シンに勢いよく引きずり込まれたせいで、は床に倒れこんでしまった。
すぐ前までシンが歩み寄ってくる。
は、このままいつものように半ば犯されるようにして抱かれるのだろうと身構えた。
しかし、シンは冷たい瞳で無表情にを睨み下ろしたまま、指一本触れようとしない。
「あの、KING様・・・?」
「、お前も知っていたのか?」
「え?」
「ユリアの病気の事を、お前も知っていたのか。」
「それは・・・・」
シンは口籠ったの腕を掴んで引っ張り立ち上がらせると、の顎を掴んで自分の顔を見上げさせた。
そしてもう一度、同じ事を繰り返す。
「知っていたのかと聞いているのだ。」
「・・・・は、はい・・・・。」
声を荒げている訳でもない。殴られた訳でもない。
だが、身体の芯から震え上がる程恐ろしく感じる。
シンの瞳には、そう思わせるに十分な凄まじい殺気と狂気が宿っている。
それに怯えたは、思わず口を滑らせてしまった。
― 殺されるかもしれない。
シンの剣幕に、は命の危険すら感じた。
しかしシンはそのまま何もせず、ただ冷たく響く声で話を続けた。
「医者の奴が口を滑らせおったわ。ユリアは死の病に冒されていると。お前も奴から聞いたのか?」
「いえ、ユ、ユリア様から直接・・・・」
「ユリアはお前にも口止めしていたのか。」
「はい・・・・。」
そこまで訊くと、シンは不意に手を離した。
どうにか息を整えたは、ユリアの噂の真偽を問いかけた。
「KING様、あの、ユリア様がお亡くなりになったという話は・・・」
「お前には関係のない話だ。」
「そんな・・・!あんまりでございます!せめて本当か嘘かだけでも・・・!」
「本当でも嘘でも、そんな事はもはや取るに足らん事だ。」
シンは吐き捨てるようにそう言うと、に背を向けた。
そしておもむろに壁に向かって拳を突き立てた。
「っ!!」
壁はシンの拳を受けて大きく抉れ、ひび割れ、残骸が崩れ落ちる。
その轟音には身を竦ませたが、そのままの状態で微動だにしないシンを不審に思い、恐る恐る彼に近付いた。
そしてそこで、は信じられない光景を目にした。
シンは泣いていた。
両方の瞳からとめどなく涙を流し、苦しみもがくような嗚咽を漏らして。
「KING様・・・・・」
「・・・・っく・・・・!何故だ・・・、何故・・・・・!」
日頃あれ程自信に満ちているシンのこんな姿は初めて見た。
あまりの痛々しさに、は何と言葉を掛けて良いのか分からず、ただ呆然と立ち竦んだ。
「・・・・出て行け、誰の顔も見たくない・・・!」
「KING様・・・・」
「出て行け!!」
シンはいつになく感情的に怒鳴り散らした。
何もしてやれない自分の不甲斐無さを責めつつも、はシンの命令に従って出て行った。
「ふっ・・・・、っく・・・・!!」
ドアが閉まる音を聞き届けたシンは、張り詰めていたものが急に消えてしまったかのように、その場に膝から崩れ落ちた。
そしてそのまま、涙が枯れ果てるまで泣いた。
自分の部屋まで戻って来ると、もまた堰を切ったように涙を流した。
何が悲しいのかも、もはや分からない。
ユリアの病の事、死の噂。
悲しみを露にするシンの、見るに忍びない姿。
そんなシンに何もしてやれない歯がゆさと、何も求めてもらえなかった寂しさ。
そして、それ程までにユリアを愛している事を今一度はっきりと思い知らされた事。
様々な感情が入り乱れ、の心はいくつもの欠片に引き裂かれそうな程混乱し、痛んでいた。
もまたシンと同じく、一人泣き続けることしか出来なかった。
一晩中悲しみに打ちひしがれたシンは、遥か彼方の地平線から昇る朝日を見つめて、一つの決意を胸に抱いた。
ケンシロウとの決着は、もはや永遠につくことはないだろう。
どちらが勝っても、ユリアは直に手の届かない場所へ行ってしまう。
だがケンシロウ、敢えてお前と相まみえよう。
それが、今の俺に残されたたった一つの・・・・・
シンが感情を剥き出しにする事は、それ以降只の一度もなかった。
互いに泣き暮れた翌日、はシンの普段と何も変わらない姿を見て、内心ひどく驚いた。
あの時の涙は幻影だったのか?
そう錯覚してしまうぐらい、シンは全くいつもと変わりなかった。
変わったことと言えば、この城からユリアが居なくなった事、そして仕える主人を失ったが、また以前のようにシンの身の回りの世話をするようになった事ぐらいであった。
あとは取り立てて特に変化のない日々を送っていた、そんなある日のこと。
城に何かが運び込まれてきた。
シンに呼ばれてそれを受け取ったは、包みを開いて驚きのあまり絶句した。
「KING様、これは・・・・!」
木箱に横たわっていたのは、全裸のユリアであった。
すわ遺体かと取り乱しかけたを、シンは無表情で制した。
「よく見ろ。これは人形だ。」
「人形?」
そう言われてみると、確かに人形だ。
本人と見まごう程精巧に作られてはいるが、よく目を凝らしてみれば、それが無機質な人形である事に気付く。
取り敢えず安堵したは、これを自分にどうさせたいのかとシンに問いかけた。
「それを着飾れ。ユリアのドレスを着せて、宝石をつけて。化粧もしろ。念入りにな。」
「・・・・はい。」
必要な事だけを告げると、シンは足早に出て行ってしまった。
こんな人形を手に入れて、彼は一体何をするつもりなのだ?
まして着飾らせてどうしようというのだ?
しかしそれを聞く事も出来ず、はただ言われた通り人形を飾り始めた。
かつての彼女が決して好まなかった華美な装いをして、ユリアの形代は最上階の大広間に鎮座することとなった。
そしては『彼女』の世話を仰せつかった。
だが、はその役を苦痛に感じていた。
こんな空しい着せ替えに一体何の意味があるのか。
ドレスを替え、髪を梳かす度に、胸が詰まり涙が溢れそうになる。
しかしシンは、そんなにただ毎日『彼女』の世話をしろと命令するだけだ。
そして日に一度は必ずここに来て、『彼女』の様子を伺う。
時には話しかけさえしているようだ。
会話など、決して成り立ちはしないのに。
― KING様はお気が確かでないのかもしれない。
以前にも増して彼の心の内が分からなくなってきたは、いつしか彼のこの行動を、深い悲しみから来る狂気の沙汰と思うようになっていた。
そして、そんな彼を何とか救いたいと切望するようにも。
は心の底に封印した筈の想いを、もはや抑えきれなくなっていた。