数日と言った当初の予定は大幅に過ぎ、今ではもうそろそろ二週間が経とうとしている。
「ん・・・・・・・・・」
昼日中からベッドでまどろんでいるを一瞥して、ユダは裸の身体にガウンを羽織った。
ここへ来てからというもの、随分と自堕落な生活を送っている。
寝食以外は殆ど何処かしらで睦み合っていると言っても良い。
それはベッドであったり、浴室の中であったり、柔らかな陽の差し込むリビングのソファであったりと、その時々によって違うが、ユダは己との体力がもつ限り、を抱き続けた。
「ふふっ、気絶しなければもっと抱いて差し上げたが・・・・・・、ゆっくりおやすみ、・・・・・・・」
力尽きて眠ってしまったに優しい口付けを与えると、ユダは鏡の前に立って少し乱れた髪を直した。
「フフ・・・・、俺は完璧だ・・・・・。この世の何処にも、俺に勝る男は居まい。」
ガウンの合わせ目から覗く逞しい胸板も、すらりと伸びた長身も、不思議な雰囲気を放つ中性的な顔立ちも、全てが魅力に満ち溢れている。
その上圧倒的な力と明晰な頭脳を持ち合わせているとなれば、太刀打ち出来る男などそうそういない。
鏡に映る自信に満ち溢れた己を称賛し、ユダは同じく鏡の中で眠るへと視線を移した。
「俺以上に貴女に相応しい男など居はしないのだ、・・・・・・。なのに貴女は何故・・・・・・」
仇をとってやった自分に感謝するどころか非難するようなものの言い方をし、二人の共通の敵、二人の幸せな時間を奪った男を憎むどころか心配していたの表情は、思い出すだけで不愉快だった。
可愛さ余って憎さ百倍とは、正にこの事だろう。
ハンスがふらりと城にやって来てからというもの、どうもの態度に落ち着きがないと思って調べさせてみれば、案の定はハンスの居場所を探り当て、そこへ人目を忍びながら足繁く通っていたのだ。
落ちぶれ果てたハンスを嘲笑い、積年の恨みをぶつけてやる為ならまだしも、甲斐甲斐しく食料や薬を届ける為に。
「俺がこんなにも愛しているというのに、貴女という人は・・・・・・・」
ユダは傷ついたような表情を浮かべて、再びの側へと歩み寄った。
「酷い人だ、貴女は・・・・・・。けれど、これはきっと一時の気の迷いだ。そうだろう、?」
ユダはに優しく問いかけ、その頬をそっと撫でた。
「如何に憎むべき相手とはいえ、長年連れ添った男が突如現れて動揺しただけだ。そうだろう?そう・・・・・・それに、貴女は優しい女性だ。死に掛けている人間を放っておけなかっただけに過ぎない。フフ、本当に貴女は仕方のない人だな。優しくする価値のある人間とそうでない人間、その区別もつかぬのだから。ただやみくもに優しいばかりでは、貴女一人が辛い思いをするというのに。」
ユダは静かな寝息を立てているの頬にそっと己の頬を摺り寄せると、愛しそうに囁いた。
「、俺だけの・・・・・・。貴女が想う相手は、俺一人で良い・・・・・・・。」
幼い頃、独占していたと言っても過言ではなかった、初夏の太陽のようなの笑顔。
一度見知らぬ男に奪われ、やっとの思いで取り返した今、もう二度とそれを失いたくはない。
いや、決して失ってなるものか。
「俺から貴女を奪い、俺達二人を引き裂いたあの男には、最高の形で惨めな死をくれてやる。
、貴女はウェディングドレスを着て、何の迷いもなく俺の隣で幸せそうに微笑むのだ。
あの男は薄汚い野良犬のように地べたに這い蹲り、貴女の目に触れぬ遠い場所からそれをなす術もなく見せ付けられる。そうして最大の屈辱と絶望を与えてから、密かにこの俺自らの手で、破片も残らぬ程に切り細裂いてやる・・・・・・。」
どうだ、傑作だろう、そう問いかけると、は微かに眉根を寄せた。
「その時こそ、貴女は永久に俺一人のものだ・・・・・・・・・」
その時こそ・・・・・・・・・・・
ユダの穏やかな、それでいてどこか狂気じみた低い呟きの余韻は、無色透明の毒の霧のように、室内にいつまでも漂い続けた。
「ん・・・・・・・・・・・」
身体を蝕むだるさのせいだろうか、視界が明瞭でない。
ぼんやりと焦点の定まらない目を辛抱強く開き続けていると、いつの間にか窓の外が暗闇に包まれているのが分かった。
夜まで眠ってしまったのかと半ば呆れながら、はゆっくりと身体を起こした。
「・・・・・・ユダ?」
ふと気付くと、ユダが隣で眠っていた。
少し寝乱れた赤毛のヴェールの下で、長い睫毛がしっかりと伏せられている。
恐らくユダも、この怠惰な時間に疲れを覚え始めているのだろうと、は思った。
このところ、昼夜を問わず愛欲に溺れる日々を過ごしているのだ。
如何にユダが精力に溢れた年若い青年とはいえ、そろそろ疲れを感じるようになっても無理はない。
「ユダ・・・・・・?」
呼びかけても、ユダからの返事はない。
昔の面影が少しだけ残る寝顔を月光に晒し、二人分の温もりが宿るシーツに身を横たえているだけである。
は小さく溜息をつくと、ユダを起こさないようにそっとベッドから抜け出し、傍らに投げ出されてあったランジェリーを身に着け始めた。
ユダの痕跡が紅く残る肌を、黒いレースのランジェリーが少しずつ少しずつ、覆い隠してゆく。
ユダに背を向け、暗闇の中でゆっくりと衣服を整えながら、は不意にその手を止めてユダの方を振り返った。
ユダはまだ目覚めない。
疲れ果てて、珍しく深々と眠り込んでしまっている。
今なら或いは・・・・・・・
それまでぼんやりと伏し目がちだったの瞳に、にわかに活気と緊迫感が帯び始める。
ユダの気配ばかりを気にしながら急いでドレスに袖を通すと、は息を潜めてそっと部屋を出た。
「あ、奥方様。お目覚めになりましたか?」
寝室を出て、広間へと続く廊下で鉢合わせたのは、この館で働いている使用人の一人であった。
城とは違い、ここの使用人の顔ぶれは数日単位で変わるので、名も知らぬ女だ。
普段は無人のこの館にユダが無駄な人員を割く筈もなく、村の者達が順番を決めて交替で務めているらしい。
「お夕食は如何致しますか?先にお湯を浴びられますか?」
この村の住人だという以外名前も知らないこの女性、彼女が自分の命運を左右する人物になる。
運を天に任せる気持ちで、は彼女の手を掴んだ。
「あ、あの?奥方様?」
「話があります。こちらへ・・・・・」
困惑する女の手を引いて周囲を注意深く見回しながら、はすぐ近くにあった部屋の一室へ素早く身を隠した。
「あの、奥方様?お話とは・・・・・・・」
「訳は訊かないで欲しいの。何も言わずに、私と服を交換して下さい。」
「は?」
面食らっている女中に、は真剣な顔で懇願した。
今考えている事を実行に移すには、出来るだけ身軽な方が良い。
脆く繊細で、かつ人目につきそうなドレスでは、事が困難になるからである。
「あなたのその服と私のドレス、交換して下さい。」
「は・・・・・?あの・・・・・、その・・・・・・」
「どう、駄目かしら?」
戸惑う女中の顔をじっと見つめ、は更に女中の心を擽るように畳み掛けた。
「勿論、このドレスはあなたに差し上げるわ。返せとは言いません。私もあなたのお洋服、恐らく返せないでしょうけど・・・・・・」
「い、いえ、こんなボロ服・・・・・・」
「どう?こんなお話をするのはどうかと思うけれど、売ればかなり価値のあるものです。暫くは食べる物にも困らないでしょう。不服なら、アクセサリーも全て差し上げます。全部本物の金や宝石よ。値打ちは保証するわ。」
「そんな、滅相もございません・・・・・!私はただ・・・・・・」
大人しくて上品な貴婦人だとばかり思っていたが、このように生々しい話を持ちかけて来るとは思ってもみなかったのか、女は呆気に取られている。
しかしにとっては、この程度の交渉など日常茶飯事であった。
食うや食わぬやの生活を送っていた頃、辛うじて手元に残った僅かばかりのドレスや貴金属を食料と交換する役目も、全てだったのだから。
「でも・・・・・、私のこんなボロボロの服を、奥方様の高価なドレスと交換だなんて・・・・・」
「構いません。お願いします。」
「でも・・・・・・、本当に宜しいんですか?」
「ええ。ドレスもアクセサリーも靴も、全て持ってお行きなさい。」
「は・・・・ぁ・・・・・・」
「それとも、このドレスはあなたの趣味ではないかしら?」
「そんな!!」
激しく頭を振った女は、次第に乗り気になってきたようにうっとりとを眺め始めた。
「とても素晴らしいドレスです・・・・・!こんな美しいドレスが私の物になるなんて・・・・・・・、何だか夢みたい・・・・・!」
「・・・・・ふふっ、良かったわ。決まりね。」
女が夢見心地な内に急がねばならない。時間がないのだ。
は女の前で、早速ドレスを脱ぎ始めた。
それから数分後、二人は服を取り替え終わった。
「素敵・・・・・!溜息が出ちゃう・・・・・!こんなに綺麗なドレスを着る事が出来るなんて・・・・・・!」
のドレスや装身具を身に着けた女は、鏡の前で恍惚とした表情を作った。
「奥方様のように力のある御方のご寵愛を受ける事が出来たら、どんなにか幸せな事でしょうね!毎日溜息の出るような美しいドレスを着て、蝶よ花よと愛される事が出来たら、どんなに幸せでしょう・・・・・・!」
「・・・・そうかしら。」
「そうでございますとも!明日食べる物の心配も、野盗に襲われる心配もなく、美しいものだけに囲まれて生きていくなんて、これに勝る幸せはございませんよ!」
そう言い切った後、女は不意に思い出したように、訝しそうな顔をへと向けた。
「でも、どうして急に服の交換など?ドレスについうっとりして承知してしまいましたけど、
こんな事がユダ様に知れたら・・・・・・・」
「訳は訊かないでとお願いした筈よ。訊かない方が貴女の為だわ。そのドレスを持って、今すぐここをお出なさい。」
城の下女達を殺しかけたいつぞやのユダの恐ろしい表情をはっきりと覚えていたは、真顔で女を諭した。
女もユダの怖さは知っているのか、表情を引き締めてコクリと頷いた。
女が館を出たのを見送った後、も裏口から人目を忍ぶようにして外に出た。
裏庭の厩舎には、乗って来た馬車を引いていた馬が二頭、静かに佇んでいる。
はそこに忍び込んだ。
「よしよし、良い子ね・・・・・・・」
その内の一頭が、入って来たに反応を示して鼻先を押し当てて来る。
それを優しく撫でながら、は馬にそっと囁きかけた。
「お願い、私を乗せて行ってくれる?」
ブルル、と鼻を鳴らした馬をもう一撫でしてから、は壁に掛けられていた鞍具を馬に取り付けた。
よく慣れているのか、馬はそれらを着けられても驚いたり嫌がったりはしなかった。
「良い子ね、いらっしゃい・・・・・・」
ごくごくプライベートな旅故と、ユダが配下の者を引き連れて来なかったのが幸いだった。
屋敷の警護は手薄もいいところで、外に出れば人の目は何処にもない。
は馬の手綱をしっかりと握り締め、馬を外に連れ出した。
鐙に足を掛け、勢いをつけて馬の背に乗ってみる。
乗馬は少女の頃に少し嗜んでいたが、そんな腕前で果たしてこの荒野を抜ける事が出来るのであろうかと不安を感じつつも、は歯を食い縛って手綱を握り直した。
「ここまで来たのだもの・・・・・、行くしかないわ・・・・・!」
今ここで怖気付いて館に戻る位なら、最初からユダの目を盗んで抜け出そうとはしない。
迷い流されるばかりの自分自身に決着をつけに行く為、は勢い良く馬を駆った。