今日はクリスマス・イブ。
二人でこのベガスに来てから、今日で丁度1年が経った。
「・・・て・・・・!」
「ん・・・・・・・・」
「起きて、ブライアン!」
「んん・・・・・・」
は、眠りこけているホークの裸の肩を何度も揺さぶった。
しかしホークは目を開けるどころか、薄い上掛けの中に益々深く潜り込むだけで、全く起きる様子を見せない。
よもや予定を忘れているのだろうかと、は再度彼の身体を思い切り揺さぶった。
「ねぇってば!今日は仕事入ってるんでしょ!?」
「・・・・・・やべ・・・・・!すっかり忘れてた!」
それでようやく飛び起きたホークは、つい先程までとは打って変わって機敏な動作で、
というよりは慌てふためきながら下着を身に着け、ドタバタと支度を始めた。
記念すべき日の朝には余り相応しくない、慌しい風景だ。
「ねぇ、朝ご飯は!?」
「要らねぇ!」
「せめてミルクだけでも・・・!」
「時間ねぇ!」
狭い部屋の中を忙しなく右往左往しながら歯を磨き、服を着込む背中に呼びかけてみるも、
ホークは振り向きもせずにぞんざいな返事をする。
無愛想も甚だしいが、仕方がない。今日は朝から仕事が入っているのだ。
喜び、有り難がりこそすれ、不満に思っては罰が当たる。
は更に声を大きくして、ホークに呼びかけた。
「ブライアン!!」
「あぁ!?」
「ごめん・・・・。アンタにばっかり負担かけて・・・・・。」
ようやく振り返ったホークを、は申し訳無さそうに見つめた。
するとホークは、今日最初の笑顔を見せた。
「・・・・この忙しいのに、んな事で呼び止めんなよ、バーカ。」
「・・・・・ごめん。」
ホークの笑顔を見て、もまた安堵の笑みを浮かべた。
「じゃあまた後で、『Phoenix』でね!」
「おう、行って来るぜ!」
「行ってらっしゃい!」
バタン、とドアの閉まる音を最後に、小さな部屋の中はしんと静まり返った。
は溜息を一つ吐いてから、ホークが蹴散らかした上掛けや、放り出していったタオルなどを片付け始めた。
今日で丁度1年。
あっという間に過ぎた、実に目まぐるしい1年だった。
しかし、それでも二人、どうにかこうにか暮らせてきた。
ゴミ捨て場から拾って来た物だが、冷蔵庫もベッドも、テーブルもある。
贅沢は出来ないし、まだスクールに入学する目処も立たないが、何とか食べる事は出来ている。
夢の実現には相変わらず程遠い状況でも、は今の生活に満足していた。
「・・・・よしっ!終了!」
は目につく所の片付けを終えると、パンケーキとミルクが二人分並べてあるテーブルに着いた。
ホークが手付かずで残していった分は昼食用に取り置いておき、はすっかり冷めてしまったパンケーキを一口齧った。
次いで、ミルクも一口。
ささやかな朝食だが、ありつけるだけでも有り難い事だった。
同棲を始めてから程なくして、ホークはあのストリップ劇場、『Phoenix』での仕事の他にも、時折日雇いのアルバイトが見つかれば、せっせと働いてくれるようになった。
劇場の仕事だけでは食べていくので精一杯だと、彼が自ら進んで働き始めたのだ。
ホークは今でももっと好条件の仕事を望んでいるのだが、学歴も資格も、身元保証人になってくれる親もない17歳の少年には、そんな仕事は回って来ないというのが現状だった。
現実は、熱意だけではどうしようもない程厳しい。
しかし、1年前の誓いを守って悪事には一切手を染めず、の夢の実現の為、1日も早くダンススクールに入学出来るようにと可能な限り目一杯働いてくれているホークに、はいつも言葉に尽くせぬ程の感謝と罪悪感を感じていた。
ホークと違って、の仕事は相変わらず『Phoenix』1本だった。
同じように掛け持ちで働こうにも、肝心のレッスンの時間を削ってしまっては本末転倒だと、ホークが頑として許してくれないのだ。
はその言葉に甘えて、相変わらずの自主練習ではありながらもダンスのレッスンに打ち込む事が出来ていた。
「あ、もうこんな時間・・・・・・・」
は時計を見てから、空になった皿と2つのマグカップをシンクに置き、手早く支度を整えて部屋を出た。
行き先は、アパート近くの公園である。
日中の空いた時間、はいつも愛用のラジカセを携えてここに来ていた。
ホークはついて来たり来なかったりだったが、はほぼ毎日のように、仕事の時間までダンスのレッスンに励んでいるのだ。
しかし今日は、特別な日。
今夜、仕事が終わった後、二人の記念日を祝うささやかなパーティーの準備がある。
今日だけはレッスンを午前中で切り上げて、午後は買出しや部屋の掃除、料理の準備に充てる予定だった。
夕方、パーティーの準備を整えてから、はいそいそと『Phoenix』に出勤した。
これからまたホークと一緒に居られる時間が来るという事もあったが、今はそれよりも楽しみな事があった。
鞄の中にそっと忍ばせてある、プレゼントの包み。
それを早くオーナーに渡したくて、そして彼の反応を見たくて、は駆け足で急いだ。
「おはようございまーす!」
「そんなにデカい声出すんじゃねぇ。年寄りの弱った心臓に止め刺す気か。」
軽い足取りでバックルームに入ったを、オーナーのトマスが顰め面で出迎えた。
この顰め面はいつもの事だ。
「小娘は毎日毎日無駄に元気が良くて結構な事だな。」
「お陰様で。」
煙草を吹かしつつ、バサバサと新聞を繰っている彼に、はにっこりと微笑んでリボンのかかった小箱を差し出した。
「何だそりゃ?」
「明日はここ閉めるっていうから、ちょっと早いけどクリスマスプレゼント。メリー・クリスマス!」
トマスは益々表情を険しくして、渋々といった風にそれを受け取り、箱を開けた。
「何だ、安物のマグカップ1つか。」
「だってお給料安いんだもの。もっとくれたらもっと良い物あげるけど。」
「ケッ。冗談言うな。」
憎まれ口もいつもの事だ。
は全く気にする事なく、軽口を叩いた。
「コーヒー淹れてあげようか?」
「薄くしろよ。」
トマスがプレゼントのマグカップをフイと差し出して来たのを見て、は満面の笑みを浮かべた。
彼の反応は、期待通りのものだった。
プレゼント自体は確かに安物ではあるが、目一杯の感謝の気持ちを詰めて贈り、それを受け取って貰える。
こんな素敵なやり取りをホーク以外の誰かと交わせるとは、1年前には思ってもみなかった事だった。
「フンフン・・・・・」
「・・・・・いつも元気だが、今日は一段と機嫌が良さそうじゃねぇか。」
鼻歌混じりにコーヒーを淹れているを、トマスは顰め面のまま眺めて言った。
「だって、オーナーがプレゼント喜んでくれたから。」
「別に喜んじゃいねぇよ。」
「またまた〜。素直じゃないんだから〜。有難うって言えないの?」
「押し付けられたんだ。俺から催促した訳じゃねぇ。」
苦虫を噛み潰したような顔のトマスに、は薄いブラックコーヒーを差し出した。
「はい、お待たせ。」
「おう。」
「私は言えるよ。・・・・・・有難う、オーナー。」
一時はどうなる事かと思ったが、トマスに拾われたのが幸運だった。
彼なくしては、今の生活はなかっただろう。
彼は頑固で些か偏屈な人物ではあるが、正直者で、そして親切だった。
1年前のクリスマスの朝、約束通りにアパートの所有者に話をつけてくれ、その日から早速入居出来る手筈を整えてくれ、その上、当座の暮らしに必要最低限の支度金まで貸してくれたのだ。
その返済も、毎月きっちりと給料から天引きされてはいるが、決して無理な額ではない。
彼は見た目程、そして彼自身が思っている程、冷淡な人間ではない。むしろその逆とも言えるような人だった。
「今の私達があるのはオーナーのお陰よ。何とか食べてるし、ダンススクールの費用も、まだ全然足りないけど、少しずつ貯まってきてる。私達、オーナーに会えて本当に良かった。この1年、本当に有難う。そして、これからも宜しく。」
「・・・・・ケッ。良いからさっさと働け。」
は真摯な表情で礼を言った。
するとトマスは、これまでに見た事もない程の顰め面になってそっぽを向いてしまった。
恐らく照れているのだろう。
「・・・・ふふっ、は〜い。」
はまた、満面の笑みを浮かべた。
彼は今やにとって、父親か、祖父のような存在だった。
犯罪を犯して捕まった実の父親を捨てて来てしまった後ろめたさが、尚更そう思わせていた。
「おい、ところでブライアンの奴は?」
「え?まだ来てない?」
「また遅刻か、あのバカは。」
トマスはもうもうとした紫煙と共に、大袈裟な程の大きな溜息を吐いた。
「全く、フランクといい、あの坊主といい、遅刻ばっかりしやがって。」
「ごめんなさい・・・・・。でもブライアン、今日は朝から仕事に行ってるの。フランクだって、今日もきっと残業なんだわ。大目に見てあげて、ね?その分、私が頑張るから。」
が謝ると、トマスは再び溜息を吐いた。
「遅刻は常習だわ、仕事の手は抜きやがるわ、うちの男共はどうしようもねぇな。真面目に仕事してんのは女共だけか。」
「ふふっ、そんな事言って、本当は分かってる癖に。フランクだってブライアンだって、あの人達なりに一生懸命頑張ってるの、ちゃんと認めてるんでしょ?だから、何だかんだ言いながらもクビ切らないんでしょ?」
「ケッ。男手が足りねぇから仕方なく置いてやってるだけだ。」
トマスはコーヒーを一口飲むと、ふと真剣な眼差しでを見た。
「・・・・夢を追うってのは口で言う程簡単じゃねぇって事が、この1年で良く分かっただろ?」
確かに、トマスの言う通りだった。
日々の生活に追われて、夢の実現どころか、未だダンススクールにさえ入れていない。
道のりは長く険しかった。
しかしは、自分の可能性を信じていた。
一歩一歩着実に進めば、その先にきっと明るい未来が拓けていると、そう信じていた。
「・・・・・ええ。だけど私、まだまだ諦めてないわよ。気持ちは1年前と何も変わってないから。」
「ヘッ・・・・・、そうかい。」
「うん。」
が頷くと、トマスは微かに笑った。
「若ぇってのは羨ましいもんだな。色々楽しい事を考えれてよ。俺みてぇに歳喰っちまうと、毎日考える事って言やぁ、やれ腰が痛ぇの胸が苦しいのって、辛気臭ぇ事ばかりだ。つまんねぇもんだぜ。」
「身体・・・・・、辛いの?」
「別に大した事はねぇ。歳のせいだ。」
「でも・・・・・、具合悪いなら、無理しないで帰って寝た方が良いんじゃ・・・・?」
「余計な世話だ。良いからお前はさっさと楽屋の掃除でもして来い。」
「は〜い・・・・・」
追いやられるようにして出て行きかけたところで、ホークとフランクの小競り合いが聞こえてきた。
「よしっ!俺が先に入ったぞ!お前がビリだからな、フランク!」
「馬鹿言ってんじゃねぇよ!俺が先だったのを、お前が突き飛ばしたんだろうが!今日はお前がビリだったってオーナーに言うからな!」
「ざけんじゃねーよオッサン!先に入ったモンが勝ちだろうが!」
「ざけんじゃねーぞこのガキャー!賄い作ってやんねーぞ!?」
五十歩百歩の下らない言い争いをしながらバックルームに入って来た二人を見て、は苦笑いした。
年はホークよりフランクの方が倍以上も上だが、なかなか気も波長も合う良いコンビだ。
「「あっ、オーナー!今日はコイツが・・・・!」」
二人はトマスの顔を見るなり、お互いを指さしながら声を揃えて同じ事を言いかけた。
その様子が可笑しくては小さく吹き出し、トマスは眉間に深々と皺を寄せた。
「どっちも遅刻だバカ共が!!毎日毎日遅刻ばっかりしやがって!!」
「待てよジジイ!フランクと違って俺は精々週に2〜3回だよ!それに今日は偶々、朝からバイトがあったから・・・・!」
「俺だってスーパーの仕事があるんだよ!好きで遅刻してる訳じゃねぇよ!」
「お前等の事情なんて知った事か!週に2〜3回だろうが毎日だろうが、どっちも一緒だ!クビにされたくなかったらとっと働け!」
トマスの杖で尻を叩かれて追い立てられる二人を見て、は声を上げて笑った。
するとホークは、追い立てられながらもを見て軽くウインクした。
は小さく手を振ってそれに応えながら、今、手元にある幸福を、心の底から神に感謝した。
夢はまだまだ遠く、現実の暮らしは厳しい。
それでも、仕事があって、見守ってくれる人や友達が居て、愛しい人が居る。
それはにとって、十分過ぎる程に幸せな事だった。
それから数時間を『Phoenix』で働いて、二人がアパートに帰って来た頃には、もうクリスマスになっていた。
「メリー・クリスマス!」
「メリー・クリスマス!」
小さなテーブルを囲んで、二人は真夜中過ぎのディナーに舌鼓を打っていた。
メインディッシュは大きな七面鳥の丸焼き・・・・という訳にはいかず、ファーストフードのフライドチキンが1本ずつ、それにあり合わせの野菜で作ったサラダとスープ、セール品のパンに安物のシャンパン、色が悪くなって売れ残っていたバナナのクレープというメニューではあったが、二人にとっては文句のつけようもない位に豪華なディナーだった。
賄いを断って帰って来た為、空腹のピークにあった二人は、凄まじい勢いでそれらを食べ尽くしていった。
特に丸一日肉体労働して来たホークは、行儀作法など全く気にも留めず、会話も忘れてガツガツと詰め込むように食べていた。
「あ・・・・そうだ。ねぇ、ブライアン。」
先に腹が落ち着いたは、パンを噛み千切っているホークに話しかけた。
「オーナー、大丈夫かなぁ?」
「んぁ?ジジイ?何だよ急に。」
ホークはグラスに残っていたシャンパンでパンを飲み下すと、怪訝な顔でを見た。
一応、話を聞くつもりはあるようだ。
は不安げな顔で話を始めた。
「ん・・・・、ちょっと具合悪そうだったから気になって。今まではクリスマスも営業してたっていうのに、今年は閉めちゃうし・・・・。」
「でも今日1日だけだろ?そんなに具合悪かったら、他の店みたくゆっくりクリスマス休暇取るんじゃねぇの?どうせ元々大して繁盛もしてないんだしよ。」
「うん・・・・、それはそうだけど・・・・・・」
顔を曇らせるを見て、ホークは大きな声で笑い始めた。
不安を吹き飛ばすかのような、元気で豪快な声で。
「心配すんなよ!あんだけ怒鳴れたら大丈夫だって!ああいう憎たらしいジジイ程、長生きするようになってんだよ!」
「ん・・・・・、そうだね!そうだよね!」
「そうだって!」
ホークの自信に満ちた声を聞いていると、本当に大丈夫な気がしてくるから不思議だった。
確かにトマスはまだまだ気がしっかりしている。
仮にどこかしら身体に不調があっても、それはトマス自身が言った通り、歳のせいなのだろう。
はそう信じる事にした。
「もうよそうぜ、あんなくたばり損いの話題は。折角のムードが台無しだ。」
はホークの軽口に苦笑してから、『そうだ』と呟いて席を立ち、チェストの引き出しから細長い箱を取り出して来た。
「何だ?」
「はい。クリスマスプレゼント。」
「へぇ・・・・・、サンキュー。」
ホークは照れながら箱を開けた。
中から出て来たのは、ハートが半分に割れたような形のトップがついたシルバーのペンダントだった。
ホークは早速それを着けると、にんまりと口の端を吊り上げながら格好をつけて『似合うか?』と尋ねた。
は満足そうに笑って頷きながら、自分の胸元から同じものを引っ張り出して見せた。
「私のとペアなの。2つを合わせて、初めて1つの形になるのよ。ほら・・・・・」
はホークの横に寄り添い、ペンダントトップをそっと組み合わせた。
その瞬間、2つに割れていたハートが1つになった。
まるで二人の心のように。
「えへへ・・・・・、何か照れるね。」
「・・・・自分で買って来た癖に、照れるなよ。」
顔を見合わせてはにかむと、ホークは不意にの側を離れ、ベッドの下から何かを引っ張り出して来た。
「なぁに、それ?」
「幸福だよ。」
「え?」
は怪訝な顔をして、その飾り気も何もない無骨な小型のボンベを凝視した。
「幸福・・・・って?」
「前にお前、幸福の風船がしぼんだって残念がってただろ?」
「え?・・・・・あ・・・・・!」
それは1年前、この街に来た時に貰った風船の事だった。
しぼんでしまった時は、確かに酷く落胆したものだった。
ところがその時のホークは、慰めてくれるどころか、『たかが風船ぐらいで』と一笑に付しただけだったのだ。
彼にしてみれば、通りで貰った風船、それもしぼんだものなど只のゴミで、それは実際その通りなのだが、にとってその風船は特別だった。
だから、『幸福が詰まっているような気がして大事にしていた』と涙混じりに反論して捨てずに取っておいたのだが、もう随分前の小さなその事件をホークが覚えていた事に、は驚いた。
「膨らませてやるから、風船、持って来いよ。」
「あ、うん・・・・・・・」
風船を取って来て渡すと、ホークは鼻歌混じりに受け取って、しぼんだそれにボンベのガスを詰め始めた。
「これからは、こいつで幾らでも幸福を詰めれるぜ。しぼんでもしぼんでも、何度だって。」
風船はみるみる内にふっくらと膨らみ、またプカプカと浮かび始めた。
中に詰まっているのは只のガスなのだが、にはやはり1年前と同じく、『幸福』に思えた。
「有難う、ブライアン・・・・・・」
ホークに肩を抱かれて優しい口付けを受けながら、は今、幸福そのものだった。