SCARS OF GLORY 4




次の日も、ホークはまたあの空き地に足を運んだ。
と出会ったあの空き地に。


「今日は来てないのか。」

しかし、空き地には誰も居なかった。
ここを縄張りにしている昨日の少年達は、今頃ベッドから起きられないでいるのだろうが、が来ていないのは予想外だった。


「絶対今日も来ると思ってたのによ・・・・」

残り少なかったシガーも吸いきってしまい、ポケットを弄って苛々を紛らわせるものを探していると、昨日盗んだミントガムを見つけた。
仕方なしにそれを噛んで苛々を抑えつつ、ホークはの事ばかりを考えていた。

多分はこのスラムの何処かに住んではいるのだろうが、だからといって星の数程あるアパートを一室一室訪ねて回る訳にもいかない。
しかも、最近越して来たという話だったから、何処に立ち寄りそうか皆目見当もつかない。

だが、絶対にまた会いたい。
あれっきりで終わりたくはない。

きらきらと光っていた黒い瞳を思い出して、身体が熱くなるのを感じていたその時。



「ブライアン?」

背後からの声が聞こえた。












「何してるの?こんな所で。」
「お前を待ってたんだよ。」
「私を?」

ホークを訝しげに見たは、抱えていたラジカセをギュッと抱き締めた。


「・・・・・この間のショバ代の話なら、悪いけど聞く気ないわよ。前にも言ったと思うけど、私、身体は安売りしない事にしてるから。」

その瞳には、ホークに対する警戒心がありありと浮き出ている。
ホークが一歩でも近付けば、はここから脱兎の如く逃げ出すのだろう。

そうさせてみるのも一興かもしれない。
怯えた瞳で逃げ惑うを、引き摺り倒してレイプしてやろうか。

黒いスパッツに包まれた、細く引き締まった太腿のラインを眺めながら一瞬そう考えて、
ホークは唇を吊り上げた。


「・・・・・別に、安売りして貰う気はねぇよ。お前の方からタダで差し出してくれるのを待つさ。」

嫌がるの身体を無理矢理ものにするのも一興だが、やめた。
どうせなら、心をものにする方が楽しそうだ。
このきらきらと光る黒い瞳が、自ら進んで自分の顔を映してくれるようになる方が。


「・・・・・ふふっ。アンタって暇なのね。」

ホークの口説き文句を聞いたは、小さく笑った。
冗談と受け取ったか本気だと思ったかは知らないが、少なくとも、もうその瞳には警戒の色は見当たらない。


「まぁな。どうせ面白い事も何もねぇし。」
「ふ〜ん。でも悪いけど、私忙しいの。」
「またダンスのレッスンか?」

ホークは、の腕の中のラジカセを指した。


「そう。だから話相手にはなれないけど、暇だったら適当に見物してて。」

はラジカセを地面に置くと、スイッチを入れた。
軽快な曲が流れ始め、その途端、のしなやかな身体が揺れ始める。

もうは、ホークの事など見ていない。
周囲の景色すらも見えていない。
曲のリズムに乗って、黒いショートヘアを弾ませ、溌剌と踊り続けている。


そんなを、ホークは黙って見つめた。









ふと気付けば、頭の真上でぎらついていた太陽が傾き掛けている。
それに気付いたは、ステップを踏む足を止め、ラジカセのスイッチを切った。
そして。


「ずっと見てたの?」

まだそこに居たホークを見て、目を見張った。


「暇なら見物してろって言ったのはお前だろ。」
「そうだけど・・・・・」

踊り始めてから、もうかれこれ3時間は経つ筈だ。
そんなにも長い間、黙ってじっと見ていたなんて信じられない。
プロのダンサーを志望している位なのだから、勿論、自分のダンスにそれなりの自信を持ってはいるのだが、その反面では、他人の自分に対する評価も良く理解していた。

プロ志望のストリートダンサーなど、このアメリカには掃いて捨てる程居る。
如何に情熱を込めて踊ろうとも、道行く人々はまず滅多に立ち止まらない。
まして、こんなにも長い時間、立ち止まって見てくれる事など。


それまで唖然としていたは、やがて小さく笑って、パーカーのポケットから小さな丸い物を取り出した。


「・・・はい。あげる。」
「何だ、これ?」

に投げ渡されたそれを見て、ホークは首を傾げた。


「見て分かんない?飴よ。」
「いや、そうじゃなくてよ。」

そんな事は見れば分かる。
小さな頃から散々食べてきた、やたらに甘いコーク味の飴玉だ。
ホークが訊きたかったのは、そういう事ではない。この飴をくれた意図だった。


「ああ。・・・ふふっ、ささやかなお礼よ。私のダンスをちゃんと見てくれたの、アンタだけだから。つまりアンタは、私の最初のお客さんってわけ。だから、ささやかなお礼とサービス!」

照れ臭そうに笑ったは、そそくさとラジカセを抱えた。


「じゃあ、私、そろそろ行かなくちゃ。」
「もう帰るのかよ?」
「うん。これからバイトの面接なの。」
「・・・・・フーン。」
「バイ、ブライアン。」

あからさまに面白くなさそうな顔をしたホークに、はにっこりと微笑んで手を振り、くるりと踵を返した。

何だ、つまらない。
今日はこれで終わりか。
そう思うと、をこのまま帰してしまうのが本気で惜しくなってきた。
せめてあと一言の会話だけでも交わしたい。


「・・・・・待てよ、!」

ホークはを呼び止めて、ポケットを弄った。


「やるよ。見物料だ。」

そして、ミントガムを1枚、に向かって放り投げた。


「・・・・・ふふっ、サンキュー!」

受け取ったミントガムをひらひらと振って見せてから、今度こそ駆けて行ってしまったを見送って、ホークは貰った飴玉を口に入れた。


「・・・・・甘ぇ」

今更、こんな子供騙しの甘い飴玉を、美味いとは思えない。
だが、久しぶりに食べてみると、そう酷い味でもなかった。













次の日も、ホークはまたあの空き地に赴いていた。
何となく、今日もまたは現れるという、根拠の無い確信があったのだ。


「よぉ。」
「ああ、居たの、ブライアン?」

そして、その根拠のない確信通り、は昨日とほぼ同じ時間帯に、ラジカセを持って現れた。


「昨日言ってたバイト、どうなったんだよ?」

今日はもう少し話したい。
がレッスンを始めない内に、ホークはに話しかけた。


「受かったわよ。今日の夕方から早速仕事なの。」
「へぇ。で、何のバイトだよ?」
「ウェイトレスよ、トムズ・キッチンって店で。ドラッグストアの角を曲がった所の。知ってる?」

ああ、とホークは頷いた。
味の割に値段の高い料理を出すダイナーズだ。


「あの店のスペアリブは最悪だぜ。豚の餌の方がまだマシだ。」
「ふふっ、そうなの?」
「ああ。この街の事なら、俺は何でも知ってる。」

ニッと笑ってみせてから、ホークは言った。


「しっかし、よくやるよな、バイトなんて。長時間こき使われて疲れるだけで、大した稼ぎにもならねぇのに。」
「仕方ないじゃない。今のところ、ダンスじゃ食べていけないんだから。」
「お前、両親が居るんじゃねえのか?親父やお袋の稼ぎは?」

ホークの質問に、はただ肩を竦めただけだった。
つまり愚問、聞くだけ無駄、という事だ。
スラムに住む人間にまともな稼ぎなどある筈がないのは、ホークとて嫌という程分かっていたのだが、このスラムに生きる子供達の中には、親さえ居ない子も多いのだ。
故に、親が居るのなら、家族が何とか食べる程度の金ぐらいは、もしかしたら親が稼いでくるのかと思って一応訊いてみたのだが。


― お互い様、って訳か。


ホークもまた、黙って肩を竦めてみせた。



「それから、一つ誤解があるようだけど、ママは居ないわよ?」
「そうなのか?聞いてなかったぜ?」
「そうだっけ?ママはね、私がまだ2歳位の時に、パパと別れて日本に帰っちゃったの。」
「なんだ、そうだったのかよ。」
「うん。ママは留学しに来てたんだって。こっちに来て間もない頃にパパと知り合って、それからすぐに私が出来たから、結局ろくに通わない内に、学校は辞めちゃったらしいんだけど。」
「へ〜え。」
「ろくに英語も話せるようにならず、ろくに子供も育てないまま、ママは一人で日本に逃げ帰った。親の脛を齧ってばかりで、中途半端な事しか出来ない、世間知らずのお嬢さんだった。」
「2歳で別れた割には、いやに詳しく知ってるじゃねぇか。」
「って、よくパパがよく愚痴ってるの、ふふっ。そうだ、ブライアンの家族は?居るんでしょ?」
「お袋と、全員種違いの姉貴と弟と妹と家を飛び出して行った兄貴が居るには居るけど・・・・・・、ただ『居る』だけだな。よく一緒に暮らせてると自分でも思うぜ。俺の親父も、誰だかよく分かんねぇしな。」
「そうなんだ。でも、それだけ沢山人数が居たら、家の中が賑やかね?」
「冗談じゃねぇよ!煩くて気が狂いそうになるぜ!稼ぎもしけてやがるしよ!」
「あははっ!何処も同じね〜!」

はひとしきり可笑しそうに笑ってから、ふと真面目な顔をした。



「・・・・・でもね。私、いつかはダンスで食べていきたい。・・・・・ねぇ、笑わない?」
「何だよ?」
「笑わないって約束してくれたら、話すわ。」
「何だよ、言えよ。」
「・・・・・あのね、私ね、ブロードウェイのスターになるのが夢なの。」

黒い瞳を輝かせて、秘密の宝箱をそっと開く時のように息を潜めて、は自分の夢を打ち明けた。
それは、正に『夢』と呼ぶに相応しい、果てしなく壮大な願望だった。


「・・・・・何よ、笑わないの?」
「笑わないって約束をさせたのはお前だろ?」
「ふふっ、そうだったわね。」

約束を自ら破って笑ったは、ホークに尋ねた。


「ねえ、ブライアン。アンタは?アンタには何か夢は無いの?」
「夢?」

有る、と答えて欲しそうなの顔を見つめながら、ホークは今まで考えた事もなかった事を考えてみた。

夢。
将来の夢。
質屋にも売れないし、食べる事も出来ない。

そんな腹の足しにもならないようなものなど、ホークは今まで一度として、欲しいと思った事はなかった。


「・・・・・別に。何もねぇな。」
「そう・・・・・。じゃあ、こんな生活から抜け出したいと思った事は?」
「・・・・・・・」
「私はいつも思っているわ。もうこんな暮らしはたくさん!このままいたら、娼婦かチンピラの女になって、ドラッグ浸けになって、一生スラムの女で終わっちゃう!持っているものといったら、山程の借用書と父親の居ない子供達だけなんて、ゾッとするわ!地べたを這いつくばって、警察とマフィアに怯えて暮らすような人生はまっぴら!」

確かに、の言う通りだ。
ホークの身近に居る女達は、皆、の言うような人生を歩んでいる。
それも、そうなろうとしてなった訳ではなく、周囲の人間や環境・状況に流されるまま。
そして気が付けばスラムにどっぷりと浸かりきり、スラムで育った子供から、スラムでしか生きられない大人になってしまう。


「だから、高い所へ行きたい。大好きなダンスの道で成功したい。栄光を掴みたい。そして、何にも煩わされずに、ダンスの事だけを考えて生きていきたい。」
「・・・・・ただ好きなだけじゃ厳しいだろ。世の中そんなに甘くねぇぜ?」

スラムの親から子、子から孫へと受け継がれる、忌まわしき負の連鎖。
それを断ち切ってここから必死で這い上がろうとするの気持ちは、ホークにも理解出来た。
だが、それを実現させるのは、どれ程難しい事か。
まして、文字通り遥か彼方の星を掴むような夢物語が、現実のものになる訳がない。
『信じれば必ず叶う』なんて只の慰め、それがホークの持論だった。


「分かってる。だから頑張るのよ、今出来る事を精一杯ね。今はまず、ダンスのレッスンと、今日から始まるバイトを頑張らなきゃ!」

だが、同じスラムの子供達の中には、それと真逆の思想の持ち主も居る。
何の保証もなくても、『信じれば必ず叶う』という言葉だけを心の支えにして、夢にひたむきに情熱を傾ける者も。


屈託のない笑顔を見せるは、ホークとは正反対の人間のようだった。




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後書き

ホークとヒロインとの距離が縮んできました。
なーんか、ありがちな青春サクセスストーリーって感じになってますね(笑)。
ま、こんな感じで、ぼーちぼちと書いていきます。