次の日、は珍しい時間帯にシンに呼び止められた。
それも偶然ではない。
シンはいつも通りユリアに朝食を運ぼうとしたを、明らかに待ち受けていたのだ。
「おはようございます、KING様。」
「、昨夜の話を誰かに喋ってはいまいな?」
の挨拶をぞんざいに受け流し、シンは珍しい事を口にした。
昨夜の話とは、部下からの報告のことであろうか。
それにしても、このような事を言われるのは初めてだ。
「はい。喋っておりません。」
「ならば良い。いいか、決して誰の耳にも入れるな。特にユリアにはな。もし喋ればお前の命はないものと思え。」
「重々承知しております。決して口外いたしません。」
心配せずとも、口外する気などには全くなかった。
ましてシンの隣で寝台に横たわって聞いていたなどと、ユリアに言える訳もない。
シンとの密かな関係は、ユリアには勿論誰の耳にも金輪際入れるつもりはない。
は自らの命に誓ってシンの命令に頷いた。
自分の顔をまっすぐに見てはっきりと誓うの様子に安心したのか、シンはその場を去っていった。
去っていくシンの背中を見送りながら、はシンの今の言動の意味を図りかねていた。
― 何をそんなに隠したがっていらっしゃるのだろう?
シンの心の内は分からない。
ただ、人に知られたくないらしい事は確実だ。特にユリアには。
だが、どうにも腑に落ちない。
普段のシンらしからぬ行為が、に小さな疑惑を抱かせていた。
何事においても動じないシンが、たかが部下一人の負傷の報告を受けたぐらいでわざわざ口止めなどするだろうか。
しかし、自分があれこれと考えあぐねたところで、どうになる訳でもない。
は、心に小さく芽生えた不穏な予感を早く忘れてしまおうとばかりに頭を振って、ユリアの部屋のドアをノックした。
「おはようございます、ユリア様。」
「おはよう、。」
「今朝のお加減はいかがでございますか?」
「ええ・・・・」
毎日の日課を済ませ、はユリアに朝食を給仕した。
少しずつ口に運ぶユリアを見守りながら、はどこかすっきりとしないものを感じていた。
といっても、先程のシンの話ではない。
ユリアの容態である。
確かに一時期に比べ、峠は越している。
だが、それ以上に回復しないのだ。
相変わらず微熱は続き、食事は摂取しているものの、顔色はまだ優れないままである。
シンの言いつけに従って出来る限りの医師を集め治療させているが、それでもこの状態である。
余程厄介な不調か、それとも心の曇りが回復を遅らせているのか。
もはやに判断はつかなかった。
曇った表情でぼんやりとしているに気付いたユリアは、食事の手を止めて話しかけた。
「どうかしましたか?」
「え?あ、いえ・・・。なんでもございません。」
「そう。でも疲れているのではないかしら?毎日私のせいで大変な思いをさせてしまって・・・。ごめんなさいね。」
「何を仰いますか。ユリア様さえお元気になって下されば私はそれで・・・」
そう言ったに、ユリアはふと微笑みかけた。
その笑顔には、どことなく諦めに似た色が浮かんでいる。
「、話があるの。こちらに来て座ってちょうだい。」
ユリアは手招きすると、にベッドサイドの椅子を勧めた。
「何でしょうか?」
「あなたには本当に感謝しています。この獣達の檻の中で、あなただけが心を通わせる事の出来る唯一の人でした。」
「ユリア様、急にどうなさったのですか?」
「だから、あなたには打ち明けておきたいの。」
の胸が一瞬嫌な予感で高鳴った。
しかしユリアはそんなの気を知ってか知らずか、穏やかな微笑を浮かべたまま恐ろしい告白をした。
「私の命は、もう残りいくばくもありません。」
「え・・・・?」
「先日、お医者様に告げられました。私の身体は死の病に冒されている、と。」
「そんな・・・・」
突然の話に、は激しく狼狽した。
ユリアは、今にも涙を零しそうなを落ち着かせるように、その手を優しく取った。
しかしその温もりは、かえっての感情を昂らせた。
「KING様は何と仰っておいでなのですか!?」
「彼には話しておりません。お医者様にも、くれぐれも他言しないようにお願いしました。」
「何故でございますか!?そのような一大事を・・・!私からKING様にご報告を・・・」
「駄目よ。止めてちょうだい。」
ユリアはいつになく毅然とした通る声で、立ち上がりかけたを呼び止めた。
仕方なく、は再び椅子に腰を落とした。
「ユリア様、何故・・・・」
「あなただから話したの。決して誰にも言わないと約束して。」
「私、そのような約束は・・・・」
「、お願いよ。約束してちょうだい。」
固い意思の宿った瞳でまっすぐに見つめられ、はその約束を承諾せざるを得なくなった。
「・・・分かりました。」
「ありがとう。恩に着ます。」
緊迫した面持ちを和らげて、ユリアは安心したようにいつも通りの優しい微笑を浮かべた。
それから数日、はいつになく落ち着かない気分で仕事に就いていた。
気持ちは動揺しているが、幸いな事に仕事はすっかり身体に馴染んでいる。
表面上は淡々と仕事をこなしている為、の心の動揺に気付く者は誰もいなかった。
夕方近くになって洗濯物を取り込んでいる時、はふと人の話し声が聞こえた気がして、干しているシーツの陰に隠れた。
ほどなくして裏口から出てきたのは、何かを抱えたKING軍の兵士数人であった。
「面倒くせえな。なんだって俺らが死体の始末なんざしなきゃなんねえんだ。」
「仕方ねえだろが。KINGには刃向かえねえよ。」
『死体』という言葉に、の身体が一瞬恐怖で竦んだ。
男達が抱えているのは担架のようなものであり、上に布が掛けられてはいるものの、血でどす黒く染まっている。
「それにしても、こいつらも情けねえ奴らだぜ。」
「全くだ。ノコノコ逃げ帰って来たところでKINGに殺されちまうんだから、もうちょっと気張ってくりゃ良かったものをよ。」
「言えてらぁ。」
「そういや、スペード様の死体も処理しなきゃなんねえんだっけか?」
「おうよ。つくづく面倒くせぇぜ。」
「フハハ!死んじまったらスペード様も何様もあったもんじゃねえな。」
「まとめてポイ、よ。こちとら生きてるモンは忙しいんだ。ハッハハハ!」
男達は軽口をたたきながら城の外へ出て行った。
大方そこらで死体を焼却するのだろう。
死体はどうやらシンの部下らしい。
だが、そこにスペードが含まれているとは。
男達の話を耳に挟んで、は先日シンの寝室で聞いた話を思い出した。
ユリアの秘密を聞いてから気が動転してすっかり忘れていたが、確かにあの時スペードの名を聞いた。
そして。
― 胸に七つの傷の男。
その男がスペードを殺したかどうかまでは分からないが、全く無関係だとも思えない。
少なくとも、シンはその男の存在をユリアに知られたくないと思っている。
シンとユリア、それぞれの秘密を一つの心にしまい込まされたは、何か得体の知れない恐ろしい歯車が回り出すような予感を覚えずにはいられなかった。