩を抱かれ、促されるまま家の中に入った。
そしてまず、持って来ていた紙袋を形兆に手渡した。


「あ、これ、昨日借りた服。ありがとね。」
「おう。」
「億泰君は?」
「もう寝てる。」
「そっか。健康優良児だね、ふふっ・・・・」
「フン。」

が小さく笑うと、形兆も少しだけ笑った。
導かれていくのは、初めて結ばれたあの部屋だった。暫く前からストーブで暖めてくれていたらしく、部屋の中は既にほんのりと暖かかった。
だが、驚いたのはそこではなかった。


「わ・・・、何これ・・・・!」

昨日の早朝までは応接セットのソファだった筈の黒革の長椅子が、2台くっついてまるでベッドのように様変わりしていて、は思わず目を丸くした。


「ちょっと模様替えしたんだ。あれじゃあ寒いし、不便だっただろ?・・・一緒に寝れなくてよ・・・・・」
「っ・・・・・!」

背中からやんわりと抱き竦められ、は密かに息を呑んだ。
形兆はもう慣れたようだったが、は正直、まだ慣れていなかった。
戸惑って、何となく視線を彷徨わせると、ローテーブルの上に目覚まし時計とティッシュの箱、それと、何か分からないチョコレートの箱みたいな物が置いてあるのが目に留まった。
昨日の朝、作って貰ったお握りを凄い勢いで食べてしまったから、気を使って小腹を満たす物を用意してくれたのだろうか?


「ねぇ・・・、何、あれ?」
「ん・・・・?」
「その赤い箱。見た事ないけど、新発売のお菓子?」
「・・・・・」

形兆は一瞬固まってから、小声で笑い出した。


「なっ、何・・・・!?」
「フッ・・・、クククッ・・・、お前それマジで言ってんのか?・・・マジなんだろうなぁ、その様子じゃあ・・・」
「へ・・・?な、何が・・・?」

形兆は、を抱きしめている腕に幾らか力を込めると、の耳のすぐ側でボソボソと喋った。


「こりゃ菓子じゃねーよ。コンドームだ。」

と言われても、ピンとこなかった。聞いた事のない言葉だったのだ。


「何それ?」
「・・・マジかお前・・・。コンドームっつったら、ヤる時に男の方に被せるやつだろうが。何言わせやがんだテメー。」
「ご、ごめん・・・・・!」

そこまで言われてようやく理解し、は今更ながらに激しく羞恥した。


「昨日はナマでヤッちまったが、今後もずっとそうする訳にはいかねーからな。
ガキがガキ作っちまう訳にはいかねーだろ?」

その言葉に、はハッとした。
そのアイテムの事は知らなかったが、昨日の行為の意味は、そして、形兆との関係がどういうものなのかは、分かっている。
この人の子供が、自分のお腹の中に宿るかも知れない。
そうなっても何ら不思議ではない行為であり、それだけ深く結びついた人だという事なのだ。
子供が出来たからと言って、必ずしもその子を待ち望む男ばかりでない事は、我が身をもって承知している。
自分の子を宿した女を、まるでゴミクズのように捨てる男は、確かに実在する。
だがは、それでも、淡い希望を抱かずにはいられなかった。

勿論、今すぐではない。
今すぐではないが、いつか、遠い未来にそうなれたら。
いつかこの人と家庭を作り、子供を産んで、自分の分まで、この人の分まで、幸せに育てていけたら。
そんな事を夢見ずにはいられなかった。


「・・・うん・・・・・」

いつか、いつか。
遠い未来への希望を密かに抱きしめながら、は形兆の腕にそっと身を委ねたのだった。












形兆と二人きりで過ごす夜は、身も心も温かく包み込まれる、甘い夢のような一時だった。だがその代償は、過酷な現実だった。


「国語が55点、英語が47点、社会が51点、理科が41点、そして数学が・・・・、15点。こりゃあ一体どういう事だ、?」

期末テストが終わった翌々日の放課後、担任の青山から生徒指導室に呼び出されたは、初めてのその不名誉な経験と自分でも愕然とするような成績に、言葉も出ない程打ちのめされていた。


「お前が理系が苦手なのは先生も分かっている。数学のテスト範囲も、連立方程式中心だった中間の時と違って、今回は食塩水の問題と図形がメインだったしな。
只でさえ難しい単元だし、確かに今回、数学に関しちゃあ、お前に限らず全体的に出来はイマイチだった。
けどなぁ、それにしたって悪すぎるだろう?数学と理科よりも、むしろ文系の科目がだ。」

青山はまるで取り調べ中の刑事か何かのように、の顔を探るように見据えた。


「文系の3教科は、お前ならもっと点数取れた筈だ。
見てみろ、3教科ともまるで別人みたいな成績じゃないか。順位もガタ落ちだ。」

机の上にズイと突き出された成績表に記載されてある数字は、確かに青山の言う通りだった。
中間の時にはそれぞれ80点以上取れていたその3教科は、今回は全て50点台以下にまで落ち込み、順位はクラス内・学年内共に、下から数えるのが当然な程の下位にまで落ちていた。
これは流石にテスト範囲が難しい単元中心だったとか何とかで言い訳出来るレベルではなかった。


「来週の三者面談でまた改めてお母さんともお話しするがな、今回はちょっとあまりにも酷かったから、先にお前の話を聞いておこうと思って、こうして今呼び出したんだ。何かあったのか?え?何かあったのなら、言ってみなさい。」

さあ言えやれ言えとばかりに詰め寄られて、話せる者などいるのだろうか。
は俯いて黙ったまま、そんな事を考えた。
尤も、全く違う訊き方をされたところで、絶対に答えはしないが。


「・・・・・勉強不足でした。すみません・・・・・・」

は頭を下げたまま、たった一言だけそう答えた。
すると青山は、苦い顔で溜息を吐いた。


「テストの事だけじゃあないぞ。お前、昨日も今日も数学の授業中、ずっと寝ていただろう?先生ちゃんと気付いてたんだぞ?
他の教科の先生方にも確認したが、この2日間、他の教科でもよくウトウトしていたらしいな。
運動部でハードな朝練している訳でもないのに、何だってそんなに一日中眠いんだ?
急にどうした?お前最近何してるんだ?」

答える気はなかった。
そして、形兆との逢瀬をやめる気もなかった。
どうせもう高校へは行かないと決めたのだから、成績なんてどうなっても構わない。
ただ一つ気掛かりなのは、形兆も同じように成績が下がっていないか、それだけだった。
形兆はあれから毎夜、迎え入れてくれている。
いつでも嫌な顔ひとつせず迎えてくれて、激しく、優しく、抱いてくれる。
不安も恐怖も寂しさも、何もかも全部、忘れさせてくれる。
夜明け前に帰るまで、ずっとずっと、側にいてくれる。
きっととても無理をしている筈なのに、そんな事などおくびにも出さずに。
形兆はわざわざ東京の大学の図書館にまで通う程向学心旺盛なのに、そんな彼の足を引っ張ってはいないか、気になるのは只々それだけだった。















今夜もそろそろだ。
明日の学校の準備を済ませると、形兆は静かに自室を出た。
億泰も、父親も、既に良く寝入っている。
口に粘着テープを貼られた状態で熟睡している父親の顔を見て、今夜もこのまま朝まで静かにしていてくれるように心の中で願ってから、形兆はしっかりと部屋のドアを閉ざし、足音を忍ばせて1階へと下りて行った。

もう間もなく、が玄関のドアを叩く頃だ。
遠慮がちで小さなその音は、上にいたら分からない。
だからこうして毎晩、玄関ドアの内側で待っていてやるのだ。

もう少し。
あと少し。

・・・来た。


小さなノックが聞こえた瞬間、ドアを開けると、が立っていた。
いつものように遠慮がちな、そして、少し驚いたような顔で。
ドアを開けたタイミングがジャストすぎたか。しかし、どうでも良い事だった。


「あっ・・・・・・!」

が何か言う前に、形兆はを引き寄せ、腕の中に抱き入れた。
そして、待ちきれない犬のようにがっつきながら、の唇を貪った。


「んっ・・・・・・!」

強く抱きしめて、舌を絡め取ると、もすぐそれに応えてきた。
形兆はキスをしながらドアを閉めて鍵を掛けると、を目の前の部屋に連れ込んだ。
逢引きの為に整えたその部屋は、億泰にも立ち入りを許していない、二人だけの空間だった。
そこに閉じ籠って鍵を掛けると、形兆は性急な仕草での服を脱がせていった。
自分が溺れるのではなく、を溺れさせる為にやっている事だ。
だが正直、身体を繋げている時だけは、形兆も何もかもを忘れていた。
作戦も、悩む事すらも忘れて、一時、の身体にのめり込んでいた。
女の味は、悪くなかった。
自分も男だという事だ。
束の間愉しんで、何が悪いというのだろう。


「あ・・・・・!」

早々に全てを脱がせてしまうと、形兆はをベッドに押し倒した。
そして、両膝を押し上げて大きく脚を開かせると、パックリと割れた花弁の中心に舌を這わせた。


「や・・ぁんっ・・・・!」

最初から陥落寸前だった其処は、形兆が舌を押し当てた瞬間に、蜜の一筋をトロリと零した。
それを舐め取り、奥まで覗き込むように濃い桃色の花弁を開くと、はか細い悲鳴を上げた。


「あぁっ・・・・!ゃっ・・・・!」

小さな花芯に舌先を捻じ込み、薄い茂みの中から少しだけ顔を覗かせている花芽を指先で苛む。
は基本的に、何処に触れても面白い位に反応するが、此処は特別に弱かった。


「あぁあっ・・・・!ぃやっあぁ・・・・・!」

此処を刺激されると、まるで電気でも流されているかのように身体を痙攣させ、堪らなく甘い声ですすり泣く。
その反応に、形兆の股間もあっという間に熱く滾っていった。


「あ・・・ぁっ・・・・・!んあぁっ・・・・・!」

散々に弄り倒した後で、真っ赤に充血した花芽を少し強めに吸い上げると、は一際高い声を震わせた。


「はぁっ・・・・!はぁっ・・・・!はっ・・・・!」

果ててグッタリしているを束の間解放してやる間に、形兆は自分も服を脱ぎ、硬く反り返った自身に避妊具を着けた。最初は慣れずに多少手間取ったが、何度も回数を重ねて、今はもうコツを掴んでいた。
着け損なっていない事をしっかり確認すると、形兆はを再び組み敷き、トロトロに蕩けた花芯を一気に貫いた。


「ふあぁぁぁっ・・・・・・!」

貫いた衝撃で、の背筋が弓なりにしなる。
目の前に突き出された乳房に喰らい付き、舌に引っ掛かる突起を吸い上げると、の中がキュッと締まった。


「あ、んっ・・・・!形ちょ・・く・・・、んんっ・・・・・!」

の手が、縋るものを求めるように宙を彷徨う。
その手を取ってベッドに押さえ付け、指と指を組んで固く握り合った。


「あっ、あぁぁっ・・・・・!んんっ・・・・・!」

身体の関係を持つようになってまだ1週間足らずだが、その間に何度も回数を重ねている内に、の事は大体分かるようになってきていた。


「あぁ・・・・っ・・・・・、はぁぁっ・・・・・!」

は、肌が出来るだけ触れ合うような抱かれ方を好む。
特に、手を握ったり、包み込むように身体ごと抱きしめてやると、声が幸せそうに甘く蕩ける。
それに、耳も感じ易く、舌を這わせたり、耳朶を甘噛みすると、中が思い切り締まる。


・・・・、好きだ・・・・」
「んぁぁぁっ・・・・・・!」

そのまま名前を呼び、睦言を囁いてやると、それだけで達する。


「ぁ・・・っ・・・・、はぁっ・・・・、はぁっ・・・・」

夜風に冷えていた肌は、いつの間にか薄らと汗ばんでいて、黒く潤んだ瞳には、見て分かる程の、溢れんばかりの情が宿っている。
そして。


・・・・・!」
「あ、あぁぁぁっ・・・・!!」

腰を掴んで最奥を鋭く突くと、ゾクゾクするような鳴き声を上げるのだ。


「あぁぁっっ・・・・・!形・・・っ・・・ちょ・・・、あぁぁっ・・・・!」

これ以上は入らないという位、奥の奥まで突き込むと、刺激が強すぎるのか、は激しく身を捩って咽び泣く。
目のやり場に困る程ひたむきな情の宿っている瞳も、この時は瞼の裏に隠れて見えなくなる。


「ハァッ・・・!ハァッ・・・!ハッ・・・!」
「あ、あっ・・・!形っ・・・、やっ・・・!もっ・・・・、ダ・・メぇっ・・・!」
「ハァッ・・・、いいぜ・・、イけよ・・・、俺も・・・もぅ・・・っ・・・・!」
「あぁぁあっ・・・・!」

だから形兆はいつも、最後はの中で弾けてしまうまで、思いきり激しくを突いた。
何の疑いもなくまっすぐな愛を向けてくるの瞳を、まともに見たくなくて。
今この時ばかりは、余計な事を何も考えたくなくて。


「あぁぁっ・・・・!や、ぁっ・・・、あぁぁぁぁんんっ・・・・!」
「う、ぅっ・・・・・・・!」

二人して快楽の果てへと押し流されるまで、何度も、何度も。




「・・・・・そういやよぉ、お前今日の放課後、青山に呼び出し食らってただろ?何だったんだ?」

激しい行為の余韻が引いてきた頃、形兆は腕の中のに何気ない口調で訊いた。
何が楽しいのか、形兆の髪を指にクルクルと巻き付けて遊んでいたは、一瞬、決まりの悪そうな顔をした。


「・・・うん・・・、こないだのテストの成績がね・・・、ちょっと悪くて、それで・・・・」
「来週から面談なのに、わざわざ?」
「う、ん・・・、ちょっと・・・、悪すぎた、っていうか・・・・」
「何点だったんだよ?」

その質問に、は完全に、決定的に、硬直した。
は、理系は確かに苦手だが、文系3科目は得意だから、総合すると成績は悪くない筈なのだ。それなのに、わざわざ特別に呼び出しを喰らうなんて、どれだけ酷い点数だったのだろうか。


「教えろよ。」
「でも・・・・・・・」
「いいから言え。」

少し強引に迫ると、は渋々といった様子で白状を始めた。


「・・・国語が55で、英語が47で、社会が51で、理科が41、・・・で、数学が・・・15・・・・・」
「・・・・・・・」
「そ、そんな黙り込まないでよ・・・!ストレートにバカって言ってくれた方が気が楽なのに・・・・!」

は泣き出しそうな顔になって、逃げるように背を向けた。
どうして馬鹿になど出来ようか。
がそこまで堕落したのは、自分のせいなのに。
半泣きになる程自分を恥じているを尻目に、計画が順調に進んでいる事を快く思っている位なのに。


「・・・・・・悪かった。」

形兆は、の背中を優しく抱きしめた。


「俺のせいだな。俺が毎晩毎晩呼び出したりなんかしてるから・・・・・」

形兆はとっくに気付いていた。
が日に日に堕落し、これまでの日常を失いつつある事を。
このところ、は授業中、うたた寝ばかりしている。
毎日毎日夜中に逢引きして、1時2時までセックスして、朝方5時頃に家へ帰る生活をしているのだから、当然だ。
しかも、それとなく聞き出したところによると、ここへ来るまでの間も、まだ宵の口からずっと外をうろついているらしい。
つまり、落ち着いて身体を休め、疲れを取る暇が全くないのだ。
それに対して形兆の生活は、夜中にが訪ねて来る事以外は、以前と何一つ変わっていなかった。
勿論、が来ている間は基本的に起きているし、夜通しのセックスは体力の消費も激しい。
だが、が帰った後には自分のベッドで2時間程眠っているし、が来るまでの間にも、部屋に閉じ籠って勉強している振りなどをして、仮眠を取る事も出来る。
加えて、性差と体格差からくる元々の基礎体力の違いもあり、自宅で寝る事すらも満足に出来なくなったとは、疲れの度合いが全く違っていた。


「そ・・・そんな事ないよ・・・!形兆君のせいなんかじゃない・・・!」

それなのには、焦ったように形兆の方を向き、必死で否定した。
本当に何も気付いていないのだろうか?
それとも、分かっていて敢えて考えないようにしているのだろうか?
前者ならアホだし、後者なら馬鹿だ。形兆は内心でそんな事を考えていた。


「形兆君は私の事を心配してくれてるだけじゃない・・・!
私の方こそ、形兆君に甘えて毎日毎日来ちゃって・・・。
形兆君こそテスト大丈夫だった・・・!?私のせいでちゃんと勉強出来なかったんじゃ・・・!?」

どうやらは、アホのようだった。


「・・・俺なら大丈夫だ。今回も大体、いつも通りの点数だったよ。」
「本当・・・・?」
「本当だよ。」
「何点だったの?」
「確か、国語が80、数学が85、理科が82、社会が87、で、英語が92・・だったか。」

実のところ形兆も、今回のテストはいつもに比べて勉強不足だった。
だから、成績も確かに中間テストの時より悪かったのだが、それでも教師に目をつけられる程の下がり方ではなかった。


「良かった・・・・・・!」

馬鹿を見ているのは自分一人なのに、はそんな事などまるで気付きもせず、お人好しな微笑みを形兆に向けてきた。


「それだけが心配だったの、それなら本当に良かった・・・!
それにしても凄いね・・・!さすが形兆君、ふふっ・・・!」
「・・・なぁ、・・・・」
「何?」

作戦は順調に進行中、そろそろ次の段階に進む時が来たようだ。


「もう帰んなよ。来る時に制服着て学校の鞄持って来たら、無理に明け方帰る必要も無くなるだろ?そうだ、明日からそうすりゃ良いんだよ。」

形兆はの髪を撫でながら、さも良い事を思い付いたような口ぶりでそう誘いかけた。しかしは嬉しそうに微笑んだまま、微かに首を振った。


「・・・ありがと。でも、どうせ明後日は学校休みだから・・・」
「そうか・・・、そういや明後日は第2土曜だったな・・・・・」
「だから、明日はいつも通りに・・・ね?」
「・・・そうだな・・・・」

形兆は微笑みの形にした唇を、の唇に重ねていった。
触れ合わせた唇からまたあっという間に火が点いて、二人はその夜も、時間を忘れて夢中で求め合った。
その翌日、は学校で殆ど一日中、ウトウトと居眠りしていた。














昼下がり、学校から帰ると、玄関で億泰が泣いていた。


「億泰!また親父に殴られたのか!?あのクズ・・・・!」
「ち、ちがう・・・・!」
「あ・・・・?」
「ちがうんだよぉにぃちゃあ〜・・・!と、とーさんが、とーさんがぁぁぁ・・・!」

億泰は尋常でない程怯えて泣き喚きながら、キッチンの方を指さしていた。
形兆は靴を脱ぎ飛ばし、慌ててキッチンへ駆け込んだ。


「親父ィッ!」
「うぅぅぅぅ・・・・!!」

キッチンの床に、父・万作が這い蹲っていた。


「うぅぅ・・・、DIOが・・・・、DIOが死んだんだ・・・・!」

父は頭を抱えて苦悶の呻き声を上げながら、その合間に訳の分からない事を口走っていた。
形兆は後ろにしがみついて来る億泰を背中に庇いながら、恐る恐る父に近付いて行った。


「お・・・、親、父・・・・」
「た・・・、助けてくれ・・・、形兆・・・・」

その瞬間、父は突然、跳ね起きるようにして顔を上げた。
不気味な吹き出物が無数にでき、まるで化け物のように醜く変貌した顔を。
形兆は、その顔を呆然と見つめた。


「お・・・・・、親、父・・・・・・・」
「た・・・、助けてくれ・・・・・、形兆・・・・・・」

こうしている間にもどんどん吹き出物が増殖していく顔を両手で押さえながら、父は形兆に懇願した。


「父さんを助けてくれぇ・・・・!頼むぅぅ形兆ぉぉ・・・・!」
「親・・・父・・・・・・」
「いぃぃ、嫌だぁぁ・・・、化け物になるのは嫌だぁぁ・・・!それだけは、それだけはぁぁ・・・!形兆ぉぉぉーーーーッ!」
「っ・・・・・・・!」

父は唐突に、形兆に掴み掛かってきた。


「なっ、何すんだよ!放せ、放せよっ!!」
「助けてくれッ、助けてくれぇぇッ・・・!!」
「し・・・知るかよぉぉぉっ・・・・!!」

気持ちの悪い顔で泣きながら縋り付いてくる父を、形兆は思いきり突き飛ばした。


「全部テメーが勝手にやった事じゃねーか!!俺は知らねーっ!!」
「うぅぅぅ、形兆ぉぉぉ・・・・!!」
「行くぞ億泰!!」
「で、でもとーさんが・・・!」
「んなモンほっとけ!!行くぞ!!」

形兆は億泰の手を取り、走ってキッチンを出た。
荷物だの金だのの心配をする余裕も無かった。
とにかく一刻も早く、この家を出て行かなければならなかった。


「形兆ぉぉぉ・・・・・!!億泰ぅぅぅ・・・・・!!」
「にぃちゃん・・・・・!」
「ほっとけ!いいから早く靴履け!」

キッチンから聞こえる父親の苦しげな呼び声を無視して、形兆は億泰に靴を履かせ、自分も急いで脱ぎ散らかしたスニーカーを履いた。
その時、玄関のドアがノックされた。ドアを開けると、が立っていた。


「形兆君・・・・・!」

はいつものように嬉しそうに笑って、小さく手を振った。
恋人ごっこなどしている場合ではないというのに。
こんな時に何しに来たんだと怒鳴りかけて、形兆は小さく息を呑んだ。


「・・・・いいところに来てくれたぜ、・・・・」
「え?」
「俺達、これからちょっと出掛けなきゃならねぇんだ。帰って来るまでお前、留守番しててくれねぇか?」
「うん、分かった。」

は笑ったまま、すぐに頷いた。


「行ってらっしゃい、気をつけてね。」
「あ・・・・・・」

が入って来るのと入れ替わりに、形兆と億泰は玄関の外へ出た。
何故だか勝手に、足が動いて。
キッチンからは、父の呻き声が相変わらず聞こえてきている。
DIOが死んだ、肉の芽が暴走した、そんな事を繰り返し口走っている。
その不気味な声が聞こえない筈はないのに、はまるで気にも留めず、玄関で靴を脱ぎ、家の中に入って行った。


、待てよ!」

自分が留守番しててくれと頼んでおきながら、形兆はを呼び止めた。
だがは、形兆の声すらも聞こえていないかのように、廊下を歩いて行った。
父のいる、キッチンの方へと。


・・・・・・・・!」

ああ、何という事をしてしまったのだろう。
を、犠牲にしてしまった。


「待て!!行くな、!!行くなってばよぉっ!!」

今更気付いて取り戻そうとしても、もう遅かった。
形兆がどれだけ大声で呼びかけても、は振り返りもしなかった。


「行くな!!行ったらお前殺されるぞ!!化け物に食い殺されるぞーーッッ!!!」

を連れ戻しに行きたいのに、億泰が腕を掴んで揺さぶってくるせいで動けない。


「アニキィ、早く行こうよぉ〜!オレかき氷食いてぇよ〜!」
「何言ってやがんだテメーッ!を放って行けるかよッ!」
「早くしないとトラック行っちゃうよぉ!アニキィ、アニキってばぁ〜!」
「うるせぇこのヤローッ!!何がかき氷だ!!放せこのダボがぁっ!!」
「アニキィッ!」
「こ、のっ・・・・・!!」

億泰はまだ4歳のくせに、やけに力が強かった。
形兆が力任せに腕を振り解こうとしても、億泰の手は離れなかった。
そうこうしている間にも、がキッチンに入って行く。


っ・・・・、っ!!ーーーーっっ!!」
「・・・・ニキ・・・、アニキ・・・・」
「・・・っ・・・!」
「アニキ!」

パッと、世界が変わった。


「・・・・・億・・・・泰・・・・・?」
「大丈夫かよぉアニキぃ〜?すげぇうなされてたぜぇ〜?」

顔を覗き込んでくる億泰は、どう見ても4歳ではなかった。
周りの景色も今の自分の部屋で、東京の家ではなかった。


「・・・・・夢・・・・か・・・・・」
「えー!?どんな夢どんな夢!?」

怖いもの聞きたさにワクワクしている億泰の顔を見ていると、理不尽とは分かっていながらも腹が立ち、形兆は億泰の頭を平手でバシッと叩いた。


「いって!な、何で!?」
「我儘ばっか言いやがってこのダボが・・・・」
「へ!?な、何で!?オレわがままなんて何も言ってねーよ!?
アニキがいつまで経っても起きて来ねぇから、起こしに来ただけじゃねーかよー!」
「あぁ・・・・・?今何時だ・・・・・?」

形兆は髪を掻き上げながら、身体を起こした。
時計を見てみると、10時をとうに回っていた。


「・・・・もうこんな時間か・・・・」
「珍しいなー、アニキが寝坊なんてよぉ。」

この1週間の疲れがドッと出たのだろう。
だが、こんなに寝過ごしていても、身体はむしろ昨夜寝る前よりも疲れていた。
きっとさっきの悪夢のせいに違いなかった。


「朝メシ作っといたぜぇ。食うだろ?」

億泰のその言葉が、最悪な気分を少しだけ和らげてくれた。
確かにお荷物には違いない奴だが、こいつはこいつなりに考えているところもある、そう思うと、少しだけ、ほんの少しだけだが、救われる思いだった。


「オメーはいつ食った?」
「オレはえーと・・・、8時半ぐらいかな?」
「じゃあいい。そのまま置いとけ。昼飯に食う。」

こんな時間から一人だけ朝食なんて、以降の食事サイクルが全部狂う。
それなら、一食抜いても出来るだけ早い内にリズムを取り戻す方が良かった。


「億泰オメー、宿題は済ませたのか?」

邪魔な億泰を追い払ってベッドから出ながら尋ねると、億泰は挙動不審な感じに目を泳がせた。これが答えという事だ。


「テメー億泰ぅ・・・・」
「べ、別に良いじゃねーかよー!明日の夜までに済ましときゃ良いんだろぉ!?
何も今すぐやらなくたって良いじゃねーか、どうせ今日も明日もやる事ねーんだしよぉ・・・・・」

億泰はそう言って、口を尖らせた。
もうの家には遊びに行けなくなった、先日そう告げた時の億泰の落胆ぶりは、相当なものだった。
毎晩、兄だけがと会っている、それも家の中に引き入れての事だと知ったら億泰はどんな反応をするだろうかと、形兆はチラリと考えた。


「・・・・・億泰オメー、そんな事を言って良いのかぁ?」
「うぐ・・・・・!」

口答えするんじゃねぇと殴られるんじゃないかとでも思っているのだろう、億泰は途端に怯んだ顔になった。


「今日の夜、がうちに遊びに来るっつってもか?」
「・・・・・・・・・・え?」

億泰の表情が、また一変した。


「い・・・・今、何て・・・・?」
「今夜、が遊びに来ると言ったんだ。」
「アニキそれ・・・・、マジで・・・・?」
「マジだ。しかも泊まりでな。」
「え・・・・えええーーーーーーっっっ!?!?!?」

甲高い絶叫に、耳がキーンとした。


「あ、アニキ、それマジで!?マジのマジで!?」
「ああそうだよ。ったく、女みてーにキンキンうるせー声しやがって。」

形兆は顰め面で耳の穴を穿った。


「来訪予定時刻は夕方6時。それまでに洗濯、掃除、買い物、晩飯の支度を済ませておかなけりゃならねぇ。
予定的に、午後程忙しくなる。つまり、宿題は午前中に済ませなきゃならねぇ。分かるな?」

本日これからの行動予定を告知し、とどめにギロリと睨むと、億泰は輝くような顔で何度もコクコクと頷いた。


「分かったぜアニキぃ!オレ今からソッコーで宿題終わらせてくるっ!!」

億泰はたった数歩の距離を走って行きかけてから、ふと立ち止まって形兆を振り返った。


「・・・アニキぃ、あんがとな。」
「あぁ?何がだ?」
「いやぁ、何がっつーか、とにかくさ。オレ嬉しいんだよ。アニキがさ、楽しい事してくれんのが。」

家に人を泊めて遊ぶなんて、確かにこれが初めてだ。億泰が浮かれてしまうのも無理のない事だった。
だが、これはそういう事ではない。
思い違いをされないよう、形兆は険しい顔をして億泰を睨んだ。


「言っとくが、アイツは特別だぞ。勘違いしてオメーの学校の奴等なんか連れ込みやがったら承知しねーからな。」
「分かってるよ!ネーちゃんは『トクベツ』だもんな。シシシッ!」
「・・・・何だその『シシシッ』って笑いは。」
「べ〜つにぃ〜。そーいやアニキ、さっきうなされて何度もネーちゃんの名前呼んでたけど、アニキっていつからネーちゃんの事、下の名前で呼び捨てするようになったっけ?」
「っ・・・!てんめぇっ・・・!」
「あぁーウソウソ!!ごめんなさぁーいっ!」

投げつけた枕は、間一髪閉められたドアに当たって床に転がった。


「・・・ったくあのバカ・・・!こんな事にだけ余計な知恵回しやがって・・・!」

形兆はブツブツ言いながら枕を拾い、ベッドの上の所定の位置にキチンと置いた。


「・・・・・特別・・・か・・・・・」

確かに、その通りだ。
の代わりは、おいそれとは見つからない。
家庭環境が悪そうだったり、グレて非行に走っている女なら他に幾らでもいるが、はそういう連中の誰とも違っている。
友達もなく、他に逃げ場もなく、何があっても黙ってじっと耐える、一口に言うと損な性格の持ち主。
だからこそ、こんな計画を立てたのだ。


― ああそうだよ、だからこそ・・・・


形兆は、さっきの悪夢を思い出していた。
目覚めた瞬間、夢で良かったと心の底から安堵した。
だが、夢ぐらいであんなに取り乱しているようでは話にならない。


「・・・しっかりしろ、ビビってんじゃねーぞ・・・・」

形兆は己を叱責した。
夢ぐらいで怖がるな、お前はあれを正夢にしようとしている癖に、と。















夕方になって、約束通りにやって来たを、形兆と億泰は手厚く歓待した。
億泰の喜び様は、かなりのものだった。
あのズボラな散らかし魔が、の為にせっせと布団を干し、率先して家中の掃除をしたのだから大したものだった。
その浮かれた様子を見ている限り、やはりに惚れている気がしなくもなかったが、しかし億泰は、自分がどうこうしたいというよりも、が兄のガールフレンドである事が嬉しいようだった。
所詮はまだ小学生、恋心はあっても、それはまだまだ純粋かつ何の現実味もない漠然としたもので、嫉妬や独占欲が芽生えるような生々しいものではないのだろう。
また、形兆との関係についても、『トクベツ』である事は分かっていても具体的にはピンときていないようで、気を利かせて自分の部屋に篭るなどという事はなく、終始二人の間に挟まって、一番陽気に騒いでいた。
それを止めず、敢えて騒ぎたい放題に騒がせていたのは、父の存在をに気付かせない為だった。


「んごふぅ〜・・・・、フシュゥゥゥ〜・・・・」

騒ぐだけ騒いだその挙句、億泰が力尽きたのは、真夜中過ぎだった。


「・・・コイツ寝かせてくる。」
「うん。」

億泰の尽力(?)により、は見事に上階の父の存在に気付かなかった。
お前の底抜けのバカも偶には役に立つ事があるもんだと内心で誉めてやりながら、形兆はこたつから億泰を引き摺り出し、肩に担いで部屋へと運んだ。
億泰をベッドに寝かせてから父の部屋を覗くと、階下のバカ騒ぎで眠れなかったのか、父は目を開けて、虚ろな視線を宙に彷徨わせていた。


「・・・ちゃんと大人しく出来たな。」

大きな音を立てないように予め父の側に倒しておいた木箱はそのままで、漁った気配はなかった。
部屋に長時間閉じ込める時に使わせている簡易トイレも、まだ綺麗なままだった。


「このまま引き続き大人しくしてろよ。朝になったら飯を持って来てやるからな。」

通じているのかどうかは分からないが、形兆は父にそう告げた。
優しさからではない、それまでの間に手間掛けさせやがったら承知しねぇぞという、脅しのつもりだった。


「・・・・ブギィ・・・・」

今夜の父は、何だか様子がおかしかった。
といっても、不穏な感じではなくむしろその逆、何だか落ち着いているような、安らいでいるような、喩えて言うなら、母親の腕に抱かれて寝そうになっている幼子のような、そんな感じだった。


「・・・・もう少し待ってろよ、親父。もう少ししたら、『いいモノ』やるからよ・・・・・」

形兆はそう呟くと、父の部屋を出た。
2階に戻ると、が散らかっていたこたつの上を片付けていた。


「おう、悪いな。」
「ううん。億泰君は?」
「もう朝まで起きやしねーよ。」

形兆は口の端を吊り上げると、をやんわりと、だが、決して逃がさないように、腕の中に抱き竦めた。


「あ・・・」
「・・・・・下行こうぜ」




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後書き

頭が良くて、残酷で、情の深い人。
そんな形兆アニキを書こうと思いつつ書いているのですが、そうなっているのかどうか・・・・・。
ひとつ自信を持って言えるのは、こんな中坊いねーよ、と(笑)。