ホールに入り、ホークは客のまばらな最後列の席に腰を下ろした。
舞台に最も近い席には、審査員達が並んでおり、一般客達はその後列に続いている。
審査員達はともかく、一般客達は皆、思い思いに生きた表情をして、オーディションが始まるのを今か今かと待っていた。
家族や恋人、友人が出場しているのか、はたまた、芝居好きが高じてプロの舞台を観るだけでは飽き足らず、新しいスターが誕生していく様を見る事に情熱を傾けているのか、ある者は深刻な面持ちで、またある者は期待に満ちた眼差しで、まだ無人のステージを見守っている。
そんな観客達の姿に、ホークは少々気圧されていた。
正直なところ、ホークは、それ程真剣な気持ちで観に来た訳ではなかった。
ただ、突然観に来てを驚かせ、喜ばせてやろうとしか考えていなかったのだ。
「これじゃ、ポップコーン売りなんて回って来そうもねぇな・・・・・」
オレンジジュースとポップコーンでもつまみながら気楽に観ようと思っていたが、ここはダウンタウンの映画館とは少々雰囲気も勝手も違うようだ。
ジーンズのポケットの中で硬貨を探り出そうとしていた手を引っ込めて、ホークは居心地が悪そうに椅子に座り直した。
そして、それから暫く後。
遂にオーディションが始まった。
「No.1!宜しくお願いします!」
「はい、どうぞ。」
レオタードに『1』と書かれた札を着けた女が、審査員の合図を受けて踊り始めた。
少々きつい感じにも見えるが、金髪碧眼でスレンダーな、なかなかの美人だ。
ダンスの才能が有るか無いかは、分からない。
「・・・・・はい、そこまで。」
「有難うございました!」
「はい、次の人!」
「No.2!宜しくお願いします!」
審査時間はものの数分程度で終わり、出番の済んだ1番と入れ替わりに、司会者に呼ばれた2番の女がすぐさま現れて踊り始めた。
今度の女は黒人だ。ワイルドな感じで、これはこれでなかなか良い。
ダンスの方は、これもまた良く分からない。
「・・・・・はい、次の人!」
「No.3!宜しくお願いします!」
3番手の女は、そう美人ではないが、動きに合わせて揺れる大きなバストが魅力的なイタリア系。
男を虜にするようなプロポーションをしている。是非一度お願いしたいものだ。
ダンスはやはり分からないが。
それにしても、目まぐるしい進行ぶりだ。
様々な女が入れ替わり立ち代わり舞台に出て来ては、引き締まったボディラインを惜しげもなく晒して身をくねらせていく。
ホークは、最初の内こそそんな女達の顔や身体を遠慮なく眺めてニヤついていたが、10番目が過ぎる頃には、それももう飽きてきてしまった。
そして、いつしかホークの注目は、オーディションを受けている女達の顔や身体から、このホールの中に居る人間達の思考へと移っていったのである。
こんな場所に来る位なのだから、皆、自分のダンスに自信を持っているのだろう。
実際、観た限りでは、誰も彼もそう悪くないと思う。
だが、それがプロのステージでも通用するレベルなのかどうか、何人・何十人と観ても分からない。
食い入るように観ているが、他の観客達には分かっているのだろうか?
やる気のなさそうな態度だが、お偉い審査員の先生方の目なら、それが的確に判断出来ているのだろうか?
こんな短時間で、彼等は何処を見て、何を基準に判断するのだろうか?
やはり幾ら考えても分からない。
「さっぱり分かんねぇ・・・・・・・」
一番分からないのは、そんな曖昧なものに全身全霊を傾けている女達だ。
審査なんて一瞬で終わり、判定の基準も定かでないのに、そんなものの為に何故あんなにも必死になって頑張れるのか、それが分からない。
初対面の人間にほんの数分で自分を評価されるなど、考えただけで頭に来そうなものだが。
「・・・・・何なんだよ、こいつら・・・・・・・」
こんな場所には、未だかつて来た事がない。
これがの言う、『夢』というものなのだろうか。
それは、こんなにも圧倒されるものだというのか。
『夢』を見た事のないホークは、彼女らに対して畏敬のような気持ちさえ抱き始めていた。
「・・・・・はい、次の人!」
「No.18!宜しくお願いします!」
そんな時、舞台の上にようやくが現れた。
今までの誰よりも一際若そうでちっぽけな日本娘の登場に、観客達の中には小さく笑う者さえ居る。
しかし、当のは、周囲の事など完全に見えていないといった感じで、緊張した眼差しをただ真っ直ぐ審査員だけに向けていた。
「はい、始めて。」
審査員のぞんざいな合図で、は踊り始めた。
これまでの練習の成果を凝縮させるかのように、華奢な身体にありったけの情熱を漲らせて。
「・・・・・・・・・」
黒いショートヘアが、リズムに合わせて跳ねている。
黒い瞳が、スポットライトを映してきらきらと輝いている。
眩い光の中のが、偉大なスターに見える。
「・・・・・・・・」
思わず手に力が入る。
胸の鼓動が高鳴っている。
ホークは、いつしか自分の表情がこの場の誰よりも真剣なものになっている事にも気付かず、
瞬きさえ忘れて、踊るの姿に見入っていた。
「・・・・・はい、そこまで。」
「有難うございました!」
やがて、再び聞こえた審査員との声で、ホークは我に返った。
出番の済んだは、今一度意気込みを知らしめるかのように溌剌とした笑顔を審査員達に向けてから、舞台の袖に向かって歩いて行こうとした。
その時ホークは、何かに弾かれるようにして立ち上がった。
「・・・・・ブラボー!!!」
が足を止めて驚いている。
審査員や観客達が、何事かというような顔で振り返る。
「ブラボー!!!ブラボー!!!」
人々の奇異の目など全く気にせず、ホークは一人、大声で叫び続けた。
舞台上のに、惜しみなく拍手喝采を浴びせかけた。
すると、がホークと目を合わせて薄らと微笑んだ。
恥ずかしそうに。だが、嬉しそうに。
「ブラボー!!!ブラボー!!!ブラボー!!!」
ホークの拍手喝采は、が舞台を去るまで止む事はなかった。
突然の観客の奇行に会場は一時ざわついたが、ホークが再び大人しく席に着いた事でどうにか落ち着きを取り戻し、オーディションは再開された。
そして、全ての審査が終わった後、舞台の上に再び出場者全員が勢揃いした。
そう、審査結果の発表の為である。
「お待たせ致しました。それでは、これより審査結果を発表致します。」
司会者の事務的な声を聞き、舞台の上の女達には勿論、観客席のオーディエンス達の間にも緊張が走った。
一人一人の心臓の鼓動が一つの大きな音になって、ホールの中に木霊するのではないかと思う位、誰も彼もが緊張した面持ちで居る。
「これより、合格者の番号を順に呼んで参ります。呼ばれなかった方は、今回落選という事でご了承下さい。」
「前置きは良いからさっさと呼べよ・・・・!」
ホークの小声の野次が聞こえでもしたかのような素早いタイミングで、司会者は事務的な口調で番号を呼び始めた。
「1番!」
その瞬間、1番の女が両手で口を覆って目を見開き、一部の観客が歓喜の声を上げた。
「・・・・・8番!・・・・・・13番!」
自分の番号を呼ばれた女達は、飛び上がったり感涙に咽んだりと、思い思いに勝利の喜びを噛み締めている。
そして、彼女らを応援しに来ていたと見られる観客達も、それぞれに連れと抱き合ったり、ガッツポーズを決めたりして喜んでいる。
「・・・・・・16番!」
16番の女が十字を切って天を仰いだを見て、ホークは激しい胸の高鳴りを覚えた。
もうすぐだ。
もうすぐ18番が呼ばれる。の番号が。
間もなく訪れるその時を、ホークは逸る気持ちで待っていた。
「・・・・・・21番!」
が。
「以上、5名の合格者は、後日行う最終審査についての説明を行いますので、この後、控室の方にてお待ち下さい。その他の方々は、お帰り下さって結構です。」
の代わりに飛び跳ねたのは、21番の女だった。
ホークは呆然とした。
これは何かの間違いではないのだろうか。
間抜けな司会者が、18番を見落としたのではないだろうか。
若しくは、番号を呼び違えたか。
その内すぐに間違いに気付いて、訂正のアナウンスが入る筈だろう。
「これにて、2次審査を終了致します!本日は真に有難うございました!どうぞ皆様、お気をつけてお帰り下さいませ!」
ところが、司会者はいつまで経っても訂正をしなかった。
そればかりか、審査員達も、出場者達も、観客達も、皆ぞろぞろとホールを出て行こうとしている。
「嘘だろ・・・・・・」
信じられない。
が不合格だなんて、とても信じられない。
あんなにも輝いていたの、一体何がいけなかったというのか。
一見、冷静そうなの顔を見た瞬間、ホークは全身の血が逆流しそうな程の憤りを感じて駆け出した。
「・・・・・おい!!ちょっと待てよ!!!」
何列もの席を軽々と飛び越えながら、ホークは審査員達に向かって突進して行った。
「なっ、何だね君はっ!?」
「うるせぇ、引っ込んでろボケ!!」
あっという間に舞台の側まで下りたホークは、止めに入ろうとする司会者を突き飛ばし、一番手近に居た審査員の胸倉を掴み上げた。
「なっ、何をするんだ!?」
「オイ、どういう事だよ!?どうしての番号が呼ばれねぇんだよ!?」
「!?」
「18番だよ、18番!!何で呼ばれなかったんだよ!!お前らの審査が間違ってんじゃねぇのか!?」
「間違ってなどない!結果はきちんとチェックしてから発表させているんだ!手を放しなさい!」
審査員は厳しい口調でそう言うと、ホークの手を乱雑に振り払った。
「全く!何て奴だ・・・・・!」
「先生!大丈夫ですか!?」
「お怪我は!?」
「ああ、平気だ。有難う。」
審査員は、心配そうに駆け寄って来た人々に礼を言うと、ホークを忌々しそうに睨み付け、乱れた襟元を正しながら毅然と言い放った。
「良いか、結果が気に食わないからと言って、八つ当たりはよせ!合格は合格、不合格は不合格!オーディションの結果はそのどちらかだ、諦めろ!それとも何か?『良く頑張りましたで賞』でも欲しかったのか?ハハハッ。」
「プッ、クスクスクス・・・・・」
「ハハハハ。」
「・・・・・ふざけんなよ・・・・・・・」
人を馬鹿にした審査員達の笑い声を聞いて、ホークは握った拳を震わせた。
「ふざけんじゃねぇよ!じゃあ何でが不合格なんだよ!理由を説明してみろよ!」
「その必要は無い!我々は厳正な審査のもとで評価を出しているんだ!素人がとやかく口を挟む余地は無い!」
「それじゃ納得出来ねぇっつってんだよ!説明しろよ!!」
「それをしたら、全員に説明して回らねばならんだろう!」
「他の奴らなんか知るかよ!俺が訊きたいのはの事だけだ!!」
「一人だけ特別扱いは出来ん!分かったら帰れ帰れ!こっちは忙しいんだ!これ以上しつこくするなら叩き出すぞ!」
審査員の脅しは、ホークを尻込みさせるどころか、益々激昂させただけに過ぎなかった。
「やってみろよ、上等だよオラァ!!」
「うわぁっ!!」
「ブライアン、やめて!」
「ぶっ殺してやる!!」
ホークはの制止も聞かず、筋が浮かぶ程硬く拳を握り締めて、審査員に躍り掛かった。
審査員は、社会的地位こそホークより遥かに上だろうが、肉体的には只の中年男。
若さとパワーの溢れる精悍なホークが力で押し負ける筈がなく、ホークは審査員の抵抗を難なくかわし、彼を押し倒して馬乗りになった。
「やめろっ・・・・・!このガキッ・・・・・、誰か・・・・・!誰かこいつを何とかしてくれ!!」
頭部を庇おうとクロスさせている審査員の腕の上から構わずに拳を打ち付けていると、彼は怯えた悲鳴を上げて周囲に助けを求めた。
その途端、周囲の人間達が焦り顔でホークを押し退けようと飛び掛って来た。
「やめろこのガキっ!」
「押さえ込め!」
「ブチのめせ!!」
いつの間に誰が呼んだのか、SPらしき黒服の男達や制服姿の警備員達までが現れ、ホールの中は瞬く間に騒然となった。
「放せっ、放せーーーっ!!」
そして、その渦中に居たホークは、彼等に敢え無く取り押さえられ、引き摺られるようにして外へと連れ出された。