それからも、ホークは足繁く空き地に通い続けた。
目的は勿論、に会う為である。
互いの家も電話番号も教え合っていない上に、約束も取り交わしていない為、時には会えない日もあるが、それでも大抵は会えた。
その決め手は、が几帳面にもほぼ決まった時刻にやって来るというのもあったが、
ホークが一日の大半をそこで過ごしている事もあった。
「バイトはどうなんだよ?まだ続けてんのかよ?」
「勿論よ。一度食べに来ない?」
「パス。金がねぇ。あったらもっと美味い店に食いに行く。」
「あっははは!そうかも!確かに不味いわよね、あそこの料理。ふふっ、店員の私が言っちゃいけないんだろうけど。」
と出会ってから3ヶ月と少しが経ち、季節はいつの間にか冬になっていた。
そして、季節と共に街の景色が変わったように、ホークの生活もまた様変わりしていた。
腐れ縁の悪友達と、あまり会わなくなっていたのだ。
彼等に嫌気が差した訳ではないが、彼等と連れ立っての様々な遊びに、正直飽きてしまったのである。
喧嘩に万引き、引ったくり、レイプ。
どれも一時夢中になったが、もう飽きてしまった。
それに今は、こうしてと会っている方が新鮮で楽しい。
の踊る姿を見て、こうして時折下らない話をして。
未だセックスに持ち込めないのは確かにじれったくて苛々する事もあるが、その分、の心が、少しずつだが確実に近付いてきている。
それを実感する度に、自分でも意外な程、心が躍った。
そう、ホークの心もまた、自分でもそれと気付かぬ内に、へと近付いていたのであった。
「さて、と!もう一頑張りしようかな!」
「まだ踊るのかよ!?もうすぐ夜だぜ!?」
「今日はバイト休みなの。折角時間があるし、今日はもう少し頑張るわ。」
「今日はもうやめにして、飯食いに行こうぜ!腹減っちまった!」
「う・・・・ん、確かにお腹は空いたけど・・・・・、でもやっぱり、もう少し頑張る。」
がレッスンに熱心なのは今に始まった事ではないが、最近は更に輪を掛けて張り切っている。
その熱意たるや、感心を通り越して思わず呆れてしまう程の凄まじさだ。
「最近やけに気合入ってるよな。何でそんなに頑張ってんだ?」
「・・・・・・ふふっ。実はね。」
は含み笑いを浮かべて、ホークに手招きをした。
耳を貸せ、という事らしい。
ともかくの望む通りに耳を貸すと、すぐに微かな吐息がホークの耳を甘く擽った。
「・・・・・・オーディションを受けるの。ブロードウェイの。」
「・・・・・・マジ?」
「マジ。ほんの端役のなんだけどね。1次の書類選考が通って、2次の実技審査を受ける事になったの。もしも受かる事が出来たら、最終審査まで残れる。夢にぐんと近付くと思わない?」
ホークの耳元から顔を離し、は幸せそうに笑った。
まるでもう夢が叶ったかのような、満ち足りた笑顔だ。
「ああ、ドキドキするわ!大きな舞台で、審査員の前で踊れるのよ!審査員って、ブロードウェイの舞台監督とか、大手プロダクションの社長とか、現役の大スターとか、凄い人達ばかりなんだから!これってビッグチャンスだと思わない!?」
「おいおい、んな調子良くいくかよ。お前って本当、何でも良いように考えるよな。」
「あらっ、物事をポジティブに考えるのは、悪い事じゃないのよ?」
は、何故こんなに楽しそうで、こんなにも幸せそうなのだろう。
何故こんなに前向きな考え方が出来るのが、全く理解出来ない。
「オーディションの日はね、12月の21日なの。クリスマスが近いでしょう、何だか縁起が良いと思わない?神様が味方してくれそうな気がするでしょ?」
「ヘッ。何だよ、神頼みかよ?」
「まさか!オーディションまであと1ヶ月・・・・・・、頑張るわ、私。何が何でも合格してやる。ダンスが好きな気持ちは、誰にも負けない・・・!」
だが、黒い瞳を輝かせて夢を語るは、チャーミングで眩しかった。
万人に愛されるスターより、自分だけのものになって欲しい。
心の奥底で、ホークはそう思い始めていた。
そして1ヶ月後、のオーディションの日がやって来た。
その日ホークは、いつもの空き地には行かず、ブロードウェイに向かっていた。
無論、のオーディションを観る為である。
と約束をしている訳ではなかったが、それどころかは観に来て欲しそうな素振りさえ見せていなかったが、ホークはに内緒で観に来たのだった。
「ここか・・・・。それにしても、酷ぇ人込みだな・・・・」
オーディション会場に着いて、ホークは余りの人だかりに目を見張った。
幾ら一般公開形式とはいえ、オーディションというのはこんなにも観客の集まるものなのか。
自分の目には、全く無名の素人達が儚い夢を散らす場にしか見えないが、見る者が見れば、未来の大スターの発掘場だというのだろうか。
そこへ続々と集まって来る人間達を、ホークは値踏みをするような目付きで眺めた。
「ふーん・・・・」
タキシードにイブニングドレス、とまで畏まってはいなくても、それなりの身なりをしている者ばかりだ。
皆、善良そうで、余裕がありそうで、いかにも『観劇が趣味です』といった感じの高尚そうな人間ばかり。
中には業界の関係者かと思われるような、独特のオーラを撒き散らしている者も見受けられる。
ホークのように、薄汚れたジャンパーと所々破れたジーンズ、履き古したスニーカーといういでたちの者は、誰一人として居なかった。
そんな人込みの中を、ホークはゆっくりと歩いた。
まるで白鳥の群れに混じったカラスのように、ホークの存在は目立っていた。
すれ違う人の誰もが、不審そうな目でホークを一瞥すると、バッグをしっかりと抱え直したり、そそくさと距離をとったりする。
明らかにホークを恐れ、ともすれば危害を加えられると警戒しているのだ。
確かに、思わず期待に応えて引ったくってやりたくなるような上等そうなバッグが目の前に幾つもぶら下がっているが、もう間もなくのオーディションが始まる。
一仕事やらかしている暇はない。
「・・・・フン。」
口元に不敵な笑みをたたえながら、ホークはエントランスに向かった。
ところが。
「整理券をお願いします。」
意気揚々とエントランスを潜ろうとした時に、思わぬハプニングが起こったのである。
「整理券?」
「はい。先着順にお配りしている整理券です。お持ちでない方はご入場出来ません。」
エントランスの係員は、多分に洩れずホークを訝しげな目で見てから、にべもない口調でそう言い放った。
「じゃあくれよ。」
「生憎ですが、整理券の配布は2時間前に終了しております。」
整理券が必要だとは予想外だった。
幾ら場所が天下のブロードウェイとはいえ、今日の出し物はプロの役者が演じる舞台ではなく、あくまでも素人のオーディション。観客から金を取る筈がない。
事実、ホークのその考えは当たっており、チケットを売っているような気配は全くなかったのだ。
だから、てっきり誰でも気軽に入れるものだとばかり思っていたのだが。
「・・・・・整理券なんて持ってねぇよ・・・・・・」
こんな事なら、いっそチケット制の方がまだチャンスがあった。
それならば、一か八か有り金をはたいて交渉してみる余地もあるが、無料で先着順に配る整理券は、残念だが万に一つも手に入るチャンスはない。
「では、残念ですがお引き取りを。」
そして、この通り、絶対に中には入れて貰えない。
係員に慇懃無礼な態度で追い払われたホークは、一旦エントランスから離れて、何とか会場内に入る手段を考え始めた。
「何処かから忍び込むか?・・・・・・いや、ヤバそうだな・・・・・・・」
会場の周辺は、何人もの強面の警備員が巡回している。
この伝統ある劇場の治安を護る為なのか、それともオーディションの審査員に著名な人物が居る為なのかは分からないが、警備はかなり厳重だ。
警備員の頭数も多いが、彼等の腰に下げられている拳銃が何よりも厄介である。
あれで一斉に狙われたら、流石にただでは済まないだろう。
幾らの為とはいえ、こんな事で命を落としたくはない。
「どうするかな・・・・・・・・」
頭を悩ませていたその時、ホークの目の前に、一人の若い男がふらりと歩いて来た。
眼鏡を掛け、高級そうな厚手のコートと綺麗にプレスの掛かったスラックスを着ているその男は、どこからどう見ても喧嘩に勝った事など一度もなさそうなタイプである。
自分とは全く正反対の、裕福で、几帳面で、そして。
観たいイベントの整理券を貰い損ねるようなヘマは決してなさそうな、そんなタイプだ。
ホークは、その男を獲物を狙う獣のような目で見据えると、形ばかりの笑みを浮かべて話しかけた。
「おいアンタ。」
「な・・・何ですか?」
「ブロードウェイのオーディションを観に行くんだろ?」
「そ、そうだけど・・・・・、それが何か?」
「良い事教えてやるよ。今から行っても無駄だぜ、もう遅い。整理券がないと入れねぇ。しかも、整理券はもう配り終わってるんだとよ。アンタ、残念だったな。」
「知ってるよ、そんな事。整理券なら、前もって並んでとっくに貰ってあるんだから。」
「・・・・・フーン、何だ。折角親切で教えてやったのに。」
「ど、どうせ整理券を高値で売りつけるつもりだったんだろう?君の方こそ残念だったね。悪いけど、僕には必要ないよ。」
男はおどおどと怯えながらも、毅然とした態度を取った。
ホークのような輩に弱気で接しては、益々つけ入られるとでも思って、ありったけの勇気を振り絞ったのだろう。
しかし、温室育ちの優男がいかに虚勢を張ろうとも、修羅場の中で生きてきた野生児に通用する筈はなかった。
「・・・・・・お前になくても、俺にはあるんだよ。」
「な、何を・・・・、わぁっ・・・・!」
ホークは一瞬の隙を突いて男を人気のない細い路地に連れ込み、容赦なくその拳を何発も男の身体に打ち込んだ。
鈍い打撃音が鳴る度に血飛沫が宙を舞い、間もなく男は意識を失って地面に崩れ落ちた。
「・・・・・・あった。」
男の服を探ると、コートのポケットから整理券が出て来た。
獰猛な笑みを浮かべてそれを奪って去りかけてから、ホークはふと考え直したように立ち止まり、男のコートと眼鏡も奪った。
「借りてくぜ。」
そして、自分のジャンパーの上からコートを羽織り、眼鏡を掛けて、何事もなかったような顔で再び会場のエントランスに向かった。
「もう間もなく開始です、整理券をお持ちの方はお急ぎ下さい!」
「開演後のご入場は出来ませんので、お急ぎ下さい!」
エントランスでは、係員達が入場の締め切りを大声で訴えかけている。
どうやら間一髪、間に合ったようだ。
ホークは、先程自分を追い払った係員に、そ知らぬ顔をして整理券を渡した。
「どうぞ、お通り下さい。」
係員は、一瞬不思議そうな顔をしてホークを見たが、結局は何も気付かずにすんなりとホークを通した。
変装の効果も勿論あるだろうが、ホークの後ろにまだ続いている入場者の列を開演時刻までに捌ききらねばならず、客の一人一人の顔をじっくり観察している余裕など無いせいだろう。
「どうも。」
内心でほくそ笑みながら、ホークはそ知らぬ顔で会場に入った。
そしてまず、人込みを掻き分けてトイレに入り、誰も居ない事を確認してから眼鏡を外してコートを脱いだ。
「・・・・・ヘヘッ、こいつは貰っておくぜ。」
ホークは、脱いだコートの内ポケットに入っていた財布を自分のジーンズのポケットに捻じ込むと、コートと眼鏡を清掃用具が収納されているスペースに手早く押し込み、鏡を覗いて髪を軽く整えてから、飄々とトイレを出て行った。