ONLY ONE 2




次の日。
ジムへ行く途中、間柴はピアノ教室の前で昨日の女性に呼び止められた。

「あの!」
「・・・なんだ」
「あの、昨日は助けて下さって有難うございました!私、ここの教師をしています と申します。」
「・・・俺に何の用だ?」
「あの、昨日のお礼をしたくて・・・。」
「いらねぇ。」
「それじゃ私の気が済まないんです!」
「いらねぇっつってんだよ」
眉間に皺を寄せて申し出を突っぱねる。

「でも・・・・」
「用はそれだけか?俺は急いでるんだ」
の呼び止めに応じることなく、彼はジムへと歩いて行った。


−礼が欲しくて助けたわけじゃねぇ。ただのなりゆきだ・・・


心の中で、ひとりごちる。


それに「そうですか、なら遠慮なく」なんて、まるでそれを期待してたみたいだろうが。
そんなんじゃねぇ。断じて違う。


ジムまでの僅かな距離の間、彼の頭の中ではそんな思いが忙しく行き交っていた。
とにかく、彼女の厚意を素直に受け取れるほど、彼は人付き合いが得意ではなかった。









練習の間、間柴はすっかりの事を忘れていた。
当分試合の予定はない。彼の圧倒的な強さと勝利への凄まじい執着心がそうさせているのだろうか、 挑戦者がぱったりと途絶えた。しかしそれならそれで別に構わない。


元々日本王者に甘んじるつもりはない、そろそろ世界へ打って出る頃か。


ただひたすら高みを目指し、黙々とハードな練習を積む。
練習を終え、着替えを済ませてジムを出る。

−そういや、久美の奴は夜勤っつってたな、どっかでメシ食って帰るか。





の教室の近くにさしかかった時、昨夜の男が教室へ入っていくのが見えた。


・・・・またか。
あの とかいう女、一体なんだってんだ。


しかし乗りかかった船というか、見過ごすわけにもいかない気がして、教室へ近づく。
今度はもう少し会話を聞いてみよう、そう思い、昨日より近づいて耳をそばだてる。

「だから、ないって言ってるでしょう!!」
「嘘をつくな!」
「ないものはないのよ!二度とここには来ないで!!」
「俺だって困ってんだよ、なぁ頼むよ・・・!」
「私には関係ないって言ってるでしょ!!」
「お前それでも娘か!?父親が困ってるってのに、なんてヒデェ女だ!この恩知らずが!!」
「あんたなんか親だなんて思ったことないわ!!」
「誰のおかげでここまでなれたと思ってんだ!?俺が金出してピアノやらせてやったからだろうが!!」
「なッ、あんたの金じゃないわ!!母さんがずっとやりくりして出してくれたのよ!それに大きくなってからは 自分で払ってたじゃないの!!」
「いいから手持ち寄越せよ、急いでんだ。1万でもいいから!」
「イヤッ、離して、離してよ!!!」

男がの腕を乱暴に掴む。それが合図だったかのように、間柴は教室の中へと駆け込んだ。
男を乱暴に引き剥がす。

「またテメェか!!関係ねぇ奴はひっ込んでろ!!」
「どうやら本気でブチのめされたいらしいな」
そう言って昨日よりも鋭い殺気を込めて男を睨みつける。
その恐ろしさに男がたじろぐ。
「テメェのツラ覚えたぜ。次に来やがったら、マジで殺してやる。」


ヤバい。こいつはヤバい。
本能的に悟ったのか、男はコクコクと頷き、一目散に逃げていった。




を見ると、肩で荒く息をしながら、父親が去っていった玄関を睨みつけている。
その瞳には、穏やかそうな外見には似つかわしくないほどの憎しみが宿っている。
は彼の視線に気付き、慌てて頭を下げた。

「重ね重ねお手数をおかけしました!ありがとうございます!」
「昨日といい今日といい、一体なんなんだよ。」
「・・・・」

からの返事はない。

「あんたまだ仕事か?」
「・・・いいえ。もう帰るところ、でした」
「ならちょっと付き合え!」
「え?」
「礼がどうとか言ってただろが。」
「あ、はい・・・。ちょ、ちょっと待っててもらえますか、戸締りしないと・・・」
はそう言って立ち上がり帰り支度を始めた。

もちろん、礼が欲しいわけじゃなかった。一度ならず二度までもあのような場面に遭遇した。
しかもなにやら複雑そうだ。一人にしておくとまた父親が戻ってきて一悶着あるかもしれない。
そう、彼自身断じて認めたくないが、心配だ。
妹以外の女の心配など、生まれてこのかたしたことのなかった彼が、どうにもこのという女性だけは気にかかった。








行きつけのラーメン屋へ連れていき、食事をした。
色々聞きたいことがあったが、なかなか切り出せず、終始無言で麺をすすった。
会計を持つと言って聞かないに折れ、勘定を払ってもらい店を出る。

「・・・あんたの家は?」
「20分ぐらい歩いたところです」
「送ってやる」
「でも・・・」
「聞きたいこともあるしな」


・・・やっと言えた。


「・・・はい。」



二人して歩き出す。


「一体あのヤローは何者だ?」
先程の会話から、彼女の父親らしいことは分かったが、一応尋ねてみる。

「父、です」
「親子の会話にしちゃ物騒だったな。金がどうとか言ってたが。」
「・・・、お金をせびりに来たんです。」
「大したオヤジだな、娘の仕事場まで小遣いの無心に来るとはな。」
「私、父には仕事のこと何も教えてなかったんです。どこで調べてきたんだか・・・・」
「教えてねぇ?同じ家に住んでんじゃねぇのか?」
「私、実家を出て一人で暮らしてるんです。今の住所も職場も父には教えてません。」
「家には来ねぇのか?」
「今のところ。」

「あんたいくつだ?若そうだがあの教室の経営者か?」
「とんでもない。私は雇われの教師です。年はもうすぐ22歳です。」
「俺と同い年か。見えねぇな。」
「そうなんですか?」
「あぁ」
「もっと年上かと思ってました。間柴さんって。」
「・・・・俺のこと知ってるのか?」
「はい。Jライト級のチャンピオンなんですよね。有名ですよ。さすがに年までは知りませんでしたけど。」
「んなこたどうでもいいんだよ、それよりあんただ。何とかできねぇのか?」
ふんわり微笑んで答えられ、照れた彼は眉間に皺を寄せて話を戻す。

「来たらとにかく追い返すしかないんです。身内のことだし、警察に相談するのも母が嫌がって・・・。 でも、家ならともかく私の職場に来るなんて・・・・。こんなことが本部に知れたら私クビになっちゃう・・・!
それだけは困るんです、ピアノは私の生き甲斐なんです!頑張って頑張って、やっと教師になれたのに・・・」
は興奮したように震える声でそう言う。


−生き甲斐。そんな台詞を吐く女は見たことがねぇ。


「泣くんじゃねぇ。」
「・・・済みません。助けてもらったばかりか、こんな話まで聞いてもらって・・・。こんな話されても困りますよね。」
「・・・ってやる」
「え?」
「明日からとりあえず家まで送ってやるっつってんだ!あんた一人なら毎日でも来やがるかもしれねぇが、俺が横にいりゃ手出してこねぇだろ!」
眉間に深い皺を何本も寄せて、心もち赤い顔でまくしたてる。

「でも・・・」
「なんだ!?文句でもあんのか!?」
「いえそうじゃなくて、日本王者の方にそんなボディーガードみたいな真似・・・・」
「俺がいいっつってんだからいいんだよ!」
怒鳴りつけるように言われ、その剣幕に思わず怯む

「そ、そうですか?じゃあ、お言葉に甘えても・・・・」
「くどい!」
「よ、宜しくお願いします!」


かくして、間柴はのボディガードを務めることとなった。




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後書き

何やらヒロインが複雑な問題を抱えています。
嫌な設定で申し訳ありません!!
何不自由なく育った人より、ちょっと苦労人っぽい人の方が兄さんとっつきやすいかな、とか思ってしまったので。
あんまりヒロインの背景を書きすぎるととんでもなく暗くなりそうなので、
今後は控えめにしようかな、と。(←ホンマか!?)