「で?オーナーは何処だよ?さっさと会わせろよ。」
念願叶って中に通されはしたものの、ホークはまだ憮然としていた。
これから雇って貰おうとしている立場として好ましい態度でないのは分かっているが、ホークは振り上げた拳をすぐさま揉み手に変えられる程、器用な人間ではなかったのだ。
だが幸いな事に、男は特に腹を立てる様子もなく、しれっと言ってのけた。
「お前の目の前に居るだろうが。」
「え!?じゃあ、もしかしてジジイが・・・・・・?」
「そうだったんですか!?」
「そうとも、俺がオーナーだ。分かったら今日1日、しっかり働けよクソガキ共。」
男の、いや、オーナーの言葉を聞いて、二人は最初唖然としていたが、次第にの顔に満面の笑みが広がり始めた。
「有難うございますっ!!頑張りますっ!!」
「怠けたら給料払わねぇぞ。ついて来い。」
「はいっ!やったね、ブライアン!」
「お、おう・・・・!」
まだ半分訳の分かっていないホークと、すっかり元気を取り戻したは、彼について歩き始めた。
とは言え、さして広くはない劇場だ。
二人はたちまちの内に、最初の仕事場へと到着した。
「じゃ、早速やって貰おうか。坊主は今からこのトイレの掃除だ。」
連れて来られたトイレを恐る恐る覗き込んで、ホークは思い切り顔を顰めた。
「うっへ、汚ったね・・・・・!掃除した事あんのかよこのトイレ!?」
出鼻を挫かれるとはこの事だ。
場末のしなびた安酒場のような外観からして、内装も期待は出来ないと思っていたが、まさかここまで酷いとは。
トイレの中はえも言われぬ悪臭に満ちており、床や洗面台も汚れがこびり付いて酷い有様だったのだ。
ほんの一瞬で顔を引っ込めた為、個室の中がどうなっているかは分からないが、きっと想像したくもない位の惨状を呈しているに違いない。
これで『トイレ掃除なら間に合っている』などと、良く言えたものだ。
「それも仕事の内の筈なんだがな、従業員が『掃除させるなら時間外手当を寄越せ』って煩せぇんだ。」
「何だよそりゃ!?」
「良いからとっととやれ。掃除道具はトイレの中の物置に入ってる。とっとと済ませろよ、フロアの掃除もあるんだからな。じゃ、ここは坊主に任せて、お嬢ちゃんはついて来な。」
しかしオーナーは、何とも思っていない様子で事も無げに言っただけで、を連れてさっさと何処かへ行ってしまった。
「マジかよ・・・・・・・!?」
と、ぼやいてみても始まらない。
ここを掃除しなければ、と二人で新しい生活を始めるどころか、今夜にも早速飢える事になるのだ。
何で俺がと不満を垂れつつ、このトイレに負けず劣らずの口汚い文句を吐きつつも、ホークは諦めてトイレの中に入って行った。
一方、は。
「ここは・・・・・?」
が連れて来られたのは、建物の奥にある部屋だった。
一見、自分達の他には誰も居ないかのように寂しい劇場だったが、この部屋には数人の女達が居た。
「見ての通り、ストリッパー達の楽屋だ。」
女達は皆、だるそうに煙草を燻らせたり、のんびりとマニキュアを塗ったりと、思い思いに過ごしていたが、オーナーに気付くと軽く手を挙げて見せるなどして、挨拶をした。
しかしの事は、チラリと一瞥しただけで、挨拶はおろか、口を利こうとする者さえ居なかった。
新参者に冷たく当たる職場は珍しくないが、ここもどうやらその部類に入るようだ。
オーナーもまた、彼女達にを紹介する気がないのか、作業の指示だけを淡々とに告げた。
「お前さんにはここを掃除して貰う。化粧道具や衣装は下手に触るなよ、こいつ等にどやされるぜ。泥棒でも入ったみたいにグッチャグチャに見えるが、これでもこいつ等なりに管理してるんだ。ザッとゴミ集めして、灰皿だけ綺麗にしてやんな。」
「は〜い・・・・・・。」
「ここはとっとと済ませて、厨房に来な。もう少ししたらもう一人従業員が出勤して来る筈だから、そいつの手伝いをしろ。任せたぞ。」
「はい、分かりました・・・・・。」
オーナーが去った後で、は小さく溜息をついた。
ザッとゴミ集め、と言われても、部屋全体がゴミ箱と化している状態では、どれがゴミでどれがゴミでないのやら。
しかし、捨てられて困る物なら、彼女達が何か言ってくれるだろうと楽天的に考えて、は早速、楽屋の掃除に取り掛かった。
それからは、目まぐるしく時が過ぎていった。
夕方6時を過ぎて客が入り始めると、フロア中央のステージには入れ替り立ち替りに女達が現れて、元々裸同然の際どい衣装を脱ぎ捨てて過激なダンスを繰り広げたが、ホークとはそれをこっそり見物したり圧倒されたりする暇もない程、次々と色んな仕事を与えられた。
劇場内外の掃除にお運び、厨房の手伝いに様々な雑用。
飲まず食わずでそれらに追われている内に、いつの間にか時間は真夜中を過ぎていた。
「・・・・・ま、ガキにしちゃ良く働いた方だな。ほらよ、今夜の給料だ。」
閉店後のがらんとしたホールで、オーナーはホークとそれぞれに薄い封筒を手渡した。
「有難うございます!」
「チッ、何だ、たったこれだけかよ・・・・・・」
中を見て思わず不満を洩らしたホークを、オーナーはジロリと睨んだ。
「何だ?何か文句があるのか?」
「いっ、いいえとんでもない!済みません!もう、ブライアンったら・・・・・!」
ホークの代わりに謝ったは、彼を咎めるように軽く睨んでから、荷物の中に給料袋をそのまま仕舞い込んだ。
確かに、あれだけ働かされた割には少々安い給金だが、それでも今の状況では有り難いものだ。
これで出来る限り食い繋ぐとして、明日以降の事はまたこれから考えるしかない。
はホークに目配せすると、荷物を持ってオーナーに別れの挨拶をした。
「どうも有難うございました、助かりました。じゃあ、私達これで。」
「・・・・・まあ待ちな、お嬢ちゃん。」
「・・・・・え?」
「はいよー、お待たせー!」
まさか呼び止められると思っていなかった二人は、驚きと期待に満ちた目でオーナーを振り返った。
すると、丁度そのタイミングで、厨房から一人のスタッフが巨大なハンバーガーの載った大皿を2枚持って現れた。
「飯食ってけ!冷蔵庫の残り物で作ったハンバーガーだが、なぁに、大丈夫だ。まだ食える。」
30半ば程のその黒人男性スタッフは、二人に向かって軽くウインクして見せた。
「うわぁ・・・・・、有難う、フランク!」
「なぁに、良いって事よ。どうせ俺の分も作らなきゃならねぇんだ、ついでだよ。1人分も3人分もそう変わんねぇからな。」
陽気で気の良いこのスタッフの名は、フランクというらしい。
彼のその名と、オーナーとストリッパー達を除けば彼がこの劇場唯一のスタッフであるらしい事は、今夜一緒に働いている内に知った事だった。
「尤も、何か食わせてやれって言ったのは、オーナーだがね。」
「有難うございます、オーナー!今日何も食べてなかったから、凄く嬉しい・・・・!ね、ブライアン!」
「ああ!もう俺腹ペコで限界!んじゃ、遠慮なく貰うぜ!」
もう音も鳴らない程腹が減っていた二人は、嬉々としてハンバーガーに齧り付き始めた。
「・・・・・・・で?」
オーナーは、必死の形相でハンバーガーを頬張っている二人を呆れた目で眺めていたが、やがてしわがれた声でに話しかけた。
「はい?」
「何か言ってたな、さっき。事情があるとか何とか・・・・・。」
「あ・・・・・・・・」
は食べる手を止めると、フランクが持って来てくれていた水を一口飲んでから、彼の質問に答え始めた。
「実は、その・・・・・・・・」
は、これまでの経緯を全て話した。
逮捕された父親の事も、巻き込まれて危うく捕われそうになった事も、事件のどさくさに紛れてホークと二人でNYからこのベガスまで逃げて来た事も、全てをありのままに。
「・・・・・・ほ〜ぉ、なるほどな。」
「私、施設には行きたくなかったんです。私には、夢があるんです。」
「夢?」
「私、ブロードウェイのスターになりたいんです。」
が真面目な顔でそう言うと、オーナーは小さく吹き出し、それからすぐに大声を上げて笑った。
「ハハハハ、こいつは傑作だ!こんな場末のストリップ劇場でブロードウェイのスターになりたいと言った女は、お前さんが初めてだよ!」
オーナーが余りにも可笑しそうに腹を抱えて笑うのを見て、は憮然と唇を尖らせた。
「・・・・私は、地べたを一生這いずり回るだけの人生なんて嫌なんです。大好きな道で栄光を掴みたい、成功したい。そう思う事は変ですか?」
「・・・・・・いいや。誰しもが一度は思う事さ。思うだけならな。」
「何か引っ掛かる言い方だな、オイ・・・」
「良いの、ブライアン。」
また喧嘩腰になりかけたホークを制して、は続けた。
「私、ここに夢を掴みに来たんです。このベガスもショービジネスが盛んな所、大きな舞台に立てるチャンスがある筈です。だから私、ここで頑張りたいんです。練習して、働いてお金を作ってちゃんとしたレッスンを受けて、もっともっと技術を磨いて、ここでプロのダンサーになりたいんです。そして、いつかまたNYに帰って、今度こそブロードウェイのオーディションに受かりたい・・・・・・。彼も・・・・・、ブライアンも、支えてくれるって言ってくれたし・・・・・・。」
がはにかむと、フランクは冷やかすように口笛を鳴らし、オーナーは小馬鹿にしたように鼻で笑った。
「フン、小僧の癖にいっぱしの事言うじゃねぇか。」
「ジジイには今でもこんな器ねぇだろ?女もな。」
ホークは軽口を叩いて挑発したが、オーナーはそれには乗らず、灰色の無精髭を弄りながら言った。
「・・・・・良いかお嬢ちゃん、坊主も良く聞いとけ。俺が言えた柄じゃねぇが、この店はな、道を踏み外してばかりの馬鹿な大人共が溜まってる掃き溜めだ。だが皆、誰もがお嬢ちゃんの言うような『栄光』を掴もうとしていた時期があった。これがどういう意味か、分かるか?お前さんが言うような『夢』を実現させるのはとてつもなく困難で、ほぼ100%実現不可能って事だ。」
抑揚のない冷めたしわがれ声が、夢ではちきれんばかりに膨らんだホークとの心に鋭く突き刺さった。
「・・・・・・・何でですか・・・・・・」
「・・・・何でそう言い切れるんだよ?」
「皆そうだったからさ。・・・・・俺自身もな。」
オーナーは事も無げに言ってのけると、淡々と話し始めた。
「俺も昔、まだ若かった頃、ハリウッドの映画スターを目指して単身フランスから渡って来た。だが色々あって挫折して、結局は見ての通りの小さなストリップ劇場の主人よ。」
「そ。今にも潰れそうなオンボロストリップ小屋のな。」
「お前は黙ってろ、フランク。」
横から茶々を入れて来たフランクを睨みつけてから、オーナーは再び二人の方を向いた。
「とにかくだ。夢ってのは、口で言う程甘いもんじゃねぇ。ましてや誰かの夢を支える、なんてな。お前らはまだガキだから、そこんとこが分かんねぇだろうけどよ。」
「何だとジジイ・・・!」
「はい、分かりません。」
拳を固めようとしたホークを制して、は毅然とした口調で言い切った。
「だって、今の私には、夢を叶えようとしている今この時の事しか分からないもの。今を生きるのだけで精一杯。だから、思った通りにやってみたいんです。」
「・・・・・・・・・」
「それに、夢を実現させるのが『ほぼ』100%不可能って事は、逆を返せば『可能性有り』って事でしょう?たとえほんの僅かにしたって、望みはあるって事だわ。」
がにっこりと微笑んでみせると、オーナーは呆れたように小さく笑った。
「・・・・・やれやれ、俺も歳食っちまったなぁ。お前さんの言ってる事が、俺にはさっぱり分かんねぇや。」
オーナーは、何処か寂しげに見えない事もない笑みを薄く浮かべると、おもむろに煙草を吹かし始めた。
暫く様子を伺ってみたが、彼はもう何も言おうとはせず、も黙ったまま残りのハンバーガーを平らげる事に専念した。
そして、ものの数分と経たない内に食べ切ってしまうと、は再び立ち上がり、荷物を手にした。
「じゃあ、これで。色々有難うございました。フランクもどうも有難う、ハンバーガーご馳走様。美味しかったわ。ほら、ブライアンもちゃんとお礼言って。」
「何で俺が。お前も別に礼なんて言う必要ねぇって。むしろこっちが礼言って貰いたい位だぜ、あれだけ働いてこれっぽっちしか・・・」
「もうそれは良いじゃない、ご飯もご馳走になったんだし。」
はブツブツ言うホークを宥めつつ、彼の手を取って出て行こうとした。
しかしそこで、オーナーが再び口を開いた。
「・・・・・・今夜のところはフロアのソファで寝な。住み込みと言われても、うちには寮なんざ無いんでな、明日になったら、俺の知り合いがやってるアパートを当たってやる。」
「・・・・・はぁ?」
意味が分からずきょとんとするホークを一瞥して、オーナーは淡々と話を続けた。
「ボロくて狭いが、その分、家賃は安い。目一杯安くするよう言ってやるから、それで手を打て。ここに寝泊りさせて火事でも出されちゃ堪らねぇし、かと言って、俺の悠々自適な一人暮らしを邪魔されるのも敵わねぇからな。」
「へへっ、単に自分のアパートも狭苦しいってだけの癖に。」
「馬鹿野郎。たとえ俺の家がホワイトハウス並に広くても、煩いガキ二人と同居なんてごめんなんだよ。」
「あの・・・・・オーナー・・・・・・・?」
只でさえ何の話をしているか分からないのに、フランクがまた軽口を叩くものだから、余計に混乱する。
「給料は時給制、時給は4ドル。勤務は午後4時から午前0時まで、閉店後の片付けは簡単にしかしねぇから時給はつかねぇ。休みは毎週日曜日。仕事の内容は今日と同じようなもんだ。ちなみにフランク、お前の出勤時間も同じ4時なんだぞ。毎日毎日1時間以上も遅刻しやがって。」
「だから俺もいつも言ってるでしょうが。昼はスーパーの仕事があるから、4時には来れねぇって。それでもどうしてもってんなら、スーパーを早引けする分、時間外手当を払って下さいよ。」
「黙れボケナス!雇ってやった時はスーパーの仕事なんざしてなかっただろうが!」
「あん時に勤めてたピザ屋が潰れちまったんだから仕方ないでしょうが!気楽な一人者のアンタと違って、こっちは女房子供を食わしていかなきゃならねぇんだから!」
黙って聞いている内に、話は完全に横道に逸れて、遂にはオーナーとフランクの小競り合いのようになってしまった。
もうこうなっては黙っていられないと、は二人の間に割って入った。
「あ、あの、お取り込み中済みませんが・・・・・・!」
「あぁ!?・・・・・・ああ、済まねぇ、話が途中だったな。賄いは1日1食、閉店後に食わせてやる。今日の分はサービスしてやるが、明日からは賄い代として1日につき3ドル20セント、給料から差っ引く。家賃補助だの時間外手当だのの特別手当は一切無し、店の設備や備品は私用に使ったり持ち帰ったりしねぇ事。・・・・・それから坊主。」
「な、何だよ?」
「うちの女共に手ェ出すんじゃねぇぞ?大事な商売道具だからな。」
一際厳しい声で釘を刺してから、オーナーはとホークをまっすぐに見て言った。
「以上、何か一つでも不満があるのなら、この話は無しだ。」
「あの、オーナー・・・・・・、それってつまり・・・・・、私達を雇ってくれるって事ですか・・・・・?」
「・・・・・・まあ、そういう事になるか。」
「あ・・・・・・・」
今年のクリスマスは人生最悪のクリスマスだと思っていたが、そうでもなかったようだ。
これはきっと、サンタクロースの贈り物に違いない。
の目に、安堵と歓喜の涙が薄らと滲んで来た。
「有難うございます、有難うございますっ!!やったわ、ブライアン!私達、とってもツイてるわよ!!」
「お、おう・・・・・!」
ホークが唖然とする程はしゃぎながら、はオーナーに何度も何度も礼を言った。
何度も、何度も。