それから長い長い時間をバスに揺られて、二人がラスベガスに到着した時には、もうクリスマスイブの夜になっていた。
「見ろよ、すっげぇ人だかりだぜ!」
「本当・・・・・!」
観光地としても人気のある大きな街だから、いつもそれなりに賑わっているのだろうが、今日はクリスマスイブ。特別な日だ。
大勢の人間が、お祭り気分で騒いでいる。
その華々しい様子を見ていると、右も左も分からずにやって来た自分達二人を街が温かく迎えてくれているような気になり、不安だった心が次第に晴れていく思いだった。
「あ、カウントダウンよ、きっと。」
「あ・・・・・、今日イブか。すっかり忘れてた。」
確かにこの2〜3日、クリスマスを心待ちにする余裕などなかった。
そんな状況になったのは、結局のところはやはり自分のせいだ。
それでも、ホークの口調は呆れる位に呑気で、は罪悪感と感謝が入り混じった気持ちで苦笑を浮かべた。
「・・・・・ね、私達も見に行かない?」
「その前に何か食おうぜ、腹減った!」
「ふふっ、私も!」
二人は腕を絡めて寄り添い、人だかりの中を歩き始めた。
街の中は人で溢れ返っていて、レストランもパブも、多くの客で賑わっている。
夜空に向かってそびえ立つ高級ホテルの中にも沢山の客が居て、今頃は贅沢なフレンチやイタリアンなどのディナーに舌鼓を打っている事だろう。
しかし、二人が食事の場に選んだ店は、大通りに面したハンバーガーショップだった。
「・・・・・記念すべき最初の夕食だね。」
「ヘヘッ、その割にはしけてるけどな。」
「良いじゃない。私、ハンバーガーもフライドチキンも大好きだもん。さっ、食べよ。」
手早く注文を済ませて、二人は早速ささやかな夕食を摂り始めた。
折角のクリスマスイブ、その上、二人で暮らし始める最初の日の夕食なのだから、出来れば豪勢にいきたいところではあったが、今の状況を考えると有り金はたいてレストランに入る訳にはいかず、やむなくファーストフードになってしまったが、二人はそれでも満足だった。
「そっちの美味そうだな。ちょっとくれよ。」
「やぁよ。私だってお腹ペコペコなんだから。」
「もーらいっ!」
「あっ!?やったわねぇ〜!じゃあ私もっ!」
「あぁっ!お前、一番美味いとこ食いやがったな!?」
ホークはのハンバーガーを豪快に食い千切り、はホークの持っていたチキンに齧り付いて笑い合った。
給仕もジャズバンドも居ないハンバーガーショップで、ハンバーガーとフライドチキンだけのささやかなクリスマスディナー。
競うようにして食べていると、あっという間に終わってしまいそうなディナータイム。
それでも二人は満足で、楽しかった。
冗談を飛ばしてこうして笑い合っていられるだけで、十分すぎる程に。
「あっ、見てブライアン!外!」
が突如声を上げたのは、トレーの上がほぼ全部ゴミばかりになった時だった。
「あん?」
「サンタクロースが風船配ってる!」
は小さな子供のようにはしゃいで、赤い服を着て通りに立っているずんぐりと大きなサンタクロースを指差した。
「ね、行こうよ!私、風船欲しい!」
「風船?子供かよ!」
「良いじゃない!皆貰ってるし!ねっ!?」
は一口だけ残っていたハンバーガーを口の中に押し込むと、ホークの腕を引っ張って小走りで店の外に飛び出した。
外では、サンタクロースを中心にして、人だかりが小さな渦を成していた。
子供だけでなく、大人も無邪気な笑顔を浮かべ、サンタクロースから風船を受け取っている。
は顔を輝かせて、その渦に飛び込んだ。
「Merry Xmas!」
サンタクロースは、深い皺が沢山刻まれた目元を緩ませて微笑み、を抱きしめて頬に軽いキスをした。
「Merry Xmas!」
無論、このサンタクロースが本物だとは思っていない。
大方、何処かこの近隣の店の従業員だろう。
その証拠に、人々が持っている風船には、店のロゴマークのような模様がプリントされている。
「お嬢ちゃんに、沢山の幸運が訪れますように。」
「・・・・・・有難う!」
それでも、彼の灰色の瞳は本物のサンタクロースかと思う程優しく、は童心に返って彼を抱きしめ返し、キスを返し、その手から嬉しそうに風船を受け取った。
ふわふわと空に浮かぶ軽い風船の中に、幸福が本当に詰まっているような、不思議とそんな気がした。
「3!」
「2!!」
「1!!!」
「Merry Xmas!!!!」
人々の弾けるような声が、新年の喜びを高らかに歌い上げる。
色とりどりの風船が、人々の手を離れてふわふわと空高く昇っていく。
人々の願いを、神の元に届けようとするかのように。
「Merry Xmas、ブライアン!」
「Merry Xmas、!」
これからホークと共に歩いていく道の先は、必ず明るく拓けている。
はそう信じて、ホークと抱擁を交わした。
カウントダウンが終わって暫くすると、街はそれまでのお祭りムードから一転して、静寂に包まれ始めた。
つい数時間前まで寒さをものともせずに陽気に騒いでいた人々も、今は寒そうに身を竦め、散り散りに歩いている。
家族連れも、カップルも、皆満ち足りた表情で、それぞれに帰るべき場所へと帰っていく。
次第に寂しそうな顔になっていく二人を残して。
「・・・・・・・急に寂しくなったね。」
祭りが楽しければ楽しい程、後の静けさが寂しすぎて心細くなる。
頭上でふわふわと揺れている風船だけが唯一の名残で、それがなければ祭りなど最初からなかったかのような錯覚に陥りそうになる。
は片手で風船の紐をぎゅっと握り締め、もう片方の腕をしっかりとホークの腕に巻き付けた。
どちらも離さないように、消えてしまわないように、と。
「・・・・・・・取り敢えず、泊る所探そうぜ。」
「あと幾ら残ってるの?」
「えぇと・・・・・」
ホークの財布の中身は、ゼロではないにしろ、ホテルの宿泊料金にはとても足りなかった。
「・・・・・モーテルになら泊れると思う。ちょっと歩いて探そうぜ。」
「うん。」
目の前には、綺麗で居心地の良さそうなホテルが幾らも連立しているというのに、この二人に門戸を開いてくれそうな所は一軒もなく、二人はすっかり寂しくなった街の中を当てもなく歩いた。
「・・・・・・寒いな・・・・・・」
「うん・・・・・・・」
右も左も分からない場所を彷徨う二人の頬を、冷たい夜風が容赦なく叩く。
疲れと眠気を堪え、寒さに耐えて、二人は身を竦め、冷えた身体を寄せ合って辛抱強く歩き続けた。
その甲斐あって。
「・・・・・・あった・・・・・・!」
「やったぁ・・・・・・!」
やがて国道沿いの道に古いモーテルを見つけた。
早速チェックインを済ませ、部屋に雪崩れ込んだ二人は、荷物を放り出して思い思いにベッドやソファに転がり全身を伸ばした。
「はぁ・・・・・・、やっと落ち着けたわね・・・・・・・!」
「足が棒みたくなっちまったぜ・・・・・・!」
クリスマスの深夜にフラリとやってきた若い二人を、フロント係の初老の男性は怪訝そうな顔で見たが、規定通りの代金を現金で支払うとすんなり鍵をくれた。
子供はさっさと家に帰れと叩き出されたり、ましてや警察に通報などされていたら、今頃はどうなっていただろう。
そう考えると、この狭くて薄汚い部屋が高級ホテルのスイートルームのようにさえ思える。
「寒いわ・・・・・・。シャワーを浴びて温まりたい・・・・・。お湯出るかな?」
「多分な。先浴びて来いよ。」
「うん。」
はのろのろと身体を起こすと、バスルームへ向かった。
現状を考えると、すぐにでも明日からの事を話し合う必要があるのは分かっているのだが、
今のにその余裕はなかった。
ずっと外に居たせいか、身体の芯まで冷え切っている感じがする。
今はともかく、一刻も早く熱いシャワーを浴びてかじかんだ手や足を温め、ベッドに入って休みたい。
「お湯、出ますように・・・・・!」
凍りついた身体が溶けるような熱い飛沫を期待して、はシャワーのコックを捻った。
すると、サアァァァ・・・・・と、霧のようなシャワーが噴き出し始めた。
勢いはお世辞にも良くないが、辛うじて温かい。
はホッと安堵して、頭からシャワーを被った。
「あぁ・・・・・、良い気持ち・・・・・・・・」
久しぶりのシャワーは、汗や埃と共に疲労や不安も洗い流してくれるようだった。
その心地良さが、少しだけ気持ちの余裕を取り戻させたのだろう。
備え付けの安い石鹸を擦り、何とか立てた泡を身体に擦りつけている内に、は気付いた。
「・・・・・そっ・・・か・・・・・。私、ブライアンと・・・・・・・」
そう。
今夜からは、ホークと生活を共にする事になるのだ。
これからはずっと、ホークと共に。
「そ・・・・だよね・・・・・・」
それがどういう意味か、経験はなくとも簡単に理解出来た。
アパートの一室を共有し、同じ物を食べて暮らすだけでは終わらない。
ベッドまでも共にする、そういう事になるのだ。
今夜からは。
「・・・・・・・・・・」
は、高鳴り始めた胸にそっと手を当てた。
「・・・・・お湯、出たよ。」
ベッドに寝転がっていると、が背後からおずおずと声を掛けて来た。
振り返って見ると、はバスタオルを一枚巻いただけの姿だった。
裸同然のは、服を着ている時より更に細く見えた。
裸を見る時に、『案外着やせするタイプだな』と言ってからかってやろうと思っていたのだが、残念ながらその手は使えないだろう。
痩せっぽちで、胸も尻も決して大きくはなさそうだ。
「ブライアンも浴びて来たら?」
は、ホークがこれまで抱いた女の中で最も貧弱な身体をしていた。
そしてホークの好みは、もっとグラマラスな体つきの女である。
それは以前からずっと変わらない。
「・・・・・・ああ。」
しかし、ホークはいつになく緊張していた。
セックスの前に、こんな気持ちになるのは初めてだった。
童貞じゃあるまいし、何をこんなに緊張しているのだろう。
いや、童貞を捨てた時以上に緊張していると言っても良いかも知れない。
そわそわと落ち着かない気持ちで温いシャワーを被り、急いで出て来たら、はもうベッドに潜り込んでいた。
「・・・・・・寒かったから。」
ホークと目を合わせたは、恥ずかしそうにはにかんで言い訳めいた事を呟いた。
男がシャワーを浴びて出て来るのをベッドの中で待っている、ただそれだけの事に一々恥ずかしがって言い訳をするのは、に男と寝た経験がないからだろうか。
この期に及んで何も恥ずかしがる必要はないのに。
「確かに寒いよな、ここ。隙間風が吹いてやがる。」
裸の背中に細い風の筋が当たるのを感じて、ホークは身震いをして見せた。
多少大袈裟なリアクションかとも思ったが、寒いのは事実だった。
エアコンもストーブもなく、建付けの悪い窓やドアの隙間から冷気が流れ込んで来ている。
「電気消すぜ。そっち点けてくれ。」
「う、うん・・・・・」
ホークはベッドサイドの小さな電気スタンドを点けるように言うと、部屋の灯りを消しての待つベッドにさっさと潜り込んだ。
「・・・・まあ、こんなオンボロモーテルでもあっただけマシだよ。一応はこうしてベッドで眠れる。」
「うん・・・・・」
暗がりの中にじんわりと灯るオレンジ色の光が、の顔を柔らかく照らしている。
仰向けに横たわって、目のやり場に困っているかのように天井を見つめている。
その顔は、これから起きる事を明らかに理解していて、恥じらいつつも期待しているものだった。
「・・・・・・・・」
「っ・・・・・・・!」
薄い毛布から露出している華奢な肩にそっと触れると、は目に見えて身構えた。
その反応はホークにとっては未知のもので、ホークは思わず苦笑を洩らした。
「・・・・・・・・そんな硬くなるなよ。」
バージンの女というのは、皆こうまで純情なのだろうか。
期待している癖に、いざとなると怖気付いて尻込みして。
だが、不思議と面倒だとは思わなかった。
「・・・・・・俺さ。今まで馬鹿ばっかりやって来たどうしようもない奴だけどさ。」
を抱き寄せてその瞳をじっと見つめながら、ホークは呟いた。
「これからは頑張るよ。俺がお前を支えてやる。お前の夢を精一杯応援していく。」
金もなく、職もなく、住む所もない。
こんな状態で何を根拠にと鼻で笑われても仕方がない。
それでもを支えていけると、本気で思っていた。
本気で。
「ブライアン・・・・・・・」
微かに潤んだ黒い瞳がゆるゆると閉じられていくのを見ながら、ホークはゆっくりとに被さっていった。