愛願人形 2




2学期に入って1週間位たったある日、は学校の帰りに、数日ぶりにスーパーへ買い物に行った。
夏休みの間は避暑目的で毎日のように通っていたが、学校が始まるとそうはいかない。今日もまた、向こう2〜3日分の食材を買い溜める予定だった。
その途中に、あの時の公園を通ろうと思ったのは偶々の思い付きだったが、それは多分、必然だったのだろう。
この時には既に、もう運命は決まっていたのかも知れない。
この時にはもう既に、二人は出遭っていたのだから。


「ネーちゃんっ!おーいネーちゃーんっっ!!」

聞き覚えのある元気な声に、は後ろを振り返った。


「あ・・・・、君・・・・・・・!」

それは、夏休みの終わりにここで助けた迷子の男の子だった。


「やっぱあの時のネーちゃんだ!やぁっと会えたぜぇーっ!!」

男の子は背中の黒いランドセルをガシャガシャ言わせながら、あっという間にの元へ駆け寄ってきた。


「私の事、覚えてたの?」
「あったり前じゃねーかよーっ!覚えてたどころか、オレ、学校の帰りに毎日ここでネーちゃんが来るのを待ってたんだぜぇ!またそのうち会えるんじゃねぇかって思ってよぉ!」
「えっ?」
「だってあの時、ちゃんとお礼言えなかったからさぁ!」

そう言ってニカッと笑った男の子の顔は、美形だと評判の兄・虹村形兆とは全く似ていなかった。
けれど、ほのぼのとした温かみがあって、人好きのする笑顔だった。


「あん時はありがとな!へへへっ!」
「ふふっ・・・・・、どういたしまして。」

そのあっけらかんとした笑顔に、も思わず釣られた。
普段、はあまり笑う事がなかったが、この男の子の笑顔には引き込まれるというか、何となく、そんな力があるようだった。


「オレ、虹村億泰ってんだ!ネーちゃんは?」
「私?私は。」
「へー、ネーちゃんかぁ!それ学校の制服だろ?中学?高校?」

億泰は、のセーラー服を指さして尋ねた。


「中学だよ。」
「えっ、何年!?」
「2年。」
「マジで!?」

中学2年と聞いた瞬間、億泰の笑顔が一層輝いた。


「オレのアニキとタメじゃーん!!ほら、覚えてねぇ!?オレのアニキ・・」
「あ、うん、知ってる・・・・・。同じクラスだから・・・・・」
「マジで!?!?」

最高潮の輝きを放つ億泰の笑顔に対して、の笑顔はぎこちなく引き攣っていた。
確かに同じクラスで席も隣だが、虹村形兆とはあれ以来、口も利いていない。
彼は誰も寄せ付けず、誰とも口を利かないのだ。
最初は皆、興味津々で喋りかけていたが、彼の方がそんな態度なので、今ではもうすっかり孤立していた。
尤もそれはも同じで、人の事を言えた立場ではないのだが。


「なぁなぁ!何かして遊ぼーぜ!」
「え・・・・・?」
「鬼ごっこが良い!?それともかくれんぼかなぁ!」
「あ、あの・・・・・!」

すっかりその気になっている億泰を、は慌てて制した。


「ご、ごめん・・・・。悪いんだけど、遊べないんだ。」
「えぇっ!?何でぇ!?」
「これから買い物に行かなきゃいけないの。だから・・・」
「買い物って、どこ行くんだ?」
「駅前のスーパー。」

億泰は一瞬ポカンとしてから、またニカッと笑った。


「じゃあオレ、手伝ってやるよ!」
「え・・・、えぇっ!?そ、そんな、いいよ・・・・・!」
「買い物なら荷物持ちがいるだろ!オレ、チビだけどけっこう力あるんだぜ!任せとけって!」
「でもそんな・・・」
「こないだのお礼って事でよ!な!」
「ああっ、ちょっ・・・・!」

億泰はの手を取り、問答無用に駆け出した。
本人の言う通り、億泰は小柄な割に力が強かった。
身長157cmのより頭ひとつ分小さいのに、やっぱり男の子は小さい内からでも力が強いものなのだろうか。思わずそんな事を考えてしまっている間にも、億泰はお構いなしにを引っ張って行ってしまう。
我に返ったは、走らされながらも慌てて億泰を呼び止めた。


「ま、待って!待って億泰君!」
「何だよぉっ!早くしねーとスーパー閉まっちゃうじゃねーか!」
「ま、まだ閉まらないから大丈夫・・・っていうか、ホントちょっと待って・・・・!」
「何なんだよぉっ!」
「逆!スーパーあっち!」
「・・・・・・・・・・・・・・ほへ?」


















結局は、億泰を連れてスーパーへ行った。
初めの内は、何かねだられるかも知れないと密かに警戒していたが、意外にも億泰は行儀が良かった。億泰はガムひとつねだる事もなく、嬉々としての後をついて回り、荷物の大半を持ってくれた。
そうなると、ほだされてしまうのが人間の心理なのだろうか。
人に奢る金など1円たりとも持っていないのだが、気が付くとは億泰を連れて駄菓子屋に入り、安い駄菓子を幾つか買って、二人で帰り道を歩きながら食べていた。


「何か悪かったなぁ〜。お礼のつもりだったのに、またお菓子貰っちゃってよぉ。」
「良いの。私もお腹空いてたから。そういえばさ、億泰君って何年生?」
「5年だよ。」
「5年!?3年位かと思った!」
「えぇぇっ!?オレそんなガキじゃねーよ!」

正直なところ、楽しかった。
学校の同級生達とは違い、億泰はを見下さなかった。
悪意の無い、純粋でまっすぐな億泰の笑顔は、を安心させてくれた。
この子の前では構えなくて良い、そう思うと、知らず知らず言葉が口をついて出て、次々と笑いが零れた。


「にしても、いっぱい買ったなぁ!ネーちゃんちって家族多いのか?」

は一瞬、言葉に詰まった。
しかし、変に隠し立てする方が余計に要らぬ好奇心を起こさせて根掘り葉掘り訊かれかねないし、大体、こんな学校も違う年下の子なら、下らない陰口を言い触らされる心配もない。
この子の口からあの『アニキ』の耳に入る可能性はあるが、彼も、とはまた別の立場ではあるが、孤立している。
だから、彼がクラスの連中に面白可笑しく触れ回る事はないだろう。は瞬時にそう判断すると、ごくさり気ない感じで答えた。


「ううん。お母さんと二人だよ。これは何日分かの食料を買い溜めただけ。」
「へー、そうなんだぁ。」
「億泰君ちは?」
「うちはアニキとオヤジの三人・・」

すぐさまそう答えてから、億泰は何故かハッとしたように黙った。
それは何だか、妙に不自然だった。


「・・三人だよ。」
「へー・・・・・・、そうなんだ・・・・・・」

それを突っ込むのは、卑怯だった。
自分はそうされると困るのに、人にはそれをするなんて、全くフェアではない。
黙っていると、億泰はまた口を開いた。


「母ちゃんは、オレが3つの時に病気で死んじゃったんだ。だからオレ、母ちゃんの顔もあんまし覚えてないんだ。」
「・・・そう・・・・・・」
「ネーちゃんは、母ちゃんが生きてて良いな。」

億泰の口調に、悲壮感はなかった。
彼は実にあっけらかんと笑い、の父親の事は訊いてこなかった。


「ネーちゃん、兄弟はいねーのか?」
「う・・、うん・・・・・。」

父親の事を聞かれると内心で身構えていたは、拍子抜けすると同時に安堵した。


「私、一人っ子だから。」
「そっかー。そりゃあ寂しいだろうなぁ。」
「そうだねぇ。もし億泰君みたいな弟がいたら、毎日賑やかで楽しいだろうね。ふふっ。」
「おう、楽しいぜぇ!何ならオレ、ネーちゃんの弟になってやろうか?へへっ!」

億泰が自分の弟になるという事は、自分があの虹村形兆と・・・・・
脳裏にふとそんな事が過ぎって、は内心で激しく狼狽した。
そんなつもりは断じてない、この子がいきなり変な事を言うからだと自分に対して言い訳しながら、は取り繕うようにして笑った。


「あ、あはは、ありがと。でも億泰君にはお兄ちゃんがいるじゃない。
もし私の弟になってうちに来るとなったら、寂しいんじゃない?」
「あーそっかぁ!じゃあダメだ!オレはもしアニキがいなかったら・・・なんて、考えられねーもん!」
「ふふっ・・・、億泰君って、お兄ちゃん大好きなんだね。」
「おうっ!オレのアニキは最高のアニキだからなーっ!」

の知る虹村形兆は、冷たい顔をした少年だった。
容姿も頭脳も運動神経も良いが、誰も側に近寄らせず、何を考えているのか分からない。
そんな彼も、弟の前では良い兄だという事なのだろう。
そう言えば、初めて会った時の、弟を叱り飛ばして拳骨を落としていた彼の表情には人間味があった。『おっかないアニキ』という味が。
あの時の事を思い出して、は小さく笑った。


「良いね。良いお兄ちゃんがいて。」
「へへ〜っ♪」

兄の事を誉められた億泰は、心の底から嬉しそうに、満面の笑顔になった。


「あ、億泰君。私の家あっちの方なんだけど、億泰君の家はどっち?」
「あ、オレんち向こう!もうちゃーんと道覚えたぜぇ!」
「そっか、良かった。じゃあ方向が違うから、もうここで。荷物持ってくれてありがと。」

は億泰に礼を言い、買い物袋を引き取った。


「何で?家まで運んでやるぜ?」
「ううん、いいの。ここまで持ってくれただけでも助かった。
もうすぐ5時になるし、早く帰らないと、お兄ちゃん心配するよ?」
「そっか?・・・・じゃあ、ここで・・・・・」

億泰は渋々引き下がると、自分の手に残っていた駄菓子の袋に気付き、素っ頓狂な大声を上げた。


「あっ!おい大変だぜネーちゃん!お菓子の事忘れてた!これ分けなきゃ!」

5円10円の駄菓子が1つ2つ残っているだけなのに、億泰は真剣だった。
その様子が可愛くて、は小さく吹き出した。


「ふふっ・・・・、いいよ。全部あげる。」
「えっ、良いのか!?」
「うん。」

は微笑んで頷き、家の方向へ身体を向けた。


「今日はありがとね。じゃあ。」

バイバイと小さく手を振り、は歩き出そうとした。
その背中に、億泰の甲高い声が飛んできた。


「なあ!また明日会おうぜ!」
「え?」
「買い物あるならまた荷物持ちしてやるし、もし出来たら、今度こそ公園で遊ぼうぜ!」

また億泰と会いたい気持ちは、無くはなかった。
だが夕方は、にとって最も忙しい時間帯だった。
学校から帰る頃は、丁度母親が出勤支度を始める時間帯なのだ。
もし寝ていたら起こすところから始まり、母親が風呂屋へ行っている間に、夕飯と店で出すつまみ類を作らなければならない。洗濯も、掃除だってある。
だから、放課後に寄り道して遊ぶような時間は、には無かった。
むしろ夜からの方が時間は空くのだが、そんな時間から外へ遊びに行く事など出来ない。


「・・・・・う・・・・ん・・・・・」
「なぁ!?良いだろ!?一緒に遊ぼうぜぇーっ!」

悩んでいると、億泰はまるで幼子が駄々をこねるように必死で食い下がってきた。
必死に、そして真剣に。


「なぁーってばよぉー!」

・・・・・百歩譲って、起こすのはしなくても良い。
母は長年その生活習慣でやってきているから、もし寝ていたとしても、夕方4時を過ぎれば大抵は自分で起きてくる。それからコーヒーを1杯飲んで近くの銭湯へ行き、帰って来るのは大体5時半近くだ。
それから夕飯を軽く食べて身支度をし、駅前の飲み屋街にあるスナックへ出勤して行くのが午後6時過ぎ。5時までに家へ帰れば、何とかならない事もない。


「・・・・・うん・・・・、いい、よ・・・・・」

どうにか時間の算段をつけたは、億泰の誘いに乗った。
誰かと遊ぶという事が随分久しぶりだからだろうか、自分でも不思議な位、この誘いに乗りたかったのだ。


「ホントかーっ!やったーっ!」
「でも、5時までに帰らなきゃいけないから、ちょっとしか遊べないけど・・・・それでも良い?」
「そっかー、ネーちゃんちは門限5時なんだなぁ。オレはアニキに6時だって言われてんだけど、まあ良いや!ちょっとしか遊べないんなら、毎日遊びゃあ良い事だもんなぁ!へへへっ!」
「え・・・えぇ・・・・!?」
「へへへへっ!じゃあまた明日、学校終わったらさっきの公園で!バイバーイッ!」

億泰は自分のペースで話を纏めると、弾丸のように走り出した。
かと思うと、ふと立ち止まり、の方を振り返った。


「あ、お菓子ありがとなーっ!!」

ブンブンと大きく手を振り、黒いランドセルをガシャガシャ言わせながら今度こそ走り去っていく億泰の背中を見送って、はまた小さく笑った。

















「よぉ、転校生。」
「ちょっと待てよ。」

たった1週間の内、これで2度目だ。
形兆はうんざりと溜息を吐き、後ろを振り返った。


「・・・何だお前ら。」
「何だじゃねんだよ。」
「いいからちょっと来いや。」

そこに並んでいた連中の大半は知らない奴だったが、中に何人か、知った顔が混じっていた。ついこの間、こんな風に絡んできて叩きのめしてやった、同じ2年の奴等だった。


「こないだはよくもやってくれたな。今日はタダじゃおかねーから覚悟しとけよ。今日は兄貴が来てるからなぁ。」
「兄貴?」
「おれの兄貴は3年シメてんだぜ。」

そいつはこの間の傷痕の残っている顔を歪ませて笑い、真ん中で偉そうな顔をしている奴の横に寄り添った。形兆はそれを暫し眺めてから、鼻で笑い飛ばした。


「おいコラ。何がおかしいんだテメェ。」
「弟ってのはどうしてこう、どいつもこいつも兄貴がいねぇと何にも出来ねぇのかと思ってよぉ。」
「んだとテメェ・・」
「おい。」

いきり立つ弟を、兄の方が肩を押さえて止めた。


「よぉ転校生。なかなか気が合うじゃねーか。全く、弟って奴は何かと世話が焼けるよな。さてはテメーも弟持ちか?」
「フン」
「けどよぉ、兄貴としちゃあ、弟ナメられっぱなしでいる訳にはいかねーだろ。えぇ?転校生よぉ。」
「・・・・・・」
「前の学校じゃあどうだったか知らねぇが、うちで俺に断りもなくそんなチョーシくれたナリしてんじゃねーよ。」

心底、下らないと思った。羨ましいと思った。
こんな次元の低い喧嘩に明け暮れる事の出来る、暇で平和な人生を歩んでいるこいつ等が。


「・・・・この1週間で気付いたんだけどよぉ」
「あ?何がだよ?」
「かなりレベル低いな、この学校。」

形兆は冷ややかな笑みを浮かべて、そう言い放った。
勿論、わざとだった。


「どうせツラ貸せっつーんだろ?お望み通り貸してやるからさっさとしろよ。こっちは忙しいんでな。」
「テメェ・・・・、ぶっ殺してやんよ・・・・・・」

こんな下らないチンピラごっこに付き合って遊んでいる暇など、自分にはない。
いつまでもこうして絡み続けてこられるのも、迷惑極まりない。
だからこれで、この1回で、きっちり叩き込んでやるつもりだった。
虹村形兆には近付くな、という『規則』を。












帰り道を歩いていると、向こうの通りを億泰が歩いているのが見えた。


「おう、億泰!」
「はっ・・・、アニキ!」

声を掛けると、億泰はすぐに気付き、ランドセルをガシャガシャ言わせながら形兆の方へと走り寄って来た。


「おかえりアニキっ!」
「億泰オメー、どっから帰って来た?」

億泰が来た道は、小学校の通学路ではなかった。


「それにそのビニール袋。何入ってんだ?」
「え、あっ・・・・!」

億泰の腕にぶら下がっていたそれを問答無用に取り上げて中を見てみると、小さな駄菓子が2つ程入っていた。


「テメー億泰ぅ、買い食いなんてしやがって・・・・・・・」
「ちっ、違うんだよぉアニキぃ・・・・!」
「つーかテメー金もねぇのに、どうやって買った!?学校の奴にたかったりなんかしたんじゃねーだろうなぁ!?それともまさか、万引きか!?」
「ちっ、違ぇよぉーっ!!そんな事してねぇって!」
「じゃあどうしたんだこれはよぉ!」

形兆が睨み下ろすと、億泰はビクビクと上目遣いに形兆を見上げた。


「え、と・・・・、ひ・・・、拾ったんだよ・・・・、お金・・・・・」
「あぁ?」
「道端で・・・・、小銭拾ったから・・・・・・」

形兆は、億泰を睨み下ろす目に圧力を込めた。


「・・・そいつは本当か?」
「ほ、本当だよぉ・・・・・・!」

形兆が溜息を吐くと、それで許されたとばかりに、億泰は緊張を解いた。
そして、ビニール袋をガサゴソと鳴らし、取り出した菓子を1つ、形兆に差し出してきた。


「ほい、アニキ!」
「あぁ?」
「1個アニキにあげる!」

要らねぇよと言いかけたが、億泰の笑顔が余りにも明るいので何となく断りきれず、形兆は渋々それを受け取った。


「何だこれ?」
「ゼリーだよ!うめぇよ!」

形兆は、細長いチューブに詰まっているやけに綺麗な水色をしたゼリーを顰め面で眺めてから、封を切り、中身を吸った。


「っ・・・・!」

その瞬間、口の端がズキンと痛んだ。
ついさっき、路地裏で乱闘した時に殴られた痕が、忘れてんじゃねぇぞとばかりに。


「どしたの、アニキ?」
「・・・・・いや・・・・・」

今回は初めの時より人数が多くて、流石に苦戦したのだ。
億泰を不安がらせてしまうから、目立つ所は殴られないように極力庇ったのだが、それでも1〜2発は顔に貰ってしまった。


「・・・何でもねぇ」

尤も、向こうの連中は全員、こんなものでは済んでいない。
今もまだ全員、あの路地裏で『寝て』いる筈だ。
最後は無様に命乞いをしていた位だから、『規則』はちゃんと理解出来ただろう。
これでもう下らない事で手を煩わされずに済むと思うと、実に清々した気分だった。


「・・・本当かよぉ?」

だが、億泰の心配そうなジト目が、その気分に少しだけ『罪悪感』という水を差した。
虹村家の兄弟関係は絶対的に兄が優位であり、何かにつけて形兆が億泰を庇護する立場にあったが、億泰は億泰なりに、いつも兄の事を気にかけて案じている。
それは形兆自身分かっていた。それに甘えたり、口に出して感謝したり詫びたりする事はしないが。
大体、今日は億泰も何かを隠していた。
道端で小銭を拾ったなんて言っているが、どうも怪しい。
しかし、何か証拠がある訳でもないから、今日のところはおあいこという事で誤魔化しておくのが得策だった。


「本当だっつってんだろうが。しつけーぞ。」
「いてっ!」
「つーか不味ぃんだよコレ。どうせならもうちょっとマシなもん買え。」
「いてっ、いてぇよアニキぃ・・・」

形兆は億泰の尻を膝で蹴飛ばしながら、家路に就いたのだった。














Y市に越して来て、早いものでそろそろ1ヶ月が経つ。
学校で絡んでくる奴は誰もいなくなり、土地勘も少しついてきて、最近ようやく暮らし向きが落ち着いてきたというところだった。
そんなある日の放課後、形兆は学校の帰りに、駅前のスーパーへ向かった。
その途中、市役所の近くにある公園の側を通り掛かった時、形兆はふと、ここへ越してきたばかりの時の、あの晩夏の昼下がりの出会いを思い出した。


― そういや、ここでアイツと会ったんだっけな。


他のクラスメイト同様、某というあの少女にも、形兆は興味が無かった。
ただあの少女は、他の連中とは一線を画していた。いや、画されていたと言おうか。
早い話が、いじめられっ子なのだ。
あの少女はいつも暗い顔をして、一人ぼっちでポツンとしている。
一人だけ配布物を配って貰えなかったり、持ち物を窓から投げ落とされても、黙って自分で取りに行く。聞えよがしに陰口を叩かれても、不名誉な渾名で呼ばれても、何も言い返さない。
多勢に無勢の下劣で低レベルな虐めは見ていて不愉快だったが、しかし、あの少女への同情心などは無かった。
自分の事は自分で何とかするしかない。今の状況が嫌ならば、それはあの少女自身が何とかせねばならない事なのだ。
頭の中のチャンネルを、あの少女の事から今日の夕飯の献立へと切り替えて足を進めようとしたその時、よくよく聞き覚えのある甲高い声が、公園の中から聞こえてきた。


「おらぁぁぁーっ!ターーーッチ!!」

それは愚弟・億泰の声だった。
鬼ごっこ中らしく、億泰はバカみたいな大声を張り上げながら、アホみたいに全力疾走して、誰かを捕まえていた。


「あぁぁっ!また捕まっちゃった・・・・・!億泰君、足速すぎ・・・・・・!」

そして、その誰かは。


「あの女・・・・・・・・・!」

例の、某だった。


― 何でアイツが億泰と・・・・!?


驚きの余り、形兆はその場に立ち尽くし、二人の様子を見つめた。
今度はが鬼になり、億泰を追いかけ始めた。どうも他にメンバーはいないようだった。


「馬鹿じゃねえか、アイツら・・・・」

たったの二人で何がそんなに楽しいのか知らないが、億泰もも楽しそうにはしゃいでいた。
特に、まるで別人のようなの表情に、驚きを禁じ得なかった。
制服のスカートの裾を翻して走り、笑っている彼女は、形兆の知っている彼女ではなかった。物悲しそうな瞳を伏せているあの寂しい横顔からは想像もつかない位、軽やかで、明るくて、屈託がなかった。


「あっ・・・・・」

見ていると、億泰が勢い余って躓き、派手に転んだ。
馬鹿が、調子に乗るからだと、形兆は小さく呟いた。
億泰はいつでもああなのだ。心配は要らない。
だというのに、は心配そうな顔をして億泰に駆け寄り、大袈裟に助け起こした。
億泰の方も、情けない半ベソ顔なんか浮かべて、おめおめと助けられているではないか。


「チッ・・・・、んのダボがぁ・・・・・・!」

情けなく人に甘えるような育て方はしてきた覚えがない。
自分の始末は自分でつける、常々そう叩き込んできたつもりだった。
それなのに、今、目の前にいる億泰は、女の肩を借りてヒョコヒョコ歩き、擦り剥いた膝の傷を女に洗って貰い、拭いて貰い、絆創膏まで貼って貰っている。
何というだらしなさ、何という不甲斐なさ。到底許せなかった。


― あらら・・・・!大丈夫、形ちゃん!?


形兆の頭の中に、ふと優しい声が聞こえた。


― ちょっと血が出ちゃったわねぇ、でも大丈夫よ。お母さんが手当てしたらすぐに治るからね。


膝に、肘に、唐突に走る激痛。
必死に堪えているつもりなのに、どうしても止められずに滲んでくる涙。
傷に消毒液が滲みる時の、あの恐怖と痛み。
だけどそれはほんの束の間で、絆創膏がペタンと貼られた瞬間、不思議と消えて無くなった。


― はい、もう大丈夫。


優しい手。
優しい微笑み。
抱きしめて、包み込んでくれる温もり。


「・・・・母さん・・・・」


億泰を手当てする少女の姿は、あの頃の母親に似ていた。
優しい微笑みを湛えたその横顔に、形兆はいつの間にか、亡き母・虹村リサの面影を重ねて見ていた。


「っ・・・・・・・!」

胸の奥がジンと熱くなった瞬間、形兆は我に返った。
そして、血迷ってんじゃねぇぞと己を叱った。
死んだ母は、あんなガキっぽい女なんかとは似ても似つかない美人だった。
何も似てなんかいない。何も。
形兆は苛立ちに任せて、二人の元へズンズンと大股で歩み寄っていった。


「テメェ億泰、何やってんだこのダボがぁッ!」
「あっ、アニキぃっ!」
「あ・・・・・・!」

いきなり現れた形兆に二人共驚いていたが、すぐにしどろもどろで言い訳を始めた。


「あ、遊んでて転んじまったんだよぉ・・・・。だから、ネーちゃんが手当てしてくれたんだ。」
「あ、あの、鬼ごっこ中に転んじゃって・・・・・。膝擦り剥いて、結構、血が出てたから・・・・・」

億泰は、これで案外タフな奴なのだ。
兄の前ではいつまでも頼りないガキだが、同級生の中では負け知らずで、転んだ位でベソベソするようなタマではない。潜ってきている修羅場が、歩んできている人生が、ぬくぬく育ったそこらのガキとは違うのだ。
それなのに、こんな知り合って間もない女に一瞬で骨抜きにされて、甘ったれた惰弱なガキになってしまった。
その事実に、形兆は苛立ちと同時に、何故か恐れをも感じていた。
自分も一瞬、この女を前に、同じような気持ちになってしまったからだろうか。


「・・・甘ったれてんじゃねぇぞ億泰ぅぅッ!!」

形兆は怒声を張り上げて、激しく叱責した。
億泰にも、自分自身に対しても。
そして、ざわめく感情に任せて、億泰の膝の絆創膏をひと思いに引っ剥がした。


「ぎゃぴぃッ!!いってぇーーッ!!何すんだよぉアニキぃっ!!」
「に、虹村君、何もそんな事・・・・!」
「うるせぇっ!!帰るぞ億泰ぅッ!さっさと立てこのダボがぁッ!!」

背中に1発蹴りを入れると、億泰は半ベソ顔で渋々立ち上がった。
そう、そうでなければいけないのだ。
そうでなければ、自分達兄弟は、この先を生きてはいけないのだから。


「おい。弟にもう二度と構うんじゃねぇぞ。友達が欲しいんなら他所を当たれ。」

形兆は、強張った表情で立ち尽くしているに、厳しく、はっきりとそう告げた。そして、手近にあったゴミ箱に絆創膏を投げ捨てると、億泰を引き摺るようにしてその場を去った。



「待って・・・、待ってくれよぉアニキぃ・・・・!歩くの速すぎだぜぇ・・・・!」
「うるせぇ。テメェが遅すぎるんだ。さっさと歩けこのグズが。」

公園を出て暫くの内は、ピーピー騒ぎながら後ろをついて来ていた億泰だったが、不意にその気配がなくなった。
不審に思って振り返ると、億泰は立ち止まったまま俯いていた。


「・・・・何やってんだ。さっさと来い。」

形兆はうんざりしながら声を掛けた。
しかし、億泰は顔も上げなければ、ついて来もしなかった。


「チッ・・・・、いい加減にしろよ億泰ぅ・・・・・!」

もう1発殴ってやろうと詰め寄って行くと、億泰は蚊の鳴くような声で呟いた。


「・・・・でぇよ・・・・・・」
「あん?何だと?」
「酷ぇよアニキ・・・・。せっかく、ネーちゃんが手当てしてくれたのに・・・・」

億泰の肩が、微かに震えていた。


「せっかく・・・・・、ネーちゃんと友達になれたのに・・・・・」

億泰の足元に、ポツ、ポツ、と透明な雫が落ちた。


「・・・・男が何泣いてやがる」
「・・・・グスッ・・・・・」
「何が『ネーちゃん』だ、下らねぇ。甘ったれてんじゃねーぞ。」

億泰は拳でゴシゴシと目の辺りを拭うと、顔を上げた。
ようやく上がったその顔は、意外にも、強い意思に引き締まっていた。


「下らなくなんてねーよ!」

億泰は、怒っていた。
形兆に対して、珍しく、本気で怒っていた。


「あのネーちゃん良い人だよ!優しいし、親切だ!
一緒に遊んでくれるし、勉強も教えてくれるし、こないだは家庭科の宿題の雑巾だって縫うの手伝ってくれたんだぜ!」
「はぁ?・・・ちょっと待てお前、あの女といつからつるんでやがる!?」
「2週間位前からだよ!放課後毎日遊んでるんだ!」

開き直ったように白状する億泰に、形兆は当然、怒りを覚えた。


「テメェこの・・・!」
「遊びてーんだよオレは!!あのネーちゃんと友達でいたいんだ!!」
「っ・・・・・・!」

しかし、億泰の意思は、それを凌いでいた。


「オレ、あのネーちゃんといると、何かあったかい気持ちになるんだよ!オレ、オレこんなの初めてなんだよ!」
「ガキが何生意気な事言ってやがる!小5の癖に色気付いてんじゃあ・・」
「優しくしてくれねーじゃねーか、オヤジもアニキも!」
「っ・・・・・・!」

不覚にも、その言葉が胸に突き刺さった。


「オレはオヤジにもアニキにも、殴られてばっかだ・・・・。
そりゃあ、アニキはオヤジとは全然違うよ。いっつもオレの面倒みてくれてるし、殴るのだって、理由があるからだって分かってる・・・・・・。
でもよぉ、アニキはあんな風に、ネーちゃんみたいに優しくしてくれねーじゃねぇかよ・・・・!」

最初はガキの生意気な恋心かと思ったが、どうやら違うようだった。


「なぁアニキ・・・・・、母ちゃんって、あんな感じだったんじゃあねーのか・・・・・?」
「・・・・・何馬鹿言ってやがんだ、そんな訳あるか」
「アニキは良いよなぁ、母ちゃんの思い出がある・・・・。母ちゃんに優しくされた思い出が・・・・・」
「・・・・・・・・」
「でもオレには・・・・・」
「・・・・・億泰・・・・・・」
「っ・・・・・・・!」

億泰は涙目で唇を噛み締めると、一人で走って行った。
向かって行ったのは自宅の方角だから心配はないだろうが、後を追わなかった理由はそればかりではなかった。
本当は、追わなかったのではない、追えなかったのだ。
億泰に言われた事が、そして、億泰への罪悪感が、楔のように突き刺さって身動き出来なかった。














「ああ、。」
「はい。」
「これ、お母さんに渡しなさい。」

9月も間もなく終わるという頃。
帰りのHR後、は担任の青山から、人目を忍ぶようにして1通の封筒を手渡された。
家に入る前、人気のない場所に隠れてそれを開いてみると、修学旅行の参加を促すプリントが1枚と、振込用紙が入っていた。
10月中旬、2年生は2泊3日で京都へ修学旅行に行く事になっている。それは学生生活において一番のビッグイベントで、勿論、殆どの生徒が参加する。ただ、ごくごく少数ではあるが、登校拒否等で不参加の生徒もいて、もその内の1人だった。
このプリントは、そんな生徒の保護者に宛てた、今が参加申し込みのラストチャンスだという旨の手紙だった。同封の振込用紙で旅行の費用を支払えば、今ならまだ修学旅行に連れて行って貰える、そういう事のようだった。


「ただいま・・・・・」

鍵を開けて古ぼけたドアを開くと、狭い玄関に母・和代の真っ赤なハイヒールと、男物のサンダルが脱ぎ散らかされていた。
は小さく溜息を吐いて、それらを揃えて置いた。見覚えのあるこのサンダル。またあの男が来ているのだ。
安原という、4つか5つ年下の、和代の今の恋人。
もう何人代替わりしたか覚えていないが、この男とは取り敢えず半年程続いている。
朝、登校する時にはいなかったから、その後に来たのだろう。


「ただいま・・・・・・」

の家は古い木造アパートで、大層狭かった。玄関を入るとすぐトイレと台所で、奥に畳の部屋が2間続いている。ベランダは狭く、風呂はない。
こんな部屋に住んでいる者に旅行代金約6万円、今すぐ耳を揃えて払えといわれても無理だ。それが出来るなら、最初から他の同級生達の家庭と同じように、月々3〜4千円の積立金を支払えている。
は小さく溜息を吐き、手に持っていた封筒を通学鞄の中に放り込んだ。


「・・・・・・」

寝室にしている一番奥の部屋の襖は、ピッタリと閉められていた。
その向こうから、無遠慮な男のいびきが聞こえてきている。
男が来ていて、部屋の襖が閉まっている、その状況にどういう意味があるのか、はもう知っていた。
この状況を見る時、いつも胸が重くなる。
どす黒い何かで塗り潰されて、息が苦しくなる。
だが、もうすぐ4時だ。和代がまだ寝ているなら、起こさなければならなかった。


「お母さん・・・・・、起きてる・・・・・?」

は渋々ながらも、閉められた襖に向かって声を掛けた。
すると、ややあって、気だるげな和代の呻き声が聞こえた。


「ああ・・・・、・・・・・?今何時・・・・・?」
「もうすぐ4時だよ。」
「はぁ〜・・・・・・、もうそんな時間か・・・・・・・・・」

ガサゴソと物音がして、やがて部屋着を着た和代が出てきた。
パーマのかかった長い髪がボサボサになっていて、と目が合うと、和代はバツが悪そうに笑いながら頭を撫で付けた。


「おかえり。」
「ただいま。コーヒー?」
「うん。ありがと。」

は流しで手を洗うと、インスタントコーヒーをマグカップに1杯分だけ淹れた。これは、ささやかな意思表示のつもりだった。和代に通じているかどうかは分からないが。


「昼に急に来ちゃったのよぉ。パチンコ勝ったからツケ払うわって。なら店に来りゃ良いのにねぇ?」

照れ隠しか、言い訳か、どちらにしても聞きたくなかった。
だが、こんな事でいちいち突っかかって喧嘩し始めたらキリがない。
こういうのは少し笑って流して済ませるのが、一番丸く収まるのだ。


「はい、コーヒー。」
「サンキュー。・・・・あぁ・・・・・!やっぱりの淹れたコーヒーが一番美味しい・・・・・!」

和代はコーヒーを一口啜って、大袈裟な溜息を吐いた。
そして、煙草に火を点けて燻らせながら、の顔に頬を寄せて小声で囁いた。


「ねぇ・・・・・、今幾ら残ってる?」

コーヒーと煙草の酸えた臭いのする猫撫で声が、の鼻先を擽った。


「・・・・・幾ら要るの?」

それから逃げるように顔を背け、は鞄の中から財布を取り出した。


「5千円・・・、ううん、3千円でもいいわ。今日、酒屋の集金なのよ。ちょっとでも入れとかないといけないからさ。」
「あの人、ツケ払ってくれたんでしょ?」
「うん・・・・、まあ、そうなんだけどね・・・・・?その分軍資金にしてパチンコで当てたら、ツケ全額払ってやれるからって言われちゃってさぁ・・・・・」
「・・・・で?」
「スッテンテン。はぁ〜・・・・・、信じたお母さんがバカだった。」

は黙って千円札を3枚差し出した。
しょぼくれていた和代は、途端に顔を輝かせ、の頭をワシャワシャと撫でた。


「ありがと〜っ!やっぱり持つべきものは娘だわ!しっかりしてるし頼りになるし!」

しっかりしている。頼りになる。
は幼い頃からそんな言葉をかけられて育ってきた。
それが矜持になっているところもある。
だが最近、ふと分からなくなる時がある。それは本当に誉め言葉なのだろうか、と。
私がもし何かに困って甘えて頼ったら、この人は助けてくれるのだろうか、と。


「ホント、こんなダメなお母さんなのに、アンタはしっかりしてるわよね〜。
人間さあ、誰か必ず支えてくれる人がいるって言うけど、お母さんにとってのそれはだよね。あたしは男運はないけど、娘には恵まれた。アンタはホント、お母さんの自慢の娘だよ。」

こういう時に限って抱きしめてくれる和代の細い腕の温もりに、最近時々、気持ちが不安定になる。
思い切り突き放してやりたい気持ちと、この温もりを求める気持ちがせめぎ合って、苦しくなる。


「・・・そんな事言って、もし私がグレたらどうする?」
「あははっ!それは無いわ〜!そういうのはね、バカな子がなるものなの。
は優秀だから大丈夫!真面目だし、料理も掃除も洗濯も、お金の管理も、お母さんより上手なんだから!・・・って、これじゃあ親子の立場逆よね、アハハ。」
「自分で言ってりゃ世話ないよ。」
「ハハ、ホントだ。さーて、トイレしたらお風呂行って来るわ。」
「うん。」

和代がトイレへ入って行くと、は張り付けていた微笑みを消した。
不意にあの子に、虹村億泰に会いたいと思った。
あの子と遊んでいた2週間は、毎日の生活に楽しみがあった。
ほんの短時間の、ささやかな楽しみだったが、それが思った以上に大きかった事を、失って初めては気付いた。
だが、もう叶わない。


「おう。」

沈んだ気持ちに追い打ちをかけるように、奥の部屋からランニングとブリーフ姿の安原が出てきた。
はすぐさま、安原から目を背けた。
だらしなく腹の突き出た中年男の下着姿など、母親の恋人など、嫌悪の対象でしかない。直視など出来よう筈もなかった。
それをどう受け取ったのか、安原は厭らしい笑い声を小さく上げると、絡んでくるようにの側へ来た。


「俺にもコーヒーくれよ。」

何故、こんな男の為にコーヒーなど淹れてやらねばならないのか。
コーヒーも砂糖もミルクも水もタダではないのだ。労力だって勿論。
それをこんな男に、何故使わなければならないのか。
だがは、それを反射的に言える性格ではなかった。自分の気持ちを表に出す事も、得意ではなかった。
黙りこくったままのを見て、安原はもう一度、小馬鹿にしたように鼻で笑った。


「早くしてくれよ。」
「っ・・・・・・・!」

安原はおもむろにの尻を撫で回し、更にダメ押しのように軽く揉んだ。
の背筋をおぞましい悪寒が一気に駆け上がり、動けなくなっている内に、安原はさっさと部屋に戻り、勝手にTVをつけて、煙草を吹かしながらまるで我が家のように寛ぎ始めた。


「・・・・・・・・・」

はもうひとつ、マグカップを出した。
これを叩き割ってやったら、お母さんは気付いてくれるだろうか。
絶望の中で、そんな事を考えながら。




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後書き

形兆兄貴って凄いですよね。(←突然)
虹村パパがああなってしまった時はまだ僅か7歳だったのに、
そこから何をどう調べて弓と矢を手に入れるところまで行き着いたのか。

・・・・・(考)

いやいや、どうもこうも、せめて糸口でもないと無理っしょ!?
糸口があっても無理だけど!

・・・と思ったので、虹村パパが色々残したという設定にしました。
糸口という面でも、¥の面でも。子供は一人では生きていけませんからね。
伯父というキャラを作ったのも、その観点からです。
幾ら形兆兄貴が凄いと言ったって、チビっ子じゃあどうにもならない事が多々ありますから、保護者という立場の大人が必要だろう、と。
それをうまく使って世間の目を誤魔化しながら、親父と億泰を抱えて生き抜いてきた、という形にしました。

しかし考えれば考える程に、形兆兄貴はとても子供とは思えませんな。
なので、今現在中2設定ではありますが、全くもって中2らしくありません(笑)。