二人は野良猫のように真夜中のスラムの街を駆け抜け、人目につき難い細い路地に逃げ込んだ。
「ハァ、ハァッ・・・・・・、誰も・・・・・、来てねぇな・・・・!?」
「はぁっ、はぁっ、ハッ・・・・、うん・・・・・、大丈夫・・・・・・!」
誰も追って来ない事を確認すると、二人はその場にズルズルとしゃがみ込んだ。
「・・・・・私、いつかこうなるんじゃないかって・・・・思ってたの。」
やがては、白い息を吐きながら小さな声で話し始めた。
「パパは昔からずっとあんな調子。お酒に飲まれて、仕事も長続きしなくて、いつも何かしら揉め事を起こしては逃げ回ってた。」
「・・・・・・・・」
「ドラッグだってそう。私が何度注意してもやめられなかった。自分でやるだけじゃなくて売買にまで手を出してた事も、私、知ってた。こんなヤバい事ばっかりしてちゃ、その内何かのトラブルに巻き込まれて殺される事だって有り得ると思ってたわ。だから、それよりはまだマシなんだけど・・・・・」
「何回目だよ?」
「3回目。若い頃に1回、それからママが出て行ったすぐ後にもう1回、ドラッグで懲役を食らってるの。」
「・・・・・・・・結構ヤバいな。」
「うん。2回目の時でも結構長くて、パパ、私が7歳になるまで出て来られなかったの。だから今度はそれ以上・・・・・・、多分かなり長くなると思う。」
ホークは、鼻の頭が少し赤くなっているの横顔を黙ってじっと見つめた。
「2回目の懲役の時は、パパの方のお祖母ちゃんが私を引き取って、パパが出所して来るまで育ててくれたの。でも、そのお祖母ちゃんも4年前に死んじゃって・・・・・・。私、どうしたら良いの・・・・・・・・」
はただ途方に暮れているだけで、多分そんなつもりで言ったのではないのだろう。
しかし、ホークは既に決心していた。
のアパートからこの路地まで、二人して逃げて来る僅かな間に。
「・・・・・・街を出るんだ。。俺と逃げようぜ。」
「え・・・・・・!?」
「お前、、このままここに居たらいずれ捕まるぞ。まず間違いなく施設へ送られる。」
予想通り驚いた顔をしているを、ホークは真剣かつ必死に口説き始めた。
これまで色んな女と付き合ってきたが、一緒に街を出ようと口説いた相手は、が初めてだったからだ。
「さっきのオッサンだって言ってただろ?『然るべき専門機関』ってのは、要するに孤児を放り込む施設の事なんだよ。俺は今まで、施設に送られて良い目に遭った奴を一人も知らねぇ。」
「・・・・・・それなら、私だって知ってる。シカゴに居た時、友達が同じような目に遭って施設に送られたから。けどその子は、少しして脱走してきたわ。施設の職員にレイプされたって。その子は、施設に連れ戻されるのが怖いと言って、何処かへ行っちゃった・・・・・。」
「そうだよ、どうせそうなるんだ。仮にまともな施設に送られても、規則規則って散々窮屈な思いをさせられた挙句、俺達ぐらいの歳の子供はすぐに追い出される。頼んでもないのにしたくもない仕事の口を見つけて来られて、すぐに働きに出されちまうんだ。」
そうやって自由を奪われ、がんじがらめにされて腐っていった子供達を、ホークは何人も知っていた。
の言うような劣悪な施設は言うまでもないが、所謂『きちんとした』施設だとて、子供達にとっては必ずしも『居心地の良い場所』という訳ではないのだ。
法と規則の下、きちんと管理し、栄養と最低限の教育を与え、一日も早く自立させて社会に放つ事が子供達の為だと大人は勘違いしがちだが、そうではない。
教科書や今日食べるパンがなくても、毎日をいきいきと過ごしている子供達は、このスラムには大勢居るのだ。
「缶詰工場か何かでやりたくもない仕事をやらされて、安い給料で一日中こき使われて、夢なんて一生叶わなくなる。夢を追う気力も失せちまう。お前、それでも良いのかよ?」
「・・・・・・・・・」
「俺と逃げようぜ。その方がまだチャンスがある。ブロードウェイは遠ざかっちまうけど、このままここに居たらそれどころじゃなくなる。もう二度とブロードウェイには行けなくなるんだぞ!スターになるんだろ!?」
たとえ雛でも野鳥は野鳥、どんなに厳しい世界でも、そこでそれなりに生きている。
無理矢理捕らえて籠の中に閉じ込めれば、生きる気力を失って死んでしまう。
ホークは、をむざむざそんな目に遭わせたくはなかった。
小さな枠の中に押し込められ、型に嵌った生き方を強要され、溌剌と輝く黒い瞳が濁ってしまうのを、何とか阻止したかった。
「・・・・・でも駄目よ、ブライアンまで巻き込むなんて出来ない・・・・・!家族が心配するわ!捜索願を出されるかも・・・・」
「出されねぇよ。お袋はそんな事に頭回らねぇ。兄貴が出て行った時もそうだった。」
「でも・・・・」
「どうって事ねぇよ。同じ家に住んでたって、どうせ元々皆バラバラなんだ。いつまでも一緒に居たって仕方ねぇよ。俺が居なくなったって、アイツらは別に悲しまねぇ。稼ぎ手が一人減って困る程度だ。それに、俺はお前と違って色々やらかしてる。さっきは巧く誤魔化せたみたいだけど、詳しく調べられたら確実に少年院送りだ。」
「色々って・・・・・・、何を・・・・・・?」
「・・・・・・・・色々。人殺し以外は大抵やった。」
不安げな顔をしたを見て、ホークは初めてこれまでしてきた事に後ろめたさを感じた。
多分、こんな顔をした人間はだけだったからだろう。
友達は皆同類で、窘めたり怖がったりするどころか、むしろお互いの悪行を自慢し合う位で、誰もこんな表情をした事はなかった。
「でも、もうやらない。お前を見てる内に飽きてきたんだ。ダチとつるんで馬鹿やるより、お前と一緒に居る方が楽しいから。」
「・・・・・・・本当?」
「神様に誓うよ。」
ホークは胸の前で十字を切ると、自分の小指に軽くキスして見せた。
ポーズではなく、本気だった。
何処か違う街へ行き、そこでと一緒にきらきらと輝く新しい人生を手に入れたいと、本気で思っていた。
「本当に・・・・・・・、良いの・・・・・・・?」
「良いに決まってんだろ・・・・・!」
「んっ・・・・・!」
ホークは、申し訳なさそうに見上げて来るの身体をしっかりと抱きしめ、冷たい唇を何度も重ね合わせた。
「・・・・・はぁっ・・・・・!で、でも、逃げるって何処へ?」
「何処か遠くへ。遠くへ行くんだ。」
とは言っても、何処にも行く当てはなかった。
ただ漠然と、『何処か遠い街』としか思っていなかったのである。
ホークは慌てて考えを巡らせ、目的地を考え始めた。
「・・・・・そうだ、ベガスへ行こう。」
「ベガス?」
「あそこならショービジネスが盛んだ。ブロードウェイじゃなくても、大きな舞台に立てるチャンスがある。ダンスで成功するチャンスがある!」
我ながら良い思いつきだと、ホークは満足げに笑いながら言った。
ラスベガスなら、このNYからはかなり離れている。
自分達二人を知る者は誰もなく、賑やかで楽しそうな街で、新天地と呼ぶに相応しい。
「ベガス・・・・・・・、そうね・・・・・・、うん・・・・・・、ベガスが良い・・・・・!」
「よし、決まった!早速行こうぜ!」
やっと微笑んだを見て、ホークは今にもはしゃぎ出したくなるような高揚した気分になった。
ラスベガスという街がどんな街か、想像してみただけで心が躍る。
夢と希望が溢れるその街でこれからと暮らすのだと思うと、の今の心中を思えば些か不謹慎ではあるが、楽しくて楽しくて仕方がなかった。
「でも待って!私、何も持ってない・・・・・・!」
そんな時、がまた悲痛な声を上げた。
「着替えもないし、財布もバッグに入れたまま、家に置いてきちゃったし・・・・・・」
が今持っている物は、抱えたまま持って出て来てしまったラジカセだけだった。
はそんな身一つの状態で遠くへ行く事に不安を感じているようだが、ホークにとっては取るに足りない問題だった。
「気にするなよ、どうせ取りに戻る事も出来ねぇんだし。俺が何とかするから、心配するな。」
「でも、何とかって・・・・・?」
「取り敢えず、俺ん家に来い!」
「あっ・・・・・!」
ホークはの手を引くと、自分のアパートを目指して走り始めた。
「入れよ。」
「うん・・・・・・・」
招かれるまま入ったホークの家は、の家より雑然と散らかっていた。
家族が多い分、それだけ物も多いのだろう。
男物も女物も子供の物も、一緒くたになって至る所に散らばっている。
無駄にあちこち電灯が灯っている家の中を進んでリビングに入ると、TVの大きな音が耳に障った。
「この馬鹿。またTVつけっぱなしで寝てやがる。」
ホークは、お菓子やジュースが散乱しているテーブルの上からリモコンを探り出してTVを消すと、ソファで口を開けて熟睡している弟のケビンを睨んだ。
「この子、ブライアンの弟?」
「ああ。ケビンってんだ。」
「ふふっ、口開けて寝てる。可愛いね。」
「どこが。クソ生意気なガキンチョだよ。」
ホークは、やっと弱々しい笑顔を見せたに薄く笑って答え、ケビンの身体を抱え上げた。
「ねえ、誰も居ないの?」
「ああ、今日もチビ共だけみたいだな。この位の時間は、お袋と姉貴は大抵居ないんだ。」
「そうなんだ・・・・・・・」
そう、こんな夜中になっても子供だけしか居ない事は、この家では良くある事だった。
夜になると、母親と姉は仕事か男の所に行く。
残された子供達は、眠くなるまでそれぞれ自由で無秩序な夜を過ごすのだ。
そして、好き勝手な所で眠ってしまった弟や妹をベッドに運ぶ役割は、いつも大抵ホークだった。
尤も、知らん顔をする事も良くあるのだが。
「ちょっとコイツを寝かして来る。」
ホークはケビンを抱えて子供部屋へと向かい、も何となくその後を追った。
「・・・・・あの子は妹?」
玩具が散乱している子供部屋のベッドには、既に小さな女の子が眠っていた。
「そう。妹のエイミー。うるせぇチビだぜ。」
ホークはエイミーの隣のベッドにケビンを横たえ、二人に上掛けを掛けてやってから、その寝顔を一瞥した。
人形やままごとの道具が散らばったベッドで眠るエイミー、
早くも上掛けを蹴飛ばして大の字になって寝こけているケビン、
今頃はストリートで客を引いているであろう姉のケイト、
そして、同じく今頃は付き合っている男と共に酒場で働いているであろう母親のリンダ。
何のかのと言っても、別に憎い訳ではなかった自分の家族。
だが、今日でお別れだ。
「、これに荷物を詰めろ。」
ホークは、そこらにあったボストンバックをに投げ渡すと、続いて自分の着替えも何着か無造作に取り出して投げた。
「よし、俺の物はこれで良い。後はお前のだな。」
それから姉の衣類も漁り、適当に選んで、それもに渡した。
背が高くグラマラスな姉の服や下着は、華奢な体格のには些か大きすぎるが、母親や妹の衣類よりはデザイン・サイズ共にに相応しい筈である。
「姉貴のだけど、お前にやるよ。サイズが合わねぇのは我慢しろ。」
「悪いわよ、勝手に・・・・・!」
「構わねぇよ。どうせアイツ、次から次へと新しいのを買いやがるんだから。」
「本当に・・・・・・良いの?」
「良いって。」
しきりに恐縮しているをその場に残し、ホークは慌しい動作で母親の寝室に駆けて行った。
母がベッドのマットレスの下にへそくりを隠している事は知っている。
路銀として、それを拝借していくつもりだった。
「よし、あった!」
母のベッドから何枚かの紙幣を探り出したホークは、パチンと指を鳴らした。
自分の財布の中身と合わせれば、ベガスまで十分行けるだろう。
ホークは母のへそくりを握り締めて、再び急ぎ足で子供部屋に戻った。
「、支度は出来たか?」
「う、うん・・・・・」
「じゃあそろそろ行こうぜ。ほら、金も用意出来た。」
ホークは紙幣をトランプのカードのように広げて見せてから、それをズボンのポケットに捻じ込んだ。
「これだけありゃ、取り敢えず何とかなるだろ。行くぜ・・・・!」
「う、うん・・・・・・!」
何も気付かずに寝こけている弟と妹を一瞥し、小さな声で『じゃあな』と呟いてから、ホークはを連れて家を飛び出した。
向かった先はバスターミナルだった。
飛行機に乗るには少々金が足りず、かと言って、この寒空の下で凍えながら、DEAの捜査官が追って来ない事を祈りつつ、いつ出会うとも知れない親切な車を待ち続ける事も出来ない。
だから二人は、長距離バスでベガスに向かう事にしたのだった。
「NY発ラスベガス行き、間もなく発車いたします。」
二人が切符を買ってバスに滑り込んだすぐ後、車内アナウンスが流れ、ドアがゆっくりと閉ざされた。
二人は、二つ並んで開いている席を見つけると、そこに腰を落ち着けた。
「・・・・・・本当に・・・・、行くんだね・・・・・・」
「・・・・・・心配するなよ。俺が一緒だろ。」
「ん・・・・・・」
固く手を繋ぎ合ったホークとを乗せて、バスはゆっくりと走り出した。